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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1438]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その172=」■雑感とおたより■
by:
鈴木崩残
2010/11/20(Sat)05:20:53
【CDRやDVDについて】
■珍しい、お問い合わせがありましたので、書いておきます。
無明庵の「CDR本」を開いたら、写真や図しか表示できなかった、
というメールがありました。
つまり、ワードの部分の文章が表示されない場合です。
おそらく、そういう場合には、次の二点が原因です。
1−Macなどをご使用されていて、
WindowsのワードのソフトがPCに入っていない場合。
2−もしもワードのソフトが入っているのに、開けない場合は、
どのバージョンのワードのソフトでも、初期設定になっていると、
リッチテキストファイルしか開けない設定のままの場合があります。
この場合には、ワードのソフトをまず開いてから、
「開く」をクリックし、
開く場所は、CDRの入ったドライブを指定します。
そして、下の方にある、「ファイルの種類」のところを
「word for windows」にしてください。それで開けます。
また、私は知らないのですが、
マックで、「ワード」を開けるソフトがあるようです。
●なお、無明庵のCDRの文書ファイルは、
「性のレシピ」のみは、「PDFファイル」で、
あとは、すべてマイクロソフト社の「ワード」です。
制作した時期が古いので、「ワード2000」で私は制作しています。
●また、DVDは、
「分割自我復元」と「無冥流投剣術/上級編」だけは
「WMVファイル」ですが、あとは、すべて「AVI」ファイルです。
AVIファイルはマックでも開けると思いますが、
「WMVファイル」は、メディアプレーヤーなどでないと開けない
場合があるかもしれません。
■特に、注意が必要なのは
これらは、一般的な「DVDプレーヤー」では再生できないことです。
無明庵のどの製品も、基本的には、
マイクロソフト社のソフトで再生することを前提にしています。
(しかし、マイクロソフト社って、いつかは潰れると思うのです。
まー、そうなっても、そのときにも、古いソフトも残っているでしょうし、
いざとなったら、ファイル変換するソフトが、ちゃんと出回ることでしょう。)
■なお、現時点でも、
「ワードをPDFに変換する方法」ならば、ネットで検索すれば、
方法が書いてありますので、PDFファイルには変換できます。
PDFの方が、互換性がありますので便利かもしれません。
■なお、「分割自我復元」のDVDにも、ワードで数ページの
重要な文書ファイルが入っていますので、必ずご覧ください。
_____________________________
【おたより】
こんばんわ崩残さん
「歓喜」『礎」『輝」を書いてもらいました。
有難う御座いました。
以下 今回の禅書の感想になります。
まず、封筒が来て書をみたとき たくさん書いて頂いたんだなと、
前回より枚数が多かったのではないかと思います。
書の感想と行きたいところなのですが、今回の書を申し込んだ理由が
『自我の復元』をするにあたって 始める前の状態を知りたかった
というのが一番の目的だったので
自我の希釈率についての事をはじめに書きたいと思います
1/6か1/7かということでしたが、間違いなく1/7です
1/6か1/7かは、周りの人を見て見て判断してくださいということでしたが、
1/7だという言うところに、とてもあてはまります。
一番時間を共有する 旦那や姉との関係に顕著に現れてます
とにかく 粘着質で やたら甘えてきて、
自分の正義を押し付けてくる人たちです。
何度もやり直す機会があったのですが
そのたびに、 相手の圧力に負けてしまい
まあ、いいか。。。。とあきらめて なにもしない、やらないという
長い時間を過ごしていました。
希釈自我ということで、なるほど、
だからすぐに相手の圧力に負けてしまうのは、自分自身の気力が無くて
他人の圧力に負けてしまうのはそのせいだったのかと納得できました。
実は書を申し込んだと同時に自我復元のDVDを取り寄せて
復元をはじまています。
まだ一週間というところなので 変化とか報告するようなことはないのですが
呼びかけをしていると、体の芯から氷のように 冷たくなってしまいます。
寒くなったせいもあるのかと寝具や寝巻きを調整しても必ず冷えるのです
関係あるのかなとおもいつつ観察しているところです。
書の感想は後日メールします。
今回は何度も何度もDVDを見ては書を眺め、筆の動きや墨の具合を
感じているところです。
なんだか、簡単にみて 感想を送るのがもったいなくて、
じっくり味わってみたいと思う書でした。
とりあえず 書がとどいたお知らせと、
希釈自我の感想をメールを送らさせていただきまいした。
__________________________
●たまに、私が希釈率の最終的な判断を、相談者ご本人に
委ねることがあります。
何人か、そういうDVDを受け取られた方がいると思います。
微妙な分割率のパーセンテージであるために、
その方の周囲の人間関係について尋ねたり、示唆することが
多いと思います。
この方のメールにもありますように、
分割率が微妙に異なると、その相談者の方の、周囲にいる人たちに
共通する性質が、がらりと違う、分割率が存在します。
(全てのケースでそうではないのですが、多くの場合にそうなります)
●自我の分割率は、本人の性質や限界を決定すると同時に、
「悪い意味」では、それに「寄ってくる」または、寄生していたりする
人たちをある程度決めますし、
また、逆の「良い意味」では、協力的で良好な人間関係の様相を
表したりします。
どうしてそうなるのか、なぜそれが、
分割率といった数理的なもので区分されているのかは、
私にもよく分かりません。
パーセンテージで言えば、10%程度の違いでも、
その各性質・各区分に、臨界点のようなものがあるのだろうと思います。
それはちょうど、音楽の「音程」に似ています。
むろん自然界にランダムに発生している無数の音には、
音階や平均律などなくて、数字では表せない周波数であるわけですが、
ただし、人間がその可聴領域の音を、人間の耳で聴いたときには、
音階という区分で、働く性質もあるということです。
言うまでもなく、実は、自然界とその人との関係は、
人間関係とは微妙に違います。
人間関係というのは、いわば人間社会、または人間という性質の生物の
中で起きる音楽法則の中で作用している面も多いので、
ごく簡単に言ってしまうと、こういう事です。
↓
自然界の音同士には、不協和音もクソもない。
あるとしたら、共鳴現象や、音波が打ち消しあうといった、
物理現象のみです。
しかし、「音楽」の音程、音階という「枠」の中では、
明らかな不協和音や倍音構造(音色)が存在する。
だから、そこには、人間の耳で聞いたときに、
快、不快をはじめとする様々な感情が発生します。
●そのために、近似値の周波数(音程のキー)を見つけるかのように、
近似値の「自我の分割率」を探ろうとするときに、
どうしても、書の文字だけでは、判断がつきにくい時に、
相談者の方の「周囲にいる人間の様相」を、相談者の方が参考にして、
最終的な判断をして下さるように私が言う場合があるのです。
つまり特定の希釈率の自我の人の周囲には、それに呼応する
「音程」の音が集まりやすいのです。
【精神世界とは?】
●話は、がらりと変わりますが、
無明庵には「精神世間」という造語があります。
これは、精神世界と呼ばれる分野の本を読んだり、そうした行為を
していても、その根底の「動機の部分」が、
別に「精神的」と呼べるようなものではない場合のことです。
●無明庵も1997年以降、ずいぶんと長く、続けていますし、
その間には、精神世界だけではなく、それに周辺的に関連する、
セックスの問題、機能不全家族の問題なども、扱ってきました。
そのために、結果として、読者の方の層は、必ずしも、
精神世界に関連する人たちだけではありません。
●ごく普通の生活の中で起きているさまざまな問題の
解決の参考にしようとこのサイトを訪れた方も沢山おります。
むろん、それはそれで問題ありません。
それに、そもそも、精神世界と呼ばれる分野に関わっている人自体の
大半の人たちが、別に、どこも、「精神世界的」ではないからです。
●このことについては、私は著書の「悟りなき悟り」の中で、
明確に区分しました。
いくら、超能力欲しさに何かをしたり、占いに凝ったり、
魔術に凝ったり、または武術に凝ったり、あるいは宗教に入信しようが、
出家しようが、
その根底にあった動機に、本当に精神的だと思えるものを持っている人
というのが、極端に少ないからです。
●つまり、私がよく言う、
「それは他の店で売っている」
「それは、外科ではなく、他の耳鼻科へ言ってください」というものです。
解決しなければならない内容と、解決法を取り違える人たちが、
精神世界のほとんどの領域を占めています。
そもそも、別にやれ気だの、やれヨーガだの、やれ瞑想だの、
そんな(いかにも、精神的なことをやってますみたいな)ことを
すべきではなくて、
もっと、ごく当たり前に、自我を持つ、人として生きて、
人として直面して、人として対処すれば、その問題は解決したのに、
そこに、宗教だの、精神世界といった論理武装をした人たちを
よく見るといいです。
●さまざまな宗教、そしてカルトに関わった人たちのほとんど全員が
そうですし、伝統的な寺に出家している人たちすら、そのほとんどが、
そんなものです。
つまり、自我を持った人間として生きて、その中で解決と奮闘を試みて、
それをやりつくして、どうにもならなくなったから、精神世界に行った
「というのではない人たち」です。
●たとえば、現代医学ではどうにもならないから、
民間療法や、あげくには、カルト教団に行ったという人も、
いると思いますが、仮にそうであった場合、
あなたは、相手が病気を実際に治せるのか治せないのかの実力だけを
その相手に期待すればいいのであって、
その為に、入信したり、何かを信じなければならない宗教カルトなど
全部、無視していいです。
たとえば、中国の気効治療などをする人たちが、
あなたに、道教やら、何かを信じるように強要などするでしょうか?
もしもするとしたら、それは詐欺師です。
通常彼らは、それらを「医療補助行為」として割り切ってやっています。
だから、もしもあなたやあなたの家族が、
その教祖やら、治療師によって、それまで頼っていた西洋医学よりも
効率よく治せなかったのであれば、
それはあなたの信仰の有無や寄付金のせいではなくて、
相手が、ただの詐欺師か、無能者だっただけのことです。
●さて、こうしたことから、「悟りなき悟り」という本の中で、
私は、この世界に存在する、精神世界と呼ばれる分野のそのほとんどが、
>「普通の方法ですればいいものを、わざわざ、別の方法でやろうとする」
そういう分野であると定義しました。
つまり、精神世界などに頼らなくても、
自我さえ普通の状態にあれば、ほとんどの心理的な問題は解決して
当たり前なのです。
●しかしそれでも、なお残るものが、
私が定義するところの本物の精神世界であることも、同書籍の中で言いました。
それは、つまり、次の三つの分野です。
1−哲学
2−瞑想
3−異星人問題
_______
ただし3は、当面の間は、
世間で、一般的な課題になる問題ではないので無視していいです。
2の瞑想。これも「本来は」、あなたの問題解決には、必要ありません。
最も重要なのは、1の「哲学」です。
正しく言うならば本人の「哲学的姿勢」です。
●哲学といっても、哲学書を読めということではありませんし、
過去の哲学者の知識を詰め込めという意味でも全くありません。
哲学と、世俗的な願望実現を求める人たちの精神状態の
大きな違いを、一言にいえば、次のようなことです。
↓
>精神「世間」とは、どうやったら、死なずに、自分が生き延びれるかの
>方法を探し回って、うろうろと時間を無駄にする行為。
>「哲学」とは、どうして、そんなことまでして、
>この先も、ずっと生き続けなければならないのか?を自問する行為。
この二つの違いは、あまりにも巨大です。
●皆さんも、自分が、重篤な、あるいは軽度の病気になったり、
失業したり、引きこもったり、精神を患ったり、
あるいは、死にたくなるようなことがない限りは、
「どうして、こんなことまでして、私は生き続けているんだ?」
と自問することはありません。
つまり、精神「世間」の姿勢とは、
あくまでも、生きる方法や、生きる根拠をこじつける為の模索です。
●しかし、「哲学的」な姿勢とは、
生きるその「意味それ自体」「根拠それ自体」の模索です。
生きていなければならない、そんな明確で正しい根拠が、
そもそもあるのかないのか?を疑うわけです。
だからこそ、それは「人は転生しているから、いいじゃないか」で
済む問題ではなく、
では、どうして何百回も、面倒な転生などしなければならないのか?
という方が、主題であるわけです。
●私に言わせれば、もしも人が本当に変容したいのであれば、
哲学的に自問する時間が90%か80%必要で、
瞑想は10%か20%でよいと断言できます。
それにも関わらず、
ご利益やら、安易な方法や、瞑想ごっこをしてる気分になり、
何かご大層なことをしている自己陶酔をしたいだけの理由で、
精神世間にいる、多くの人たちや、カルト信者らは、
瞑想ごっこや、座禅ごっこ、あるいはご利益欲しさの行為に明け暮れて、
「哲学」をしません。
そもそも哲学をしていたら、人はどんな宗教にも関わりあうことを
しません。
なぜならば、哲学とは、神仏や過去の偉人を信じたり、模倣するることではなくて、
「そもそも、神仏などいるのか?いないのか?、いる意味などあるのか?」
「そもそも、それが自分の苦痛や、苦悩とどんな関係があるのか、
それとも関係ないのか」
といった、こうした根本的な「素朴な問い」が哲学を形成する
本質部分だからです。
だから、私は、疑問と疑念を持って、多くのものごとを疑い続ける
そういう人たちだけを私の中では「精神世界に関わっている人」と
定義しています。
実際には、私の中では、
いわゆる、既存の宗教が教えているような、現実逃避にすぎない瞑想などを
所詮は、ごくごく人間的な、悩みの解決の為にやっている連中など、論外なのです。
●瞑想というのは、
そもそも、誰も貴方を助けられないという時、
どんな信仰や、どんな宗教も、あなたを助けられないという時、
あなた以外には、誰もあなたを救出できないというときになって、
初めて「正常にそれが機能する」ものなのです。
断じて、「それ以前」ではありません。
それ以前の段階の、座禅ごっこや、瞑想プレイなど、
ことごとく、稚拙な欲望の産物による動機に基づくものでしかありません。
●
【インターネットの弊害】
●これまた違う話題をしますが、
インターネットがもたらした最大の弊害は、
ネット上の振る舞いと、現実の振る舞いの間に、ギャップが存在する
人たちを大量に生産してしまったことです。
私ぐらいの年代か、または私よりも20年ほど下までの年代は、
青春の時期や、勤めたりしている、最も重要な社会生活の時期の中で、
インターネットなどというツールはありませんでしたので、
すべての処理をリアルの世界でしていたわけです。
●つまり、陰で誰かや何かの文句を言うなどというのは、
酒場で同僚や知人相手にしていたわけで、
そうでない人たちは、悶々とただその憤懣を自分の中に抱えていたわけです。
そうなれば、自分の周囲に起きる問題は、
自分で解決しなければならず、またその行動も、自分で起こさなければ
何も進展しないのですし、
すべての問題は、一種の、自業自得として、ちゃんと自覚されるものでした。
●たとえば、私なども、上司や会社のやり方に問題を感じたときには、
事前に計画して、レポートをまとめ、上司や社長が最も恥をかくであろう場面や、
ミーティングの時に、生身の人たちを相手に、そういう指摘をしたりしてきました。
●また、皆さんとて家族や学校や会社の中で起きた問題は、
その家族に面と向かっていわなければ何も解決しませんでした。
ところが、解決の手立てを考えたり、解決の現実的な行為もしないまま、
ただネットで、ストレスを発散して時間を潰す人たち。
このいわば「ガス抜き」のツールを得てしまったことで、
目の前にある、自分で解決しなければならない問題に、
現実問題として、関わるよりも多くの時間を、
無駄なおしゃべりをして、
「それと関わらないように逃げる人たち」を
大量生産してしまったわけです。
●現実に、自分の力で、自分や周囲の何かを変えなければならない、
最も「重要な局面」であるのに、
そのことについて、面識もないただの他人と、
本当に時間の無駄と、精神の荒廃てしかないような言葉を交わす、
それがネットが作り出した、「最悪のガス抜き」です。
そしてそれは次の弊害も作りました。
「タイミングを逃す人たち」。
つまり現実生活では、まさにその時にその瞬間、その場所で、
相手に言わなければならなかったことであるのに、
それを延長してしまい、
あげくに、現実ではないネットでそれを言うという、
全く愚かな行為です。
こんな人たちに、人生のチャンスや、直感的な行為など、
つかめるわけがありません。
●そうした「ガス抜き」が存在しなければ、
もっと多くの人たちが、現実に直面して、自分で問題を解決したであろうものを、
解決するための努力と決意を、現実世界での行為をするよりも、
その問題について、「陰で文句や愚痴を言うこと」に、
膨大な時間と労力を浪費するわけです。
●現実的な問題が起きたときに、決して現実逃避が出来ないこと、
それだけが「正常な自我」を維持できる秘訣であるというのに、
人間は、アルコールや麻薬と同質の、
最も悪質な「麻酔=麻薬」を手に入れてしまったわけです。
●私が生きた少し前の時代には、
文面と本人の間に、ギャップのある人というのはほとんどいませんでした。
変な文を書く人は、実際に会っても変でしたし。
しかし、ネット社会になってからは、
それこそ、どんな嘘でもつけ、自分が安全なところから、
面識もない相手に、どんなことでも言えるわけです。
これが、人間の心理状態を劣化させないわけがありませんし、
大量の嘘つきを生産しないわけがありません。
●もともと、人が書く文と、現実のその人との間には、
微妙にむろん違いはあり、私みたいに、文面と、現実の私がほとんど同じ、
という人よりも、むしろ、若干、リアルと文面とでは、
イメージが「ずれている人たち」が大半なのですが、
それにしても、ネット社会が起きる前の「手紙でのやりとり」は、
現在ほどの「目も当てられないようなギャップ」はありませんでした。
●というわけですから、
皆さんも、ネットだから演じられる、ネットだから、言える、
そんなことに決して甘えないで下さい。
現実の世界で、面と向かって相手に言えないことなど、
決して書いてはなりません。
そんなことをしているから、
ネット上のあなたは、現実の貴方と自己分裂してしまうのです。
●匿名だからこそ、ネットには「生の意見」がある、
ネットは「本音」だから価値がある、などというのは、
全くの「嘘」っぱちです。
そこにあるのは、「本音」などという、立派な代物ではなく、
単に「現実に言えない愚痴」に過ぎません。
つまり、人間の最も醜悪で醜い部分が、「病的な形」で表現されているのが、
インターネットの持つ弊害の側面です。
●病的ではなく「健全な形」というのは、
その本音を表現する方法を、
現実の場で、その人が明確に持っている場合のみです。
●こう考えてください。
もう古い事件ですが、無明庵でも一時、話題にしたことがある、
「秋葉原の無差別殺人事件」ですが、
あの犯人が、ネットで書いていたことと同じことを、
彼が現実の世界で、その不満を誰かや上司にきちんと言っていたら、
ああした事件が起きたかどうかです。
それは、決して起きません。
その場合には、彼が、もしも殺したとしたら、それは「彼の親」です。
本人の不満が、その不満と苦痛が起きた原因の「震源地」ではなくて、
全く別のところに「飛び火する」、
それが、ネットや、その他の「麻酔」が持つ最大の危険性です。
●アルコール、麻薬、そしてインターネットでの、無駄なおしゃべり、
これらが、そもそも、現実に対する不満と愚痴を、
現実には言えないことからの「現実逃避」として使っている人の場合には、
当然のこととして、
本当にそれをその人が言うべき相手に対しては、
日常生活では、相手に媚を売り、おとなくし我慢し続け、嘘を言い、
その結果それが「全く関係のない人」に対する不条理な不満として、
爆発してしまうわけです。
●そして、その現実とは遊離した「虚勢」「虚構」を演じる人は、
海外の人たちを見ると、年代が下がるほどに増えていますが、
むろん、50、60歳の人でも、ネットというツールを使ってから、
どんどん、その症状が悪化してゆく人たちも、沢山います。
ですから、社会で生活した「年代」は多少は関係しますが、
基本的には、年齢の問題ではありません。
●さて、現実の中で、実際に相手に言えている不満を、
ネットで口にするのであれば、その「本音」は意味を持ちます。
そこにはズレはありません。
しかし、そうでない愚痴や虚勢や、知ったかぶりなどは、
その「自称・本音」すら「虚構の本音」に過ぎません。
私に言わせれば、単にあなたが現実にあなたが不満を持つ、
身近にいる相手に対して言えないで、頭の中にある悶々とした、
その不平不満を、私は「本音」などと呼ぶつもりはありません。
私の定義する「本音」とは、
「未熟な不満」ではなくて、「成熟した不満」のことです。
成熟した不満は、他人との、無意味なメールでのおしゃべりや
インターネット上での、愚痴などからは生まれません。
もしもあなたが、ちゃんと「成熟した不満」を持つならば、
あなたは本を一冊書けるほどに、自分の言いたいことの論点を
明確に出来ているはずです。
その段階にほど遠いような、ネット上での、ただの愚痴と不満と虚勢を、
私は「価値ある本音」とは呼びません。
それは、「不満の汚物の、ただの垂れ流しにすぎません」
●本音というのは、現実生活の中で、充分に経験を通じて熟し、
また、何度もそれをぶつけたことがある、そういうものが
本音と呼ばれます。
単に「それまで、口で他人に言わなかった事を言ったり書くことを、
本音と呼ぶ」となどいう、安直な勘違いをしている人たちが多く存在します。
●しかし、現実の生活の中で、人が本当に「本音」を口にしたときに、
どうしてそれが、ある種の「力」を持つのか、よくよく思い出すことです。
本当の「本音」は必ず力を持ちます。
本音といのうは、それ自体が本来は、無力なものではあり得ません。
なぜならば、その本音が口に出されるまでには、
膨大な時間や苦悩や思索があるからです。
●しかし、インターネットで、ただの、現実逃避の遊びの中で、
口にしている不満、書き込んでいる不平などは、
その不平不満すらも、「自分の本当の本音なのかどうかすら」も、
分かっていないで書き込んでいるのが、
ほとんどの人たちの書き込みです。
その人たちは、やがて、「本音でないこと」すらも、平然とネットに書きますし、
虚構を演じるうちに、現実で生きる上では、最も重要になる
「自分の本音を把握する知性」すらも失って行っているわけです。
●だから、インターネットや携帯のメールや、書き込みをするときには、
あなた自身が、現実のあなたの生き方と違うことをするために、
それを悪用していないか、充分に注意してください。
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