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[1439]
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禅書道日記その173●無無心の書についての感想。
by:
鈴木崩残
2010/11/21(Sun)11:29:04
「無無心の書へ」のおたより
通常の「禅書」ではなく、無無心の書を受け取られた方たちからの
メールです。
その1_________
無無心の書の感想です。
たいへん遅くなりましたが、本年3月に購入しました、
「無無心の書」の感想につきまして。
いままでにも、いろいろ書いていたのですが、
文章にしてしまうと、逆に伝わらないかもしれないというところです。
前に、崩残さんの作品展をしてみたらどうか、
との提案が読者の方よりありましたが、
わたしもずっとそれを考えていました。
この作品を見ていると そう感じさせます。
皆さんに 実物を見てもらいたい。
このサイズの書を飾ると、ほかの禅書とは
比較にならない存在感があります。
禅書のよさも、ありますが並べてみると、
表現の幅、 スピード、 アート性、
まったく別物と考えたほうがいいですね。
一度、このサイズで注文した方は、
このサイズでのリピート注文になる人も多いかもしれませんね。
PS1
無無心の書が到着した日より、約2ヶ月間ほど
まるで、崩残さんが、ずっとそばにいるような感覚がありました。
定期的に梅の間を拝読していることもあるかもしれませんが
そのコメントの内容も含め、
私自身に語りかけてくれているのではないかと思うほどでした。
そのぐらい日記が、自分にとって身近と思える内容であったということです。
PS2
自我復元のDVD、最後の映像について。
PCを枕元に置いたまま、映像をリピート再生で、
流しっぱなしで寝てしまったことがありました。
そうしたら、明け方ですが、手のひらと足の裏が、ぴりぴりとして、
とても精妙な 体の軽くなる感覚がありました。
(嫌いな表現かもしれませんが)
気のせいかもしれないと思い、再度試して就寝したところ、
やはり同じような現象がありました。
以来 10回くらい試していますが 特に変化がなかったのは1回のみでした。
つまり、ほとんどの場合において、そのような感覚がおきているということです。
わたしは 就寝しているので、映像は見えていません。
ただ 無意識と意識の間で 音楽が聞こえているのみです。
崩残さんの映像解説では、音楽には特に意味がないとのことでしたので、
原因はわかりませんが 一応お伝えしておきます。
「無無心の書」に中の効果を期待するということは、
原則として、度外視して戴きたいことは、前にも言いましたが、
「無無心の書」では、普段、私が書いている禅書とは、
違う私の側面を出していることは事実です。
●前にも何度か言いましたし、そもそも、この禅書を受注しようと
決意したきっかけは、
手裏剣術において、次の動画のような事が出来ると確信したからです。
↓
【超絶的な技】
http://www.youtube.com/watch?v=bZ2c3crHnxQ
●つまり、確率計算上では、ほとんど不可能なことが無心になれば可能になる。
従って、それを、筆の運動に応用することは出来る、
あるいは既に出来ているという、裏づけを自分で得たからでした。
●これらの手裏剣の技は、全ての技術を総動員して、
「狙おうとする心」でいくらやっても、膨大な時間や日数がかかります。
実際、技術的に狙おうした事は何度もありましたが、決して成功しません。
しかし、「この瞬間ならばそれは出来る」というときに、
意図せずに、「不意に体が自動的に動いた場合」には、
こうした、奇跡的な命中現象が起き続けました。
それを私は書が書かれる行為の中で応用しているわけです。
●ある意味、それは一般のアーティストが、
本人の信念や、本人の技量や、本人の美観や、本人の価値観を
表現しようとした結果の作品とは、全く違うと思ってください。
筆の動きが、私を「乗っ取ったとき」にだけに、書かれるのが、
無無心の書です。
ちょうど、それと同じことを、手裏剣術では、
「無為の動きが、私を完全に乗っ取ったとき」にだけ、
極めて困難な技が、ほとんど偶発的に成功するというわけです。
●無無心の書を、ある意味では、特殊な意識状態で書いていることは事実です。
ですから、私がそばにいる感覚がしたとしても、
私はそれを否定することは出来ません。(肯定もできませんが)
ただ、私のものではなくても、誰かが作ったものがそばにある、
ということは、多かれ少なかれ、いろいろな影響はあると思います。
それが特別に私の無無心の書に顕著なのかどうかは、
それこそ、オカルト話になってしまうので、判断は出来ません。
●そのぴりぴりとする感覚ですが、
ほぼ十中八九、そちらが、先天的な、「体外離脱体質」であると
私は判断します。
そもそも、分割自我復元のDVDの中で語られていることは、
睡眠中の「無自覚な体外離脱」を使おうとする方法です。
または、もう少し平たく言えば、睡眠中の人間のコンタクト能力を
使う方法です。
普通は眠ってそれを行っているのですが、
そちらの場合には、離脱のプロセスの「一部」が自覚されている
ということになります。
従って、自我復元は、そらちにとっては、特に、目に見える効果が
今後、予測されます。
その2_________
崩残様、無無心の書を頂いてから半年あまりがすぎました。
そして自我復元を始めてから数ヶ月、いろいろな動きを試してみました。
おもしろい出会いもあり、また失ったりとペースが早いです。
以前メールで「利他的とも見える姿勢でいろ」とありました。
自分もそのような姿勢で生きるのが好きなはずなのです。
しかし、気がつくと自分が出過ぎてしまい、
相手に迷惑をかけてしまいます。
以前「直」の書のdvdでも指摘されました。
ことに女性が絡むといつも同じことをしてるようです。
恋心をすぐ持ってしまう癖があります。
仲のよい伴侶がいてもそのような姿勢を持ってしまいます。
いつまでも他者を必要としてしまう、
本当に自我が薄いのだと思います。
昨日の梅の間を読んだ時も自分の事だと思いました。
人は自意識過剰と言うかもしれませんが、
あれを自分の事として思えないようでは本当に馬鹿だと思います。
私もあの猿たちが嫌いでした、今でも嫌いです。
にもかかわらず都合のよい時だけ、彼らと同じような振る舞いを
してしまいます。
私のような者がバグワン(和尚)の顔に泥を塗っているのです。
やりたい事はやってきたつもりでした、
音楽も旅もしてわがままにやりました。
しかし、恋愛事に関してはまだまだなんだと思います。
結局、「世間の価値観」に甘んじている、
懲りていない自分が見えるだけです。
こんな情けないメールをお許しください。
いえ、ちっとも情けなくないです。
極めて、正直で、率直なメールだと思います。
その3_________
鈴木 崩残様
今回も、また、さらに書の価格破壊を引き起こしてしまったので、
汗が出る程申し分けないな、と思いつつ、
でも、今は、自分の経済的な事を優先させて戴くことに致しました。
ですが、この無無心・無心の書は、私の経済感覚から言いますと、
一枚1万円〜4万円の金額は、つけられると思いましたので、
更に、つのる思いがありました。
お金持ちになったら、無明庵に、その分、寄付です(冗談です)
毎度、書を依頼する度に、
み〜み〜泣いていて、どうしょうも無いな、と思うのです。
でも、やはり、依頼する時は、差し迫っていたり、真剣に依頼していましたので、
そういう反応になるのだろう、と思っています。
苦しいのは苦しいのですが、毎度、やはり感謝してしまいます。
というか、私は、無明庵を知っていなければ、
もう自分がどうにもならなくて、ずっと、死んだように生きて行って、
そのまま、年を取り、死んでいたと思うのです。
そんな、無様な死に方、自分にとっては、最低、と思っておりましたから、
そうではない自分の納得出来る死を迎える可能性(道)がある、
という事となります。
それから、個人的に楽しかったのが、
筆使いの色々を、見せて戴いたところと、書を選択していく過程。
無無心・無心の書の落款に小筆で、名前を書かない理由の説明部分です。
私も、落款が押印されているところに、名前を入れると、
ちょっと下品な感じがしましたので、
落款だけの方が、書が生きる感じが致しました。
そして、変かも知れませんが、落款自体のデザインと申しますか、
「崩」落款の方が「無」より好きなのです。
その「無」落款も、以前の梅の間で見たのですが、
前の「無」落款の方が、素朴で好きなのです。
破損してしまったようですね。
でも、作品全体のバランスから言いますと、
現在の「無」落款の方がしっくりくるような気がしています。
でも、本当に、無無心の書を書くときには、力尽きるのですね。
「あ〜、これで、力尽きた」、と言われていたのに、
また、その後、書いて戴いてありがとうございます。
雪の上に書を書かれていた動画の情景も、何故か、頭のなかにあって、
あの時も、ある意味での、テンションを感じていました。
それと、崩残さんも書かれていましたが、
その雪上の動画を見た時、OSHOさんの動画も、偶然に見たのですが、
私、びっくりしたんです。
サニヤシンの人達、何の騒ぎをやっているのだろう?って。
私なら、騒々しくて、うるさくて、その場には居たくないな、って。
でも、あるイタリアの男性お独りに、お話されているOSHOさんは、
全く、人気(ひとけ)の無い人でした。
こういう人(顔)は、初めてみました。何にも無い人。
本当に、死人のようでした。
それから、無無心・無心の書は、
あらかじめ、もしかすると、見ると何か起こるかも?と
警告と申しますか、以前に書かれておられました様に、
冗談で「飾るな、危険!」みたく、
書に興味がある人で、見てみたいという方(知人・友人)に、
鑑賞するだけの時間ですから、短い時間となりますが、
見せても大丈夫かな?と思っています。
どうなっても知りませんよ、と一言、言ってからお見せすれば、
身構えが出来るでしょうから、
そんなに変な事には、ならないかも知れないと思いました。
でも、今のところ、そんな勇気は、私にはありませんので、
密かに、ひとり、楽しんでいる事になるでしょう(笑)
無無心・無心が、純粋なアートとして鑑賞出来るように、
今後、試行錯誤されていくのかしら?とDVDを見まして思いましたが、
本当に、そうなれば、楽しいですね。
もちろん、今までのような、どうなっても知りませんよ、
という無無心・無心の書のバージョンも、残して戴きたいですが。
今度、無無心・無心の書の依頼をする時は、
自分の人生のどういう節目だろうか?と、
少し、想像したりもします。
ある意味、人生の節目で(偶然ですが)、
無無心の書の依頼をしたような感じがしていますから。
効果?それを考えると、戸惑います。
凄い効果であった、とも言えますし、逆に、効果なんか無かったよ、
と言うのも相応しくないような感じもします。
単純に言うと、本当に、崩残さんの書が好き!という事になるでしょう。
きっと、子供の時に、ありのままの自然の美が好きだったので、
それと同じ様な感覚を愛しているのかも知れません。
書き忘れた事も、あるかも知れませんが、今回もありがとうございました。
また、お疲れ様でした。
______________
この方の場合は、禅書の感想も兼ねていたメールでしたので、
無無心の書の感想部分のみを編集しました。
ちなみに、関係ない人が見て大丈夫か?となると、
無無心の書に、若干の増幅効果があると知らなくても、
大丈夫だと思います。
問題は、それを見る時間です。
あるいは、その書を、飾る飾らない関わらず、生活を共にする、
となった場合には、本人の性質に対する「増幅効果」を、
危惧するほうがいいです。
しかし梅の間の読者の方は、その可能性
つまり、「注意・この先カーブあり」の標識を知っているのと同じですから、
そこで安全に、ブロックされていますね。
●一方、知らない人が、もしも皆さんの自宅で、見た場合、
あるいは、将来私が、死んで、遺作展覧会にでもなった場合、
無無心の書がどういうものか全く知らない人が見ても、
見る時間が限られますし、
なによりも同居しているわけではないので、
影響は何もないと見ていいです。
仮に、1時間、同じ書の前で、観察していても、
大したことはないと思っています。
●たとえば、私の家には、私用で、無明庵というものを通じての縁とは
全く何の関係のない人脈の人も、たまに来ますが、
その人たちが、部屋に飾られている無無心の書を見て、
どうこうなった形跡は、全くありませんから。
もしもそんな形跡があったら、皆さんには、
「無無心の書を、他人に見せないでください」と勧告しますから。
しかし、そうはなっていません。
_______________________________
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