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「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
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より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1457]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その195=」●【判定依頼受付】のめど●
by:
鈴木崩残
2011/01/08(Sat)21:19:27
>1/9-8:00
>松の間掲示板の最新投稿の最後に、初夢の話を追加しておきました。
>1/8-9:00 文頭に追稿しました。
分割自我論が信憑性を持つ理由
■分割自我(自我の希釈)という概念は、
そもそも、人間の精神状態が「劣化」を起こしているようだ、
という観察とその前提から開始され、
その原因についての調査から始まったことである。
■その原因について、社会の変化、環境の変化、教育の変化、
家族の変化、食物の変化、通信電波や家電製品の変化、
医療用の薬品の乱用など、さまざまな事に根拠を求めたが、
すべて断定できるほどの原因は見当たらなかった。
■ところが、その劣化が生じているであろうと推測される時期と、
人口の増加が、比例しているらしき事から、二つの間に関連性が推測された。
すなわち、人口増加についての単なる理由探しではなく、
それが「人間の精神の劣化と関連・連動している」ということこそが
問題である。
■たとえば、
人類の人口増加を、「生殖行為の増加と死亡率の低下」の結果としてみなし、
「人間は、ただ、それだけの物質的な存在である」と、
貴方が、微塵の疑いもなく思える、のであれば、
以後の文章は読む必要はない。
もしも人口増加が単なるネズミ算的な増加によるものであり、
>人間は肉体を超えた存在など備えてはいない、
と嘘なく本気で思う人は、この掲示板を、そもそも読む必要はありません。
■次に残る人は、
>人間は肉体以上の存在である、
と推測したり、または、「そう思いたい」という期待を持っている人のうち、
>肉体を超えた本質を持つが「転生はしない」、
と思っている人も、これ以上、この梅の間を読む必要はありません。
その信念体系に属する人たちはたとえば、キリスト教やイスラム教や
ユダヤ教であり、ようは、人間は死んだら天国か地獄しか行くところは
ないと思っているのですから。
■次に、ここでまだ残っている人たちは、
>転生というものを信じるか、または信じたい、
と漠然と思っている人たちである。
むろん、その多くの人たちは、
その記憶を現実感を伴って持っているわけでもなく、
単に、他人が書いた本などから見聞したものによって、それを信じるのが、
その人にとって、なんとなく好みの「お話」であるというに過ぎない。
■では、転生をもしも個人が個人としての、
何らかのアイデンティティーを保ったままで、俗っぽい精神世界が
言うような、魂の「旅」をするために、
異なる人間の生として、生まれ変わっていると「仮定」した場合、
ここで逆に唯物論者から間違いなく突っ込まれるのは次の疑問である。
転生をしていると仮定した場合には、
>その転生している「主体」は、何であるのか?
それを、精神世界の人々のほとんどが実に曖昧に「魂」とか口で言ってしまう。
しかしでは、もしも魂なる主体が転生をするのであれば、
なぜ人口が、緩慢にであれ、または急激に増加することがあり得るか?である。
これがここ数百年の人口増加のグラフであるが、よく見て下さい。
↓
http://ameblo.jp/showying/image-10446355521-10394309872.html
■転生している主体である「魂とかいう、定義の曖昧なシロモノ」が、
もしも地球の内部をうろうろしているのであり、それが肉体に宿るという、
チベット仏教のごとき「あまりにも単細胞的な思想」に基づけば、
そもそも、人口が増加すること自体が整合性を持たなくなる。
■そこで、転生を信じる人たちは、魂の出所について、
何らかの「言い訳」もしくは「説明」をしなければ、転生という
現象に確証を持てなくなるはずである。
>実感を伴う確証が持てないのであれば、
>あなたは、普通の「欧米型の宗教」を信じて暮らすか、
>さもなければ、潔く、唯物論者に戻ればいいのである。
■では、転生していると仮定する主体であるものは、
>どこから補充されているのか?
それは次のような仮説によって、「取り繕い」を試みるだろう。
1−別の天体からの転生
2−別のパラレルワールド(水平方向)からの転生
3−別の霊的次元(垂直方向)からの転生
4−別の未来の時間軸からの転生
5−別の下位次元からの転生(一例として動物の世界から)
■しかし、私個人は、これらを全て否定した。
遠い過去には、次元間での多少の民俗移動はあったにしても、
特に、「ここ数百年の人口増加の根拠」としては、これらを全否定した。
これ故に、私は過去の経典や神話が語っていることは、
現代では、真に受けて信じてはならない部分があると言うのである。
過去の経典や神話は、
「事情が急変した場合」には、全く役立たなくなるのである。
■俗に、まことしやかに、精神世界の人々が、
本や、他人からの借り物の言葉を鵜呑みにして、
知ったような事を、口先だけで言っている、
>「魂の学習」や「魂の進化」といったものは、
>かつて古代には、ある程度は正しい事実で「あったもの」にすぎず、
方針が激変した後の時代からは、逆に、
>いかにして、「魂を学習させない」「労働作物として留まらせるか」
というシステムが、この地球を支配しているにすぎません。
*********
■さて、私が前述の5つの根拠を否定する理由はごく簡単である。
それがもたらす影響が、良い影響であれ、または仮に悪影響であれ、
もしも、1から4までのような別の世界からこの地球に転生の主体が
移動している場合には、
必ず、地球全体の精神と文化に「革命的どころではない大きな変化」が、
生ずるものだからである。
■なにしろ、人口増加の推移のグラフ通りに、もしも外部から
魂が輸入されたとなれば、その大半(2/3以上の人々)は、
「それまでのものと違う」性質を持つのが当然だからである。
いかに、似たような程度の世界から移動したとしても、
現在のような、文化的、精神的な「極度の停滞」はあり得ません。
たとえば、このわずか100年の間に、日本で、新種の魂が、
5倍にも増えたとしたら、100年前の日本人の精神状態は、
見る影もなくなってしまいます。
仮に、それが、ひどく精神が「悪化する事態」となってさえも、
それは、必ず今までに見たこともない「新種の悪化」となります。
しかし、「新種の悪」を創造できるような独自性や新しささえも、
この数百年間の地球にはありませんでした。
所詮は、うんざりするような「同じような事ばかり」が、
人間の精神に起き続けているだけです。
従って、人口増加に伴う、転生の主体のやってきた場所を、
1から4にこじつけることには、あまりにも無理があります。
■また「5」もあり得ません。
もしも転生する人間の魂の原料種子が「底をついて」、
動物の世界から移動させていた場合には、
人口増加が起きたときから、すべての子供に「人間としての精神」に
極端な劣化が生じますが、そのような形跡は全くありません。
そこまで人口増加と比例するような急激な劣化が
現在、生まれてきている子供たちに起きているようには観察されません。
■つまり、地球の外側、または平行する次元、
または垂直方向の上下の次元、または別の時間の世界線、
そのどこにも、転生している主体が増加している根拠を見出せないのです。
■となれば、この悪化も中途半端、進化も中途半端、
すべてが中途半端なまま、新しい精神も、新しい文化も生み出さず、
ただ、人間全体の何かが、文字通り「薄く」なり、
「意識の明晰さと、生の実感、さまざまな自覚」が、失われている現在の状況、
これを説明するのに最も整合性を持つのが、
人々は、個々の意思に反してか、あるいは望んでか、そのどちらにしても、
>同じものが劣化された形で、コピーされたように、
>希釈されているという現象である。
>■ちなみに、何が転生の「主体」であるのか、については、
>「分割自我復元」のDVDで、既に、概略のみは説明しました。
転生の部品は「意識、自我、記憶の三角形から成る」という説明です。
なお、記憶の部分は、合成や選択や、入れ替えが、可能なために、
他人の前世の記憶を、まるでレンタルするように借りることも可能です。
*********
■蛇足の余談となりますが、
私個人がこの現象に一番最初に異変と違和感を感じたのは、
1977年であった。
それまでの人生で、そのような違和感を感じたことはなかった。
というより、あえてその部分を見ようとすることも無かったのでしょう。
しかしちょうど、きっかり1977年に、
私は、個性のない人間(または薄い人間)というものを初めて見ました。
驚くべきことに、それは大学の一年下の後輩たちでした。
私のいた学年の生徒には、一人として個性のない人などいませんでした。
ところが、たったの一学年下、たったの一年しか違わないというのに、
その後輩たちは、どの人にも共通する、存在感の希釈が生じていました。
まるで同じような気配を持った人たちが沢山いるのです。
今でも覚えていますが、このことについて、
私は同学年の何人かの生徒たちが私と同じ感覚を持っているのを知って、
彼らと話し合いました。
「どうして、後輩たちは、まるで何人もが同じような気配なのだろう」、
この感覚を持っていたのは、私だけではありませんでした。
それほどに、1977年は私にとっては、ちょっとした衝撃でした。
ただし、よく思い出せば、既に高校時代に、多かれ少なかれ、
部員の後輩たちには、その何かの希釈や、コピー化が既に起きていたように
思えます。ただ、そのことに、ことさら、注目をしたなかっただけでした。
■私は中学から高校、大学と、一環して美術部、そして絵画学科という
分野に所属していましたので、特に人の個性というものが、
際立つ集団をずっと見てきたことも、その変化に気づいた原因でした。
これが、軍隊式に個性をそぐような、体育界系や、
または音楽の演奏のように、ある程度のチームプレイでしたら、気づくのは
遅れたかもしれませんが、
美術の分野では、個々の個性こそが、そこで競い合うものであり、
そして前面に出て、活躍する表現そのものでしたから、
なおさら人の個性というものの異変に直面する機会が多かったわけです。
なにしろ、それは、描かれる絵となって明確に現れるからです。
それまでは、下手くそであろうが、なかろうが、
少なくとも、明確な個性を、多少なりとも持っていたように見えたものが、
ある時期を境に、ある種の人々の作品からは、
個性のないコピーのように、
私や、私と同年代の部員には見えたのです。
■また、それは、アートや情報が多様化したために、
過去の時代よりも、個性が目立たなくなった、
というような「相対的なこと」ではありません。
*********
■話は戻りますが、
主体となるエネルギーの容量である自我という器を分割などすれば、
当然のこととして、
意識という電圧の低下や、知覚能力の低下、直観力の低下、
理解力の劣化や、実現能力の劣化と、
何ひとつ良いことは起きません。
しかも、それは悪化という形での「変化」すら生み出しません。
ただ、怠惰に、緩慢に、存在感覚が薄まるのみです。
生命の実感の欠如は、当然他者を理解する能力も劣化させますし、
同時に、死の実感も欠落します。
しかし、この数百年、あるいは私が見た数十年で見てきたものは、
明らかに、人間の本質的であるべき部分の何かが、
「薄まってゆく」という現象でした。
■むろん、その劣化はすでに昔から起きていましたから、
私より上の世代が、マトモだったわけでは全くありません。
思いっきり、ゾンビな60歳、70歳、100歳も、いるわけです。
ただし、それらのゾンビたちは、それこそ、
この上もなく、馬鹿で「ウザイ」のですが、「ウスイ」というのとは少し
違います。
本当に馬鹿で、うっとおしいながらも、それでも一定の存在感の濃さだけは、
維持できている人たちも、含まれていました。
ところが、ここ約半世紀で、増加している人たちを見ると、
とにかく、悪い意味で、存在感が「薄い」のである。
*********
それが、特に、分かりやすい社会的変化として観察されたのは、
それが最も分かりやすい形となって現れる「犯罪者の性質の変化」です。
だからこそ、この何年かに起きた主だった事件の犯人の精神状態に、
興味を持ちました。
最初が、埼玉の宮崎、次に順番は忘れましたが、池田小学校の事件、
母子殺害事件、それから奈良の小林、最近では秋葉原事件の加藤。
むろん、単純に見れば、それらのほとんどは、親との関係に
分かりやすいほど重大な問題を抱えていたことは、紛れもない事実ですが、
ただし、彼らと同じ環境におかれたときに、
希釈率の少ない人間(たとえば、マシな1/2自我)だった場合、
どういう反応や、反発を親に対して行い、そして社会に対して向けたか
を推測すると、私は明確な違和感を感じました。
昔は、彼らのように「人間以下」になってしまう、その一線を超えるには、
かなりの悪条件を必要としたであろうものを、
いとも簡単に、その一線を超えて、落下してしまう彼らを見たとき、
私は、教育とか、親子関係では片付けられない何かの意識の「劣化」が、
人間そのものに起きていることを確信しました。
■ただ、それがどうして起きたのか、
人間の自己責任だけによって起きたのか?
そうではない他者の悪意から起きたのか?
そういった複雑な事情を知ることになったのは、
「宗教に汚染された地球人」を執筆していた時でした。
しかも、それが、
人間が悟りに至るに必要不可欠である自我を劣化させたとなれば、
悟れない主原因は、人々の努力の足りなさにあるのではなく、
資質自体に起きた「事故」または「事件」であった、ということだった。
こんな状況では、
(あり得ない事ですが)仮に、本当の正真正銘の悟り人々が、
100人、地球に送り込まれたところで、全くラチが開きません。
足りないのは、指導者や、指導能力なのではなくて、
マトモな生徒のほうなのです。
悟りの問題などは、問題にするまでもなく、
それ以下のレベルである、一般的な瞑想や、魔術技法や、
あげくには、呼吸法や、単純なイメージを描く事すらも、
それらの方法自体には、大きな間違いはないにも関わらず、
希釈された自我の状態の人間が行っても、
どれも、ほとんど、まともに機能しません。
*********
■しかし、それが「自我復元」という方法によって、
おそらくは間違いなく、改善されるであろう手ごたえを、
私は感じています。
他のどんな瞑想を使ったわけでもなく、既存するどんな方法を
使ったわけでもなく、
精神世界という、そもそもが、デタラメで、
トンデモな電波ばかりが横行する、その世界の中ですらも、
全く信じられないような「非常識な」、それこそ、ただの夢物語か、
妄想の産物のような「自我復元という方法」を使ったにも関わらず、
それがもたらした効果が、私がこの生涯に見た、どの方法よりも、
結果が、確実なものだったために、
私は、ここ数百年に人類に起きた問題の主原因のほとんどが、
自我が希釈されて、人間が生産されたことに起因している事に、
確信を持っています。
やっと年が明けた
●どうも感覚的に、まだ年末だったような気配が、
ようやく、今日になって、本格的に年が変わった感覚がしました。
●自我判定を中止していることもあって、
嬉しいことに、今年最初のご注文は、普通の禅書でした。
書いていて、とにかく、嬉しくてしょうがなかったのです。
二時間半、みっちり4文字を書き続けましたが、
言うまでもなく疲労はゼロで、ニコニコ顔で、ニコニコ声でした。
●また、年末から年始にかけて、
自我復元の「経過報告」などのメールを戴きましたが、
忙しくて、全員の人には返信できずじまいで、失礼しました。
ことに、変化については、どれも大変に興味深いもので、
今年は、いよいよ、皆さんからの復元の報告内容が面白いことになりそうです。
というのも、最も復元作業の開始が早い人は、昨年の7月からで、
その後の第一回目の判定が年末ごろでした。
今年は、夏が来る前に、二度目の判定をする人も多いでしょうから、
そのころには、かなりのデータが集まりそうです。
●それと、年末に書を書かせていただいた皆さんの多くから、
「お年玉」分の金額を加算していただきまして、ありがとうございました。
大切に、使わせて戴きます。
*********
●さて、今年になってから来た、経過報告などを見ても、
とにかく、その内容のすべてが「具体的」です。
なんとなく変化したのかも?、よくわからない、
といった曖昧な記述などは一切なく、
「復元作業時、夢の内容、現実生活での具体的な変化」、
この三つがすべて連動して、関連性を持っています。
●一回目の判定のときには、もしも復元作業をしていない場合には、
経過報告の明記は必要ありませんが、既に告知しましたように、
二度目の判定のときには、その明記を義務付けることにしました。
むろん、自我判定はその報告によって左右されることはありませんが、
ただし、変化の報告内容を読んで、必要であれば、
個別にメールやDVDの中でコメントすることはあると思います。
●よく、コンビニとか、ファミレスをチェックして回る本社の人が、
なんと400種類とかのチェック項目を見て、その店が駄目な店か、
接客、清掃、味の安定が出来ているかを厳しく見て回るというのがありますが、
実は、無明庵にも、この自我復元が上手く行っているか、
それとも、うまく行っていないのかについての、検査項目というのが
あります。
店舗チェックの400項目とか、そこまでの項目はありませんが、
かなりの項目数があります。
それを基礎にすると、本人が思い込みで変化したと思っているだけか、
実際に変化が起きているのかを識別することが可能です。
●今までのところ、何人もの自我復元実習者の人の報告を受けましたが、
私が変化していると感じた主要な人たちの、ほぼ全員が、
本人自身が「間違いなく変化している実感」を確信していると共に、
具体的で詳細な報告をしてきていました。
●ただし、この具体的な変化についての数十項目の内容は、
たとえ、私が死んだあとでさえ、公開されることはないと思います。
それは以前にも言いましたように、他人の報告を聴いて、先入観や思い込みで、
それを無意識的に模倣したり、関連づけをするような人を出さないためです。
●よく、三流週刊誌やオカルト雑誌の広告とかに、
幸運グッズとか、瞑想法と称するもので、体験者の声と称して、
「私は、こんな奇跡が起きました。こんな幸せが来ました」とか、
アホ臭い、真っ赤な嘘や、誇張が書いてありますよね。
ところが、自我復元に関しては、それを詳細に発表することを
私は完全に禁じています。
たいして重要ではないような変化については、
断片的には私も、この梅の間で語りますが、
本当に重要な部分については、私は皆さんからの変化報告も、
重要な部分になるほどに、編集で削除して伏せています。
これに関してだけは、皆さんは、他者と情報を共有してはなりません。
それは真剣に自我復元をしている人の為を考えてそうする、
という事を忘れないで下さい。
●復元が上手く行っているのか、いないのか、そのチェック項目は、
私が死ぬまで、私だけが管理しますし、
私が死んだあとでさえ、公開されませんので、
この作業は、皆さん個人と私という、一対一の関係で、
復元の点検をしてゆくことになります。
●ですから、ひとつ、皆さんに、お願いがあるのですが、
自我復元に伴う皆さんからの変化報告に対して、
私が、どこがどう上手く行ったのかといったコメントをしている
DVDを受け取った「変化経験者」の人たちが既にいますが、
その人たちは、決してその個人的なDVDの情報を、
他の人と共有しないで下さい。
つまり、他人に見せたり、語ったりしないでください。
私が、「あなたの●●の変化部分は、正しいです。
●●の報告の部分は、自我復元による変化とは関係がありません」
といった内容の、二度目の判定時のDVDを持っておられる人が
既に複数いますが、その方たちは、それは、あくまでもあなた個人のもの
として、保管ください。
●変化が「何に対して」現れるかという事には個人差もありますので、
一定のマニュアルにすることは難しい面もありますし、
そうした情報が、今、自我復元を真面目にやっている人にとっては、
邪魔になったり、余計な期待や思い込みを生むという弊害を、
私は最も懸念しているからです。
●現在、復元が最も進んだグループの人たちは、
復元率は、90%、8/9自我、7/8自我、あたりに位置しています。
ですから、今の復元率に大きな変化がないかぎりは、
間違いなく、本年の前半期には、その人たちの自我は、
原型にまで回復すると私は推測しています。
むろん原型に戻ったと私が判断した人には、そのように私から言います。
正しく、本当に復元が進んでいる人たちの報告は、私が読むと、
常に、具体的に、明確で、基準に照らしても、正しい変化内容です。
ただし、何しろ、その人にとっては、
「生まれて始めて経験する、マトモになった自我の性質」ですから、
確信を持てない部分もあるかと思います。
そういう場合には、私を判定の道具として使って、
確認することは無駄にはならないと思います。
それこそ、都市伝説ではありませんが、
むろん、私の判定結果を信じるか信じないかは、あなたの自由です。
●いずれにしても、年の初めのこの1月中に、
どれぐらい復元作業に集中できるかが、それぞれの皆さんの、
今年一年のその後の自我復元の流れを決定すると思います。
*********
●さて、自我判定の再開の有無は、まだ未定ですが、
もしも決まりましたら、この梅の間で、お知らせします。
また、現在の私の新・判定法は、疲労は、かなり軽減されたものの、
それでも通常の禅書のように疲労ゼロではありませんので、
ペースは落ちますので、時間が少しかかることはご了承ください。
*********
___休憩___
●博士君と自家製ロールケーキ。
●自家製なので、飾りや断面は、めちゃくちゃで、
決して、綺麗ではありませんが、
砂手の作る菓子類の「味」は、プロ級です。
クッキーやケーキをおすそ分けした、ご近所さんからも、よく、
「売らないのですか?」と尋ねられるのですが、売りません。
プロとアマの最大の違いは、
味を一定に安定して供給できるかどうかということですから。
美味しいことは確かなのですが、味や食感にムラがあります。
家庭用のオーブンは厳密な温度管理が出来ないので、
素材が焼きあがったときに、粒子にムラが出ます。
むろん材料の原価も安く工夫してありますから、
市販のケーキを買うよりも安いですが、
何しろ、家庭料理というものは、安定した量産を出来ません。
というか、そもそも、資格や許可を所得しないと、食料品は売れませんので。
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