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「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
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より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1472]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その210=」●コミュニケーション能力と自我復元作業
by:
鈴木崩残
2011/02/19(Sat)10:51:31
間抜けすぎる、
政治哲学者のマイケル・サンデル
●以前に、NHKで、この教授の授業を何度か傍観したのですが、
「だめだこりゃ」の世界です。
政治哲学という枠があるのでいたしかたない、
多少は、浅はかであるのは、しかたないとしても、
このおっさんの言っている設問って、
ただの「心理テスト」と、
「日常の中に哲学はあるんだ=だから君も哲学者だ」という、
「軽薄な」売り文句だけです。
昨日も民放に出演していましたが、こんなアホウな教授に、
いちいち感銘を受けているようじゃ、日本も終わったようなもんです。
というより、こんな程度なんだから、
アメリカのハーバード大学なんて言っても、
頭弱いんだなと、つくづく思いました。
こんなものより、ヨーロッパの哲学の授業の方が見てみたいですね。
■まず、何が胡散臭いかといいますとね、
設問というのは、常に、設問の中に含まれる「用語」そのものを
定義するところから始まります。
しかしあの教授にはそれが全く欠落しているので、もはや、哲学とすらいえません。
たとえば、彼は、「相撲の八百長」と「嘘」をリンクさせていますが、
そもそも、「嘘」の「定義」と「嘘」の「種類」から、
全部やり直す必要があります。
また「嘘」そのものについて、多角的に哲学することと、
文化的なスポーツにおける八百長は、全くの「別問題」です。
同じ設問のミスは、「拷問」という定義が曖昧なままに、
「拉致被害者を助けるために、拷問は許されるか」という、
アホウな質問を、あのおっさんが、したことです。
拷問と聞くと、人々は、残酷なものと単純にイメージしますが、
拷問にも、複数の「種類」があります。
自白剤、洗脳、寝返らせる、あるいは適度な食事制限や、睡眠制限と、
容疑者に対する、警察官の恫喝は、心理的拷問であるのかないのか、
という問題や、国の法律による、拷問の合法・非合法の違いもあります。
そのあたりは、石破君にも、しっかり反論されていましたけどね。
●また、四人を助ける為に、一人を殺して良いかという設問でも、
私なら、こう質問しますね。
ケース1は
四人は善良な市民で、一人は、連続幼児殺害の死刑囚。
ケース2は、
四人が、集団レイプ強盗殺人犯の死刑囚たちで、一人が善良な市民。
さて、それぞれの場合に、おのおの、貴方は、どうしますか?
もっとも、ここでは「善良な市民の定義」が明確にされていないので
これもまた、極めて不完全な質問なのですが。
また、もしも、この設問に変えた場合には、論点が、
「死刑囚や犯罪者の人権には価値はあるのかないのか」に変化します。
つまり、こうした選択で問題になるのは、単なる犠牲者の人数ではなくて、
北野たけしが言ったように、当該人物が「どういう人物であるか」が
質問の重要な前提となりますから。
●あの、間抜けな、おっさんの、基本的ワンパターンの思考は、
「社会の利益と個人の人権は対立する」、という一点にのみにあるが、
社会の利益と個人の人権というものは、そのすべてが、
「状況」によって、その定義も、その是非も変わってしまうわけです。
そもそも、哲学は、決して「先見的な理想」を持ってはいけないものであり、
「自分の価値観」が「期待」をしているような「オチ」には、
持っていかないよう、充分に「冷静に論じるべきもの」ですが、
あの馬鹿な教授の場合には、
「たとえ、理想点を見つけられなくても、
こうやって、貴方たちが、考えることに意味があるんだぜ、
ビバ、哲学!」
という「彼の理想」に、ずっぽりと、陥っているわけです。
_______________
●しかしながら、そもそも、
「拷問とは何か」という定義から始めるのか哲学であり、
「嘘とは何か」という定義から始めるのが哲学です。
「命は平等か否か」
「そもそも、その命とは何か」という定義から始めるのが哲学てす。
哲学とは、私に言わせれば、そもそも命題にとりかかる時に、
その前提として「質問で使用されている用語」を、
全部、その「定義を明らかにすること」そのものです。
すべての哲学とは、「定義の為の思考と論法」であるとすらいえます。
たとえば、その為には、
「定義とは何か」、という定義すら必要になります。
その点では、あのオッサンの「胡散臭さ」を感じた視聴者も、
かなり多いはずですが、
彼の最も悪いところは、簡単には接点を持たせられないような、
異なる二つのケースの陳腐な「すり替え」です。
「状況設定の各要素と、言葉の定義を曖昧にしたままで、
他人に、質問をし、しかも、他人の思考を誘導すること」
あれは哲学ではなくて、かなりチープなマインドコントロールの手法か、
せいぜい、よくて、子供向けの「心理テスト」の類のものです。
「もしも、こんなときに、こうなったら、どうしますか?」みたいな。
ああいうのが「知的な思考だ」とか、まさか、この梅の間の人で
思ってしまったなんていう人、いませんよね。
いたら、情けないですね。何年、無明庵サイトを読んできたのやらです。
しかも、あれは、
「政治哲学という、狭い分野の哲学だから、しかたない」では済まされません。
古今東西のほんまもんの哲学者たちが見たら、ヘドが出ますって。
ちなみに、あのオッサンの自我率は、
いいとこ、せいぜい、33%です。
そんなんで、ハーバード大学で哲学の授業が出来てしまうんですから、
この世界って、どんだけ、希釈自我の人たちが多いんでしょうね。
近況・『自我復元率の集計』
●「自我判定」は昨日から再開しました。
やっと少し、禅書や判定のご注文のペースが落ち着きましたので、
現在、いろいろな集計を取っています。
たとえば、分割自我復元の「DVD」が、何枚買われ、
そのうち何人の人たちが「復元をやっているか」は不明ですが、
推定では、どんなに、よくても半数でしょう。
次に、そのうち、「判定」を申し込まれた方の人数。
次に、判定結果の自我率ではなく「復元結果」が良好だった人の人数。
これらから、自我復元法の「成功率」というものに現在注目しています。
ただし、この概算は、今の段階では、データが少なすぎるので、
おそらくは、皆さんが二度目の自我判定を依頼されてくる時期となる、
春ごろ(3月から4月ごろ)にならないと、出ないと思います。
●現時点で、ざっと集計してみても、
過去約「13年間」に無明庵に寄せられた、他の何かの方法による報告、
たとえば、「死人禅の行法」による体験報告や、
あるいは、「性の異端書」に書かれたメソッドによる性生活の改善報告と
比較したらば、「自我復元法」は、まだ一年も経過していないのに、
軽く見積もっても、他の方法よりも「10倍の人数」に、
成果というものが出ていました。
●また、復元作業による変化を確認する場合に「どういう環境にあるのか」
という事を、個別に把握しておくために、家族構成以外に、個別のメールで
皆さんの「職業」について尋ねさせていただく場合がよくあるのですが、
判定を申し込まれた人たちの職業は、本当に「多種」に渡りました。
専業主婦、学校教師、医療関係者、僧侶、瞑想インストラクター、
ヨガ教師、占い師、整体師、弁護士、工芸品の職人さん、飲食業、
観光業、輸送業、店員さん、和尚の弟子、無職 学生さん、etc,etc。
当たり前のことですが、判定結果によって出た「自我率」は、
「職種」や「社会的地位や立場」や「家族構成」や「年齢」、
さらには「瞑想経験の年数や、その経験内容」とは、
全く何ひとつも、関係(=関連性は)ありませんでした。
●一点だけ、言うならば(身内や仲間同士ではなく、)、全く面識のない、
多くの「他人」と接する機会を持つ、職種に携わる人の方が、
起きてくる変化について明確に自覚しやすい、という「傾向」はありました。
■たとえば、瞑想歴や座禅歴、20年ある人が、おっそろしく、
生まれつきの自我率が低かったりすることも、頻繁にありますので、
どれだけ、既成の瞑想をし続けても、生まれつきの自我率の高低には、
「全く何の関係もない」ということです。
だからこそ、自我復元法というものは、極めて特殊な方法論であり、
前人未到の「異質」な魔術の一種であるわけですが。
既存する方法論で、事足りるのであれば、
こんなトンデモな方法が、登場する必要はなかったのですから。
_____________________________
●一方で、私個人の、改良課題としては、
判定結果に、確証が持てないことが、ごくたまにありまして、
そうした場合には、私からメールで、いくつかの点について確認を取りつつ、
稀にですが、判定結果に若干の修正を加え、
それを、依頼者の方に私からメールで伝えることがあります。
また、相変わらず、判定の時に、焦点が合わない人というケースが
あるのですが、このあたりも、対処策はないかを、検討しています。
●また、既に申し上げましたが「その他の理由」により、
自我判定をお断りしたり、
または、判定時期の「延期」を、私から推奨する場合がありますので、
ご了承ください。
尚、これは、初回判定であっても、二度目以後の判定であっても
どちらのケースでも、あります事をご了承下さい。
つまり、禅書を申し込まれた方でも、判定はしないことがあります。
■2009年から今までの間に、「禅書」を申し込まれた方について、
今年の「2月からの自我判定」を、優先的にお引き受けした理由は二つあります。
ひとつは、新しい判定法では、「その方本人の筆跡」が必要であること。
もうひとつは、禅書を申し込んで下さった、古くからの読者の皆様への
感謝サービスです。
ですから、無明庵ビギナーの方には、まず禅書をご注文戴かないと、
自我判定は、お引き受けしないことにしております。
■あとは、私にとって現実的なもう一つの理由としては、
過去に「禅書」によって、その人の注文した文字が、
どういう形になったか、ということを私が把握している人で、
かつ、書の感想などを戴いて、メールでのやりとりをした人の方が、
「何かの接点」が既にその人との間に出来ているせいか、
判定の時に焦点が合いやすい、という傾向があるからです。
■ただし、前述しましたように、
「禅書」を一度以上、頼まれた方、
あるいは、一度目の「自我判定」をされた方でも、その後の自我判定を、
お引き受けできないことも「稀にですが」ある事は、
どうぞ、ご了承ください。
ただし、判定の時に、かなりの違和感を感じたり、
依頼時の「変化報告の内容」に疑問があっても、
何も質問もコメントもせず、そのまま判定をして、結果をお送りする
場合もありますので、実際には複雑で、いろいろなケースがあります。
■【自我判定の御依頼の方法と注意について】
↓
http://www.mumyouan.com/k/?T4030
■そして、幾度となく、同じ事を言いますが、
一度目の判定をされ、そして「二度目の判定」をされる場合には、
ご自分で「疑いようのない」自己変化と環境変化を「確信し」、
なおかつ、
その変化内容の「詳細な報告」を書けたという段階で、お願いします。
そうでないと、皆さんの大切なお金が、もったいないです。
■次の判定までの期間というものは、特に決めていませんので、
たとえ一ヶ月でも、多大な変化を感じたらば、申し込んでも構いません。
皆さんが、判定の依頼をされる「タイミングの判断基準」とは、
>前回の判定から「経過した月数ではなく」て、
>貴方自身が「効果を確信するに至る環境変化の経験」をしたか否かです。
その変化を、認めたり否定したり、あるいは、自己判断するのは、
私ではなく「あなた自身」です。
★そして実際に、自我の復元が始まった人たちは、
何よりも、御本人が、自我復元に「疑う余地のない確証」を得て、
それに関する「詳細な報告」をしてきております。
報告の項目は、人によって変化が起きた項目には違いはありますが、
ざっと羅列すれば、
1-「復元作業中」の変化。
2-「夢の内容」の変化。
3-「主観的」な自分の変化。
4-本人ではなく「環境」の変化。
5-客観性のある「身体」の変化。
6-その他の「ユニーク」な変化。
■
************************************
■ところで、昨日の「そこまで言って委員会」をご覧になった方は、
木村教授の言っていたことについて知りたければ、
以下のサイトが分かりやすいです。
↓
http://web.mac.com/kimura65/Site2/Funka/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/2009/8/23_%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A4%E5%99%B4%E7%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B.html
■まー、そういうわけで、以前にこの「梅の間」で、話をしましたように、
「死刑宣告を受けている土地」というのは、
「俗に言う、現世での発展とかの、ご利益欲しさ」だけで群がるような人には、
パワースポットには成り得ないという話です。
この説によれば、今年2011年以後からは、「可能性」が高くなりそうですが、
噴火の時に、私がこの土地にいるかどうかは、不明です。
コミュニケーション能力の欠如
●自我復元に関する報告や、カウンセリングを続けてゆく中で、
私が改めて感じたのは、コミュニケーション能力を著しく欠く人たちが
たまにいることです。
●ちなみに、1997年から、ずいぶんと長く、
この無明庵サイトを続けてきたせいで、
当時、まだ20代だった人も、結婚して家庭を持ったり、子供が生まれたり、
または、夫婦が離婚して独立したり、
めでたく親への依存から離れられて、晴れて自活できた人など、
いろいろと変化があったようです。
そして、自我判定の時に、統計を取るために必要になる年齢の記載を
見ますと、今では、自我復元に勤しんでいる読者層の年齢が、
40代と50代の方に、集中していました。
むろん、20代、30代の方もいますが、
全体としては、年齢層のほとんどは、40、50代になっていました。
●ただ、一方で私が、呆れたことは、
40歳、50歳、60歳になっても、全くコミュニケーション能力が欠如した
中高年の人たちが、何人も存在することでした。
それぞれの家庭事情や、生活環境や、職場の環境、
そして時代の変化、コミュニケーションツールの変化による面もありますが、
それにしても、どうして、こうも劣化したのかと呆れるほど、
最低限のコミュニケーション能力すらない人たちがいるのには、
びっくりさせられます。
●そもそも、コミュニケーションとは何か、
そして、それは、何の為に、どういう局面では必要となり、
どういう局面では、それを、あえて閉じておく必要があるか、
という定義が必要ですが、
それについては、大変に複雑な問題なので今回は書きません。
●しかし、ざっくり言ってしまうと、
一体、この人たちは、リアルの世界で、日常生活は大丈夫なのか?
と心配になるほど、普通の対話すら出来ない人がいます。
しかも、顔の見えないメールですらも、マトモな言葉の一つや、
最低限の礼儀と配慮をわきまえた文すらも書けない人もいます。
●私は、独自性や、個性を保持する為に、
時には、厭世的な姿勢や、対人関係を避けるのは、
自己探求の為に「適切に使う」のは良いとしても、
それを、コミュニケーション出来ないことの正当化として言うことは
認めません。
他人と、コミュニケーションできないことを、
あたかも、「自分からコミュニケーションを断っているのだ」などと、
そんなことをしていたら、カルト教団の信者らが、修業の為と称して、
世間に背を向けて、そんな程度のことで、何かになったつもりでいる
という馬鹿な行為と変わりません。
●ただし、このコミュニケーション能力の欠如は、
何も自我率1/2以下の人たちにだけ見られるものではなく、
それ以上の自我率の人たちの中にも見られる場合がよくあります。
ただ、その両者の「違い」と言えば、
1/2自我以下の人たちのコミュニケーション能力の欠如には、個性がなく、
必ず共通して、一環している「歪み」「誤解」「早とちり」
「被害妄想癖」又は「自己への甘すぎる過大評価」等のパターンを持っています。
一方で、1/2自我以上の人たちが持つコミュニケーション能力の欠如は、
パターンが、個性と状況に応じて、「多様化」しています。
その人の持つウィークポイントが、
対峙する相手や、遭遇するケースによって変わります。
一方で、1/2自我以下の場合には、パターンは常にほとんど同じです。
つまり、その場合の自我率では、
誰に対しても、同じパターンでしか、反応できませんので、
その人たちの日常生活の様相、対人関係の状態は、容易に察しがつきます。
●さて、ここからが本題ですが、
「自我復元作業」で、かなり重要なのは、このコミュニケーション能力です。
今までに、自我復元が進まない人、または、やっている気になっていても
全く回収されていない人、あるいは、やらない方が今はいいと、
私が感じた人たちに、共通するのが、このコミュニケーション能力の欠如です。
それも、「極端」なまでの。
●たとえ相手が、私ではなくて、他の人々に対しても、
その人たちは、ネットでは、なんとか嘘を言って誤魔化せても、
「実際の生活の中」では、周囲から、ガン無視されるか、
場合よっては、フルボッコにされるであろう、と予測されるような、
そうした性質を持っています。
●そこで、そうした人たちが、自我復元をなんとかスタートできる為には、
まずは、コミュニケーション能力を、「最低のレベル」ぐらいは、
確保することだと私は考えています。
というのも、何しろ、自我復元でやっている事は、
「コミュニケーション」以外の何ものでもないからです。
ですから、現実の生活の中で、独りよがりになり、
ろくに、相手との、正常な対話も成立しないのであれば、
死後、あるいは中間状態、または睡眠中に、
そんな芸当が、その人たちに出来るはずがありません。
●コミュニケーションというと、一般用語すぎますので、
強いて、もう少し突っ込んだ、心理学用語で言えば「ラポール能力」です。
ただし、これは、コミュニケーションに留まらず、
相手との「信頼性」を成立させる能力です。
たとえば、キャバクラや、風俗や、あるいは、企業の営業周りなど、
そういうものは、ラポール確立の場にはなり得ません。
そんなものは、最悪の場合には、偽善と、ただの詐欺行為になりかねません。
営業スマイルや社交辞令が出来るというのは、
単なる、一般的なコミュニケーションの一部に過ぎません。
しかし、自我復元法で必要になるのは、相手とのラポールです。
●ですから、生身の人間相手ですら、ラポールを形成できないのであれば、
儀式的なことをしても、イメージが空回りするだけで、
自我復元など、出来るわけもありません。
●そこで、では、そういう人たちは何をしたらいいのか?
という問題ですが、これがなかなか難しいのです。
たとえば、いろいろな人たちのメールを読むと、
その人の家庭、というのは、ラポール形成が不可能なほどに、
家庭崩壊している場合が多くあります。
暴力夫や、暴力妻を相手に、ラポールなど、いまさら不可能でしょうし、
ヘタレ夫や、だらしない妻を相手のラポールなど、
希釈自我の状態では、今更、不可能です。
育児放棄をしてしまうような母親や、
逆に、家庭で暴れているような子供にも、今更、そんなことは不可能です。
また同じ話しかしない老人相手のラポールも不可能。
また会社内というのは、基本的に信頼関係を作れる場所ではありません。
営業に回ってもそれは、単なる商業的な信頼なので違います。
瞑想組織での対話や、カルト教団、宗教集会などは、
「傷の舐めあい集会」ですから、百害あって一利なしです。
●では、サラリーマンや主婦の人たちが、
稽古事に参加したり、カルチャーセンターで、
コミュニケーション能力を養えるかといったらば、
そこでは、あくまでも「資格などを取る学習をすること」がメインですから、
そんなことに利用するために、そうしたところを利用するのは、
邪道です。
(カルチャーセンターを、ナンパの場にしようとしたり、
カルト宗教の布教活動に悪用する馬鹿物も、いるようですが)
●それで、仕事が忙しくて、なかなか休みを取れない人、
あるいは、引きこもってしまっているような人、
そういう人たちが、ネットという虚構の世界のメールや、
ツイッターや、ブログや、掲示板で、
嘘八百と、知ったかぶりを言い、そんなことで憂さ晴らしをしていても、
他者との「ラポール能力」など、全く養われませんので、
何か良い、練習方法はないものかと、現在考えています。
●私がこう思うに至ったきっかけは、
2009年の夏から開始した、禅書という企画では、
個別に皆さんに、DVDの中で、いろいろなことを語ったりして、
こちらから、ラポール形成のきっかけを、きちんと作っておいたのですが、
それにも関わらず、感想ひとつすらも書けないような人たちが、
何人かいたからです。
また、逆に、膨大な文字数の、感想を書いてきても、
スカンスカンに、的外れな、しかも意味不明のことを、
ただ殴り書くようなメールも目にしてきました。
つまり、書やDVDについても、マトモな形では、
何のリアクションもできなかったり、または、
トンデモなリアクションしか出来ない人たちに遭遇したわけです。
そういう経過を、約2年近く見てきまして、
「これでは、復元の儀式を、
本人の中でちゃんと起動させるのは困難な人たちがいる」
ということを観察しました。
むろん、約300名の中の、半分以上の人たちは、きちんとした、
メールの内容でしたので、全員に問題があるのではありません。
●さて、言うまでもなく、人間にとって、ラポール能力の育成の
最大のチャンスは、「恋愛」なのですが、
相手がいないという人も、梅の間には、多くいるでしょうし、
相手がいても、ウザいだけで顔も見たくない、
という関係にまで、冷め切った人たちも多いことでしょう。
_______________________
そこで、ひとつだけ今の時点で、私が、薦められるとしたらば、
実は、「意外」に思うかもしれませんが、
それは、「ウィンドウ・ショッピング」です。
■それなら、お金はかかりません。
休日に若干、時間は必要ですが。
ただし、いつも行きなれた近所の店とかではなく、
なるべく、知らない店、いつも行かないような店、
全く関心がなくて、今までならば、絶対に立ち寄らないような売り場、
そうしたところを、あちこち、徘徊してみることです。
ただし、貴方一人だけです。
決して、他人と一緒に行ってはなりません。
重要なのは、あなた一人っきりで、徘徊することです。
場所としては、
いろいろな売り場がある、デパートや、駅ビルなどが、いいかもしれません。
ただしホームセンターとか、東急ハンズみたいな所は、
定員側からは声をかけませんので、不向きです。
いつも関心もなくて、一度も入ったことのない、街中の何かの専門店
とかが良いのです。
あなたが「いつも買い慣れた商品ではないもの」を売っている
店の方が良い。
当然、お客である、貴方に寄ってくる店員さんは、
商売ですから、普通に、ただの営業スマイルをしてるだけです。
●しかし、それでも、あなたが、
「自分の買い物を買うため、探すため」という目的を外してしまって、
完全に、目的なく、人と接してみると、
そこであなたのコミュニケーション能力は、少し成長する可能性があります。
●たいていの場合には、あなたは、店員さんのセールスの、
押しのパワーに負けてしまうでしょうが、
それは、主に、あなたが「買いたい物、探している物がある場合」です。
しかし、全く何も買う気を持たずに、あれこれと見て楽しんで、
そして、そこで「店員さんと接してみる」ということをすると、
あなたは、今までに、見落としていた、
自分の態度の中にある、言葉づかいの癖、
何かの劣等感のうずき、
あるいは、ご自分が横暴な態度をしていたり、
または、何かの緊張感、
あるいは、楽しさなど、
いろいろと、貴方の感情や思考に起きることを、
多少は、余裕を持って、見られるようになります。
そのためには、なるべく、今まで入ったこともないような、
売り場がいいのです。
それが、いつも行く慣れた店の売り場だったらば、
あなたは、全く無意識的に、反射的に返答してしまい、
「おばちゃん、いつもの、ちょうだい」とか、
「これください」だけで、おしまいになる、
何の新鮮さもない「退屈な日常の一コマ」になるに過ぎません。
もっとも、こんなこと(店頭での、ぶっちゃけ駆け引き)は、
大阪あたりの人たちは、毎日のように、突っ込み口調で、やっているでしょうが。
●いずれにしても、結局のところ、本当のラポールとは、
「利害関係から距離を置いたところ」でしか発生しないのです。
だから、それは、もしも、幸運にも上手くいけば、
恋人同士や、親子同士で発生するはずなのですが、
多くの場合には、事の始めから、
心理的な利害関係に、がんじからめになっているので、
恋愛や、親子間では、逆に「関係崩壊」が起きやすいわけです。
「利害関係を調整するために、コミュニケーションを使う」というのが、
ごく普通の、浅い意味でのコミュニケートですが、
私が、今日まで生きてきて知っている「真のラポール」というのは、
どんな、「心理的、物理的な」利害関係も、それが双方に負担になったり、
駆け引きが生じない中でのみ、形成される、
お互いの、対話状態や接触から生ずる、信頼関係です。
それを、「最低限のレベル」ぐらいは、身につけないかぎりは、
とてもではないですが、睡眠中の自我復元作業など出来ません。
なにしろ、この「自我復元」というプロジェクトでは、
あなたは、全く貴方と縁もない、知りもしない場所の対象物と、
コミュニケーションを持たねばならないのですから。
それは、あなたが、全く関心もない類の店に、入ってゆくのに似ています。
だから、それを現実の生活の中でリハーサルしてみるのです。
______________________________________________________________
「・書評・」
●たまには、「部内者」の立場で、書評を書いてみます。
ひと昔前(1990年代)ですと、ネットではなく、
書店で次の本に出会った人たちというのが、
無明庵サイトの古くからの読者の人たちを構成していました。
【ひきつりながら読む精神世界】(書籍の在庫あり)
精神世界をテーマにした、「ギャグ本」です。
精神世界に、特に縁のない普通の人たちにも、相当にウケたようです。
無明庵サイトへの「入門経路」としては、最も一般的かもしれません。
以下は、書籍のスタイルでは絶版となり「ディスク」のみです。
【廃墟のブッダたち/3冊のシリーズ本】CDR
不幸にも、悟り系の話題に、傾倒してしまった人が、タイトルにつられて買ってしまい、
その後、心に大小の傷を残して、読者の人が後悔したり、
手元に置きたくなくなって、手放すこともある本ですので、
ヤフオクを探すと、貴重なこの本の「紙の本」が、まだ見つかるかもれません。
「虚無宇宙論」の基礎を成す3つのシリーズ。
その他、「禅」「仏教」などに特化したテーマの書籍もあり。
(後述するリンク先を参照下さい。)
【悟りなき悟り】CDR
●私、崩残が、まとめた「悟り」の「簡単な概要説明」。
悟りというものを、試みに、極端に「敷居を低くしてみて」
ごく普通の人たちにとっての、悟りの入り口となる接点があるのかを
テーマにして、前半部を構成。
ただし本書の中で注目すべき部分は、「精神世界」の定義の部分である。
現在、言われている精神世界の分野のほとんどが、
普通の文化的分野・科学的分野の、単なる「代用品」であるということなる。
後半では、禅問答には、師弟関係における境地の差によって、
数種類のパターンがあることが説明される。
この書は、竹の間掲示板での、私の投稿を編集して作られたもので、
初期の無明庵サイトの掲示板の内容の「集大成」でもある。
ただしこの本の元となった投稿は、竹の間からは削除されています。
【虚無の微笑】CDR
砂手の意識変容の体験記録と、
小悟から「以後の次元で」立ちふさがる「壁」の問題について、
無明庵で保存されていた内部資料を一冊にまとめたもの。
「三種類の悟りの定義と分類」を記載した書籍としては、
最もシンプルな形に洗練されたもの。
かつては、小悟と大悟ぐらいの区分しかなかった概念に、
中悟という領域の概念が、加えられている。
これらのレベルが生じてしまう理由は、意識が拡張したときに、
その意識が管理できる範囲には、明確な「境界線」があるためであり、
古い概念に照らし合わせれば、
第五身体の悟りを、小悟とし、
第六身体の悟りを、中悟とし、
第七身体の悟りを、大悟と定義している。
なお、私、崩残の執筆部分は、後半の後ろに、少しだけあるのみである。
砂手も私も、もっと言いたいことは山ほどあったが、
それは、本の頁枠と編集のコンセプトの都合で、本書には収録せず、
下記の「次作」へと続いてゆく事となった。
【宗教に汚染された地球人】CDR
あえて「半フィクション」という形をとって書いたもので、
無明庵の方法論の大きな「軌道変化」のポイントとなった重要な書である。
これが書かれることになったのは、
有料購読によって、読者の人たちが、本当は何を知りたいのか、
という点を、スキャンし続けた結果である。
ほとんどの部分が、書き下ろしなので、
有料購読中の内容と重複する部分は、一部だけです。
●前著「虚無の微笑」で、砂手が言い尽くせなかった内容が、
存分に「悟りをテーマとした章」で、語られているので、
ある意味では「虚無の微笑」の「続編」という側面もある。
ただし、同時に、
ここで、初めて「分割自我」という理論が初登場する。
つまり、無明庵の歴史の中で、
前半時期と、後半時期の二つが「交差」した場所にある、
「特異点」のような著書である。
音楽アーティストのアルバムでも、こうした形式のものはよく存在する。
それまでの集大成の「結実」であるとともに、
次段階への「序章」をなすサウンドが含まれるアルバムのようなもの。
【分割自我復元】DVD
現在の無明庵のムーヴメントの基礎となった理論。
何しろ、何もかもが「過程(プロセス)」にあり不明な点も多いものの、
実際に生じた「成果の方が、理論を追い越す」という状態で、
現在も進行している。
●(創始者である私自身が見てすらも)、
ト学会で、取り上げられてもなんら不思議ではないほど、
トンデモな「冗談」のようにしか思えない電波的な方法論であるが、
過去数十年も、瞑想やその他のワーク、カウンセリング、その他、
いろいろな何かのセミナーを受けるなどしても、
自分の問題の解決に至るような変化は何も起きなかった(と自己申告する)
人たちからの報告に、
本人が、明確に自覚できるほどの、
根本的な自覚と、はっきりとした変化が生じている事例が、多数あるために、
逆に、その「結果が理論証明の根拠となる」といった、
とても奇妙な「逆転現象」が見られる。
●実は、復元作業を始めた人たちには、その最初には、
その方法に、懐疑的だった人が「多く含まれる」という事実から、
方法論に対する、多少の期待感はあったものの、
自己暗示的要素はかなり少ないと見て良い。
そもそも自己暗示などという、
そんな古くカビの生えた方法は何の役にも立たないわけであるが、
実際には、期待を大きく裏切る形で「期待を上回る」根本的な変化、
または、何も「期待すらもしていなかった」ような、
予測外の大きな良好な変化が、(家庭や職場を含む)日常の生活環境の
随所に生じているという報告が多い。
これらの皆さんからの報告は、
2011年の春ごろには、もっと増加するものと予測される。
●特筆すべき点は、「分割自我復元法」は、
現存する、全ての瞑想・魔術などの体系とは、全く異なるものであり、
地球の人類史上「一度たりとも存在しなかった方法論」だと思って良い。
なぜならば、自我の分割・自我の希釈販売という不祥事が起きるまでは、
自我の「不正分割」そのものが、
それ以前の時代の地球には、「存在しなかった」のだから。
新しく創作されてしまった病、
>それまでには存在しなかった、「新種の病気」に対しては、
>「新薬」を作るしか、対処方法はない、という事にも似ている。
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