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「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
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より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1474]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その212=」●自我復元の話と「おたより」●
by:
鈴木崩残
2011/02/25(Fri)09:30:30
>2/27-9:40 文頭に、「おたより1」を追加しました。
>2/26-15:30 文末に、ジョークを追加しました。
>2/26-10:00
>本文中の「イメージしている途中で雑念になってしまう人」に、
>「詳しい解説」を追加しました。
おたより-1
崩残様
とても嬉しい変化がありましたので報告いたします。
今日、てんかんの定期検査で午前中に病院に行きました。
脳波検査をしたのですが、
波形が、正常とてんかん波のボーダーラインになっていました。
そして、結果的に、医師の指示で、減薬できることとなりました!
とても嬉しいです。
私としては、もう本当に大きな改善、進歩です!
うれしい!
根気よく治療を続けた効果、と普通なら思うところですが、
てんかん薬は、そもそも治療薬ではありませんので、
私は、やはり自我復元、
または死人禅の留意の効果ではないかと思っています。
●この方については、状況が、非常に特殊でしたので、
何度かメールでやりとりをして、相談の上、現在も、検証を試みています。
現時点で、私個人は、まだ手放しで喜べる段階ではありませんが、
医師の許可の元に、減薬出来たということは、かなり評価できると思います。
しかも、長く使っていた、その薬は、脳神経に作用するものです。
●ざっとこの方の病歴を記載しますと、
現在24歳で、8歳ごろから症状は頻発していた。
16歳の時に、発作を起こして自転車から転倒し、病院に運ばれて、
「てんかん」と診断される。
依頼、発作と通院を繰り返し、
過去5年間、「デパケンR錠」を、ずっと服用。
この錠剤は、簡単に言うと「やる気をなくす薬」らしく、
鬱病患者の「躁状態の抑制」に使われることがあるようである。
この方も言われているように、この薬は「治療薬」ではありません。
単に、発作が起きるのを沈静しようとする、対症療法的なものです。
●この方の場合は、てんかんの発作は、
過呼吸、または、感情的興奮によって誘発されることが多く、
その為に、この薬を処方されたようである。
医師に「薬を止めたい」と言ったが、
「脳波がまだ異常なので駄目だ」と言われた。
ご本人は、「このまま一生、薬の服用などを続けるのは、絶対に嫌であり、
止めたいので、針治療なども検討していた」とのこと。
現在は、夜に仕事をされていますが、ご本人の言葉によれば、
「しばらく、仕事を掛け持ちして、お金を貯めてから、
針治療を受ける計画をたてていた」とのこと。
ただし、現時点では、発作そのものよりも、
発作で「倒れた時の二次被害」の方が怖くて、ずっと薬をやめることは
出来ないままである。
●「自我復元法」は、2010年12月ごろから現在までに約30回以上。
死人禅の基本行は、86日目。
ただし、この方は、6年前にも断続的に死人禅を試されている。
従って、私の所見では、死人禅の行法が、てんかんの症状を改善した
とは思えません。
死人禅行法が、世に出てから、過去18年の間に、
このような重篤な身体的症状が、行法によって軽減されたという報告は、
ただの一例も無いからです。
従って、まだ単に「減薬が出来た」という今の段階では、確証はありませんが、
もしも「自我復元法」が効果を出したものと仮定するならば、
画期的な「結果の一例」として、評価は出来るかもしれません。
また、このまま、もしも、この方が、デパケン錠の服用を完全に停止できれば、
他の向精神薬を、現在処方されている、一部の人たちにとっては、
一筋の光となる「かも」しれません。
つまり、自我復元によって、依存症の危険を持つ薬をやめることが
出来る「かもしれない」可能性が、出てきたからです。
●こうした、重篤な持病や、身体症状の改善に対して、
「自我復元法」の効能を、必要以上に謳うつもりは、私にはありません。
何しろ、医学的、化学的に見れば「自我復元」の効果などは、
「絶対に、あり得ないこと」だからです。
ですから、「自我復元法」に、「医療補助効果」がある、
などとは言いません。
ただし、一例として、「こうした報告があった」という事のみを、
今回は、お伝えしておきます。
●実は、もっと軽度の持病や、細かいところでは、
自我復元の作業を始めた「後」から、
主観ではなくて、「客観的に、身体そのものに変化」が起きている人は、
他にも何人もいるのですが、詳細は書きません。
●身体に、ただの主観によるものではない、医学的にも認められるような、
客観的な変化が起きるであろうことは、
私個人は、「自我復元の背後にある原理」から類推してみて、
ある程度は、予測はしていました。
●「完璧に電波な話」を前提にして、あえて、言わせて戴きますと、
自我復元法の原理は、
「宿命」として変えられないはずの部分を、変えようと試みているからです。
よく世間には「あなたの運命を変える・・・!」とか言う本がありますが
自我復元法の場合には、
「あなたの宿命を変えるかも?」という領域の話になるわけです。
よく言われるように、「運命」は個人の意志で変更できるが、
「宿命」は、生まれた時に、決まっていることなので変更はできない、
という「あの理屈」です。
その「宿命」に、変更を加えようとするのが、
「自我復元法」ということになってくるわけです。
生まれ持った「自我率」とは、
それ自体が、「宿命」以外の何物でもないからです。
●さて、もしも、この方が、5年も飲み続けてきた、てんかん薬を、
自我復元法によって、今年内に、完全に離れられる結果となれば、
それは私としても、本当に、嬉しい結果となります。
何よりも、それは「向精神薬に、今も依存させられている人たちにとっては、
一つの「小さな出口の可能性」ぐらいには、なる「かも」しれません。
●これを、もしも「ただの自己暗示による結果」というのであれば、
「自分は自我を復元しているんだ」という、
「そんな程度の自己暗示」だけで、
医師が観察しても、定常脳波が変化し、減薬を許可できた、となれば、
「自我復元法」というのは、
「大した効果のある、自己暗示法だ」ということに、なってしまいます。
もっとも、自我復元法など、本音では、ほとんど信じてもいなかった人たちが、
変化している事例も、いくつもあるものですから、
自己暗示の効果によるものとは、私には思えません。
●また、薬以外には、自我復元法以外の何かの手段が、
過去に一度たりとも、
この方の「てんかん」の症状を緩和したことはないわけですから、
それは「死人禅の瞑想の効果でもあり得ない」というのが、
現時点での私の所見です。
ただし、死人禅が、てんかんの症状に、どう影響するかしないか、
という点については、この方とメールで意見交換をしつつ、現在も検証中です。
ちなみに、この方の、今回のこの変化は、私の判定では、
「3%〜4%の自我率の上昇」で起きたもの、となります。
__________________
おたより-2
拝啓 崩残さま
改めまして、分割自我の判定をして頂きました事に心より感謝を申し上げます。
自我希釈率など、もちろん予測すら出来ませんでしたが、
梅の間の投稿の記事からの推測で、
良くて「1/2」か、いやもっと希釈された「1/4」以下など
ではないのかと勝手な妄想をしておりましたが
判定の結果が「●/●」だった事に本当に驚きました。
パーセンテージでは●●%で、スタート地点では高い位置にあると
おっしゃって頂けましたので
正直嬉しかった反面、まだ残りが●●%もあるのは、
とても大きい数値だと認識していますし、全自我へ道のりはまだまだ遥か彼方です。
自分の悪癖で、ちゃんと投稿を読んだつもりになっていたり、
理解したつもりでも、崩残さんのご指摘で
かなり抜け落ちていることに、気づかされます。
物事を行う順序の優先順位がチグハグになったり、
集中力にも欠けています。
その他にもたくさんの欠点がありますが、無論このような事のすべては、
私自身に原因があります。
しかし責任の転嫁ではありませんが、自我の希釈による意識の薄さが
やはり起因していると思われますので、
(希釈されてしまった一部は自分の責任ですが)、
十全な意識状態で居られるようになるには、
自我を復元するしか解決の道は無いと確信しています。
これからの復元作業に自分自身が真剣に取り組んで、
全自我にならない限りは、全く意味を成さないし、
何も始まらないと理解していますので、
時間を無駄にせずに有言実行あるのみです。
今までに、どれだけ沢山の事を無明庵で教えて頂き、
影響を受けたか計り知れません。
最初は精神世界の書籍は必要が無くなり、古本屋へ売り飛ばすなどとは、
絶対に出来ないだろうと思ってましたが
いまでは、一切必要とすらしません。
もしも、未だに無明庵の事を知らずに生きていたら、
何と陳腐な人生になっていたんだろうと想像すると、怖いくらいです。
怖いなどとすら思わずに、物事を浅はかにしか考えられない、薄っぺらな
人生だったのだろうと思います。
現在の、この世界の人間に置かれた状況が希釈されてしまった事に
要因がある事を突き止め、その状況を分析、検証し、
こんな前代未聞のプロジェクトを考案されて、実践されている
崩残さんの事を敬愛して止みません。
これほどまでに崩残さんが敷居を下げてくれて与えて下さった
貴重なチャンスを決して逃しません。
いつも自我復元の応援のエールを送って頂き、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
これから復元作業を続けながら変化の兆候などがありましたら、
再び判定をお願いしますので
その時には是非また宜しくお願いします。
それから滲み書ですが、
とてもダイナミックな筆捌きですごい迫力があります。
特に気に入ったのは「然」の書で、
しっかりとそのままデンと構えている感じが好きです。
どの書も滲み具合に独特な風合いがあって、
近くで見ると滲み具合が模様になっていて、
乾燥の過程で残ったのか、ごく僅かな光ったところがあったりと、
味わい深い書なのでとても気に入っています。
前回の禅書は額縁にいれて部屋に飾っておりますが、
やはり書は和ですから、今回頂いた滲も書は、
掛け軸にして飾って楽しもうと思っています。
まだまだ寒さが厳しいですが、
どうぞお体にお気を付けてお過ごし下さい。
__________________________________________
>>これほどまでに崩残さんが敷居を下げてくれて
●いえ、それはあくまでも「結果論」ですので、
意図して下げたのではありません。
実際、悟り系の問題については、今でも敷居を下げるつもりは、
一切ありません。
(少なくとも、過去の時代とは違ってしまった現在の、
この「難民キャンプ内」の環境の中では、という意味です)
ただし、コントの「髭男爵」ではありませんが、分割自我理論の登場で、
「事情が変わった」、という事が、現在に至った最大の理由です。
「自我復元」に関連する「報告のやり取り」だけに関して言えば、
以前のような敷居は、必要ありません。
むろん、それでも、「最低限度の敷居」は、今でも作っています。
■特に、今年の2月に入ってからは、
自我復元が進んでいる、一部の人たちとは、個人的にメールで、
多少の談笑や、またはシリアスなカウンセリングをすることはありますが、
それ以外のほとんどのケースでは、
「ある程度の、分量と質を持つ、変化報告のメール」にしか、
返信や対応をしておりません。
■また、「分割自我理論それ自体」についての質問も、
今後、一切受け付けないこととなっております。
この梅の間で、
「サポート情報」は、充分過ぎるほど、既に提供されているからです。
また、このプロジェクトで重要なのは、信じるか信じないかではなく、
「自分で、結果を出して確認するか、結果が出ないかだけ」であるからです。
ですから、メールで、こちらと雑談をしたいという人がおられても、
それは、2009年から2011年の間に、いくらでも禅書を通じて出来る機会が
あったのですから、それを逃したのであれば、それは単に、
適切なタイミングの取り方や、運があったかなかったか、の問題です。
__________________
●さて、2009年の6月以前までは、有料購読中のメール相談以外では、
身近に接触する事のなかった、幅広い層の読者の皆さんと、
「禅書」を通じて、個別に身近な感覚で接し、
かつ、全く個別に、「書」を提供させて戴くという、長いプロセスが、
約1年以上、ほとんど毎日、休みなく続いたことが、
現在に至る「一つの基礎」を作りました。
(当時は、こうなるとは全く予測もしなかったのですが)
その時に、カウンセリング書で使っていた書記法が、
「自我判定」を可能にした、という流れも、
今となっては、出来すぎているぐらいに「奇妙なプロセス」でした。
実際、判定用の文字を書かなければ私には自我判定は出来ません。
また、禅書の時にお支払いを戴いた時の皆さんの「筆跡」が、
これまた、予期せぬ結果として、今では非常に役立っています。
それこそ、一目見れば、自我率が数値で分かるような、
「死神の目」でも欲しいところですが、
アニメの世界ではありませんので、そんな契約は現実にはありません。
>>梅の間の投稿の記事からの推測で、
>>良くて「1/2」か、いやもっと希釈された「1/4」以下など
>>ではないのかと勝手な妄想をしておりましたが
●この手の推測は、大抵の場合に、「良くも悪くも」裏切られます。
そのことは、既に自我判定を受けられた多くの方が知っていると思います。
梅の間で書いていることは、この体系の、ごく一部ですから、
梅の間の記述やDVDの内容だけでは、希釈率は決して判断できません。
なにしろ、私すら、予測を裏切られるような自我率(良くも悪くも)を、
目にすることが、毎日のようにありますから。
____________________________
●ただし、1/4、1/2、3/4という、この「十字形のポイント」には、
明らかに「ある特性」があります。
あとは、1/8などの「8分割ライン」による区分です。
それぞれの人によって、自我率は、必ずしも分数で割り切れないものもあり、
かなり微妙な数値になることもあり、
また、その人の性質や癖や、生活状況も違うのですが、
一点だけ、今までのデータから、確実に「特性区分」が出来るのは、
8分割のラインです。つまり、
円の頂点を起点として、
1/8自我、1/4自我、3/8自我、1/2自我、5/8自我、3/4自我、7/8自我、
この8つの区分ごとに「明確に差」があります。
ただし、それがどういう区分差であるかは、
皆さんが、勝手な推測で、ご自分の事を間違って区分けしてしまったり、
御自身の事を誤認しないように、ここでは詳しくは述べません。
以前の投稿で、
「部品のない船」で指摘したような事になっている、としか記述しないでおきます。
●強いて、心を鬼にして、厳しい事を言いますと、
自我の状態が、本当の意味で、なんとかマシになってくるのは、
復元作業によって、「1/2自我を超えて」からです。
1/2では足りませんし、
逆に、1/2自我には、特有の「怠惰」と「油断」があります。
また、1/2未満の自我率では、まだまだ問題だらけなのです。
●そして、さらには、私が見ていて、一番もどかしいのは、
「5/8自我」と、「7/8自我」にいる人たちです。
十字のクロスラインに斜めに交差している、この二つのポイントには、
非常に大きな壁があり、自我復元をしない、
または自我復元という方法を知らない人が、
この位置にあると、一言でいえば、
「本当にもったいない」ことを人生の中でやってしまっているのです。
せっかく、生まれつきの高自我率であるにも関わらず、
そこにある限界から、抜け出せないのです。
●・●・●・●・●・●
■ところで、自我復元作業などというものが、出来るとは、
開発した当の私自身が、全く予測もしていませんでした。
実際、自我に分割率が存在することが判明した時点でも、
それは私にとっては、自分自身の問題ではありませんし、
それを、どうにか出来るなどとも、全く思っていませんでした。
その現実に対しては、ただ、諦めるしかなかったのです。
ですから、分割自我のことには、もう、見て見ぬふりをして、
自分の事だけに、かまけていようと、当時は思っていました。
実際、自分に残っている寿命がそんなに多くあるとは思えませんし。
●ただ、それでも、あまりにも、それが不正な行為であり、
見るに耐えないほどの混乱と屈折を、人間に与えていることを、
痛感せざるを得ませんでした。
それは、私自身が、
原型自我が経験できる、その楽しみと苦しみの素晴らしさを知っていますので、
それを基準したら、人間以外のモノによって、分割された自我というのは、
あまりも不当で、許せないものです。
地球の、過去の「正常な、良き時代」を知っている記憶が、
私の中にあるだけに、
特に、ここ約千年の、今のこの状況は、
人権無視も、はなはだし過ぎて、
これをやったシステムだけは、絶対に許さんという感情が、
正直なところ、私にあります。
それは本来、人間に提供されていた「楽しみ」を奪ったからです。
ですから、その自我分割・自我希釈という、不正な経営システムを、
見なかった事にしたり、知らぬ顔をして放置するのではなく、
その状態を、「どうにかして、打破できる方法はないのか?」を、
2009年の終わりから、2010年の初頭に、
数ヶ月間、毎日毎日、考え続けました。
●そして、あるときに、
原則として、私達がいる、こちら側の「生の世界」では、
自我に手を出したり、それを取り扱う事は出来ず、
また、あちら側の「死の世界」でも、自我に手を出すことは出来ない・・・
となれば、
もしかすると、その中間状態であれば、自我に手を出せるかもしれないと、
ふと、何かの拍子に思いついた事が、一番最初のきっかけでした。
●そして、一か八かで、
「まさか、そんな事は、出来ないだろう」と思いつつも、
DVDで私が語ったような方法の、前身となったプロトタイプの方法を、
試験的に何度か行なった結果、
どういう角度から冷静に見ても、それまでに経験したことのない、
実に「奇妙なモノ」を取り扱っている実感がありました。
それは私がDVDで語ったようなものです。
ただし、私にとっては、過剰摂取となってしまう、それらの自我を、
回収したままにする必要はありませんでしたので、
回収後には、それらを余剰分として、すぐに吐き出して、
自分の外に捨てました。
その時に、
自我復元の事など、知るよしもない、近所の知り合いの人の中に、
吐き出した自我を、何パーツか「放り込んでみた」のですが、
そうした「移植は出来ない」とわかりました。
「ラブ注入ならぬ、自我注入は不可能」というわけです。
●つまり自我壁を構成している「素材」というものは、
こちら側の「生の世界」にいる者同士では、
注入したり移植はできない、という「大原則」を、
その事によっても、再確認をしました。
_______________________________________________________
イメージしている途中で
雑念になってしまう人
そもそも、現在、自我復元をしている人たちのほとんどは、
市販された「DVD」の内容と、梅の間のサポート情報「だけ」で、
何も私に質問もせずに、ご自分で工夫して、復元を成功させています。
その点では、復元の儀式の段階で、つまづいたり、
いちいち、呼びかけが出来ているのかいないのか、
回収が出来ているのかいないのか、
という自己確認にばかりに囚われつづけて、
その結果、復元に失敗している人に対しては、
これ以上、私から何かを言う必要はないのではないか、とも思っています。
しかも、その上、なんと、
DVDも買わずに、他人からの「又聞き」だけで、
自我復元をしようとするような人が、もしも、いたとしたら、
そういう人は、「論外」です。
DVDに収録した内容については、掲示板では、私は概略説明だけに留め、
その核となる「詳細」までは語っていませんので。
そうでなければ、大切なお金を出してまで、
DVDを買ってくださった方々への、差別化が成立しません。
******************
■復元の儀式を始めたとたんに、
最初の「地図」すらも、うまくイメージできないとか、
最初のイメージは出来たが、
その直後には、全く別の事を考えてしまっているか、
または、ブラックアウトしてしまう、というタイプの人がいます。
そこで、
イメージしたものが、どんどん関係ない雑念になる、
というタイプの人のために、詳しくその構造を解説しておきます。
イメージが飛んでしまうのは、主に次の3つの事が主な原因です。
◆これから私が書くことは、
私がここで言ったことを、実際にこの画面を見ながら、必ず行なってください。
読んだだけで、分かったような気になるものなどには、意味はありません。
必ず、私がこれから言うイメージを、実際にやってみながら、
ひとつひとつ、確認をしてください。
◆イメージし過ぎるタイプ◆
まず、次のことをしてください。
あなたがよく買い物に行く、コンビニやスーパーへ行って、
ひとつだけ、特定の商品を買ってくる、
というイメージをしようとします。
たとえば、サラダ油を買ってくるとか、コンビニ弁当を買ってくる、
などです。
それを今、目を閉じて、イメージしてください。
その時、もしも単に、コンビニやスーパーへ行くイメージ、
そして、お目当ての商品のイメージだけ、それをレジで買う、帰宅する。
こうした「断片的なイメージを繋げるだけ」であれば、
あなたは、そう簡単に横道にそれる雑念などしません。
実際、あなたは、今やったようにして、何かを買いに行く前に、
一瞬でそのプロセスをざっと、思い描いているのですから。
ところが、
もしもあなたが、コンビニやスーパーの入り口をイメージし、
売り場を探すイメージをして、売り場の棚のイメージをしたら、
どうなると思いますか?
あなたは、ほぼ間違いなく、違うメーカーのサラダ油の種類を見たり、
スーパーの入り口から、目的とは別の商品の売り場をイメージしてしまったり、
弁当も何種類かのイメージがそこに登場してしまったり、
あげくには、コンビニでかかっている懐かしい音楽までイメージしてしまい、
とうとう、その音楽を一緒に聞いた恋人の事までイメージしてしまい、
ついには、あなたの頭の中は、
その恋人との思い出の中に、完全に移動してしまいかねません。
これが何を意味するかというと、
必要がないほどに、具体的すぎるイメージを描くと、
あなたの思考が連想ゲームを引き起こすようなトラップを、
自分で好き好んで、作ってしまうということです。
つまり、細部まで、細かくイメージすることは、
必ずしも良い「結果」をもたらしません。
あなたが、目的である物を買うという、その結果を得るためには、
手順の「骨子だけ」でいいのです。
その途中で、細かすぎるイメージをすれば、
雑念にそれるきっかけとなるイメージを沢山作り出してしまいます。
従って、復元の儀式においても、細部までドラマ化してはなりません。
買い物をするという最も重要な目的を果たすには、
ざっとした断片のイメージを順序どおりに組み立てるだけで事足りる、
それと同じように、復元の儀式の「呼びかけ」と「回収」共に、
イメージは荒くて構いません。
◆自己観察病タイプ又は自己忘却病タイプ◆
■これは、思考観察だの、覚醒しているんだとか、ヴィパサナだのと、
「油断なく自分を観察することが良い」という、ある種の「片手落ち」の、
瞑想ごっこを、しすぎた人たちによく見られる症状です。
この人たちの特徴は、どこにいても、ギスギスとしていて、
ぎこちなく、臆病な感じで、全く周囲や相手の空気も読めなくて、
ただただ、自分の事を観察しているような気になっているだけで、
そのくせ、その観察は、穴だらけというもの。
この人たちが最も簡単に陥る罠は、
何かのイメージをしようとしても、そのイメージの確認ばかりに
気が行ってしまい、イメージが出来ているのか、出来ていないのか、
そればかりに気が行ってしまい、
結果として、この人たちは、イメージする事が出来ず、
ただただ、「不毛」な自己確認の繰り返しだけが残ります。
結果として、この人たちは、何かに我を忘れて夢中になることも出来ません。
一体、どこの本を勝手に解釈して、道を踏み外しているのか知りませんが、
このタイプの人は「常に我を忘れてはいけない」とか、
自己想起という概念を勘違いをしていますから、
こういう人たちは、ずっと陰湿で暗い顔をしたままで、
何も楽しめませんし、こういうタイプは恋愛もセックスも楽しめません。
■そもそも、正しい瞑想というものは、
全く異なる二つの方向を「個別に経験し尽くすこと」から生まれます。
たとえば、もしも観察者の位置に徹底して留まるのであれば、
それだけに徹して、一切自分を操作してはなりません。
この点で言えば、この種の瞑想では、
一切何もイメージをしてはならない、連想してはならない、
ということになりますので、
この手の瞑想は、復元儀式とは相容れません。
■次に、瞑想にはもう一つのベクトルがあり、
それは、完全に観察者を捨てて、行為などに没我、または没入することです。
何かをイメージするという行為は、むしろ、後者に近いものであり、
その時には、自己観察しようとすることは邪魔になります。
従って、イメージがブレて、関係のない雑念になってしまうタイプの二番目は、
何かに没頭するという資質に欠けているか、または、
へんてこな瞑想のやりすぎで、人生何も楽しめなくなったようなタイプ。
カルト信者に多い、あちこちに、ゴロゴロいるタイプです。
◆ただし、逆に極端に、観察者に留まるような訓練を全くせず、
飛んだり撥ねたり、あるいは、メール中毒とか、ゲーム中毒とか、
ただ中毒的に何かに夢中になることしか出来ないタイプの場合には、
これまた、空気読めないし、相手のことも察せられないという、
極めて「鈍感な」人格になります。
このタイプの人間の場合には、前者のタイプのように、
「イメージが途切れて、自己観察ごっこに戻ってしまう」のではなく、
イメージの展開が貧相すぎて、単体のイメージで停止したままになります。
一個イメージしたら、おしまい。次は出てこないというタイプ。
この手のタイプは、TMとかマントラヨーガに毒された人たちに、
沢山います。
人格的には、単細胞で、軽薄で、話の質に、面白みや変化がなく、
毎度、同じことしか言えないわりには、「気づきが大切だ」とか言うんですが、
実際には、ほとんど何にも「気づけていない人」ばかりです。
◆しかも、その上、言うに事欠いて、
「私は、囚われに気づいて、手放しました」と、
おめぇー、気づいてもいないものを、
一体、何を手放したつもりになっているのやらです。
そういうのを称して、「手放し運転」と言うのです。
挙句に、他人の車に、迷惑な衝突を繰り返しては、
「これが、私のあるがままなのよ」と、アホウヅラ。
これは、人生に退屈していて、冷めて、白けている自分が嫌いで、
何か没入できるものを探していた、というタイプが陥る、
非常に、典型的な「瞑想の誤用」です。
これは、TMや、ダイナミック瞑想「信者」らなどに、実に多いタイプです。
能天気とか、楽観主義とかいう良い意味では断じてなくて、
とても悪い意味で、単調で、軽薄で、物事の思慮に欠ける集団です。
ぶっちゃけ言うと、頭悪すぎる人たち。(しかも、無意味に明るい)
◆なお、前者の「自己観察病」の人は、
没入できるものを探していた、というタイプではなく、
自分の中の怒りなどの感情的な起伏が嫌いで、
感情に影響されることから逃げたい、とか、
勝手な事を思い込んでいたタイプに、かなり多くいます。
「何事にも心を動かされない、不動心でも手に入れればいいのだ」と、
「とんだ誤解をしている」、どこにでも、よくいるタイプです。
これもまた、非常に典型的な「瞑想の誤用」です。
オウムみたいなカルト宗教や、クリシュナムルティー信者や、
特に、ヴィパサナ信者などにも多く、
ぶっちゃけ言うと、性根と性格が悪すぎる人たち。(しかも無意味に暗い)
前者は、「頭なさ過ぎ」で、
後者は、「頭でっかち」で、感性なさ過ぎ。
どっちも、奇形の自我です。
____________________________
■しかし実際には、瞑想の基本科学(基本原理)とは、
全く方向性が「180度異なるもの」を、
激しく交互に、または同時に行なうというのが、その本質です。
従って、まともな瞑想指導者であれば、瞑想者を二つのタイプに大別し、
ひとつは、観察者に留まる方が、本人にとって楽なタイプ、
もうひとつは、行為に没入する方が、本人にとって楽なタイプとし、
それぞれに何をやらせるかと言いますと、
その瞑想者本人が、「楽ではない方の瞑想法」です。
そのことによって、瞑想の二輪のバランスを取らせようとしたわけです。
ただし、元々は、これすらも、全自我の人を想定しているものですから、
希釈自我では、そのバランスすら取れなくて当たり前です。
何度でも同じ事を言いますが、
元々の瞑想体系とは、そもそも、
「全自我が、人間の平均的な状態だった過去の時代」に、
その原型が作られたものである。
それを、ハンドルもついていない希釈自我の人たちなどがやれば、
ただの、はた迷惑な、「酔っ払い運転」です。
◆未経験のものをイメージ出来ない◆
あなたが、前述した、一番目のタイプであれ、二番目のタイプであれ、
あなたにはどうしてもイメージしにくい対象物があります。
その前に、まずこうしてください。
なんだかんだと言っても、いつまでたっても、異性やセックスのことが
頭から離れない人たちが多いわけですから、
その皆さんが、いつまでも、満足できていない、
そのセックスや恋愛の妄想を使って、
ちょっとしたイメージをしましょう。
まず、あなたが過去に付き合ったり、セックスをした相手を
イメージして思い描いてください。
するとデートした時や、その他、いろいろなシーンが
わりと、明確に思い出されて、イメージできるはずです。
かなりの細部まで、覚えていることも多くあるはずですから、
それは、ある程度鮮明にイメージできるはずです。
もしも、恋愛やセックスの経験がないのであれば、
別の記憶でも構いませんが、いつまでも思い出にひたれるような
記憶を使ってください。
これをやってみれば、どんなタイプの人であっても、
よほどの薬物中患者でないかぎりは、
あなたには、最低限のイメージ力ぐらいあることが分かります。
◆さて、今、最初にやったことは、ただの記憶の再生です。
では、次に、ただの記憶の再生ではなくて、
記憶を組み合わせたイメージをしてみて下さい。
恋愛やセックスには、人は、いつまでも囚われていますし、
特に男性は、いつまでたってもエロい妄想が大好きでしょうし、
ねんがら年中、頭の中でイメージしているわけですから、
そういう事ならば簡単に出来るはずです。
◆そこで、
今度は、記憶の中にあったことではなく、
「現実には起きなかったこと」を妄想してください。
たとえば、アイドルや憧れの女性とあなたがデートしたり、
そうした相手とあなたがセックスをするイメージです。
女性の場合には素敵な男性が、あなたの旦那やパートナーとは
全く違って、あなたに、親身になって、
とことん優しくしてくれるシーンの「妄想」です。
◆ちなみに、男性が性的な妄想がお好きなのに対して、
女性に多いのは、ざっくり言うと「変身願望」です。
つまり「もう少しウエストが細かったら、あの服が着られるのに」とか、
「もう少し、バストがあったら、あの服が似合うのに」とか、
「こんな旦那じゃなかったら、こうなのに・・」
「もしも自立していたら、もっと、ああなるはずなのに・・」という、
「変身願望」が、女性が妄想しやすいイメージの内容です。
◆さて、男女共に、そのような、架空の「願望」を妄想してください。
すると、一番目の「現実に存在した記憶」に比べると、鮮明ではありませんが、
それでも、かなりの部分を、あなたは妄想できるはずです。
だいたい、そんなことは、男性であれ、女性であり、
しょっちゅう頭の中で、無自覚のうちに、やっているじゃないですか?
エロエロの性的な妄想でなくても、
ずっと粘着的に、他人の事を恨んでいたり、
あんなやつ、死ねばいい、と思っていたり、
旦那や奥さんと、別れたい、と思っていたり、
憎むにしても、好くにしても、
相手の事が、頭から離れなくなってしまう。
あなたは、そんな「夢想」と「思考の連想」ならば、
毎日のように、何十分でも「妄想」をし続けているはずです。
ただし、その妄想のイメージは、
実際に経験をしていない事の部分は、
他の何かを見て記憶している「別のイメージ」で埋めあわせています。
たとえば、アイドルとあなたがエッチをしているイメージであれば、
現実経験として不足している部分や、存在するはずもない部分は、
別のところで見たイメージを、そこに合成しています。
ただし、いずれにしても、題材となるシーンの「カット」は、
あなたの記憶から作られています。
■ところが、それだけ、皆さんが、
しつこく、いつまでも、相手のことについて、
恨んだり、過去の事を根に持ったり、
あるいは、飽きもせずに、性的な妄想をしていられるものがある、
というのに、
その人たちが、たったの「数秒」も続けられないイメージがあります。
それは、「経験したことのないもの」に対するイメージです。
>そして、自我復元法とは、
>かつて、誰もイメージしたことのないストーリーによって、
>構成されています。
しかし、経験したり見た事が、全くないものを、
イメージできる人と、イメージ出来ない人との差があります。
■その差を作り出すのは、唯一「ただひとつだけ」です。
>それは「創造性」という資質です。
ただし、単に他人の模倣をして、何かを作るのではありませんし、
プラモデルを作るのが好きだからいい、とかではありませんし、
また職人として何かを作るのとも違います。
また、ダラダラと、自己不満を小説に書いたりするのとは全く違います。
一言にいえば、
全くのゼロから、何かを作るという事をしてきた事があるかどうかです。
これは「資質」の問題ですので、
必ずしも、実際にアーティストであるとか、
創作活動をしているという事と一致はしませんが、
とにかく、「工夫」するということを、生活の中でも頻繁にしている人に、
この資質を多く見る機会がありました。
■たとえば、
「自我復元が、順調に進んでいる、数名の女性たち」がいます。
この人たちに潜在的に共通しているのは、
実生活で、主婦やOLとしても、「生活の工夫をする」という
創造性があることです。
たとえその対象が地味なものであっても、
生活のどこかを改善して、工夫しようとしています。
そのせいか、メールから受ける印象も、
性格が「やたらに可愛い人」が、多いのです。
一方で、駄目なタイプは、生活が、だらしなさすぎる女性。
なんでも、まーいいやと、放置したままで、工夫もしない、
創造性も発揮しない。
むろん男性で、
順調な復元をしている人たちにも、それと共通する面があります。
何かに積極的に工夫を施そうとする人、
ゼロから何かを作ろうとするタイプや
そうした性質を持つ人たちが、比較的、順調な復元をしています。
■ただ、非常に、その「創作性」の定義が難しいのは、
誰かがやっている事と同じ模倣ではならない、という点です。
しかし、完全にゼロから何かを生み出すのは、常に困難ですから、
最初は「創意工夫」からでいいのです。
そういう意味では、
私が「竹の間掲示板」で、何度も奨励した、「料理を作る」という行為は、
何も主婦だから、やらねばならないからするのではなく、
男性にとっても、女性にとっても、立派な創作行為です。
グルメになるかならないかは、問題ではありません。
「簡素な食事」であっても、自分の手でそれをつくることが大切です。
だから、私は、主に、料理好きな女性としか付き合いませんでした。
それは、私が、彼女たちの手料理を食べたかったからではありません。
私自身も料理はしますので、
調理という中で、彼女たちと共有するものがあったからです。
料理には、その人の創作性や個性が良くが出ますし、
それは「魔女の鍋」のように、一種の魔術であるとすら私は思っています。
■さて、創意工夫や、創作、ゼロからの発想、
こうしたものは、何も希釈自我だから出来ないというものではありません。
しかし、その事に全く慣れていない人もいるでしょうから、
その為にも、「スケッチブック」を使うメソッドが役に立ちます。
>イメージに、「何も制限を加えることのない」中で、
>あなたは、一体、何を創造できるか? こそが、あのメソッドの鍵です。
従って、「スケッチブック」を使うメソッドは、
やがては、「記憶にないイメージ」や、
「イメージしたことのないものを思い描く」
という能力を刺激しますので、
それが、自我復元の儀式にも、フィードバックするわけです。
●こうした、非常に有機的な構造で、
「分割自我復元法」のDVDのコンテンツというものは、組み立てられていますので、
方法そのものは単純ですが、
けっして、基礎工事を無視しないでください。
しかも、主要な基礎工事は、DVDの中では「三つ」でしたが、
今では、「瞑想を、無駄なものとして除外」しましたので、
残るのは、「自我復元の儀式」と、「スケッチブック」の描き込みのみです。
勘違い系のモラルに囚われるタイプ
●さて、自我復元というものは、
次の「ようなもの」だとイメージして構いません。
正確には、もっと「積極性」が必要となるものですが、
「理解力が極度にない一部の人」の為に、
強いて、「極端に分かりやすく」言いますと、
「自我復元法」で、現在、多くの読者の人たちが行なっていることは、
>「街角に立って、募金を集めているようなもの」です。
あなたが持っている募金箱には、その募金に「同意」した人が、
善意あるいは、単なる同意から、
その一人一人が、わずかな金額を入れてゆきます。
そのことが、お金を入れた人に対して、
どのような害悪をもたらすと言うのでしょうか?
●そもそも、何度も何度も「梅の間」で書いているように、
提供される自我は、どんなに提供時の効率が良好であっても、
「一つあたりの提供対象」からは、「0.5%前後」です。
しかも、皆さんは、最低でも100人以上の人たちから募金を集めるようなものですから、
一人の人から多額の募金を貰うわけではありません。
この0.5%(実際には、0.1%の事も多くある)が、提供側の「その後の生」に、
不利になるかもしれない、とでも「奇妙な妄想」を抱いているような人は、
そもそも、分割自我理論そのものを、ほとんど何も理解できていないわけです。
また、募金を他人から貰うことそのものに、躊躇があるのであれば、
そういう人は、自我復元法の事などは忘れて、
とっとと、他のところへ行ってください。
もっとも、今までに、
そういう、勘違い系の罪悪感を持っている人は、たったの二人しかいませんでしたが。
●募金を受けた側の貴方は、
頭を下げて、そのことに感謝して、率直に、ありがたくそれを頂戴し、
それを、「宝物」のように、大切に、大切に、使えばいいのです。
提供元の自我率にもよりますが、
一つの提供元からの提供は、「2%以内」であれば、
提供元の生命体には、大した問題やトラブルは起きません。
それ以前に、そもそも、
もしも、ひとつの提供元から「1%」もの大漁となる回収ができたら、
それは、かなり奇跡的なことであり、相当にラッキーな「大物を釣った」
という事になるのですから。
では、最良の「釣り場」はどこか?
●前述した、「募金」の喩えに従うならば、
貴方は、沢山持っている人から、少量のお金を戴くのであれば、
問題はありませんが、「あまり持っていない人たち」から、お金を貰うのは、
相手にとっては、多少とも負担になる可能性はあります。
たとえば、
1/2自我から0.5%自我の提供を受ける場合に比べると、
1/10自我から0.5%自我の提供を受ける場合には、
相手の状況には違いが出てきます。
これは、あまり良い喩えではありませんので、
決して、「文字通りには受け取らないで欲しい」のですが、
前者は、
五千円を所持する人から、50円の募金を貰うようなものであり、
後者は、
千円しか所持しない人から、50円の募金を貰うようなものです。
提供側の「懐の痛み具合」は、当然のこととして、
「自我率の低い対象」から貰う場合の方が、大きくなります。
従って、拾いにゆくときには、
可能な限り、「平均的な自我率の高い国」を選んでください。
アフリカとか、あるいは、
なんと、被災地などをターゲットにする人がいるようですが、
そんな人の方が、よっぽど非道で、姑息な根性です。
そもそも、被災地や戦争地域は「死者」が溢れている地域であって、
それは、私達が探しているターゲットではありません。
私たちが探しているターゲットは、被災地の死者数の何倍も、
世界中に、くまなく、しかも「毎日」、存在しているのですから。
●世界中での「一日の平均死亡者」を、おおよそ16400人として、
仮に、ターゲットに出来る「条件」を満たしている状態の対象を、
そのうちの「たったの5%」だったとしても、
毎日、820ポイントもあります。
「梅の間」の人たちの需要ぐらいは、充分に満たしています。
●「質」の点で言えば、
実習者の皆さんが、呼びかけると良い国や大陸に、
あえて「順位」をつけるならば、
1位・・・日本
2位・・・ヨーロッパ全土
などが最も理想的で、提供側への負担は最低限のものとなります。
それよりも「かなり落ちる」のが、
実は「北米」と「南米」と、「オーストラリア」です。
私は、You-Tubeで、まる3年以上、外人さんの知性の状態を観察してきましたが、
一般的な、北米のアメリカ人の民度、あるいは自我率というのは、
日本に比べたら、「恐っそろしく低い」と見てください。
また、中国は、いろんな自我率の人がいるので、微妙ですが、
まー、お好きにして下さい。
●そして、やってはならないのが、人口が増加し続けているアフリカと、
自我率が「最初から低すぎて話にならない」、特亜の「あの国」と、
そして、ロシアや中東あたりでは、避けたほうがいいのは、
「現在、紛争になっている地域」です。
これらの国では、1/8自我や、1/10自我が主流になりつつありますので、
そうした「自我をあまり持たない地域」から、募金を集めようとするのは、
よくありません。
集めるならば、「国民の平均自我率が高めの国」にしてください。
その国の政治と経済の状況にもよりますが、
もしも、ごくごく単純に考えますと、
「出生率がどんどん低くなっている国」の方が、
高い自我率を持つ、提供地域が多くなる傾向がある「かも」しれません。
ただし、あくまでも「傾向があるかもしれない」という話です。
次の表を、ひとつの参考にしてください。
■世界の国の出生率の一覧表。
↓
http://memorva.jp/ranking/unfpa/who_2010_total_fertility_rate.php
というわけで、
実習者の皆さんにお届けする「釣り場のポイント情報」でした。
■全世界では、
年間で、「約,6000万人」が死亡し、
「約,1億4000万人」が、生まれています。
つまり、国によっては、出生率は下がっていても、
自我の希釈・分割は、今も、のうのうと続けられているのです。
________________________________________________
最近の作品
★ここ約3週間の間に書いていて、
印象に残ったユニークな書や、私自身が気に入った書です。
●奇しくも、世界をテーマにする今回の投稿に相応しい文字です。
↓
左二つは、瑞典=『スウェーデン』の当て字です。
注文を受けて、初めて知りました。右は欧州の「欧」。
こういうユニークな文字の注文は、この人が初めてでした。
●次は、書いていて、とても感じが良かった人です。
左から、『純』『遊』『詩』。
どれも、ズバっとした、迷いのない、力のある字になりました。
_____________________________________________
・ゆるいジョーク・
『よく当たる、タロット占い師』
(ウェイト版・編)
___________________________________________________
ちなみに、このジョークの中に登場する架空の相談者は、
元オウムの、故・村井秀夫さんです。
**********************
占い師が、0のカードを見て客に言った。
「最近、買ったばかりのブーツを、野良犬に汚されませんでしたか?」
相談者「はい。」
占い師が、1のカードを見て客に言った。
「最近、蛍光灯を交換しましたね?」
相談者「はい。」
占い師が、2のカードを見て客に言った。
「あなたがステロイドを投与した選手は、ベン・ジョンソンですね?」
相談者「はい。」
占い師が、5のカードを見て客に言った。
「最近、育毛について、誰かに相談をしましたね?」
相談者「はい。」
占い師が、8のカードを見て客に言った。
「あなたの飼い猫が、虫歯になりましたね?」
相談者「はい。」
占い師が、9のカードを見て客に言った。
「昨晩は、第7サティアンが、停電になりましたね?」
相談者「はい。」
占い師が、"逆向きの10" のカードを見て客に言った。
「最近、お腹の脂肪を気にして、バランスボールに凝ってますね?」
相談者「はい。」
占い師が、12のカードを見て客に言った。
「最近、マスコミを相手に、頭に血がのぼっていませんか?」
相談者「はい。」
占い師が、14のカードを見て客に言った。
「最近、ちょっとした手品を始めましたね」
相談者「はい。」
占い師が、15のカードを見て客に言った。
「やはり、その手の、ご趣味をお持ちでしたか!」
相談者「はい。」
占い師が、17のカードを見て客に言った。
「最近、近くの池に、悪いものを捨てましたね?」
相談者「はい。」
占い師が、18のカードを見て客に言った。
「そのせいで、池のザリガニが死にましたね?」
相談者「ごめんなさい!
でも、その事は、誰にも言わないでください!」
_______________________________
★
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