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●無明庵日記「猫の足跡=その217=」●「宇宙」●
by:
鈴木崩残
2011/03/11(Fri)14:33:18
元も子もない事を、言う。
元も子もない事を言う。
私には子供の頃から、「元も子もない事」を言う癖がある。
それを面と向かって他人に言うこともあれば、
頭の中だけで考えていることもある。
小学校の高学年ごろから、それ以後、今日に至るまで、
私は定期的に、思い出すことがある。
それは学生時代や社会に出てからも、何ヶ月かに一度、
あるいは何年かに一度、必ず、私を訪れる思考である。
私は宇宙の大きさについて考えることが多い。
たとえば、地球の近年の望遠鏡は、ある程度は遠くの星団を
捉えることは出来るが、それとて、実に狭いものだ。
銀河系や星団や小宇宙、それら全体が、おそらくは、何かの
中心の周りを回っていたとしても、
それら全体が、ひとつの枠の中の細胞のように、
小さな単位であることを想像すれば、
小宇宙が無数に集まったものが、「中宇宙」という単位を
作っている。
我々が望遠鏡で見ているいろいろな宇宙など、
その中宇宙のほんの片隅でしかない。
そうした中宇宙が、これまた無数に集まって、大宇宙を形成していた、
としても、その大宇宙を、単なる小さな単位とする、
超大宇宙が、その外側を形成している。
ここではもやは、超大宇宙とても、それを囲む宇宙のほんの一部でしかない。
このように考えれば、一体宇宙全体が、どのような形をしているか、
などということは、現代の幼稚な天文学を、どう駆使して
理論物理学を駆使したところで、すべては単なる夢想にすぎない。
まただからといって、うかつに宇宙を無限だと断定する証拠もどこにもない。
ただ、ひとつ言えることは、私や私たちが軽はずみに、
存在とか、世界とか、宇宙と言っているようなものは、
宇宙では、ほとんど幼稚園レベルのような天文学の中で考えてさえも、
とるに足らないほど、狭く、小さな世界であるということだ。
銀河系の中での地球の大きさから、その無価値さを考えるだけでも、
地球の無価値さは、充分すぎるほどに実感されるはずであるが、
その銀河系が、無数に集まり、その中宇宙が無数に集まり、
それを囲む大宇宙が無数に集まっていることを想像できるだろうか。
ある意味で、残念なことだが、私にはそれが想像できてしまう。
そういう想像が私には幼いころからある。
小学生のときに、宇宙の絵を描いたことがあった。
当時、小学生なりに持てる想像力のすべてを駆使して描いた、
その「全宇宙」の形は、楕円形だった。
今にして思えば、それはせいぜい、小宇宙が何兆か、
または、それ以上集まっている「中宇宙」程度のものだった。
●そうした、気が遠くなるような宇宙の大きさは、
ずっと私の中に実感として存在している。
そのために、それと比較、または、
その「ほとんど無限大に近い大きさを持つ宇宙」対峙できるような
価値観を有するものは、
原則として私の中には何も存在しない。
●その無限大に近い宇宙の大きさの中での地球や自分の位置を認識した場合、
ほとんどすべてのことは「どうでもいい事」であることを
何度も私は思い出す。
その「どうでもいいこと」の実例を挙げればきりがない。
隣近所で、子供が親に虐体されて殺されたことが事件になったとしても、
正直言うと、どうでもいいことである。
遠くの国で、何十万の人々が戦争や飢餓で死んでも、
正直言うと、どうでもいいことである。
さらには、人類の半分以上が死んだりしても、
正直いってどうでもいいことであるし、
人間が全員、永久に悶え苦しむような世界に幽閉されても、
正直言うと、どうでもいいことである。
また、地球があと数年で消滅するとしても、
別に、どうでもいいことである。
今まで、「なんて無責任なことを言う人だ」と私の事を思っていた人たちでさえも、
このあたりになると、
「そうそう、どうせ地球ごと、皆んな死ぬんだから、
どうでもいいことだ」と、皆さんも思えるだろう。
●また、あなたの子供や家族や、あるいはペット、
あるいは、あなた自身が、誰かに袋叩きにされたり、
じわじわと、生きたまま苦しんで死んだり、
死ねずにずっと拷問に苦しんだとすると、
しかし、それも正直言うと、どうでもいいことである。
いや、私にとってどうでもいいことであると同時に、
「多くの他人にとっても」、それはどうでもいいことなのである。
つまり、これが、皆さんが普段「現実」と呼んでいるものの本質である。
●存在物の広さ、宇宙の体積、そういったものをどんどんと
頭の中で拡大していくとき、
実は、普通、どうでもよくないと思って執着していることというのは、
実際には、本当はどうでもいいほど、ちっぽけなものである、
ということが実感できる人は、どれぐらい存在するだろうか。
こういう話に対して、多くの人は、
何の証拠もない宗教や、人間愛やら、悟りを持ち出したり、
霊界物語を持ち出したり、または、「意識の進化」とか、
「苦痛の解決法」を言い出したり、
あげくには、
「よくは分からないが、それでも、きっと生には何かの意味がある」
という、「無駄な抵抗」を、あなたは試みるのであるが、
はっきり言って、どちらが、「現実感がないか」というと、
「そんなもの」に価値があると思い込んでいるほうが、
よっぽど現実感を欠いている、というのが私見である。
●どれだけ宇宙が気が遠くなるほど広大であり、
その中で、地球やあなたが、
いてもいなくてもいいようなものであるほうが、
正しい現実認識であるにも関わらず、
あなたが空腹になったり、体のどこかが痛んだり、
毎週見ているドラマの時間が迫ったり、
便意を感じたり、あなたを馬鹿にする人間の言葉を聞いただけで、
たったそれだけのことで、
ほとんど無限大の広さを持つ宇宙の中で、
ほとんど何の価値もないはずのあなたには、
あなたにとってだけ、「重大な問題」が生まれるのである。
この「重大な問題に思えること」これこそが、
人間や生物に「現実」と呼ばれているものの正体である。
●つまり、
>ほとんど「どうでもいいことだけで満ちている宇宙」の中で、
>どうでもよくないことを、個人、または集団がでっち上げること、
>それが「生」または「生活」と呼ばれているものの実像である。
●自分の身体または心理状態に、直接的な圧力や苦痛が生ずるまでは、
どれだけ宇宙の現実が、広大であろうが、それは現実ではなく、
あなたの尿意や性欲や食欲のほうが、「現実」となる。
しかし、私においては、そこが生まれつき「逆転」している。
どれだけの苦痛や快楽や、あるいは「これは大切だ」と
言われているものが、そこにあっても、
私には、何ひとつも、大切なものには思えない。
せいぜい、いいところ、正直言うと、それらのすべての存在物は、
「私の心身に、面倒をかけるもの」という認識しかない。
しかし、実は、誰にとっても、これは真実なのであり、
日ごろ、うかつに、生命とか現実とか呼んでるものは、
>「一番面白そうな、どうでもいいこと」に関わることか、
>または、
>「一番どうでもよくない、と思えること」に囚われるか、
>ということでしかないのである。
●このように、よくよく、宇宙というものの「現実」を見れば、
それに対して人間や、あるいは人間ではない者たちが言っている、
「大切なもの」などは、何一つのそれが重要であることを
ただの一度も証明できた試しがない。
証明できた試しもなく、小宇宙や中宇宙や大宇宙は、
何度も、壊れたり、再生したりし続けている。
そうした「現実」の何では、あなたなど別に今日死んでも
全く誰も「そうするな」とはいえないし、
あなたの家族が悲しんだところで、それが宇宙で、どれだけの
大きな嘆きになり得るだろうか?
いちいち人間か死ぬことに懸念を持ったりそれを禁止するような
宇宙法も存在せず、
そもそも、あなた一人だけに留まらず、全人類が死んだところで、
宇宙では、そんなこと、ただの「他人事」であり、誰も気にもしない。
それはちょうど、広い浜辺の一角にいた、ちいさな貝の、その内臓の中で、
ひとつの細胞が死んだのを、あなたが全く知らないし、知る気もないし、
知っても、全くなんとも思わないのに似ている。
それぐらいに、あなたも、地球も、太陽系も、銀河系も、
小宇宙も、中宇宙も、大宇宙も、超大宇宙も、
いてもいなくてもいい、というのが「まぎれもない現実」である。
それが私の、実感を常に伴う宇宙観である。
●こういう事を考えているときの私は、今であれば、
簡単にすぐに死ねる。実に簡単に命を捨てることが出来る。
そして、そういう感覚を思い出す自分のことが、
私は、結構好きである。
尿意や空腹さえ邪魔をしなければ、
私は、いつまでも、この、万物の「無価値さ」について、
考えていたいと思うぐらいである。
なぜならば、それが私にとっては、
最も「現実的」な「事実」だからである。
●こうした、意識の拡大が、繰り返し私の中に現実感を伴って
起きるために、私は、何かに価値を見出すことが本質的には出来ない。
仮に超大宇宙を取り巻く宇宙に何かの価値があると言われても、
私や銀河系の存在とは、それこそ、存在しなくても
全く何の支障もない「部分」に過ぎないからだ。
そうは言っても、悲しいかな、
人間というのは、私も含めて、
部屋が少々寒くなっただけで、
それまで、その脳内に展開していた、無限大の宇宙という「現実」は、消し飛んでしまい、
目の前の、本当にどうでもいい「現実」が幅を利かせてくる。
しかしその現実が、
「本当に全くどうでもいい」ことを何度も思い出させる、
「無限大の宇宙」は、私の中から消えることはない。
たとえ、この先、
人間の肉体を捨てて、別の生存形態をとったとしてもである。
だから、正直言ってしまうと、
その宇宙という広大な体積の中の位置を認識し続けるならば、
「分割自我」、そんなもの、どうでもいい。
「自我復元」、そんなもの、どうでもいい。
「悟り」そんなもの、どうでもいい。
「人間の苦痛」そんなもの、どうでもいい。
「知的探求」、そんなもの、どうでもいい。
「何かのワークセミナー」、そんなものどうでもいい。
「人間の意識の研究」、そんなものどうでもいい。
というのが、私の「現実」なのである。
まー、こういう「宇宙の本当の現実」を見過ぎないように、
それを封印したり、制限するために、
人間のような、しょうもない「狭い現実視野」を必要とする生物が
いるのだろうが、
それすらも、別に、「だから何?」の世界である。
●こうした事実を踏まえれば、皆さんも少しは、
宇宙の現実の一面を悟ることが出来るだろう。
現実的に見れば、宇宙の中でのあなたなど、
今すぐ死んでも全く問題ありません。
誰も褒めもせず、責めもしませんから。
あるいは、人類それ自体も、惑星それ自体も、消えようがどうなろうが、
「当事者以外」は、誰も問題にもしませんし、無関心ですから。
●ところが、実は、全く宇宙それ自体が、
部分としては、ほとんど無価値であるのが、
絶対的なまでの「真実」であるにも関わらず、
「無価値だ」「無意味だ」では、済ませなくなるようなトラップが
皆さんに、日々、今も、あなたの中に生じているのを、
今、そこで、自覚できるでしょうか。
>「存在は、実は、全く無意味であるという宇宙観」が、
>発生することを、防止しようとする、最大級のプログラム、
>それが、「苦痛」です。
>それも、ありとあらゆる生物の、ありとあらゆる種類の。
>とりわけ、その中でも、生物に共通する最も基本的な苦痛が「空腹」である。
>その他には、許容範囲を超える温度による苦痛や外傷や病による苦痛。
この「苦痛」が発生し続けるかぎりにおいては、
苦痛を意識する主体にとっては、
他人の苦痛など、自分には何ひとつも関係ないと思えても、
>本人が感じる、その苦痛だけは、
>「宇宙の大きさに比べたら無意味だ」とは言えなくなるような、
>切迫感を伴う「錯覚」を起こさせる事が出来る。
それこそが「苦痛」という種類のシグナル(知覚認識)が、
この宇宙で作られた、唯一無二の理由である。
●しかし、それでも、
どちらの現実の方が事実であるのかを、
知的になって、きちんと想像してみれば、
小さな小さな生物の、あるいはその生物か何兆と集まった集合の、
その心身の痛みが、それが、どれほどのものであったとしても、
それは宇宙全体から見れば、
>限りなく、「何事もなかった事」に等しいのである。
___________________
しかし、こういう話を、
腹を割って話せる他人って、私には、本当に少ない。
地球上では、こういう話を出来る他人は、ただの一人もいないし、
他の星系の人たちでさえも、
けっこう、この手の話を出すと、彼らも「どん引き」するのである。
だから、この、「とびきり美味い、酒の味」だけは、
いつも、私は独りだけで、味わっています。
>「麻酔」というものが、
>「苦痛」を忘れさせる為のもの、であるとするならば、
>「苦痛」とは、「真実」を忘却させる為のものである。
(By 崩残)
******************
こういう、「元も子もないような事」を私は、いつも考えている。
たまたま、今は、「自我復元」に、
少しばかりの面白さを感じている、のであるが・・・・。
******************
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