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2007年3月までは
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読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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●無明庵日記「猫の足跡=その225=」■大震災への心がけを、いったん、ここで、まとめます■
by:
鈴木崩残
2011/03/22(Tue)02:30:30
【複層現実と内部配線】
●奇しくも、3/11の地震の直前の数分間に、私が書いていたことが、
今後もひとつのテーマとなります。
今、私たちが経験している「現実」は言うまでもなく「複層現実」です。
それはいつでも前から、毎日、そうだったのですが、
こういうときにこそ、現実が複層的であることを認識する必要があります。
また、その個人によって認識している「現実」とは、
>「どうでもよいこと」←------------→「どうでもよくないこと」
という、この「現実感」のスケール(基準)が、
個々によって、全て異なっているので、
安易に、他者とは「現実」を共有できないということ。
●あなたが社会の中にいる、という認識に、極端に偏りすぎると、
今回のように何か重大な「共有現実」が現れると、
それを共有できないことを「悪」であるかのように言いたがる傾向が、
世の中にはあります。
しかし、震災後、何度か言いましたように、
今回の地震や原発の事故で、私たちが「共有」している現実は、
>1-「各自によって度合いの違う、揺れの経験と被災経験、という現実」と
>2-「物価が高騰したり、物資が不足したりする経済的な現実」の二つです。
>3-今後は、ここに「被曝」という「共有現実」が加わるかもしれません。
●しかし、「それ以外の現実」については、私たちは何ひとつも
他者や社会と共有はしていません。
たとえば、今日、ニュースで見たのですが、インタビューに答えていた
被災地の人がこんなことを言っていました(あくまでも意訳です。)
>生き残った今、これから先に、淡い希望のようなものはありますが、
>しかし、では、具体的な、これからの目的はというと、何も浮かばないのです。
あるいは、
>あの津波に飲まれて自分も死んだ方が良かったのではないかと
>思うことがある。(意訳です)
●個々人の「現実感覚」を本当に見るならば、
たとえば、お年寄りで、幸か不幸か、生き延びた人の全員が、
必ずしも、生き延びたことを喜んでいないというのもひとつの現実です。
寝たきりになっていて、家族に申し訳ないと思っていたのに、
生き延びた人がいたらとしたら、心のどこかでは、
「いっそ、震災で死ねればよかったのに」と本気で思っている人は
必ずいると思いますし、
私はそう思うことは、その個人にとっては、ごく自然なことだと思います。
また、今後は、被災地での、疲労、心労、から、持病を持つ人が死んだり、
あるいは、年単位で、長期的に見れば、自殺が増えることも予測されます。
●まだバブルがはじけてから、そう年数の経っていなかった
1995の阪神大震災の時とは、今の日本は、大きく違っています。
あれから15年後の今は、日本の社会はもっと疲弊していますから、
いまさら、「頑張れ」だの「日本人なら復帰できる」だの、
そういう時代ではないのです。
ですから、むしろ、
「たちどまれニッポン」が私の提示するベクトルです。
***************************
●その「立ち止まること」は、個人においても同じです。
もう何年も前から、私は「皆さんが自分のことに取り組める」のは、
「もう時間がない」「時間は限られる」と
あれだけ繰り返し言ってきたのですから、
これでもなお、その意味が分からなかった人は、もうどうしようもないです。
私が言う「時間がない」とは、
時計上の時間のことではなくて、「状況的なチャンス」という意味です。
●ですから、幸いにも、
この震災が起きる前から、「自我復元」を本気で始めていた人は、
大なり小なり、運が良かったと思います。
また、その人たちが、今後の社会を生きる生き方と、
自我復元をしていないままに今後の社会を生きる人たちとの間には、
数年後には、「巨大な差」が生まれてくると予測しています。
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【停電を利用しろ】
●蛇足的な事ですが、もしも「停電」する時間がまだあるならば、
停電という貴重な経験を利用して、自我復元をやってください。
または、停電の時にしか経験できない、心身のリセットを
充分に経験しておいてください。
今回の災害で、私が少し苦笑したことは、
60ヘルツの電源を使う地域の人たちにとっては、
本音を言うと、「東北・関東」の震災は「どうでもいい率」の高い
他人事である面があることです。
このことは、日本列島の、東側の「50ヘルツ圏内」の人たちにとって、
震災が、強い現実感を伴っているという点で、
なぜか、現在、
日本が「二つの現実感に分断されている点」が、気になりました。
***************************
【深海魚ビジネスに「待った」】
★もうひとつ、私が、気になったこと。
それは今回の震災の直前の一年ぐらいに、あることがブームに
なっていたことです。
その「あること」とは「深海魚ブーム」です。
それまでは、捨てていた「深海魚」を、商品として扱う傾向が、
東北などの漁港にも、増えていたことです。
ただし、これは実は、ひとつの「危険性」を持っています。
>人間がそれまで、捕獲しなかったり、食べなかったり、
>意識しなかった領域(この場合には深海ですが)、
>そうした深部からの捕獲物を、新しく利用しようとした時に、
>相手の世界の側で、それに対する拒否が動くことがあるからです。
たとえば、人間社会が、下手に捕獲したり、扱ってはいけない領域
というものがあり、海溝部の深海の生物は、その一つだったと、
私は感じています。
ですから、荒らしてはならない深海部や、
捕獲してはならない深海魚や、食べてはならない深海魚があるのではないかと
私は思うことがあります。
むろんそれまでも、漁師さんたちは、地元では、
深海魚を捨てずに食べることもあったでしょうが、
ビジネスに乗せようとすると、話は違ってきます。
日本は、漁獲量の低下や、中国によるマグロの買占めなどを懸念して、
「深海魚をビジネスにしようとした動き」が、
「東北沖の地震」を引き起こしたのではないかといった、
かなり「電波なこと」を、私は少し、本気で考えています。
たとえば、漁師が、何気なく捕獲した「深海魚」が、
実は、東北沖の、深海を守っていた、「大長老の魚」だった場合とかです。
しかし、こういう話、実は、よくあるんですよ。
山奥にあった、見た目は何の変哲もない木を、
切り倒してしまったために、
その山の麓の村全部が、壊滅したとか・・・・です。
実はその1本の木は「重要な木霊だった」ということです。
●こうなってこそ、やっと、金子みすずの詩の本質が、
生きてくるんんですよ。
朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう
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【リハーサル】
●既に、最近の投稿で書いたように、
今回の大震災と原発事故の問題は、
もしもそれを、逆手にとって「ラッキーだった」と定義するならば、
日本は、これから「世界で起きることを、先に経験している」という点です。
そのことを思えば、他人(他国や関西の人たち)よりも先に、
今後の地球の「リハーサル」を経験できている、というふうに考える
現状認識をしてもかまわないと私は思っています。
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【今だからこそ、膿を出せ】
●「共有現実」の中で、共有する必要のないものは、
>「こだまでしょうか。 いいえ、誰でも、ロクに考えていないだけです」
といった、「あの手の現実」です。
また、脳味噌が腐ったメディアが言う、
>「こんな時だからこそ、いがみ合ったり、責任問題を言うべきではない」
という馬鹿な認識も、共有する必要などありません。
こういう時だからこそ、普段から、どうせ偽善的な歩み寄りしか
出来なかったような人たちは、
もっと、正直に、異なる正論をぶつけて、「いがみ合うべき」です。
>問題が起きたときこそ対立も激しくあるべきです。
これは、ひとつの家庭の中でも同じであると、私は何度も言ってきました。
きちんと、いがみ合うこともしないままに、
問題が沈静化してしまったらば、
それは、「問題は、より悪化した」と見なされますから。
これはカウンセリングの大常識です。
●また、「責任問題を言うべきではない」というのは、
まさに、原発や、東電や、国が、自分たちに向けられる批判を
かわしたいから、マスコミやテレビにそういわせているだけのことです。
ですから、この混乱の中でこそ「責任の所在を追及すべき」です。
先日の、故・平井憲夫氏の、
「原発がどんなものか知ってほしい」は、
急速に、この数日間で拡散しています。
それは、私が言ったからではなく、同時的に、沢山の人たちが、
「原発の作業員について」調べようとした結果、たどり着いて、
事実に驚愕して、リンクしたり、ブログで取り上げて、拡散しているものです。
実際、グーグルで、検索をかけますと、
「3/18日前後の日付」で、
「原発がどんなものか知ってほしい」に関する
記事を、ご自分のブログにアップしている人たちが、かなり多くいます。
むろん、私とは何の縁もない人たちですし、
また、中には、昔から反原発をしていた人たちも、改めて、
「原発がどんなものか知ってほしい」の記事を取り上げているようです。
これから将来、日本が戦争に巻き込まれる事になるにしても、
少なくとも、その時に、原発はいりませんし、
食料や燃料の自給率を上げておく必要はあります。
これは共有しても良い現実のひとつだと私は思います。
■ちなみに、
「原発がどんなものか知ってほしい」の「嘘」、
というサイトがありますが、それに対して、
「原発がどんなものか知ってほしいの嘘」の「嘘」
というサイトがあります。
↓
http://d.hatena.ne.jp/JPLAW/20080220/1203522749
いくつかの、「原発がどんなものか知ってほしいの嘘」系のサイトを
見ましたが、「具体性が全くない」ことが目立ちました。
それらを書いているのは、「反反原発」つまり原発推進派や、
中途半端な知ったかぶりの理系の人。
結論としては、「原発がどんなものか知ってほしい」のコンテンツに、
きちんと「具体的」に証拠を出して、反論できているところは
私が見たところは、ありませんでした。
原発の「安全神話」と「危険神話」のどちらを信じるかとなったら、
もしもどっちも、都市伝説的な神話だったとしたら、
私個人は後者を信じます。
***************************
【自立の為に物質を選ぶ】
●この現実を共有することは、「個人」という形で、
宇宙的に独立した部分を問題にしすぎないために必要なことですし、
実際、私たちの身体や生活が、そうした歪んだ利権社会の恩恵で
維持されてきた、ということを知った以上は、
「自分が望まないものを受け取らない」ということが、
意識や自我に影響してくることは、何度も私は前に書いたはずです。
そのひとつの例が、機能不全家族から、あなたが抜け出すときに、
絶対に、自分が否定した親から、お金や物を貰うなというのと同じです。
もしも選べるのであれば、東電の原発からの電力など欲しくありませんから、
各自が自家発電にすればいいのですが、
それは、すぐには無理ですから、元凶である原発を全部、不要なものとして
停止してしまうのが一番理想的です。
自分だけが無農薬の食品を買えばいい、という論理も一理ありますが、
全体を無農薬の方向へと動かした方がいいのと同じです。
「意識」が経験する事を、バックアップしているのが、
私たちの肉体や知覚や社会ですから、
それゆえに、私はよく、「誰のどんなお金を貰ったか」
「誰からの、どんな思いのこもった物を、貰ったか」ということが、
あなたの運気ばかりではなく、
あなたの意識状態に大きく影響する、ということは何度も言いました。
ですから、自分が世話になりたくないと思う相手からは、
決して、一方的に、物やお金を貰ってはなりません。
ビジネスは等価交換するものがありますので、別ですが、
ニートなどやっている人は、
自分が、精神的に、周囲から完全に自立した魂になる気があるならば、
絶対に依存は駄目です。
「物質」を、侮ってはいけません。
そして今回は、
その、私たちの意識状態にまで影響してくる「重要物質」が、
食品や水や、人間関係だけではなく、
「電力」の領域にも、注意が向けられるべきでしょう。
***************************
【正常な不安】
●今回の震災の中で流れる情報に対して、
「不安を煽るべきではない」といった馬鹿な意見が、
ごく一部の「かなり馬鹿な人」によって発せられることがありますが、
そもそも、どうして「不安」がいけないのでしょうか?
なぜならば、「不安」には二種類あります。
ひとつは現実認識から来る正当な不安であり、
これは動物が本能として持っている正常なものです。
それを失えというのでしたら、その者は、人間ではありません。
否定されるべき不安とは、
「妄想の中で拡大する不安」のみです。
●きちんと不安になるからこそ、
発動してくる意識能力や本能があります。
瞑想ごっこなどして、間違った意味で「不安にならない精神」を
目指してきたとしたら、そういうのは、空念仏で、あの現実認識の
全くないことで批判されてきた「馬鹿オウム」と全く変わりありません。
●不安といっても、
糧になる不安、
被害を受けてもいい不安
精神的なダメージを受けてもいい不安というものが、歴然と存在します。
そういうものに対して「鈍感になろうとする」のが、
そこらにころがっているマントラヨガやカルト宗教です。
気づきどころか、より瞑想ごっこに現実逃避をして、
不安から目を避けて、「鈍感」になることで、「不安」を
解決できたように、思い込もうとするという、
精神世界で、何度も繰り返されてきた愚行です。
●一方で、喜怒哀楽と、不安や怒りを全部吸収し、
経験し、満喫し、なおかつそれが、妄想へと移行しないように
コントロールされたもの、それが高次意識が介在する、
「正常な不安 の中の 無不安」
または、
「無不安 の中の 正常な不安」である。
が、どちらも同じである。
ただ、その次元へと意識が入る方向が違うだけのこと。
最後に、
「無明庵」の「大鉄則」となる「教義」を、もう一度書いておきます。
>あなたの主観にとっては、
>他人のどんな死と比較しても、
>あなた自身の死よりも
>大きな事件は存在しない。
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