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●梅の間へようこそ●
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2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
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●無明庵日記「猫の足跡=その229=」■ Emergency-No.7 ◆「原発がどんなものか」「原発労働の実態」「原発奴隷」「原発ジプシー」「被曝労働」
by:
鈴木崩残
2011/03/26(Sat)09:44:23
原発労働の実態の証言者
◆これはドイツで放映されたもの。
↓
「原発がどんなものか」「原発奴隷」「被曝労働」「原発ジプシー」
などの用語でネット検索をすれば、こうした記事が見つかります。
◆原子炉の中の改装工事をした人の証言
↓
http://www.youtube.com/watch?v=zkSG9t_VvdU
◆頭から放射線を含む水を被る酷い作業を強いる
↓
http://www.youtube.com/watch?v=hmv-COwwCeo
◆「消耗品」としての「被曝作業者」なしには動かない原発
↓
http://www.youtube.com/watch?v=RgbNsaY2nIk
■他にも出てきた「原発労働」の実態を語る現場の声。
↓
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011032602000026.html
http://blog.iwajilow.com/?eid=564946
◆『30年目の真実、死亡扱いされていた原発親方』
樋口健二(フォトジャーナリスト)より引用。
↓
「もしもし、福岡の梅田です。相談に乗って下さい」
と電話があったのは5月中頃のことであった。
電話の主は29年前、取材途中で突然、姿を消してしまった原発下請けのひとり親方であった、
梅田隆亮(りゅうすけ)さん(74歳)である。
彼が原発定期検査に駆り出されたのは1979年3月に島根原発で
1週間、放射線管理区域で作業を行ない、いったん帰省して、
5月から6月に敦賀原発で約1ヵ月ほど定期検査の工事にたずさわった。
その結果、ひどい内部(体内)被曝を受け、長崎大学医学部のホールボディカウンター(WBC)で
計測をしてもらうと、通常では体内にないはずのコバルト 57・58・60、マンガン54、セシウム137
といった放射性核種が検出されたのである。
被曝データをもとに裁判に訴えようと動き出すや、梅田さんに直接仕事をまわしていた
下関の井上工業(日立プラント建設(株)孫請けで現在、倒産)社長と
日立プラント建設(株)東京)社員が九州大学病院放射線科へ連れてゆき、
「異常なし」の診断書を作らせたばかりか、
暴力団まがいの所からいやがらせの電話を何回も受け、
「家内がノイローゼになりそうなほどだった」と顔を曇らせた。
そのころ「パァーと鼻血が出たり、脱力感」で悩んでいるとき、
「仕事料」の名目で106万円の振込みを受けた。それは実質的な裁判つぶしであった。
忌まわしい現実に直面していたので、「わずらわしさと生活を立て直さねば」という思いで
姿を隠さねばならなかった」と語った。
私への電話のきっかけは2008年9月に松江労働基準監督署へ
原発被曝の労災申請を提出したことに始まる。
そのことがNHK島根放送局によるヒューマンレポート「元原発作業員の救済を求めて」
として中国地方で放映された。
その後、「電話が鳴りっぱなしでたいへんな反響だった」と振り返り、
新聞、雑誌などから取材を求められていた。
梅田さんは、私の著書『闇に消された原発被曝者』(御茶の水書房)に
自分の被曝実態が取り上げられていて、
信用のおける文章だったからと電話をかけてきたのだと言う。
29年間の空白が一挙に縮まった。
姿を消して以後、天職であった鉛溶接の仕事を続けてきたわけだが、
時々「突然鼻血が出たり、倦怠感に悩まされてきた」と言う。
それでもあと5年で厚生年金の受給資格が取れるという矢先の2000年3月28日に
「急性心筋梗塞」で倒れた。ゴルフ場の芝生の上でのことである。
救急車で飯塚病院(福岡県飯塚市)に搬送された。主治医の長澤一成医師から
「普通はハンマーで打たれたか錐で刺されたような痛みを訴える」と伝えられたが、
梅田さんの場合は「痛みも全然なく、ただ脱力感でダァー」と芝生に座り込んでしまった。
意識はしっかりしているのに立つことすらできなかった。
「10%ほどの生存率なのに奇跡的に生き延びてきた」と当時を振り返る。
復職しようと思ったが、「就労不能」の烙印を押され、厚生年金受給の夢も失効となって呆然とする。
「医療保障と家内の国民年金で貧乏しながら細々と暮らしてきた」とつらそうに語った。
そんな矢先の2006年に、「財団法人放射線影響協会 放射線疫学調査センター」
(文部科学省委託の調査を実施)から3回にわたりアンケート調査の資料が
梅田さんのもとに送付されてきた。
最初はめんどうくさいと「ほっておったが、これは何かあるんかと思い電話を入れた」。
すると「電話口に出た男性が名前をいっさい名乗らず、
『被曝者107人くらいの記録があるが、ほとんど亡くなっている。
梅田さんはご健勝ですか? ほんとうにご本人ですか?』と、あきれた口調で語った」という。
さらに、『すでに死亡していてもおかしくはない』とも話したのだ。
梅田さんの体内被曝線量がいかに高かったかを証明するかのようだ。
このアンケート調査は被曝線量の高い労働者や死者の遺族にあてて出されたもので、
被曝労働者を救済したり労災認定を行なうためのものではなく、
被曝統計を取るものでしかない。
梅田さんの病気や発症した日付と年齢からすれば「死んどる」と記されていたも同然だ。
現在も存命の梅田さんは国から死亡扱いされていたと言ってもよい。
アンケートにはさらに「死亡している場合はご遺族が何で亡くなったか、ご返事下さい」
と記されていた。
梅田さんは「私が生きとることがめずらしいんでしょうな」と苦笑した。
最後に届いた調査資料に連絡しなければ記録は抹消するというものである。
「家内が他の被曝で苦しむ労働者のためと言うので、長崎大学医学部付属病院へ検査に行った」のである。
2008年7月2日、WBC測定と診察を受けた。後に、1979年7月12日に測定した測定結果が
奇跡的に残されていることが判明した。
その資料によると、「梅田さんの体内から前述したコバルト、マンガン、
セシウム137と思われるガンマ線のスペクトルを探知していると推定されました。
梅田さんの体内に通常では検出されない放射性物質があった(内部被ばくの)可能性が高いと思われます。
当時、悪心、全身倦怠感、易出血性などの症状があり、病院の検査で白血球減少を指摘されたそうですので、
急性放射線症候群に近い被ばくがあった可能性は否定できません。
心筋梗塞の発症は(諸要因に加え)1979年当時の被ばくが関与している可能性は否定できない」
(要旨抜粋)との所見も得ている。
松江労基署の土江啓司課長も3回にわたり聞き取り調査に梅田さん宅を訪れた。
今年6月5日に同労基署から電話で
「現在、あなたの件はあまりにも被曝量が高いから、
厚生労働省で電離放射線障害の業務上外に関する検討会が立ち上がり、
支給・不支給を検討している」と知らせがあったという。
さて、梅田さんの被曝に至った原発内作業に触れておこう。
30年前、1979年3月2日より10日まで島根原発第5回定期検査と
敦賀原発第10回定期検査の5月17日より6月15日まで約1ヵ月間、原発内作業にたずさわった。
ひとり親方の梅田さんは4人の労働者を連れて、溶接の技術を活かし配管工事の仕事を請け負い
新日鉄などで働き生計を立てていたが、不況で仕事が減り、知り合いから
原発内作業を請け負う井上工業を紹介された。
「島根原発では、重装備ではなく普通の作業衣で働いた」と驚くような証言が飛び出すと同時に、
「民宿で食事中、敦賀原発で2人の作業員が足をすべらせて核燃料冷却用プールに落ち、
1人は這い上がって助かったが、もう1人は火傷というか皮膚炎がひどく亡くなった。
助かった人も1ヵ月後に死によりました」と、悲惨な現実が話題となっていたと言う。
原発の闇の世界も労働者たちの口コミで伝えられているのだ。
島根原発の仕事を終え、九州に帰ってしばらくすると敦賀原発に行くよう連絡が入り、
梅田さんを含め5人で定検作業に入った。
「毎日、宇宙人のような重装備で外部被曝計器を首から吊り下げて入った。
ご存知でしょう、マスクは全面マスクです。顔面をすっぽり包むので息と熱気でパァーッと曇り、
前が見えんようになる。汗が体中に吹き出す。
わしらガス切断機でパイプを切ったり溶接したりするが、マスクが曇れば仕事にならん。
いくら会社でマスクをはずすな言っても、悪いとは知りながらはずしての作業になる」と一気に語り、
「敦賀原発のほうは入った途端に100ミリレム(1ミリシーベルト)に
セットしたアラームメーターがビービー鳴る始末でした。
工期に仕事を仕上げねばならん。
わしらが安全管理を無視して仕事するから定検もなんとか形がつくがそうでなければ原発など動かん。
1人ひとりが持たねばならん被曝計器をまとめて老人に持たせても黙認されました」
と振り返り、「放射能があんなに怖いもんだとは知らんかった」とため息をもらす。
他の多くの原発労働者からも、私は繰り返し同様の言葉を聞いてきた。
「十分な教育をしている」と電力会社は口をそろえるが、放射線のほんとうの恐ろしさを教えない。
ほんとうのことを言えばだれも原発で働かないからだとも言った。
彼の証言には真実味とリアリティが込められていて、暗黒労働の本質が伝わってくる。
私も敦賀原発内定検中の撮影に入ってその実感を強く抱いたものだ。
敦賀原発の工事を終了した梅田さんはホールボディカウンター検査を受けると
2247ミリレム(22.47ミリシーベルト)という高い数値が検出された。
「本来なら2〜3日様子を見てからでないと原発を出てはいかんことになっていた。
連れて行った仲間に給料も払わなならん。無理して帰してもらった」という。
その直後、働けない身体となって今日に至ったのである。
私は30年間にわたって、被曝労働者の問題に焦点を当て追及してきた。
労働者たちを使い捨てる原発社会に未来のないのは必然的である。
一刻も早く梅田隆亮さんの労災を認定し、被曝に苦しむすべての労働者の救済に道を拓くよう切に願う。
***************************
>↓次は別のレポートです。
◆『野宿労働者の原発被曝労働の実態』−より抜粋
・松本さん(被曝労働体験者)の話
司会:では、次に移りたいと思います。
新宿で野宿している労働者の松本さんをご紹介したいと思います。
いま、藤田さんのお語にあったように、下続け孫受けの業者が、清掃等の形でくるわけですが、
はじめから原発の仕事だって公募することはまずありません。
松本さんの場合もそうですが、駅の手配で、仕事に行くときにも、
簡単な拭き掃除だということしか教えてもらえなかったと。
そいで連れて行かれたところが原発の中だったということです。寄せ場や野宿の労働者はおそらく
圧倒的にそういう形で連れていかれて、多くの場合は出てくるときに口止めをされているために
実態が明らかになっていない。儀たちもどういう業者なのかつかめていないので、
どこを叩けばいいのかわかっていない。実際中でどんな仕事をしてきたのか聞きたいと思います。
◆連れて行かれるまで
松本:こんにちは。私は新宿でみなさんにお世話になっております。
こちらの先輩の方から今日のお話を聞きまして、ぜひ自分の体験したことをみなさんに
わかっていただきたいと思いまして、おじゃまさせていただきました。
私ね、戦争で耳やられちゃってきこえにくいのでそのへん勘弁してください。
新宿でお世話になってるのは5年目、いいコケのはえてる親父です。その前はね、食い物のほうが本職なんですよ。
6年ぐらい、京都で仕事してまして,そいで契約がきれまして、東京へね、帰ってきたわけです。
まだ新宿のことは何も知らなかったんですよ。そいで退職金やなんかね、20万以上もってたんで、
正直上野で遊んでぶらぶらして、勝手なことやってたんですよ。
そのうち上野の駅でね、肩たたかれて、「君、何やってんだ」って言うからね、
「関西で仕事やってたけど、帰ってきてぶらぶら遊んでるんだよ」って言ったら、
「楽な仕事があるからね、半年でも一年でも働いてくれないか、責任持つから」って言うんですよ。
で、「どんな仕事か」って聞いたの。そしたら「お宅ね、年輩者だから、土方やなんか経験あるだろ」
って言うから、「ないよ、関係ねえから。食いもん商売だから」って。
「そいでも大丈夫だから、行ってやってみないか」って言うんですよ。
掃除仕事だって。ただ雑巾やなんか持って掃除してくれればいいって。それならね、
ぶらぶら遊んでてもしょうがないからって。そしたらね、私のそばにいた友達が一緒に
話を聞いてましてね、私も行ってみようかなって.
そしたら手配師が、「二人でも三人でもいいや.立ち話でもなんだから、喫茶店でお茶飲みながら
話しようや」って。コーヒーごちそうになったりケーキごちそうになったりして語を聞いたところね、
常磐線に土浦、荒川沖ってところがあるんですよ。
そこに一緒に行きましたら、手配師が電話かけましてね、迎えの車よこしたわけですよ。
そいで乗ってきましたところが、荒川沖って駅から、だいたい20分ぐらい離れたところにね、
会社っていうんですかね、飯場でね、前に来てたのがね、15から16人いたんですよ。仲間が。
そこでいろいろ話聞きましたら、責任者っていうんですか、職長っていうんですか、
私たちの面倒をみてくれる、世話役っていうんですか、その人に聞きましたら、
土方なんか絶対やらせねえからね。もう夕方も5時から6時には帰ってきて、遊んでりゃいいんだからって。
そいじゃあせっかく荒川沖ってとこまで来たんだから、帰るのもなんだからって思って、
やらせてもらいますって言いました。
◆作業
ところがね、最初はね、東海大学でもってね、二日ぐらい、いろいろ聞いたんですよ。
作業をね、どういうことをするか、つてね。研修っていうんですかね、早く言えば。
そいで3日目からね、朝、車にのっけられてね、前日にいった東海大学に行くのかと思ったら、
水戸を通り越して、東海村っていう、原子力の発電所があったんですよ。全然知らなかったの。
門前でストップしまして、職長さんていうんですか、それから世話役さん、一緒に行った会社の責任者、
そういう人がね、ちょっと用があるからって言って、私たちを置いてね、帰っちゃったわけですよ。
なんだ、無責任な野郎だなと思って。
そしたらね、原発のね、職員さんが「いらっしゃい、よく来てくれました」って。
なんもわかんないだろうから、こっち来てあたしの説明を開いてくださいって。
そいで連れて行かれた所で、以前、健康を害してないかとか聞くんで、
やせてるけど体だけは丈夫だよって答えて、
そしたら詰め所みたいなとこがあってね、着替えてくださいって言うんですよ.
おかしいなって思って。そしたら上下真っ白いやつを着せられて、作業服って言うんですか、
それとね、針とメーターがついたやつ、わかんないけどさあ、くっつけられて、
さあどうぞ現場へ行ってくださいって言うわけですよ.帽子かぶってね、マスクしてね.
何するんだろ−つて思って行ったところがね、さあ、仕事はじめてくださいっつったちね、
なんつったらいいんですか、煙突みたいなね、太いやつがあるんですね、
そこにね、梯子みたいなのがかかってるんですよ。それをかわいた布、はやく言えば雑巾みたい、
ちょっと薬品がついてるんですね、渡されて。
そいではしごの途中に体休めるとこ、高いとこですから、休憩所っていう動くように上がったり下がったり
するとこがあるんですよ。それに乗っけられてね、ここで仕事してくださいって。
どうすんですかって、とにかくここをきれいに掃除してくださいって。中を。
そいで、台がぐるーつと回るんですよ.
藤田:それは煙突の中ですか。
松本:中。そこをふいてくださいってね.においかいでみたけど,なんの薬だかわかんないけど、
においがするんですよね。そいで1時間ぐらいやると、30分くらいで休憩だって言うんですよ。
こーりゃいいや、楽ちんだって(笑).ところが、やってるうちにね、「ガーガーガー」って鳴り出すんですよ.
藤田:何分ぐらいで鳴りました?
松本:15分から30分ぐらいの問。そいでね、赤いレッドゾーンて言うんですが、これがオーバーして、
針がピーピッてものすごい音が鳴るんですよ、こっちはわからないから一生懸命やってると、
「はい、きゆうけ−い」って。そいでまだ休んで,またやる。針がもとに戻っちゃう。
そいで始めると、針がピーッて。おっかしな仕事だなーと思って.
◆具合が悪くなる
そいでね、二日三日はなんともなかったんですよ。私と一緒に行った友達も。
そしたらねえ、5日か6日、だいたい一週間ですね、夜、会社へ帰ってきて食事しても、
なんだかねえ、風邪ひいてんのかな、体がだるくてね、痛いとかそういうんじゃないんですよ、
わかんないけど、なんだか知らないけど、体がだるくてしょうがねえなあって仲間と話してたんですよ。
そいでねえ、ちょうど3カ月目です.私ね、戦争で耳が悪いんですがね、のどはなんともなかったんですよ。
ところがねえ、会社帰って寝ると体があったまってくるでしょう、そうすると苦しくてしょうがない、
ごほんごほんってね。そいで責任者にね、体温計貸してくれって言うとね、一応貸してくれてね、
38度あるんですよ.そいで朝になって、寝不足だけど、やっぱり起きろ仕事行けっていうから、
ほいで行ったけど。自分でも考えたんですよ、こんな喉痛くなるような覚えないんだけどなあ、つて。
悪いけど、やめさせてくださいって、調子悪いから。ここやめて東京帰って医者にみてもらうからって。
自分の体だからね.そうしたら、我慢してやってくれって言うんだよね。
でもね、5〜6年前の一日の日当がね、1万5千から1万8千くれたんですよ、だけど、そんなお金もらったって、
体に代えらんないもん、命に。悪いけど勘弁してくれって言って。
◆友達の死
一緒にいた友達にね、どうだ、具合悪くないかつて開いたけど、
「今んとこ俺なんともないけどなあ」って.でも一緒に帰ろうやって。この方はね、秋用で農家の方、
農家だけでやってかれないから東京出てきて、奥さんと子供と住んでて。
で、私は一人で東京へ帰ってきて、その方はどのくらい仕事やったかわからないけど、
ご無沙汰しちゃったんですよ。
そしたら最近ね、私の子供がね、浅草にいるんですよ。
子供が、「親父さんこういう人から連絡あったけど知ってるかいって言うんですよ。
ああ知ってるよ、なんだい、って。そしたら、死んじゃったよって。
なんだい、あんな丈夫で、だるまさんみたいにころころしてたのに。お葬式に行ったんですよ。
そしたら、奥さんが泣くばかりでね。子供も下が小学生でねえ。どうしたんだいって聞いたら、
あれから一年ぐらい余分にやったんだって。いわゆる白血病になっちゃったんだそうですよ。
治んないそうですね。そいで最後のお別れに、お棺の中を見たら、あんなふさふさしてたのがねって、
私よりやせちゃっててね、食事も全然受け付けなかったそうですよ。
どうだい、奥さん、最後は苦しんだかって聞いたら、苦しんで苦しんで苦しみぬいて逝っちゃったって。
正直、私も泣いちゃったですよ。
またこういう原発の問題が起きてるんですよね。私は、自分らがそういうふうに友達をなくしてるし、
原発を経験して、もう治らないって言われた喘息もってるから、これはそういう仕事やった影響だって
医者に言われましたよ。一時直す薬はやるけど,もう直らないよって。そういう体ですからね。
絶対仲間を行かしちゃだめです。体張っても絶対反対します。
一カ月ばかり前に、また上野と新宿でね、私が知ってる熊川って手配師のボスが死んじゃって、
その子分が上野とか新宿とか池袋とか、原発の仕事引っぱりに来てるんですよ。
先日、仲間の人には黙ってますけど、手配師見つけたから、
また引っぼりにきたのか、いい加減にしろって.
いや、そうじゃねえよとか言ってたけどさあ。
池袋の仲間、馬場の仲間 こういうの経験したことないから。
今ね、日当ちょっと上乗せしておいしいこと言われれば、
仕事がないときだから、話にのっちゃうかもしれないけど、
私はもう絶対反対ってね、それだけはみなさんに言いたい。
ここでよけいなおしゃべりしましたけどね。これからも何かの集まりがあったら参加させてもらって、
絶対反対の運動の仲間にいれさせてください。よろしくお願いします。
司会:もうちょっと具体的に聞きたいことがあれば。
藤田:最初、東海大学で二日間研修があったと。どこの東海大学ですか。
松本:大洗かどっかの。最近できたとこらしいです。
藤田:そこでどういう話を聞いたんですか。
松本:それはね、知らない人は、こういう仕事だっていうと反対運動だとか、
いろんな話をふきこまれるだろうけど、決してそんなことはありませんから。
もし何かあったら、職員のほうで責任持ちますからって言われましたよ。
じゃあ、厚生年金もつけてくれるのかって聞いたら、やりますって。国家的事業ですからって。
ずいぶんでかいこと言うなあって思ったんだよ、おれは(笑)。
なすび:安全のためにこういうふうにしないさいって話はありました?
松本:ありました。ふつうの土方と違って、一日やってるわけじゃないから。
疲れたなあって思ったら、ひとこと言ってくれたら、休憩して休んでくださいって。言うんですよ。
ずいぶん調子いいなあって。でもここにつけた赤い針がオーバーしてくると、
ガガガガッて鳴るんですよね。少し休むと戻る。
藤田:戻るっていうのがわからないなあ。あー、ポケット線量計か。計は針があがって下がる。
もう一つアラームメーター、ピーッて鳴るやつは、設定されたところを越えると鳴りっぱなしになる。
あともう一つフィルムバッヂっていうのを持ってて、それは現像して後でわかる。写臭があります。
なすび:まっちゃん、こういうの(岩波ブックレットの中の写真)?
松本:あ、そうそうそう。
藤田:白い作嚢着でしたか? 赤とか黄色ではなく。
松本:真っ白です。
藤田:目は?
松本:防塵マスクかぶって。オートバイのる人がするようなね.
藤田:作業区分としては、たぶんパイプの内部の除染作業ですね。大きさほどのくらい?手で握れるくらい?
松本:ふたまわりくらい(手を抱えるようにして)大きかったかなあ。
藤田:縦ですか? 長さは?
松本:縦。長さはそりゃちょっと見当つかないですねえ。
藤田:「ほうかん」、っていうのいたでしょ。放射線管理者。現場監督。
松本:職員さんですか?いましたよ。私らが乗っかってる下にいた。中にはいない。
作業状況をチェックしてるわけだよ。
藤田:鳴ったら出てきなさいとは言わないわけですか。
松本:言わない言わない。
参加者A:行ったのは、東海村の原発?動燃でもなくて原研でもなくて?
松本:一番先にあるんだよ。
藤田:あそこは、最初は動燃、それを通り過ぎると、原研があって、
第二原発があって、第一原発があるんですよね。
松本:そう、一番奥。
藤田:じゃあ第二か第一だな。3カ月間ずっとそれをやったんですか? 同じ場所で?
松本:そう。単調ですよ(笑).
参加者A:ずっとトンネルの中を上から下まで。かわいた布で。
松本:そうそう。薬品みたいなのついてんですよ。かすかに匂いはしたけど。
参加者A:マスクはどんなマスクでしたか。
なすび:ここに二つあるんですが。目が出るやつと、目が出なくて全部のやつと…
松本:これこれ(目が出る方を指して)。これにゴーグルをして。
参加者A:全面マスクですね.
藤田:僕も現場行ったことあればいいんだけど。行った人も迷路みたいだって。
松本:仕事終わって帰ってくるでしよ、また行くでしょ.
作業服とかね、前の日自分が使ってたやつと達うんですよ。
どうしたんだよー、きのう着てたんだよーつて言うと、こっち使ってくださいって。
参加者A:新しいのなんですね。
藤田:作業服を着るときは、パンツ一つになって、全部着替えた?
靴下はいて?長靴はいて?手袋も何故か?
松本:二枚か三枚か.
藤田:かなりのとこ行ってるんだね.
藤田:仕事やめるときに、放射線管理手帳という青い手帳もらいました?
松本:くれないよ。
藤田:亡くなったお友達も持ってなかったですか。
松本:持ってないですよ.それで奥さんが怒るんだよ。
藤田:それがあると,被曝したという証拠になるんですよ。無いと、喧嘩にならないんだよね。
法律で決まってるけどくれないんだ。
松本:だから奥さんが「殺されたんだ」って言うんだよ。
参加者A:生年月日を聞かれたり、身長と体重とか聞かれた?
松本:聞かれました。
参加者A:じゃあ作ってることは作ってるんだ。
藤田:なぜ渡さないかというと、あいつら労働者はなくすからだって言うんだよね.
住民票を持ってこいとは言われませんでしたか?
松本:いやー。手配師が引っぱってくだけだから。
藤田:このあいだ東電に聞いたら、アジア人の労働者であっても、
原発労働では差別しませんという言い方をしてた。(一同 笑)
参加者A:いつごろ働いてたんですか。
松本:新宿にお世話になって5年で、その半年前だから・・・
藤田:5年前の3月からですね。つまり1993年の3月から6月。お友達は、それから1年以上いたんですよね。
翌年の春ぐらいまでいたんですか。亡くなったのはいつですか.
松本:先月です。
藤田:98年の10月に白血病でなくなったと。
参加者A:飯場はどこにあたんですか?
松本:荒川沖
なすび:東海村の中にはなかったの?
松本:ないない。荒川沖。
参加著A:じゃあ、会社の人が毎日荒川沖まで送っていくわけですね。朝は何時からですか?
松本:そうですね、朝の食事して一服して、8時前後だね。夕方は5時ぐらい。
後かたづけとかすると6時ぐらい.
よけいなことしゃべりますけど、2、3日前、イヤホンつけてラジオ聞いてたんですよ。
国会議員かなんかえらい人が、国会討論だとかで、厚生大臣とかがおしゃべりしてるのを耳にしたんですよ。
この不況とか日雇いとかの状況についてね、原発の仕事しなさいって。
大空の下に寝っころがっている野宿労働者を国家的な事業につかせなさいって。
ほいであたし頭来ちゃって。
人を殺すのは刃物だけじゃないですよ.
いくら言論の自由だって言ったってね、とんでもないことですい。
だいたい、政治家とか国会議員が一言でも口にするべき言葉じゃない。
樋口健二氏講演
(1)巨大原子力産業がマスコミをコントロールしている
この国は地震大国なのにビルをバカバカ建ててるでしょう。
ここ大阪もそうだけど、東京なんかひどいもんじゃないですか。
ニューヨークのマンハッタン以上ですよ。
これを建てたのにはね、理由があるんですよ。
それは電気を使うためですよ。
日本人は僕も含めてみんなバカなことやってますよね。
だから、本当はもう電気は要らないんですよ。
それよりも、労働者を殺すことをやめましょうと、今日は訴えに来ました。
大阪でもたくさんの労働者が原発を渡り歩いています。
本当にすさまじいもんです。僕の集めた資料だってすごいもんですよ。
今日はちょっとしか持ってこなかったんですが、資料を見るとすさまじいことが分かりますよ。
原発は全国の労働者を必要としていますから。
何百万という人間が原発には必要なんですから。
この話をしないから、
みんな原発はコンピュータで動いているという認識を持ってしまったんですよ。
それはマスコミがそのように報じたから。
僕に言わせると、いちばん悪かったのはジャーナリズムです。
今日はジャーナリストの方はいらっしゃいませんか?
なぜ、こんなことをしたんでしょう?
真実を伝えるのがジャーナリズムですよ。
僕はその真実を伝えるために三十数年かかっています。
日本のマスコミが伝えない理由は簡単なんですよ。
日本のジャーナリズムは、NHKも含め全部、国や企業から金をもらっているんですよね。
だから本当のことを報道できないんですよ。
皆さんの視聴率の影響なんてわずかなもんですよ。
みんな原発から金をもらってるんですよね。巨大原子力産業です。
ところで、皆さん、原発をどのように思っておられましたか?
原発というのは電力会社がやっていると思っていたでしょう?
電力会社が電気をつくるのは当たり前だと思っていらっしゃるでしょう。
ところが現実はそうじゃないんですよね。
三井グループ、三菱グループ、住友グループ、この三大財閥が、
原子力を根底から支えているんです。
これじゃあ、かないませんよね。
ジャーナリズムなんか簡単に抑えてこれたわけですよね。
その上に東京原子力グループなど、日本には原子力グループが5つあって、
日本の政治を根底から支えているんですからちょっとやそっとじゃかないませんよ。
だから、30年経とうが、40年経とうが原子力が止まらなかったのは
そういうことなんですよ。
(2005年7月2日 大阪市立生涯学習センターにて)
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