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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1609]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その345=」■福島原発事故■いいかげんすぎる人工地震説■
by:
鈴木崩残
2011/09/26(Mon)19:24:39
●つまらない話題に行く前に、まずは、
爽やかな、ガンダーセン博士の説明から。
↓
______________________________________________________________
人工地震説のいいかげんさ
■この話題は、うっとおしいので、少し前の投稿でも「陰謀脳」として
小馬鹿にしておきましたが、
あまりにも呆れるような主張を見つけたので、これだけは言っておきます。
まずは、
>地震が20分おきに発生しているから、自然現象じゃない、人工地震だ
とか言っている「アホウ」について。
『実際の余震の記録』(ただし震源域は一箇所ではありません)
3/11日の14:24から15:36の規模の大きかった地震です。
↓
出典はこちらです。
↓
http://p.tl/Vd7d
M6以上のだけを書き出しますと、
↓
☆14:46 M9.0 三陸沖
14:51 M6.8 福島県沖
14:58 M6.4 福島県沖
15:06 M6.4 岩手県沖
15:08 M7.4 岩手県沖
15:12 M6.1 福島県沖
15:15 M7.7 茨城県沖
15:25 M7.5 三陸沖
◆一方で、陰謀説が主張している発生時間と、こじつけは次の通り。
なお、陰謀説は「同じ震源域」で起きていると主張。
↓
☆ 14時46分 M9.0
>> 20分間隔(ただしこの時点では単なる偶然の間隔時間。)
☆ 15時06分 M7.0(実際はM6.4で、しかも本震は三陸沖だがこれは岩手県沖である。)
>> 20分間隔
☆ 15時26分 M7.2(実際はM7.5で、実際の時間は15:25です。)
>> 20分間隔
☆ 15時46分 M5.7←(中規模なのでこれは抽出する必要は全くなし。)
こうしてみると、15:08のM7.4が指摘されていない。
(震源が岩手県沖だから違うと主張するのか、または20分間隔でないから無視したかったのか?)
また15:26と称しているのは、正式な記録では「12:25」です。
最初の「20分後」だと主張する15:06のも、
M7.0ではなく「M6.4」と規模が劣り、しかも「震源」が違います。
さらに「15:46」のは、平時でも起きているような規模が小さい地震であるので無視すべき。
>前述の「リンク先」の「出典」にある図の「下方」に、
規模の大きかった余震の震源と発生時間と地震の種類の「一覧表」がありますが、
その表中には、この15:46は含まれてすらいません。
■そして、そもそも、物事の「間隔時間」が一定で連続しているのがどうかを測る場合には、
「最初の二つの間の時間」は、任意に偶発的に定まるものなので、そこはカウントしません。
つまり、たとえば地震が3回起きた場合、
2度目と3度目の間隔が、1度目と2度目の間隔と同様の間隔時間だったときに初めて、
「2度同じ間隔で起きた」と主張できます。(3度ではありません)
そうなると、
>発生時間・規模・震源域を、きちんと正して、
>「M7.0以上」と「M6.0以上」のどちらで抽出しても、
>わざとらしく20分おきに起きたと主張できるのは
>「 ゼ ロ 回 」です。
■いいかげんすぎるな、と思って、
当日3.11の14時46分から1時間後までのデータと、
「地震・20分間隔」の用語でネットを検索して、ちょっと調べたのですが、
さっそく、ちゃんとしたブログが見つかりました。
↓
http://jinkoujisin.blogspot.com/2011/09/blog-post_08.html
■この記事の中では、ちゃんと「この同時間帯」に起きた「他の全地震のデータ」があります。
これを見ると、間抜けな船井幸雄のこじつけも、いいかげんにしろ、
という事になります。
ちなみに、このブログの方は、今まで見たなかでは、
きちんと、反証していますし、スタンスとして、「中立」を
心がけているところが好感が持てます。
地震兵器それ自体が存在していることと、
それが「今回の3.11で、実際に使われたかどうか」をきちんと区別しているところも、
スタンスは私と似ています。
陰謀脳の人達のほとんどは、アホウですが、
逆に、陰謀否定をする側も、どうもイマイチな人達が多い中で、
このブログの記事は、お勧めです。
↓
http://jinkoujisin.blogspot.com/
_____________________________
陰謀論唱えて、宗教疑わずの頭
■私が宗教が大嫌いな人間であることは、ここの皆さんは熟知している
わけですが、
それは、無神論ではないが、絶対神など信じていないという意味です。
このスタンスは微妙に説明が難しいので、今回は省きますが、
陰謀脳の人達って馬鹿だなと私が思う一つの理由は、
彼らは、政府とか政治の世界については、さんざんに陰謀論を唱えるのに、
こと宗教の問題になると、からっきり、ポチのように従順だからです。
■とはいえ、私がここで言っている宗教とは、
何も、霊感商法の詐欺をしている連中とかオウムのカルト宗教や、
その他、有名な新・宗教、トンデモ系宗教のことを言っているわけではなく、
「一般宗教」のことです。
つまり伝統があるとされている世界中の宗教から、
ローカルな宗教まで、あらゆる種類のものです。
それに対して、おそらくは、陰謀脳の連中は、
「それは、個人の持つ信教の自由の問題であり、政治的な陰謀論と関係ない」
とか言いそうですが、
どうして、陰謀脳を持つ連中は、彼らが自慢げに語る分析力を、
伝統的と称する宗教に対して、向けないのでしょうか?
たとえば、陰謀脳の人達が敵視している「ユダヤうんたら」ですが、
そもそも、その狂信的な馬鹿どもの支えになっているのが何かといえば、
「選民思想」です。
だったらば、彼らの選民思想の元となっている神話や宗教を、
「こんなもの、デタラメじゃんか」と論破すればいいだけです。
思い込みの根底が崩れれば、
人間の精神など、あっと言う間に崩壊するのですから。
■ちょっと考えれば、御伽噺に、毛の生えただけといった宗教や、
その宗教が単に政治的な画策によって、広められただけであったり、
逆に、弾圧されただけてあったり、
奇跡と称するもののほとんどに何の証拠もなかったり、
あっても、そんなもの、悪霊の仕業でも全く不思議ではないものも多く、
そういう意味では、人間というのは、どうも、
宗教的心情、またはその分野に対して、分析のメスを入れようとしないことが多すぎます。
■しかし実は、人間の思考構造の中で、最も害悪をもたらしているのは
この「宗教的な強迫観念」であることに多くの人は気づきません。
笑ってしまうような話ですが、
未だに大の大人がキリスト教を信じているという事自体、
私には信じられません。
それを言ったら、仏教神話もそうなのですが、
偶像や、それにまつわるシンボルの意味づけなど、全部人間の作り物ですから。
そんなものを、拝んでいる方が馬鹿です。
たとえ、それが竜神であっても、なんとか観音やらであっても
偶像や宗教絵画を祀り上げるのは、同じ愚かさです。
どうせ信じるならば、
「どうやら、この宇宙には、いろいろな奴がいるらしい」という程度に、
クールダウンして、押さえておくべきです。
■とにかく、ここの人類というのは、どうやら、
>誰かが自分を見守ってくれていて、
>しかもその上、優しく自分のことを、肯定してくれていないと気が済まないといった、
宇宙的基準で見れば、「極めて、幼稚な精神状態」にあるようである。
しかもその上、肯定だけされていると不安になるらしく、
>ときどき「お前のココは間違っている」と、叱られたくもあるという
全くもってして、幼児的な状態なのである。
そんなこと、いちいち、神仏にすがっていないで、
「自分で判断しろ」の世界である。
■「そもそも論」から言えば、もしも宗教からすべての虚飾をはがしていくと、
残るのは数理的な原理や記号、つまり「法則」というものに
行き着くわけですが、
問題なのは、その法則には普遍性がないということです。
(行く、先々の宇宙の構造によって、法則が微妙に変わってしまう)
ある一定の環境と条件下でしかその法則は作用しないということ。
その上さらに、その法則が作られた理由や、その背景や、
あるいは、誰がいつ、何のために、その法則を作ったのか、
というところまでは、思索が到達しておらず、
よって、宗教のエッセンスをどれだけスマートに解析して応用できたところで、
それは、「海でどう泳ぐか」の知恵を得るだけで、
「どうして海が存在するか」の答えを得ることは出来ないということです。
■さて、この手の話は高度に面倒な話になるので、今回はおいておいて、
「下世話な話」に戻しますが、
陰謀脳は持っていても、真の分析力を持っていなければ、
「宗教はどう人間を騙したか?」も分からず、
その先にある、「神々はどうやって人間を騙したか?」も分かりません。
■それが分からないのであれば、底辺でうごめいている陰謀など
どうでもいいことであり、相手はたかだか、人間のアホウです。
しかし、私が今日まで、やろうとしてきたことは、
人間を相手に出来るだけではなく、人間ではない者を相手に出来る、
そういう人達の量産です。(量産は難しいですが)
>ぶっちゃけ言えば、今すぐに、他の天体の他の種族や、
>他の生物や、他の知性を持つ組織の中にぶち込んでも、
>そこでも、最低限度の、明晰な意識と、知性と理性と、論理思考を持てる、
>そういう人材を私は育てようとしているだけです。
■しかし、そのためには、見たり聞いたりするという自分の知覚そのものを
常に疑う資質と経験が必要です。
また単に疑うだけではなく、自分が許容した範囲にそれを設定し、
一時的に知覚情報を、自分の目的に応じて利用できる必要があります。
もっとも、そんなもの、宗教を安易に信じるような人達の中には
一切存在しません。
■今の地球人のレベルだったらば、洗脳する側が人間でなければ、
どんな洗脳も、簡単に出来てしまいます。
>しかし、どうも私はそれが心地悪い。
それが今日、無明庵がここにある大きな理由の一つです。
そもそも、生物が生存している理由など、
そこに「心地悪いものがある」、という以外にはありませんから。
■そして、私が宗教に吐き気がするもう一つの理由は、
そこに関わっている人間の、誰一人として、幸せそうな者はいなかった
という現実です。
何かに関わっている人を見たときに、その人達が、偽善者ではなく、
偽善的にではなく、真に楽しそうであったならば、
私もその分野を多少は評価できますが、
何らかの宗教を信じている人達の中に、私はただの一度も、
幸福そうな人を見たことはありませんでした。
私は、12歳か13歳ごろから、そういういくつかの分野の大人たちを
観察してきましたが、幸せなふりをしているだけで、
本当に幸せな人は、ただの一人もいませんでした。
逆にむしろ、宗教とは縁の遠い人達の方が、
よっぽど精神的に健全な人達が多くいました。
そういうわけで、宗教信者たち自身の、あまりの不幸そうな
陰湿なツラが、私にとっては、その世界は価値なしと、断定した理由の一つです。
陰湿なタイプではない場合には、極度に軽薄で、傲慢で、
価値観や、理想の低い人達が生み出す、軽薄な笑顔しかそこにはありませんでした。
■むろんこの世界の宗教の基礎となった神話や教義については、
ある程度の分析はしましたが、
バラバラにしてゆくと、本当に使えるパーツはごく僅かしかありませんでした。
瞑想や座禅をする馬鹿者たち
■では、「悟れば宗教なんざ必要なくなるのか?」といえば、
答えは明確に、YESである。
従って、素人さんが、一見すると、
これが、自分が精神的重圧から楽になれて、しかも宗教とか
面倒なものを信じなくても、結果が得られそうな、楽な道だ、
とか、トンデモな勘違いをする輩が、本当に多かったのが、
座禅とか瞑想とかいう世界でした。
先に言っておきますと、この世界でもまた、
私は、ただの一人も、幸せそうな人を見たことがなく、
その精神の歪みと、稚拙さたるや、宗教信者に負けず劣らずのものでした。
■ですから、その分野も、「駄目だ」と烙印を押しました。
結果が出ていない分野は、その分野自体が使い物にならないか、
または、その分野を担当している現在の指導者が、使い物にならないか
そのどちらかです。
■私は地球上にある、どのような宗教も、本当にくだらないと
心底、軽蔑していますが、
その中で、100歩譲って、「美」を感じるのは、
ごくごく僅かな、大昔の禅師たち、または禅僧たちの言葉のみです。
それも1000頁の禅の逸話の中から、寄せ集めたら、
たったの数ページにしかならないぐらいに、少ないものです。
その僅かな文言から、どの言葉を言った者が、
確実に、彼らの意識に根本的な変質が起きたか否かを、
私は明確に区別して、判断できますが、
それは、普通の生活をしている人が頭を突っ込むべき分野ではありません。
■何度も私が言ってきたように、
意識それ自体に、緊急事態が起きないかぎりは、
それ(瞑想や座禅)は全く必要のない「摘出手術のようなもの」であり、
それは、生活や自分に不満のあった人間が、
一発逆転をもくろんで足を突っ込むような分野ではありません。
それまで役に立っていた正常な細胞が、反乱を始めて本人を
蝕み始めたという段階になってこそ、はじめて行う意味が出てきます。
■つまり、自分が満足したかったことを、すべて満足し尽くして、
達成したいことは、物質的にも、精神的にも、感情的にも、何もかも、
全部手に入れた、
・・・だが、まだ何かがおかしい・・・
そういう切羽つまったところにまで、生命を生きた人のみが、
そこに足を自然に踏み込むのであって、決して「それ以前」ではありません。
■しかし、世の中を見ると、本来は、自分の全生命を賭けて、
刺し違えるほどの覚悟と困難さがあるその道(瞑想や座禅)を、
やれリラックスのためだの、やれ願望実現のためだの、
やれ、心の安定のためだの、やれ能力開発のためだの、
こんなものは、全部、瞑想や座禅をする「遥か以前に」、
始末をつけておくべきものです。
こんな「汚らわしいもの」を断じて、瞑想や座禅の中に持ち込まないで欲しいですが、
未だに、皆さんが関わってきた瞑想団体というのは、そんな程度のものなのです。
たとえ、それが和尚の関連団体であっても同じです。
彼らは、少しは、「恥」というものを知ったらどうなんでしょうね。
彼らは死んでも、自分の師に、絶対に顔向けできません。
■そういうわけで、私は宗教も大嫌いならば、
瞑想や座禅という世界も大嫌いである。
むろん、そこに関係しているような人達も、大嫌いであり、
人間として、それ以前に生命としてすら、汚らわしいとさえ、思います。
無明庵というところが、その出版物の内容の傾向によって、
そういう、汚らわしい人達を、多く引き寄せてしまったことを
私は深く、悔いていますが、
そもそも、無明庵というのは、
>生命に発生する「心理苦」の原因解明が、その大きな主軸だったのであって、
皆さんに、娯楽としての精神世界を提供する場所ではありません。
その結果、苦の発生原因への探求ではなく、
オカルトや悟りの話題などに釣られてここへ来た人達が、
今までに、自分が自他に対してしてきた愚行の責任を自分で取れるほど、
成熟しているとは、とても思えません。
しかし、仮に、その人達に「責任を取れ」といっても、
自我が希釈された状態では、それは、100%不可能です。
■そういうわけですから、人間の根本的な「修理法」が見つかった以上は、
それで自我を修理し、来るべき「あなたの死」に、備えるしかありません。
実際に、あなたが、死ねば、
いろいろなことが分かると同時に、
いろいろなことが、分からなくもなるものです。
常に、その両面が、「肉体の死」には、つきものです。
■既に言ったように、私は、
皆さんが、実際に、死んだときに、
皆さんが、人間以上の存在たちに、そう簡単には、騙されない、
そう簡単には、従属しない、そう簡単には、相手の言うことを信じない。
そう簡単には、ほいほい喜んで「知らない人」には、ついてゆかない、
そういう最低限の意識、自我、記憶、知性を、
生きている間に、自我復元をして、
この地球上で養って欲しいと思っています。
それが出来るようになれば、
悟ることなどは、到底無理でも、
少なくとも、地球外の他の生命体と、
(限界はあるものの)ある程度は、対等に交渉できるぐらいの、
最低限度の、知能や意識は備わりますから。
そもそも、大昔の原型自我の時代には、
誰でもそれぐらいの自主性はあったのです。
自我さえ、分割希釈をされなければ。
言うまでもなく、「タイムリミット」は確実にあるのですから、
屁理屈を言って、自分の妄想を正当化している暇などないのですから、
作業は、極力、急いで下さい。
・今回の話題は、書く場所を間違えましたね。
隣の「桜の間」掲示板にすべきでした。
↓
http://www.mumyouan.com/k/sakuranoma.html
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