▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1630]
■
●無明庵日記「猫の足跡=その383=」■インターネットでどんどん馬鹿になる人々■
by:
鈴木崩残
2011/11/16(Wed)05:12:47
>「桜の間」も更新しました。
__________________________________
インターネットで
どんどん馬鹿になる人々
●まず、いくつかのタイトルだけを散りばめておき、
のちに、内容を更新してゆきますので、たまに更新ボタンを押してください。
【死ぬ前に、あるいは死んだ後で、
時間を無駄にし続けた事を後悔するだろう】
●もしも貴方が、この先、ここで生きていれば、
おそらくは数十年後に、自分が生きたこの時代(2011年あたり)を振り返り、
「なんと、多くの貴重な時間と機会を無駄にし続けたのだろう」と
大きな後悔をするだろう。
もっともそのような後悔が出来る人は、まだマシな人たちである。
また、生きていなくとも、死後に自分の人生を振り返ったときに、
いかに多くの時間を、くだらないことに費やしたのかに後悔するだろう。
この場合の「くだらない事」とは、
やらなくても良いような事に使ってしまった膨大な無駄な時間である。
せっかく与えられた時間を無駄にした、というだけでも、
その人は、次の生命を経験する資格を剥奪されてもいいぐらいであると、
私は思っている。
なぜならば、その者たちは、生きて経験することに興味があるのではなく、
暇つぶしにしか興味がなかったのであるから。
●1997年からこのサイトに私は私見を書いてきたが、
一環して、次のものに中毒するなと、警告をし続けてきた。
そしてまた、そうしたものに中毒する人々を、私は嫌ってきた。
その理由は簡単である。
その人たちが、それによって、賢くなった形跡が何ひとつもないからであり、
より愚かになってゆく様相しか見たことがないからである。
では、時代の古いものから、私が軽蔑する人たちの特徴を書いてゆきます。
■読書好きの者たち。
私はこの人たちの中に、知性のある者を見たことがほとんどない。
読書好きというのは、当然のこととして、昔であれば紙の本を読む人たち
ということである。
一見すると、この人たちは、本を読んでいるのだから、知識があったり、
話が面白かったり、人格的にも多少は優れていると思いがちである。
ところがどっこい、読書家には二種類存在する。
ひとつは、読みあさるのではなく、何かを創り出すため、あるいは、
何かの行動の為の知識として必要だから、それに必要な知識を「探して」読む、
というタイプである。
私は生きてきて、このタイプの読書をする人には、本当に少数しか
会ったことがない。このタイプの人たちは多くの場合に何かの専門家になっている。
●次にその他の大半を占めるのが、ただの読書好き。
ある意味で、これはただの「漫画好き」とほとんど同じである。
その対象物がいかに、社会的に評価されたりしていようが、
私から見れば、どうでもいいような小説を読み、どうでもいいような本を読んでいる人たちである。
この人たちの頭の中を見ると、原則としては、現在ネット中毒している人たちとさして変わりない。
目的もなく、漠然とネットサーフィンをしているのと同様の状態が、
昔は、本屋や図書館で起きていただけの話である。
■次にテレビ。
今では、テレビを見ると馬鹿になるというのが常識だが、
ただしそれはテレビが嘘を流すからというのが主たる理由だ。
しかし、私に言わせれば、嘘だろうが本当だろうが、見すぎれば馬鹿になる。
問題は、そこで発せられている情報の質ではなく、
一日に、4時間もテレビの前に座ってぼーっと、笑ったり怒ったりしている
というその状況を、異常だと思えないことが異常だと言うのである。
■次に、あらゆる種類のゲーム。
昔はゲームセンターというところに入り浸るのが主流だったが、
やがては家庭内でのゲームが普及し、今ではネットである。
しかし、こんなもので時間を何時間も潰していて、あとになってから、
どう生きたらいいのか分からないとか、死にたいとか、ぬかしているとしたら、
本当に間抜けであるとかいいようがない。
■そして次に、インターネットという道具への中毒。
これにあなたが一体、一日の何時間を費やしているのか、
自分で統計をとったことはあるだろうか?
■そして、私が完全な精神異常と揶揄した、携帯メール中毒。
■そして今日では、ツイッターその他。
●こうして見ると、私が否定的であるのは、
本、テレビ、(ゲームは論外)、インターネットなどからの情報それ自体ではなく、
それに向き合う姿勢、目的がはっきりとしないのに、
そうしたものの中に、無自覚に中毒していることである。
そして、あなたは死ぬまえに、一度でもいいから、
一日平均、何時間を「読書、テレビ、ネット」などに費やしたか、
時間(のべ時間)にして出してみるとよいだろう。
そして、それだけの時間を費やして、
では、あなたは、どれだけ人生が楽しくなったり、充実感を得ることが出来たのか。
あなたは未来になって、あるいは死ぬ前に、または死んだあとに、
「なんという馬鹿な時間の使い方をしてしまったのだろう」と、悔やむことだろう。
なぜならば、実は、それらの情報の多くと、それに費やした労力が、
ここで生きている目的には「全く必要ないものだった」からである。
【そもそも、必要な情報とは何か?】
●さまざまな情報のうち、もしも優先順位をつけるとしたらば、
一般的には次のようになる。
1−生存の危険に直結するような情報
2−生存を有利にする情報
3−娯楽という名の下に、存在する情報
●たとえば、現在がもしも戦時下であったならば、
あなたは、自分や家族が、死んだり、病んだり、怪我をしたりしないための
確かな情報を得ようとするだろう。これが1に類するものである。
●次に、生存に有利な情報というのは、主婦にとっては、どこのスーパーの何が今日は安いか、
といった情報から、株という賭博に投資している者たち、
または、健康維持に関する情報から、異性獲得の方法、
そして、専門知識までと、かなりの分野がこれに含まれるが、
次の第3の情報と違うところは、「現実的な実用性があるかどうか」である。
●第三に、娯楽と称する情報は、企業や芸術家と称する者たちが
消費者に売り続ける、あらゆる種類の「作り話」と、
音楽、絵画、舞踊、ファッション、芸能、スポーツその他である。
【情報よりも重要な問い】
●前述したような三つのタイプ(実際には、種類はこれよりも多いが)の情報を、
では、実際にあなたはそのうちのどれだけを活用し、生活に取り込み、
それが求めるべき最終的な「結果」としての幸福感なるものを、
あなたは「確実な受け取り」として、自分の手にしてるのだろうか?
●私に言わせれば、方向性や目的もなく情報を徘徊することほど、
人生の時間を無駄にするものはない。
それが、何であれ、
>自分は、自分の何の目的の為に、何何を知りたい、だから調べる、
というのでなくてはならない。
実は、原発事故情報も、その明確な目的がないままであれば、
いくら、ネットの情報をかき集めても、時間の無駄である。
以前に言ったように、私が半年に渡って原発情報を調べたのは、
自分の行動指針に、なるべく早く「結論を出すこと」を、
その最初から目的としていたわけである。
【問いもないままで、パソコンを開くな】
●前述の内容とも関係するが、インターネットというのは、
開いたとたんに、文字通り無数の情報網がそこにある。
したがって、ちょうど皆さんが、静かに座って、目を閉じて自分のことを観察しようとしても、
どんどんと、雑念と連想で頭がいっぱいになり、
実質的には、「意識を失って、気絶しているに等しい」状態になるのと同じように、
うかつに、目的もなくパソコンでインターネットを開いたり、
または、目的を果たした瞬間にさっさと閉じて、電源を切らねば、
貴方は、うっかりすれば、リンクをたどって、どうでもいいような
時間を無駄にするコンテンツを見ることに何時間も関わることになるだろう。
インターネットは、そこに参入する目的を明確に決めて、自分で確認し、
そして、それが終わったと認識したら閉じる。
これをしなければ、あなたはテレビやゲームよりも、もっと始末の悪い
世界の中で、翌日になっても、あなたに何の変化ももたらさない、
そういう無駄な時間を膨大に費やすことになる。
テレビであれば、その番組は時間がくれば終わる。
ゲームは論外なほど、くだらないものだが、それでも終わりはある。
しかし、ネットの情報網は、あなたが、疲労で眠くなるまでは、終わりはない。
だから、充分に注意し、常にやっている事を忘れて気絶しないように意識化しなさい。
【暇つぶしという中毒症状】
●そもそも、今、あなたが見ている画面は、(この無明庵サイトも含めて)
見る必要があるのか?
それは、生存問題に直結しているのか?
直結していたとしても、本当に有用で正しい情報なのか?
そして、知ったその知識は、今日や明日の自分の人生を何か変え得るものなのか?
そうした「自己検査」に耐えうる情報が、一体どれほどあるだろうか?
●直接的に、生存の危機や生存の有利性に直結しない情報というものは、
基本的には必要ないわけであるが、
それにも関わらず、どうして多くの人々が、この国では、(特に、文盲が減った明治以後)、
生活に関係ない情報にまで自分の人生の時間を費やしたのだろうか?
私は、むろん、音楽や、文学や、その他の芸術は否定はしないが、
一言に、芸術といっても、本当に形而上学的な意味で、
私達の意識に働きかけてくるようなものは、地球上では、ごくわずかである。
●しかし、この人間が行う「無駄な行動」に関する原因は、
根本的な部分では、非常に「複雑かつ、困った問題」を内包している。
ちなみに、人間たちが自分たちで、自負しているところの、
芸術や科学を含む文明というものを見たとき、
それがただの無駄であるか、無駄でないのかを計る尺度の一つとして、
「地球上の他の生物」を見れば、結論は、あきらかである。
●私は、我々の意識というものが、仮に転生をするものであると仮定したならば、
人間の体内に生まれるよりも、さまざまな「生物の中」に入ってこそ、
生命の面白さというものが体験出来ると思っている。
それ以上の娯楽は、おそらくは存在しないだろう。
しかも、特に文明といったものを持たない生物ですらも、
宇宙という空間で見れば、まだまだ経験したことのない生物は無数に存在する。
生命経験を楽しむということを目的とするのであれば、
「思考する癖を持つ、人間型の生き物」になど生まれる必要は特にないのである。
そもそも、知性なるものを持つ生物に生まれることに、
どれだけの特権や、幸福度の差が他の生物との間にあるというのだろうか?
【不満中枢を埋め込まれた生物】
●ここ「無明庵」の見解によれば、
そもそも、食べて寝るだけでは、満足が出来ないような状態に
生物を陥れるために、より多くの「不満」を生み出すために、
中枢(すなわち、チャクラ)というものが人工的に埋め込まれたのである。
人間を除く哺乳類が感じる不満や恐れは、せいぜい、
痛み、空腹、性欲、に加えて、ごく限られた範囲での感情の飢えのみである。
●ところが人間または、ヒューマノイド型の生命体ときたら、
意識も飢え、頭の中も飢え、寂しくなって感情も飢えてしまうという、
ロクでもない構造に出来上がっているのである。
そもそも、幸福感や、生命感のダイナミズムを感じるといった機能、
あるいは本来、意識が経験できる「娯楽性」の頂点といったものは、
「人間型ではない生命体の中」でこそ経験できることが多い。
●しかし人間型の生命体の中で経験させられるものは、
常に、絶え間ない「不足感」が、他の生物よりも増えただけの話である。
私はこれを称して、たとえ相手が、かなり高度に発達したと称する宇宙人であっても、
彼らのことを、
「より葛藤を多く製造するために進化した、不満製造機」の犠牲者であると、断定している。
●こうした根本的な「設計上の不備」あるいは「問題点」があったために、
次のような現実を、あなたは経験しなければならない。
私がよく言うように「とにかく、何時間でも、じっとしていなさい」
といったことを実行できる者が、この地球上には、ほとんど皆無である。
むろん、瞑想も座禅もしてはならない。
それらは、所詮は、「やること」の一部に過ぎないからである。
それは暇つぶしの手段になりかねない。
そうではなく、空腹でない時間を、本当に何もしないということを続けてみなさいと、
私はもう何十年も言い続けてきた。
●するとあなたには、数分もしないうちに、あるいは数時間内に、
あるいは、数日以内に、次のようなことが必ず起きるのである。
あなたは、「退屈」してしまうのだ。
退屈というのは、その実態は食物とは違う次元での「飢え」なのである。
そして、仮にあなたが、ヨギや禅僧のようなフリをして、
じっと無為な生活をしていたとしても、あなたの頭の中は、
妄想と、幻想と、雑念と思考の「ゴミ屋敷」となっている。
●たかだか、1年、食べて寝る、少し体を動かす、それ以外には、何もするな、
という、こんなにも「単純なコマンド」すらも受け付けられない、
その貴方の中では、一体、何が起きているのだろうか?
言うまでもなく、それは貴方の意志とは全く関係のない、
「飢え」によってあなたは完全に家畜化されており、
そして、それが一生あなたを、「落ち着かせない」状態に陥れているということである。
【理想的な生存状態】
●たとえば、今、原発情報に、自分の中に確たる軸や目的もなく、
ただただ、振り回されている人たちを見てみるといい。
しかし、そうは言っても、それを傍観しているあなた自身は、
単に、他の情報に、振り回されているだけなので、他人のことなど
笑えた立場ではないのであるが。
●ひとつの極論だが、あなたが今、パソコンとテレビを完全に離れ、
そうやって半年を過ごしたら、あなたは他人からの噂話でしか、
原発やその他の社会問題について知るルートはなくなる。
実際、私も何日かは、完全にネットやテレビから自分を切断することもある。
そうしてみると、仮に「サバイバル」というものを本当に重視するのであれば、
そこで役立つのは情報ではなくて、「直感」である。
それが動物的本能なのか、高次意識なのか、そんな区別は知りませんが、
もしも、あなたがじっと自分の意識や思考を、完全に突き放して、観察していれば、
テレビやネットなど見なくとも、あなたは、今、どこへ行けばいいのか、
今、何をすればいいのかを知ることも出来るのである。
実際に、もしも核戦争後を生きなければならないような状況が来たらば、
情報が絶たれている地域を移動する場合には、
もはや、自分の直感以外は、何も使いものにはならないからである。
【私個人の事】
●私個人の話で恐縮ですが、
私は、この今回の人生の中で、
情報というものは、自分が物事を考えるための材料であるという認識で、
中学生以後、今日までの人生を過ごしてきました。
つまり、自分が、物事を考える材料となり得ないような知識は、
学校の科目ですらも、卒業できるぎりぎりの最低ライン以上には、
学ぼうとも、記憶しようとも、しませんでした。
●私がこの世界に今回生まれた瞬間から、
私にとっては、「自分や、生命の生存の目的は何であるのか?」だけが
求めるべきだと決めてきた唯一の課題でしたので、
それに関連しない分野には、ほとんど全く興味を持ちませんでした。
わずかに、過去世を引きずる形で、興味が継続した「趣味」はありますが、
メインとなる部分では、目的はたった一つでした。
●私が、まだネットが普及しない時代から、読書家が大嫌いだった理由は、
彼らは、10を読んでも、1も自分の頭で考えていなかったからである。
私は、1を知ったらば、10のことを考えねば、気が済まない性質であった。
だから、私は、相手の人が、何を知っているかではなく、
どれだけその人が、自分の頭で、自分の考えを構築してきたか、
ということにしか、興味を持たなかった。
そして論議をしてみると(実は、私は高校生の時から、すでに
10歳も、20歳も、30歳も年上の大人相手に、
論議、論戦を繰り返してきたのであるが)、
読書家の最も困ったところは、知識の全部が、実感を伴わない借り物だったことである。
よくて、せいぜい夢想家の脳内妄想の組み合わせである。
●しかし、一方では、必要な情報だけに興味を持ち、
それは、どうしてか?、あれはどうしてか?、という疑問を持ち、
自分で考え抜いて、世界を定義しようとしている、そういう数少ない人たちに会うことも出来た。
この人たちは、本当に数少ないのだが、それでも皆無ではなかった。
●そのようなわけで、私は、情報を集めた結果、その人が、
どのような「結論」や「仮説」をその人自身の思索と模索によって、導き出したかが評価基準であり、
そういう生き方をしてない者には、ことごとく、関心がなかったのである。
●そして、読んでもただの「お話」、ただの「雑談」、ただの「ゴミのような知識」にしかならないもの、
そういうものは、自分自身も極力書きたくないという思いが、常にあった。
世の中には、聞いて「あー、面白いね」「あー、大変だね」などという、
暇つぶしの刺激剤にしかならない話ならば、ごろごろしている。
むろん、私も時には、そうした雑談をすることもないわけではない。
また、著作物を書く「草稿」を作るために、多くの論戦や、雑談を書いたこともある。
つまり、最終的に、本という形で出力する目的に向かうベクトルを持たないものは、
私は書くつもりがほとんどないのである。
そんなものを書いても、ただの独り言、それこそ無益なつぶやきにすぎないからである。
●しかし、今のこの時代、しかも、この日本の状況の中にあっては、
皆さんが、ネットを開いて、この無明庵のサイトを見たときに、
あなたが死んだあとで、あるいは未来の時代に生きた時に、
「見て、時間を無駄にした」と思わないようにすることを、
なるべく心がけて、行きたいと今では思っています。
だが、時間の無駄にはならないような数十分間を、読む人達に提供することは、
口で言うのは簡単だが、これが結構、難しいのである。
私自身が見て、時間を無駄にしたと思うサイトが多すぎるので、
そうならないためにも、
私も、時には雑談が増えることもあるでしょうが、原則として、
「精神や魂という世界における、死活問題」を取り扱っていくつもりです。
■ちなみに、ここ「梅の間」では、これでも私は、ごく「一派向け」の
話をしているだけであると認識しています。
この程度の話であれば、普通の人にもわかる話です。
また、前回まで少し続けた、アレック・コリアー氏の話題も、
「宇宙話」をどけて本筋を見れば、どこもトンデモな話でもなく、
一般的なレベルの話であると思っています。
●一方で、多少、遠慮なく、読む人が分かろうが分かるまいが書く、
といった話題は、今後は、隣の「桜の間」でやるつもりです。
そもそも、「桜の間」では、自我復元の報告などが多くありますので、
その時点で、既に一般の人には、全くついてゆけない話題ですが、
それに加えて、私すらも「これは、少し電波すぎる話だな」と自覚するような話は、
今後は、隣の「桜の間掲示板」ですることにします。
また、猫の話、その他に関する「生活雑談」は、
それを、この「梅の間」でするか、隣の「桜の間」でするかは、
その時々に、臨機応変に決めるつもりです。
ただ、話の程度(レベル)としては、この梅の間は、
一般人の人に書いているので、「桜の間」よりも質は落ちると考えてください。
また原則として、「桜の間」は、無明庵の愛読者だけに分かる話しか
書かないという傾向も、今後は、今までよりも、はっきりさせてゆくつもりです。
________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(1630 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
梅の間 の最新投稿
オーガズムTop
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -