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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
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[1662]
■
●無明庵日記●猫の足跡-その413 ■ネットを開く前に日誌をメモすること。
by:
鈴木崩残
2012/01/18(Wed)11:14:46
>桜の間に、近況を更新しました。
パソコンを起動したらば、
ネットにつながず、
必ず専用日記から開く
■以前から感じていたことですが、パソコンを開き、
そのままネットには関係のない仕事などの作業をするのはいいのですが、
そこから、ネットにつなぐということに、私は違和感をよく感じた。
■それは、一度インターネットにつないで、もしも不注意で無自覚になれば、
時間を無駄にすることを痛感しているからである。
そして、ネットの向こう側には、複雑極まりない選択肢があり、
そこは、決して整理されたものではなく混沌としている。
しかしそれ以外にも、私が違和感を感じてきたのは、
多くの人たちが、あまりにも不注意に「目的もなく」、
ただの中毒的な習慣でネットを開くということである。
■私が感じた違和感を言葉にすれば、それは、起動しているパソコンから
インターネットを開くということは、「外出する」のと同質の緊張感を
本来は必要とするということである。
しかし多くの人は、だらしなくパジャマ姿のままで、自分の家の中で
何の抵抗感もなしに、ネットを開くようなものである。
テレビというのは一方向性であるが、
ネットというのは、自分から出かけてゆくわけである。
■むろん私は、出かける服に着替えてからネットを開け、などという意味のことを
言っているのではありません。
しかし、気構えとしては、それは紛れも無く「外出」と同じなのです。
■手軽で簡単にその「意識の外出」が出来るために、多くの人は、
不注意にその扉を開いてしまいます。
そこで、そうした習慣によって奪われている自分の時間を、
もっと有効に使いたいと思っている人は、次のことをしてください。
***************************
1-文書のソフトをまず開きます。ワードでも何でもいいですが、
メモ帳よりは、文書ソフトの方がいいです。
そして、それにお好きなファイル名をつけて保存します。
保存先は、デスクトップに新しいフォルダーを作ってその中に入れてもいいですし、
そのまま、その文書のデータとしてデスクトップ画面に置いておきます。
文書タイトルは、好きにしてください。
「ネット前後日記」などでいいです。
↓
2-そうしたら、その文書ファイルを今後は、日記がわりに使いますが、
ただし、あなたがどんな用事によってパソコンを起動した場合にも、
他のソフトを開く前に、真っ先にその「日記ファイル」を開きます。
3-開いたらば、そこに、日時を書きます。何時何分かまで書きます。
そして、これから御自分がパソコンで「どんなことをする予定であるのか」
を、簡単に箇条書きにします。
4-それを数分で書き終えたらば、そのあとに、
仕事などの作業に必要なソフトを動かすなり、
または、メールやインターネットに接続します。
その日記に、これからパソコンを使って何をするかという予定を書き終えるまでは、
絶対に、メールソフトや、インターネットを開いてはなりません。
仕事でインターネット以外の何かのソフトを、それ以前に開いてもいけません。
つまりパソコンを立ち上げたらば、必ずまず日記を書くのです。
5-最後に、パソコンを閉じる前に、日記を開き、終了時間を書きます。
そして、うっかり予定外のことをしてしまったり、
余計なことに時間を使わなかったかどうかメモします。
そして、日記を「上書き」します。
以後、そのひとつの日記をどんどん更新してゆく形となります。
たとえば、私はこの梅の間の投稿を書く前に日記にこう書きました。
↓
>>2012年1/18 10:45
>>特に調べ物はないので、メールのみチェックし、あとは、
>>先日、瀬戸内海産の「生わかめ」をネットで購入したので、
>>その紹介を梅の間でしようかと思っている。
>>昨日していた、いらないファイルの整理などは、今日はしない。
■これぐらいの簡単な文です。調べ物がある場合にももう少し長くなります。
そして、今私はこれを書いています。
これを書き終えたらば、メールチェック以外には、
ネットにつなぐ用事はありませんので、寄り道はしないと決めています。
■生わかめの話題での、写真と購入先の紹介は、
また夜にこの投稿に追加することにしました。
■このように、パソコンを開いたらば、まず開けるのが、
仕事で使うとき以外には、メールやネットであるのが、
皆さんの「悪習慣」になっているはずです。
その悪習慣に歯止めをかけるために、まず最初にあける「日記」の
ファイルを必ず作ってください。
そして、どんなに面倒に思っても、パソコンで何をするかの予定を書くのには、
1分かせいぜい長くても3分しか、かからないのですから、必ずメモをつけてださい。
そんな程度の時間は、皆さんが何かのサイトをぼーっと見ていたら、
あっという前に使ってしまう、ほんのちょっとの時間なのですから。
■このようにして、今私はこの文を書いていますが、
こうすることによって、目的を見失うことなく、パソコンを使いこなせます。
たとえば、仕事をしながら、何かのソフトを動かしている間に、
ネットにちょっとつないでしまうということをしてしまう人も多いと思います。
私も、CDを焼いてる間や、プリントアウトを待っている間などに、
何気にやってしまうこともあります。
しかし、今度からは、そうしたものも予定にいれるか、または予定に
入れないことにします。
■さて、ここまで書いたので、私はパソコンを閉じる前に、
日記にはこう書きます。
>>11:13終了
>>タバコをアメリカンスピリットに変えた後日談も書きたかったが、
>>それは、夜に「桜の間」に追加することにした。今はこれでパソコンの電源を落とす。
■このようにしてPCを切ろうとしたのですが、
原発と地震情報が気になったのですが、今すぐに必要なことではないので、
つながないことにしました。
もしもここでつないだらば、パソコンを閉じる直前に、日記には、
「予定にしていなかった地震と原発のサイトを見てしまった」と
書かなければならないのです。
■このような作業を徹底し、
パソコンを起動したときに、日記を開いて、日時と、パソコンでこれから何をするかの予定を書き、
シャットダウンするときに、日時を記して、最初の予定どおりに出来たかを書きます。
これを毎回繰り返してください。
そうすれば、皆さんは、御自分が、いかに、
全く無目的に、インターネットを開いて、そこで多くの時間を無駄に
しているかわかります。
また、たとえ暇つぶしといっても、効率の良い暇つぶしをしていないことが分かります。
何よりも大切なのは、ネットに繋ぐことは「自分の大切な世界」から、
街中の繁華街へと外出することなのだという、緊張感を持つことです。
それもなしに、だらだらと、サーフしてしまうままに流され、
最初に調べるつもりだったものの目的から簡単に脱線していては、
残った人生の時間があまりにも無駄になります。
仕事でパソコンを使うのであれ、ネットやメールやツイッターに繋ぐのであれ、
・何のために繋ぐのか、何を調べたいのかなど。
・何のサイトを見る予定か。
(いつもの決まっているサイトであれ、これから探す新しいサイトであれ)
・何十分ぐらいでやめる予定にするか。
こうしたことをメモするには、2分前後しか時間はかからないのですから、
毎回、ネットに繋ぐ前に、日記に日時とともにメモし、
PCを閉じる前にも、決めたとおりに自分が出来たかどうか、
ふらふらとサーフしてしまったかどうかを正直に、記録をとってください。
さて、私は追加を書いてしまったので、
延長してしまい、今回の終了時間は、11:30となります。
約45分ほど、この投稿にかかったわけである。
____________________________________________________________
あなたが死んだ後に持てるもの
●このテーマは、何度かこの梅の間でも、今までに書いてきましたが、
この問題は、本来であれば、皆さんが各自で自問すべき問題です。
死んだ後に、何を持っていけるのか?です。
●まず確実に言えることは、次のようなものは、あなたが死んだら、
全く何の役にも立たないものです。
何の本に、どう書いてあったか。
誰々が、こんなことを言っていた。
こんなものは、あなたが生きている間にすら、
くだらない他者とのおしゃべりと、無駄な時間を潰すこと以外に、
まったく何の役にも立たないのですから、死んだ時に残るわけがありません。
●知識や情報というものの中で、唯一役立つものとは、
その情報や知識によって、あなたが何かを出来るようになった場合、
つまり、「行動や感覚」に、それがフィードバックした場合のみです。
●たとえば、料理の知識を得て、料理を作れるようになれば、
それは、あなたが「実体験」として経験できるものになります。
それによって、あなたが何かを出来るようになるもの以外には、
知識として有用なものは何ひとつありません。
たとえば、あなたがどこかの観光地にどうやって行くかを
調べて、それによって、あなたがその場所に行って旅行を楽しむ、
これですから、実行によって初めて意味を持つものであって、
観光ガイドを読み、その土地の風土について、いくら知識を溜め込んでも、
クイズ番組に出る以外と、くだらない知識自慢以外には、全く何のたしにもなりません。
●世の中には、ただ知りたいだけの為に他人に質問する人間がたまにいますが、
私は断固として、そんな脳のイカれた人間はお断りです。
情報や知識は、それを何の為に得て、何をするために使うのかという
前提、または結果を出さなければ無意味なのですから。
●次に、では、何かを出来るようになる知識を得て、それで何かを出来るようになったとします。
たとえば、効率の良い走り方を知り、練習をして、オリンピックで、
100メートルを8秒で走れたとします。
あるいは、武術を練習したり、または、特殊部隊で殺人術を学び、
沢山の人を殺せるようになったり、試合に勝って賞金を得たとします。
そして、もっともどうでもいい、生きていなくてもいい人間の例として、
株式の売買をやっている人間が、知識を使い、それで富を得たとします。
このいずれの場合にも、死んだら何も残りません。
どれだけの成績を残そうが、どれだけの芸術作品を残そうが、
まったく無意味です。
そんなものは、死ねば無効ですし、誰も、よくやりましたね、とも、
人類に良い遺産を残しましたねとも、言ってなどくれません。
●さらには、わざとらしく、自分が、導師や宗教から褒められたいがために、
人を愛そうと努力した、
そんなチープで偽善的な行為には、何の点数も与えられません。
また、仮に内発的な何かへの愛情であったとしても、
それも、全く評価などされません。
言うまでもなく、気など溜め込んでも死ぬときには無駄です。
つまり、あなたが死ぬときに、
もしもあなたが自分に採点をつけるとしたら、
一体、何の量、または何の質をもって、点数をつけたり、
あるいは、評価を下げるのかを、自分の頭でよく考えてくださいということです。
●知識は明らかに、死んだあとには持ってゆけず、
物質的な成果を評価するものも、死後にはなく、
どれだけ何かを偏愛しようが、怒りを押さえ込んだ人生だっただろうが、
一点の採点対象にすらならないことを私は確信しています。
またカルマなど、死後に、ほとんど関係ありません。
カルマというのは、適当な穴埋めが出来ると思っている人も多いでしょうが、
そんな、あとで、何かを許してもらおうとする、みみっちい魂胆、
あるいは、あとで何かの褒美を貰いたいといった、みっともない魂胆では、
死後に評価点数を与えられることは、まず有り得ません。
●では、
物質的業績でもなく、
知識の記憶でもなく、
行為や、その行為の成果それ自体でもない何かだけを、
あなたが死んだあとでも、維持し、
そこから次の変化を意志できるとしたら、
死後に維持できるものは「何か」ということを、一人一人が自問してください。
ただし、ここで、くだらない、精神世界のスピリチュアリズムが、
何の証拠もなしに、大切だとか言ったものはすべて無視し、
宗教や導師がいった、たわごとなど、すべて無視して、
自分ひとりの頭で、「死後には何が、評価されるのか」を、考え抜くことです。
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