▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは「質疑応答用の掲示板」
2013年12月までは「禅書道」と「原発事故関連記事」
2014年以後は「テーマを決めない日記」になりました
★
「無明庵の書籍の案内」
★
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1684]
■
無明庵日記●猫の足跡-その435 ■動画 『ぬまゆさんのインタビュー』
by:
鈴木崩残
2012/03/16(Fri)20:10:36
ぬまゆさんのインタビュー
●なかなか見つからなかったのですが、ようやくミラー動画を発見しました。
87分ありますが、見ていない人は、必ず、見て下さい。
↓
(5:30からどうぞ)
↓
http://www.twitvid.com/SMVFM
>ここまで↑3/17-20:01更新。
_________________________________________________________
太陽から飛び出る謎の物体
■しかし、「これは太陽では、よくあること」とも反論。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=82l46fpd-ic
見た目は珍しいですし、規模が大きそうですが、
特別なものではないと考えるのが妥当だと思います。
__________
『瓦礫だ わっしょい 汚染まつり』
●そういう最悪の状況になりつつありますが、
テレビだけしか見ていなくて、瓦礫の何が問題なのかを、よく知らない人は、
必ず次の記事に目を通してください。
↓
★ぜひ拡散してほしい記事です。
【誰にでも理解できる
「瓦礫の広域処理が許されない12の理由」】
記事はこちら
↓
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1618.html
☆
>>福島の子供たちは置き去りなのに、核がれきには、
>>1トン6万円のプレミア付けて全国産廃業者にプレゼント」
★つまり、高濃度汚染地域の子供たちや住民は「広域避難」させても
一円にもならないが、瓦礫は金になる。
つまり政府や環境省は「人間を瓦礫以下」だと考えているわけだ。
__________
汚染瓦礫問題の本質
汚染瓦礫の受け入れ問題を正しく理解するには、以下の私のツイートを
よく読んで下さい。
まず、「災害瓦礫」という言い方をメディアがしているが、
かなりの量が、放射性物質に汚染された瓦礫であるという点。
★例えば福島に核ミサイルが着弾して汚染されたとします。
その時に汚染瓦礫を関東や関西に運んでいる奴がいたら、
関西や関東の人たちは怒る決まっている。
僅かにまだ生き延びれる所にそんな事をしては、
残っている水や食料まで汚染される危険性がある。
瓦礫に反対する感覚や理由はそれと全く同じなのである。
「命を守る」と言いたいならば、命を「守れる場所」がまず必要なのである。
★分かりやすく言うと、もしも戦争になっている時に、
自分の家族の核シェルターの前に、汚染瓦礫をおいてゆく奴がいたら、
誰もが、ふざけるなと言う。
ただし、そうした汚染瓦礫を、なるべく一箇所だけに集める事には
誰も反対しないし協力すらするだろう。
低汚染地域を死守しなかったら、せっかく福島から避難してきた人すら
行く場所がなくなってしまう。
放射性物質は、この世界で「最強の殺人的猛毒」である。
もしも家のガラスが割れたらば、誰でもが、
慎重にほうきで掃いて一箇所にまず集めるか、掃除機で吸い取るだろう。
ひとかけらでも小さなガラス片が残っていれば、家族やペットの誰かが
それで怪我をするかもしれないのである。
この場合の怪我とは、DNAが切れるということだ。
それを部屋の「あちこちに拡散する」なんていう発想は、
「掃除」という行為には全く有り得ない。
残っている安全地帯の死守こそ目指すべき方向である。
汚染瓦礫問題の要点・注意点をまとめると。
>【1】瓦礫の「運搬処理」で儲かる連中がいる。
>【2】瓦礫を受け入れると汚染濃度や量によって、
いくら自治体に補助金が流れているのか追及すべし
この具体的な金額をメディア発表したがらない。
>【3】汚染数値の発表は時間と共に誤魔化しや無検査が必ず起きる
最初だけ安全キャンペーンよろしく低い線量の数値を発表するが、
必ずそのうち、住民の無関心に乗じて、焼却場の線量を監視しなくなる。
>【4】汚染物の拡散は発病率の統計をうやむやに出来る。
言うまでもなく、福島と宮城県難南部にだけ特有の発病率が生ずると、賠償問題が
のちに起きるので、健康被害との因果関係をうやむやにする方法として、
汚染を広げてしまえばいいという発想が政府にある。
★原則的には復興より、「疎開支援」が先のはず。
除染も進まず、瓦礫処理も進まず、産業も回復困難。
復興と言うが、ちょっと待て、と私は思う。
復興しかけた町を、もしも「地震と津波が再び襲ったら?」と。
★小出氏の発言→「原子力に反対する根本理由は自分だけがよくて、
危険だけを他人に押しつけるという社会が許せなかったから」
私が許せないのは、そういうものを押し付けられた側の人達(作業員や村人たち)が、
断固とした反対や抗議を貫かなかったという点。
また彼らが「自分たちの村だけ良ければ」と思ったのも事実。
★いいかえると、
『自分だけが、善良素朴な過疎地で、電力会社に騙された無垢な人達の側で、
責任は都会や他人に押し付ける、という社会』も、いかがなものかと
私は思う。どっちもどっちだ。
「 結局、東京で考えてる限り、何も出てこないような」
↑
こういう意見に対しては、私はこういう。
★日本全国が、もはや、『 現場 』なんですが。
それぞれの現場にそれぞれの問題があるという意識がないと、
(現場取材重視の観点だけで)福島の現場に特化しても意味がない。
なにしろ作業員を連れてくるのは全国から。
そして、食品が流通するのも全国へ。
★確かに、山下俊一の言うように、「フクシマ」は有名になった。
しかし事実は、有名になったのは「日本」の愚かさだった。
ところで、戦地の現場では「血が流れるという現実とそれに伴う実感」がある一方で、
それを生み出したのはホワイトハウスの中の現実や利権がある。
物事に対する原因究明と解決策は、多重現実を見ないと、
感情的で村社会的なものになりやすい。
★言い方は少々乱暴かもしれないが、
地球上には、『反対する事によって生き延びた民族』と
『反対しない事によって生き延びた民族』がいる。
その比率は時代や地域で違うが「市民の日常生活」を見るかぎり、
日本人は明らかに「迎合する事による社会」にいて、
隣人にすら「反対する意見」を言うことを躊躇する悪癖がある。
★【多重現実について-その1】
たとえば戦場カメラマンが戦争について持つ見識が正しいという事は全くない。
彼らが知っているのは肉片が飛ぶ戦場という「一部の現実のみ」である。
むろんそれは現地人や兵士でない人が知る事のない現実という意味での価値はあるが、
それ以上のものではない。
★【多重現実について-その2】
戦場カメラマンは逆に死体や死についての感覚が麻痺する事も多く、
場合によっては条件付で戦争肯定の意見を持つ事もあるだろう(良いか悪いかは別問題として)。
そのように、福島についてても【現場】にいないと物事は分からない
との主張は全くの論理破綻である
★【多重現実について-その3】
「現場にいない人の言う事は軽視する」という傾向が、一部の者にはあるようだが、
それならば、医療現場にいない素人は、医療について言っても薄っぺらで、
原発の中で働いていない者は意見を言うな、
日本にいもしない外人は日本など応援するなという事になってしまう。
★【多重現実について-その4】
しかし個々が認識する「現実」とは常に限られた限界を持ち、
限界以上の部分ではそれまでの人生経験を集約して働かせる想像力が必要になる事も多い。
一方で事故や事件現場を歩く事は、独特の実感と見識を生むが、
逆にその記憶に足を取られて全体像を見失う事も多い。
★【多重現実について】
以上の1から5までは、『安全な所から何か言っても何も生まれない』
という類の意見に対する反論である。
皮肉を言うならば、まさに「現場」である原発の中で「生まれる」のは
「今日の日給で酒を飲もう」であり、
宇宙から他星を見て「生まれる」のは「あの星は消えても支障なし」という見解である。
★「現地取材重視主義」の者たちに問いたいが、
あなたたちの言う災害地の「現場」とは「その線引き」基準は何であるか?。
その基準は、汚染マップか?
経済的打撃マップか?
それとも恐怖と心配マップか?
それとも発病マップか?
失業マップなのか?
★取材現場とは「現場の数だけある」のだから最重要現場というものはないのだ。
★国家を歌う事に私は全く反対しない。
「意味」を問題視している者は読め。
↓
>「君が代のルーツは平安時代の和歌で、家族の者の長寿を祝う歌だった。
>そこに政治的な意味あいはなく、「きみ」は「天皇」ではなく「あなた」の事を指し、
>あなたの長寿がこの先も末永く続く事を願っている。
つまり、明治政府が拡大解釈をする以前の時代では、他意はない。
_____
■子供のころ、アメリカにいたときには、毎朝、胸に手をあてて、
アメリカ国家を歌わされたが別に違和感はない。
日本に戻って日本の国家を歌っても、別に違和感はない。
校歌というのは、変で恥ずかしい歌詞だったりすることも多いが、別に違和感はない。
こういう類の歌は、何かと、甲子園とか、オリンピックで歌うことになる
という事も多いので、
国家や校歌はあって良いし、歌うことを(酷い強制でないかぎりは)
義務付けても良いだろう。
いちおう国や、学校やなんですから。
「村の歌」ぐらいに、気軽に考えれば良し。
★ちなみに、私は日本の国歌は嫌いではない。
オリンピックの時に聴くと他国のより厳かで極端に「まったり」としている点がいい。
★国歌の経緯は「よく知りもしないで反対したり賛成する前」に
「ウィキペディア」で『君が代』を検索すべし。
それでも嫌なら、最初の「君が代は」を「我が君 代は」と歌えばいい。
>●その他のツイート。
↓
問題になっている腐った官僚も、ニートと感覚が似ている。
つまり、「動かすお金」が「自分で働いたものでない」と、
金銭への現実感覚が麻痺する悪癖がある。
しかも官僚は負債の発生についても「責任」を取らない構造。
その点で「官僚」と似ているのは親のスネかじっている「ニート」。
ニートは、愛人より遥かに以下です。
愛人は、ちゃんと、めかし込んで、媚びる仕事しているから。
似たような感覚は遺産相続でも起きる。
自分の力で稼いだお金でないものには、好き勝手な言い分を言い出す。
官僚も、ニートも、その根底にあるのは、
それが自分で稼いだ金でないから、
他人が稼いだお金を大切にしないという、その「麻痺した感覚」である。
____________________________________________________
_______________________________________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(1684 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
梅の間 の最新投稿
オーガズムTop
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -