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●梅の間へようこそ●
掲示板
Title
助っ人リンク
2007年3月までは
「虹のオーガズム」と「性のレシピ」
の
読者専用の質疑応答用の掲示板でしたが、
2009年7月より禅書道日記に変更。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[1708]
■
無明庵日記●猫の足跡-その459 ■音楽が劣化してしまった1986年■
by:
鈴木崩残
2012/05/10(Thu)23:57:41
原発・小話
●原発ジョーク
【イカした料亭】
野田と枝野が、赤坂の料亭で食事を終えた。
枝野が言った 「お勘定、お願いね。いや、実に、おいしかったよ。」
仲居 「ありがとうございます。合計で、56,400になります。」
枝野「え゛っ? 今日は、ずいぶんと安いね。単位が違うんじゃない・・
なんてねーっ。ひっひひひ。」
野田「ウォンだったりして。ぶっふふふ。」
二人が去ってから、レジが呟いた
「はい、単位は、円ではなく、 ベクレルでございました。」
(逝かした料亭)
近況・いろいろ
●ここのところ、「湿っぽい話題」が続きましたが、
博士君や、ラインの写真も載せたいですし、
最近、面白い文字の「書の注文」を受けたので、
その記事も後日、載せる予定です。
明日は、2年前に死んだ、うちオヤジの「遺産目録」を作る為の、
残高証明書の発行手続きの為に、銀行と証券会社を、
一日に4箇所も回らないとならない。
なので、少しお待ちください。
___________
>ここから下は、翌日、5/12- 8:20の投稿です。
ということで、昨日は、帰宅してから、泥のように眠りました。
ひさびさに東京に行った感想はあと書きます。
まずは、最近の禅書から。
【集中】・・・少し、創作書のような、かわいらしい字になり、
個人的には、気に入ってます。
【男色】・・・注文を受けて、「おおーっ」と思った字です。
珍しい文字だったのでどんな文字になるか楽しみでしたが、
わりと、そつなく、まとまりました。
どんな、なまめかしい、男色の字になるのかと興味がありましたが、
わりと男っぽくて、どこか硬派の漫画のタイトル風ですね。(男組!といった感じ)
____
【真空】無無心の書
↑
最初は、このようにかろうじて「真空」と読める字であるものが、
無無心の書の場合には、極端な場合には、
下記のように、完全に「抽象化された線」になることも、たまにあります。
↓
■こちらは、別の注文者(女性)のもので、3月のものですが、
無無心の書で「自我」を注文された時のものです。
↓
受け取った人の自我にどのような影響を与えたかは不明ですが。
■次のも、少し前に書いた書ですが、私が気に入った書のひとつです。
【生欲】・・・御注文は「生死」だったのですが、私の判断で
「生欲」の方が、この方にフィットすると感じて変えました。
↓
_________
■ちなみに、面白い、個性的なお題の注文も、今までに、沢山ありました。
しかし、一方では、「趣味悪いな」、という注目もありました。
もうだいぶ前に、書いた覚えがありますが、
その趣味の悪い、注文文字のワースト3は次でした。
「殺」「呪」「病」
●まずどれも、文字そのものは事象を表す中立なものですから、
意味そのものには、良いとか悪いはありません。
ただし、注文した他の文字との関係から、注文者が、どのような心理状態にあるか、とか、
深い思慮や意味がそこにあるのではなく、
単に病的な心理状態にあるから、これらの文字を選んだように見える、
という点で、ワースト3としました。
たとえば、同じ「殺」でも、「殺気」とか、「仏殺」となると、少し意味合いが変わります。
また、同じ「呪」でも、「呪符」「呪文」となると変化が出てきます。
ただし「病」は、「病院」とか「看病」とかにしないと、どうにもなりませんね。
__________
●一方で、「死」という文字は、
もともと、「性と死のホームページ」がテーマだった、
無明庵の読者の人にとっては、なじみの深い文字ですから、
かなり沢山の人から注文を受け、私も書くたびに、
その人それぞれに、どうなるかを、楽しみにしたきた文字ですが、
「 苦 」の文字を頼んで来た人は、ただの一人もいなかった、ということから、
皆さん、死ぬのは、楽ならば、「死にたい」けど、
「苦しむ」のは嫌だ、ということのようですね。
_________________
相談員、博士君の巻
ここのところ、いろんな窓口に行ったので、その雰囲気を博士君に演じてもらいました。
■ちなみに、昨日行った、三つの金融機関の
「受付」または「担当」のおねーさんの比較は以下の通りであった。
★三菱UFJ・・・「ここってデパ地下か?」というぐらいに、ちょー地味(庶民的すぎ)な、
受付のおばさんが、案内をした。
担当店員は、役場の事務員のようで、まるっきり愛嬌がない。
店内の全体の色のセンスも良くない。
受付の座席の作りも圧迫感があり、まるでスーパーの陳列棚のよう。
★みずほ銀行・・対応は、飛行機の客室乗務員みたいな雰囲気で、
店内のデザインや、女子店員たちに、いちおうの統一感はあるが、
手続きの対応での笑顔の無さは、昔の郵便局なみ。
また仕事が、やたらに遅くて、ここだけで60分かかった。
★野村證券・・・あたかも、聡明な熟練されたアナウンサーのようだった。
作り笑顔(営業スマイル)も、嫌味なくサマになっている。
證券会社の営業は、こうでないと、お客の信頼は
得られないなと思った。
「ご住所を拝見しましたら、山梨からとありまして、
遠いところを、お疲れさまでした。」とか
「富士山は、雪が、まだキレイですか?」とか、
さり気なく話題をふってくるので、私も乗ってみた。
さすがコミュニケーションのツボを心得ている。
銀行員の受付は、めったに私語は言わないが、投資系はそこが違う。
思わず私も、遺産相続の事で、別の相続人の愚痴をしゃべったぐらい。
こういう人だと、ちょっと寂しくしている中高年や老人は、
営業人ではなく「話相手として」相手に心を許すんだろうなと思った。
ドロドロの家族関係の家にいる人だったりすると、下手な身内より、
よっぽど自分の家族のように思いたくなる人もいるに違いない。
というわけで、銀行員や、投資信託を装った詐欺に遭う
高齢者が多いのかもしれない。
むろん、今回のお嬢さんは、別に詐欺的なのではなく、
本人の根っからの気質やセンスも手伝って、
とてもよく社員教育がされていた、営業レディーでした。
新宿に出て感じたこと
●都内に出るときに、高速バスを使うせいもあるのですが、
まず、御存知のように、高速バスによっては座席が狭いので、体が疲れます。
関西方面へ行く「長距離の夜行バス」だと、リラックスできるシートもあるのですが。
しかし、それをどけても、
ひさびさの東京は、何かが、死んでいました。
●今いるところに引っ越してからは、私は、めっきり出不精になりまして、
めったに都心部に出ないのですが、
2010年、2011年、2012年と、年に一度ぐらい出てみた感じは次のように変化しました。
震災前の2010年、アメリカから剣術を習うために来た青年と一緒に、
関東に少し滞在し、のちに戸隠神社に行きましたが、
当時、書いたように、東京は疲弊しており、戸隠も人の気配で汚れていました。
2011年、震災後に関東地方に出たときには、
震災の影響で、確かに、どこか、人々の間に「絆」に似たものが漂っていました。
何か事が起きれば、いつでも見知らぬ人とも協力をするという心構えが
空気全体に流れていました。
しかし、今年2012年、今回見た新宿は、まるで「幻影」のようです。
●疲弊しているという点でも、震災前よりももっと疲れた雰囲気で、
何か、時間が止まったまま、同じ夢を見ている人が、往来しているだけの
奇妙な風景です。
銀行関係の手続きが終わったあとに、
しばし、ドトールで、アイスココアなど飲みながら、周囲の人々の様子を
観察してみました。
●もっとも重要なのは、それが自分の側の主観的な感覚の変化のせいか、
それとも、客観的なものを含むのかを精査しましたが、
昔、私が知っていた、よくも悪くも「トゲと熱」のあった「新宿」は、
もう見る影もありませんでした。
●と、同時に、「都市部」というのは、国としての経済や情報の流通を支えるもの、
そして、官庁や、行政のシステムとしては、必要なのかもしれないが、
しかし、もはや、人間が住む場所ではないと思いました。
といっても、私自身は、もともとが、東京の下町に生まれ、
40年近く、東京に住んだ人間ですから、その恩恵も受けており、
東京の、いろいろな面を見てきました。
生まれたときから都市部にいると、当然、その生活環境に慣れますので、
それが「ごく普通のことで、なんとも思わない生活」をしてきましたし、
もともと、私はエコな人間でもなく、そもそもが、自然主義ではありませんでした。
●また、都市部だろうが、田舎だろうが、人間の精神そのものには、
まったく関係ありませんので、どちらでも適応できなければならない
と思ってきました。
しかし、特に、震災の少し前から、震災後の空気感から感じることは、
本当に、もしも、この先に、生き延びたいのであれば、
そして、その生きている残りの時間を、
自分が今、これまでの人生の、延長や惰性として、
あまり気乗りはしないが、「しかたなく、やっていること」以外に、
もしも、何か、自分にとって、やり残したことがあるのであれば、
少なくとも、都心部は避けて、関東地方でも、やや簡素なところか、
あるいは、もしも実家や田舎があるのであれば、
そうしたところに戻るのも、悪くないと思うようになりました。
●もともと、私は、全く自然派の人間でもありませんし、
今、いる場所も、自然がどうこうだから引っ越したのではなく、
今後の日本の運命が現れる富士山が近いことと、
そこの神社に個人的に縁があったからいるのであって、
前にも言いましたように、私の住むところは、特段自然がいい場所ではなく、
富士登山と、富士急ハイランド以外には、売りもなく、
個性もなく、文化もない、ただの「B級」の行楽地です。
また、私の住んでいるところよりも、あと100メートルほど標高が高くないと、
いわゆる、森林の香りのする、良い空気もありませんし。
●それに、何度も言いますが、
地方や田舎の良さなんて、そんなにないものです。
どこも、地方社会は閉鎖的で、それ故に、皆さんもよく御存知のように、
田舎の人間関係など、ドロドロで、たまに猟奇的な殺人事件も起きます。
●一方で、都会では、一晩に何件も、大事件が起きているのですが、
多少、時間の流れの通気がいいせいか、どんどん、新陳代謝しますので、
結果として、汚いものも流れていってしまいます。
しかし地方では、汚いものは、何十年もその土地に留まります。
●そういう点でも、都市部は、まさに「情報やエネルギー」が
渦巻く「流れ」または「コネクター」あるいは、集積回路として、
今までは、機能していたのですが、
どうも、その機能が、おかしくなっているのを、今回も感じました。
ひとことに言うと、
もう、半分は、死後の世界に片足を突っ込んでいる人達が、
「過去の幻想によって作られた舞台」を往来しているだけ、
すべての人々がまるでエキストラのように個性がなく、現実感がないのです。
わずかに残った、過去の記憶や記録によって作られた映画のフィルムを、
なんとか回しながら、かつて、そこにあったバーチャルな町を、
脳内幻想だけで、弱々しく体験している。そんな幻影を見ている気分でした。
私は、本当は、もうそこに存在しない世界を見ているのではないかと、
15%ぐらい、本気で思いました。
それほどに、私が見た新宿は、現実感を喪失していました。
●これはむろん、半分ぐらいは、私個人にとって、現実の一部でなくなった、
という意味もありますが、
それ以外の意味もあるように思えてならなかった。
何年ぶりかに、ドトールのジャーマンドックを食べながら周囲を見て、
今、ここにいる人達の半分以上は、十数年後には、死んでいるのではないか、
そんなふうにも、人々の「気配の弱まり」が、私には見えたのでした。
そう、今、思い出した。
この感覚は、「死相」です。
私は、よく、人が死ぬ前の「死相の有無」を見ることが多いのですが、
今回のは、「ただちに」という死相ではないですが、
私が、新宿の人々の中に見たのは、
まだはっきりはしていない弱い気配ではあるものの、
たぶん、あれは集団的な「死相」です。
世界の音楽界が大きく変わった1986年
★最後に、そのまだ古き良き1980年代後半のサウンドです。
●私の感覚では、これは、タンジェリンドリームがまだ実験的だった、
時期の「サウンドトラック」です。
とにかく、TDは、単独の音楽アルバムでは、外すものもあるのですが、
映画の「サウンドトラック」を扱わせたらピカイチです。
1986年あたりは、ポール・ハスリンガーが、一時的に、メンバーに加わった時期で、
まだ、クリストファーフランケが在籍していたころの最後の時期です。
シャープなキーボードプレイをしていたヨハネス・シュメーリングが抜けて、
ポール・ハスリンガーが在籍していたこの時期は、
極めて「叙情的」なサウンドが、多くありました。
多少ポップな中にも、まだ重厚さと1970年代から受け継がれていた、
「品格」が残っていた最後の時期です。
とにかく、TDの重要かつ、実験的なシーケンスリズムを創作していた、
クリストファー・フランケが抜けたのは、本当に痛かったと、
多くの熱狂的なTDファンは思っています。
彼がぬけた以後、TDは、衰退の一路を転げ落ちました。
★1985年の作品
『レジェンド』ジョンアンダーソンが歌っています。
★1983年の作品
『キープ』英語の説明を読むと分かるように、これはウルトラ・レアなアルバムです。
私も知りませんでした。しかも出来が非常に良い。
この映画そのものは、当時、劇場に見にいきましたが、
このサウンドトラックのバージョンではありませんでした。
まだ、ヨハネスシュメーリングが在籍していた時代です。
■その、脱退したクリストファーフランケのソロライブです。
画面向かって右の白いスーツを着ているのがCF氏です。
彼が抜けたのは、あまりにも残念で、このサウンドを聴いていると泣けてきます。
↓
●さて、1986年は、国内での販売枚数ベースで、
CDがLPを追い抜いた時期と言われています。
これは、レコード会社が親会社であるオーディオメーカーに配慮して、
レコード生産を縮小した事も影響しているらしい。
これが音楽の歴史や、音楽の質が大きく劣化するひとつのきっかけとなったと、
私は考えています。
●1982年1月に開催された、Western NAMMの会合では、
ヤマハ/
ローランド/
コルグ/カワイ/
シーケンシャルサーキット/
オーバーハイム/
CBS/
ローズ/
Eμ/
ミュージックテクノロジー/
オクターブ/
パスポートデザイン/
シンタウリ
といったメーカーが参加し、「MIDI」の基本的な機能や、
8bit/31.25kbaudの転送速度などが提案されたようです。
デジタル音源シンセの普及は、このように1980年頃から始まりましたが、
買う側の私達が、アナログレコード盤ではなく、CDを買い始めたのが、
おおむね、この1986年ごろからです。
私は、当時、どうしても、CDの音がしっくりこなかった。
それは、これだけ記録媒体の性能が上がった今でも、です。
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