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[236]
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★分割自我復元★その236■ 中高自我率が抱える問題点 ■
by:
鈴木崩残
2013/06/30(Sun)17:35:19
>7/1 −5:46 部分的に少し加筆しました。
中高自我率が抱える問題点
前回の投稿を補足するものです。
言うまでもなく、一連の投稿で言うところの「中高自我率」とは、
復元のプロセスで通過する自我率ではなく、生まれつきの初期値のことです。
その自我率は、50%から、約92%までです。
(現実には、11/12自我(91.6%)まで)
●これまでの説明、特に前回の説明を補足するために、
中高自我率の人が、なりやすい状態を書いておきます。
中高自我率の人たちには「問題意識が生じない仕組み」というものがありますが、
ただし、その仕組みに、本人が生前契約で同意しているケースがよくあります。
つまり、「自由意志や主体性」を「完全には持てない人生」であることに
「同意」してしまっているのです。
●これは、少し前の投稿にもあるような、
誰か、または集団に雇用された身分になることを、
自分で選択した場合にも起きます。
それ以外の事例として、最も分かりやすい例を挙げますと、
たとえば、放射性物質に汚染された瓦礫を町内の施設に運び込もうとして、
そこで、住民たちが反対デモをしたとします。
そして、警官たちが、それを阻止しています。
この状況の中で、住民は、こういいます。
「おまわりさん。あんたは、1人の人間としてどうなんだ?
あんたにも、家族がいるだろう?
私たちを守らずに、
どうしてこんな間違ったことをする連中を守り、
原発に加担なんかするんだ?
あんたには、自分の意志はないのか?」
●しかし、警官に「1人の人間であること」を求めても無駄です。
もしも、彼らが1人の人間として、主体性や自由を主張したら、
その瞬間に、彼らは首になります。
同じぐらいに分かりやすいのは、自衛官です。
自衛官に「主体性」「自主性」「自由意志」
「国防に関する思想の自由」は、ありません。
むろん任務によっては、現場の各自の判断に任せられることもありますが、
しかし、大局的には、上の命令に従うのみです。
●しかし、自衛官は、自分の意志や思想をある程度犠牲にすることを
承諾した上で、自衛隊に入ったのです。
自衛官が、何らかの理由で住人や国民から、罵声を浴びせられようが、
彼らは、「全面的に自由な」人間であってはならないのです。
「部分的な自由」という制約が嫌であれば、
彼らは、自衛官をやめるしかありません。
とにかく「自由に制限が加わること」を彼らは選んだのです。
そして、任務を、つつがなく遂行するために、
自主性や、自主的な自問を発揮できないような制限が加わります。
もしもいったん、自問や、主体的な考えを持ったらば、
生前契約した、「利他的」と称する仕事が出来なくなるからです。
●これと「似た」ことが、中高自我率の人に起きています。
なぜ、そのような制限を自分に課すのかという点については、
私の推測では、
「下手に自我率が中高自我率であったため」
としか、言いようがありません。
この中高自我率の人たちの脳内、あるいは価値観というのは、
必ずといっていいほど「利他性」に毒されています。
何が本当に利他的であり、
何が利己的であるのかの「考察」すらもしないままに、
軽率にボランティア活動に参加するのによく似ています。
●彼らがこうなってしまった最大の原因は、
たとえば、自我率が3/4(75%)ほどあったらば、
防護壁の強さもあり、まずは、違和感に鈍感になります。
また、違和感に鈍感にならないと、契約した仕事が出来ないからです。
先天性の全自我の防護壁の場合には、かなりの柔軟性があり、自由性があり、
強固でありながらも、繊細な過敏さも持っています。
しかし、生まれつき、90%以上の自我率があってさえも、
その自我率では、主に「自己保身」に、その自我率が使われます。
前に書いた「自己確認」の繰り返しを邪魔するものに対する防護のみに
使われます。
●なぜそうなるかは、自我率と言うものを「お金」に喩えると、
かなり分かりやすくなります。
いままで、自我率というものを、筋力や基礎体力に喩えることもしてきましたが、
ここでは、お金に喩えます。
●たとえば、自我率が1/5の人がいたら、その人は、
自分一人の活動を維持するので精一杯です。
この20%の自我を、20万円だとします。
その人は、一ヶ月生活するので、ぎりぎりです。
●しかし、自我率80%の人を、80万円持っている人だとすると、
その人は、自我率20の人が決してやらないことに手を出します。
それは、何かへの「投資」であったり、誰かへの「援助」です。
つまりは、他者とか社会とか、対外的なところにそのお金を出します。
大雑把な、くくりではありますが、
これを仮に「利他性」または、「投資」とします。
●すると、この中高自我率の人は、持てる自我率を全部自分のことに
使えばいいものを、何を思ってか、他者のために使う、
または、他者の才能を利用して、自分が利益を得るということに使います。
自我率を、お金に喩えると、
生前契約で、もしも自我率が90%の人がいたら、
利他性を含む契約など「しなければ良かった」のに、
下手に自我率という資金があったために、
契約内容に、余計な利他性、寛容さ、他者の為の「うんたらかんたら」を
自分で盛り込んでしまったか、
あるいは、それらが既に「巧妙に詐欺的に盛り込まれている契約書」に、
同意してしまったということになります。
●つまり、初期値が中高自我率の人に、多くみられる、
「定義や目的も、はっきりとしないままに、
1人の他者の為とか、社会における利他性に囚われている」
というこの傾向は、低自我率の人が決してもっていない、
お金(自我)の余裕から、慢心に陥ったか、詐欺に遭ったと見なせます。
ちなみに、先天性の100%の全自我の人は、絶対に自分を切り売りしません。
●そして、私の感覚では、どうやら「生前契約」で、
契約できる内容、項目の数は、どれだけの自我を差し出すかということと
取引がされることがあり得ます。(可能性なので確実ではありません)
普通は、「契約内容」を決定したり、「選択する」ことにおいては、
自我の一部を支払う必要などないはずです。
誰にも、同じ形式の契約書があり、
あとは、本人がそれを読み落したり、
解釈を間違えないかぎりは、定型の契約書があるはずです。
自我率が低いからといって、選べる選択が狭まるわけではありません。
逆に、自我率が高いからといって、
沢山の条件を選べるわけではありません。
●ところが、どこのヤクザな詐欺師がやったのかは知りませんが、
「あなたの自我率では、この人間という物件は、手に入りません。
その資金では、こちらの安い物件(人生)しか契約できません」
という嘘をついた可能性を、私は疑っています。
そんなルールはないはずなのに、
それを聞いたあなたは、
「じゃー、自我を20%減らすことに同意すれば、
立地条件や、生まれる環境や、一回の人生で出来ることの種類を増やせるのか?」
と思わされるわけです。
●こうして、本来は、希望条件は、自我率に関係なく、
すべての人間に開かれて、平等であったはずのものを、
あたかも、自我を支払わないと、より条件のいい肉体と人生が、
手に入らないと思い込まされた可能性も否めません。
●確かに、自我率が低くなると、意識や注意力もボケますから、
相手の言うことを、ほいほいと、信じてしまうことは確実です。
しかし、信じろとは、誰も強制していないところが、
地球上のカルト教団や宗教と同じで、巧妙なのです。
あなたは、常に「自分が信じたいものを信じた」だけなのです。
●このあたりは、詐欺師の側に責任があることは100%間違いないですが、
詐欺師というのは、この地球でも、それを合法的にやるわけです。
同じく、生前契約でも、法令スレスレの「交渉話術や幻影」を見せて、
あたかも、「契約条件を良くするためには、自我を希釈しないとならない」、
と思い込まれた可能性が高いのです。
●これは、騙された側にどれだけの自己責任があるか、となると、
私は、騙された人間の側を批判は出来ません。
なにしろ、意識が薄いのですから、現状認識も甘く、
それでは、何も死後でなくても、この今いる世界でも、
その人たちは、簡単に、宗教やカルトや、商法や、結婚詐欺に
騙されると思います。
*********
●ということで、これだけの「悪条件」が重なっているのですから、
中高自我率の人たちは、自分のこれまでの人生の中で、
1.「自立だ、自活だ、主体性だ、自主性だ」という価値観と、
2.「利他的でありなさい。他人にうんぬんしなさい。
カルマの法則がどーだのあーだの、大乗だの」
この二つのうち、どちらに多く、あなたの時間や頭や言動を使ったのか、
よく思い出してください。
●そもそも、一般的な、巷のスピリチュアル系は、
ごく一部の、極端な「自主性尊重派」「自力本願派」を除いては、
そのほとんどは、
偽善的な「利他性」をあなたに押し付けてきました。
その中で、無明庵に辿り着いた人たちというのは、
「利他性など、偽善や、幻想ではないか?」
「他人の為にというが、
そもそも、それ以前に、自分のことを、自分は世話をしてきたのか?」
と感じた人たちが多かったはずです。
この世界の、俗に言うところの精神世界の中にあって、
「神にも仏にも、異星人にも、悪魔にも天使にも、ガイドにも従うな。
死んでも、損をしても、苦痛を受けても、
さまざまな他者と契約を交わし、相互依存をしながらも、
あくまでも、自分一人が生きて死ぬのだ、という事を忘れるな」
と明確に言い続け、その為の方法を模索してきたのは、無明庵のみです。
●そして、希釈自我の率が、50%から12%あたりの人たちは、
自分のことを、なんとかするので精一杯でしたから、
「自主性、主体性を支持する」という無明庵の方針には、
比較的、共感をしやすかったわけです。
一方で、中高自我率を持った人のうち、
半端なエセ・ヒューマニズムに毒された宗教や精神世界に、
足を突っ込んでいた人たちは、
そういう「自主独立性」を推進しようとしてきた無明庵に対して、
「あれは、エゴイズムだ」「オープンマインドじゃない。愛がない」
「自我ではなく、無我の方が大切だから、邪教だ」とかのレッテルを
貼ってきたわけです。
エゴイズム、おおいにけっこうです。
利己主義ではなく、「自己主義」という意味では、
現在の無明庵は「エゴイズム」です。「エオイズム」ではなく。
●しかし、そういう中高自我率の人にも、利他性以外に、
本人の元々の主体性というものがあります。
その元々の主体性をないがしろにしすぎたことに危機感や違和感を持った人も多いので、
昔ならば、そういう人たちが否定的になり、
嫌悪する可能性が高い「自我復元理論」に、
中高自我率の人の注目が集まるという現象も、
少しずつ増えてきています。
やはり、それは、現実に、主体性を取り戻せる道筋が、
ここで確立されつつあるからだと思います。
だからこそ、気持ちの悪いスピリチュアル系にうんざりした人や、
そもそも、精神世界や、瞑想や、宗教などマユツバだと思っている、
ごく普通の人たちが、本来の自我を取り戻すことに参加したくなったのだと
私は思っています。
●余談ですが、
かなりエソテリックなシステムを取り入れている精神世界の組織でさえも、
どこかで、自分よりも上位次元のガイドに、おもねたり、
(適度ではなく)過剰に頼ったり、利用しようとしたり、
バランスを取ろうとしています。
しかし、私の見解では、
「バランス」を取るのは、後になってからでも遅くないから、
まずは、自主性という「感覚が想起される」せっかく今ここにある、
「自我を持つ生命に固有の生存システム」を活用して、
自己がどこまでも自己であり、
他者とは一歩も相容れないという「楽しさ」を満喫しなさい、
と私は薦めているのです。
それでなければ、地球に来た意味がありません。
●だらだらと、他者や組織や、惑星との「認識の境界線」も曖昧な、
喜怒哀楽もあまりない世界へと、戻りたいのであれば、
自我復元などやめて、早々に死んでください。
とはいえ、死んでも、そういう世界に戻る可能性はなく、
いいかげんな契約書の内容に、ぼーっとした意識で同意してしまい、
現在よりも、自我率を支払ってしまって、生まれてくるのが関の山だと
私個人は思いますが。
このように、
まったくもってして、困ったトラブルばかりが、ここでは起きています。
●ということで、自我率が50%未満の人は、
むしろ、自我率が貧しく、他人の事を思い測る余裕がなく、
ケチだったそのことが「幸い」して自己主義に徹することが出来ており、
中途半端に、自我率を持っていた人は、変な余裕を感じてしまい、
1/自分のことではないことに関わるのを許諾するという「契約」をしたり、
2/支払う必要のない自我なのに、騙されて自我の一部を差し出した可能性が大です。
多くの場合には、前者の「1」だろうと私は推測しています。
なぜならば、自我を多く払ったから、生まれた条件が良くなっている、
という実例を見たことがないからです。
●何度も言いますが、
「自我率」というのは、先天性であれ、後天性であれ、
「資金」や「エネルギー」や「基礎体力」のようなものであれ、
それがいくら100%に近くなっても、
それは、あなたという人間に与えられる「点数」ではありません。
自我率は、あなたの「総合的な価値」を表現した点数ではありません。
筋力がムキムキあったり、お金があったら、
偉かったり、賢い人ということでは全くないように、
自我率というのは、人間の「質」を表す数値ではありません。
●ただし、もともと「志」があって、しかし自我という資金や体力がなかった
という人が、ひとたび自我率を回復し、復元すれば、
その人は、その自我率という資金が手に入れば、
「技」や「創造性」や「独自性」その他、
やりたいことを出来るようになるということです。
しかし、もともと「志」のない人、
または、自ら自由意志や、活動に「制限をすることに同意した人」は、
自分の充実のためには、自我率や、人生の環境を利用できないのは、
どうしようもないことなのです。
その契約内容を、「どうやって、変更するか」、
という、その「原理と技術」に対して、私は今、毎日、関心を向けています。
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