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「分割自我復元」
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[239]
■
★分割自我復元★その239■ おたより ■
by:
鈴木崩残
2013/07/05(Fri)05:36:43
全自我に復帰済みの人からのおたより
●ちょうどここ半月ぐらいの間に、全自我になってから、
しばらく時間が経つ全員から、メールがありました。
今回は、そのうち、お1人とのやりとりを掲載します。
もうおひとりからは、時々楽しいメールがくるのですが、
とにかく、掲示板には、掲載できない内容の話がどんどん増えておりまして、
自我復元とは全く関係のないブログも、その方は、既に立ち上げているのですが、
皆さんは、それをどう思うか知りませんが、
「私個人」からすると、「面白すぎて」その人のメールを紹介できないのです。
まだ全自我でない人が、そういったメールの内容を読むと、
ただの知識ばかりが増えて良いことはひとつもないからです。
ちなみにその人は、昨日、梅の間で「無無心の書」の写真を出した人です。
文字のはずが、絵になってしまった人です。
それでは、その方ではないですが、もうお1人とのやりとりを
一部だけ、掲載しておきます。
*********
メールありがとうございます。メールというよりも、アドバイスをありがとうございます。
本当は3ヶ月くらい、何も連絡しないで崩残様に何も連絡しないでいようと思っていたのです。
3ヶ月という、以前梅の間にそれくらいの間隔で生存確認メール下さいと言われていたので。
3ヶ月くらい死人禅と死後のミッションをミッチリやったら、
何か、新しいビジョンが生まれるのではないかなと。
3ヶ月くらい連絡しないでいようと思った理由の1つは
天音さん(当時はさかなさん)のブロクで、梅の間にも一部紹介されていた、
>>「全自我になることを、恐れている」面がある。
>>もう、自我復元も、終わりに差し掛かっている。
>>自我率の判定をしてもらって、
>>崩残さんに「全自我ですよ」と言われたときに、
>>全自我になっても、全く、望みどおりの自分になれなかったらば、
>>その責任は、すべて私にある。
という一文。
これを読んで、そう自分って今の自我を生かしているんだろうか?
自分の生のテーマが分かる分からないということ以前に、
はせっかく全自我になって本来の人間のパワーを発揮できるようになったのに、
何やってんるんだろうって・・・
崩残様がいう、希釈自我が始まる以前は、
全自我の人類が当たり前の時代が(あったと)ありましたが、
その時代だって、人生の時間に流されて漠然と生きてきた人もいれば、
自我を生かして主体的に生きた人と、両方いたと思います。
結局、全自我になることは病気が治ることみたいなもので、
健康になった体や頭をどう使うかはその人次第なんだと・・・
だから、全自我になっても、しょうもなーく人生を送っていたら、
あっという間に寿命がきて、地球に未練を残したまま、
地球に生まれ帰るか、違う星にいくか。
じゃ、じゃあ今の自分はどうなんや!!というと、
何か全自我になる前にやっていて、
今はどこか「もう興味が薄くなったな」と思えることも、
その体と頭にしみついた習慣の流れでやってしまうところがある。
簡単な事例をあげれば、
中略
こういうのって結局、対ストレスなんです。私の場合。
他にも、習慣の流れでやってしまうところは、
まだまだコミュニケーションなどでもありますが・・・
そんなことを思えてきたら、
崩残様と連絡をとるのを少し間をおこうと思えてきたのですが、
そうした時に人から離れて1人になろうとするのも、
私の悪いこと習慣の流れなんですよね。
1人でいて少し時間がたったら、感傷的になった心が落ちつきますから。
でも根本的な解決にはならないですけど。
3ヶ月くらい連絡しないでいようと思った理由のもう1つは、
>>●私が他界したあとに、戦車さんが、無明庵の掲示板を、
>>戦車さんの「遊び場」とすることに、異論のある人は、1人もいないと思います。
の一言。もうこれでジェラシーを感じた。
戦車さんを認めていないのではありません。
認めていなくて自分の格下と思う人に、ジェラシーを感じたりしませんから。
でも、落ち着いて考えると、このジェラシー感って、
明らかに自分のトラウマから来てるんですよね。
崩残様も私の自我復元報告で知っての通り、
私の親は、子供に関心をもつような親ではありませんでしたから、
私は寂しかった。悲しかった。
今回の崩残様の戦車さんへの継承宣言は、
ちょうど親に見放されたような感じがして、寂しかったし、悲しかった。
だからジェラシー感を持ったんです。
だから少し間をおこうと・・・
まあ、これも困ったら逃げて距離をおこうという、
自我復元前からの悪い習慣の表れですが。
なんか、今だにトラウマから身についた思考や感情の習慣から、
離れらないんて、悔しいですね。
崩残様が、メールをくれてこんな自分を振り返りました。
中略
死人禅と死後のミッションは続けていきます。
やっていて、何か私自身の変化に役立つ感じがあります。
それから生活の木の「乳鉢」は買いました。
まだアマゾンから届いてませんが。
今使っている、近所のスーパーで買った茶碗とどっちがいいか比べるのが楽しみです。
以下、私からの返信です。
↓
◎◎さんへ
>>そう自分って今の自我を生かしているんだろうか?
>>自分の生のテーマが分かる分からないということ以前に、
●この「自分の生のテーマ」を分からねばならない、
というのも、実は一種の強迫観念です。
これに対するアプローチはいくつかの種類があるのですが、
ひとつは、過去から現在までを探ると、
親の影響とは無関係に、ずっと縁のある物や人、
というのが発見のカギになることがあります。
私の場合、一環して、文と、紙というのがありました。
本ということではなく、印刷物としての紙です。
だから、本当は今も、紙に印刷した本を出すべきだろうとは
思うのですが、資金的に不可能に陥ってしまいました。
その分、紙との縁は、「禅書」という形に変わっています。
◎◎さんの中にも、何かひとつふたつあると思います。
次に今回の生という枠よりも広げて、となると、これは少し難しいです。
銀河系の中心部で、自分の連続的な活動性質に関するデータを見せろ、
という形で断片的に知ることは出来ますが、
パズルを組み合わせるようにしてゆかないと、簡単には一直線上に並びません。
いろいろな矛盾も出てきます。
しかし、生の目的というのは、本当にその目的を知ったら、
「その目的に添って生きたいと望んでいるのか?」には疑問があります。
目的がある、または分かるというのは、
「これで、間違っていない」という「バックアップ」を欲している、
という点で、いまだ、「恐怖」がそれを支配しています。
しかし、目的が分からずとも、
たとえ、目的とは違って、間違っていようとも、
「もしも間違っているなら、現象で示してみろ」といって、
間違っていることを恐れずに、生きて経験をとにかくする、
という道も全く自然にあって良いものです。
「分かるのはあとでよい、
まず経験して、そこから出てくる疑問だけが、
本当の本人のものである」
というのは、一般的にも言われることですがある一面では正しいです。
分かったり理解したことが、
全自我の応用や、生を充実させるかは別問題です。
生の目的を知りたい、というこの根拠を欲する意志が、希釈時代の、
「知って、安心したい。自信を持ちたい」に由来している可能性もありますので、
このあたりを一度、本気で知りたいのか、
それとも、知ったら楽しめると思っているのか?
との自問が必要かと思います。
中略
>>こういうのって結局、対ストレスなんですよ。私の場合。
対ストレスでいいのです。
全自我になったら、ストレスがなくなるなんて、思っていないですよね?
先天性全自我の人だって、ストレスがあります。
ただ、唯一、それが希釈自我の時代と違うのは、
そのストレスは、トラウマ由来ではなく、本人のものであるということです。
本人のストレスですから、それをどうするかは本人次第であることと、
どうにかした場合の成果は、すべて本人の血肉になります。
これが希釈自我の時代には、
他人の果実になってしまうことがほとんどです。
ストレスは同じでも、ストレスとどう戦ったりしていくかが、
ようやく、本人の個性を作ります。
ささいなことから、形而上学的なことまで、
それまでは、他者の意見に振り回されていた悩みが、
「正しい悩み方」あるいは「本人の固有の悩み」になるということです。
>>でも、落ち着いて考えると、このジェラシー感って、
>>明らかに自分のトラウマから来てるんですよね。
>>崩残様も自我復元報告で知っての通り、私の親は子供に関心を
>>もつような親ではありませんでしたから、私は寂しかった。悲しかった。
それだけではないと思います。
むろん、その要素を考慮してもいいですが、
私から見ると、嫉妬というものが発生するには原理があります。
それは、嫉妬する側の「ライフスタイルのスタンスが定まっていないこと」です。
ちょうど、自分と良好な関係である恋人がいる人は、
他の恋人たちには関心を向けませんが、
自分の足元にぐらつきがあったり、または恋人がいないと、
いろいろな異性に目がいったりするのと同じです。
才能や適正は、人それぞれですから、
会社組織などでも、あきらかに自分よりも適任だと思う人が
何かの職務についたときに、
「なんで、自分じゃないんだ」とか
「頭では、自分よりも適任だと分かっていても嫉妬する」
という現象があります。
私自身の若い頃の過去を振り返っても、
「頭では相手に敗北している屈辱を感じ、
相手の実力を認めているが、しかし感情的に嫉妬がある」
というケースは、必ず、原因がありました。
それは、その時には、「自分に自信がなく、不安」なのです。
昔の事例を思い出すと、ちょうど、そのころ、私は失業していましたが、
そういう不安定な生活の中で、
ちょっとした恋愛沙汰の中で、嫉妬の念を持ちましたが、
もしも、自分の生き方に絶対的な自信があったら、
他者に嫉妬などしなかったと思います。
自分に出来ることと出来ないことをわきまえた上で、
自分に出来ることを精一杯やることに関心の大半が注がれていたと
思うからです。
地球は、「ジェラシック・パーク」とも呼ぶべき惑星なので、
この問題は、なかなか複雑です。
すべてを「トラウマ由来の寂しさ」にこじつけられない面があるのです。
>>死人禅と死後のミッションは続けていきます。
>>やっていて何か私自身の変化に役立つ感じがあります。
やっと「死人禅」や「ミッション」が、きちんと役立つというのが、
全自我の大きな利点だと思います。
全自我でない人がやった死人禅など、まず正しく機能しておらず、
よけいに頭がボケてゆく人たちや、知ったかぶりや、
コンプレックスから、無明庵の本の内容を偉ぶることに悪用したり、
とんちんかんな解釈をする人ばかり見てきましたので。
むろん、「全自我で、人生を楽しみなおす」という道もありますが、
死人禅それ自体が、今にして思えば「全自我を想定しているものだった」ので、
私も、後天性の全自我の人が、行法をやるとどうなるかは、
非常に興味があり、知りたいところです。
全自我の人たちは、先天性、後天性も含めて、
人生の悩みそのものが、ようやく「悩むに価値あるものになる」と私は思います。
それは何も精神世界的なことではなくて、恋愛やセックスひとつとってもそうです。
糧にならない悩みはなくなる、それが全自我です。
しかし、それは、孤高で、孤独な道です。
全自我の人たちは、その孤独な道を死守してきたのです。
悩むのは当たり前です。
自分の生の目的に悩むのも当たり前です。
時には、人生の目的など捨てて楽しみたくなるのも当たり前です。
そうした矛盾する意志をどう自己操作するか、
全自我の人というのは、トラウマやACの影響を全く受けずに、
「自分で」それを出来るようになったということなのです。
何ひとつ、他人のせいには出来ません。
人のせいに出来ないという認識があるからこそ、
自分の生を生きて死ぬということに、実感と誇りがそこにあるのです。
これが希釈された自我のままの人たちだと、
結局は、誰の為の生だったのかすら、わからなくなり、
正しい意味での、自尊心と、生の実感もなくなってしまいますから。
崩残
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