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「分割自我復元」
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[240]
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★分割自我復元★その240■ 現存する「インナーチャイルドの手法」の限界 ■
by:
鈴木崩残
2013/07/06(Sat)22:08:33
救出か? 一体化か?
●「インナーチャイルド」という用語自体が、日本語ではないので、
それが意味するところは別として、どうも日本人には馴染まない。
ACのように「IC」と略してもいいのだが、適切な日本語が難しい。
無明庵で何と名前をつけるかは置いておいて、
下記のような質問の中にも、そのICが登場する。
質問者の部分の記述を読むと、多くの読者の人にも無縁ではなく、
また、これまで桜の間でもたびたび目にしてきた、機能不全家族の
様相が垣間見えるに違いない。
回答部分は一切飛ばして、質問者の記述のみを見てください。
↓
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7796704.html
●トラウマは思い出して整理したが、「次の手だてがない」という
この状態に止まっている人も、自我復元をしている人の中には多いと思います。
●子供のころに置き去りにされた感情のうち、特に、
拒否、悲しみ、寂しさ、傷み、怒り、などにまつわる「事件」を
細かく思い出すというのが第一段階であるとすると、
第二段階では、現在の大人の視点から、覚めた目で分析するのではなく、
その時の「子供であった時の生の感情」を思い出す必要があることは、
これまでも桜の間で書いてきたとおりです。
ここまでは、一般的なセラピーでも出来ることですが、
これすらもしようとしないままに放置したり、
または、しようとしても、出来ていない人もいます。
●しかし、私は少し前から、皆さんからの報告の中で気になっていた
問題があります。
それは、このIC、自分の中で、
取り残されたまま時間が停止しているその子供を、発見したのは良い。
その子供の本心の声を聴いたのは良い。
手を差し伸べて、救出しようとしたのは良い。
しかし、どこか、まだ「上から目線」なのである。
トラウマ掘りの報告の中では、確かに感情が噴出し、泣いたり、
ほっとしたりする事は、起きている。
それ自体は、非常に重要なプロセスです。
●しかし、その「子供」との間に距離があります。
「インナーチャイルド救出ドラマ」の定番のようなストーリーを
どこか、演出してしまっている人が一部にいます。
むろん、生のまま取り出した人もいます。
しかし、どちらのケースでも、
「救出した側の今の人格は、歪みに歪んだ人格」なのですから、
果たして、その今の人格が、上から目線で、その子供を育てることなど
出来るのだろうか?
ここが私の疑問点です。
むしろ、「真逆」ではないか?
歪んでいなかった、その子供に、主導権を明け渡すべきではないか?
●ところで、このインナーチャイルド、または「取り残された人格」は、
トラウマ掘りをしている人が、何も参考にせずに、それに自然に行き当たる、
ということが多くあります。
下手に心理学やカウンセリングを知らない人ほど、
生の形で、取り出し、発見しますが、
下手に本やネット情報などで読みかじった知識があると、
無自覚に脚色を加えています。
●俗に言われる「取り残された子供」に対して、それを発見できたこと、
拾い上げて、その人格を明確に認めて、育てようと決意すること、
ここまではいいのですが、
「上から目線」で、子供扱いして、優しく引き寄せて、抱いて、
その「子供」を育てるという、その姿勢や感覚そのものが、
どこか間違っているのでないかと、私は感じ始めている。
逆に、今の自我復元をしてるその人格こそが、
その子供によって、これから育てられるべきなのではないかと。
ベタすぎるインナーチャイルド・セラピーの限界
●今までのセラピーのプロセスは以下の通りである。
1/過去の記憶を辿り「トラウマ」や「調教」や「AC」の原因を探る
2/当時の「子供としての生の感情」を思い出す。
3/インナーチャイルドと上手く共存して生きてゆく。
私は「2」までは正しいと思うが、そのあとが間違っていると考えている。
●今まで寄せられた自我復元の報告の中の、
特にトラウマや機能不全家族問題に焦点をあてると、
記憶を辿って、事実関係を思い出し、
その当時の怒りや苦痛などの「感情」を発見する、
ここまでは出来ている人は沢山います。
ただし、当時の怒りを思い出している「主体」が問題で、
それが、私がよく言う、
>「その当時の、子供だったあなたの感情」ではなくて、
>現在の大人の目線からの感情、であることが多いのです。
●例をあげますと、S020さんの怒りは、
当時の本人の子供の時の怒りではなくて、現在の大人の恨み節です。
また、戦士さんが「思えば、いろいろ母親には、世話になったねー」と
言う場合も、それは大人の目線から過去を見ての思考です。
しかし、本来は、どちらも、今の視点からではなく、
時間を当時にまで戻して、怒りであれ、安心感や感謝であれ、
子供だった当時の本人の中にあった感情を引き出さねばなりません。
また、根路里さんが、トラウマを掘ろうとしたときも、
怒りや不信感を発しているのは、あくまでも現在の大人のものです。
しかし、その大人である今の精神構造は、思いっきり希釈時代に
歪みを生じているのですから、
その現在の怒りの主体が、取り残された純粋な子供である自分を、
育てられる良き親になれるわけがありません。
●つまり、
現在の目線の「主体」から過去の子供時代について怒るのと、
当時の子供そのものが「主体」となって怒るのでは、
全く次元が違います。
たとえば、純粋な子供の感情は、
その時の親に、「ちくしょー」とは言いません。
「ちくしょー」と、悔しがっているのは、現在のあなたです。
しかし当時の子供は、
「ただ、怒っている」「拒否している」「痛がっている」だけです。
歪んだ後に出来上がった大人の人格の怒りには、「恨み」を伴いますが、
歪む前の子供の怒りには、恨みは伴わず、拒絶や痛みや怒りがあるのみです。
●すなわち「トラウマ掘りやAC掘りや調教掘り」をしているときに、
>当時の生の感情を拾いだすことは、きっかけとしても、大変に重要ですが、
>さらに重要なのは、その感情を発していた「主体」です。
当時の子供としての感情だけではなく、その「主体」を引きずり出して、
かつ、その主体に主導権を渡さないと、トラウマの解決は完了しません。
●ベタなセラピーでは、見捨てられた子供時代の感情を具体的に明確に思い出し、
そして、そこで泣いたり、叫んだりすることが自然に起きて、
その後、その象徴的な「子供」を引き寄せ、認めて、抱きしめる、
または、手を放さないと決心する、
といった「ドラマ仕立て」になってしまいます。
結果として、
「正常になった気になるだけ」で、道が閉ざされてしまいます。
●現在の自分に、
「その当時の子供の感情」を「混ぜたり、足したり」しても、
結局は、主導権を握っているのは、抑圧された方の人格ですから、
それは、毒親やACの影響を反映した「毒親」に過ぎないのです。
その「一種の毒親である、今のあなた」が、
純粋だった自分の中の子供を、正常に育てられるわけがありません。
*********
●そこで取るべき手段は、
トラウマが掘れて、当時の生の子供のままの感情を掘り出して、
当時の感情を「追体験」できたらば、
>その感情体験だけに留まらず、
>その当時の感情を発している「主体」を引っ張り出すことです。
そして、引っ張り出したら、
>その「汚染される前の子供の主体」に、
>現在の生の主導権を、譲り渡すこと、明け渡すことです。
●育てるべき「種子」そして、育てる「主体」を間違えると、
トラウマ掘りや、AC掘りは、意味がありません。
トラウマ掘りと称する行為の中で、見つけ出される、
俗に言うインナーチャイルドとは、当時の感情だけではなく、
その感情や記憶の発掘と同時に、その「主体」を引き出して、
それに現在の生の主導権を、「バトンタッチ」しないとならないからです。
なぜならば、
今の皆さんの大人になった頭がやらかす分析、反省、トラウマ掘り、
そして、怒りや悲しかったという感情は、
「現在、大人である、あなたの側」から向けた感情ですが、
本当に、その当時に、その感情を出した「主体」は、
今のあなたではなく、「無傷の主体」だったからです。
傷のある「現在の主体」が、
どう頑張って「無傷な主体」と折り合いをつけようとしても無駄です。
逆に、「無傷な主体」が、
現在の「傷だらけの主体」を世話する必要があります。
●下手に、人生を世渡り出来てきたり、
親に対抗してこられた、「実績」のある「傷のある主体」は、
そこで相手にした者がゾンビでしたので、その反動で出来てしまった人格です。
その結果として、卑屈になって、他人に逆らえず弱くなったにしても、
ある程度強く、他人を押しのけてきたにしても、
それは、あくまでも、希釈自我としての主体の抵抗が作り出したものにすぎません。
その経験には個別に価値や意味があっても、
それを今もまだ「操作している主体は、原主体ではない」のです。
●しかし、幸運にも、トラウマ掘りの結果として、
まともな「原主体」の方を発見できたらば、それに主導権を渡すほうが、
人生知ったような事を、のたまう主体よりも、
物事の見方が、ずっと正常な認識になります。
その場合には、希釈自我の時代に積んだ経験や知識も、無駄にはならず、
新しい「原主体」の指示によって、時間をかけて再構成されます。
*********
●今のところ、復元ブログを書いている人、または過去に書いた人で、
「子供だったときの、その主体」を引きずり出して、その原主体が
起動しつつあるのは、4人だけです。
ひとりは、「クロマルさん」。もうひとりは「天音さん」です。
あとは「お姫ちゃんさん」が、やや起動です。
ブログを書いていない人で、今まだ自我復元中の人で、
確実な人が1人います。
●ちなみに、マディアさんが「アイツ」と呼ぶ、その主体は、
マディアさんとの間に、まだ距離があります。
それは、あくまでも、今までに、頑張ってきた現在の主体が、
そのアイツを取り込もうとはしているのですが、難航します。
マディアさん自身も、「アイツ」との距離感が縮まらないことに、
現在、不満があり、悩んでいると思います。
その場合には、
主導権が自分にあるという前提で、
「アイツ」の言い分を聞いてやるのではなくて、
現在のマディアさんが、「一時的」にでもいいので、
身を引いて、手をひっこめて、
結果に構わずに「アイツ」を前に出して、やらせてみるのです。
●復元ブログを書いている人では、
マディアさん、戦車さん、おめめさん、その他の人たちも、いずれも、
当時の「感情」までは、なんとか掘り出しても、
感情を発した当時の「主体」は、まだ発掘はしていません。
マディアさんは、ようやく、その足をひっつかまえたところです。
あとは、「お姫ちゃん」さんも、現在の大人の目線の主体から、
当時の感情を思い出して、今の大人の視点で怒りを表現していますが、
一方で、汚染されていない「無傷の当時の主体」も、少しずつ出てきています。
●天音さんは、これまでの人生での「自分がやった」という実績感が
薄かったことが幸いして、
(トラウマを掘り進めることの出来た主体性は別としても、)
それ以外に、自分の実績として、固執する価値のあるような、
現在の主体が形成されなかったために、
それが、逆に幸いして、「原主体」とも呼べる、
トラウマを受ける以前に存在した無傷のままの子供の主体が、
今、次第に、入れ替わりをしようとしています。
●そういう意味では、この「原主体」の発掘と主導権の明け渡しの問題は、
現在の自我率がいくつであるかに関係なく、
また、それまでの人生で、どれだけ人としての技を磨いてきたかにも関係なく、
トラウマ掘りや、自我復元の、
どの段階にいる人にとっても共通の課題であり、汎用性があります。
●繰り返し言いますが、
「掘り出すべき」「炙り出すべき」なのは、
子供だったときの、当時の「子供としての感情」だけではなく、
その感情を発した「主体」です。それは現在の主体とは違います。
その子供の時の主体が、今のあなたかからは、どれほど未熟に見えても、
現在のあなたの主体とは違って、「全く無傷な主体」なのですから、
その主体の前で、現在の主体が上から目線で、子供扱いをしてはならない。
そもそも、その主体は象徴としても「子供」ではありませんので、
●機能不全家族問題を作り出してきたり、その中で傷ついたり、
あるいは、物事を解決してきたと思い込んでいる「今の主体」は退いて、
その「原主体」こそが、「今後の主体」に入れ替わるべきなのです。
●しかし急激に明け渡すことは不可能ですから、
少しずつ、その「原主体」に、生の仕事を任せる機会を増やしてください。
最初は、一時的に任せるのでもいいのです。
●ただし、この「原主体」は、幼少期のトラウマを、必死になり、徹底的に掘って、
その感情を、しかと掘り出した人にしか、発見は出来ません。
それすらもせずに、内面を探せば、原主体が見つかるだろう、
などとは夢にも思ってはいけません。
私は、とにかく、鈍感で、怠惰で、
自問もしないで、他人と自分を比べてばかりいるような人間は大嫌いです。
●掘った結果として、見出されるのは、「無傷な子供」であっても、
>それを掘りだす努力をすべきなのは、「傷を持っている、今のあなた」です。
そこを都合よく、悪用した曲解をしないでください。
●ですから、今、必死に、自分の幼少期の問題点を掘っている人たちは、
自我判定の際の報告には、
ただ過去にあったことの事実関係の記憶を、
冷えた目で、実況中継しているだけのような報告をするのではなく、
まず、その子供の時に発した感情を「子供として」思い出し、
その感情と共に、その感情を発している「主体」を引きずり出してください。
●自我判定のアンケートの中に、
「家族との関係に問題はありませんでしたか」という質問が出てきますが、
たとえ9/10自我の人でも、必ず問題はあります。
そういうものは、なかったと思ってしまう自分が異常だと、まず疑うことです。
■手順をまとめると、
1/具体的に、不快感、怒りを感じた幼少期の「記憶」の掘り出し。
ただし、記憶を思い出して分析しただけでは、まだ他人事です。
2/当時の子供としての「感情」が噴出すかどうかが、鍵です。
3/さらに、当時の感情のみならず、
その感情の「主体」をひっぱり出せるかどうか。
そして、それが現在の主体の位置を占める割合が、増加するかどうか。
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