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「分割自我復元」
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[242]
■
★分割自我復元★その242■ 報告/追記 ■
by:
鈴木崩残
2013/07/09(Tue)09:54:41
判定の報告・お二人目
鈴木崩残様
***
中略
***
3.11の震災で、死の恐怖に直面したこと、
被災地で、その後の混乱を過ごしたことで、
自分という人間が自分で思っていたほど立派でも真面目でもなく、
嫌なやつだったということに気付きました。
また、人があっけなく死んでしまい、
自分にも残された時間には限りがあることも分かりました。
だからこそしっかり生きようと思って頑張れた時期もありました。
でも、どこかで、それまでにしっかりと取り組んできたり、
できたりしてきたことも嘘臭く感じてしまい、
復元もやったりやらなかったりしています。
震災がなんらかのトラウマにはなっているとは感じていますが、
これは復元とは関係ないよな、自分の意欲や本気度の問題だよな、
と思いながら過ごしてきました。自分でもよく分からないのです。
崩残さんに叱咤激励していただきたいという気持ちもあります。
こんな変な判定依頼ですが、どうぞよろしくお願いします。
***
呼びかけのイメージの仕方が悪いのか、
夢の中に関連する内容が出てきたことはありません。
回収は朝起きて布団の上にあぐらをかいて5分程度。
回収ボックスから取り出して、
脳に収めるまでの一連のイメージをもってやっていますが、
イメージする力が弱いのか、あるいは、呼びかけ自体がうまくいっていないのか、
回収できたと実感できたことは一度もありません。
復元作業自体がうまくいっていないのかもしれないという気持ちが、
取り組みへのモチベーションを下げ、作業を休んでしまうことにつながっています。
DVDを見直したり「分割自我復元理論」を読んたりして、
方法を確認したのですが、それでもこのような状態です。
***
人を恐れることが以前よりは少なくなってきた。
中学生の頃から、
「他人は怖い、人間は怖い、威嚇的な人とは交わりたくない」と思ってきました。
人と接するのが苦手で、できれば交わりたくないと思ってきました。
これが自分にとって大きな問題点だと思います。
大きく改善されたわけではありませんが、
いくつか以前とは違う行動がとれるようになりました。
以前であれば職場の飲み会などは苦痛で、
理由をつくって欠席することがあったのですが、今ではなくなりました。
飲み会の席では多愛のない話が多く、共通する話題も少ないし、
積極的に話しかけていくのも億劫だし、つまらないことばかりだと思っていました。
また、私は下戸なのでお酒を楽しむこともできません。
でも、今では、ある程度は会話を楽しむことができますし、
同僚がどんなことを考えているのかが分かるので、
それなりにいいこともあるかなと思っています。
***
以前であれば、職場で必要な事以外のことは、
気軽に同僚に話しかけることもあまりありませんでしたが、
かなり普通に話せるようになりました。
職場以外でも、知らない人と話してみようかなあと思うことも出てきました。
これらは、復元を集中してやっているときはその傾向が強くなり、
サボると元に戻ってしまうような気がします。
復元を続けていると、
今まであまり話したことがない人と話をする機会が増えてくるようです。
***
人を恐れる理由
自分が人を恐れるようになった原因は、
以前には、保育所時代に受けたいじめだと思っていました。
私が子供の頃は、近所に家がなく、
保育所に入るまでに友達と遊ぶという経験がほとんどありませんでした。
日常的には家族以外の人間に接することがない生活でした。
保育所に入っても知っている子は誰もおらず、
私は毎日プロレスごっごの悪役レスラーにされ、
戦っても最終的にはみんなにやられる役をさせられていました。
それが嫌で、行くことをしぶるようになったのですが、
親に理由を聞かれても話すことができず、
単にわがままだと思われて無理やり連れていかれました。
この経験がトラウマとなったのだと自分では思い続けてきました。
しかし、復元を続けているうちに、
これは自分の親との関係が原因になっているのかもしれないと思うようになりました。
親との関係は、ずっと何とかしなければならないとは思っていたのですが、
人を恐れることと関係付けて考えたことはありませんでした。
父は長男の私を可愛がったそうです。その頃の記憶は何もありません。
***
だた、怒ると怖いので、なるべく怒られないようにはしていたと思います。
保育所でいじめられたことも、
「そんなことで・・・」と怒られそうな気がして言えませんでした。
父に無理やり車に乗せられ、保育所まで連れて行かれました。
車から降りても、すぐに行くとプロレスごっこが待っているので、
保育所の入り口の林の中に隠れて、始業のチャイムがなるのを待っていました。
それで事無きを得たのですが、
父は自宅近くの丘から双眼鏡で私の様子を見ていたのです。
その後、父とどうなったかは思い出せません。
しかし、これ以来、父は私を監視する存在だと認識するようになりました。
保育所に入って、幼いながら父から離れて一人立ちしようと思ったにも関わらず、
友達とうまく交われず、父に監視されることになるとは。
この経験で、私はすっかり父が嫌いになりました。
父は、普通の父親のように、我が子のことを気遣ったり、心配したりはしていました。
でも、私にはそれが愛情として感じられたことはありませんでした。
***
小学生になった私に、父は勉強させたり、習い事をさせたりしました。
普通の家庭だと、そういうのは母親の役目が多いのですが、
私の家では母は勉強のことにも、習い事にもほとんど口を出しませんでした。
父は私が1年生になったとたん、4教科のドリルを買ってきて、
毎日やらせられました。
そして、毎日やっているかどうか点検されました。父の監視です。
監視は、なんと高校まで続きました。
高校生になっても、毎日必ず私の部屋に入ってきて、
勉強しているかどうか見にきました。
習い事は、小学生の頃、習字、そろばん、クラシックギターをさせられました。
自分で望んだものはありませんでした。
当時、近所ではギターなど習っている子供はほとんどいなかったのですが、
父は、自分が弾きたかったのにできなかったという理由で、私に習わせたようです。
4年生から6年生まで習ったのですが、
やっているうちにそこそこは好きになりましたが、
毎日、練習しているかを父に尋ねられたり、
練習の様子を見に来られたりするのが苦痛でした。
勉強と同じで、やってなくてもやったふりをしていることはかなりありました。
いつでも監視されているので、ごまかさなくてはやっていられませんでした。
自分の意志に反して、やりたくないこともやる、やったふりをする、
体裁を整えるだけ、という悪い癖は、
小学生の段階ですっかり身についてしまいました。
父が私に勉強や習い事をさせたのは、父が幼い頃、貧乏なために、
十分勉強ができなかったことが原因になっていたようです。
貧乏だったから、馬鹿にされた、差別されたと、よく私に話して聞かせました。
父は、自分のできなかったことを、私にさせたかったのでしょう。
それが、親としての務めだと思っていたようです。
父の監視のせいで、私は家で自分の考えを述べることも、
気持ちを表に出すこともできなくなりました。
象徴的な事件を2つ書きます。
***
一つ目です。
小学生の時、私は理不尽なことで父に怒られました。
私が悪いのではないのに、私が悪いことになっていました。
弁解も何もできませんでした。
何か言おうものなら、余計に怒られるのは目に見えていました。
私は、涙を流しながら、歯を食いしばり、
心の中で「畜生、畜生!!」と何度も叫びながら、父の説教を聞いていました。
こんなに怒りに震えているのに、
泣いて反省している様子を見せなければ、説教は終わりませんでした。
部屋に戻るなり、私は壁を殴りつけ、床を蹴飛ばしながら、
声を押し殺して「畜生、殺してやる!」と何度も叫びました。
少し収まったところで、机の中から紙切れを取り出して、
「*****」という題の詩のようなものを書きました。
この件の理不尽さを訴える中身でした。
書き終えたら落ち着いてきて、
その紙をくしゃくしゃにしてゴミ箱に捨てました。
ここでこの話は終わりませんでした。
なんと、父は私のゴミ箱の中をあさり、その詩を読んでいたのでした。
監視はごみ箱の中まで及んでいたのです。
更にショックだったのは、このことを私に伝えたのは母で、
「もうあんな事を、書くんじゃないよ。」と言ったのです。
母も父に監視されていましたし、暴力はなかったとは思うのですが、
怒った父から母が物を投げつけられるということは、しょっちゅうありました。
だから、私は、母は私の味方だとずっと思っていました。
今回、このことを思い出してみて、
母も父と同様、私のことを愛していたのではなかったのだと分かりました。
この件があって以来、
父には一切、反論も自分の考えを述べることもできなくなりました。
父には感情を見せないように、仮面をかぶって生活するようになりました。
父の監視も、机の中にまで及ぶようになりました。
余計なことを書いたり、買ったりすることもできなくなりました。
2つ目です。
父は私の体調に敏感でした。ちょっとでも体調が悪いと、すぐに気が付き、
「どこかおかしいのか?」と聞いてきました。
それは、一見気遣っているようなのですが、
私はいつも体調が悪いことを責められているように感じました。
実際、風邪をひいて咳をしていると、
「風邪なんかひいて!」となじられた事もありました。
父と母は自営業を営んでいました。
子供が病気になれば、その分仕事に影響が出ることもあったのでしょう。
また、自分が丈夫に育ち、病気一つしたことがないため、
子供が風邪などひくのは不甲斐ないと思ったのかもしれません。
ですから、私は体調が悪くても本当にひどい時以外は親にしゃべらず、
自分で熱を測って、熱があったら勝手に常備薬のかぜ薬を飲んでいました。
ある日曜日、お昼を食べていた私は、少し咳き込みました。
例によって父は「風邪か?」と責めるような口調で聞いてきました。
私は、「ううん、何ともない」と言って、無理やり咳を抑えこみました。
そして、何とかご飯を詰め込み、部屋に急いで戻りました。
抑えていた咳が止まらなくなり、ついには、さっき詰め込んだご飯も、
窓から全部吐きました。
咳き込んで吐きながら出る涙と、
「なんでこんな我慢をしなきゃいけないんだ」という悲しさの涙で、
ぐちゃぐちゃになりました。
この2つの事件は、ずっと嫌な記憶としてしまっておいていたのですが、
トラウマ堀りをした時に当時の気持ちが蘇ってきて、声を上げて泣きました。
あの頃に自分に、「つらかったね。よくがまんしたね。」と声を掛けました。
今もこれを書きながら、そのことが蘇ってきて辛いです。
***
私が大学生になり、家を出てから、
ずっと「父に反抗すればよかったのに。」と思い続けてきました。
でも、今にして思えば、それは無理でした。
私のちっぽけな自我では、どうすることもできなかったのです。
監視されて、「誰のためにこうやって働いてると思ってるんだ」と言われ続け、
すっかり調教されてしまったのですから。
私が中学や高校の頃、
子供が親をバットで殴って殺害するという事件が報道されました。
父はこれを一緒に見ていた私に、
「まさかお前はそんなことするわけないよな。」と言いました。
母は何も言いませんでした。
否定するのが普通だと思ったのですが・・・。本当に狂った家庭でした。
なぜ、父が私にこのような接し方をしたのか、よくわかりません。
自分のできなかったことをさせたかったという面は確かにあるでしょうが、
それ以外のことはよく分かりません。
私の他の兄弟ついては、私のように監視されたということもないようですし、
何かを習わされたりしたこともありません。
父は私に対してだけ、監視をし、事細かくチェックし、
褒めることはほとんどせず、
「何でこんなこともできないんだ!」と怒りつけたのでした。
父が祖父母に同じように育てられたのかどうかも、よく分かりません。
ただ、私も気がつくと、
知らないうちに父と同じような行動をとっていてゾッとすることがあります。
代々受け継いだものがあるのかもしれません。
私は父から愛情を得られなかっただけでなく、母からもそうだったようです。
復元を始めるまで、このことには全然気が付きませんでした。
前にも書きましたが、母も父に虐げられていたと思っていたので、
私は母に同情していましたし、父と違って母は心優しい存在だと思っていました。
その思いは、私の子供が小学生になり、
親と同居するようになるまで変わりませんでした。
ところが、自分の母親を観察してみると、
そこには「父に虐げられるかわいそうな母」の姿はどこにもなく、
自分勝手で、子や孫に無関心なことばかりが目につきました。
改めて私の子供時代を振り返ってみると、
どうやら、母は自分の子供にはあまり関心はなかったようなのです。
もちろん、母親として通り一遍のことはやってはくれましたが、
母の優しさや愛情を感じた記憶が何もないのです。
そのくせ、大人になった私に、なにかと理由をつけて遣いをよこそうとしたりして、
繋ぎ止めようなどとするので困りました。
もちろん、いわれのないお金を受け取るのは拒否していますが。
私が人を恐れるようになった大きな原因は、父に調教され、
自分の意志で動くことができず、自信を喪失してしまったこと、
最も身近な他人である両親と愛情に基づいた正常な親子関係を、
築けなかったことだと気が付きました。
ここまでたどり着いたことは大きな収穫ではありましたが、
この後、打つ手がなくて困っています。
***
喧嘩できたこと
喧嘩といっても、口喧嘩です。
***
中略
***
そのため、何度も眠れない夜を過ごしました。
それでも、復元作業前であれば、**さんに意見しようと思っても、
行動には移せなかったと思います。
結果的に、私のやったことがよかったかどうかは人それぞれ意見があると思います。
でも、私は自分のやったことからは逃げないつもりです。
***
現在の職についてからは、人と口論になったことは一度もありませんでしたし、
言いたいことがあっても、その場は抑えたり、
後で小出しに言ってみたりする程度でした。
しかし今回は違っていました。
私は、自分自身で言うべきだと思ったし、言いたいことを言ってすっきりしました。
以前の私であれば、最後には爆発したかもしれませんが、まだまだ我慢したと思います。
我慢してどうするかというと、ひたすら妄想なのです。
復讐するシーンを何度も描き、ああでもない、こうでもないとやって、
無駄な時間を過ごしているだけなのです。
でも今回は、やっと2つ、反撃することができました。
それ以前の私は、自分より弱い物、勝てる相手にしか反撃できなかったのではないか?
そうすると、今までの私の人生は、妄想ばかりしてきたことになってしまう。
父に調教されて自立することも自信を持つことも奪われ、
長いものには巻かれて妄想ばかり。
これが俺の人生だったのか。なんてみじめで情けない人生なのか。
そうか、自我が足りないから、妄想で埋めなければならないのか。
これって、掲示板のどこかに書いてあったかもしれない。
でも、そうだとしても、このことが初めて理解できた。
中身がなくスカスカだから、妄想で何とか埋めるしかないんだ。
そして、妄想と現実がごっちゃになり、
やってもいないのに、やったつもり、できてもいないのにできたつもりになって、
ちっとも前に進まないのだ。
間違いなく、俺は片輪だったのだ。
今にも倒れそうで、目も良く見えず、手足も千切れて使いものにならないのに、
五体満足で、十分に歩いていけるという妄想に耽っていただけだったのだ。
***
前回判定して頂いて、私の自我率は**%という結果でした。
これにはどこか納得できないと思っていました。
自分の自我率はもっと高くなければならないと心の隅では思っていました。
でも、ここまで来ても何も変わらない自分の不甲斐なさに気付き、
やっと納得できるようになりました。
今回、判定して頂いたとして、たとえ自我率が変わっていなくとも、
それはそれで構わないと思っています。
今の自我率から始めるより他はないのですから。
今の自分から始めるしかない、と今まで何度も思って、
結局、モノにならずに終わってしまったことが何度もありました。
反省はするものの、実行力がなかったのです。
綿密に計画は立てたりすることはあっても、その先がダメでした。
結局、妄想ばかりしていて、本当の自分の姿が見えず、
やったつもりになっていただけだったような気がします。
どれだけできたか、ではなく、
やっていることで満足してしまっていたことが、今までいくつもありました。
復元作業についても同じでした。
こんなことは繰り返したくないし、もう、終わりにしなければなりません。
***
震災を経験して、自分が真面目でも立派でもないこと、
今まで積み重ねてきたことも嘘に感じてしまうようになったことは前に書きました。
ずっと「〜しなければならない」という変な義務感を持って生きてきてしまいました。
だから、私の中身は空っぽで、自分で何をしたいかもよく分からないのです。
もしかすると、震災は単にきっかけであり、
復元作業をいれば、やがてこの事に気づいたのかもしれません。
変化がないのは、中身が何もなくて、
自我が増えたとしても、何にも使えなかったからだけなのかもしれません。
また、叱られるのが怖かったとすれば、崩残さんに叱られることではなくて、
「この現実を突きつけられること」だったのかもしれないと気付きました。
今は、むしろ、叱ってほしいと思っています。
***
振り返ってみると、変わったと思える部分もありますし、
根本的には何も変わっていなかったとも思えます。
ずっと調教され続けてきたせいで、
自分がやりたことすら本当は分かっていなかったような気もするのです。
調教されている牢獄から抜け出すことばかり考えて、
そして、抜け出すことも叶わず妄想ばかりしていたのだけなのかもしれません。
しかも、抜けだした後に、
自分が何をすればいいのかなど少しも考えていなかったようなのです。
だから、スケッチブックに向かっても、
さっぱりなりたい自分が浮かんでこないのだと思います。
こんな状態では、変化すること難しくて当たり前なのかもれません。
でも、これらのことが分かったという点では、収穫なのだと思います。
もっと早く判定をお願いしていたら良かったと後悔しているのですが、
ここまで酷くならないと気づない程、だらしなかったということだと思っています。
今回はなんとしても踏みとどまりたいです。
このチャンスを逃したら、絶滅していくしかないのかもと思っています。
どうか判定をよろしくお願いします。
______________________________
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