▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[244]
■
★分割自我復元★その244■ 『3歳以下の記憶の発掘の事例』 ■
by:
鈴木崩残
2013/07/15(Mon)05:43:35
3歳以下の記憶の掘り出し作業の実例
■今回の、トラウマ掘りの事例は、いろいろな意味で重要です。
_______________________________
鈴木崩残 様
もう少し、子どもの頃のこと、思い出したことがあるので書いてみます。
桜の間にも、
>この両親は、「世間体だけ」が重要で、
>子供たちに対する、最低限度の気遣いの、かけらすらもありません。
と、書かれていて、ほんとにそうだなと思う。
愛情の「あ」の字も知らない家族と私、そして私の人生。
「原主体」のことも、そうなのですが、
この、汚れている自分を、とにかく何とかしたい。
メールにも
> 五円玉事件のときに、
> ねだった貴女はまだ、欲しいという感情を主張していたはずです。
> ただ、それを、母親は、騙して、いじめ倒した。
> だったらば、それよりも前の時期に、
> まだ意志を殺されていない子供の貴女がいるはずです。
こう書いてくださっていて、そのことをずっと考えていました。
あと、マディアさんの最新記事を読んで、なるほどな・・と思う所もあって、
確かに、何かうっすらとですけど、違う気配があるような気がしました。
実は、皆さんが書いてくださっている自我復元ブログも、
じっくり読めるようになったの、最近です。
それまで、自分、ぜんぜん書けなかった
・・・と落ち込んでいて、恥ずかしいのもあったり、
素直な正直な文章を読むと、かえって「ちくしょー!」と思ったり、
いろいろしていました。
今は、ああ、こういうこと考えているのだな、すごいなとか、
力強いなー、自分、こういうとこないなー、とか、
文章読んで、ちょっとにっこりしたり、とか、
その質感に揺られながら、
あれこれ感じたり考えたりするようになってきました。
情けないくらい、時間がかかってしまいましたが・・・。
*********
■0歳〜2・3歳ぐらいまでのこと
<0歳>
赤ん坊のときに、
半年間しか、そこで寝ていなかったはずの部屋の記憶があるので、
そのことを書きます。
私は、その部屋で寝ていて、目が覚めると、隣の部屋からテレビの音と、
家族が何かしゃべっている声が聞こえている。
私は、「ああ、いいな」というか、
そこでみんなと一緒にいたいと考えている。
そして、考えに考えて、その部屋に行くことを決断する。
まだ当時は、自分の体、思うように動かせなかったと思う。
その、隣の部屋まで、廊下を伝って4・5メートルだったと思いますが、
それは、ものすごく大冒険なことだった。
布団から出て、廊下にはいずって出る。
それから、木のすべる廊下をなんとかもがいて進んで、
半開きになっているそのテレビのある部屋のドアをドンと押して、私は登場した。
家族は「あれ〜!起きてきたの?」と、声をあげて驚いていた。
私はこれで、中に入れた!と思っていた。
でも、母は、せっかく決死の思いでやってきた私をひょいと持ち上げると、
また元の部屋に戻し、布団に入れてしまった。
私は布団に戻され、天井を見上げながらこう思っている。
「もー、いっつもこうなっちゃうんだ!」
自分が、こんな風に日本語で考えていたかどうかは、わからないですが、
とにかく「いっつもこうなる」ということを強く思ったことは確かです。
母は、とにかく私を「手のかからなかった子ども」というのですが、
もう、この時からすでに、自分の子どものことよりも「テレビ」を優先していた。
自分が「いっつもこうなる!」と思っていたところからすると、
こういう疎外感というか、自分は家族の中に入ってみたいのに入れてくれない、
母の都合で阻害されるということが、何回かあったのかもしれない。
また、私自身、姉と*歳も離れているところからすると、
もう、一応は「家族」という構成はできていて、
私はどちらかというと、
というか、かなり「異物」として扱われていた可能性もあります。
でも、一つ思うのは、
「自分、輪の中に入りたい!」と思っているところで、
こういう積極性というか、
人懐っこさみたいのが、自分にもあったんだなと思う。
ここは、今の自分と、少し体感が違うところです。
*********
もう一つ、0歳の時のことで、これは写真にも残っているので、
その日のことはよくおぼえているのですが、
その写真からすると、私が生まれて7ヶ月ぐらい。
おそらく、私が生まれて、また新居になったので、
親戚か、学校関係の人に、家族写真を見せるためか、
父が家族写真を撮ろうとしていた。
上から覗き込むカメラで、新調したのか、どうかはわかりませんが、
皆、庭に出て、並ぼうとしていました。
姉は、どうもその頃に自転車を買ってもらったらしく、
「自転車にまたがって写真に写る!」と言って、騒いでいました。
父は「そんなのだめ!」と言って、怒っている。
母も兄も、やめさせようとしていて、なんか、そんなひと悶着が起こっていました。
結局、姉は貫き通して、自転車にまたがり、
そして、家族のドンドン真ん中で写真に納まりました。
私は、この記憶は前から確かにあって、そうだったよな〜と思っていたのですが、
なんか、今回思い出して、もしかすると、
姉と私とで、何か攻防があったのではないかと思うようになりました。
私が生まれるまでは、
姉は末っ子として、割とチヤホヤされるところもあったのだろうと思う。
でも、私が生まれて、その座が危うくなってきた。
この写真も、「末っ子の私が生まれたから撮った写真」ではなくて、
姉としては、
「自転車を買ってもらった記念の写真」にしたかったのではないかと思う。
末っ子の私を中心に、物事が動くなんて、姉には嫌だったのかもしれない。
*********
<1歳〜2歳>
この間、記憶が少ない。
特に、1歳、あまり出てこない。
2歳の頃は、確か、3輪車を買ってもらったころなので、そのあたりの記憶はある。
少し、思い出せることを書きます。
・自分が「嫌だな」と思ったこと
私は、父にペットのように、一つ調教されていたことを思い出しました。
それは、父が自分のほっぺを指でツンツンとつっつくと、
そこに私が飛んで行って「ちゅー」と、キスをしていたことでした。
指でツンツンと頬を指すのは、「ここにキスしなさいよー。」という指示だった。
これは、家にお客さんが来たときに、よくやらされていて
(多分、いい父親アピールの道具)、
最初は、自分もゲーム感覚のように、やっていた気もするのですが、
2歳か、もしかすると1歳の頃、
「もう嫌だ、これ・・・。」と思うようになった。
何回か、「あー、もう嫌だな」と思いながら、父にちゅーをした記憶がある。
それから、どういう風にして、それをしなくなったのかは覚えてない。
でも、それを強要する父親がヘラヘラとして、気持ち悪いと思った記憶はある。
2歳の頃、親戚の**さんらが、家に来たとき、
突然、姉が「●ちゃーん」と、私の手を握ったり、
私のおもりをするようなことがあって、
その変わりっぷりに「なんだよ、気持ち悪い」と思った記憶がある。
多分、姉は、親戚の人に、
「いいお姉さんアピール」をしたかったのだと思う。
*********
・好きだったこと
逆に、好きだったことも思い出した。
私は、「ままごと遊び」好きではなかった。
でも、そのままごとの道具で、
「雨水を溜めること」がものすごく好きだった。
当時の実家があった所では、夏は、毎日のように夕立があって、
雨が降り始めると、私はそのままごと道具を、屋根の下(雫がよく落ちるあたり)、
木の葉の下、物干し竿の下、とか、いろんなところに置いて、
雨水がどれくらい溜まるか試していた。
雨があがったあと、
その溜まったお水を眺めたり、手で触ったり、桶に移し替えたり、
そういうのが、ものすごく楽しいというか、好きなひと時だった。
きれいな雨水をたっぷり溜める白のミルクポットが、何よりもお気に入りだった。
泥の跳ねも少なくて、きれいな水をたくさん溜めるからだった。
雨上がりに、じんわりした地面を3輪車で漕ぐことも好きだった。
そのじんわりした感触と、車輪の音、雨上がりの風景が好きだった。
流れていく雲をじーっと眺めることも好きだった。
当時、使わなくなった何かの家具がずっと庭に置きっぱになっていて、
その上にゴロンと寝て、ずーっと雲が流れるのを見ていた。
そこへ近所の友だちが遊びに来ると、がっくりした。
・カーテンの観察も好きだった。
家の中で、レースのカーテンが風でふわーっと持ち上がって、
持ち上がったかと思うと、ペタンと網戸にくっつく。
それを飽きずにずっと見ていた。
そして、レースの影が、壁とかタンスに映ったりするのも好きだった。
これも飽きずに、じっと見ていた。
・夕日を見に行くのも好きだった。
夕日が見える時は、
好きなアニメ番組がテレビであっても近くの土手まで見に行っていた。
これは、小学3年生ぐらいまで続いていた。
*********
<3歳>
「5円玉事件」の前あたりかなと思う。
一つ、絶対いやだーっと言って、貫き通した事件がある。
でも、そのいやだーっと言った相手が、父・母ではなく、
兄と姉だった。
兄が見つけたんだか、私が見つけたんだか、よく覚えていないのですが、
アゲハチョウの幼虫を家で飼っていました。
その時に、ちょうど、父が単身赴任することになり、
その引っ越しに母も行くので、私も数日、父と一緒に行くことになった。
(兄・姉は、多分学校で、行かなかった。)
私はそのアオムシとしばらく会えないのが、たまらなく嫌だった。
頭のところをツンと押すと、黄色い触覚を出してきて、
私はそのアオムシと離れるのが嫌で嫌でたまらなかった。
なので、私はこのアオムシも一緒に連れて行く!と言ってきかなかった。
兄と姉は、
「ここに置いておけば、ちゃんとさなぎになって蝶になる。
連れて行ったら死んじゃうのだから、ダメ!」という。
私は多分、そのアオムシがさなぎになって、蝶になるということ、
よくわかっていなかったと思う。
ただただ、ひたすら、そのアオムシとお別れになるのが嫌でしょうがなかった。
私は、わーーわーー泣いて、嫌だ嫌だと言い、
そして結局、連れて行けることになった。
でも、そのアオムシは、
虫かごではなくて、白い菓子箱みたいのに入っていて、
(母がそういう風にしたのか・・・、
兄か姉がそういう風にして持たせたのか・・・
自分が菓子箱に入れちゃったのか・・・、そこは思い出せない。
でも、自分では箱に入れていないと思う。
箱には空気穴用の穴が一つ開けられていて、あれは一体誰が空けたのだろう。
どうして、元々の虫かごで持って行けなかったのだろう。
今頃、疑問に思ってしまった。)
私は汽車に乗っている間も、ずっと箱を開けたり閉めたりして眺めていた。
でも、結局、最後は、弱って、死んでしまいました。
私は、すごく悲しかったのと、
アオムシにとても悪いことをしたという気持ちと、
兄や姉の言う通りだった・・・という気持ちと、
もう、箱を開けるの、つらくなっていた。
それから、父の引っ越しが終わって、家に帰って、
箱の中にまだアオムシを入れていましたが、
兄や姉に「やっぱり死んだやろ?」と言われるのがいやで、
箱の中のアオムシの死骸を、庭のつつじの木の下にササッと隠してしまった。
今思うと、土に埋めてあげればよかったなと思うけれど、
そういうのも兄や姉に見つかるのが嫌だったのだと思います。
でも、よく考えると、兄・姉は、
そのアオムシが旅行先で数日でも生きられるよう、
何か工夫をするとか、そういうこと全くしていなかった。
愛情の「あ」の字も知らない兄弟・・、
結局、アオムシ、大事にしていなかった。
小さな箱の中で、固くなって、死なせてしまった。
*********
私は子どもの頃、虫とか、わりと好きだった。
今は、あまり触れなくなってしまいましたが。
先日、近所に、黒くて白のまだら模様のカミキリムシがいて、
私は久しぶりにその動きを見ていました。
カミキリムシは、ほとんど害虫扱いなので、もうほとんど見れなくなっていますが、
その姿がとてもきれいで驚いていました。
動き方も、人間より、なんだか高貴な感じで、
カミキリムシに楽器を奏でてもらったら最高なんではないか、
と思ってしまいました。
*********
以上、思い出せたようで、思い出せてないような感じですが、
少し思うのは、自分は、生物とか自然現象とか、
そういうのが好きだったんだなということと、
あとは、音。
0歳の頃の記憶でも、多分、どの赤ちゃんも、きっとするのだと思いますが、
母の足音をずーっとたどって聴いていた記憶があります。
母が家のどのあたりを歩き、どんなテンポで何をしているか、
耳でずっと後を追っています。
あと、洗濯機の音とか、玄関が近かったので、母がサンダルを履く音とか、
誰か来た音、、、そういう音記憶が割とあるように思いました。
そして、あともう一つ、
本来、私は、もうちょっと、人懐っこいんではないのかと・・・。
*********
それから、兄・姉・私の関係。
「姉の万引き事件」もそうですが、それから遡って、
姉が5年生の時、
家出事件というか、家に夜遅くまで帰ってこなかった事件があって、
そのことも、また思い出しました。
母は、「多分、いるなら公園か高台(もの凄く広い葉っぱ)だろう。」
と言って、それから家族全員で、姉を探しに行った記憶がある。
私は*歳で、父か兄に肩車をされていた。
高台に行って「■ちゃーん!」と、姉の名前を呼んでいました。
何回かそうやって呼んだあとに、高台の奥の暗がりから姉が走ってきました。
姉は何か言いながら、泣いていたようにも思うのですが、
この辺がよく思い出せません。
母と、何かあったのかな・・とも思うのですが、
4歳ぐらいから、私は「姉の調教の為に使われるお人形」になっていたと思うし、
そういうことも絡んでいたのかなとも思う。
でも、こうして、姉は悪いことや、心配をかけることをしでかして、
「家族皆の注目を集める」という、
「新しい手口」を発掘していたのかもしれないとも思う。
*********
私は、この4歳ぐらいから、母や父が私のことを呼ぶときに、
「ほら、■ちゃん! じゃなかったー、●ちゃん!」と言われるようになり、
最初のころは「じゃなかったー!」を付けていたけれど、
もう、親はそういうのも慣れてしまったのか、
「■・・・●ちゃん!」
さらには、「■●ちゃん!」と呼ぶこともあった。
私は、そのたんびに、本当は傷ついていた。
そりゃ、たまには名前、間違うこともあるにしても、
その頻度があまりに多すぎる。
私という存在は、
「■ちゃんを調教するための●ちゃん」でしかなかった。
それ以外に、私は存在していなかった。
姉は、親に自分の名前を間違えて呼ばれたことは、多分、無いのではないかと思う。
親が、姉の名前を、私の名前と間違えて呼んでいた記憶は、
私の中には、一つもない。
*********
■6月からの変化
トラウマのことではなくて、少し、違った視点で書いてみます。
6月からの自分の変化で一つ、今まではなかったなと思うことは、
・中略・
こういう「今までにないこと」をしているのは確かです。
復元とは、何の関係もないかもしれないですが。
あと、自分の歌を録音してお風呂の中で聴いたりします。
私は歌、上手くありません。
音程も、ぶれまくりです。
でも、自分が聴いているのは、上手いか下手いかではなくて、
そこから何か出ようとしている何らかの成分みたいなものです。
音にならない声というか。
それを私は聴きたいと思っている。
そして、その歌に合わせて、
お風呂に入っている自分が副旋律を歌ってハモる。
自分の声に自分がハモって、変なのですが、
何か、どっちが主だか副だかわからなくなるときもあって、
そういう瞬間が、少し楽しい。
私は音楽、そんなに好きじゃない。
音楽を聴いて、あ、いいなと思う時もあるのですが、ずっとは無理で、少し疲れる。
音に「楽」がつくと、少し苦しいのかも。
「おんが」くらいがちょうどいいのかな。
「が」の濁点もしんどいので、
「おんか」ぐらいがいいのかもしれない。
自分にとって、楽器は多分、メロディーを奏でるものではなくて、
「風が見えるもの」の延長なのだと思う。
>・以下 省略・
________________________________
●マディアさんのブログが、この方のトラウマ掘りに役立ったり、
また、桜の間や、復元ブログに掲載される、
酷い扱いを受けた重篤なトラウマを、
克服したり掘ってゆく人の報告の様子が、
他の人に役立ったりするという、
復元ブログ者同士の「有機的」な動き(「魔術的作用」とも言えるもの)が、
ここ最近は、増えてきています。
きちんとトラウマを掘った人の報告は、かならず他の人にも響きますので、
私も、ついここ最近になってから、「単なる報告」ではなく、
「他の方に利するかどうか」を基準にして、
桜の間に掲載するメールを選んでいます。
■今回の報告は、
何人かの人たちが「掘れない」または「無関心」になって放置している、
「3歳以下」の記憶にまで突き進んでいる点で、
原主体の実体に、非常に切迫しています。
■おめめさんの文は、私は好きです。
どこがかというと、言いたいことの30%しか言えていない、
その「圧縮感」が、独特の迫力を持っています。
↓
http://omemenome.blogspot.jp/
下手に、文を脚色できたり、表現法がある人よりも、
言いたいことを「言葉に落せないでいる、生の迫力が出る」というのも、
人によっては、一種の才能なのかもしれません。
ただし、ただ怠惰なせいで、
言葉に落せないのは、ただのぼんやり意識です。
おめめさんのように、
ギラっと、意識を叩き起こしながら、ドジを重ねてゆき、
問題が噴出して、それが言葉に全部は落ちないという「力強さ」が、
それ系の個性を生むには、必要となります。
■また、私とメールで相談しながら、同じことを最近していたのが、湖月さんです。
↓
http://kogetu.tsuyushiba.com/
原主体に「近い」部分のトラウマを受けた記憶になるほど、
それは、動物的なものとも言え、
また記憶の深層部で、ずっと抑圧されてきたものですから、
身体反応(咳、嘔吐、痙攣)が激しく出るのも、
それを本人の力で摘出が出来た時の、ひとつの特徴です。
しかし、こう書くと、トラウマ掘りまでもが、
中途半端な「自作自演」や「自己暗示」になってしまい、
まるで、憑き物が憑いた(と称する)人が、クネクネするような
「精神的 な 猿真似」をしてしまう人も出かねないし、
馬鹿なサニヤシンどもは、飛んだり撥ねたり、叫んだりの瞑想ゴッコをしては、
「はいっ!
私も、吐きました、
はいっ、私も泣きました、
はいっ、私も悶絶しました、
はいっ、私も叫び(べ)ました!」
とか、「私にも出来ましたから、これで、いいでしょうか?」的な、
クソ嘘っぽい事を報告してくる人が、少しだけ増えるので、
あんまり、こういう、真実ばかり書くのは、よくないですね。
*・●・☆・●・*
________________________________
★
.
返信 [244]
<<-- これ以前の投稿 10件
(244 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -