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「分割自我復元」
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[253]
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★分割自我復元★その253 ■ ★・自分が死んだ時を考えて周囲の人の為にすること・★ ■
by:
鈴木崩残
2013/08/04(Sun)09:47:44
・いろいろな雑記・
・この記事は、8/8に書きました・
●8月8日は、私の母が倒れた日である。
翌日の午前に、他界した。
ずっと前にもどこかに書いたが、母が体を離れたのは、
(私の観察によれば)医学的な死亡時刻よりも何時間も前だった。
実は、この8月8日という日付は、私が20代の後半頃から、
「自分が他界する日」として、
ずっと直感的に確信的に、感じていたものだったが、
とりあえず、母がその日に倒れたのは、象徴的であった。
●母も父も頓死であったので、どうやら私の親と次の私の代は、
「頓死家系」のようで、非常にめでたい家系である。
それ以外に私の周囲で頓死というのは、数例あるが、それほど多く
あったわけではない。
にも関わらず、私の行動原理の「大半」は、35歳を超えてからは、
そのほとんどが「死の準備」であった。
死の準備といっても、私個人にとっては、
「自分が死んだ時に、周囲や関係者が、
何をすればいいかを、なるべく簡単に分かるようにしておくこと」である。
自分自身においては、「思いが残るような、やり残し」をしないように
しておくということ。
●これが私の行動指針のほとんど大半を、この20年間占めてきて、
人は、いつ死ぬか分からない、という意識が普通の人よりも大きいために、
それが他者にも投影されることがよくある。
そのせいで、読者の方で、たまにではなく、わりと頻繁に連絡をしている人から、
しばらく連絡がないと、私は、すぐに「死んだかも」と思うクセがある。
砂手に言わせると、
「どんどん、勝手に、人を死んだことにするんだから・・」なのであろうが、
私にとって、連絡がないということは、
その相手が、私の知覚世界からは消えたということであり、
実質的に生きていようがいまいが、「私の知覚世界」からは存在しなくなったということ。
●ただ、それが比較的親しい人であると、私は連絡がないと、
極端なことに、「死んだこと」にしてしまう癖がある。
正しくいうと「死んだかもしれない」としてしまうのである。
だから、たまに安否確認に、古い知人にもメールをしたりする。
●これは「心配症」ということではなくて、
いつも私が書いているように、ひとたび、何かの危険や、
悪化の可能性を想定すると、私は、「最悪」を想定するクセがあるせいもある。
もっとも「死」が最悪であるなどとは、毛頭思わない。
死はむしろ、「上手い按配」に、死ねるならば「最良」であり、
本当の「最悪」は、長期的に苦痛と不安を伴いながら「病床」に伏すことである。
●「上手くない按配」に死ぬ場合とは、「志半ば」で他界してしまうことである。
特に、自我復元者においては、
全自我になってからも、経験すべきことが多いというのに、
全自我以前に他界する事があると、本当に、悔やまれる。
自我復元者の方の中では、今までに他界された方は、お1人だけいます。
次の復元ブログの方がそうでした。
http://blog.goo.ne.jp/glico-shohei
てんかんの症状そのものは、半減しており、
死因は、てんかんの症状に由来するものではなく、
交通事故の「被害者」となってしまいました。
むろん、自らの発症で事故を起こしたのではなく、
完全に相手に非のある、事故のようでした。
乗っていたバイクが、交差点で、
前方不注意の軽トラックから追突されての事故であったと、
彼と親しかった方から、聞きました。
●一点気になっていたのは、実は、彼の場合、
前にも、別の交通事故の「被害」に遭っており、
他界したときにも、まだその裁判で、係争中であったことです。
その前の事故もまた、相手側に非があり、
裁判の証拠でも、彼が有利だったのですが、
とにかく、交通事故の「被害者」側になる率が、通常よりも多すぎたので、
私は、そこが少し、当時も、気になっていました。
●今の自我判定や、復元アドバイス法であれば、
もしかすると、交通事故被害に遭う率が高すぎる、という、
その「原因」を掘れたのかもしれませんが、それには間に合いませんでした。
もしかするとですが、てんかんという症状それ自体が、
車両になるべく関わらないように、という、本人の中からの、
警告そのものだったのかもしれませんが、そこは正確には分かりません。
また、車両を使わないと出来ない仕事もありますので。
●ここで特筆すべきことは、私がなぜ彼の他界を知ることが出来たかです。
彼には、たまたま同居されていた婚約者の方がおられて、
彼の他界後、半年以上経過してから、
彼のPCを開いた、その女性から私にメールが来て、彼の死を知りました。
前述したブログは、2012年の10月11日が最終更新ですが、
その16日後の10月27日が、彼の命日となりました。
不幸中の幸いですが、
事故直後に、彼は、救急隊員の人の声にうなづいたものの、
そのあとは、ほぼ意識不明となったようですので、即死に近いようで、
苦しんだ時間は、非常に短かったと推測されます。
事故直後は、ショックで脳も麻痺していますので、何が起きたか理解できず、
また、傷みを感じることもほとんど出来ないと思います。
●前述したように、このことを私が知ったのは、翌年の春ごろに来た、
彼の婚約者の方からのメールでした。
もしも事故直後、数日内に、そのことを、私が知れたらば、
彼が、死後の中間状態で、あちらの世界の事務手続きで、
変な交渉人にからまれていないか、という追跡も出来たのかもしれませんが、
他界から、あまりにも日数が経過しすぎていて、
どこへ行ったのかの追跡は出来ませんでした。
私が唯一、聞くことが出来たのは、事故直後の彼の思考だけでした。
それは、何度も、何度も、
「まいったなー。まいったなー。まいったなー(またかよ)」
という言葉です。
「また事故に遭ったのかよ。まいったな」と言うとともに、
今回ばかりは、それが、自分の肉体の死を意味することは、
彼は、すぐに理解したようでした。
ただ、その後、彼が、婚約者の方に伝えたい事があったのかどうか、
自我復元について、私に知らせたいことがあったのかどうかは、
あまりにも歳月が経過していて、分かりませんでした。
残っていて、拾えた彼の記憶は、事故直後のその思考だけでした。
この点からも、死亡した後を追跡するのは、普通の方法では困難で、
残留している思考は、あくまでも、
まだ他界直前まで、意識があった部分が、最も強く、
他界後は、短期間のうちに、「本人そのもの」との交信は断絶されます。
●私が「バナナを創った宇宙人」の中で書いた「君枝さん」という
おばあちゃんも、本人自身の本体との意志の疎通が出来たのは、
まだ中間状態にいた、ごく僅かな時間でしたから。
*********
●このケースでは、たまたま、同居している婚約者の女性がおられたので、
私は彼の他界を半年後に知ることが出来ましたが、
通常は、1人暮らしをしている方、同居人や家族に、自我復元を
知られないように実践している方たちは、
もしも、その人の身に何かあっても、私はそれを知るすべがありません。
特に、公認ブログを書いている方の場合には、
私以外の読者の人も、その人の安否を知ることは出来ません。
●これ故に、私は以前に、「自我復元ブログを書いている方たち」に限り、
「ブログの更新が、まる2ヶ月間、途絶えた場合」には、
安否確認のみ、メールを下さいと記したのでした。
ご自分が倒れた時の事を、
皆さんは考慮していますか?
●今では、自分の財布に、保険書などのカードや、歯科医院のカードが
入っているので、どこかで倒れたら身元ぐらいは分かりますが、
私は、昔、常に「緊急時にどこに連絡をするか、その他のメモ」を
プリントアウトして、ビニール袋に入れて、常に携帯していました。
発見した人が、面識のない人だった場合、何をすればいいか、
分かるようにしておくためです。
たとえば、連絡すべき連絡先を記したメモや、
伝言や、遺言は、自分の部屋のどこにあるかなどです。
●母が他界してからは、団地での1人暮らしがしばらく続いたので、
団地の室内で倒れて、誰も気づかなかったら、
季節によっては、自分の遺体が腐敗して、迷惑になるだろうなと思った。
ちなみに、人が倒れるときには、いくつかの環境が想定される。
>1/職場や、知人が周囲にいた場合。
この場合は、身元はわかっても、どこに連絡したらいいか、
調べないと分からないことも多いので、
そのためのメモが日ごろから必要です。
しかし連絡を受けた家族や知人に、何をして欲しいかを書かないと、
連絡だけ受けても困ります。
今では、携帯電話のデータを拾った人が見たり、
あるいはもう少し詳しいことは、警察で携帯電話の記録を調べれば、
誰がその人の親族かそうでないかも分かりますが、
リストのうちの誰に連絡をすればいいのか、すぐには分かりません。
>2/面識のない人がいるところで倒れた場合。
この場合は、身分証明になるものがあれば、身元だけは分かりますし、
携帯電話から、ある程度のことは分かるかもしれませんが、
それ以外は、1と同様に、大変です。
>3/一人暮らしで、自宅で倒れた場合。
近所や知人との予定での連絡がある場合には、
連絡が途絶えたり、顔を見かけなくなったということで、
周囲の人が気づくことが多いものですが、
発見が数日遅れることになります。
>4/事件に巻き込まれた場合。
これはもう、どうしようもないです。たぶん携帯も繋がらないでしょうし、
下手すると、遺体や所持品も、奪われたり、捨てられてしまいます。
異変に気づいた家族の人が、捜索願を出すという扱いになります。
●以上のような事で、周囲の人が困惑しないためには、
1と2は、最悪の場合の、水難事故や、交通事故を想定して、
ビニールにしっかり密封した「緊急時に開封」と書いた、
メモを持っていることが必要です。
携帯電話は海水などでは、ダメになりますから。
火災事故に巻き込まれたら、それはどうにもなりませんが。
●問題の、「1人暮らしで、自室で倒れる事」を想定した場合には、
絶対に「空き巣が入らない」という、大前提での話ですが、
玄関のドアの内側に、見た人が、まずは、何をしたらいいかを
メモしたものを、貼り付けておくといいです。
詳しいことは、「机のどこどこの引き出しの中のメモにあります」とか書けばいいです。
持病や病歴がある場合には、救急隊員が分かるように、それを記し、
また、主治医がいる場合には、その病院の連絡先、
喪主となる親族の連絡先、
そして、遺言書や、伝言のメモがある場所を書きます。
●「遺言書」と「伝言書」は違います。
遺言書は、普通は、法的な遺産について書くもので、
このようなものが必要のない人も多いです。
「伝言書」は、死んではいないが意識不明などが長期化した場合、
あるいは、他界した場合に、
便利屋さんや、遺品整理の業者の人が、廃棄処分していい所持品、
誰かに贈呈したもの、誰かへの伝言、
それに、葬儀は、金をかけるなとか、そういう事を書きます。
また、意識が回復の見込みがなかったら、延命治療をするなとかもです。
■逆に、倒れる本人ではなくて「周囲の人の側」にとって、一番必要なのは、
もしも、不自然な違和感を感じる形で、
本人と電話やメールでの「連絡が、つかなくなった場合」に、
その周囲の人が、
どこへ連絡をすれば、あなたの「安否の確認」が出来るかです。
あなたの安否を確認してくれる連絡先とは、
あなたの親族でなくてもよくて、
近くの交番の電話番号でもいいですが、
アパートの管理人さんの電話番号でも、いいのです。
その場合には、確認をしたい側の人は、
>>『***さんの知り合いですが、
>> ***さんと、電話やメールで連絡が全く取れなくなりまして、
>> とても、心配なので、そちらで、安否の確認は出来ますか?』
というのが、決まり文句になります。
一般的には、「管理人さんや、大家さん」がいいです。
派出所の場合には、もしも変死その他の事件性があったりすると、
相手の方の安否の確認をしようとしたあなた自身が、
警察で身元や個人情報や、事情を聞かれることになりますから。
最悪の場合には、重要参考人や、関与の疑惑までかけられるかもしれません。
住所は分かっているが、電話連絡もつかない、
という場合には、最後の手段は、「宅急便」を送ることです。
荷物番号で追跡してみて、再配達の依頼も出されていなくて、
「不在で持ち帰り」というのが、何日も不自然に続いたら、
ご本人に、何かの異変があった可能性が出てきます。
*********
●なんだかんだ言って、人間というのは、
社会の中にいると、気軽すら死ねないものなのである。
「自分が、死んでも、まー、なんとかなるだろう」
と、つい思いたがるクセがあります。
確かに、いちおうは、先進国ですから、なんとかはなるのでしょうが、
その、周囲の人が、なんとかする時間を、出来るだけ短く出来るような、
日ごろからの事前の配慮が、必要なのです。
***************************
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