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[346]
■
★分割自我復元★その346■ 「自我復元の報告の一部」
by:
鈴木崩残
2014/04/20(Sun)13:01:28
・自我復元の報告の一部・
■プリントアウトすると40ページにもなる報告でしたが、
内容も、まとまっていました。
抜粋という形での紹介となります。
*********
崩残様
お世話になっております。
崩残様のご苦労と努力と孤高さが、一部ですが理解できるにしたがい、
自己の未熟さを痛感し恥ずかしさを隠せません。
大変ご迷惑をお掛けし恐縮しております。
そして、自我復元に出会い続けられている幸運に感謝し、
あらためて、崩残様に感謝いたします。
ありがとうございます。
* * *
自我判定をお願いいたします。
・中略・
後半の1か月は、呼びかけと回収を続けて行い、朝も回収を行っています。
理由は、呼びかけ回収を続けて行う方が、回収率が高まる感覚あり、
また、回数は少ないですが、日の出、日の入りの時刻に行うと、
回収率が高まる感覚があります。
・中略・
自我復元に対する意志の在り方にも、根本的な誤りがある、
その致命的な問題に気づかされ、
全面的な自己否定を実感し直視する体験につながります。
復元の変化によって起こる思考の変化や共時性の面白さ不思議さに、
興味が移動して捕われ、
現実的な自己像から離れ、自己の妄想による勝手な解釈で、
変化を期待する様になっていました。
振り返ると、AC人格が、原点回帰への核心の理解を恐れ阻み、
妄想によって虚像を追い求めさせる。
現実逃避です。
その問題について、崩残さんのご指摘によって気づいたのですが、
自分では無価値と思い捨て去ったと、高をくくっていた、
過去の知識・経験、精神世界・宗教に強く捕われ同化していることを、
意識していませんでした。
否定し嫌悪したはずの、これらの経験や概念を、
長年に渡り、ただ生存する為に、駆使し利用してきた結果、同化していた。
この現実を直視して、強く深く自己嫌悪し、
この経験・概念を思考から分離し消去する事、
意味は理解できるのです、感情もそれを求めています。
でも、どうしていいか解りませんでした。
直視出来ていなかったのです。
だから、経験・知識と云う過去の枠に逃げ込みしがみつき、
妄想や強引な解釈を繰り返していました。
その為、枠から視点を外に移して自己を見る事、自己分析が出来ません。
その状態から、少しも動けない恐怖と焦りに捕われ混乱し苦しみ、
そこから、逃避したい一心で結果だけを求めます。
混乱した感情・思考、その自分を「認めてほしい、助けてほしい」という事、
そのまま報告文として、崩残さんへ送り続けていました。
大変、恥ずかしい、迷惑で卑怯な行為です。
更に酷い事、その行為に効果が無いと分かると、無明庵と距離を取ろうとしました。
そこに、崩残さんの静かで強烈な一撃が放たれます。
>誰かから認められるためでもなく、
>誰かから馬鹿にされたりしないためでもなく、
>誰かから攻撃されないためでもなく、
>【自分の為に、自分を、元の自分に戻す!】
>そう、100%決意した人が、
>その権利を行使できる、全自我に戻ることが出来るのです。
最初は読んだ内容を受け入れきれきれず、自分の事だという事実だけが、
重くのしかかりパニック状態が続きました。
そして、時間がたち、事実を受け入れる気持ちへと変化していきました。
【自分の為に、自分を、元の自分に戻す!】
この意志を持つこと以外に、この苦しみから脱出する方法は無い、
この厳然たる事実が、重く深く確実に意識に刻まれ固定され、
逃避と云う退路は遮断されました。
この一撃を放って下さった事、感謝いたします。
・中略・
現実を直視したくない、その為に、小出しに正直になり誠実さを偽装し、
自分に嘘をつき続け、逃げまくり、妄想に翻弄されました。
AC人格が自分に与える悪影響、他者に与える悪影響を日々発生させている。
他者のAC人格を感じ嫌悪感・恐れ・悪影響を感じます。
自ら招いた人生とは云え地獄です。
考えると、悲しく苦しく恐ろしい
・中略・
麻痺から覚めつつあって余りの痛みに耐えかね悲鳴を上げています。
何回か自我復元など始めなければよかった、そう思いました。
皆と同じに麻痺していれば苦しまない。
いや待て、散々苦しんで悶え閉塞し毎日死にたがっていたではないか、
朝起きるたびに、生きたくない、いつ死ねるのか、天国にあるのか?
これだけ苦労すれば、来世はいい事あるかな?
無根拠な妄想に浸る日々、精神世界にドップリでした。
精神世界に依存していました。
それを認めたくない、精神世界に頼る事は恥ずかしい事と認識していました。
自我復元をしなかったら出口の可能性すらない、それこそ無間地獄です。
本当に、心から思います。
もちろん、復元の失敗や、燃え尽き、AC人格に甘んじる可能性は大いにあり、
それを想起すると、焦ります。
そしてそれがまたもAC人格の餌になります。
どのような結果になろうと目指す意志を失っては、この人生の意義を
失います。
・中略・
トラウマ堀も自己分析も、自我の復元が伴っていないと、
とても困難だということが理解できます。
今も、トラウマによって不安定になり、自己への信頼が揺らぎます、
ですが、復元の効果により、心の芯が形成され、
修復力が増し安定してきていて、
自己を信じる気持ちが少しずつ拡大している、
それが、分かりました。
・中略・
苦しくなると思い出していた、母が良く言っていた格言、
「苦あれば楽ある」「心頭滅却すれば火もまた涼し」
苦を経ないと楽が来ないと思っていた、
苦が来たから、楽という結果を望むのはおかしい、
楽があれば、やがて苦がやってくる、
そう怯えている。
苦は苦で、楽は楽、区別して単体で感じるようにして、
気付いたら、違う感覚に変化していた、
それでいいのでは、今はそう思えるように。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」ですけど、
心の持ちようで、感じ方が変化するのは当然ありますが、
あまりに、AC人格が悪用します。
無理しないで、ストレートに捉える事に、
その方が、嫌な事でも遥かに受け止めやすい、
もちろん、全部は受け止めきってない、避けてしまう事もある。
それにしても、母は自分が出来もしない事を、
よくも子供に言い聞かせていたもんだと思いました。
そして自分も偉そうに、他者に格言を語る、同じことをやっている。
また、理性と云う隠れ蓑に潜むAC人格とも格闘しています。
本心は「これがしたい、これはしたくない」と云い、
理性がこれはダメだ、これはこの位なら良いよと判断しています。
最近、これも、どれがAC人格で、どれが正常人格由来なのか?
どちらも、AC人格なのかしれないなと、疑います。
でも、この理性を外すと、自分の希釈自我では生存が困難です。
理性に逆らう、その勇気がありません。
・中略・
仕事の打ち合わせにおける行き違いで、先方の結論が解りました。
あの人たちは、
トラブルの原因と根本的解決はどうでもよく、
犯人を決め排除し、何もなかったように誤魔化す。
冷静さと興奮が同時にある感覚。
私は、回答しました。
「前回の発言の撤回は出来ません、私は仕事を降ります」
悔しく無いといったら、嘘になります。
しかし、結果などどうでもよいと感じた感情の方が強いです。
それより嘘なく謝罪し、
譲歩すべきはし、主張すべきはする、
そういう主体性を感じ、清々しい感覚がありました。
生まれて初めての経験、でも当たり前の事をしただけ、
それが今まで出来ませんでした。
数日たってから、こんな実感が沸いてきました。
「今までの知識や経験の枠の外にあるから、変化や発見なんだ」
まだ、逃避から他者を巻き込み、承認を求め、評価を求め、
自分を過度に褒めたり責めたりしています。
それをしないで、主体性を持って、承認など求めず、
したい事を自然に当たり前にする事、
それが目標になりました。
今回は逃げ場がなかったから、ギリギリで修正できました。
まだ、まだ、目標には遠い。
でも、ほっとしています、その過程で感じた、清々しい感覚、
それを体験できた事が嬉しいのです。
・中略・
記億を探り検証する目的で、
十数年ぶりに、弟と二人で食事をしました。
忘れていた記憶と当時の弟に対する感情が蘇り、
新たな発見をする事となりました。
始めは、互いの心地よい思い出話、
そして、母の話に。
その中で思い出した事。
弟は乳離れが遅く3歳過ぎてもしなかった。
母は乳首に、七味唐辛子をふりかけて断乳させていた。
その光景が蘇った、嫌な光景、母が弟を脅している。
「舐めると辛いよ〜」
弟が我慢できず、乳首を舐めた、辛いのを感じ、泣いている。
「僕は、弟みたいに、いつまでもオッパイほしがらなかったよね、
僕のほうが良い子だよね」そう思い、母に迎合していた光景。
僕じゃなくてよかったと、ほっとする気持ち、
弟をかまってないで、振り向いてもらいたかった気持ち、
変な事をする、母に対する嫌な気持ち、
乳離れしていない弟に優越感を持つ気持ち、
その記憶を原点とする優越感をいまだに持っている・・・・
その優越感にいまだにしがみつこうとしている、
その自分に対する嫌悪感、
弟は続けた、
「母さんの事が大好きだったんだよ!」
とても驚いた、少し後から羨ましさが・・・弟は素直だ・・・・
戸惑い、疎外感を感じる、
常に優位に立って弟を見下そうと画策し、成功してきた、
その惨めな優位が揺らいでいる、
以前だったらどう感じただろう?
弟の言葉を受け入れなかったのでは?
母の事は好きだったが
「大好きだ」と言い切れる程、思った事はない。
いや違う気がする、好きと云うより、母を求めていた。
弟の屈託の無い「大好き」と言い切れる気持ち、何でだろう?
この時に感じた、弟の母に対する思いへの「嫉妬」
この感覚を認識したのは初めてだ。
いや、忘れていた?もしかすると封印したのでは?
私と弟、この感情の違いは何処から発生したんだろう?
弟の本心を完全に感じるのは不可能だが、弟の言葉に嘘を感じない。
推測になるけど、弟は乳児の時に母の愛情を十分に受けたんだと思う。
そうでないと、そう言い切れるような母への想いを持つことは出来ない。
自分は感じた事の無い母に対する絶対の安心を弟は感じていたのか・・・?
弟が感じていて、私が感じなかった、母への想い、安心感、
母の肉体の温もり感触に対して、
求める気持ちを持てなかったし安心した記憶も思い出せない、
自分が持てなかった、感情・感覚への嫉妬、
こんなに感じるとは・・・
母からの愛情を十分に受けらなかった可能性があり、
それが原因と思われる、人格の歪みがある。
だが、弟には、その部分の歪みは感じられない、
その素直さ・・・・
弟の記憶をたどると、出産の時の記憶があるが、
弟と初めて対面した時の感情を思い出せない、
乳児の頃や、這い這いしている記憶もない、
何故なんだろう?
弟の存在に意味を感じない、または、認めたくない、そんな感覚なのだろうか。
・中略・
決定的な証拠がなく状況証拠になってしまうけれど、
乳児の頃、斜頸の治療で日々通院していた時、
母から否定的な感情を受けた事だと思います。
心から安心し身を預ける、それが十分できなかった、
それで、母に安心出来なかったし、触れられても身が強張ってしまう。
一人では生きていけない、
でも、
他者にも自己にも我慢し、身を預ける事が出来ない。
肝心な時、身も心も強張って、屈折し、素直になれない。
愛そうと思った女性に対しても、同じでした。
どこかで感情を、我慢してしまい、
覚めようとする、冷淡でいようとする、
それを、客観性、我慢強さだと誤認し、
長所だと思っていた。
・中略・
毎晩酔って帰った時の父の人格は、大声でふざけたり、怒ったり、
普段見せないスキンシップを求めてきたりする、ただの酔っ払いです。
翌朝の言葉少ない近寄りがたい人格、ただの二日酔い。
そして、休日はゴルフに出かけ、夕方帰れば、また酒。
これでは、父の正常な人格に触れる事は限られます。
触れ合うことは、嬉しいですが怖いです、不安がありました。
父親は力強い頼れる存在であってほしいし、信頼したい、守って貰いたい。
しかし現実は、理由も理解できないまま、怒鳴られ、邪魔者扱いされ、
時には、可愛がられました。
安定していない人物を、好きになる事は無理です、信頼などできません。
ですが、自分の感情を曲げて、信頼しようとし、信頼しました。
それ以外に、選択肢が無かったからです。
こうして、自分の感情を屈折させ続け、偽の信頼感を刷り込んで行けば、
人格は、分裂していく、本来の自分を感じる事が難しくなるのは当然です。
そして、ますます不安と恐れが増えていきます。
自分自身の判断を自ら捻じ曲げ、
自己存在の実感、自己への信頼を失った為、
自己の判断に確信・自信が持てなくなりました。
ある事が起こる、それに対し感情は拒否している、
でも、生き残る為の理性は、感情に反する思考をして言い聞かせます。
「それでは、生存が難しい、楽になるには感情を捻じ曲げろ」
これでは、ますます人格は分裂します。
感情のままを選択すれば、気持ちは清々とするが、
生存を否定され脅かされる。
理性を選択すれば、生存は容易ですが、
未消化な不純物、屈辱感・罪悪感・嫌悪感が残りました。
この状態、この選択を、延々と今まで続けてきたのです。
自分の人生を生きてこなかった、
その現実を直視し感じ、原因を探り分析し理解し実感する。
それだけでも、大きい意義があります。
「このまま、死んでたまるか」です。
自己分析を通常のカウンセリングだけで、
もし、自我復元をしていなかったら?
もっと、大きな勇気が必要で大変困難です、
・中略・
弟が言いました。
「それより、アイロンでお灸されたの覚えてない?」
その言葉で、腕についた三角の火傷と痛みの記憶が蘇りました。
ショックでした、虐待です。
かなり、狂っている母親だと思います。
強い憎しみと心の傷の痛みが蘇ってきました。
それで感じたのですが、アイロンでお灸されたこと肉体的苦痛より、
裏切られたり、無視され否定されたことの方が、
遥かに精神的なダメージが強く傷が深いです。
・中略・
小学校の時のお年玉の記憶
叔母の家で、たくさんのお客さんから、お年玉をもらって気分は最高だった。
母に「そんなにたくさん貰って、すごいじゃない、貯金して取っときなさい」
と言われた。
そうだな、いっぺんには使えないな、欲しいミニカーを一つ買って、
お母さんの云うとおり貯金しよう、少し優等生な気分、
それに貯金するって、大人になったみたいで、なんか嬉しい。
後日、母が兄弟それぞれに口座を作り、
私名義の通帳を渡してくれて、嬉しくて暫く見入っていました。
自分の名前と,ハンコ、残高、なんか力が沸いてきます。
「大切なものだから、しまっておきましょう」と引き出しにしまいました。
時折、母に頼んで通帳を出してもらって、眺めて喜んでいました。
自分としては、使わないように相当我慢したと思います。
欲しい、プラモデルか何かを買いたくて買いたくて、それでも我慢していました。
で、ついに我慢できず、母に言いました。
「欲しいものが、あるから、お金頂戴、貯金があったよね」
「もう貯金は、使ったのよ」
「あなたの為に○○を買ったときに使ったのよ、覚えているでしょう?」
「あれは、母さんが買ってくれたんじゃないの?」
「でも、少しは残っているでしょ」
「何言っての、あなたにはお金がかかるのよ、もう残ってません」
悔しくてがっかりして、泣いて、
母に、何で黙って使ったのか、
貯金を使うのを楽しみにしていた事を訴えました。
悔しくて、でも、母の言った、
「あなたの為にお金を使った」この言葉は、子供への卑怯な「殺し文句」です。
その結果、私は、自分に呪文をかける様に、
「僕の為に使ったのだから、我慢しなきゃ、僕はエライ子なんだ」
親の抑制を刷り込まなくては、気持ちを静める事が出来ませんでした。
そして、金銭に対する執着の原点はここにあると認識しています。
必要以上に、金ばなれの良さを自己演出し、
金銭的な細かい計算をして自己嫌悪をしてきました。
それより、遥かに大きな事「信じたのに裏切られた」この傷は、
今も、心の底に深く沈みこんでいます。
母は子供を所有物とみなしている意識があったと思います、
詐欺的な行為をして子供の所有物に手を付けても、
さほどの罪悪感を持たなかったと思います。
10代までは、経済的な理由を振りかざし、焦らされ否定され、
やりたい事をコントロールされ抑制させられ、
20代の頃は、経済的な援助を口実に、依存関係の継続を計られ、
そして今でも、触手を伸ばしてくる、
その母の金や社会的な評価や支配欲に対する執着、
何でも利用しょうとする姿は醜悪なAC人格そのものです。
・中略・
弟と子供時代の嫌な記憶について話している時、
弟が言った、
「家に帰ると、お袋が居ないんだよ、近所も探すけど居なくて、
一人で泣きながら待っていた、あれは寂しかったよ」
度々ありました、帰宅しても母がいないこと。
この記憶、弟が幼稚園から小学校低学年ですから、
弟にとっては私以上のトラウマなんだろうな。
大概は近所の家で世間話していて、すぐに見つかるのですが、
たまに、全然見つからず、薄暗くなるまで帰ってこない事もあった。
「俺は、土曜日の方が記憶に残っているよ。
土曜日は嫌いな給食ないだろ。
それで、昼ごはんをすごく楽しみして帰ってくると、居ないんだよ。
どこ探しても」
母は昼の支度もせず、どこかで話し込んでいるんだ、
怒りと空腹で、暴れたい気持ち。
その日、あまりにも遅いので、
生まれて初めて自分で焼き飯を作ることに。
おっかなびっくりコンロに火を着けフライパンでご飯を炒めた。
「料理って、やっぱ怖い、火傷しそう」と思いながら。
弟と二人で食べ終わった頃、母は戻りました。
どんなやり取りしたのか覚えていません。
母の態度に納得できず、泣きまくり、
泣きすぎて、苦しくなり、
咳き込んで、食べた焼き飯を、吐いてしまいました。
台所の板の間に広がる吐しゃ物の映像の記憶は、
今も鮮明に残っています。
・中略・
伴侶がかまってくれないとか、
暴力をふるうとか、
責任分担が重すぎるとか、
どのような理由があるにせよ、
子供の帰宅時間に、下らない世間話する為に家を空け、
腹を空かせた子供を放置する。
気が狂った、母親の、育児放棄です。
依存から発する被害者意識と、
その子供じみた代理復讐の心理を感じます。
今の私は、そんな母親の心理・行動が理解不能です。
父は仕事と酒に現実逃避する、ただの酔っ払い。
母は子供を虐待し調教する、狡猾な支配者。
両親ともに、自己の欲求ばかり求め、自己の責任に対して無自覚で、
子供を産み育てる資格など全くない人間だと云う事。
その事実を、しっかりと理解し実感しました。
悲しみも感じます。
・中略・
少し余談です。
料理をすることで、母に頼らなくてもいい部分、サバイバル出来る事、
これは、自立心につながったと思います。
この時、私は小学校4.5年生ですから、
ここから反抗期に入ったのかもしれません。
そして、これが私の料理の原点です。
好きで始めたと思っていた料理は、実は母によって汚染されていたのです。
私は、心が入っていない料理は好きではありません。
旨い不味いはあって技術とか知識は大事ですけど、
やっぱり気持ちを感じると旨いです。
まだまだ、自分で作る料理は、余計な心が入っていて残念です。
でも、たまにですが、
自分の為に自分の食べたいものを作り食べたとき
「うまいなぁ〜」と心から思える様に、
これが、もの作りの原点だと思います。
心から感じられたのは、自我復元の効果です。
こういう気持ちで日常を過ごせたら、幸せです。
・中略・
○この報告文を書いている時に見た夢
・中略・
仕事もプライベートも、今までの枠を超えて、未知の経験を求めている。
その願望が反映されている夢だと、思います。
その願望を、阻んでいるのはAC人格だと感じています。
それが、****の男達です。
夢から覚めた後、彼らの要求を受け入れた事に対し、
悔しさ、嫌悪を感じました、まだ、捉われている。
自分の事は、誰とも取引したくない。
誰かの許可など取りたくありません。
そう、意志したい。
企業の安定の為と称して、自己の影響力に酔い、
贖罪意識を軽減する目的で自己犠牲を行い、
心置きなく退職できると自分に枠をはめてしまっているのです。
まだ、共依存に縛られています。
他者や組織に同化しない、逃避しない。
対象を直視はするが、境界を引き、距離を保ち、
自己を失うことなく、目標を見失わない、
ホントにしたい事をする、 正直な自分を取り戻したいです。
・中略・
○「不幸にする親」を読んで
一読しましたが、
心の抵抗が大きく、
本に入り込めませんでした。
二度目も、頭に靄がかかっていて読み辛く、心もヒリヒリし、
読後、内容の未消化により塊が残っている違和感がありました。
でも同時に、肩の力が抜け、少しだけ心が軽くなっていました。
理由は、本の簡略化された、構成、原因、分析、対処、効果と
トラウマ堀の流れを、あらためて簡潔に追えた事で、
自己の人格の欠陥、そこから発生した人生での苦い体験と挫折、
その根本原因が、親の調教と刷り込みに拠るものであると整理され、
理解から実感に変化し始めたのが理由です。
しかし、読んで、心に染みわたるには、
まだ、まだ、時間が、自我の復元が必要です。
・中略・
この報告文を書き始めた3月初旬は、
「こんなことしていいのか、お前は復元困難者かもしれないんだぞ」
と云う声が常に聞こえ、焦りと恐れに、翻弄され、
落ち着かない日々を送っておりました。
そのAC人格の声は、書き進む間に、聞こえなくなりました。
しかし、依然、存在するAC人格、
その修正をこれからも地道に続ける、
誰の為でもなく、自分の為に。
その意志の大切さを思っております。
>自分の為に、自分を、元の自分に戻す!
この崩残さんの言葉が、心に染みこむのを感じます。
* * *
長い報告文を読んでいただき感謝いたします。
ありがとうございました。
それでは自我判定、よろしくお願いいたします。
*********
追伸のメール
1月の自己の全否定の状態の小さな再現があり、
あの時と同質のAC人格を感じました。
ただ、今回は、力も弱まっていて、見続ける事が可能で、
自己とAC人格を分離する視点が持て、
AC人格が行うことは、逃避なんだ、と云う実感を持ちました。
*月**日の、日記を記します。
淋しいのだ。
他者に楽しみを求めて。
虚しいんだ。
その屈折で、自分が何をしたいのか分からなくなっている。
・中略・
人間関係って、なんだろう?
生きるための手段だと思う。
けど、それだけなの?
・中略・
でも、まだ無理している、したくない事をしている。
一人の時の自分は、確実に自分である。
でも、外に向かっている自分って、嘘を感じるのです。
本当の姿で外に向かう自分に出会えるだろうか?
自分の為に自分を曲げず、
まっすぐに立ったまま自己表現し、人に接する。
これが本当の自分。
それを取り戻す。それが目標。
それが私にとって、全自我の姿です。
***************************
●ひとつだけ、コメントをしますと、
感情に従い、行動する。
これは、大人の感情ということではありません。
大人のAC人格のそれではありません。
子供と大人では、感情の原因が全く違います。
●大人の「感情」とは、打算や、さまざまな考えから、
相手を嫌悪したり、相手を好いたり、
そのほとんどすべてが、心的または物質的な「取引」から来るものです。
しかし子供の感情は、打算ではない、喜怒哀楽から生じることがほとんどです。
幼少期にトラウマや育児放棄などによって恐れを持ったり、
低年齢のときに、親との間で心的な取引を覚えてしまった場合には、
その後の人生すべてにおいても、それは打算的な感情になってしまいます。
だからこそ、自我復元と並行して行っているこの作業は、
「最も幼い時の、汚染されていない感情」を掘り出すことを、
いくつかある「ひとつの要素」として、重要視しています。
●Abyさんのブログが、静かに爆発しています。
もしも、全自我に戻ったとき、
Abyさんが、自らの経験を踏まえて、
「調教人格」について語らせたら、
この人の右に出る人はいないと、私は思います。
1.
http://mmjhb11.exblog.jp/20595633/
2.
http://mmjhb11.exblog.jp/20597409/
●そんなふうに、自我復元を終えた人たちが、
それぞれの人の経験してきた事を踏まえたとき、
非常に個性的な様相をしてきて、それを語ることもあること。
それも私が嬉しく思う、現象の一つです。
復元をして、その人の、個性が芽生えない、
そんなことは決してないのですから。
今は、まだ苦しい中、あるいは大変な格闘と戦場の中にいると思いますが、
必ず、抜け出てこられると思います。
ちなみに、
Abyさんは、ブログに出る広告が大嫌いなんですね。
私もです。
たったの一文字、句読点のひとつでも編集すれば、
目障りな広告が消えるブログもありますので、
広告が出てしまうブログを書かれている皆さんも、
試しに、そうしてみてください。
*********
________________________________
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