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[350]
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★分割自我復元★その350■ 『 雑 記 −3 』
by:
鈴木崩残
2014/05/07(Wed)20:49:03
与太話・その3
●もう少し、私の独り言を記録しておき、
そのあとで、AC人格分析の報告のひとつを掲載することにします。
*********
あくまでも私に言わせればであるが
日本国憲法も国際法も民事法も刑事法も
全てただの紙くずである。
その理由は「法」として制定された文言中に
決して登場しない言葉があるからだ。
それは「何故ならば」である。
充分な論議が完了したからだというのがその大義だろうが
とんだ嘘っぱちだ
憲法などは、知ったかぶりをした数人の者が、
複雑な利害関係の調整のために作った、
この上もない「駄文」にすぎない。
あんな薄っぺらな事を恥ずかしくもなく書くならば
まず前文に、
「いかなる法も人間を拘束する事は出来ず
よって以下に記された内容は
治安維持を目的として、
その時代の社会状況に応じて
暫定的に制定された規則と罰則であるが
言うまでもなく人間は
その法を許諾しない自由を有する
と「事実」を書けばいいのである。
憲法がただの建前で
刑法・民法・商法等が権力行使可能な実行力を持つものの
刑法の極刑が死刑止まりであるという限界を見れば
そもそも法に絶対的拘束力はないということ。
せいぜい犯人が死ぬか自殺するまで
脅迫が可能であるに過ぎない。
こういう極論が私は思惟の題材として好きである。
終身刑よりも威力があるものに
隔離幽閉刑、拷問刑、などがあるが、
いずれも自殺をさせない為の処置が困難な面がある。
こういう事を書くと非人道的と騒ぐ者が多いが
世の中には規模の違うプチ拷問なんて
日常生活の至る所に転がっている。
なぜか本人自身がそれを拒絶しないのだが。
本人自身がそのプチ拷問を拒絶しない
大きな理由の一つが
それが拷問的である事に気づかないからである。
またその場では、それが苦や虐待的行為に感じられず
しかし苦痛は先延ばしされている、
という仕組みに気づかないから。
まさに 「直ちには」苦痛はないのである。
この手の拷問はタチが悪い
憲法も含めて法律がクソみたいな紙くずだ
と少し前に書いたわけであるが
その話をする前に簡単な定義を。
無知と馬鹿の違い。
無知とは「知らない」状態を言う。
馬鹿とは「考えない」状態を言う。
あなたは百科事典ではないのだから
無知を恐れる全く必要はない
だが馬鹿は別だ。
無知とは単に知らない事なのであるから
(よく無知を軽蔑する者がよくいるが)
無知は恥ではない。
無知を軽蔑しているその者も知らない事は無数にあるからだ。
だが万の事を記憶していても
ただの一つも自分の頭で考えられない状態。
これは私個人は是非ではなく
好き嫌いの問題として嫌いである
さて、そもそも 法律や憲法など一切なくとも
良くも悪くも(←ここ重要)
運用されているのが我々の日常生活である。
その典型例が家庭である。
家庭には憲法も刑法もあったものじゃない。
(暴行殺人でも起きないかぎりは)
だがそれでも良くも悪くも日々が過ぎてゆく。
実際のところ、決して理想論ではなく、
日々のほとんどの物事が「法=公的な定め=公的な掟」
とは無関係に行われているがゆえに
法律に照らし合わせるならば
脅迫罪に当たる事も家庭の中では平気で行われている。
一方で、法律などなくとも
ヤノマミたちはそれなりの暗黙のルールを持っている
それはなぜか?
さて、家庭内の「ほとんど無法とも言える暗黙法」については
こんな事が言える。
「お父さんが言うのだから従いなさい」
「いや、ちょっと待て」と子供は思う。
「それはなぜ?」
すると子供が考える間もなく 毒親はこう言う
「だってお父さんがいなくなったら困るのあんたなんだから」
おいおい擁護施設に行くから別に困んねぇーよ。
すなわち無法なる家庭内の暗黙法では常に
「親の言うこと聞かないと死ぬぞ、痛いぞ、寒いぞ、飢えるぞ」
これが暗に子供に対する脅迫としてなされている。
企業も同じ
さて、憲法に罰則がある国もあるようだが
罰則なしには法は成立しない、のが原則である。
罰則なしに成立していると思い込んでいるのは「ただの理想」である。
しかし、今回私が言いたいのはその事ではない。
そもそも、その法が、制定された理由、根拠、過程の説明がないものは
それが、どれほどの権威あるものであろうが
それは「独裁的」だという点である。
よくもまー憲法とか作っておきながら「自由」を口にするもんだ。
「どの口が言う?」である。
人間にとって、
まず最初に保障されなければならないものは
他人や社会が保障する権利ではなく
何かに対する 「許諾と拒否」を自己決定する権利であり、
その対象として、憲法や法律も例外ではないということ。
だからといって
「この国の法律が嫌なら別の国へ行け」とは、
ずいぶんと非愛国的な事だね
要は、
当たり前に決められた事など何一つもないし、
当たり前だからという、そんな軽薄な理由で
強制される事が正当化されるものも何一つもない。
それがいかに反社会的であろうが
もっと言えば反宇宙的、反存在的であろうが
自己の中に自己法を確立し、
その結果がどうあれ、
それを死守する試みを続けてみる事だ
あくまでも私見であるが
あらゆる問題に対して「それは何故、どうしてだ?」
と問いかけた数と質で、
その者が真に生きたか、死んだまま生きていたかが決まる。
ただし「それは何故か?」を他人を攻める為の
馬鹿の一つ覚えに悪用してはならない。
まずそれは、自分が自分に問え、という事。
ここで話はとてもリアルな足元の話になる。
もしも子供の時に、
その奔放な「好奇心」よりも先に
親や、親の言う事に対する「恐怖」を埋め込まれたらば、
子供の中の「なぜ?」と問う力の大半が奪われてしまい、
以後、その子供は 生存の為の迎合のフリという取引しか覚えなくなる。
これを私は人格障害と呼ぶ。
*********
続き
情報が飛び交う中では
どれが重要かではなくて
「どれを自分の知覚したい現実の中に
組み込むか、無視するか」
この選択作業を私達は、瞬間瞬間、休みなく行っている。
ほら今、何の音が聴こえている?
ネットに夢中になりすぎると
知覚から除外されているものが、沢山あり過ぎるのだ。
睡眠中に夢を見た時
朝、眼をあけてしまうと、
脳が撹乱されてしまうので
夢を忘れない為には目を閉じたままにする。
そうして何度か見た夢を反芻して忘れないようにする
時にはメモに書き起こす場合もある。
そんな事をして「これでよし」と思うと
それも全部夢だったりする事はよくあるものだ。
朝「おはよう」と人々は単なる習慣として言うが
私はいつも違和感があった。
正しくは「ようこそ」だからである。
「ようこそ、今日も、夢の世界へ」
現実認識としては、これがかなり正しい。
ただ面白い反面、
怪我すれば痛いし踏んだり蹴ったりで
むちゃくちゃ「よく出来た夢」だけどね
13歳の頃、ひとつの疑問に取り付かれた。
それは「自分は本当に、これで、生きているのか?」だった。
具体的に言うと、
感覚のどれぐらいの範囲を
きちんと知覚していれば生きていると言えるのか、という問いだった。
その結果分かったのは
毎日通学している時、
私は生きているとは言えないと、自分で思っていることだった。
たとえば、電車の中で考え事をしてれば
その時周囲の世界の殆どは私の知覚内にはない。
かといって知覚を研ぎ澄ませてみても
見たり聞いたりする価値があるものが
そうそう転がっているわけではない。
すると次の疑問が生じる。
この知覚のうち
どれに焦点を合わせれば、自分は生きていると言えるのか?
つまり、
1/どれぐらい鮮明に、感覚の知覚と自らが思考している事を
絶え間なく見張り、明確に意識出来ていれば、
私は生きていると、自己承認できるのか?
2/ではその複数の感覚と思考のうちの、
どれが自己観察し、監視する価値を持つ対象なのか?
この疑問はその後7年間、私を悩ませた
7年間ということは中学から大学の初期までだが、
かといって、この「自分のこの知覚とは何か」 という問題で、
私の学生時代が暗い日々になったわけではなかった。
逆に、かなり面白い学生時代だった。
だが、8年目に決着が着くまでは
一日たりとも前述の疑問が頭から離れたことはなかった
どう、決着がついたかということを、簡単に言うと
どれぐらい明晰な知覚と感覚、
どれぐらい明晰な思考への客観的観察と自覚が必要か
そして日々、何を見るべきなのか?
これらに対して
正しいやり方はどれなのか?について、
他者らの見解によって迷うのではなく
自分自身でその「基準」を打ち立てれば良い
という決断、決意を出来るまでに、7年間を必要としたわけである。
どうやって生きるか、という疑問は全く知性を必要としない。
そもそも、なぜ生きているのか、これはやや知性と思考を刺激する。
しかし 二番目の答えを得るには、
日々、自らの感覚、知覚、思考に起きる事象のうち
自らが取り込む対象として
何に「注視」しているべきか?
この問いこそが私を捉えた。
さて、今日も面白い夢を見るとするか。
私は他者の、あるいは社会の有する、世界観や価値観などには、
一切、何の責任も持っていないので
そんなものがどうなろうが知った事ではないが
全知覚の中心にいる、この自分の意識に対しては、その全責任がある。
それが生まれる時の契約の主文だったからだ
*********
■さて、自我復元報告の中から、一部紹介してみたい。
↓
_____________________________
AC人格の報告
鈴木崩残 様
大変ご無沙汰しています。
とても時間がかかりましたが、自我判定をお願いしたいと思います。
自我判定は、1年8ヶ月ぶりとなります。
ようやく、判定をお願いしようと思うに至りました。
中略
提供者には、いただいた自我は決して無駄にしません!と誓っているので、
いただいた自我を腐らせるようなことは絶対にしたくない。
中略
自分に対する宣言文の一文の中に、
「清貧という思想を捨てます。」という項目を入れました。
両親から感染したものの一つとして、
この「清貧」という思想があるのではないかと思ったからです。
心清らかに、自分は貧しく、人の為に尽くし、
欲を持たず、ひっそりとつつましやかに生きる。
それこそ、素晴らしい人間! という考え方。
心清らかに〜 から、
すべてこれ、自分に嘘をつく人間に言い訳であり、
その美味しい蜜は、
「だからこそ自分は立派!賞賛に値する。極楽天国行き間違いなし!」です。
中略
自分はずっとお金に悩んでいるのですが、
貧乏の方が素晴らしいと思っているところがある。
「それでも頑張っている自分」が強調されるからで、
本当は豊かで富んでいても一向に構わないのに、
実際はそういう状況を恐れている。
そして、お金が無いという状況に慣れてしまっていて、
実はその方が心地よいというのもある。
古巣にいた方が心地いいという考え方、考え方というか肌なじみ、
そういうのが抜けていないところがあります。
自分が作り上げてきた枠から出るのが怖いのです。
でも、今は、もうそういうの、出たいという気持ちも出てきています。
中略
清貧の思想は、常に人から見て「いい人」であろうとする心の動きで、
私の「イイ子」と並ぶ、大問題点です。
イイ子な私は点取り稼ぎで下から上を見上げ、
点数をくれる人(と、自分が勝手に思っている人)に媚びることをするのですが、
イイ人の私は、世間的な評価とか、人の評判を気にしていて、
「自分は信頼されている。信頼に値する人間だ。」と勝手に思っています。
これは、自分の父そっくりです。
そして母は、そんな旦那の妻であるというだけで、
「自分は信頼されている。信頼に値する人間だ。」と、
これまた勝手に思っています。
どっちもおぞましいのですが、寄生虫具合からすると、母の方が上手です。
悪いことに、私は母の有り様(寄生虫な生き様)を学んでしまい、
異性と暮らしていた時も、ほぼ、同じ状態になっていた。
前の彼氏は、本をよく読んで知っていましたし、
その影響を受けて、自分も本を読んでいた。
前の彼の口癖は、
「結局、こういうのを知らない奴はバカ」というもので、
私はその前の彼の彼女だった。
そしてただ一緒に住んでいる、というだけで、
「結局、こういうのを知らない奴はバカ」と周りを見下していた。
私はこのイイ子とイイ人を上手く使い分けて、
世の中渡って来れたと思っているところがあって、
ここ、かなり過信しています。
イイ子とイイ人は、私を作り上げてきたものだったから。
でも結局、このイイ子とイイ人が、私を殺していました。
中略
11月中旬〜下旬、掲示板にあった不快年表を作りました。
その中で、大きくわかったことがありました。
それは、社会に出た時の一番最初の敗北、でした。
私が一番最初に家庭から社会に出たのは、幼稚園の時で、
この時の「負け」が、結局ずっと人生の中で、繰り返されている。
Kちゃんという存在でした。
Kちゃんは近所に住んでいて、同じ幼稚園に通っていました。
私は家の中では「他の兄妹よりもイイ子」でいることによって、
母の注目を得ていました。
私は、幼稚園でも同じように先生の注目を得たかったのだと思います。
でも、幼稚園ではKちゃんがいました。
いつも褒められるのはKちゃんであって、
私は不器用で、鉄棒の前廻りもできず、
全く褒められないのでした。
ある時、Kちゃんの描いていたスケッチブックが先生に褒められていて、
私は悔しかったのですね。
家に帰って、私は自分のスケッチブックの画用紙を一枚一枚手で
シワシワにし始めました。
母は「なんで、せっかく描いたのに、シワにしてるの!」
と言っていましたが、私は全部の絵をシワシワにした。
なぜなら、Kちゃんのスケッチブックは絵の具でシワシワになっていて、
私は、そうやって画用紙がシワシワになったら先生に褒められる!と思ったからです。
そうやって褒めてもらうために、Kちゃんの真似をするということをし始めました。
そしてずっと、Kちゃんに競争心を持っていた。
「Kちゃんに勝つこと」が、私の目的のようになっていました。
私はこの最初の「負け」をかなり引きずっています。
小学校に上がってもKちゃんとの競争は続き、
中学・高校と、それはKちゃんではなくなるだけで、
他の似たような人物がだいたいそばにいて、その友人と競争をしている。
その友人に勝つことを目的としている。
あっちがこう出るなら、私はこう。みたいに、相手があっての自分なのでした。
自分の、自分自身から出てくる望みとか、どうしたいか、とかそういうのは無い。
いつもシーソーを動かしていて、シーソーが「上」になることを目的としている。
これは、崩残さんからもさんざん指摘されて
「無明庵を、伴侶(旦那さんや付き合っている人)に対する、
仕返しに利用する気ですか!」と、メールでも書かれていたと思います。
私は、そのこと、とっくに理解して
もう、そんなもの払拭したと思っていました。
でも、そうじゃなかった。
私は11月24日、今までの中で最も汚い字で、ノートにこう書き殴っていました。
*********
私より心の内を話せる女性がいるということが許せない。
あいつを踏んづけないと、私は成立しない。
私は先手を打って勝ちたい。
全自我になってやる!!
私の方が価値あると言い聞かせたい。
そうしないと気が済まない。
私を価値が無いと言った。
そう言ったあんたの方がよっぽど価値が無かったのよ!
思い知ったか、バカめ!
私はこう言いたい。これ、言わないと意味がない。
私をバカにした人、すべて見返したい!
本当は私が優れていることを証明したい!
これ以外に救われる方法あるか!?
私は価値が無いって言われたんだ!
いなくていいって言われたんだ!
だから私は存在していいこと、
よっぽどあんたより価値があることを
証明したいんだ!
私は自分が価値あると認められるツールが欲しい!
自我復元、そのほかでも、なんでも!
人がスゴイというもの。
なるべく人がスゴイというものがいい!
それがいい。
それが自我復元なんだ。
思い知らせてやりたい!
相手が一番痛む方法で。
一番相手が痛む方法でだ。
相手をぎゃふんと言わせたい。
これが私の人生。
才能が無いとバカにした人、
華が無いとバカにした人
ツマラナイと言った人
ぎゃふんと言わせてやる。
中略
ぎゃふんと言わせるためには「普通」ではダメだ。
目立って、より立派で、
相手もその分野に深く興味を持っている必要がある。
その中でトップに立つこと、褒められることが重要。
そしてその中で「あなたは正しい。」と言ってもらいたい。
相手に聞こえるように。
私はあいつを殴りたい。
一番痛む方法で。
アイツが一番苦しむ方法で!
当時は、私はまだ当たり前に生きていた。
彼氏のいる普通の女性だった。
セックスだってできた。
悔しい。負けたことが悔しい。
私は悔しい。悔しい。
私は復讐に生きていました。
何年間も。
私はこの「復讐一筋人格」、とても突出していると思います。
家では上手くいっていたイイ子作戦が幼稚園では上手くいかず、
それで躍起になってそんなシーソー合戦を延々と繰り返していたからとも言えますが、
私は母から受け継いだのではないかとも考えるようになりました。
半分は、自分がずっと負け戦を続けてきたことによって、
強化されたのだと思うのですが、
もう一つ気になったのは、この書き殴った内容の中に
「相手が最も苦しむ方法で!」という怖ろしいまでの復讐心があったことです。
私は劣等感の固まりでした。
そして、自我復元を、
自分を裏切ったり軽蔑した相手を殴るために使っていました。
この水面下の本音に私はずっと蓋をしてきました。
書き殴ったこのことが、本当の私の自我復元の目的であり、
これで、全自我になろうとしていました。
これで全自我になれるわけはないし、
他のきちんと実習されている方と大きく違うのは、まさにここです。
そして、自我復元法に失礼なことをしてきた。
無明庵に対しても。
中略
私は、普段「デキてる。」と過信しているので、
他者に本当のことを言われると、とてもうろたえ、
そして劣等感にしてしまします。
ずっと劣等感を引きずっていることがわかりました。
劣等感の結び目は、あちこちにあり、
そこからその劣等感を見ないために、
たくさんのAC人格ケーブルが伸びている。
そのAC人格ケーブルが手と手を取り合って、
私という要塞を作ってきました。
私のために、丹念に作り上げられてきた要塞ですが、
もう、役目は終わりです。
復讐人生では、何も実を結ばないし、
何より私は「何かを利用して他人を殴る」という手法を使う。
これは、崩残さんが掲示板で書いてくださった通り、
結局、私も同じことをしている。
この「利用」が最も醜い。
この「利用」を軽々しくしてしまうこと、
そしてそのことに全く無自覚なこと。
これが私の最大の病と言ってもいいと思います。
中略
私は、隠れた暴力性を持っている男性に対して、
「安心感」を持ってしまうのです。
今まで付き合った男性、すべてそうでした。
それは、
私が「コントロールされること」を望んでいるからだと思います。
その方が、自分が生きやすいからです。
相手に決めてもらって、相手の望んだ通りに動く、
また、その相手が喜ぶように(不機嫌にならないように)献身的に尽くす。
尽くすポイントがあればあるほど、私は生き生きする。
相手に振り回される方が慣れていて、楽なのです。
献身的に相手の話を聞いて、相手から、
「あー、あなただから、わかってくれる。」とか
「あなたにだけは、話せる。」とか
「あなたは、勘がいいね。」とか
「あなただけだよ、わかってくれるのは。」とか言われると、
私はイチコロです。
私は、ほとんどオートマチック的に、相手の考え方を、盗み取ります。
そして、相手が、
「そーだよなー。自分、間違ってないよね。あなたも同意するんだから。」
と言ってくれる方向へと持って行く。
そう言ってもらえると、
私だけその人にとって特別な存在であり、
私は存在していいことになり、価値が上がることになる。
そして、どんどん振り回してもらって、
私はどんどん献身を繰り返し、
最後は、
「あなたは個性が無い。ツマラナイ人だ。あっちの人の方が面白い。」
となって捨てられます。
中略
家族の中で、のけ者にされたくなかった私は、
兄妹の子分になることを選んだ。
だから、兄の言うことは何でも聞いた。
兄の趣味に合わせた。
兄に「お前、小さいのに物わかりいいよなー。」と言われるように
兄の考え方を先読みした。
兄の買い物には、どこまでもつきあった。
時間が長くかかろうが、場所が遠かろうが、私は文句一つ言わず付き添った。
兄が「これ、面白いよな?」 と言うと、私も「面白い。」と言った。
兄が「これ、いい音楽だよな?。」と言うと、私も「うん、いいね。」と言った。
中略
私はこうやって家族の中で生き残ってきたので、
そのやり方を恋愛でも貫くようになった。
というより、この献身ぶりは、私の「武器」と思えるほど、
多用するというか、活躍をみせていました。
そうやって「あなただけは・・・」と言ってもらえるように頑張った。
でも、どこまで行っても相手のトレースなので、
相手は発展が無くて、つまらなくなり、ポイ・・・ なのでした。
でも、自分はこのやり方しか知らない。
これが自分の「武器」だと思っているので、
活躍できる人を探してきてしまう。
結局、私が活躍できる人というのは、
強引で、他者の承認をもらいたがっている人で、
自分の思い通りにいかないと気が済まない人で、プライドが高い人で、
劣等感だらけの人で、
母親と上手くいっていない人で、父親と確執があって、
極度の淋しがり屋で、
セックスに困っている人で、セックスのために人を利用する人で、
結局自分のことしか考えない人で、
最後には私をズタズタにする人、
なのでした。
これは恋愛に限らず、友人でも、職場の人間関係でも同じ。
私は、私の慣れ親しんだ、
また成功して生き残れたと思っている「活躍」のために、
上に挙げた人たちを、自分で引きつけている。
そして、自分から寄って行っている。
中略
私は、恋愛の初期において、この「懐かしさ」に翻弄されている。
今までの恋愛の時も全て同じですが、
懐かしい感じがしてしまうのです。
会った時に、前から知っていたような空気感と、安心感。
私はすっかりだまされて
「あー、この人と息が合うよなー。」とか
思ってしまうのです。
運命の人だとか、ソウルメイトだとか、
妄想はそこまで発展してしまうのですが。
私はこの懐かしさの正体は何だろう?と、ずっと考えていました。
今のところ、私がたどり着いた答えは、
その相手がどれくらい抑圧して生きてきたか? を、
私は無意識に計っているのではないのかと。
相手が抑圧して生きてきていればいるほど、
私は「懐かし〜」と思ってしまうのではないか。
結局、私は「機能不全家族出身者」を探している?
「懐かし〜」は、機能不全家族が私の故郷だから?
機能不全家族出身者は、どうやっても機能不全家族とくっつく?
そんな仕掛けになっている?
恋愛に限らず、友人でも「懐かしい」感覚が働く時があった。
それは、パッと会った時にわかるもので、
結局、抑圧して生きてきたことは、
もう、雰囲気にばっちり出ているということですね。
育った「風土(臭気)」が出ている。
抑圧されて生きてきたということは、
「我慢を知っている」ということで、
私は「コントロールしやすい」と見て、安心してしまうのかもしれません。
また、私が「活躍」できる場を提供できる要素を
多分に持ち合わせている人なので、
「あー、私、いつもの手法で生きられるー」と思って
安心してしまうのかもしれません。
これを書いて、今、思う。
結局、私はコントロールされながらも、
コントロールしようとたくらんでいますね・・。
これは母の手法、そのものだ。
中略
そんなおぞましいことが毎日、家の中で繰り返されていた。
誰にもわからず。誰にも知られず。
外にはいい顔、いい人をして。
私は外でイイ子を演じて、
このいい顔、いい人の人達を支援しなければならなかった。
そして、**年も経った今でも、
その光景が眼の奥にあって、結局私は同じことをしている。
私は、家族にとっては、
私は子どもではなく、人質として利用されました。
中略
私は、そのことを思い出すのが、とても怖かった。
でも、怖いなんて思うのは、自分に対して失礼だ。
自分が大きく悲鳴をあげていた時だったのだから。
中略
私は、子供のころの、おままごとで、
お母さん役というのを、一度もしたことが無いように思う。
周りの子は、率先して「お母さん役」をやろうとする。
私は、「お母さん役をやりたい。」と言ったことすらなかった。
おままごとは、だいたい、
このお母さん役の人があれこれ指示をだして、展開していく。
だから、皆は交代してでも、それをやりたがる。
でも、私はやろうと思ったことがなかった。
一つは、おままごとの展開を、
あれこれ指示をみんなに出すということが恐怖でできなかった。
「そんなの面白くない。」と言われるのが、怖かったのです。
だから、そんな役は、最初からやらない。
もう一つは、
母親との関係が本当のところは上手くいっていなかったからです。
私はどうして、そんなにままごと遊びがそんなに面白いのか、
さっぱりわからなかった。
でも、最近は思う。
普通に、子どもを慈しんでお母さんが見守っていれば、
そして、そのお母さん業をお母さん自身が楽しんでいれば、
「お母さんみたいになりたい!」とか
「お母さんの真似をしてみたい!」とか、
女の子は普通に思うのかもしれなかった。
私はそれが無かった。
中略
母の怒り方や躾は、
子どものへの心配ではなく、
「自分の育て方が悪いと言われるのではないか」という
恐怖からきていたと思う。
本当に私の心配をしていたなら、
家でも私が自立できるような工夫をしたと思います。
そんなものは無かった。
家ではやはり、
自分の都合のいい、大人しくてお利口さんがいいのです。
母が私を躾ける時の顔は、般若の面のような顔になっていて、
でも、私も結局、同じ顔をしている。
自分の思い通りにならないと、イライラする。
そういう般若の顔をして、相手をコントロールしようとする。
おままごと遊びは、そのまんま、私の苦痛でしかなく、
とどのつまり、
私は、人生最初から、遊んだことがないのです。心から。
もう、この時点で、母の干渉が入り、それどころではなくなっています。
私の中にある極度の「焦り」。
他者の目をどうにも気にして、「相手ペースになる」ところ。
この母の監視と干渉の躾が、大きく関与していると思います。
結局、私は母の都合で、振り回されていました。
中略
恋愛初期、「懐かしさ」にトロけている間はいいけれど、
それが終わると、
どっちがどうコントロールするか?の駆け引きに入るのかもしれない。
私は得意分野が「献身的に尽くす」だから、
相手の下にまわる方策に出るけれど。
でもこれは、得意分野だからそうしているだけであって、
私の本当の本音は「相手より上」。
だから私は態度で、
「もう!」っていうことをしたり、イライラしたりしてしまう。
とどのつまり、
結局、私が活躍できる人というのは、
強引で、他者の承認をもらいたがっている人で、
自分の思い通りにいかないと気が済まない人で、プライドが高い人で、
劣等感だらけの人で、母親と上手くいっていない人で、父親と確執があって、
極度の淋しがり屋で、セックスに困っている人で、セックスのために人を利用する人で、
結局自分のことしか考えない人で、
最後には私をズタズタにする人、
なのでした。
は、=私 という構図にもなる。
一見「被害者」の要素が多くなるようだけど、実際は、そうじゃない。
私はかなり、加害者。
得意分野が、相手の下手にまわることだから、
周りであまり目立たない。
「献身的まのは、美徳」という世間的イメージも手伝って、
私は、カムフラージュされてきたということ。
いや、実際は、「加害」しか、していないんではないだろうか。
かなり、加害者ではなくて。
私は、あまりにも自分中心だ。
中略
私は、その時のことを、思う。
一つは、私は、
自分が見下した人間がニコニコしていると、むかつくということ。
幸せそうにしていると、許せなくなる。
私を置いて、幸せになんなよ! そう思っている。
これも、元は、母からきていると思います。
昨年の正月、私が上機嫌で姪っ子とおしゃべりしていると、
母は、私に向かって「あんた、うるさい」と言った。
今までは、そんな発言したことが無かったのですが、
ボケたお蔭で、母は心の声をそのまま発してしまったんだと思います。
私は自分が見下した相手、
そしてその相手とコントロール関係に入っている場合、
特に、その幸せを妬む。
素直に喜べない。
すぐ、「なによ!」モードになる。
これは、自分が幸せでないからで。
幸せに生きていないからで。
劣等感のスイッチが入って、戦闘モードになります。
まさにこれを、その時、発していました。
中略
父とは疎遠でもありました。
でも、そういう境遇とは別に、私は父親に安心したことがない。
私の家の隣に同い歳のM君が住んでいて、
そのお父さんに、時々、自分は抱っこしてもらう時があった。
私はそれが、ものすごく好きだった。
わーーーーーっと、私はキャピキャピしていて、
ゆらゆら抱っこされながら空を見るのが楽しい。
M君のお父さんは、息子さんしかいなかったから、
多分、女の子を抱っこできるというのが、
単純に嬉しかったのだと思うのですが。
でも、何か、その肌から感じるものが、父とは違っていて、
私はM君のお父さんの抱っこが大好きだったのでした。
もう、幼少にて、ファザコンだったとも言えます。
中略
父が家にいると、兄姉は部屋に引っ込んでしまうし、
父は、パンツいっちょになって、テレビを占領。
そこに母がやってきて、あれよこれよと世話をする。
父は、総入れ歯をはずし、まるで「赤ん坊」のようだった。
母を独占して、パンツいっちょの恐竜のようでもあった。
外では、よき人の仮面を被っているのですが。
中略
父の育った環境は、子どもを大切にする風習すらもない・・となると、
世代間の連鎖にプラスされて、悪影響もある気がしてならない。
父もそういう環境の中で育ったとするなら。
私が父に抱っこされて、安心するはずもない。
でも、多分それだけじゃない。
私の答えは、**さんに、大いに嫉妬した点にある。
私に持っていないもの、私に欲しいもの、
それをアンタがのうのうと持っている、
それが許せん!と私は嫉妬したのです。
中略
でも、**さんが無理のないように、
そして自分らしく在れる様に、ちゃんと気を遣っているのです。
私はそこがうらやましい。
私は、そんな風に、父が接してくれたことが無かったからです。
中略
私は父に、自分のために心から何かをしてもらったという経験がない。
それは、特別大きなことではなくて、
小さな散歩、そんなものでも何でもいいのですが。
そう、**さんに嫉妬したもう一つは、
**さんは、安心感の中で、新しい世界へ飛び込んでいるところ。
私は、ここにも、嫉妬している。
新しい世界は、それも大きなことでなくていい。
M君のお父さんみたいに、
ちょっと抱っこをして、ほら、空は大きいねえ!
そんなささやかなことで、きっといい。
父親に母親と同じものは求めないし、
何か、これから出ていく世界の橋渡し、
「ほら大丈夫だよ?一緒にやってみよう。」
そういうのが、私は欲しかったのかもしれない。
中略
自分はつまるところ、栄養失調なんです。心の。
だから「出せ出せ」と、人の境界をどかどかと侵入することになる。
飢えているからです。
飢えたゾンビと言っていい。
でも、そのやり方は、どうやってもうまくいかないということ。
あの両親の中で育って、
私は栄養失調と、恐怖、焦りで両手足と歯が生えきれていない状態です。
今、自分では、
自分で調整しながら新しい世界に入って行ったり、人と接していったり、
そういう順々のプロセス、それを自分も楽しみながらするということ、
そういう段階の中で、自分は育っていくのかな、と考えています。
中略
父方も母方も、だれかを火炙り、血祭りにすることで、結束する。
その結束のために、火炙り、血祭りになった人を、徹底的にやりこめます。
その恐怖を、周りの親族にも植え付ける。
「お前らも、こうなりたくなかったら、言うことを聞け!」
そういう声が、私の両親のどちらの親族の血にも流れている。
そして、私の血の中にもべったりとある。
私は、駆け引きをしたのだと思う。
私のAC人格同士の駆け引きです。
私1:親に関するトラウマを掘ります。崩残さんからもそう言われています。
私2:親とのトラウマを掘るんですかー。
それは親とはもう、縁を切るということですよ? できますか?
私1:怖くてできません。私はそうなると、
親から矢を向けられて死んでしまいます。
私2:だったら、親の「身代わり」を一匹準備することですね。
そうしたら掘るお手伝いしますよ。(しないけど。)
どちらも保身、脅えから出た私の声ですが、
こんな、浅はかな取り引きをして、
その「一匹」にちょうどよい相手を、呼び寄せてしまったのです。
中略
そんなことをして、自分のトラウマを掘ろうとしていました。
これは、全く自分のためでも何でもなく、
自我復元に対しても大変失礼な行為です。
でも、私の自然な心の動きとして、そうしてしまっていました。
全く無自覚に。
人の利用を、何とも思っちゃいない。
**さんは、機能不全家族の「代用品」でした。
私は両親から人として扱われませんでしたが、
自分も同じように人を人として扱わない。
自分の都合のいいように利用する。
中略
私も相手と同じような心の問題を抱えているけれど、
私がよくないのは、そこに「打算」があること。
「へへーん、いいんじゃん、使っちゃえば。」
私は口には出さないけれど、
こんな軽率っぷりで人を利用しまくる人間です。
私は、ひどすぎるのです。
私は、このことに気付いて、
ほんとうにどうしようもないと思いました。
私は一体どうしてこんな人間になってしまったのか。
それは、あの、人を人として扱わない両親に育てられたからではありますが、
親族もまた、人を人として扱わない。
恐怖で人を統制させるために、「いけにえ」を一匹作りあげる。
私にもどっぷり、その血が流れている。
私の血は恐怖の味がしみこんでいて、
そして、目玉は「いけにえ」を探しています。
私は、そんな血も、目玉もいらない!
中略
私が、相手と「どういう関わり方をしたか」については、
私がなんとかするしかない。
それは、きれいで真っ直ぐなところなんて、どこにもない。
私のこれまでの生き方そのもので、
「打算」や「自分は役に立つアピール」、
「飢えの解消」、「見下し」、
私が人に対してやっていることが、まるで集大成のように出ている。
中略
*月**日、私はこんな自分をどうしたらいいか、考えていた。
私は、一体いつからこんな道を歩いてきてしまったのか。
母や父からの感染が醜いことはわかっていました。
私はその時、ずっと一人だったな・・・・と思っていた。
そのずっと一人だったな・・・をたどっていくと、
ある地点にたどり着いた。
中略
私の本心は、「母は絶対に、そんなことを私には、しない!」でした。
でも、母は、私に、「ざまーみろ! と言ったのです。
そして、そんな姿の私を見て、楽しんだのです。
それは、私の体感からすると、
母に汚いツバを、ペッ!と顔に吐きかけられたのと同じです。
母にです。
母にそんなこと、されたのです。
母は、ペッ!と私の顔にツバを吐きかけて、
そして、その後、ほくそ笑んだのです。
私はこの時、自分の中で何か起こったのではないかと思っています。
中略
私は、幼稚園や小学校から家に帰って
「ねぇねぇお母さん聞いて〜」とか、言ったことがない。
私と母の信頼関係は、とっくに崩れている。
離れると死んでしまうから、そばにいるけど。
この時、母親に媚びる自分と、
「母(人)なんか、頼らない!」という自分が生まれたとも思っています。
一番最初の人間関係から、私は崩れていて、
そして今も、自分をみてわかるように、
人との信頼関係が築けていないんだと思います。
中略
そして、この時、
「相手が一番苦しむ方法で仕返しをする」という毒も、
一緒に母からもらったのではないかとも思っています。
私は、自分が母のせいで痛んでいながらも、
こうすると「ダメージがある」ということも一緒に母から感染して
学んでいるのです。
私の復讐心は、ほんとうに醜いのですが、その醜さの極みは
「決して殺さず、苦しんでいるところを、ほくそ笑んで、長々と楽しむ」
ということです。
まだ、「殺人をして、すっきりする」という人の方が、健全な気がします。
一体、どっちが罰せられなくてはならないでしょうか。
私はもう、こんな地獄からは出ます。
中略
12月の終わり、桜の間でも「毒祖父」「毒祖母」の記事があって、
私も母に聞きにいかなければならないなと思いました。
母はかなりボケていますが、少しでも聞き出せるかもと思い、
12月末、二日間の日程をとって、母のところへ行きました。
中略
ただ、言えるのは、過剰に長男に期待をかけていたということです。
母は、自分の母親・父親から、ほとんど目を向けてもらえず育ったということ。
中略
もともと私にとっての曾祖父が、親族の確執を起こして、
他の親族との接触を断つことになったので、
母方一家は「孤立組」なのです。
だから困った時も、親族に助けてもらうことができず、
でも、なんとか、一家だけで、切り抜けてきたのでした。
母方一家は、大きな親族の輪で見ると、
火炙り、血祭りにされた側の組だったのかもしれない。
復讐心の執念も、ここに根があるのかと考えたりします。
中略
母は何かイライラを子供たちにぶつけることで解消していた。
子供を怒る言葉はいつも決まっていて、
・部屋を片付けなさい!
・お風呂入りなさい!
・歯をみがきなさい!
・ご飯食べなさい!
・もう、寝なさい!
・もう、言うこと聞きなさい!
・口答えはやめなさい!
・ほら、**ちゃんを見なさい、見習いなさい!
・お父さんが帰ってきたら、叱ってもらうからね!
・もう、承知しないからね!
そして、一度たりとも言ったことがないのが、
「勉強しなさい!」。
よくありがちな、親が発するこのコメントを、
一度も言ったことがない。
多分、母は自分も頭よくないので、
子供たちに賢くなってもらって見下されたら困るのです。
いつまでも「怒れる」存在でいてくれるために、
声をあげて毎日怒っている。
母は、かなり暴君型です。
見かけは大人しく、体つきも丸く、声もやさしく、人当たりもいいので、
わかりにくいのですが。
今、父母の構図を思うと、
母→暴君型
父→服従型 のようにも見える。
母は父に依存して、かいがいしく世話をするので、
一見「下」の服従型に見えるのですが。
実は(分かりにくかっただけで)一番暴れていたのは、母。
中略
このフラストレーションは、
結局何をやっても満たされない何かで、
でも暴れないと解消しない何か。
自分はずっとフラストレーションのある中で生きてきたので
(家庭でも職場でも)、
何かそのギザギザと振れる波を発しない人を見ると、驚くのでした。
単に、自分に自信持って、自分の判断で生きてきた人は、
そういう波を描く必要が無いので、気配が静かなのかもしれませんが。
私はそういう新しい人を見て、
「今までのことはなんだったんだろう・・・」と、考えてしまうところもあります。
このおかしなフラストレーションがあったこと、
それが家中に充満していたこと、その分析は、まだ途中です。
中略
でも、私には、世界が見えていなかった。
ほとんど、半径2メートルくらい、
そんな立ち位置ぐらいしか見えていなかったのです。
私はこれが、今までの自分の生き方そのもののように思えました。
私は、ぜんぜん前が見えていなかったのです。
私は見ているつもりでも。
私は、半径2メートル内でのことで頭がいっぱいで、
自分のいく道をさっぱり見ていなかった。
半径2メートル内で行われる、私の見下し、
半径2メートル内で行われる、焦りや恐怖やイイ子
半径2メートル内で行われる、恋愛と称する他人の利用
もう、そんなことしか見えていなくて、
私は自分の視野を失っていました。
私は自分の行く道を見ていなかったし、持っていなかった。
本当のことを言うと、半径2メートルさえあれば満足だったのです。
今までは。
でも、自分はそんな閉塞感あふれる場所から出たい。
自分の力で、自分の道を歩いてみたい!
そう思うようになっています。
中略
私は、それ以来、****というこの症状は、
いつまでも他人を自分に乗せている人の病、と名付けた。
私自身がそうだった。
他人の目、崩残さんの目、異性の目、兄の目、母の目、
もうそんなものばっかり乗っけて、
自分を、自分に乗せたことがなかった。
もう、それは、止めることにしたのです。
この問題の改善は、もう少し、様子をみます。
中略
最後、楽しいことを書きます。
私にとって、楽しいことです。
これも、今までには、ないことをしているので、報告に書いてみます。
中略
■報告の終わりに
私は、ものすごい問題児でした。
そのAC人格解除は、これからも私の重要な課題です。
トラウマが掘れていない代表選手のような私です。
でも、私は、確かに今、今までに無かった感覚を持っています。
それは、今まで、本当に私の中には無かったものです。
それを言葉に表すと、
「**********」みたいなものになるのですが、
言葉にすると、平べったくなってしまいます。
よく、「自問する」とか「直視する」とかいう言葉を使うのですが、
私はそれ、今までは自分に厳しくすることだ、と思っていました。
それは、確かにもちろんそうなのですが、
本当のところは、その最初の発端には「**********」がある。
ここが最初の起点。
私はそれが、ずっとわからなかった。
焦りと脅えの渦が、強風のように常に自分を取り巻いていて、
そこにどうしても届かなかった。
「自分に対して、厳しくすることだ」と思って、
焦りと脅えの渦に、どんどんヤリをねじ込んでいました。
そして、ますます結果が出ない結末になり、
焦りと脅えの渦はさらに風速強まる。
それをずっと繰り返していた。
この「*********」は、私が道を歩むお供みたいなもので、
私の問いに、すぐには答えてくれないけれど、
何か示唆を出してくる。
そして、私の「嘘」に関して、ものすごく目利きである。
この「目利き」が、トラウマ掘りを誘導していくように思う。
今まで、私はそれが、無かった。
取り巻いている、「恐怖渦」で、なんとかしようとしてきました。
それが、今までの私のやり方だったからです。
ここで、*回目の自我判定の報告を終わろうと思います。
前回の判定から、*年**月も経ち、問題大有りな期間でしたが、
今の私の現状を、ここにお送りいたします。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
_____________________________
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