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[422]
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★分割自我復元★その422■ 【 日記という重要な自己管理ツール 】
by:
鈴木崩残
2015/01/09(Fri)09:15:29
ネット中毒の抑制法
●日記の話の前に、
インターネットに接続した瞬間の皆さんの精神状態を
説明しておきます。
これは私自身も自戒としていることでもあるのです。
まず、PCであれ、ほかの端末であれ、
まず最初に、
皆さんは何をするでしょうか?
操作を始める前に、まずきちんと、自分がそこにいて、
これから、自分が主導権を持って、閲覧するということを
しっかりと自覚してください。
●そこから注意深く自分が何をするか、
クリックひとつで、
どういう精神状態が発生するかよく自己観察してください。
●それまで、静かに時を過ごしていたものが、
まずメールボックスをチェックする人も多いでしょうが、
そこから、もうメール内容に沿った思考があなた頭の中を
あっと言う間に占領し、
もしもどこかのサイトにつなげば、とたんにあなたの頭の中は、
そのコンテンツのことでいっぱいになります。
あなたは自分で自分の視線すらコントロールできずに、
ネットにあるものに、関心を引きずり回されています。
●そのコンテンツに沿って、あなたがコントロールを失ってゆく場合、
ただ、テレビをだらだら見るように読む場合もあれば、
いちいち、なんくせをつけるところを探しては、
あなたの妄想の中で独り言や、どうでもいい思考をしていたりです。
●いずれにせよ、そういう事態になったらば、
何度でもPCの電源自体を落としてもかまいませんし、
端末からいったん離れて他のことをするのでもかまいませんが、
習慣でやってしまっていることを、ことごとく意識化してください。
そうしないと、まったく何の疑問も持たず、何の自主性もなく、
メールを開いたり、サイトを開いて、その中に引き込まれるか、
または、あれこれと、本当に必要ではないことを考え始めます。
●そういうことで、
あなたは、いったい何時間の時間を毎日無駄にしているでしょうか?
インターネットは言うまでもなく現実逃避にもなります。
本当は考えたり、しなければならない別のことを、なかったことにして、
そこにしがみついている人たちがほとんどです。
●私は、インターネットが「買い物」には便利だと思いますし、
主体性があるのであれば、ちょっとした「辞書がわり」になると思いますが、
インターネットをするほどに、馬鹿になるということもまた断言できます。
一見すると情報がたくさんあるので頭でもよくなるかと思いきや、
では、1の情報から、PCを閉じた状態で、
あなたは、どれだけのことを、考え抜いたでしょうか?
本来であれば、考えるということは、1つか2つの情報を元にして、
そこから10のことを考えるものです。
少なくとも、私にとってはそうです。
情報は、思考かまたは行動の素材にならねば、まったく意味がなく
知っただけの情報など、死ねばおしまいのゴミです。
死んでも残るのは、その人の生き方の「姿勢」のみです。
●しかし、おそらくみなさんは、10を見ても、AC人格は1のことしか
考えていません。
だから、こうした、インターネットは、
生活に本当に必要な情報を除いては、人間の完成を鈍化させる意味では、
基本的に馬鹿げたものであることを疑うこともせずに、
毎日、ネットの中を2時間も3時間も、うろうろしていたら、
生気のない人間、あるいはAC人格が悪化しても当たり前です。
******************
●そうしたことを、意志して防止するひとつの方法があり、
これは私がやっていることなのですが、
デスクトップに「日記」というフォルダーを作ります。
メモでも、日記というタイトルの文書ファイルでもかまいません。
PCをつけたら、メールをチェックしたりサイトにつなぐ前に、
まず、絶対に、その「日記」から開きます。
そこに、日時を書き込みます。
そして、簡単なメモでよいので、その日のこと、気づいたこと、
予定や、その他、「日記」をつけます。
内容は、シンプルでもかまいません。
●そして、同じく、PCを閉じる最後にも、
この日記をつけます。何も書くことがなければ、
PCを閉じる直前の日付と時間だけでもいいので書き込みます。
たったこれだけのことです。
しかし、これをしないかぎり、あなたは、どんなに自分が
馬鹿じゃないとうぬぼれていても、どんなに情報は大切だと言い張っても、
インターネットに「もてあそばれている」ことには変わりありません。
自分で、まったく自分の思考や関心の操縦もできないままに、
惰性と習慣で、あちこちをクリックして、頭と足をもってゆかれて、
それで、自分には主体性があるのだとか言っているとしたら、
ちゃんちゃら笑わせます。
それでは、自分の関心自体に対して、
何のコントロールも操縦もされていません。
●そうした、毎日の悪習慣を阻止するひとつの方法は、
PCや端末の最初と最後に、必ず日記をひらいて書くことです。
それによって、まず「自分のこと」が物事の最初にある、
という自覚が生まれます。
インターネットに中毒している人たちは、
どれだけの毎日の、瞬間瞬間の時間とチャンスと、感覚と、感情と、
現実の五感の中にある重要な情報を見逃しているのか、
言葉を失うほどにひどい状態にあり、
それは、ネットが一般的になった1998年から悪化し続けています。
たとえ、情報を「どう扱おうが」、人間本来の感覚にとっては、
異常であり、病的です。
あちこちで、絶えず端末をいじっているなど、もはや、人間ではありません。
●むかし、ワープロというものがありましたが、それでも、
そんなものに数時間も向かい合うのは、物書きや、
仕事で使っている人たちだけでした。
しかし今では、大小の四角い画面に、ほとんどすべての人が、
人生の重要なチャンスの多くを奪われています。
情報を集めるのは最低限の量と、最低限の所要時間として、
そのほかは、PCを離れたところでの、
行為または思考、感覚の知覚を大切にすべきです。
***************************
日記の重要さ
●私はずっと昔から、他者の言葉や、文章を見るときに、
その人が、その人生の中で、自分のために日記を書いてきたかどうか、
ということを重視しますし、
また日記を書いてきた人と書いてこなかった人では、
思考力と、文章に雲泥の差があります。
日記を書いてこなかった人の文章は、ひどいものです。
まず、他人に何も説明できていない。
それは、本人が本人の自分の思考を、自分の感情のこもった言葉に換えて、
文に落とし込む作業をしてこなかったのですから、
当たり前のことです。
コミュニケーション能力も本当にひどい人ばかりでした。
この人たちは、必ず、日記というものを書いてこなかった人たちでした。
●日記がなぜ重要であるかは、
小学生であれ、中学生であれ、中年を過ぎてであれ、
どんな年齢であれ、日記は、その人がその人自身に向き合っている
唯一のツールだといえるからです。
誰かに見せるための日記はだめですから、交換日記など言語道断です。
そうではなく、自分が自分の人生の主導権をとるには、
日記以外のどんなツールもかなわないのです。
ノートの大きさは、その人が書きやすい大きさでよいのです。
●「誰も見ない」、それが大前提です。
「誰にも見せないこと」、それが大前提です。
見るのは絶対に「自分ひとりだけ」です。
その中で、はぐくまれる自問、確認、感情チェック、不快、快、
予定事項、思いつき、アイディア、精査、本心、課題、悩み、
およそ、私が「思考」と呼ぶに足るものが、そこにはあります。
しかも、重要なのは、それはあなた自身が自分を観察して、
「自分の舵取りをしている」という点です。
●だから、私は日記というものをつけてこなかった人というのは、
そもそも、自分の人生を生きていない第一歩目の間違いだと思っています。
もしも子供のときに、万一にも、その日記が親や兄弟に見つかったらば、
それはそれで、大喧嘩でもすればいいのです。
他人の日記を覗くことは、親子といえども、
最大のプライバシーの侵害ですから。
******************
●日記の内容というのは、特に決まりごとはありませんが、
単なるスケジュールであれば、スケジュールノートで事足ります。
そうではなく、自我復元で使用するような、
スケッチブックと同じような機能を持たせるためには、
より、自分に向き合った内容がよいわけです。
この時間を、PCに向かう時間よりずっと重視してください。
●そもそも、今すぐにネットにつながねばならない、
そんな緊急な用事が、あなたにあるのでしょうか?
メールなどまとめて返信すればいいだけです。
サイトなど、理由や目的もなく、暇つぶしや、
現実逃避や、情報収集と称して、
間抜け面を下げて、眺めるものではありません。
●いったい、どれぐらいの情報が、あなたの現実の行為や、
言動や、感覚的な楽しさや、実利的なものになったのか、
本当に、冷静に、客観的に自己観察をすれば、
1から10を得るのではなく、100のうち95を
時間とチャンスと思考力と、感性を無駄にしていると思います。
●それに比べると、やはり、それであれば、まだしも、
ネットいじりではなくて、
「形」とくにアートとして何かを創作する時間、
あるいは、計画的な運動で、あなた自身の体の世話をする時間のほうが
大切です。
*********
●余談ですが、75歳で他界した私の母は、
死ぬ間際まで「日記」をつけていました。
何を書いていたのかは、母の他界後に、たくさんの大学ノートが
残っていましたので、いくつかを読みました。
特別に変わったことが書いてあるのではないのですが、
その日に、見たもののメモ、感じたことなど、手短ですが、
毎日、休まず書かれていました。
●母が生きていたときには、
「書いておかないと、いつ、何があったのかとか、
する事を、すぐに忘れてしまうから」
と母は言っていたのですが、読むと、そういう内容ではなく、
それは、何気ない日記でありながら、
母が母なりに、そこに向き合う時間に、
自分の人生を自分で監視し、舵取りをしていた重要なツールであることを
確認できました。
料理の献立のメモなども書かれていたほか、
その日に見たものの感想、やってきた私の客人への印象、
母本人の、ちょっとした人生観のメモなど、
いろいろなものが書かれていました。
戦前に生まれ、戦中戦後を過ごし、子育てをし、
いろいろなことがあったのですが、最後まで、それらとは別に、
誰かのためではなく、子供のためでもなく、
一人としての自分自身に向き合う姿勢と時間を常に大切にしていた母を思い出すと、
さすが全自我で生まれてきた人だったと感じます。
残念ながら、さすがに幼少期の私のことを育てていたころの育児日記は、
古すぎて、はるか昔に喪失したらしく、見つかりませんでしたが。
ただ、察しはつきます。
今なら、スマートフォンやカメラで記録するような成長記録を、
ひとつひとつ、母の言葉で、「今日は、こんな言葉を言った」
「つくづく、**と感じた」とか、母自身が母自身に向けた独り言が、
細かく書かれていたと推測します。
私の母もまた、日記というものを、
常に、「誰かの為ではなく、自分が自分の人生を生きている」、
という自覚を、どんな時にも忘れないための
自己管理ツールとして利用していたということです。
******************
●話は戻りますが、
PCやネットに向かう時間よりも、
「日記」にメモをする時間を、他の時間よりも優先させてください。
たとえ、PCの起動と終了時に、PCでメモをしても、
あとで見ない人がほとんどでしょうから。
また、セキュリティーから考えれば、その日記が外部に漏れることも
懸念されます。
だから、PCの操作の前後の日記は、
単に、自分をきちんと制御してから、PCをはじめ、終わるという
けじめをつける方法にとどめてかまいません。
開始と終了の日時のみでもいいのです。
*********
●それよりも、ノートを買ってきて、日記をつけてください。
それを自我復元で使うスケッチブックのかわりにしてもかまいません。
●気構えて、大きなことを書く必要などありません。
その日のことを整理するだけです。
「関心地図」をもう少し、詳細にしただけのものでいいのです。
日々、移り変わりゆく自分の関心や、考えること、
また、いつも同じことに関心が縛られていたりすることを、
はっきりと客観視して、「自分を見る」という作業の第一歩は、
まず、日記から始まります。
そして、人生が終わるときも、日記を閉じるように終わるでしょう。
●重要なことは、
自我復元の「報告のためのメモ書き」、といったものとは
まったく別に、この日記は書かれるべきであり、
自分以外には、誰にも見せないし、見ないということが大前提です。
復元ブログというものは、大嘘を書いてしまう人もいれば、
また、見る人間のことを常に意識してしまっています。
AC人格も満開になりかねないものです。
しかし誰も見ない日記であれば、
どんな本心、どんな泣き言を書いてもいいのですし、
自分に対して嘘をつく、どんな必要もありません。
そもそも、嘘というもののその利点は、
毒親や、「他人の目や評価」を気にして、はじめて成り立つものです。
だから、私への報告ですら嘘になる場合もありますし、
報告の下書きを前提とした日記であってはなりません。
*********
日記だけは、唯一、
「嘘を書く必要がまったく必要ない」ものであるのは明白です。
日記に、どんな嘘を書く意味があるのでしょうか?
あなたが死んでから、同居人にあてつけたいならば、
嘘ばかりの日記を書くような愚か者もいるでしょうが、
自分しか見ない、それが大前提であれば、
自分に向かってぐらいは、日記の中で、
とにかく、何も隠すことなく正直になりきることができるはずです。
自我復元というものが、
主に、私への報告や、復元ブログというものに重心がありすぎることが
弊害になっている人が、何人かいます。
AC人格は、もともと他者の目や評価を気にして生きてきた人格ですから、
他者に向けたブログには、特に、それが顕著に出やすいものとなります。
そういう人は、まず、
誰も見ない、誰にも見せない「日記」をつける中で、
自分への自己管理に向き合ってみてください。
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