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[426]
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★分割自我復元★その426■ 【最重要】●【自我復元の主体となる基礎から】■
by:
鈴木崩残
2015/01/17(Sat)10:54:06
自我復元者の全員に必要な事
■まず最初に、釘を刺しておきます。
以下のこの投稿で私が記した内容について、
読んでいる途中で、あるいは読み終えた時に、
「こんなことは知っている」
「こんなことはわかっている」
「そんなことは経験したことがある」
その他、もろもろの頭の中での独り言を言っている自分、
そういう自分がいた人は、
無明庵のサイトをお気に入りから外し、二度と見ないようにし、
無明庵の書籍も二度と買わないようにし、
また二度と私へメールをよこさないようにしてください。
さらにいえば、前述したような事を頭の中で、
ゴタゴタとおしゃべりしている自分自身を見た人は、
今日すぐにでも、死んでくださって結構です。
そういう人は、無明庵にとって迷惑であるのみならず、
人類にとっても迷惑ですから。
●これほどまでに、釘を刺すのは、
もうこれ以上、一歩たりとも、誰にも、汚してほしくない、
領域についての問題だからです。
******************
■重要なことなので、以下、本文全文字を黄色にします。
●今回書くことの対象者は、
ここを見ている「全員」です。
たまたま、ここを見た者であれ、
自我復元ブログを書いている人、いない人、
さらには、自我復元をしていようがいまいが、関係ありません。
人間として生きて、ここを見ているならば、
この内容が重要となる対象者です。
●能書きは、あとで少しだけ書きますので、
次のことを「毎日」、必ずしてください。
毎日、朝起きたら、5分でもかまいません。
おそらくは、これが好きになれば、30分でもしていられるはずです。
朝でなくとも、いつでもかまいません。
また場所も限定はされませんが、
ただし最初は、一人っきりになれる場所で、行ってください。
●【必ず、これを、はじめてから終わるまで、必ず両目は閉じたまま】
にすること。
●まだ、何も、ゴタゴタと考え始めていない、落ち着いた状態で、
【自分が、今そこに いる】というその【感覚】をじっと維持してください。
そのことについて、あーだこうだと、考えるのではありません。
【自分は、今、ここに いる】というその【感覚】だけを維持するように
努めてください。
他にすることは一切ありません。
それだけを最初は、一日に、数分だけでも、
そのうち10分、それ以上好きなだけ続けてください。
●目を閉じて【私は いる】という感覚を維持するのみです。
さて、そうしていると、必ず次に皆さんにおきることは、
外の音が気になったり、何かを考え始めたり、
こんなことを続けていると、何か起きるだろうかとか、
退屈だとか、そうなったら、あなたの頭の中は、暴走を開始します。
●それを簡単に止める方法があります。
それは、何か考え始めたら、ただちに、
目を閉じたそのままで、
【私は いる】 と、頭の中で言葉にしてかまいませんので、
そう唱えて、ふたたび、【私は いる】という【実感】に戻ってください。
声に出さないで、心の中で言ってください。
●ここで、「いらぬ蛇足」を説明します。
精神世界に関係ない人は、ざっと読むだけで無視してください。
ラマナマハリシというインドの、じじいが、
『私は誰か?』という問いを瞑想の道具としろ、といったことは、
半世紀も前から知られていることですが、
誰一人も、それで何かを達成したり、体験した人は(彼本人以外には)いません。
彼に言わせると、
もしも思考が沸いてきたときには、
「それは、誰に向っての思いか?」と問うと、
必ずそれは「自分 に向ってである」ので、
そうしたら、「私は誰か?」の問いに戻ればいいという
とても「大雑把なもの」だった。
●また、言い換えると、
もしも皆さんが、そうやって「私は いる」と感じているだけだったところに、
気がついたら、必要もないことを考え始めていた場合に、
「誰が 今 それを 考えていたのか?」
と自問すれば、それは、「自分が」に決まっていますので、
そこで「私は誰か?」の問いに戻ればいい、という話になります。
●しかし、この「私は誰か?」という言い方、文言は、
いかなる意味でも、瞑想にはなり得ません。
それは、多くのほとんどの人にとっては、
ただの観念的な問いに過ぎませんし、
「私は誰か」と問うことで、
まるで、何か大げさな探求をしている錯覚に陥りますし、
最悪の場合には、ただのマントラ、つまり、
もごもごと、唱えているだけの、お題目になってしまいます。
ボケづらして、何も考えずに、頭の中で「私は誰か」など、
とんな馬鹿な人でも、いえるのですから。
******************
●しかし、私が皆さんに「やれ」と言っている方法は違います。
最初から終わりまで、終始、目を閉じて、
【私は いる】という【実感感覚】の維持、それのみです。
余計なことは、なしです。
何か注意が、別のことにそれたらば、
ただちに、『私は いる』と心の中で唱えて、戻ってください。
どこに戻るかというと、
『私がいる』という「単純な事実の中」にです。
●ここで、ひとつだけ、注意を書きますと、
『私 が いる』と唱えてはいけません。
「が」と「は」、では及ぼす影響が違います。
「私が いる」は、主張が強すぎますし、音に濁りがあります。
「私 は いる」にしてください。
●こうして、一日に一度、最初はたったの数分からでよいので、
目を閉じたまま、
自分がいることを、はっきりと明確に感じる時間を持ってください。
もしも、妄想的な考えに、巻き込まれそうになったらば、
「私はいる」といって、ただそうやって、
自分がいることだけの、単純な事実と向き合っていてください。
そのことが、ほっとする時間になるならば、
1時間でも、そうしていてもかまいませんから。
ただ、ぼけっと何も考えていないような、感じ、
それではダメです。
目を閉じたままで、
常に、絶えず、たえまなく「そこにいること」を実感し続けることです。
******************
●重要なことは、以上です。
なぜ重要なのか、説明を必要としないでこれをやってみる人は、
とてもレベルの高い人だと思います。
説明されないとやらないような人は、
本当に最低な人たちだと思います。
が、しかし、そういう人たちをも想定して、
これを書いていますので、ざっと説明だけはします。
●トラウマを掘ることができない、あるいは出来た、
また、AC人格を解除することが出来た、あるいは出来ない、
そもそも、自我復元が出来る、出来ない、
そういうことの遥か以前の「基礎」の部分が、
あまりにも欠けていることが、元凶であることは大昔から変わりません。
●そういう状態のままで、トラウマ掘りをしてもしょうがないですし、
そういう状態で、自分が好きなものだと思って何かをしても、
結局は、好きではなかったり、好きだと思い込んでいただけであるとか、
やめると決意したのに、ちっとも、やめられない、
やると決めたのに、ちっとも、決めたことも、できない、
そういう結果になるものです。
●その原因は、そもそも、最初の一歩を、間違えているからです。
あなたの、すべての言動、
思考、感覚、知覚の前に、存在していなければならないものが、
やることに追われ、同居人の邪魔に脳内がひっかきまわされ、
職場での不快なことを、ぐちぐち考え続け、
あまりにも、日々の生活の中で、
元の位置に「戻る」ことが、欠落しているために、
人間は、自分の個性や、記憶や、経験してきたことと、
自己同化をしすぎています。
「自己感覚」というものは、
そもそも、トラウマも受けていませんし、経験や記憶とも関係ありません。
それは、単なる、実存感覚の「一形態」です。
身体的特徴もありませんから、
「自己意識」それ自体には、ブスもイケメンもありませんし、
性格が悪いもいいもありません。
そうしたものが生じたのは、その自己感覚のあとの現象との関係からです。
●「本 質」というものは、
常に、「より いっそう」、
それを成立するにあたっては、
『理由がない』
『原因がない』
ということがその基本です。
そうでなければ、本質とは言われません。
もしもそれが、
あなたの何かの経験や、業績によって出来ているものならば、
それは、本質の「外側」に出来上がったものです。
●しかし、今回説明したものは、本質に「より近い」部分である、
「自己存在の意識」を明確にするということです。
「自分 は いま そこに いる」ということを明確にするのに、
どんな知識も、記述も必要ありません。
多動症とか、よほどの障害でもないかぎり、子供だって出来ます。
薬漬けの人は出来ないかもしれませんし、
年中、批判的な、屁理屈をこいている馬鹿も出来ないと思います。
しかし、トラウマを掘っていようが、いまいが、
これぐらいは、ほとんど、どんな人にも、出来るはずです。
●目をずっと閉じて、「いる」ことを感じ続けること。
もしも、何か考えそうになったら、気がついたら、考えてしまっていたら、
「私は いる」と(声には出さずに)心の中で唱えて、
自分がいる感覚に、戻り、そこに浸り続けるのみです。
重要なのは、頭の中でこの言葉を繰り返すことではなく、
その「自己感覚」に留まること、集中させることそのものです。
言葉を頭の中で唱えて焦点を修正するのは、
その自己感覚が、雑念で乱れた場合のみです。
●この作業では、
「それ以外に何も必要ない」と、私が言っているのですが、
必要ないのです。
「ここから、何をすればいい?」と考えることは愚かなことです。
「あー、これが安心感なんだなと分かった」と考えることは、
もっとさらに愚か者のやることです。
私は、ただ、そのままでいいと、断言しているのですから。
●もう少し、厳密に専門的に書くと、
実際には、この構造は、次のようになっています。
↓
1・意識
2・その意識を意識した結果として「意識がある」と自覚している
3・「自己 を 意識」している
4・「自己像(自分についてのイメージ)」を意識している
世の中の、ほぼ99%の人たちは、4を意識し続けて生きています。
常に、自己イメージを意識し続けています。
その自己イメージが、自分を心地よくさせるものであれ、
トラウマAC人格由来のものであれ、あくまでもそれは「4」です。
しかしそこで、「4」から、一歩戻って、
個性というもの以前の、「3」の「自己存在の意識」に立ち返ることです。
これは稀には、あなたが、トイレにかけこんで、やっと
大小便を出来たあとに、ふと感じるかもしれませんし、
夜中に、一人でいるときに、ふと、感じるかもしれません。
しかし、「私はいる」というそれのみに、
数分間、意識的に、留まろうとする人はほとんどいません。
●しかしそこに留まる時間の長さと、「質」、
これが、自我復元の作業でも、トラウマ掘りでも、トラウマ解除でも、
そのすべての底流になくてはならないものなのです。
なぜならば、それが、自我復元の「主体」だからです。
●その主体の世話もしないで、トラウマ掘りをしても、
あなたは、いじけるにしても、積極的でアクティヴになるにしても、
依然として「4」の人間のままです。
だから、今回書いたことを、全員が行ってください。
●補足的に言いますと、
数値としての自我率が高いほど、本来は、この「自己感覚」の中にのみ
留まれる時間とその深さの質が比例するはずなのです。
●終わりに書いておきますが、
今回のこの方法をやった結果については、
ただの一言も、
絶対に、
一切、私に報告をしてはなりませんし、ブログに書いてもダメです。
これについて、何かを書くことも報告することも、私は一切禁じます。
なぜならば、
報告する内容など、ないはずだからです。
「当たり前のこと」には、「内容」などありません。
もしも、必要があれば、私の方から個別にその人に聞きますので、
皆さんの側から報告したり書くことは絶対にやめてください。
皆さん自身の、日記に書き留める分にはかまいませんが。
*********
■今回、このことを書いた理由は、
やはり、好きなものが見つからない人のケースがあるからです。
また、そもそも、好きなものだと思い込んでやる場合に、
明らかにAC人格が選択したものである場合には、
毒親から逃れて結婚したと思ったら、毒親の思うつぼの相手であったり、
自分がこれは好きなことだと思ってついた仕事が、
結局は毒親の支配を強める結果となったり、
また、自分が好きでやっていると思いこんでいることが、
本人のAC人格の温床となってしまう場合が多々あります。
人によっては、「判断するのは、まずやってみて、そのあとからだ」となれる、
まっとうな自我復元者も増えてきましたが、
やる前から、どうせダメだろうと思うほうが楽であり、
どうせこれもAC人格が間違って選んでいるのだろうと思い込んで、
萎縮しているほうが、都合がいいと思っている人もいます。
●また、たとえば、毒親から、幸運にも、物理的な距離を取れている人、
毒親の干渉を受けないように、自活している人、
あるいは、カウンセラーの下で保護されている人、
そうした恵まれた人たちには、従来の行動療法などが効く場合もありますが、
私は常に、より「普遍性を持つもの」しか追求しません。
■たとえば、自我復元者の方の中には、
今も、毎日、その人の事を敵視して、憎悪する家族に囲まれた中で、
必死にやっている人もいますし、
職場にいけば、周囲から、ダメで暗い奴と思われ続けていて、
そのような扱いを露骨に受けている人もいますし、
学校へいけば、毎日イジメられている人もいるかもしれません。
そうした人たちに、
そうした人たちよりも、環境的に恵まれている人に効果のあった方法、
などを説明しても、効果はありませんし、
それでは、ますます、何も出来ない自分を感じてしまい、
自分に嫌気がさして、自殺したくなるに違いありません。
だから、今回の方法を採用しました。
ただし、
最初に書いたように、
それで何もかも解決するなどと思わないことです。
これは、解決する行為に繋がる「基盤」をつくるためのものです。
また自我復元の作業、
トラウマ、ACの問題に、
本当に、まじめに取り組む姿勢の「基礎」をつくるものです。
今回の方法がなんとなく出来たような気になって、
何か自慢でも出来る、瞑想と勘違いしたり、瞑想と比較して論じたり、
何もしないで、あるがままでいいんだ、なとど、
そんな「最低のクズ人間」になる為の方法ではないのです。
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