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Title
自殺
宇宙・悟り・意識の変化の問題を中心とする「間」です。
性と死のホームページ
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[4019]
■
■最近投稿した英文の原文
by:
崩残
2009/03/25(Wed)09:23:16
■どうも、文節が、こま切れになるのは許してください。
私の場合、感情をこめたり、詩的な英文がかけないものですから。
その結果、このように原文も、いつもの私の口調とは全く違ってしまいます。
投稿者の言ったこと。
>人々が彼らが信じたいものを信じるのは自由だ。
>私は自分の宗教を他人に押し付けるつもりはない。
あなたの書いたことは理想としては正しい。
しかし私はそのような個人主義の宗教信者を見たことがほとんどない。
信者たちは常にくだらない教義を他人に押し付ける。
彼らは天国や地獄を持ち出して商売をする。
彼らは押し付けがましい。彼らは信者を増やすことに興味がある。
そして彼らは宗教によって多くの戦争をした。
日本は宗教テロの被害を経験した国だ。
だから我々は宗教の持つ社会的、教育的弊害について危惧する。
彼らと論議すれば彼らが論理的思考を持たないことは明白だ。
宗教が持つ利点と害悪を我々が比較した場合、
明らかに害悪の方が大きい。
あなたはその理由を知っているか?
大衆は宗教を修行ではなくて、
日常的なご利益を得る手段と勘違いするからだ。
本来、宗教とは大衆の為ものではない。
それは特許や発明品やテレビショッピングの製品のように
万人が共有できるものではない。
賢者たちが語った言葉の中には大衆が応用できるものと出来ないものがある。
おそらく重要な内容の90%以上は大衆ではなく少数の人間に対して語られたものだ。
そして重要ではない内容が常に大衆の精神的娯楽のおもちゃになる。
要するに何を信じても何を疑っても自由だ。
個人的に宗教を信じる自由は存在する。
ただし世界中が、
集団や組織として宗教活動する行為を法律によって禁止すれば
この世界はもっと正常だっただろう。
宗教は個人と世界との間の問題であって、
社会組織や経済や政治とは関係ない。
しかし現実を見なさい。
宗教は完全に選挙活動の一部だ。
なんという堕落だ。
話題に戻ろう。
こうした誤解は武士道にだけ限った問題ではない。
宗教においてもその他の思想書においても、
それが書かれた「時代背景」を考慮しなければならない。
数百年の間、何も語られなかった事が、
ある時期に「ひとつの書物」によって大衆の中で人気を得る場合が多くある。
しかしその書物の内容が正しいかどうかは検証する必要がある。
書かれた内容よりも「書かれた理由の方が重要である場合」が多いのだ。
非常に簡単に言えば、
人間個人が個人的に幸福になる為に宗教や神への信仰は全く必要ない。
単に本質的な経験が必要である。
そしてその本質的な経験を最も妨害するのが宗教妄想だ。
本当の真実を知る者たちは決して神を語らない。
神という言葉はあまりにも妄想によって汚染されすぎたからだ。
イメージや概念ではないものを経験した者は、
常に造語を作る必要に迫られた。
______________________________________________________
●雑談
■近頃、ここ二ヶ月ぐらいのことであるが、
砂手が、また悟りの次の次元に移行した。
何を見ても感謝以外にない、といった中悟に独特の世界を
現在、見続けているいる。
これは長くて2年続くし、人によっては1年で終了するステージであるが、
すべての神秘体験は経験するにこしたことはないので、
特に、私からは、突っ込みもいれずに放置しています。
●悟り、または「こうした変化」において面白いのは、
身体的にいくつかの大きな変化がおきることである。
喉のはげしい痛みと、発声がうまく出来ないということが、
砂手に数ヶ月続いたあとに、
突然に、時期がきて、それが消え、
かわりに、砂手の声の質が全く変わってしまったのは、面白かったことです。
基音になる音程そのものが、前よりも少し高い。
そして声に、曇りがない。
●中悟のこの時期は、何を見ても嬉しいとしか思わない「病気」の
一種なので、若干、前の砂手らしくなく、
まるで女子高生みたいになって、キャピキャピしすぎているのですが、
まー、何事も経験ですから、
経験が自然に枯れるまで、こうした体験はさせておくのが良いのです。
悟りにおいては、その変化、移行とともに、
「二度と同じ体験は出来ない」のが常にその特徴ですから。
繰り返し経験が可能であるのは、
最も核の部分をなす、「闇」と「純粋意識」の「極」部分のみであって、
それが外界の対象に伴って副産物的に生ずる外界との干渉派は、
決して同じものがありません。
まー、だからこそ、悟りには、
「飽きる」ということが決してないのですが。
●ちなみに、砂手には、
「現在の状態を、個人的にメモする分には、いいが、
絶対に、他人に言ったり、読ませたら駄目だよ。
わかっているとは思うが」
と、言っておきました。
今、砂手が経験している状態を言葉にしたら、
1000もの誤解が、また生まれてしまう。
あまりにも、瞬間瞬間が、絶え間なく楽しすぎて、
何見ても、感謝で泣いているような、その毎日の状態を、
もしも、言葉になどしたら、
それは、その状態に至るために最も障害となる、
飢えと、憧れ以外の何も、人々の中に植えつけないのだから。
そんな愚かなことは、
もう何千年も、繰り返されてきたことなのだから。
*****************************************************
話は突然に変わりますが、
★早い話が、
この宇宙にはおおむね、4つの種族しか存在しない
(あくまでも「大雑把に分類すれば」という話)
そのうち3つは、
ぴったりと、ダグラスアダムスの分類、あるいは
「世間慣れのプロセス」と一致する。
1●「いかにして食うか」の段階の生物
2●「なぜ食うか」の段階の生物
3●「どこで食うか(居直り)」の段階の生物
この三番目に属するのが、
いわゆる、宇宙にある「法則」のいくつを解明して、
それを利用して、なんとかして楽しみを作り出そう、
という「派」です。
これは比率的には、相当に多くて、
宇宙では、スタンダードタイプかもしれません。
この手の生物が、この宇宙の半数ぐらいかもしれません。
正確な分布比率は、むろんわかりませんが。
で、残りは、1と2でしょう。
●4に相当するのが、「悟り人」の小集団。
世慣れしたわけでもなく、居直りではなくて、
「宇宙の死」という棺おけに片足をつっこんだまま、
あてもなく、目的も理想も特に持たず、
かといって、何かに自分を預けるのでもなく、
ようするに、自由に生きている人達。
生きなければとか、進化すべきとか、学んで楽しむべきとか、
そういう強迫観念がないので、
ある意味では、3の「魔術師」たちとはかなり違う世界を
うろついています。
自由になったり、その自由の成分や密度を変えたり、
わざと不自由になったりと、
まー、泳ぎ方は、その場に応じて、いろいろですね。
ただひとつ確かなことは、
次の肉体や生存領域と契約するには、
「かなりの無理がある」ということです。
よっぽどの、強烈なモチベーションか、理由をあえて持つことを
自分に許諾しないかぎりは、
「次の生」はないでしょうね。
まー、だらだらと、経験主義を尊重して、
「意識の進化なる既成概念」を夢見て、いつまでも転生などしていても、
そもそも意味がないというのは、
「最初からわかりきったこと」なのですがね。
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