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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
「手裏剣術」講座、その他の雑談の「間」です。
手裏剣術の画像・動画が、
他に類を見ないほど多く掲載されています。
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「手裏剣術講座」 【不明点、誤記の可能性が多い藤田西湖の本】
by:
鈴木崩残
2015/05/15(Fri)09:33:52
問題の多い藤田西湖の手裏剣術の本
いわゆる武術愛好家が、頼り、よりどころとしてしまう、
「手裏剣術の本」とかになると、必ず登場するのが、
もっとも、胡散臭い一面を持つ、「藤田西湖」である。
図版も、他の書籍で使いまわされている。
この図版そのものが、そもそも、どこから出たものなのか、
藤田西湖氏自身がラフに書いたり、それをイラストレーター書かせたもの、
という部分も伺える
(その品があまりない画風や、適当すぎる絵もあるので)
●そして「知新流」なるものについて、解釈を試みたものもネットにあるが、
どうも、怪しいところが多い。
以下に、その疑惑の箇所と、問題ないであろう、両方の箇所を羅列してみた。
↓
>■手裏剣を「はじめて教えるときには」右足を踏み込んで打たせます。
↓
つまり、「投撃に未熟な者」に教える時には、の意味であるのは明白。
別項にも、こうある。
↓
>「初心者に教える際には」的に向かって右足を・・・
つまり、中級以上は、逆の左足を踏み込むと理解するのが妥当である。
何しろ、ことさらに、
「初心者に、はじめて教えるとき」と、書いているのであるから、
ここを無視することは出来ません。
(ここの箇所だけは、インチキだと言うなら別ですが)
■ちなみに、私が数人見てきた経験上、男性の方でも、
>物を投げるのが極端に苦手な人が、たまにですがいます。
>するとたいてい「女の子投げ」のようなフォームになります。
>そのときの、フォームは、必ず「順体」です。
このことを、「あいつは投げるのが下手糞なんだよ」と理不尽なことを
いわずに、きちんと相手のことを理解するためには、
自分の利き手ではない方の手で手裏剣や物を投げてみるといいです。
すると、明らかに順体が楽なのです。
一方で、逆体で物を投げるには少し複雑な身体運動を学習しないとなりません。
自分が使えない手を使ってみることで、相手の身になって考えたり、
他人の苦心している点というものがわかります。
が、そうはいっても、物を投げることぐらいは、特段複雑なものでもなく、
小学校のときのドッチボールや、ボール投げ、
または河原での石投げなどで、子供は自然に覚えるものです。
ですから、私はまず、書籍にも書きましたが、
「普通レベルに、ボールなどを投げられる能力」は必要であると書きました。
>これがないと、自分が投げやすい簡単なフォームに変えてゆこうとしてしまい、
>結果として、まったく上達しないままになる人もいますので、
>常に投擲というものの「基本中の基本」だけは厳守するのが原則です。
>投擲の基本は、逆体で逆歩です。
スポーツとしては、順体は必要ありません。
が、もしも臨機応変な姿勢での対応が必要となる、
スポーツチャンバラ的な手裏剣(ある意味では武道的手裏剣)を
したい場合には、順体もバランスよく出来るに越したことはありません。
攻防の中では、いつも右足が前とか、いつも左足が前という
ワンパターンは、不利になりますから。
>■「足の踏み込みが第一に重要」
とあり、「逆歩」であってもこれは当然に、同じこと。
ここは特に「順歩」を重視しているわけではない。
しかも、繰り返しますが、順歩と踏み出しは、ことさらに強調されて、
「初心者に教える時」とある。
「踏み込みと腕の振りの一致を粗末にすると、当たらないですよ」、
と単に言っているだけ。
(注)ただし、とにかくこういう短い文のよくないところ、
そして、実際に聞くことがもう出来ない、おっ死んでしまった故人の文や、
解説のないものは、本人に、
「分かり難いんだが、ここは、どうなんや?」と、確認が出来ない。
たとえば、冒頭の文を、「初心者ははじめは、右足を踏みこんで」
この中から、右足ではなくて、「踏み込んで」だけを要点として取り出すと、
この流派の本来の打ち方の要点は「踏み出さない」ことになる。
つまり、順体、逆体が問題なのではなく、
「踏み出すのは初心者のみ」で、初心者以外は、
「(順体・逆体どちらでも)足を固定して投げる」、とも解釈できるものになる。
■しかし、上達者の場合には、おそらくは「心形刀流の三心刀」のように、
短刀を投げるために構えは「逆二刀」で、右手で投げる。
つまり、逆体構えの、(推定)逆体打ちとなる。
ここでもしも右足を前へ進めて「順歩」で打ってしまうと、
「左手の長刀の操作に」やや支障が出るような気がしなくはないが、
ここは私は専門外なので、断言はできない。
なお左手の長剣は突くのみなら、片手でそのままで問題なしとのこと。
>■打剣の威力の強弱ではなく、
>とにかく「早く打ち出し当てる」ことを重視する。
↓
無冥流とは違い、
まー、刺さらなくても良いから「速く投げろよ」ということ。
刺さらなくて、「当てるだけ」でもいいが、
「遅い剣(遅い動作)でよい」とは、どこにも書いていないのは当然のこと。
>■相手が刀の柄に手を掛けたら、ただちに手裏剣を打ちなさい。
↓
私見となるが、これは距離が、
「相手が抜いた刀が自分に届くか届かないかぐらいの間合い」の場合であって、
2間内外ならば、
柄に手を掛けた瞬間に投げても、相手は動いて避けられる可能性が大。
抜いてしまう「その瞬間または、抜いた直後」の方が、
打剣をするならば、はるかに合理的であると私は見ている。
>■手裏剣の威力を強く利かせたいのなら
>剣を柔らかく持って振り打ちにする。
↓
「振り打ち」とは何か?
起こりが、するっと丸見えになるスナップ運動のことか?
*********
また、問題はここである。
>■「飛龍剣」とは、刀を抜き「下段に構え」
(注「脇構え」とは記していない)、
>「左手は柄」を、「右手は剣の棟に」手のひらをそえ、
>間合いを詰めて、手裏剣に打つ技。
↓
もしかして、脇差であれば、
「下段」からであれば、「真っ直ぐ前に打つ」ということではないか?
という可能性が、かなりある。
そうであるならば、
ここは、「右手と左手」が「逆」の「誤記」の可能性が出てくる。
だが、もしもこれが本当に「上段から打つ」のであれば
その場合には、ここの「下段」は、「脇構え」の「誤記」であるとなる。
なぜならば、次文に、あえて、こうあるからである。
↓
>■この際、「太刀を打つ際には」、剣を「一度上段に振り上げ」、
と太刀の部分は「前文の技または刀の種類とは別のもの」として書かれている。
>■打ち出す瞬間、手離れの時に「柄の部分を下げて離すこと」。
この「柄の部分を下げて」が、
「上段構え」から投げるにしては、意味が不明である。
しかし、下段から真っ直ぐに打つのであれば、刺すのではなく、
刃面を相手に当てようとする意図が「柄を下げて離す」
という文意として解釈できるのである。
実際、柳生新陰流の演武の動画で、
この下手からの、「太刀の打法」はそれにかなり酷似している。
酷似というよりは、すばり、このことを意味しているのではないか。
これです。頭出しをしておきました。
↓
https://youtu.be/VDWKrUqaQJ8?t=7m45s
この構えの少し後の部分です。
↓
●よって無冥流による、
「棟押しを加える打法」の技法は、これとは全く異なる、
完全に独自なものであり「似ていると考えたり、記したりしてはならない」
可能性がかなりある。
>■手裏剣を自作する際、当流の規定におさまる範囲内にする。
↓
17cm弱で、70g程度であるので、
>「知新流の打法」を尊重して、それに準じるのであれば、
>「その体系の重要な要素である剣」もまた、知新流のものといわれているものを使用するのが
>その「流派体系」に対する、本当の「尊重」の姿勢と言える。
こ れ で あ る (しかも約650円以下と安い!)
↓
http://www.budoya.org/catalog/product_info.php/products_id/67
>■手裏剣を打つときに、
>自分の手の先に的=相手が見えるように心得て打つ。
↓
この自分の手とは、「打つ側の手」とは左手ではないだろう。
別記の「左手に5本を保持する」からも明確であるので、
よって、「顔の向きと打剣する手の向きの一致」の意味とみなせる。
>■手裏剣を打ち出す時は、
>踏み込む足が手裏剣よりも(時間的に)先に出ることは良くない。
>手裏剣の打ち出しと足とが、同時になるよう踏み込むこと。
↓
このままの解釈でもよいが、
これを「古流らしいから、こうだろう」として固執し、厳守したいならば、
これで、目の覚めるような速度で打ち当てるための鍛錬が必要である。
だが、通常の、「投撃」法という、古武術の身体動作にあっては、
「異例なもの」とも言われてしまう事もある、手裏剣術の各流派は、
通常は、このような、
「離剣へと繋がる動作と同時に足を踏む(着地する)ような打ち方」はしない。
野球のピッチャーのような強力な投法も、足がやや先に着地する。
何よりも、この文で問題(不明)であるのは
剣を「打ち出す時」の「タイミング」の定義である。
その「時」とは、「まさに放つ瞬間」であるのか、
「放つための動作の瞬間」であるのか曖昧すぎるので、
私に言わせれば、かなり重要な部分が、参考にならない。
>■懐剣や刀は、手離れを遅めに打つように心がけましょう。
> 懐剣の目付けは、鼻よりも下を打つ心積もりです。
> しかし胸よりも下にならないようにしましょう。
↓
これは、打たれる側の視覚にとって、最も剣が見えにくい位置である。
これより高かったり低いと眼で追い易い飛跡となる。
ライオットシールドでは、その軌道の確認が可能である。
私は最初これを読んだ時には、その範囲が、皮膚が露出しており、
かつ頭で避けても、刺さってしまう範囲なのかな、と思っていましたが、
違うようです。
>■「剣に十分一の剣」という教えは、
>重たい手裏剣と軽い手裏剣を不規則に入れえて続けて打つ稽古をすることです。
↓
知新流に重たい剣などあったか?
まさか、あの無骨な、今となっては「その形状に関する真偽」の怪しい、
極端な「後ろ重心」のものか?
それをランダムに投げろというのだから、
>知新流の記述を何かと、都合よく参考にしたがるタイプの人は、
>この「重量変化する剣を打つ」という技法も、習得せねばなるまい。
>■足の踏み込みは「普段の歩幅」よりも二足長ほど広く踏み出すことです。
>また右足を踏みつけて打つのもいいでしょう。
>左足は、踵をやや浮かせるようにしましょう。いつでも、足は軽く踏むことです。
↓
根岸流の場合には、踏み込みはもっと短い。
実戦的には、これは少し踏み込みすぎ。
>■間合いが遠い場合は、反転打で打ちます。
↓
遠い場合ではなく、慣れれば間合いが近くても使うべき。
そもそも、間合いに応じて、剣を「逆に持つ」という時間が無駄。
あるいは、それであるならば、
>距離の長短を前後しつつ、そのつど、
>「反転打法にしたり直打法に切り替える(持ち変える)」という、
>基礎訓練がまず必要である。
これに限らず、検証題材とする際に重要な「4要素」のうちの一つである、
「打剣距離」の記されていない資料は、
投撃術の資料としては、致命的に扱いにくい(むやみに参考にできない)。
(自分に都合の良いところだけに舞い上がって読んでいると、推測を間違う)
投剣術の4要素とは、
1/それが目的とすること(始めた動機)
2/目標とする飛距離の設定
3/剣の形状の規格寸法を決める
4/打法の種類を決定する
である。
さて、続きであるが、
>■左の腰に手裏剣を5本収め、一本ずつ取り出して打つことです。
>左腰に手裏剣を収めるのは、手裏剣を打ったらすぐに、
>刀の柄に手を掛ける動きを、体に覚えさせるためのものです。
↓
この通りにやりたい者は、この本数でやれば良いだけ。
>■ただし、手裏剣を5本収めていても、
>1本打ったらすぐに刀の柄に手をかけることを常に念頭に置きなさい。
↓
残り4本ないし複数本を、左手に持ったままでの、ここの稽古は、
どこの流派も定型の形式としてはしていないのではないか。
(勘違いでなければ、もしかすると、明府真影流の、
「形でない演武」では、この左手の保持方法だったかも?しれない)
また、これをする場合には、「剣尾を前」にして保持しないと危険であり、
そもそも、そうしなければ、剣を取り出しにくいので、
>予定調和的に、知新流に、あれこれと、倣いたいのであれば、
>剣先を標的に向ける手裏剣剣の保持法は行わないほうが良い。
>>以上の原文の部分は「9割程度が意訳」されたというネット上の文から掲載しました。
■一方で、藤田西湖よりは、もう少しだけ信憑性のある記述として
「二刀流や刀を投げる技」のささやかな参考
↓
http://www1.ocn.ne.jp/~masaki-o/thesis1.html
「刀」を放り投げることと、
それより遥かに小型化された手裏剣を放り投げることは、
使う技としては「別技法」ですので、
「刀を投げたことが手裏剣術の始まりです」とか、
他人様の前でドヤ顔で言う人は、
その「源流」なるものと言われている、刀だけ、
しかも、直刀の模擬剣ではなくて、ちゃんと「反りのある脇差」を、
2間か3間程度から、放り投げていればいいのです。
(居合い刀や、おもちゃの刀を買う際に、
二本セットで買うと、脇差を投げる方を専門に使えますので、
投げやすく作られた、現実の脇差とは違う、インチキな金属の直刀など、
大衆の面前で投げてはなりません)
■反りのある脇差は、あくまでも練習用にすぎない直刀とは、
バランスが違います。私は何度も繰り返し、脇差をそのままの向きで
投げましたが、そのままには進まず、例の回転を起こします。
回転を起こすだけで、刺さりが良いのであればいいのですが、
反りを原因として、空中での姿勢の安定性が悪く、結果、
刺さりは、深くなったり浅くなったりとかなり不安定です。
たとえば、宮本武蔵がやったという技の史実が、
もしも事実であるという前提に立つならば、
>左手で、長剣を規定どおりに構えた上で、練習用の直刀ではなくて、
>「反りのある刀」を、「片手で」投げるということが、源流への尊重の姿勢となります。
●しかし、刀とは違い、小型化された「棒手裏剣」は、
その威力のなさ、安定した命中と刺中を実現する難しさを「補正」するために、
非常に、「面倒」かつ、
そもそも「必要があるのかどうかすらも疑問なこと」に
練習時間を費やさないとならないのですから、
たとえ2間距離からの稽古用でも、買う剣をあれこれと選んだり、
その他、「少しの練習」も必要になります。
●ですから、
>武術雑誌などの時代の流行や、周囲の知人がやっていたなどの、
>空気に後押しされて、手裏剣なとに、かかわってしまった人は、
>早く、元のご自分の武術に勤しむことです。
手裏剣が、素人よもマシという程度に、少しばかり刺せたぐらいの場合には、
手裏剣術の集まりの会で、「自己練習」に勤しむのは良いとしても、
>他にまで出かけて、安直な「講習会」などしてはならず、
>あるいはまた、まだ最低限の実力が伴わない段階で、
>安易に、何かを独自に創作している、かのような自己陶酔に陥らないことです。
●たとえば、まず、「元から手裏剣術の専門の教室」は別ですが、
「剣術趣味」「その他の武術」の人が、
手裏剣などを「その武術の中」に「取り込もうとした場合」には、
>まず「剣術だけで、他人様に対して教室を開けるレベルと人格」になってから、
手裏剣術を組み込みということです。
それも、完全にその手裏剣術の体系が、
技量としても「完成」してからでなければなりません。
>まだ未完成の試行錯誤の段階では、
>他人様や生徒さんを、その試行錯誤の「優柔不断さ」に巻き込み、
>迷惑をかけてしまいます。
また生徒さんよりも手裏剣の「基礎部分の腕前」が下では、
まったく話にもなりません。
>(基礎部分とは、対人攻防などより遥か以前の「単純な打剣能力」のことです。)
●ですから、まずは、良い師について、
>現在やっている武術を「深める方向」へと進んでゆくことを、切に願います。
●手裏剣術は、武術の中にあっては、
いくら、「侍の手裏剣だったんだ」とか、本や誰かの言葉を引用しても、
私見では、
あくまでも「横道」であり「厄介者」であり「落ちこぼれ」です。
そのことに異論があるのであれば、
本物の骨董品の中から、たくさんの棒手裏剣を見つけて来てください。
見つけられるのは、
ほうり投げられた事ならばあるだろう「脇差」ばかりでしょうから。
ですから、史実と、そこから類推できる可能性を重視するならば、
「反りのある脇差だけ」を投げればいいのです。
最後に、
>■今後、だれかに手裏剣術を指導する際には、
>必ずその人の人柄を考慮して、むやみに教えてはいけません。
↓
ここは当たり前であるが、重要であると最近も思った。
もっとも私の場合には、「総合投剣術」または、
もっとも大切な本質は、「遊戯手裏剣」であって、
手裏剣術ではありませんので、今日まで、
かなり、「むやみに」教えております。
*********
■その他、藤田氏の「同書」の「逆手打ち」や、「居打」の疑問。
いかにも、絵は「順歩打ちのように」見えるが、
矢印のある「運動指示線」の後半部の身体の動作が書かれていない。
(普通の武術書の形の図の場合には、
「次の動作や姿勢」のイラストがあるのでわかりますが)
こういう藤田氏の図版の不明点は、「打根」の図でもそうである。
「打剣動作」つまり「投擲術」という意味では、
藤田西湖の本に書かれた、この逆手打ちや、横打ちや、居打の図は、
システマテッィクではなく、図のとおりに受け取ってしまうと、
わざわざ、体に「不要な負担」をかけている形跡があるのである。
よって、私は、この「横打ち」と「居打」も、
他人様に見せるに耐えられる剣速となる「投法」に作り変えている。
■ちなみに、以前にも紹介しましたが、この
「どろんろん」の書評が、相当に笑えました。
>>「今すぐ買って 墓まで持ってけ」
>>評価:100点(このブログでは初めての満点ですね)
↓
http://neologic.exblog.jp/10597053/
私は、既に、2006年の時点から、
「武術として手裏剣をしたいならば、
手裏剣と剣術をしている流派に入門してください」
と言っているんですよね。
代々から剣術の師範を継いでいる方からの貴重なアドバイスもありますので、
よく読んでください。
↓
http://www.mumyouan.com/k/?M836
◆ちなみに、何よりも「自ら自身を知ること」が出来ずに破れたものは、
いつしか、「実現できなかった理想、なりたかった理想」を、
「妄想」と「盗作」と「倒錯」の中で、
あたかも自分の言葉であるかのように勘違いをして、
酔っ払いながら綴り始める。
まー、これって、本当に、よくある「AC人格話」です。
↓
自我治療に長年かかわってきたので、本当によくわかるのは、
人の心を本当に打つ誠実さとは、
上っ面の形ばかりの、紙の張りぼての礼儀や、
他人や本の言葉に、すぐに「かぶれる」悪癖ではなく、
>「自己のあらゆる様相」に対する、油断のない「正直さ」のみ。
偽善や、子供っぽい、見え透いた「卑下慢」ではなく、
自分のどんな恥部や細部も、切り捨てないということ。
>いかなる現象も思考も感情も「なかったことにする」という態度をしないこと。
>あるいは、他人からの借り物の言葉や理想で、余計な上書きをしないこと。
それを見るには、決して「混濁」しない、
この瞬間、この瞬間において、眠り込まない、醒めた意識が必要である。
しかし、これは、無自覚トラウマを持っている人には難しい。
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