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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
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[1205]
■
「手裏剣術講座」★「飛刀術と直打法は異なる」
by:
鈴木崩残
2015/05/18(Mon)19:48:31
むやみに飛刀術をやってはならない理由
>訂正
>>本文中の一部で、私は最初は宮本武蔵が、
>>脇差(あるいは小刀)を投げたと勘違いしていましたが、
>>彼が投げたのは、鎖がからまった「太刀」のほうで、
>>脇差を「抜いて倒した」としかありませんでしたので、その部分を変更しました。
***************************
●まず、この「むやみに」という言葉の説明が必要となりますが、
それは、いったん後回しにします。
行うならば「条件つきである」ということです。
さて「飛刀術」などという造語は、ごく近年に作られたものかもしれません。
昔から、何かの文献にあったのかどうかは知りません。
【飛刀劔】というものであれば「小倉碑文」の中にあります。
↓
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:PTc-TFtvlOwJ:www.geocities.jp/themusasi1/ref/t012.html+&cd=8&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
私の知っている台湾の、投剣の名人の老師によれば、中国では、
剣の類を投げることそれ自体のことを「飛剣」とも呼ぶようです。
ちなみに、脇差や、直刀、ようするに「見栄えのするデカイ剣」を
投げるなどということを、日本の手裏剣術の世界で初めて行ったのは、
私でした。
しかし、その私がそれをするきっかけとなったのは、
欧米の現代的ナイフスローである、直打法の第一人者である
「ラルフ・ソーン」氏のDVDを見たことでした。
このDVDは、私が別のアメリカのナイフスロー協会の人に
コンタクトをとったことがきっかけで、入手したものでした。
今ではラルフ氏の直打法は、世界中で、
「コンバット・ナイフスロー」と呼称されています。
先日、他界した、ユリー・フェディンが、
ロシアのKGBのナイフスローとは全く別に独特に作った
「フェディン・システム」の創始者であり、まさにロシアの巨星ならば、
ラルフ氏は、アメリカの巨星でした。
まるで「米ロ」の戦いそのものですね。
●その彼が、おそらくは、コールドスール社の「折れず曲がらず」の
日本刀のレプリカを投げて「刺している」ところを見た私は、
「あ、投げていいんだ!、こういうものも」と、ごく単純に驚きました。
それまでの数年間「日本の手裏剣」の中で手裏剣の形状をしたもの、
という、とても狭い視界で、2003年から研究していた私には、
ちょっとしたカルチャーショックでした。
「わおっ、外人さんに、日本刀、投げられちゃったよ・・・、
じゃー、本家の日本人は、どうすんべか?」
ということで、何年も、埃をかぶっていた、おもちゃの忍者刀と、
おもちゃの、仕込み杖、これを投げてみたところ、刺さりました。
距離は最大で4間からです。
(その後、合金の刀は、どんどん壊れて短くなってゆきましたが)
この距離4間の時点で、ラルフ氏の刀の直打の飛距離よりも遠かったです。
●また、ラルフ氏が工具などを投げているので、やってみましたが、
これも4間5間という距離から刺しましたので、本家のラルフ氏が
1間程度の距離からであるのに比べると、まずまず、上出来でした。
つまり、私は、とことん「直打法」というものを研究していたのです。
はさみやドライバーなどは、少し慣れれば、誰でも「反転打」で投げて、
4間、5間から刺さることなど、わかります。
それを、本当に馬鹿みたいに、
>とことん「直打法」にこだわったのが私でした。
●そして、ひとつの結論として、他人がどうあれ、「私の中」では、
手裏剣にかぎらず、直打法たるものは、4間からでないと、
その「不思議さ」と、「刺さったときの独特の快感」と、
「いろいろな物理学的な複雑さと、面白さ」、
つまり、「研究対象」としての意味がないとしました。
ただし、私は直打法が、距離変化に対応できるからそれを評価して
「武術的に直打法が優れている」などと、あちこちの人たちが、
誰でも借り物の知識として言うことを、あまり強調しません。
昔は、そうかなと思ったことは一時はありましたが、
近年では、「反転打法で、距離変化に対応している外人さん」が、
たくさんいるからです。
●さて、下記のような、「投げ道具」を、私は作ったり用意しました。
すべて、ポイントは
>「長い」ということであって、
>「刀」である、「ということではないこと」に注意してください。
■2008年4月の動画ですが、短めのおもちゃの刀や、槍の他、
ナイフを8間から、直打法で投げていたのを自分でも忘れていました。
↓
***************************
●そんな、ラルフ氏が刀を投げのを見た事に始まり、それまでは、
私の中で、せいぜい全長「25cm」以内の範囲で、
あれこれと重心位置を調整して、何百本もの手裏剣を自作していたのですが、
なぜ、私が25cm前後に、手裏剣の長さを納めようとしていたのかに、
たいした根拠が全くないことを自覚しました。
昔からそうだからとか、現在日本でもっとも長い剣は、
八角流の半田師範の剣で、だいたい25cmぐらいだから、
と、そんな程度の「根拠」「理由」しか、私の中になかったのです。
●ところが、ラルフ氏から贈呈されたナイフを見て、考えを改めました。
それは32cmとか平気であるのでした。重量も300gとか。
私は、何をちっちゃな日本の手裏剣にとらわれていたのだろうと
自分が馬鹿だったと思いました。
そして、先入観をとっぱらって、
自由に、自分が本当にほしいと思った機能のみを追及したところ、
それは、先端を尖らせただけで、剣尾のテーパー加工もない、
29cm前後の、ただの「四角い棒」となったのでした。
これが、「長剣」が生まれた理由です。
それは、無冥流の重心理論を、
もっとも単純に、かつ素直に応用できるものとなり、
また、結果として、
2間から10間まで、
その同一の長剣で、同一の手の内で、同一の構えから刺せる結果となりました。
私が到達したところは「シンプル イズ ザ ベスト」そのものです。
そこにたどり着くのに、
ラルフ氏がくれた「たった一本のナイフ」が、運命としてからんでいます。
だが一部で「勘違い」が始まった
●ここで、とても重要なことは、
ラルフ氏が投げた日本刀、あるいは彼が刀を投げたということは、
彼の「No−spin スロー」という独自の方法を、
「デモンストレーション」する、
ひとつのツール(手段)に過ぎないという事です。
また、私も同様に、「直打法」で刀や長い物が安定的に投げられる最大距離、
というものが興味の主眼でした。
その結果、日本の伝承にはない、重心位置を押し出す「棟押し」という
刀の投げ方(正しくは「長物」の投げ方)を創作しました。
刀を投げるということに、
どういう歴史があるのか、ないのかなどは、全く関係なかったのです。
●しかし、それを見た、日本人の少数の者が、
「脇差や日本刀を投げる方法は、日本に昔からあったんだいっ!」
とか言い始めたわけです。
そして、ラルフ氏の刀投げを「逆輸入」する形でそれを始めました。
が、ここに「根本的な間違い」「状況認識の誤謬」がありました。
●それは、
>「脇差や太刀」を「敵に投げるつけること」と、
>それらを「正確に刺すこと」は、まったくの「別問題」であったのに、
>安直に、混同してしまった人たちがいた、ということです。
たとえば、宮本武蔵は、「太刀を投げて勝った」とされていますが、
まず、この話自体が不明点が多いものです。
伝承によれば、
>>鎖鎌の使い手宍戸梅軒と戦ったとき、武蔵は鎖に捕らえられた
>>「太刀」を「投げつけ」、「脇差を抜いて」相手を倒した。
>>結局、彼が実戦で二刀を使ったのはこれだけであった。
「鎖がからんだ方の太刀」を「投げつけ」、
「脇差を抜いて倒した」とあるが、
右手で「脇差を投げた」とは、これだけでは読み取れないのである。
一方では、
>>鎖鎌の宍戸某(「梅軒」というのは吉川英治「宮本武蔵」の「創作」)と対決したとき、
>>小刀を抜いて投げつけ、胸を貫いて、ひるむところを倒した。
となっているので、何をどう投げたのか、結局は真偽が不明である。
「胸を貫いたら」「ひるむところ」もクソもなく、その時点で致命傷であるので、
「ひるむところを(攻撃して)倒した」というのも変である。
あまり信用できない「ウィキ」によればだが、
>モデルとなったこの宍戸某は、
>『二天記』における記載のほかに実在を示す証拠はない。
>また『二天記』は史料性に乏しく、この記載自体も、武蔵の死後に
>付け加えられたものだと、一般に考証されている。
◆こういうものは、警察の調書みたいのがあるわけでもなく、
誰かが現場を見たという「目撃証言」でもなくて、
いちばん怪しいのが、こういう「本人の記憶」や「本人の自己申告」です。
本人の記憶が怪しいばかりか、著者の性格によっては、
事実の二倍ぐらい大げさに、自慢したがる創作も入り込みます。
◆また、「飛龍剣」のように、脇差を振り回してから投げるような方法でも、
投げて「着実に刺す」ための技法は書かれていないし、そんなものはないはずです。
◆柳生真陰流が、下手から太刀を投げ、
受け手は、それを叩き落とす「形」がありますが、
投げられた形は、必ずしも、「刺す」ことを目的としてはしていない、
ということが、先日の「未来知新流」の文意からもうかがえましたし、
実際に、柄頭を下げぎみにして投げると、太刀は「直進」はしません。
>●「直打法」によって、正確に対象物に「刺す」ということと、
>「刀を投げた」ということは、まったく別問題です。
古い剣術の文献にあるものは、すべて
「投げ」(かっこをつけて「古語」で庶民も言っていたように、
投げることを「打ち」と言いたければ「打ち」と言えばいいですが)
すべて「投げつけ」であって「刺し」ではありません。
●私が興味があったのは、直打法ですから、投げではなく「刺し」です。
ラルフ氏も同様に、投げた刀が刺さらなかったら何の意味もありません。
●ところが、日本のわずかな史実や、伝書にある、
「飛刀剣」とか「飛龍剣」とか、
その他、それらしき文字や、そのことを示唆している、「刀の投げ」は、
すべて「投げつけ」=「打ちつけ」です。
●つまり、「刺さって相手を倒すこと」を目的としていたのではなく、
刀がぶつかって、体勢をくずした、その結果負けたり、
刃面が当たって皮膚が切れたり、
また、場合によっては「まぐれ刺さり」もあったかもしれませんが、
どこにも「2間内外から刀を刺す技法」などとは書いてありません。
>つまり、古流にいう「刀を投げた技」というのは、
>刺すことを前提にはしておらず、
>「当てること」「または斬って傷つけること」を前提にしているであろう事は、
>常識的に考えればわかります。
●また「手裏剣に打つ(投げる)」という言葉も、そもそもが、
その「手裏剣」という言葉が「直打法」を意味するわけではなく、
広義には、「奇襲攻撃」を意味すると取れます。
よって「手裏剣 に」 「打つ」といっても、
直打法や、槍投げのように、必ずしも「刺す」という結果を意味していないわけです。
*********
●さて、時代は変わり、後世に小型化の手裏剣を、
「直打法」で刺そうとなどという事を、一部の人が始めたとしたら、
2間半以内なら、誰でも刺さるとはいえ、
それでも、それなりに、稽古も必要ですから、
やはり、手裏剣などというものは、
>泰平の時代の「暇人」のしたこと(遊戯色も強かったの)でしょう。
●このように、本当に、手裏剣術の源流が「刀を投げたことにある」
と、「他人様の前で、したり顔で言う」のであるならば、
その源流は、
>「奇襲的な戦略」のひとつとして、「投げつける」というほうが正しく、
>「必ずしも、刺すことが目的ではなかった」、
ということが最も理論的な推察なのですから、
演武をする際にも、刺さらなくて良いのです。
>畳に強く打ちつければ、それで十分なのである。
片手で投げるにしても、
ぐるんぐるんと、振り回して投げるにしても、
下手から投げるにしても、
>畳に、強くぶち当てればよい。
>それが「源流」だったのですから。
●本当に、「源流」を「尊重」する心があるのであれば、
>「刺さるほうが、かっこいいから」などと思ってやってはならないのです。
>「どうだ、2間から、脇差と同じ長さの直刀を、刺せているぞ」
>こんなものは、何の自慢にもならないばかりか、有害です。
●むろん、個人として、趣味で「稽古場で稽古する」のは、全くかまいません。
しかし、そんなものを、大勢の他人様の前で、
「刀を投げたのが、手裏剣術の源流と言われています」などと言って
「刺して」はならないのです。
>刺すのではなくて「打ちつける」こと。
>しかも、「反りのある太刀」であれば、
>より宮本武蔵「伝説」や、その他の剣術の伝書とも、ある程度は「一致」します。
●しかし、それを、レプリカですらなく、
単に、私が、直打法の可能性追求と、技法の研究用として、
「実験用」に作ったものを投げて刺すのは、
ラルフ氏がそうであったように、それは、あくまでも、
「直打法」の「デモンストレーションのツール」であり、
私において、そうであったように、
>直打法という「遊戯(または研究)」の一部にすぎず、
>けっして「武術」などではないのです。「古流的」でもありません。
●また、伝承にも、太刀や脇差を「直打法」で「まっすぐに刺す技術」である、
などという明記はないはずです。
そんなものがあったら、あの「藤田西湖」君は、
大喜びで、「刀を投げる図版」を入れたと思います。
そして、今頃は、というより、昭和60年の時代から既に、
手裏剣術をしていた人たちは、時には、レプリカの刀や、
特注で「拵えを頑丈にした刀」を、投げていたはずです。
「文化継承」とは、そういうものだからです。
が、図版には、短刀だけしか、ありません。
脇差を投げた(「刺した」とは明記なし)ことが、手裏剣術の源流であるのは、
非常に大雑把な「投擲」ということにおいては同じ「くくり」でも、
「直打法」という、のちの平和な時代に生まれた、
あまりにも「特殊な技法」とは、直接的な関係がありません。
●この関係のないものを、関係あるかのように言ってしまう、
こういうことを、哲学用語で「予定調和」と言います。
>「すでにこうあってほしいと、
>その人が個人的な理由から望んでいる結論に、なんでも結び付けてしまう、
>間違った精神状態(思考状態)です。
●「刀を相手に投げつける」ことは、古流剣術の一部や、
歴史的にも、あったであろう事として語ってもいいですが、
それを、「直打法」の「手裏剣術」と関連づけて語ってはならず、
また、関連づけた上での、演武などしてはなりません。
仮にであるが、もしも、前口上などをつけてまで演武をするのであれば、
>>「刀を投げた事が、はじまりとも、言われていますが、
>>投げた刀が、刺さったかどうかは、定かではありません。
>>また刀は、ご存知のように、反りがあって曲がっておりますので、
>>投げて刺すのは、なかなか難しいものと思われます。
>>また、えー、えー、あのその、
>>わたくしどものような者は、本物の刀を投げるほどに、
>>贅沢なことは、とても出来ませんので・・・(ここで会場の笑いが取れるかも)
>>こうした、まっすぐの、刃のない、ただの金属の棒のようなものを
>>自分たちで自作しまして、使用しております。
>>これを畳に刺す稽古をしておりますが、
>>はたして、昔の人が、こうしたものを刺すために、
>>特別な訓練を日々していたかは、確かな証拠や伝承もありませんので、
>>この部分は、古流とは関係はありません。
>>これは私たちの直打法の手裏剣術というものへの、試みの一つですので、
>>これからお見せするものは、そのようにご理解ください」
と、これが正しい「前口上」です。
「前口上」は、正しくなければなりません。
何かの本に書いてあったからと、そのまま言うのは、本当に知性がありません。
それはまた、私に言わせれば、独自性がなく、
他人のふんどしで相撲を取る行為です。
たとえば、直打法の「回転角度」についても、
>>「高速度カメラやビデオのなかった昔には、直打法は90度の回転で刺さる、
>>と言われておりましたが、
>>近年、さまざまさな人たちによる撮影によって、
>>1/4回転だけではなく、約5/8回転や、2/3回転もよくある
>>ということがわかってきました。」
という、きちんとした「現代での知見」も入れなければなりません。
●また、もとより、そもそも、鎖のからまった「太刀を投げた」とあっても、
宮本武蔵のそれが、直打だったのか、ただ投げつけただけなのかも曖昧で、
剣術の伝書にも「直打法」に特化した技法としては書いてないはずです。
■そして、「次に」、うかつに言ってはならないのは、
>>「手裏剣は、侍も使っていたので、忍術ではなく、剣術の一部でもある」
これも、言ってはだめです。
そもそも、「侍の手裏剣なるもの」を語る人たちが、
何かと「比較」に持ち出される、その忍術が、
多針手裏剣を本当に使っていたかどうかも不明で、
忍術や、その多様な道具それ自体が、かなり怪しいと、
近年の年代測定の調査で、わかっていると聞きました(ここは又聞きです)。
「忍者の手裏剣」としてよく知られているという、
その多針手裏剣すらも、存在していたか不明です。
(刺したのではなく、当てるのが目的という「説」もありますが)
●では、「棒手裏剣」はどうか?となると、
私が、白上氏や、藤田氏や、岩井氏や、甲野氏らの著作から拾いあげた限りでは、
御前試合で、とか、
あげくには、桃を川に浮かべて、それを刺したという遊戯とか、
両手に持った計36本の剣を、相手に到達する前に次々と投げた、だの、
「両眼打ち」は、鎧武者の両目を狙うだとか。
「やってみろよ、馬鹿」と言いたいです。
私はやりました。何度かやれば、
3間から、片方の剣ぐらいは、眼球大の標的に刺さりますが、
「安定的」に両方の剣とも、2間、3間から眼の位置に刺すのは困難です。
また、決闘のような形式で、たまたま手裏剣で勝った話があっても、
本当に、まるで「昔の瓦版」にでも出てきそうなコンテンツが多く、
信憑性にかけるものばかりです。
●この、武器、または、対人武術としての有効性、安定性に、
そして史実的根拠に、ここまで極端に「信憑性に欠けすぎている部分」を、
やれ、宮本武蔵がだの、やれ何何流剣術の、何何の書に書いてあるだの、
そんなものを、「隙間風だらけの手裏剣という名の家屋」の壁に、
雑巾や木屑の代わりにして、必死に詰め込んでも、
それで、手裏剣術の名誉が回復するわけでもなく、
手裏剣が古武術として、立派な「リフォーム」を終えて、
世間に認められたりするわけではありません。
●現在、それでも根岸流と、その関係流派だけが、
今日まで、なんとかその細い鉱脈を維持してこられたのは、
ひとえに、演武内容を変えずに、
実直に、伝わっていることのみを、ひたすらに練磨してきたからです。
私見ですが、近年の根岸流の人たちの打剣の演武の質の高さは、
私は本当に率直に尊敬します。
変わらないものを、変わらないままに、どうか、これからも、
文化的な意味をも持つ技、として保存してください。
*********
●一方で、古文書の研究をするならば、
古文書研究家、歴史学者の「磯田道史」氏のように、
徹底して、古文書を調べて、史実を洗いなおしたりすべきです。
あるいは、もしも、
「的当て手裏剣などは、7間から、いくら正確に刺さっても武術ではない」として、
「俺様は、武術として徹底して行うんだ」、と言うのであれば、
そもそも、武術として手裏剣とは、何であるか、という定義が必要となります。
とってつけたような、礼法など組み込んだところで、
そもそも、史実と違うことをしていたり、
また、何よりも「基本技」が貧相ならば、武術になりません。
●また、幸いにして、法治国家で、
平和な世の中に生まれた幸運のおかげで、
あるいは、特に武術や武道などに、
精神的修練としての効果や、価値を見出さなかったという理由から、
「対人武術経験」など全く必要ともせずに、社会で立派にやっている、
「たくさんの人たち」にも、八つ当たりのように揶揄するのであれば、
その所作が「礼式づくめ」の「弓道」も、そういう者には、
「その者の武術という観点」からは、
>「対人武術もしておらん、ただの的当てだが、作法だけは褒めてやるが」とか、
>馬鹿にされてしまうわけであろう。
>むろん、古流の身体操作からすれば「異例すぎる」と、一部で揶揄されている、
>手裏剣術の「逆体、逆歩」打ちは、「古流日本武術」ではないことにされてしまう。
●そんな、まったく「非・古流武術だ」とか、さんざんに揶揄するものであるのに、
古流にのっとらない「ラルフ氏」から始まって、
私の「直打法」の研究を経て、
そこに伝承にあるのとは違う、直打法による「刺し」を、加えてしまい、
その演武を、「源流は云々」などと公衆の面前で言ってしまう。
しかも源流は、すでに説明したように「投げつけた」が正解であろう。
●それを、あえて、ラルフ氏や、無冥流がしたように、
「直打で、刺して」、そして「ドヤ顔をする」のは、まったくかまいません。
「直打で、片手で、3間から刺しました。えっへん」
これには、私も、にっこりと、できます。
うまく出来て、よかったねっ!、と。
●しかし、さんざんな本からの借り物の「前口上」を、かましたあげくに、
飛刀というものを、
「刀を投げつけただけの事と、直打法とを混同して」人々に説明してしまえば、
結局は、それは「パフォーマンス」としての飛刀術になってしまいます。
そんなことで、どこかの流派同士、または個人同士で、
「お互いの技の向上のための演武」などと嘯いても、
その実は、
>>「他者に、負けたくないだけの、ただのちっちゃな競争心」
>>「過去での苦い劣等感のなせる行為」
>>「できるだけ、他でやっていない事を寄せ集めて、
>> その差によって、優越感や、自己存在意味を維持したい」
>>「次回の演武では、どんな品目を出そうか」
↑
この時点で既に「見せ芸」根性です。「演武」というものは、
毎年同じ技でいいのであり、その「向上」こそ披露すべきものです。
>>「本心では、大喜びしたいような、自分の打剣の結果でも、
>>とりあえずは、いや、まだまだだと、謙虚そうな言葉を撒いておく」
いや、本当に「まだまだ」と正直に本気で思っているならば、
毎回確実に、3間から5本を外さないようになるまでは、人前で演武などしたら、
自虐的になって落ち込んでしまってもいいぐらいです。
●こうした行為は、散々に、やってしまったその後で、
100の言葉と、腕自慢、人生自慢なるものをしても取り返しがつきません。
>>「俺様の上には、まだたくさんの、とうてい俺がかなわないような
>> 兄弟子たちがいるから、
>> 俺は、ここでは、とりあえず謙虚に振る舞うフリ、
>> ぐらいのことは、しておくが、
>> だが、せめて、この俺様程度に、対人攻防の武道経験もしてない
>> お前らのような精神的なチビなんかに、武術なんぞ語る資格はない。
>> 手裏剣は対人武術でないので致命的なボンクラ武道だ。
>> そうだ、いっちょ、この俺様が、本当の武術手裏剣を作って、
>> 本にでも、してやるぜぇい。みてやがれ」
と、いった者が、「もしも、いたとしたらばの話」ですが、
その場合に、もしも、その者の「打剣の基礎」が半端では、
どうにもなりません。
「拍子」だの、「先」だの言っても、
それは、「素振り」すら、まともにまだ出来ていない剣術の入門者が、
「戦略」とか「精神論」とかを語るのと同じことです。
私は剣術のことは、わかりませんが、
そんな者を、剣術経験者が見たら「冷ややかに笑って見ているだけ」か、
もしくは「なんとかしよう」とする親切な人もいるかもしれません。
というより、武人以前に、人としてアウトです。
●自らの弱点や、弱い部分、足りないところを、
自分なりに工夫したり、
別のもので、なんとかして補う「工夫」というものは、
純粋に「それ単体」としては悪くはないのですが、
補う、その「動機」の部分に、
>自分に対する甘さ、自己過大評価や、
>他人との競争に必死になり、あれこれの持論を持ち出すみっともない行為。
>そして、先入観、予定調和的な独断などがないかも問題になります。
また補うにしても、最低限の「基礎」は必要です。
>あれこれの理屈をつけて、その「基礎」から逃げてしまったり、
>基礎部分を、自分に都合よく曲げていって作った自流のようなものは、
それこそがまさに「武術の試合」ではなくても、
対人や、社会における「負け」なのです。
対人における負けというのは、
すべからく、すなわち、
「自己に負けた」ということなのです。
敵は他人ではありません。
自己の中の過去の記憶の亡霊です。
______________________________
■余談ですが、私は、現在編集している、
「遊戯手裏剣&武術手裏剣」の中に、
飛刀術の「方法」を一切、収録していません。
その最大の理由は、特別な技術は必要なく、
単に、手裏剣のような手の内を使ったり、使わなかったりとし、
「手離れを少し早くするだけ」で事足ります。
投げるスポーツの経験さえあれば、剣術や手裏剣の経験がなくても、
2間半程度ならば、長い剣を、刺せてしまうからです。
こうした「特別な練習法の必要ない」飛刀術のようなものは、
私は、今回のような精密な技術マニュアルには記しません。
私が4間から、飛刀術をするシーンは一部にありますが、
武術的には、全く何の意味もありませんし、
それ以前に、他人様に説明するほどの「技法」が、もともとないのです。
*********
●なお、あらゆる種類の、実戦的な「飛刀法」を、私は、
2008年の4月にはアップしています。
おおよそ「すべての種類の飛刀術」の基本を、
ここで「網羅」して解説していますので、これで十分です。
いまさらこの当時の動画の解説以上に教える事は何もありません。
↓
______________________________
★
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