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手裏剣術講座 Shuriken throwing instructions
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[757]
■
「進化教」に汚染された地球の人々
by:
鈴木方山
2005/10/26(Wed)22:39:42
手裏剣術の話題から、やや外れますが、
竹の間で告知の通り、「新刊」に伴って、一筆しておきます。
武術の世界でも、ついには、
へんてこな宗教まがいの組織になっていったり、
または、単なる武術家が、禅について知ったかぶりをしたり、
または、昔から、充分に怪しい精神世界ですらも、通用しないような、
妙ちくりんな精神性を、振りまわす武術家というのも、
腐るほどいるようなので、少しだけ書いておきます。
なお、新刊情報は、竹の間をご覧ください
↓
http://www.mumyouan.com/k/?T3435
_______________________________
で、今回の話ですが・・・
■一体、いつまで、「価値観」というものにしがみつかないと、
人間というのは、気がすまないのだろうね。
「仮想した目的」というのを立てる分には
生命の遊びとしては、全くかまわないわけだが、
この世の中のほとんど99%以上の人間は、
宇宙や生命に、何か達成すべき目的や進化の方向性があり、
自分が、それに添っているか否かに、囚われ続けている。
宗教的でもないごく一般的な人たちでさえも、
心のどこかで、神仏の監視を妄想し、
唯物的な信条の元に生きる者でさえも、「成長信仰」をやめられない。
すなわち、成長とか変化とか、発展とかに意味を感じること自体の
幻想である。
ようするに、明確な方向性や、目的性のない生命や生まれ変わりや、
方向性のない人生には、耐えられないというわけであろう。
ごく、ごく、快楽主義的な人間でさえも、
彼らの中には、彼らなりの「あるべき成長」というものが
幻想として横たわっている。
■「悟りなき悟り」を編集していて、思ったのは、
この本は、中盤をすぎると、「悟りと日常の接点」などではなく、
「悟りと宇宙の接点」について明確化したことが、
他書との、もっとも大きな違いであるということだった。
数人の人に文字校正を依頼したのだか、
最終章の、たたみかけるように加速するハイテンションに、
一様に、楽しさを感じたようである。
●話は戻るが、
光を語るにせよ、闇を語るにせよ、
また、相対的なその二つの比率や、ゆれや、入れ替わりや、
混合などによる、「総括的で、全体的な」進化を語るにせよ、
この「進化」といういかにも、自分の生きている事の意味を、
そこに「こじつけやすく」、
人間が、すぐに飛びつきやすいこの「餌」・・・
しかし、進化する宇宙、精神や、物質や、次元といったものを
何かを語ったり、定義したり、位置づけるときの
そもそもの「大前提」にしているという事、それ自体を、
全く「疑う知性のない人たち」の、あまりの多さには言葉を失うばかりである。
あたかも、彼らの言い分は、
まるで、生命や物質や、そうでもないものも含めて、
ある方向性や目的へと、進化したりするためにこそ、
万物があるかのように語っている始末。
しかし、事実は、意識や宇宙の進化の方向あってこその生命や人生だ、
という、その「思い込みそれ自体」が、
実は、単に、闇と光が対称性の極となって宇宙をコロコロ回している、
「その運動」、つまりは「ただの動き」という、
全宇宙的な、中毒的な「自転車操業」を、
停止・廃業しないための「口実=言い訳」にすぎないのだが、
どうも、そういう、冷静な認識をもってしては、
とても、生きてゆけない人たちというのが圧倒的多数のようである。
まー、だからこそ、人間というのは、
自分から好き好んでまで、「自分を不自由にしている」と
言われるゆえんなのですが・・・・
「〜〜の進化」など、そもそも、誰からも、それを信じろなんて、
強制されたり、洗脳される覚えは、ないのですから。
多いよね、世の中に、
「進化教」という名の、
結局は、生存を続けるための、ただの「言い訳の信仰」が。
■無明庵には、進化という概念はありません。
ただし、自主的に、何らかの「不自由」を選び出し、
自分自身を自分で洗脳するという意味での「娯楽性」という概念は
あります。
ただし、人類とか宇宙とかの、「全体的な統一的な、方向性」としての、
「あるべき、ゆくべき、なすべき、方向や進化」といったものには、
まるで、無頓着です。
そういうのってのは、
自分の行動や生き死にに、
どうしても、神様(なり、創造主なり宇宙のなんとかとやら)の、
「お墨付きが欲しい」「保証が欲しい」という、
極めて、幼児的な状態の人たちのやることですから。
仮に、悟りや瞑想や、何かについて語るにしても、
無明庵の基礎理念というのは、
↓のほんの数ページに凝縮されていますので、
まさか知らない人はいないと思いますが、参考までに。
【万物は、進化するために存在するのではなく、
目的もなく、ただ、動き、存続し続けるためだけに、
「進化という妄想」を必要としているのみである】
●参考文献
■「ひきつりながら読む精神世界(復刊版)」の
◆「183〜192頁」を特に、参照のこと。
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