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★分割自我復元★その173■個性は知性からしか生まれない■
by:
鈴木崩残
2013/02/11(Mon)09:42:45
『個性』とは何か?
メールで、
>>「知性」というものが、判りません。
という、おそろしいほど、無個性なコメントを読んだので、
それを受けて、書きます。
●そもそも、「個性」というものを根本的に理解していない人が、
ごくたまにいます。
ホットな話題を引き合いに出しますと、
たとえば
「私、レースクイーンやってました」
こんなもの個性ではありません。
「私弁護士です。私ドクターです」
こんなもの個性ではありません。
「私、猫が大好きです」
こんなもの個性ではありません。
「私、瞑想して自分探しをしてきました」
こんなもの個性ではありません。
「私、無明庵の掲示板読んでいます」
こんなもの個性ではありません。
「私、アニメのイラスト書くの好きです」
こんなもの個性ではありません。
「私、音楽ずっとやってきました」
こんなもの個性ではありません。
書けばキリがないですが、これらは、個性ではなくて、
その人の「職種」であったり、(「私、東電の社員です」と同じレベル)
その人の「趣味」であったり、(「私、何何のファンです」と同じレベル)
その人が、たまたま、やったり、傾倒してきたことにすぎません。
そういうものは、私は「個性」とは呼びません。
●機能不全家族で育った人の多くが、
「私だって、自分を大切にしてきました」と口で言うものの、
蓋をあけてみると、
大切にしてきたのは、その人自身ではなくて、
その人の親の思惑であったり、
または、その親に「反抗する感情」に由来するものにすぎないことが
多くあります。
自分の意志決定だと思っていたものが、
ことごとく、トラウマやAC事情に由来するというのは、
この桜の間の掲示板を、きちんと見てきたのならば、分かるはずです。
●しかし、本当の個性というのは、「知性」からしか生まれません。
では、知性とは何であるのか?
それは、人間が、心底から、先天的に、自分を愛でて、
自分を何よりも優先的に大切にして、
自分が選択した生をどうするかの責任を、
自分で引き受けた人だけが、発揮するものです。
●「知性」とは、言うまでもなく、
「知識の詰め込み」によるものでもなく、
「学歴」でもなく、
また、あれこれの「雑学」を知っている事でもなく、
「クイズを解けること」でもありません。
「知性」というのは、
本人が、どれだけ、
「本人の頭で考えた結果、導き出したものであるか」、
という結果で評価されるものです。
「おおー、これは、この人ならではの、考え方だ」と、
誰が見ても分かる、光る結晶のようなものです。
そのためには、他人の言ったことを、
安っぽいパッチワークのように組み合わせた言葉ではなく、
自分の頭で、どこまで深く考えたかによって、出力されます。
●自宅でテレビを見ないので、最近の事情はわかりませんが、
分かりやすい事例は、「はるかぜ」ちゃんというタレントです。
いつだったか、大の大人に混ざって「人生相談員」みたいな席に
座らされていましたが、ある意味、典型的な「知性」と「個性」の
持ち主でした。
だいぶ前のことなので、今は、どうだか知りませんが。
11歳ぐらいの子供が、大の大人に説教たれるわけですし、
その内容も、本質をついていましたから。
●事例をあげるとすぐに誤解をする人が続出するので、
その話はここまでにしておきますが、
といいつつ、
ここまでにしません。
事例をあげます。
●たとえば、
私が、自我復元ブログを、私から依頼した人は、
現在、まだブログが作られていない人も、すでに作った人も含めて、
共通することは、
その人たちの中に、私は「個性」を認めたということです。
ぶっちゃけ、「おそろしく、つまらない復元ブログ」との
「酷評」をあびせられたブログもあるのですが、
しかし、私は、それでも、少なくとも、
「個性」を感じない人には、ブログの作成を依頼していません。
むろん、グラデーションは濃いものから薄いものまでありますが、
個性的な「資質」がそこにあるという人以外は、
ブログを許可もしていませんし、私からの依頼もしていません。
●「個性」を生み出すものは、「知性」であると書きましたし、
その「知性」とは、本人の「自問の歴史」が作り出すものです。
私が「知的な面を持つ人」だ、と認識する人のすべては、
そこに、「まぎれもなく、本人が考え抜いている姿勢」が見える人です。
むろん、その独自性の「程度の差」は、いろいろです。
●現存する復元ブログで、実例をあげますと、
「マディアさん」、私はこの人のことを、私の中では、
「修行僧」と呼んでいます。
マディアさんは、私から見ていると、良い意味で、
極めて「ストイック」です。まるで僧侶です。
私が僧院長ならば、間違いなくトップクラスの僧として認識します。
過去に少し自己啓発系などに、かかわったことがあるとはいえ、
基本的に、おおよそ、精神世界から、最も遠くにいた人が、
私から見れば、最も本質的な意味で「形而上学的な資質」をもっていた
というのは、実に逆説的でもあり、正しい現象でもあります。
●「S020さん」は、私は「幻想文学作家」または「詩人」と位置づけています。
あの、「おぞましき、日常風景」を、あれほどの表現を出来る点では、
そこらにいる、チンケな詩人など、足元にも及びません。
●派手さはありませんが、極めて理解しやすく、
整理されていて、それでいて、血の通った文を書くのが、
「1/6からの帰還」の人です。
いずれにしても、私がブログを依頼した人たちは、
他の読者の方が、どう思うのであれ、地味だと思うのであれ、
「個性」つまり、「知性」がそこにあった、
ということが私の選出の基準でした。
むろん、自我復元をやる前には、ちっともその知性も個性も
発揮されていなかった人だったが、復元後にそれが顕在化してきたので、
ブログを依頼したという人も多くいます。
必ずしも、先天的だったわけではありません。
●既に言ったように、「知性」とは、
本人が、どれだけ、「自分を大事に育ててきたか」
「自分の頭で、考え抜いてきたか」によって育成されるもので、
「個性」は、その「結果」として、現れてくるものです。
●「マディアさん」は既に言ったように、
もしも私が僧院や、哲学院を主宰していたら、
あの人ほどの、優等生はいません。実にまっすぐに、ストイックです。
自己探求というのは、ああいう姿勢を言うのです。
あの人を見ていると、ちまたの軽薄な瞑想ごっこやっている連中が、
全く、かすんでくる。
●「S020さん」は、既に指摘したように、「幻想虐待文学大賞」候補です。
私がもしも、文学雑誌の編集長やっていたら、
間違いなく、毎月、掲載します。
●「さかなさん」の個性と知性は、これから、いよいよ花開きます。
「努力賞」ではナンバーワンです。
「努力賞」という言葉を聴くと、多くの人は、
「努力賞なんて、ただのその努力を評価しただけの、つまらないもの」
というイメージがあるでしょうが、
実際に、「半端ではない努力だった」ですから、
私が「努力賞」というのは、「結果を出した本物の」努力のことであり、
めいっぱいの敬意と賞賛を私が込めて、評しているということです。
●ちなみに、ホットな話題となる、前回の「魑魅魍魎」の親を書いた方ですが、
あの、情景が目に浮かぶような描写力は、
絵本みたいに鮮明で、さしずめ「毒親絵本大賞」候補です。
●むろん、他のブログの方たちも、
それぞれに個性があり、残念にも、
その個性が、まだほとんど開花していない人もいますし、
それぞれが、いろいろな自我率の段階にあり、
トラウマ掘りの進み具合も異なり、
個性にも、かなりの強弱がありますが、
いずれにしても、共通していることは、
少なくとも、「自分の人生を大切にする意志があり」、
よって、それはその人の「知性」を構築する土台を形成する「資質がある」、
という点です。
おもしろいかどうかは、二次的なことです。
●参考動画
「 酔 拳 」
30個ぐらい見ましたが、この人のが比較的良かったです。
型を演じるので手一杯の人や、少林寺の坊さんにしては動きが硬い人、
スピードはあるけど雑な人、いろいろでした。
そんな中で、用法までを解説している珍しい動画がありました。
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