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[201]
■
★分割自我復元★その201■ 【初めての自我判定のご依頼と、全自我の方からの報告、そして自我復元中の方から】
by:
鈴木崩残
2013/05/02(Thu)15:50:02
■今回は、非常に長い、ひとつの投稿となります。
かぎりなく「長文」です。
というのも、自我復元にまつわる、3人の方のメールを
掲載したからです。
お3人は、
1/自我復元の初回判定の方、
1/自我復元を終えた方、
2/自我復元の途中の方、
というまさに、自我復元にまつわる「全種」です。
それでは、
連休中に、じっくりと何度でも、繰り返しお読みください。
************************************
【判定依頼の報告】
今回初めての自我判定以来の方からの報告書の「一部」です。
>この黄色文字で、たまに私のコメントが入ります。
★作業を行った結果、感じたことや変化したことの報告
作業を行ったことで、一番最初に大きなことを感じたのは、
作業をはじめて5回目の頃でした。
それまでは、回収時に胸に塊のようなものを感じることが一度もなかったので、
これは上手くいっていない、でもイメージだけでも続けなきゃと思っていた頃でした。
その頃は呼びかけのイメージも定まらず、夢のなかで何があるわけでもなく、
回収もその作業(動き)を行うだけで、これでいいのだろうかと、
呼びかけの文言や作業内容をサイトやDVDを見て確認していた頃です。
そして作業をはじめて5回目(4日目)、呼びかけを行い眠ると、
夢の詳細は覚えていないのですが、とてもリアルに自我(と思われた)の塊、
野球のボールくらいの大きさの塊(夢のなかでは、ソフトボールのようなものに感じて、
あまりに大きいと感じたせいか、胸だけでなく、のども圧迫しているようでした)が、
胸に感じました。
眠りの中にあっても「これか」と思ったのを覚えています。
そのとき、まだ他にも自我の塊があるかもしれないと思って、
回収作業をしようという意思を働かせていたように思います。
ゴルフボールくらいの自我も感じたように思います。
眠りから覚めても、あの塊感は残っていたように思います。
はじめて見た不思議な夢で、実はそれ以降もこれほどリアルな
実感をともなった胸への塊は経験しておらず、
それが今のところ、最初で最後です。
胸への塊感という意味では、それ以降の回収の際にも、
そのときほどの実感はなく、ぼんやりとしたものでしたが、
その後、胸のなかで丸く形を整えるという方法が加わったときから、
塊というよりもその丸いものをイメージしやすくなったためか、
その丸いものの内圧で胸を内側から圧迫しているような感覚を
頻繁に抱くようになりました。
イメージによるものかもしれないのですが、
それは気とかそういう何かが入りこんだからというよりも、
私のなかでは「きっと今、胸に回収されていったはずだ」というイメージを
持った後に、回収中ではなく、回収後にじんわりイメージされてくるものになりました。
ただ、これは自我が回収されているのかどうか、
そういうことは私にはどうもわからないのです。
***
ただ、以前、戦車さんのブログを読んだときに
「イメージだけででもひっぱっていく」ことを書かれていたので、
そうしようと思って続けています。
感覚よりイメージ、と思いながら強くイメージすることで、
「内圧」のようなものはイメージしやすくなり、感じています。
どちらかというと、塊というより、
(中身があるかどうかはよくわかりませんが)比較的かたい殻の球体が、
身体としての胸部を内側から押している感じです。
とくに、丸く成形してから脳に送るというイメージはとらえやすく、
だいたい8秒から14秒くらいの間に脳に半量の自我を送るイメージをしています
(時間は意識しているというよりも、脳と胸の丸いものを光の線でつないで、
意識を向けて流そうとすると、結果としてだいたいその時間になる、
といった感じです)。
ですので、この改良プロセスが加わったことで、
私のなかでは回収のイメージが見えてきた感じがしています。
その球体のイメージをしたのが、2月25日頃からでしたので、
それ以前のおよそ1ヶ月は、なかなかイメージが定まらなかったということになります。
ただ、この2月25日までの間にも、生活の中での変化がありました。
***
私は、人前で話をすることがあります。
今までは、用意していたレジュメや資料を、
その通りたどっていくように話をしていたので、
どこか相手とタイムラグがあるような、そんな印象をずっと感じていました。
本当はその場で生の私でいたいのに、
つねにコピーのような私がいる違和感があったのですが、
2月に入ってから数箇所で人前で話しをしたとき、
それがあまりに流暢(つまりタイムラグがなく)に話せて自分で驚きました。
もちろん、相手の反応もよいのです。今まで私が感じていた違和感
(話している内容がすでに褪せてしまっているあの違和感)がなく、
今現在の言葉が新鮮さを保っていたのです。
これは私の主観として感じたことですが、
まわりからのフィードバックもズレがなく、そのおかげで、
また今度も話してほしいと再度声をかけてくださったり
(こういうことは今までありませんでした)、別のときには、
そこで出会った人がまた次の講座などに参加してくださったりと、
そのようなことが3月にもありました。
こうやって、自分がやっていることに対して、
自分自身タイムラグを感じることなく、言葉や行動が色あせず、
さらにまわりがそれに対してタイムリーに、
しかも当然のリアクション、期待しているリアクションが、
それらがまったく調和していた経験など、それまでなかったように思います。
その頃から、まわりからも「以前より自信があるように見える」
と言われるようにもなりました。
私は今まで、何か自分の考えや気持ちを話すと、
その段階でそれが色あせてしまい、それを私自身が感じとると、
それを言い続けるのがまるで嘘をついているようになってしまうため、
撤回してしまったり、一度、考えたことでも言わずじまいになってしまったり、
なんとか言おうとしたものの、随分と修正をかけてから、
相手に伝えることになってしまい、話したいことの1/3も、
相手に伝えられないどころか誤解されたり・・・と、
そんなことが多かったのです。
たとえばメールなどは、
相手の空気をいつも読みながら書いて送っていました。
「無難だろう」と思われることをいつも書いているような私でしたが、
その頃、2/8〜2/20までの間に、仕事仲間に対して、
今自分が考えていること、感じていることをストレートに送信してみました。
今まででしたら、そんなことをすることすらできませんでしたが、
いざ、書いてみると淀みなく言葉がでてくるのです。
書いた内容や送信した内容を今読み返しても、
違和感や嘘らしさを感じず、ただそれはそれとして、
言葉に力があって、その力は誰を否定するも肯定するもなく、
語られる必然性をもって発信することができたのです。
自分でいうのも変ですが、そこにおごりとか見栄とかはなく、
また謙虚さもない、なんというか、無理がないという感じで、
それは私ははじめての経験でした。
ときどきそれは独り言としては感じたことがある経験でしたが、
社会や他者に向けて、しかもしっかりとテーマに焦点をあてて、
言葉を発することができたのは、はじめてでした。
ずっと大事にしてきたテーマについて語り終えたときは、
どこかすっとして、後はどう思われてもいいや、と思っていたのですが、
実際は、まわりから「面白いよ!」と何人かの方に言われました。
面白いなんて言われたことがありませんでした。
そういう意味でも、今まで体験したことがないことを、
体験するようになったのは確かです。
たとえば、こういうメールを書いていても、今は言葉がスラスラでてきます。
自分に対するメモでないのに、こうやって書けたことは、
以前の私にはなかったと思います。
>同様の事を示唆する報告例は、いろいろな自我復元者の方からも
>戴くのですが、この方の場合は、少し、他の方とはこうした
>タイムラグ解消の「原因」が違います。
***
あと、これに関連する変化で感じたのは、たとえば電車のなかでも、
相手との距離感、というか、私のテリトリーが広くなっているのです。
いや、広くなっているというか、私のテリトリーのなかで、
いろいろなことが起こっている感覚がしました。
もちろん相手を自由にコントロールできるわけでも、
そうしたいわけでもないのですが、相手のテリトリーと敵対関係にない
(明確に区別された関係でない)ために、
相手に安心感を与えているようにさえ、相手のしぐさや目つき、
雰囲気から感じることがありました。
***
たとえばメールに対する相手からの返信も、かなり気楽な感じがあり、
その返信(反応)もタイムリーかつ適当で、無理がない、といった感じです。
対面でも同じです。今まではどうも、人と私との間がどこか区別されているような、
分離感といえばよいのでしょうか、そういうのがあったのですが、
今は初対面だとしても相手と切れていない感覚、
(あえて喩えるならば、それぞれ別の毛糸でつながっている、
というよりは一枚の布のような感覚です)があって、
かなりイメージが先行していますが、
今まではもしもそういうイメージを持とうとしても、
そこに違和感や嘘っぽさ、わざとらしさを感じて、
こんなふうには書けなかったと思います。
そういう一体感とともに、同時に(矛盾する感じがするのですが)、
相手との距離感(境界線)をしっかりとれるようになった気がしています。
自分のなかでは今までも、いやなことはいやだと言えていたと思っていたのですが、
自我復元をはじめてからは、それが甘いものだったことを自覚しました。
「このくらいなら嫌なうちに入らない」と判断して、相手にあわせていました。
それが決して相手のためにも何にもならない実感したのは、
よりはっきり「NOの時はNO」と言うと、相手はそれに対して、
反対や嫌悪の態度を示すことはなく、むしろ、今まで自分がやっていることが、
機能的にまわりはじめたのです。
簡単にいえば、トラブルの数や悩みの数が減りました
(先日もあまり親密ではない人との問題で、ベストと思われる解決に至り
驚いております。その他の問題も、それらは広がらずに解決・収束に向かうのです)。
相手次第で影響されてしまっていたことも、
こちらがしっかりとした態度を示すことで、
私と関係を持つ人はより親密な関係になりましたし、
関係を持ちたくないと思った人とは自ずと疎遠になりました。
「自分の意思が、今の環境を作っているんだ」と実感する出来事が、
小さいことでも身近に起こるようになりました。
こう感じるようになったことは、
自我復元作業をするモチベーションにもつながっていきました。
***
植物園に行ったときに、とても植物を親密に感じ、葉に触れたり、
花の匂いと水分でいっぱいのまわりの空気を吸ったりすると、
植物と私が「同じ場を共有している」という感覚が強まってきて、
今までの「鑑賞する」というスタンスとは違う感覚、
「そこに一緒にいる」という感覚を楽しむことができました。
感じとろうとしなくても、感じあっている場所を楽しんでいました。
生活全体のなかで、力みの多い日常から「楽しむ」が増えたと思います。
楽しいというよりも、むしろ楽にその場その場を過ごせるようになった、
という感覚のほうが近いかもしれません。
***
体調的には、頭が痛くなることや疲れることが減ってきたと思います。
ストレスもほとんどたまりません。
それと、歌うのも好きなのですが、
今までは歌っている自分と歌が分かれている感じがしていて、
それは先ほどの言葉を話すときのことに似ていますが、
どこか違和感を抱いていたのですが、
最近はこれもまたイメージなので上手くいえないのですが、
なんというか空中に音楽や音符がすでにあって、それが鳴っている、歌っている、
という感じがして、私が歌っているという、
あのなんだか嫌な違和感がぐっと薄くなっているのです。
決して歌が上手くなっているのでもなく、
むしろ鼻歌のように適当に歌っているのですが、
そのほうがよほど普通で力みなく、楽しめるのです。
この変化は主観的なものになってしまうのですが、
私にとってはとても興味深い変化でした。
私はずっと何かをするときには「楽にできること」がどこか基準になっていて、
楽にできないとしたらそれはどこがが違う、という、
それこそ何の根拠もないのですが、そう思っているところがありますので、
いろいろなことが「楽に」できるようになったことは、私には嬉しい変化でした。
***
自我復元をはじめてから、自分の過去に関心を持つ機会が多くなったように思います。
今まで自分がやってきたことの多くに共通する性質を見つけました。
それはサークルもバイトも趣味も結婚も両親との関係も、なにもかも、
いつも「私がいなくなる時のこと」を考えての行動だったことに、
はじめて気がつきました。
思えば、なんとなくそうだな、くらいは思っていたと思いますが、
これは、なんとなくではなく、かなり明確だぞ、という感覚を持ちました。
自我復元をはじめて2ヶ月くらいしてからの頃でした。
「もうこれで終わりにしたい」という気持ちがいろいろ働いて、
3月の末に向けて、今までやっていた仕事や活動が大きくひと段落したのです。
「これでおしまい」という仕事や活動がぎゅっとつまった年度末でした。
これも私自身がどこかずっと願っていたことだったのだと思います。
おかげで、生活と仕事がシンプルになりました。
身の丈にあった量の生活や仕事をこなすようになったように感じています。
***
大筋の変化は、おそらくこんな感じだと思うのですが、
それ以外のことで箇条書きに書ける部分があれば書いてみたいと思います。
・呼びかけのイメージは最初は、地図を思い描いていましたが、
最近は日本の上空からの眺めをすっとイメージできるようになりました。
・呼びかけは最初はただ文言を唱えていただけでしたが、
今は、その文言が日本全土に届いている、相手に届いているという
イメージを強く持てるようになりました。
・イメージだけなのですが、呼びかけの際に下降していこうという
イメージを伴って呼びかけするようにしています。
それによって「届いている」イメージが強まりました。
・ときどき、呼びかけと同時に回収をしてみるときがあります。
それはどういう時かというと、なんとなく(これは本当になんとなくなのですが)
呼びかけの際に、自我(色つきで丸い感じのもの)が近づいてくる気がするときに、
クーラーボックスに入れるか直接胸に回収する作業をしてみます。
自我によって色が違うのですが、このイメージには、私は自信がありません。
なんだか、ただの思い込みのような感じもするからです。
・以前にくらべて私自身は他者に対して「つっけんどん」になっているのですが、
なぜかかえってまわりが「寄ってくる」ことが増えました。
・私は、はっきりものを言ったことに対して、
相手から的確な返答がくるようになりました。
・そもそのはっきりものを言うようになり、誤解も減り、
相手も安心しているように見えることが増えました。
・仕事につながる話が増えてきました。
・「初めてお会いした頃より、なんだか自信に満ち、貫禄さえ感じます」
と言われました。そんなことを言われたことは、今までなかったです。
優しいとか、いつも笑顔ですね、とかは、言われたことはありますが・・・。
・夢のなかで詳しい内容は覚えていなかったのですが、
思ったことが現実化する夢を見ました。
かなりリアルな夢で怖くなりましたが、怖くなったらやめられる、
変更できることもわかっていたようなので、
一方で安心していた自分がいたように思います。
・ある時期、呼びかけと回収とを同時に行ったときのほうが、
回収時に胸に塊というより弱い痛みを感じることがあり、
このほうが上手く回収できているのかな、と感じたりもしました。
ただこれに関しては、そんな気がしているだけかもしれない
と思っている部分が多いです。
・朝の回収は特に何かを回収している感覚は、実感としては無いままです。
ただ、イメージとしては、回収できているイメージを維持するようにしています。
そうすることで、胸を内側から圧迫する内圧のようなものは、
微弱ながらも感じています。
・何度か、横になった瞬間に胸に何かを感じることがあって、
回収作業を続けたことがありました。
それは呼びかけ後に横になったときに感じたこともあれば、
朝起きてすぐに胸に何かを感じたこともありました。
・奇妙な夢を見ました。自我復元とどう関係があるかは、
まったくわからないのですが、これはその夢を見ている最中でも
「これは崩残さんに報告せねば!」と強く思ったので、以下、その夢の内容を記します。
(中略)
・4月に入ってからです。立て続けに5回ほど「呼びかけをしてすぐに」
寝入ってしまったことがありました。疲れていたのかもしれないのですが、
今まではそんなことはありませんでした。
ただそのような日も、しっかり回収には時間をとり、
丁寧にやるように心がけました。
胸に丸い感じとその存在感を抱く日は、作業をはじめた頃に比べたら、
かなり増えたと思います。
・こんな夢も見ました。自我がたくさん画面に出てきて、
ときどきいくつか点滅する。それをつかみとるような夢です。
クーラーボックスのことが頭をよぎった気もしますが、
このクーラーボックスは、私のなかでどうもイメージがかたまらないためか、
それともその出番がよくわかっていないせいか、
回収で上手く使えていないような気がします。
色は薄いブルーで限りなく白に近いものをイメージしています。
それ自体が冷たくしっかりしたもので、なんとなくドライアイスのような。
ただ、リングを描くときは必ずこのクーラーボックスをイメージして、
それに連結し、回収するイメージをつくるようにしています。
・最近はたまにですが、歩いていたり、自転車にのっているときに、
「回収したくなる」という感覚がやってくることがあります。
それはそれでリングを描き、胸におさめてみるようにしています。
胸の内で風船のようなものが「ぷぅっ」と広がるような感じがして、
その内圧で身体としての胸が内側から圧迫される感じ。心地よい圧力感。
・朝起きて、寝ている状態ですぐに胸に何かを感じたときに、
一度、手を動かさず、ただイメージだけでリングを描いて回収する、
というのを思い描いてみたことがあります。
それに続いて手でも回収してみたのですが、
イメージだけのほうが回収の感じがありました。
・ターゲットが眠っている間に現れてくるのではないか、
眠っている間にいろいろな交渉が行われるのではないか、
それを起床したときに自覚できるのではないか、
と私はどこかでそう思っていたのですが、それが今のところないのです。
これは私は自我復元が上手くいっていないのだろうと、
正直思ってるところがあります。
でも、そういう私の感覚よりも作業を続けることが大事だと思って
続けるように今もしています。
今書いたような自覚がしっかりあらわれたら自我判定を依頼しよう、
せめてあと2ヶ月やってからにしようと、そう考えていた時期もありました。
でも、それでは遅いのではないか、
今やならなかったら後悔するのではないかと思い、
今の時点で報告できることをなんとか書いて、
アンケートもできるだけのことを書いて、と、そう思っています。
*********
>ここまでの報告も、とても、しっかりと内容のあるものですが、
>それ以上に、皆さんに、よく学び取って戴きたいのは、以下の記述(姿勢)です。
*********
>>★まず、無明庵のサイトは、どういう経路から、いつごろに知りましたか?
>>他人の薦めや、書籍、ネット経由など。
大学生の終わりの頃に、たまたま本屋さんで「廃墟のブッダたち」を見つけて、
その頃に出版されていた「虚無宇宙からの伝言」までの10冊を読みました。
その頃はまだサイトの存在については、知らなかったように思います。
しばらくして、無明庵のサイトがあることを知り、検索した記憶がありますが、
その頃には無明庵の書籍から私が離れていた時期で、
サイトがあるということ、そして性に関する書籍が出版されていることを知る程度でした。
いったん無明庵の書籍から離れて、
自分のなかでやりのこしていることはないか、やっておこうと思っていることはないか、
と考えるようになり、パートナーとともにアルバイトをしながら、
お店を構えて仕事をするようになりました。それから幾多の年月が経ちました。
昨年2012年の8月頃、私のなかで、
「ここまでやれれば、とりあえず、人生でどうしてもやっておきたい、
というのは、最低限はやった。どうしても、というのは今のところは思い浮かばない」
というふうに思ったとき、
ふと、死人禅を実践していないことを思い出し、
もう一度、死人禅に関する記述を中心に書籍を読み返し始め、
実践するにあたっての留意事項を確認しました。
サイトをはじめてしっかり読んだのは、その時が最初だったと思います。
まず、死人禅行法ガイド音を購入し、準備しました。
8月末から死人禅は続けています(その後、自我復元を知るに至り、
死人禅を継続すべきかどうか考えたのですが、続けてみようと思い、
今現在も幽暗行を毎日行っています)。
「虚無の微笑」というCD-Rも発売されていることをサイトで知って購入し、
そこに書かれていた行法のガイドも参考にしました。
次第にサイトを開く日が多くなり、
とくに書籍(のCD-R)を購入するつもりはなかったのですが、
「バナナを創った宇宙人」をどうしても読みたくなりました。
「惑星上で絶対にやってはならない事」という目次がどうしても気になったのです。
その後は自然の流れで自我復元を知ることとなり、
分割自我復元のDVDを購入し、関連する書籍のCD-Rも購入しました。
今年2013年1月に入り、自我復元に取り組みはじめました。
今では無明庵のサイトをほぼ毎日見ています。
それはおもに自我復元に関する記述を読むためですが、
松の間や梅の間も興味深く、ほぼすべてに目を通すようになりました。
>>★次に、そもそも、精神世界のような分野に最初に足を入れたきっかけは、
>>何歳の時で、何がきっかけでしたか?
精神世界の分野を知ったのは、おそらく私が大学に入ってからだと思います。
私はその頃、よく図書館や本屋さんを徘徊していました。
私はいつも「自分は今、何を知るべきか、今、勉強していることは意味があるのか、
それとも他に知るべきことはあるのか、ないのか」と、
毎日のように考えていたように思います。
考えていた、というより、不安で情報や刺激に飢えていたのかもしれないのですが、
いずれにしても、何かを求めて、図書館や書店をうろうろしていました。
大型の本屋さんをよくはしごしていました。小さな本屋さんも探して行っていました。
ジャンルというものは、私にとっては何でもよかったのです。
自分をひきつけてくれるものであれば、どのような本でも横断的に見ていました。
見ていた、というのは、読んでいた、というのとは少し違って、
「自分の関心をぐっとひきよせられる本」を探知しにいくのが好きでした。
その頃、おもにひかれた分野は、現代物理、数学、現代アート、音楽、建築、
武道、宇宙、哲学、思想、心理、そしてあらゆるジャンルの新刊書籍でした。
私のなかでは分野(ジャンル)の区別というのは、まったく重要と感じていなかったので、
むしろ多くの分野を渡り歩くのが好きでした。
同時に、学問的区別なく書かれている本に興味をもつことが多く、
そういったなかで自然と精神世界の棚(コーナー)も知ったのだと思います。
具体的な目的があって精神世界を知ったわけではありませんでした。
具体的な目的を持って書籍を購入したのは、記憶しているかぎりでは、
クリシュナムルティに関する本が最初だったと思います。
私は大学で数学や物理の勉強をしていたこともあって、
理論物理学者の、デビッド・ボームとクリシュナムルティとの対話集
「人類の未来」という本に興味を持ちました。一般教養で宗教論という科目をとっていて
(授業はおもに西洋の伝統的宗教をテーマとしていて、授業そのものは、面白くなかったのですが)、
あるとき、「何でもよいので一冊本を選んでそれについて勉強してきなさい」
という課題が出されたこともあって、その時に本屋さんで見つけた本が「人類の未来」でした。
おそらくそれは精神世界との始めての出会いだったと思います。
その後は、和尚に関する本・冊子を数冊読みました。ただその頃は、
それらの書籍を読んだときに、私のなかで「ここには、うそがない」という感覚を強く抱き、
内容としては理解できないこともたくさんあったのですが、
その「うそがない」という感覚(何をもってうそがないか、という根拠はまったくなかったのですが)は、
私にとって心地よく、興味深いものでした。
ただそれは、うそがないと感じる心地よさと興味深さがあるだけであって、
私と少し離れた距離にいつも存在し、あくまでも興味の対象でしかありませんでした。
ところが、たまたま「廃墟のブッダたち」を見つけて読んだとき、
その「うそがない」と感じる感覚は今までになく強く押し寄せ、私を圧倒し、
すべてがクリアに書かれていることに深く興味を抱いた、一方で、
はじめて、私と離れた距離には置いておけないもの、興味止まりではいられない、
という経験をしました。
「そうなんだ」では済まされないリアリティが、読んでも読んでも褪せるどころか鮮明になりました。
「虚無宇宙からの伝言」までの書籍を読み終え、その時は結果として、
「私が今までやりのこしたことを、まず、やろう」と思ったのですが、
それだけではなく、おそらく怖くなったのだと思います。逃げ場がありませんでした。
興味を転々として騙し騙し生きている自分を鏡で見ている居心地の悪さも同時にあり、
その居心地の悪さからも逃げるようにして、精神世界の本からも、
そもそも(探求の素材としての)本からも離れてしまいました。
「少なくとも悟りは求めたりするものでないし、私なんか手を出すものではないのではないか。
それよりも、私についているゴミややりのこしを見つめて、払い落としたい。清々したい」
と思って、精神世界の分野から離れました。
ただ、頭のなかではずっと無明庵の書籍に書かれていたことが、
ずっと気になっていたのは確かです。
無明庵の書籍に書かれていた内容は、私にはその時今すぐ必要とは思えなかったし、
受けとめることができないこともたくさんあったのですが、
しかし私にとってはあまりに現実感(リアリティ)が強く、
仕事をしていても生活をしていても、忘れられないものでした。
とくに恐れから逃げたと思っている自分がずっといたので、
死人禅を実践していなかったのは、かなり気にしていたのだと思います。
それで、今、・・歳になって、再度足を入れることになりました。
>>★ご自分の問題についての原因は、ご自分で分析は出来ていますか?
(中略)
二つ目は、私はなぜか「女性」という存在が強い現実感をともなって、いつも脳裏にあります。
簡単にいうと、女性という存在が好きなのです。性的な関係をもたなくても、
ただそばにいたり、話をしたり、それだけで十分に思うことのほうが多いです。
女性という存在に憧憬をもっています。妄想といえば妄想なのかもしれません。
憧れがあります。同時に、男性に対してどこか冷たい私がいます。
とくに女性が苦しんでいるのを見ると、なんとかしたくなってしまうのです。
それが男性または男性社会がらみであればなおさらです。
ですので、女性が苦しむことや女性が苦しむ姿に敏感になっていて、
これはうまく説明できないのですが、女性が苦しむ姿を放っておけない、という感じで、
むしろその姿をいとおしく感じる私がいるのです。
>この方の場合には、
>母性または女性性というものが明確に今回の生で内在しての事ですので、
>この記述の部位だけを読んで、本心は女性に対して暴力的で、支配的であろうともがいている男性が、
>こうした他者のフレーズを自分を虚飾で誤魔化して、言葉だけ模倣する、
>といった馬鹿な真似はおやめ下さい。
>さらには、スピリチュアル系の偽善的な人(特に女性)が、こうした言葉をパクって、
>自分の心の歪みの醜さを美化する事に悪用するのもやめてください。
>この方の場合には、個人的な事情があって、そのようにごく自然に、
>振舞えているのですから。
(中略)
一つ目と二つ目の問題とあわせて考えてみても、
たとえば死後に苦しんでいる女性から何か頼まれたら、私はたとえいやだと感じていても、
そのいやだという感覚は完全に麻痺し、なんでも従ってしまうのではないかと考えると、
これは大問題だと思うのですが、この問題に対して、
十分な分析が私自身、できていないのだと思います。
****
三つ目は、悟りや自我復元に関する問題ですが、
私は悟りによる至福とか、そういうものにはほとんど興味を持っていないようなのですが、
自分が帰る場所、故郷としての虚無というものには強い関心を持っていて、
それこそどこまでが私の意思で、どこからが妄想なのか、そのすべてが妄想なのか、
まったくわからないのですが、
たとえばスケッチブックをはじめて描いてみた時も、
画用紙に真っ黒にクレヨンで隙間なく埋め尽くしたいと思ってしまって、
実際にそれをやってみましたが、出来たものを見て、私は少し落ち着いたりしています。
私が戻りたい場所として、すぐ思い浮かぶのは、狂わないでいられる場所です
(ビジュアルとしてはどう描いていいのか、悩みます)。
そこに必ずしも色や至福がある必要はないと感じます。
一方で、私は幽閉されることや、この地球上でいえば、
身体的・心理的な拷問がとても怖いのです。
「終わることのない闇に幽閉され、身体的・心理的苦痛が終わらないこと」
ほど私にとって恐怖はありません。
これこそ私が日々恐怖していることなのですが、つまり、私が怖いのは、
意識あるままで闇に幽閉されたら、それこそ恐怖だと思っていて、
だから、画用紙に真っ黒で描くイメージも、
はたしてこれが私の住みたい世界なのかどうか、
正しいイメージなのか、わからないのです。
あくまでもそれは「意識がなければ」という条件つきのようなもので、
意識があったまま闇に投げ込まれたら・・・と考えると、すごく怖いのです。
無明庵の書籍で、宇宙の果ての無との境目に幽閉されたままにいる種族の話が
あったと思います。生きることも死ぬこともできないまま幽閉される。
本当に怖いです。
ただ、自我復元をしなければ、この「また明日のある世界」
「苦しみが必ずある世界」である地球に生まれてしまうことは確かだろう、
だから自我復元しなければ、という焦りがあるのですが、
では、どういう世界を希望するか、といわれると、苦しみがなく、
意識ある状態で幽閉されることなく、ちゃんと終わってくれる世界、
という感じになるのですが、それはいったいどんな世界なのか、
正直、よくわからないのです。
あの種族のように幽閉されたらどうしようとか、
地球やさらに酷い惑星にうまれたらどうしようと考えてしまいます。
そして、おそらく「そのような場所に生まれたくなかったら、
今から登場する女性の頼みをきいて、それに従って歩いていきなさい」
と死後の世界ででも言われたら、今の私は簡単についていってしまうような気がします。
いや、女性の頼みでなくても、この三つ目の問題の恐怖から、
支配者の脅しに従ってしまうように思うのです。
私はどこかでそれは、自分に対する裏切りではないかと思っています。
己を守れなかったと、きっとまた思うのではないか。
後悔しながら次の生も嫌悪しながら生きるハメになるのではないか。
そう考えると、これもまたどうしてもよいのかわかりません。
といって悟りたいとか、そんな曖昧なこと、
定義も自分でしっかりできないようなことを言いたくないのです。
本当にどうしてよいのかわからず、怖いことから目をそむけてしまう結果、
こういった自分の問題に目をそむけてしまうし、分析も投げてしまうことがあります。
正直、このアンケート設問を読んだとき、私はビクッとしてしまいました。
なんて答えたらいいのか、困りました。
そのうろたえようからダラダラとした回答になってしまい
(回答にすらなっていないかもしれません)申し訳ございません。混乱しています。
読み返してみて、はたしてこれが問題なのか、苦しみなのか、悩みなのか、なんなのか、
それすらもわからない自分のぼんやりさが嫌になります。
>>★そちらは、何を人生において、最も重要視していますか?
>>他者や本に書かれていることではなく、
>>御自身の中から実感として確実に、出てくるものだけを書いてください。
苦痛がないことだと思います。
たとえば、もしも私が死ぬとき、一つだけ頼めるとしたら、
苦しまずに死ねますように、ということだと思います。
身体的な苦痛の回避が優先されると思いますが、
同時に精神的な苦痛の回避も求めると思います。
また、これは苦痛と関連してのことだと思いますが、
私はいつも「区別」ということに敏感になっていて、
無視できない問題を抱えることがあります。
区別には必ずそこに枠があるので、それは全体ではないという違和感、
うそっぽい感じがつねにあり、微弱ながらも慢性的な苦痛として認識しているようです。
どこか間違っている、うそっぽい、居心地がわるい、すっきりしない、
といった嫌な感じがあります。ですから、こういった区別に起因する問題は、
無視できないことが多いです。
社会問題としては、差別の問題がつねにアンテナにひっかかります。
といって、社会運動をしたいかといえば、そうではないのです。
そういう社会にあって、どう差別やあらゆる区別から個人が解放されるか、
がいつも関心の中心になります。
やはり、いずれも苦痛の回避が私のなかでは判断の中心にあるようです。
「苦しくなければそれでいいじゃないか」という感覚をなぜか持っています。
苦痛の回避が私にとって重要です。
>>★ご自身の何かに問題があり、それを解決したいと思っていますか?
>>その場合、何を解決したいのか具体的に書いてください。
申し訳ありません。ここに書くべき内容を、
「ご自分の問題についての原因は、ご自分で分析は出来ていますか?」
の設問の欄に書いてしまいました。
自分が書いた回答をもう一度読み直してみて、やや具体性にかけているので、
補足できたらと思います。一つ上に設問に対する回答とも関連して書いてみたいと思います。
まず、頼まれたら断れない、ということなのですが、
いやだとはっきりいえることは言えるようにする必要があると思っています。
それには自我復元を続けていこう、という気持ちがあります。
昔から基本的にはいやなことはいやだと言えることが多かったので、
そういう意味ではあまり困ったことはないのですが、
自我復元をやりはじめてから、よりそれがはっきり言えるようになったので、
やはり今までもいやなことを我慢してやっていたことも意外と多かったのかなと思っています。
ただ、より問題だと思っているのは、いやだと思っていないのなら、
どこでもついていってしまう、安易に要望をきいてしまういい加減さが私にはあって、
おそらくそれは「私が進んでいきたいビジョン」がはっきりしないことに、
起因するかもしれないと思っています。
苦痛のない世界、幽閉されない世界、拷問のない世界を望みますが、
それをどうビジョンとして立てて、描いていくかがはっきりしないのです。
表現として「〜のない」「〜でない」世界という表現になるのですが、
それははたしてビジョンなんだろうか、と思っていて、
やはり具体性そのものがかけてしまうように思います
(なぜなら、ここにはつねに「〜でない」のなら何でもいいのか?
という問いが突きつけられるからです)。
そのためにも自我復元を続けて全自我になる必要があるのだと思いますが、
同時にビジョンをしっかり描けないもどかしさがあります。
関心地図は出来るのですが、スケッチブックが思ったように手が進まないのです。
そこが解決したい一つ目です。
(中略)
三つ目の問題は、まったく具体性にかけていて、具体的に書くことが難しいのですが、
これだけは言えるのは「拷問のある世界にだけは生まれたくない」ということです。
苦しみながら生き続けなければいけない、というのは私のなかでは最大の恐怖で、
なんとか解決したいことです。
無明庵の本を読んだとき、この宇宙そのものがまさに拷問の世界だと思いました。
なのに、私は刹那の快楽にそれを忘れてしまう自分がいて、
また、それに鈍感な自分がいて、なんて鈍感な自分なんだろう、
このくらいならまた明日を生きることも受け入れてもいいだろう、
と考えてしまう自分がいます。
でもそれはたぶん、己という自分、裏切ってはいけない自分は泣いていると思うのです。
「なぜお前は笑えるんだ?なぜ今日も生きたのだ?」と、
その己から問われているような気がするのです。
本当はその己を、もう終わりのところ、
もう終わっても大丈夫なところに、
手をはなさないで、つれていくと約束したのに、約束を守れない、
その誓いを、はたせそうにない自分がいます。
自分を悲しませてはいけない、裏切ってはいけない。
そういう思いだけがつのります。
「今自分がやっていることは、今本当に自分がやるべきことなのか」
という問いが、つねに私の頭のなかをぐるぐるまわっています。
(中略)
>>a.ご自分の最も嫌いな点
自分の最も嫌いな点は、何かを誤魔化そうとしているときの自分に、
気づかないでぼうっとしている自分の姿勢。
自分にうそをついていたり、自分をうらぎったりしたときに、
そのこと自体にすら気づかず鈍感で、
わかったかのようなことを発言してしまったりしている自分。
そうならないようにと、発言を適当に誤魔化してしまうことがある自分。
「これでいいんだ」と少しでも頭をよぎってしまう自分。
>>b.ご自分の最も評価できる点
自分の人当たりも、自慢できる部分ですが、
これも他人からそう評価されたからそう思っているという面があります。
他者との関係や他者からの評価を抜きに考えてみると、
最も嫌いな点と表裏一体ですが、
自分にうそをつかない、簡単に結論づけない、ひとくくりにしない、
区別や差別をしない、支配側にまわらない、
なども評価できる点なのだと思いますが、
これができないときが必ずあって、その時点で自己嫌悪に一気に反転します。
>>★(本業以外での)ご趣味があれば、お書きください。
(中略)
最近、崩残さんがアップしてくだった「Omnia-Pagan Folk Lore 」のライブ映像が、
とても気に入っていて、ハープ奏者のjennyは、私のなかで・・・と重なるイメージをもっていて、
全体の曲調も心地よく大好きです。(またまたご質問の範囲をこえてしまってすみません)。
>「Omnia-Pagan Folk Lore 」に誰か、話題をからめてくれないかと
>内心、期待していたのですが、やっと来ました(嬉)。
こんな感じで音楽が趣味として好きですが、アート関係全般にわたって興味があります。
あと、武道を小学生から高校生までやっていて、今はやっていないのですが今でも好きです。
またやることがあるような気がしています。
>>★自我復元をしようと思った、最大の理由は何ですか??
自我復元をしようと思った最大の理由は、
「このまままた地球に生まれてしまったらどうしよう」という不安です。
上手く死ねなかったら、とりかえしがつかないのではないか、という焦りです。
もう終わりにしたい、
他の惑星や他のどこかに生まれ変わるのさえ、私は嫌だと思っているのですが
(無明庵の書籍を読んで一番ショックを受けた内容の最たるものは、
また生まれてしまう、終わらない、ということでした)、
この地球でまた生きなおすことを考えると、それはまず避けたい、と強く思います。
ぼんやりしていてはいけない、自分の人生なんだから、
せめて自分が自分の主人でありたいと思いました。
正直な気持ちは、今のこんなぼんやりしている自分が、
自我復元をしたいと思うその決心すら私は疑っていたのですが、
崩残さんがどこかで、
「信じるのは後でいいから、まずできるかやってみなさい」、
といった内容のメッセージを支えに、やってみようと決心しました。
「まずやろう」と。
以上です。よろしくお願い致します。
*********
>以下、私、崩残のコメントです。
かなりの部分を編集上カットしましたが、(***の部分も中略部分です)
初回判定の時に来た報告内容です。
多くのことを解説するつもりはありませんが、
長年、サイトで執筆し、著作も書いてきた中で、
私が、最も「自己探求には、こういう姿勢で向き合って欲しい」と思い続けてきた、
そういうタイプの読者の方に、ようやく出会った感覚があります。
決して、慢心からの背伸びはせず、
自分の思いに、どこまでも正直であり続けるという姿勢です。
そして、自分にとって必要なことの優先順位を、決めるという姿勢です。
「極めて正常です」と、返信した私からのメールには、
次のような言葉が綴られていました。
崩残さんがメールの最初に「正常」という言葉を、
届けてくださいましたが、
その瞬間に、私が思った気持ちは2つあります。
一つ目は、正直、少し嬉しい気持ちがしました。
正常なんて他者から言われたことも、もちろん、
自分からも思ったことがなかったので、
私は自分でいつもいつも毎日を無駄にしていると思っていました。
その実、私は無駄が昔から嫌いで、
友だちと遊ぶにも遊ぶだけの意味がないと、
誘われても(家までついてこられても追い返してしまったこともありました)
遊ばないような子どもでしたので、
私が毎日を無駄にすごしていることは、矛盾そのものでした。
「正常」という意味を、
私は正確に受けとれている自信はありませんが、
その無駄という思い込みに対して、
無駄なことばかりではなかったかもしれない、
たとえば死人禅だってやめなくてよかったよ、と
そんなふうに思えた、という意味で嬉しかったです。
もう一つは、かなり不安な気持ちです。
正常とは(これこそ私の思い込みかもしれませんが)むしろ、
「誰かの借り物」で自分という存在が出来ちゃっているんじゃないか、
私の言葉なんて何ひとつないのではないか、
だって、言葉では、今もこうやって何でも書けちゃうじゃないか、
という、やはり自分へのダメだしが、必ず先にきてしまいます。
最初の「少し嬉しい気持ち」はそれとちょっと遅れて訪れる、
二次的な気持ちだと思います(たぶん、なのですが)。
なので、よりその感情も「偽善的なもの」と思ってしまいます。
しかも、そう思うことで、さらに何かを自分は誤魔化してはいまいか・・・と
>この方のような、こういう、当たり前の「内省」「自問」が、
>生じない人が多すぎるのです。
******************
【死後のミッションの報告】
●次は、自我復元を終わった「後天性全自我」の方からの、久々のメールですが、
「面白すぎる」ので、読者の方がいつもやってしまう「誤解」を回避する為に、
カットした部分が多々あります。
崩残さま。
スケッチブック作業の変化とミッションでの収穫についての報告です。
その理想の形態を使い、銀河ステーションに行くと、
前回まではしっかりとしていた床の存在感が薄くなり、
その下まで空間が拡がってました。
床が無くなった他、ステーションの作りが外の宇宙との境界としての、
フレームでできた壁になったことと、
以前は切ったバウムクーヘンのような、平べったい円盤状と認識していたものが、
ドーナッツのような上下に少し厚みのある形に変化していました。
ドーナッツの中心に同心円状に浮かんでいる受付係は12種類以上はおり
(真上から見ると4分割の間にさらに2つずつポイントが見えましたので。)、
虚空の辺境にあるルーン文字の図形に、
奥行きを持たせた立体のような形状に見えました。
普通のルーン文字のような、
立体にした場合に面を構成し閉じることができない形態では存在できないようです。
受付係はそれぞれ形が違うほか、固有の音を持っており、
音の雰囲気に適合した宇宙ツアーを提示するようです。
一つの宇宙を音の種類ごとに分けており、それぞれ扱う領域が違うみたいです。
提示される旅行パンフレットは、空間が織り込まれた線からできた立方体でした。
細いパイプで作られた立方体の中に、
もう一つ小さな光る水晶のような立方体が浮かぶものを
手渡された際、てっきり真ん中の小さな立方体が展開して、
別の宇宙の画像が見えるのだろうか
と思ったのですが、そうではなく、外側のパイプの一辺が拡がることで、
別の宇宙の風景を見ることができるようです。
立体の合計12本ある線はそれぞれ、大地、海、生物、植物、太陽、
その宇宙を取り巻く環境、管理の必要性などの構成部品や契約内容で、
必要な線を展開した状態で真ん中の部品に焼付けると一つの宇宙の種となるようです。
パンフレットというより、オリジナルツアーを作成する為の道具のようです。
手渡されたのは、線が合計12本の立方体でしたが、
さらに細かいオーダーができる線の多い立体(サッカーボールのような)も
あるのではないかと考えたり、逆の最小構成の立体をイメージしてみたり、
あえて一本抜かした立体を作ると、
開いた場所にはどのような線が生成されるかなど考えてみました。
今回の収穫は、これまで考えた事の無かった世界観の創出方法の例を、
入手できたことだと思います。
この方法に比べると、これまでは随分大雑把に世界観を創っていたことに気が付きました。
今後は細かい設定もできるこの方法を活用してみます。
******
>さて、染森氏の動画は、全自我の性質を考察する上で、非常に重要な要素を沢山含んでいたので、
>これもリアクションを待っていたものですが、
>「ちき」さんがブログで取り上げてくれた以外には、
>この●さんが2人目、この投稿の次の方の、合計3人だけでした。
>あ、だからといって、いまさら、後出しじゃんけんみたいな、
>感想メールとかはいらないですよ。
●全自我の方(染森氏)の動画について
印象的だったことは、目的の為に環境を選択しているという所です。
私の場合、環境維持を出来る範囲で目的の設定をしてしまっています。
自立とは、どのような環境でも必要とする生活の維持ができることであり、
それができない場合は、なにかしらに依存していると思いました。
私の場合は、勤め先に依存している傾向があり、
「ここを離れたら、生活に苦労するだろう」という考えからくる不安が、
具体的な検証のないまま、野放しにされていました。
この依存のせいで、自らの行動範囲を狭めているほか、
本来関わるべきでない問題に対処することにも、なってきていると思いました。
今の環境は少なからず、自分に汚染をもたらしており、
汚染されてしまうのは、対処方法がワンパターンなところにあるようです。
これには、対処方法に関しては一から作り直すというか、
対処する為の運動神経から鍛えなおす必要があると思いました。
現在は不足していますが、この運動神経のようなものを鍛えれば、
今のように、生活のベースを安定させるために目的を変える必要がなくなり、
目的に応じて、臨機応変に生活ベースを安定させることができる、
ということを知りました。
文章にすると、あたりまえの事を書いているように自分でも見えますが、
文章にするまでは、このあたりまえが十分に機能していなかった自覚もあり、
意識化した後に、「自分、しっかりしろ!」と思うことが増えました。
思い出すと、以前はこのような場合には
「他人から見て、恥ずかしい思いをしない為には、こうするべきだ。」
とか考えていたようで、
今更ですが、
それは、私にとって、恥ずべき行為だったと思いました。
以上となります。
以下は、私からの返信です。
↓
●地球上の生活だけの認識だけで生きていると、
限界を感じることが多いわけですが、
希釈自我ではなく、正常な全自我の状態で、
これらの星系へのアクセスを通じてみると、
いかに、先人たちが、いろいろなものを積み上げたかを感じ取れたと思います。
それは、そう簡単には、馬鹿になど出来ないものですし、
まだまだ、娯楽性をも持っていますし、
むろん、別の意味での悩みもそこでは発生しますが、
この地球の世界の中だけを見ているにすぎない段階で、
安易に「すべては闇だ、本質は虚無だ、宇宙は無意味だ」
「だから悟りしかない」と、単純な「直線思考」なってしまう
多くの無明庵読者の人たちが、何を間違えているか、
今の、・・さんには、理解できたと思います。
私が何度か、言うことですが、
「セックスのオーガズムを、
もう十分だ、もう嫌だというほどに満喫した結果の結論でもないのに、
まだ、セックスすらも、ロクにしてないガキが、
偉そうに、セックスを否定するんじゃない」
という喩えと同じです。
●ところで、この銀河系の中心部への探索の最もすぐれた利点は、
極端な異質性がないために
(たぶんこの銀河系の、ある時期以後からの方針で、
さまざまな視点の「バランス」を保つために、
「極端さを、ある程度、排除した」と私は思っています)、
そのために、ミッションにおいて、銀河系中心部でやることは、
・・さん自身の、地球での生活やネットワークにダイレクトに関連してきます。
普通でしたらば、宇宙の様相と地球の現実生活とのギャップを感じて、
落ち込む人が大半ですが、
全自我による、しかも、
あの「死のミッション1〜4」の「段取り」を使った場合は、
二つの現実に「関連」が形成されますから、
現実生活への不満が作り出した、宇宙妄想や夢物語ではなくて、
マクロとミクロの双方が重なる「リアリティーの一部」となります。
******************
【判定依頼の報告/数回目】
崩残さま。
ご無沙汰していましたが、今回は自我判定を申し込みます。
前回判定をいていただいたのが、10/10でしたので約半年ぶりになります。
その間におこなった呼びかけ回数は180回です。
・中略・
目覚ましを早目にかけて、
5分から10分の間回収して胸から頭に半分送り込むことを、
毎回忘れずにやりました。
☆作業したことによる変化や感想
トラウマ掘りも、かねての報告になります。
この半年 結構つらかった。おもったより、
体にダメージが来ていたようでひと山越えた今、体の節々が痛い。
体の緊張がすごくあって、背中に鉄板が張り付います。
数年ぶりの風邪をひいて、頭も痛い。
ガンバっていたんだとおもいます。
〇トラウマほりから
これを書くのはすごく勇気がいる。
原発関連の記事を読むたびに思うこと。
いまさら、何を騒ぐのか!
原発が、原爆を繋がることはわかっていたのではないか?
放射能問題に関してもすでに世界初の原爆投下で、
広島・長崎に落とされるんだぞ。
その時から放射能汚染を受けてきてるんだ。関西地方。
福島の原発事故が起こったとき、
じいさま 広島の原爆を爆心地のそばの病院で被爆されていた生き残りの方と話していました。
いろいろ持病を抱えていらしたが、80歳をこえても、生きていた。
その方も、何をいまさら。。。というようなことを言っていた。
いま、起こっている福島の原発事故と広島の原爆を、
同じように見てはいけないのかもしれないけれど、
過去にどんなことが起こったのかわかっていたのではないか?
それを超えても原発を造る意味があったのだろうか?
関係者はそんなことを十分理解したうえで、原発を作ったんだから
いまさら騒いだところで、どうしようもないだろうって、
とおもっていて、福島の原発事故を遠いことのようにみていた。
そんなとこで、原爆のことを思い出した。
この事件は、私にとっては、トラウマ事件だった。
小学5年の春休み(6年生になる前の春休み)
母につれられて次女である姉と三人で広島に遊びに行った。
その時に原爆資料館に連れられて入った。
その場所にいられたのは入り口を少し入ったこ所だけ、
それ以上の展示物は原爆にやられて、全身やけどの人体模型やら
いがんだ展示物。
一瞬にして、阿鼻叫喚の世界になってしまった様子を展示してあった
恐ろしくて、恐ろしくて その場にいることができなくて
ロビーに出てしまった私に母は、怒った。
「何故見ない!!」
無理やり入れられて 泣きながらみていたら、
母は、小さな子供を連れている親子連れをみて、
「あんな小さな子ですら、おとなしく見ているのに、
なんでお前はないて見ないのだ」と怒った事を思い出した。
家に帰ってから、
見れない私はおかしいのかと原爆関連の本を開いてみたが
一ページ目から、こわくて 先に進めない。
何度も、何度もページを開けては閉じてをくりかえしていた。
原爆の資料を見ないといけない?見れない私は、おかしいのか??
広島から高知の母の実家に行きその後、一か月ほどご飯が食べれなくなった。
食べない私を、祖母や叔母は なじったことをおもいだす、
母は何も言わなかったような気がする。
ともかく、食事も喉を通らなくなったくらいに怖い思いをさせておいて、
「こんなおかしい子は知らないわ」と言われた。
心のどこかでいつも封印していた広島。
私の中では、広島は「忌む場所」になっていた。
広島は怖かったんだ。
怖いんだ、こんな恐ろしいものは見たくはないと言えなかったんだ。
自分の感情を素直に出すことができなかった、
小さいころの私を思い出して泣いた。
そこから引き金になって、母とのことを掘り出す。
『しゃべるな と 「どもり」について』
なぜ私は、吃音になったか?
しゃべてはいけないから。
宗教をしていた我が家では、
大人たちが集会をしている間は、おとなしくしていないといけない。
六畳二間の襖を隔てた部屋の中で声を出さずにしていること。
家の中では、
それ以外でも母の機嫌を損な言わない様にしなくてはならない。
いつも「お前のせいで体の具合が悪くなった」と言われた。
母の思いとおりにしないと 何時間でも片足で立たされた。
もしくは閉じ込められたり、食べさせてもらえなかったり、
外に放り出されて泣いても叫んでも、家の中に入れてはもらえない。
母は、子供に選択できないことを要求する。
そして子供に嘘をつき、試すことをする。
約束をさせておいて出来たかを確認するのに、
「〇〇さんのおばさんは、していないと言っていた
△のお姉さんは、ふざけてたと言っていた」
なんで、その人たちは私がやっているのに、
やっていないと、母に嘘を報告するのか? 理解できない。
母は、とにかく悪口をいう
でも悪口をいう人の前では、笑って仲良くしている。
どうなっているんだ?
何が本当で何が嘘なのか理解できない。
社会をどう見るか 常に困惑していたようだ。
私は、大好きな母の要求を通すことで、その他から苛められる。
そんな子供時代だった。
感じていることを素直に表現した事があったか?
思い出はない。
感じたこと、怖い。
楽しい うれしい。。。。
そんなことを声に出すと、
おかしい 頭がおかしい うるさい しゃべるな。
いつも、頭ごなしに、怒られていた。
自分が素直に表現することを、止められていたから、
吃音になってしまったのではないか?
それと、絶対である母の前で、どう表現すればいいのか困惑して
心と言葉がつながらなかったのではないか?
思いが伝わらない。
声が出ない。
しゃべれないという苦痛というより困ってしまう現実。
そう、私はいつも、どうしていいのかわからない状況の中で生きていた。
そんな困った状況を理解してはもらえず 一人放置されていた。
反論したくても言葉が出る前に出てくる思いは、
恥ずかしい、周りの人に対してみっともないし異常者と思われるのでないかと、
他人の目を気にしてしまう癖が出来上がった。
〇トラウマその2
どうしても、つまずいてしまっていた事件
中学一年のときの新興宗教がらみの事件。
当時 我が家の絶対条件は信仰であり、伝道であった。
神様に祈れ、ということと、地域の集会に出ることが絶対で、
伝道することはすべてにおいて優先されていた。
当時、自分の友人を集会に誘ったために、その子が私の家に泊まりに来たことで、
のちに、その子の叔母が、言いがかりをつけてきて、
(家庭環境の複雑な子で祖母に育てられていた子だったので叔母が出てきた)
「嘘をついて泊まらせた、宗教に誘ったのか?」などの言いがかりなのか、
なぜ怒鳴り込んだ来たのかは、今でも理由は思い出さない。
とにかく 意味がわからないまま、学校を巻き込んだ事件になった。
友人に裏切られたこともさておき、
その時の母は、事態の収集のため学校へ話し合いには出来てきてくれたが、
その後、私を殴りまくった。
気に入らないと言っては、殴り
とうとう、手にもっていた包丁で頭を殴りつづけた。
(さすがに刃はむけてませんが)
そして殴られ続けた為、私が学校に遅刻したこともなじった。
私が時間を守らないのでなくて、
殴られていたので家をでれなかっただけなのに、
学校の先生に遅刻したことを怒られて、
「母に殴られて遅れました」なんて言えなかったのが苦しかった。
(書きながら思うこと。
わが母は、私が常に、罪悪感を持つように、よく調教したもんだな。)
その事件に関して、事あるごとに整理しようとしたが、
なぜ、母が一番優先し、最高であると教えてきた事(布教活動)を
やった子にたいして、暴力をふるい、怒ったのか理解できなかった、
私は 頭の回転が悪いので 勉強ができないから理解できなかったのか?
何故?
何がよくて 何がダメなのかわからなくなっていた。
いつも混乱していて、どうしていのかわからない
母の言うこととを聞いていたら混乱してしまう。
何をきっかけで思い出したのか、
手元のノートに書いてないのでわすれたが、
母はとにかく感情的。
気に入らないとヒステリックになる。
おそらく理由なんてない。
母の支えであった新興宗教の信仰のことをナジラレタ。それだけ。
それだけで そこにいた自分の子を、
ストレスのはけ口として殴っただけ。
私は、母の感情のはけ口として殴られるために存在している子供。
なんだ、、、
この事件で深い理由はなかった。
ただ、母は鬱積したものを吐き出すために殴っただけなんだ。
そこに行きついたとき、
なんだか肩の荷が下りた気がした。
どうしてほしかったか?
友人に裏切られた傷心の私を慰めてほしかった。
一緒に泣いてほしかったな。
たぶんしてくれたとは思うけど。
かすかに記憶にあるけれど、殴られたことで、「帳消し」だ。
こんなことを思い出しながら、
私は起こってる出来事に対して
特に、大声でどなられたり、詰られたり、たたかれたりしたら、
思考停止になる。
なんで怒られているのか、殴られているのかわからない。
理由が知りたかった。
なぜ 殴られるのか。
なぜ、起こした行動に対して、いつも、怒られるのか?
理由なんてなかった。
母は、感情のはけ口としてだけしか私の存在を見てなかっただけ。
そこに、何に言わない 弱い子供がいただけ。
反抗せず、殴って、すっきりするするだけのためにしただけのこと。
なーんだ、
それだけだったんだ。
私が悪いわけでも、母を困らせる悪い子でない。
感情のはけ口だけだったこと。
変な話だが、理由が理解できて本当にすっきりしたのだ。
☆この事件を思い出したときの日記から
なぜ殴るのか
なぜ殴ったのか
殴るなんてものでなくて 暴力だ
理由なんてなかった
そこにあっただけだ
自分の感情を吐き出すための物体がそこにあったから
それだけだったんだ
さぞかし気が晴れたことだろう
よくも、汚物の掃き出しに使ってくれたものだ
私は悪くない
ただ 腹が立つ
むしゃくしゃする
それだけ
「伝道」がすべてだ、といいながら
伝道が素晴らしい生き方だと言いながら、
それをした子供を殴り、罵倒し、罪悪感を埋め込んだ湯すせない行為
やれよ 自分で
うるさい、だまれ、しゃべるな
私にかかわるな
私の中に入るな
私はお前のモノではない
一人の人間だ
自由意志を持つ人間だ
モノではない
・・・・・・・・・
これを書いた一か月ほど後、
実家に用事があり、母と会った。
良い機会だから 「母の子供時代の話」を母本人からをきいた。
母は、・人兄弟の三番目として産まれた。
いつも「いらない子」といわれ、
美人で賢い長女と比較されていた。
わたしは(母)不細工で、花のような明るい姉がうらやましかった
とにかく 親に殴られて育てられ、
辛くてつらくて、死にたいとばかりおもっていた。
戦争が終わり 引き揚げのとき、
姉はきれいな着物をたくさんカバンに詰めた。
帰国したら分けるからといいながら、自分の荷物は、工具や実用品ばかり。
きれいな着物なんで一枚も分けてはくれなかった。
姉にだけ、兵隊さんも飴やチョコをあげていたけど
私にはくれなかった。
ここで、母が仕事をしていたころの口癖を思い出す
↓
「職場の誰それさんは、私にお菓子をくれない。
他の人にはあげるのに、私には分けてくれない」
こればっかりいってた。
お菓子くれないは母のトラウマか。。。。
姉は良いところに求められて嫁にいってしまい、
私は残された弟妹のために働いていた。
いつも姉の影で比較されて貧乏くじを引いてたの。
↑ あら、これも同じじゃない。
あなた、次女と私の間で差をつけながら育てたよね。
華やかな明るい次姉はいつも、おいしいとこ取りして妹を虐げてたわ。
「でもね、そんなことがあったから、私は神様と出会えたの。
信仰に生きることができたの」
そこで会話ストップ。
聞いてられない。
でも見えた。
生きる支えにしていた世界に、私が入り込んだことが許せなかっただろう。
それを子供を通して否定されしまったものだから、
その事をおこした子供を殴っただけでした。
まあ、あなたの世界に入り込んでごめんなさいね。
いまなら言える。
もう、はいらないから 安心してね、と心からおもった。
*********
〇スケッチブックに関して
正直50%を超えたあたりからかけなくなった。
なにをどう書けばよいのかわからない
スケッチブックを用意しても途方に暮れてしまう。
桜の間でスケッチブックのことが描かれていて
あらためてチャレンジ。
とにかく なりたい自分を書こう。
イメージでもいい。
色鉛筆を取出し、
「なりたい状況の私」のイメージを書いた。
どうもきちんと書かなくては、難しく思い込んでいたようだ。
書いた自画像。
いい感じ。
書いた後から、上記のようなトラウマがぽろっととれた。
忘れていた記憶が出てきた。
スケッチブック、、、すごい効果。
まだ、未来までは行きつかないが、
いま、どういう状況でいたいか?
どんな部屋に住みたいのか?
環境でいたいのか?
そんなところから攻めている。
住みたい部屋について書いていると、
現実とのギャップが目について、
掃除をし、いらないものをかなり捨てることができた。
書くことで、動くことが出来た。
やっぱり家を出よう。
怖いけど。。。
旦那と改めて話し合いをして、約束させることができた。
息子の部屋をかたづけて 息子を部屋で寝るようにすること。
(自分は一人で三部屋を占領をし、ひとりで寝て、
二十歳になる息子、17歳になる娘が、
母親と三人で一部屋で出ていることに、何の違和感もないそうだ)
部屋を明け渡すことを5月中にすること。
それができない場合、
私が出ていくことに対して恫喝しないことを「誓約書」に書かせた。
誓約書なんて、なんにも意味がないことは承知のうえで、
あいつに書かせる事が大事だった。
いままで、無理やりやらされていたことを、
約束させられて出来ないと言っては、詰られていたのだから、
誓約書にサインをする時のあいつの顔を見ていたら、
うれしくなって 顔がにやけてしまった。
ここまでしないと動けない私は、情けなく思うが、
いままでやられっぱましだったけど、
やり返さすことができたのがうれしかった。
旦那は、どうせ、できないし
やらないだろうし、
あいつも、まさか、私が出ていくとは思ってないと思うけど
いざ、出ていくことが、目の前にでてきたら、こわくなった。
胸に感じる圧迫感
意味のわからない恐怖感
そんな圧力を感じる。
そこで、桜の間に紹介されていた動画を見た。
圧倒された。
染森さん (以前ならば)嫌いなタイプだ。
屁理屈こいて、文句ばかりいう、クレーマーだと、
以前の私なら、判断していただろう。
そして、最後まで見た。
この人 怖い。。そんなこといったらあかんねん。
批判されて、社会で生きていけなくなるやん。
『違和感』を感じながら、みていた。
頭のなかで声がする。
旦那の顔が浮かび、旦那の声がする。
「こいつは おかしい。
社会に楯突いているだけで 頭のおかしいクレーマーだ
こんな奴の話を聞くのは無駄だ・・・・
社会の落伍者で、まともな奴ではないろ
いや、この声は、旦那の声をかぶった、私の心の声だ。
ごまかしてはいけない。
そんな声を抑えながら見続けた。
大企業にたいして おかしいことはおかしい。
名前を公表し、自分の意見は隠さずいう度胸。
責任の取り方。
そんなことしたら、社会から批判されて、一人ボッチになる。
全自我で生きるということは、
自分をウソ偽りなく生きるということは、
社会的な後ろだてもなく、
一人ぼっちになっても貫く意志の力がいるんだ。
私はまだできない。
怖い。
一人は怖い。
社会から批判されてはみ出すことを恐れている。
これが全自我の生き方なら
できないーーーい。
自我復元できなくてもいいとさえ、思ったくらい。
そんな人を見ることは恐ろしい。
それでも、見終わったあと、心が動いた。
一種の感動だ。
彼の、彼自身の責任の取り方が理解できた。
今の状況はよろしくない。
その状況を選んだのは、われわれだ。
謝罪したい。
それを実行するために選挙に出る。
当事者になる。
そんな彼の姿を見て、すごいとおもった。
そこで、私自身を見て見た。
どんなに偉そうなことを言っても、
自分より強そうな人と判断したら、
悪いことは悪いとは言えない。
相手を自分より弱い相手だと思えば、なんでも言える。
そして弱いと判断した人に対しては、
自分はできるんだぞってアピールしまくり満足する。
わわわ・・・
母と同じだ。
全自我には、まだ道のりは遠いなと、落ち込んだ。
とにかく
外圧に弱い。
何か事を起こすときのプレッシャーが半端なく怖い。
今の社会生活のなかで存在することが、
他人からの視線や批判されるのではないか、
殴れて、威嚇されてしまうのではないか、
生きていけないのではないかの不安に襲われる。
これと戦わねば、はねのけないといけないのか。
いつも襲てくる漠然とした不安の正体は、これだったのか。
初めて自覚できたような気がした。
これは、自我復元の効果なのだろうか。
この半年は、
今、わたしが見ている世界、
置かれている社会を、
真っ向から自覚する時間だったようだ。
なんとおかしくて、不条理な世界だろう。
母の鬱積した感情に汚染されていた自分。
素直に表現できない私。
鬱積してしまう私。
跳ね返せない私。
この世界から抜け出したいのに出られない私。
跳ね返せるのか?
とにかく自我復元をして、
全自我になるしか答えは出ないのだろうと思う。
だんだんと 自分自身がひどい人間のようにおもう。
医療関係の職場にいるのに、
だれも、助けないし、助けたくない。
他人が死のうがどうなろうが関係ない。
関わりたくない。
天使のように弱い人、困っていいる人を見つけては、
手を差し伸べるということができなくなった。
優しい医療関係者の仮面が、かぶれない。
仕事上では 職業倫理にもとづいて患者に接するから大丈夫だけど、
職場を離れたらできない。
以前ならば、ひどい人間だろと責めていたが
やらなくてもいいんだ、やる必要は無い、
そう認めたら、体から力が湧いてきた。
嬉しかった。
母の代理をやめることができた。
以上報告でした。
まだまだ道のりは遠いようだが、
今の状態を確認するうえで、
判定をおねがいしようと思いました。
判定宜しくお願いします。
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