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★分割自我復元★その224■ 「吃音(どもり)」の改善と自我復元*その他、おたより など■
by:
鈴木崩残
2013/06/16(Sun)03:29:55
>6/16 9:20 「梅の間」と「松の間」も追加や更新をしました。
* * * * * * * * *
「おたより」
●わりと重篤な吃音(どもり)があった方に質問してみました。
> ところで、ちょっとお聞きしたかったのは、
> 「吃音」の変化は、その後どうですか?
> 数値化した場合に、10を最悪とすると、現在どれぐらいですか?
*********
崩残様
波はありますが、10が最悪だとすると、2から3ぐらいです。
明らかに少なくなったのは、
蓋を力ずくで、こじ開けて、発声するようなやり方で、
最悪な時はこの方法でも、発声することができませんでした。
最近は、吃音となりそうな状態の時は、
発声の為のチューニングが整うまで、間を置いてみたり、
何故、今、焦って吃音してまで発声しようとしているかの原因を、
把握するようにしています。
以下、吃音について掘ってみました。
焦りの原因は、失敗する自分や、
自信の無い自分を他人に見られたくない、見せたくない、
という思考もありました。
何故、見せたくないかというと、
それを見られることにより、自分が恥ずかしい思いをしたり、
みっともない思いをしたくないというのが、理由です。
恥ずかしさや、みっともないと設定している、
他人に見せたくない自分が、他人の前で出てこようとすることに対して、
焦りが発生し、結果吃音となっていた場面があります。
吃音が減った理由としては、
思いの発生の認識から先の思考が変わったことが大きいと思います。
恥ずかしい思いをしたり、みっともない思いをするのは、
これまで、吃音することで思考まで止まってしまい、
それから先の対処方法を構築した経験がとても少ない為だと考えました。
その時は、失敗したと思ったにしろ、みっともない思いをしたと思ったにしろ、
それを挽回する為には、止まらずに次の手をうつべきだと考えたり、
そもそも、自分にとっては本当に失敗だったのか、
みっともなかったのか?と検証しています。
そして、最大ともいえる理由は、
みっともない自分は、他人にも見られたくないですが、
一番見たくないと思っていたのは、「私自身」だったことです。
私自身が観ようとしなかったので、
対処方法の構築経験が少ない件に関しては自己責任です。
これは、以前に、崩残さんから、
自画撮りの事を教わり、実験したときに思ったことです。
また、アーチェリーで自画撮りをし始めたときにも感じました。
理想と違う自分は確実に存在するのに、それとの乖離を無くそうと、
腰を上げ対処してこなかったことも原因だと思います。
対処するには、まずは、
「こんなはずではない自分を直視する必要」があったのですが、
こんなはずではない自分を観るのは、とても嫌でした。
見なくていい理由として、
問題があるときでも、なんとかうまくやれた成功体験を何度も思い出し、
思考に占める不満の割合を、視点コントロールを活用し、
意識的に少なくすることで、
「それに対しての不満は少ない」
と思える(すでに誤認ですが)、状況を作り出しといて、
「不満が少ないのなら、対処する必要は無い、
そして、見たくないのにわざわざ見る必要はないのだ。」
とか考え、
成功体験と視点コントロールで、不満を薄めて、
「なんだか大丈夫そうだから、ここには問題はないことにしよう。」
とか、思考していました。
これが間違いです。
時には、そこを見たくないが為に、
別の場所を掘っていたり、関心を向けたりしたと思います。
目の前に問題はあるのにも関わらずです。
これは、もしも問題に直面したら、
今の自分では対処できないのではないだろうか、という巨大な不安がありました。
巨大すぎて、自分は対処できないと諦めたかった。
だから、目を逸らせた。
両親からの影響としては、
私は吃音やトラウマの為、聞き手に回ることが多かったので、
都合よく愚痴や不満の捌け口として使われていた面があります。
その他、両親自身が聞き手に回らなければならなくなるぐらいに、
もしも私が喋り出したり、自己主張しだしては困るので、
具体的には吃音に関して手を下さず、
「そのままでいい」と放置していた面もあると考えました。
また、時々、「お前にはみな一目置いている」などと、
放置しているという両親にとっては都合が良く、
しかし、私には知られたくない事実から目をそらさせる為の褒め言葉を多用し、
意識を逸らせることで、私も自分達も誤魔化してきていたと思います。
このように、自画撮りでは、見たくない自分を知ることができましたが、
見たくなかった自分を見て出てくる、どんな問題でも、
受け止めて対処できる可能性が私にあることを、初めて知ったのも、
自画撮りからでした。
GW中に撮影した崩残さんからコメントをいただいた、
「無心の応用」の動画です。
そこには、これまでの、「こんなはずではない私」ではなく、
「私の知らない気配」を出しながら、
私の技術を越えた結果を出す私の姿がありました。
それを見て、
「この人なら何があっても大丈夫。」
と思えました。
写真や動画問わず、自分の姿を見て、こう思えたのは初めての体験でした。
しかし、未だに未成功で使いこなせていないのが、不満でもあり、
また、これから何が出てくるかが、楽しみでもあります。
*********
●あと、下記の自我復元ブログの最近のコンテンツから、
特に重要と思える部分を一部だけ抜粋しました。
*********
★「s020」さんのブログより抜粋
http://blog.goo.ne.jp/hakodate2012
■自分の意識の中で起こっている大地震の、
その震源地に飛び込んで、揺れを体感せよ。
その秩序崩壊の真っ只中にダイブせよ。
でないとトラウマ怪物の毒の質がわからない。
それこそが真の勇者だったのでした。
臆病者の私は、いつも、修羅場の現場から逃げていました。
苦痛があるのは、
症状が起こっているのは、
トラウマの怪物がいま現場に居るという証拠なのでした。
だから今いかなければならない。
今行かないと捕まえられない。
冷静で、穏やかな意識状態で体調万全で、
晴天で視界良好のそのときにピクニック気分で
トラウマ怪物を退治にでかけていったとしても、
そのときに怪物はいるわけがない。
苦痛がないときは、症状がないときは、
そのときはどこを探してもそこにはトラウマの怪物の姿は見つからない。
震源地がいないから地震の揺れを感じない。
つまり、地震のないときに震源地を探しても震源地はない。
この物理現象の因果関係は、しごく当たり前のことなのでした。
でも、精神分裂のトラウマを退治したい、バスターの立場の私からすれば、
これは、まったく困ったパラドックスなのです。
苦痛が起こったときしか、トラウマ怪物は現れない。
私の場合ですと、
「精神分裂が起こったときしか、トラウマ怪物は現れない。」
言いか方を変えれば、
「精神分裂が起こって、物事に集中できなくなって、
トラウマ掘りなどどうでもよくなっている、
そのときにしか、トラウマ怪物は現れてくれない。」
ということなのでした。
同様に、
「記憶障害が起こったときしか、トラウマ怪物は現れない。」
「記憶障害の意識の濁りが始まり、脳に薄膜がかかってぼやーっとなり、
トラウマのことなどどうでもよくなっている、
そのときにしか、トラウマ怪物は現れてくれない」
症状が発生したとき、
まさにそのときがトラウマ怪物が出現した合図なのでした。
そのときに即出動しなければなりません。
症状が始まったら、
トラウマ怪物に出会える千載一遇のチャンスとばかりに勇んで
その苦痛の宮に分け入る、
そういう姿勢がないと、
トラウマ怪物の正体をつきとめることはできないのでした。
そして、この危険なダイブは自我率が向上しないと実行するのは無理でした。
他の方はいざ知らず、自我復元以前の私には、到底無理でした。
*********
★「マディア」さんのブログより抜粋。
http://jigafukugen1987.blog.fc2.com/blog-date-201306.html
■前回の判定時、半年前の私は、復元によって、
どんどん変化してくる自分を見ているのが楽しく、
一つ一つの変化が嬉しくてしょうがないという感じで、
ウハウハしていました。
現在も、変化を感じますし、それはこの上なく嬉しいものです。
しかし、この半年間、
私は、今までほったらかしにしてきた自分の一部を、
ものすごく居心地が悪く思い、その居心地の悪さが取れない限り、
私は、このままの私では喜べないと思いました。
それは、自分にこびりついている、親の、社会からの刷り込みです。
それが暴かれない限り、それらは私の中でのさばり続ける。
それらは、他人との関係性の中で、ハッと気づく事もありますが、
やはり私の場合、ノートに書く、ということが、
それらを炙りだすための武器になります。
・中略・
不思議と、ノートには毎日引き付けられ、自分の事を書きます。
自分の事を書いているうちに、どんどん話が四方に広がり、
自分でも全く気づいていなかったことが言語化されることがあります。
文章で自分の事を書いていると、私は、ほんとうに今まで、
自分の管理をしてこなかったなと思います。
ウヤムヤにしてきたこと、ちゃんと考えてこなかった事、
それが突きつけられます。
・中略・
とにかく、
自分の中から、自分が考えうる以上のものが出てきたとき、
その瞬間、全てが真っ白になるような、圧倒的なドキドキ感があります。
その感覚が、私が生きていて、最も興奮する瞬間であり、
自分が持っている素質の中で、最良のアプリケーションだと感じてきました。
自分の中のベストな素質だと感じていても、
思ったように満足のいくものができることは、稀でした。
様々な方法を試しては、その打率を上げようと必死でしたが、
何をやってみても、効果テキメンなものはありませんでした。
この復元の「底上げの度合い」を考えると、
ほかの自己啓発系のメソッドなど、
ただの思い込み、気のせい以外の何ものでもないと思います。
*********
●今回のこのお2人の報告には、
他の自我復元者の人たちが、それぞれの自我率の高低に関係なく、
自我復元と併用する作業について、重要な事が書かれていますので、
抜粋しました。
これらのブログの原文を読んだ方がより正しく理解できます。
☆もうひとつ「おたより」☆
「梅の間」のレシピにあった「なめこ」をいただきました…
おいしいっ!ビン詰めの、あのお味です!
今日は、ご飯が、やけにウマかったです(*´∀`*)
それと「桜の間」の「乳鉢」を、頭に乗せてみました。
糸底が小皿くらいで、しかも、茶碗より重量がある!
コンパクトだし、乳棒もあるので、あっ!という時に使えますね。
すごくいいです、これ。
・中略・
その食事中に、ちょうどネットの動画ニュースを見ていました。
東北の被災地に、
人々の募金活動によって集めた資金で漁船が贈られたそうです。
この船で、三陸沖で漁をするそうです。
町長は、「この漁船で取れた魚を、首都圏の人たちに食べてもらいたい」
だとかそんな事を言っていました。
あんたそれ、本気で言ってんの?
という、
なめこ飯を食っている中での出来事でした。
☆世の中が絶望的なのは、もう当たり前のことになりましたが、
その絶望的世の中にいると、感覚が麻痺してきます。
それに対して怒る気力が湧かなくなりました。
気力のあるなしはアップダウンがありますが、
全体的に、
「もうこの世界に対して出来ることはないし、
あったところで、それをやっても変わらないのだから、
自分が地球脱出することだけ考えて、あとは関わるまいよ。」
という具合です。
原発事故のおかげで、人生の邪魔をされている状態ですが、
日常生活でなら、わたしの邪魔をする相手はやっつけます。
ですが、この事故では、相手をやっつけたところで
事故の収拾がつくわけでもなし、何をしても、どうにもならないんだな、
という思いがあります。
☆そういう世界で、わたしがすべきこと、できることは、
自我復元とその記録を公開することで、
これは、自分が地球を脱出することがまずメインですが、
そのデータ提供と、他の実習者の参考やモチベーション維持のため、
そして何より、自分が楽しむため、という位置づけをしています。
それから、自分の好奇心を満足させるための活動。
残り時間はどれくらいあるのかわかりませんが、
出来る範囲でやり尽くそうと思っています。
そうやって整理すると、
社会のことにはさほど関心を持たず、危機感も無く、
週末のカラオケとか飲み会を楽しみにしている多くの皆さんの生き方は、
わたし好みではないのですが、なかなか合理的なのかもしれませんね。
社会に対する働きかけは、無意味だとは思いませんが、
社会に対して何かをしようとは、今は思えないです。
☆
マディアさんとs020さんの最新記事は、読み応えありました。
わたしにも掘るべき箇所があります。
この間のメールに絡むところです。
最近、新たに刺激されました。
_______________________________
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