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[225]
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★分割自我復元★その225■ 三つの話のうち、まず二つ ■
by:
鈴木崩残
2013/06/18(Tue)03:53:32
語るのに私の気が重くなる3つの話
●ここのところ、自我復元の実習者の人たちとのメールのやりとりを通じて、
どうしても、書かなければならなくなりそうな3つのテーマがあります。
しかし正直言うと、面倒な話に通じてくるので、気乗りはしません。
その3つのテーマとは、
1/原型自我だった時代の地球の話
2/それに関連して、原型自我だった時代に戦争が持っていた利点
3/環境を滅ぼす為に投入される完全体の「女性」の化身について。
特に3については、語りたくありません。
語りたくない理由は、
皆さんは、そういう女性を今の地球で目にする機会がないことと、
知っても、何にも応用できないことという意味では、
今では、都市伝説のようなものにすぎないからです。
人格がなく、まるで元素のように、ただその「特性」のみが存在する、
そういう存在は、人間には定義できないのですが、
かつて古い時代には、稀にそういう「女性」がいました。
私は、それを、昔、「メラクリオン−プロトタイプ」と名づけていましたが、
今では違う名前で呼ぶ必要があります。
メラクリオンは「万物の姉」で、三人姉妹の長女ですが、
私が語ろうとして躊躇しているのは、その親の万物の「母」だからです。
これは、凝固作用以外の目的をもっておらず、
知性ある生き物を、永久に同じ思考を繰り返す「物質」に変換する
ということが、その本来の目的です。
象徴的に言い換えると、
「彼女が、歩いた跡には、
すべての”精神”が枯れ果てた、不毛の大地だけが残る。
かわりに、この世界は、不動の物質で、満たされる。」
ということになります。
極端に、精神や知性が失われる代償として、
豊かな物質が安定するということです。
●もしも、これが、それが干渉するのにふさわしい適切な惑星ではなくて、
地球のようなタイプの惑星に投入されると、
この「無知性の妖女(というより完全体の魔女)」に、
主に、男性が完全に食い物にされ、最後には完全な環境破壊に至ります。
(注・これは、リリスではありません。それとは別です。
リリスには性別はありませんが、「メラクリオンの母」には
性別があります。それこそが、恐ろしい点なのです。)
かつて、今よりも、
もっと「性別がはっきりと分かれていた時代の地球」では、
活用することもあった特性なのですが、
今では、精神的な意味での男女の区別が悪い意味でも曖昧ですから、
この力が投入される機会はありません。
でもこの話は、応用不可能な話題なので、先延ばしします。
この手の「妖女」は、地球では、不毛な破壊しかもたらさないので、
私ですら、自分の身近に置きたいとは思いません。
(彼女に出番のない「今のところ」は、ですが。)
*********
今回はその重い話よりも、まず「1」に、からむ話をします。
★話「その1」★
まずは、
「お姫ちゃん」さんの最新の↓この記事をきっかけのひとつとして。
http://haripoteko.exblog.jp/20380754/
>>特に目上の人に対して、意見を言う事は絶対にしては行けない事、
>>という思い込みが私にはある。
●目上の人だけではなく、年下に対しても、異性に対しても、
誰に対しても、問題なのは、人間の癖、というより社会の癖として、
1/相手に対して、まず自分の側から、勝手なレッテルを貼っている
2/相手の方がその自らの肩書きや立場に固執して主張してくる
大雑把には、この「二つ」があります。
前者は、社会的なものというより、自分の側の思いこみです。
相手が付き合っている異性だと、
「恋人だから」「夫婦だから」「知人だから」、
だから・・・として自分が扱われるのは当然で、自分も・・・していい、
という思い込みです。
また、年下の子供を見て、「子供だから」と決めつけるのも
年寄りを見て「年寄りだから」と決め付けるのも自分の側の思いこみです。
後者は、社会的な面が多々あり、相手は、
「上司だから」「教授だから」「医者だから」「専門家だから」
と、まず相手の職業や、相手が持つ技術を評価したり、
もっと単純に言えば「どっちが社会的な脅迫行為をするときに強いか?」
という、悪い意味での弱肉強食の世界です。
これは、主に相手側が、あなたに対して主張してくることが多いでしょう。
「雇われている身なのだから、この私に、意見をするな」
というものです。
また相手は、
特に自らの肩書きや経歴や技術や年齢を、本人は全く気にしていないのに、
あなたの側が、相手に引け目を感じてしまう場合もよくあります。
●こうしてみると、とてもおかしな人間関係が出来ていることに
誰もが気づきます。(いや、気づかない人が多すぎるのですが)
そこで、私は、心情的には、お姫ちゃんさんに、
【相手から、肩書き、立場、年齢差、技術】これらを全部とっぱらった、
相手のキャラクターだけで、相手を見なさい、ということです。
「親」というものをどけたら、1人の人間として相手はどうなのか?
「何かの先生をしている」というものをどけたら、人間としてその人はどうなのか?
「上司として」というものをどけたら、どうなのか?
さらには、
「子供」というものをどけたらどうなのか?
たとえ、何かの優れた技術を実際に持っていて、
しかも、誠実で謙虚で、本当に尊敬に値するような人でも、
その人から、その技術をどけたら、どうなのか?
●そうした、社会的な立場、肩書き、年齢、技能といったものは、
むろん、その人のキャラクターと関係しながら出来上がったものではありますが、
それでも、あえて、「キャラしか見ない」ようにするのです。
そうなると、たとえば、武術家が事故で、武術が出来なくなったら、
その時、その人は、人として見て、どうか?
画家が筆をもてなくなったら、その人は人としてどうか?
その人が、財産を全部失ったら、その人は人としてどうか?
その人が、あなたの親や親族でなかったら、人としてどうなのか?
その相手が、占い師や、霊能者ではなかったら、人としてどうなのか?
その相手が、権力を持っていなかったらどうなのか?
つまり、相対する相手から、「はがし落すもの」は、
年齢、性別、立場、職業、技能、全部の「何もかも」です。
その人の心情、思想さえも、はがしていいです。
するとそこに残るものがあるのか、ないのか?
残るものは何であるのか?
このことを、いつかお姫ちゃんさんは、考えてみてください。
●たとえば、私は、自我復元など発見しなかったとします。
私が、手裏剣など投げていなかったとします。
私が、性や、精神世界の本など書かなかったとします。
私が、メール相談などしなかったとします。
私が、まだ20代だったとします。
私から、私が「やった行為」や過去の実績を全部取り払ってみる場合、
この想定自体が、少し難しいことは分かります。
なぜならば、私だって、個別に皆さんについて持っているイメージは、
主に、メールに書かれていることからの推測だからです。
ただし、それでも極力、年齢差も性別差も、学力差も、知識差も、
経験の差も、排除して、「あるもの」に注視しています。
それは、簡単に言うと、その人のキャラなのですが、
そもそも、人の「本質的なキャラ」とは何なのでしょうか?
●あくまでも、ひとつのたとえですが、
「立場やレッテル」というのは、
その人が着ているものや、持っているものです。
たとえば、工務店の人は、つなぎを着て、工具を持っています。
その外見は、その人の職業を表すものです。
その工務店の店員としての外見が、
その人の肩書きや年齢や経験や知識や実力のようなものだとすると、
その人が、裸んぼになったときや、
何もかも忘れて、夜に、いびきをかいて寝ている時、
「その時に、その人はどうなのか?」ということを、私は見ていると
思っていただいて構いません。
●むろん、その人のそのキャラは、
その人の経験や立場が作ったものもあります。
また、その経験を、その人が、
「どう生きたかの結実」が、結果としてのキャラを作ってもいます。
一方では、その人の経験や立場が作ったのではなくて、
逆に、「もともとそのキャラがあったから」こそ、
その人は、そういう経験をしてしまったり、実力を持った、
というものがあります。
私が主に見るのは、より原因として支配的な「後者」です。
●ですから、むろん、社会的には、相手をキャラだけで扱うのは、
無理があるのは分かりますが、
実際に、自分の言いたいことを口に出して言うか、言わないかの
それ以前に、自分の側が、相手からの押し付けによってであれ、
自分の側の自爆によってであれ、
相手にレッテルを貼って、その上で利害関係を図っていることに注視してください。
そして、次に、相手から、前述したような、
年齢、性別、職業、技能、経歴、そして外見、
そんなものを全部、丸裸にしたら、相手は、あなたから見て、
人として、魅力があるのかないのかです。
または、人として、まともなのか、狂っているのかです。
これは、親や、上司だけではなく、あらゆる相手に適応できます。
自分よりも年齢の低い人や、子供にもそうです。
同居人に対してもそうです。(同居人というレッテルを外したらどうか?)
ふと見かけたご老人や、他人に対してもそうです。
いろいろな人があなたに、これからもレッテルを貼るでしょうが、
いろいろな人に、貴女も、レッテルを貼っていることに気づいてください。
そのレッテルの、よしあしや、合っているか違っているかは、
それは、また別問題です。
重要なことは、
相手に張ったレッテルが、または自分に貼られたレッテルが、
正しいのか、間違っているかが、ここでは問題ではないのです。
そうでなくて、
>レッテル自体を、全部「引き剥がす」とは、どういう作業であるのか?
>そもそも、相手のどこがレッテルで、どれはレッテル部分ではないのか?
>引き剥がしたときには、何が相手の中に残っているのか?
>この自問の作業から、見えてくることは、
>立場や、技能差を越えたところで相手を見ようとした時に、自分は、
>相手の「何を評価」したり、「何を軽蔑」したりしているのかという要点です。
>それとも、何十年も生きてきて、自分は相手の事も、
>(相手が立場を主張したかしないか、に関わらず)、
>立場や肩書きでしか人を見てこなかったのか?という自己観察です。
これを自問することが大切です。
●一般的には、相手の後天的な技能や才能までも含めて、
そういうものを全部引きはがすと、
残るのは「性格」と呼ばれるものです。
「性格」というのは、その定義も、かなり曖昧なのですが、
そのようなものが現存する事は確かです。
●たとえば、その人が「痴呆症」になったときに、
それは顕著に現れるのかもしれません。
そこまでいかなくても、
世の中には、性格のいい人というのは、稀にいます。
その人が、たとえ、
「知識がなくとも、経験が浅くとも、技量がなくとも、
苦労知らずでも、年齢が若くても老いていても、
外見が不細工でも、男女のどちらだったとしても、」
どう転んだとしても、「性格が良いだろう」、
と推測できるような人が稀にですが、います。
まー、こういうのは、たいていの場合には、
その人の、声質、口調、表情に、表れており、
次に現れるのは、行間に含まれる意味をも含む「文章」です。
「お姫ちゃん」さんへの話としてはは、ここまでです。
*********
●しかし、いくら自分の側が、意識を明晰にして、
他者にレッテルを貼らずに観たとしても、むろん、相手はそうではない、
そして、そもそも、自分がまっとうに見たり、行動しても、
世界そのものは、悪化し続けるという話が、次の、やや気が重い話です。
*********
★話「その2」★
次は「戦車さん」との、ここ数日のやりとりですが、
もしも本人から補足すべきと感じたことがあれば、戦車さんが
自らのブログで補足すると思いますので、
私はざっと書くに留めます。
このやりとりに来るまでに、具体的なエピソードがあるのですが、
その部分は、はしょります。
*********
社会的な、競争社会の場で生きている時には、
ふふん、来るならこいよ。やっつけてやるから。
と思ってしまいます。
最初から戦いを望むわけでもなく、
テキトーにニコニコして、要らん争いは避けるように動きますが、
わたしは、その手の戦いは、嫌いじゃあないです。
自分からは吹っかけないし、
こちらに落ち度があったら詫びるので、
争いになる時は、「自分正しい」と思っている状態です。
それで、これも一種の思い込みとか、
思考の癖に関わる問題かもしれないです。
わたしは好戦的なので、
そこらへんの思考の動きには少し注意を払っています。
*********
●桜の間の読者の人であれば、戦車さんが、ただの好戦的なキャラではなくて、
出来るだけ、「仁義ある戦い」だけを選び取っている、
というのは分かると思います。
そこに正義感や、筋が通るとか通らないがある、ということが、
その戦車が「砲撃をするか否か」に関わってきます。
ただし、今年の春のヒラー事件みたいのがあって、
「原始的な穴」ではあるものの「落とし穴」に戦車がはまると、
肝心のキャタピラが、機能を喪失しかねないので、
これからは、プレデターにモデルチェンジ中ということです。
●それで、私も若い時分には、どちらかと言えば、好戦的であり、
全自我全開で生きていましたので、
礼儀なんぞよりも、仁義や正義が物事の判断の先にありました。
それは、2000年代に、私がいくつかの他所の掲示板で、
バトルをした時にもありました。
この当時の私の作業内容ついては、復元ブログをやっている人では、
「さかなさん」しか、当時の私に関する記憶はないと思います。
当時の私の、論争や戦いの動機の全ては、
「人間というのは、そこまで落ちるものじゃないだろう」
という、今にして思えば、愚かな「期待」の産物でした。
「正直すぎるぐらいに生きていれば、トラブルは少ないし、楽しかろう」
これの押し付けをやる傾向が、私にはありました。
実際、私が見てきたあらゆる人間社会、家庭内の問題のほとんどは、
嘘つきから、始まっていますから。
ただし、嘘をつかないことをポリシーとしている人たちには、
これまた独特の「原理主義的・正直教」の矛盾に陥っている人も見てきました。
知っても解決には何の立たない正直さを、他者に強要し、
理解し合うのが当たり前だという、変な思想の人たちです。
宇宙では「理解は、ほどほどにしておけ」が鉄則なのですから。
●いずれにしても、私は、
前述した「お姫ちゃん」さんへの投稿のように、
人間から「すべてを引き剥がしたところにあるキャラ」と、
それを、背後(背景)で支える意識の次元については、熟知していましたから、
どんなに、私個人から見て、愚かしく見えた人にも、
説得や、論争を控えたことはありません。
つまり、見捨てるという気がさらさらないのでした。
私は、こちらが、意識を全開にして対すれば、
相手の中の本質も誘発されて、起動し、作動すると、
疑うこともなく、信じていたからです。
しかし、2009年に、その認識は一変しました。
●今回の戦車さんへのメールは、
その「ややこしい話」を少し含んでいます。
*********
>> 自分からは吹っかけないし、
>>こちらに落ち度があったら詫びるので、
>> 争いになる時は、「自分正しい」と思っている状態です。
私も昔は、よく、あちこちの会社で、
「問題が起きているから、言うのであって、
原因を作ったのは、お前、または、お前らだろう?」
という主張を常に持っていたので、
いわば、「こちとら、正当な理由あっての戦争」だ、
という意味で、完全に「正義は我にあり」の主義でした。
よって、勝っても負けても、やったことに後悔は一切しませんでしたが、
今は少し考えが違います。
●どうも、この「正義感に基づく闘争」というのが、
やっている本人的には盛り上がり、娯楽性もあるのは、
自分の経験からも、重々分かるのですが、
さて、その効果や影響が、いったん「当事者以外」にまで波及すると、
何人、何十人という人が関係してくる、その後の「全体の展開」までは、
一人の人間である自分では、管理できません。
よって、最初に自分がつけた火種から、
次々と、予測外、想定外のことが起きることもあり、
「一対何十」という対立構造になることもあります。
最初は一対一だったものが、変るわけです。
ここが今回、戦車さんの状況で、私が、懸念した部分です。
私もそうでしたが、
「一対一のサシの勝負」がケンカのルールの原則と思っていましたが、
ゾンビや希釈は、平気で、仲間を作って、つるみます。
今回の、そちらの一件ですと、
まず最初に「突っ込み」を相手にいれると、
相手は1人ではなくて、その時点でその「仲良しコンビ2人」になります。
特に直接に、戦車さんが質疑応答したのではないもう1人(相手の知人)は、
すべての偏った情報を、戦車さんが、突っ込みを入れた、その相手から得ます。
こうして、当初は、当事者同士の話だった問題が、
別の人間を巻き込み、しかも巻き込まれたほうは、
それに至った状況を正しくは知らない。
その巻き込まれた人間が、さらに噂や、あることないことを流布する。
これが、この世界での情報の広がり方です。
という流れが起きることを、私は懸念していました。
別にそれで、自分以外の全部を敵に回すのもありで、悪くはないのですが。
>> わたしは好戦的なので、
>>そこらへんの思考の動きには少し注意を払っています。
好戦的な者の特徴は、(昔の私も含めですが)
自分の正しさを、他人または集団に対して、証明するチャンスを待っていることです。
武術家が、自分の力量を知りたくて、
「ケンカ待ち」の状態で街をうつろくのと同じです。
これが、格闘という肉体次元ではなくて、
「心理版」でなされるのが、心理的ケンカ待ち状態です。
私も、重々、身に覚えがあるので、他人のことは言えませんが、
逆に身に覚えがあるので、展開として予測が可能なことがあります。
●そこで、こうした問いは、大きく言えば「戦争とは何か?」という
とても、根幹的で、心理的で、哲学的な部分に食い込んでもくるのですが、
そもそも、争いというのは、
目に見える「国境」や、土地の「敷地区分」などの、
「境界線」の認識と、その自衛や、拡張の争いからはじまります。
ここ、大事です。
宇宙の現場での「実技テスト」にも、出ます。
●「境界線」というこの言葉は「自我の境界」とも重なりますが、
境界線には、部屋、自分の肉体、土地などのような、物的境界線と、
もうひとつは、心理的境界線があります。
*********
おっとっと、ちょっと話が、最初にしたかった話と、
ずれてきてしまいましたので、戻します。
戦車さんの場合には、
まず、自分が、今までにしてきた「対人戦争の種類」を書き出すといいです。
小さなものも大きなものも関係ありません。
相手が1人でも、家族でも、学校でも、仕事場でも、規模には関係はありません。
それが、自分と相手との「戦争なのか、外交交渉だったのか」
この線引きが難しいものもありますが、
いずれにしても、戦争=「対立感覚を伴うトラブル」と定義すれば、
いろいろと出てくると思います。
●で、まず戦争の名前をつけます。
たとえば、ヒラーとのならば、
「2013年 ピンクの牢屋の乱」とかです。
そして、他のも含めて、
「対立感覚を伴うトラブル」の中で「事実関係」を掘るのは後回しとして、
1/戦うと、主観的には(自己への満足感としては)何が得られるか?
2/戦うと、公共的には、何が達成できるか?
3/1と2の両方を満たす理想的な結末をイメージして行ったとして、
今までに実際の試合結果は、1と2、それぞれにどうだったか。
4/それこそ、兵士へのインタビューではないですが、
「あなたは、何の為に、何が得たくて、何を得られるから、戦うのですか?」
みたいな自問をしてみます。
5/いくつかの主張が出てくると思いますが、
その主張には、実績、根拠、があるのかどうか冷静に考えてみます。
●ご存知のように、私はまったく平和主義ではありませんし、
むしろ分類上は、好戦的かもしれません。
戦いは、むしろ、社会や個人の精神の健全さを維持するのに、
「適度に必要だ」とすら思っているからです。
世の中には、戦わずに、保身に走り、脅威となる相手に、媚びたために、
結局は、全員、共倒れで、だめになった社会や個人が沢山あります。
また戦う意志のない人の心を叩き起こして、革命を起した物語もあるでしょう。
●しかし、適切な戦いが、たとえると「適切な軽運動」のように、
実際に心身に利益をもたらしたのは、「遥か過去の時代」です。
それは、人々がまだ、比較的健康な自我だったときの話です。
健康な人にとっては、「軽運動にすぎない戦争」が良く作用しても、
ここまで全員が不健康になった「今の地球」では、
軽運動ですら、希釈自我の人たちにとっては、
ぜぇーぜぇーと息が上がり、時には死に直結しかねません。
そうなると、昔であれば、適度な、心と体の運動だった適度な戦争も、
今では、よけいに瀕死の病人を作り出すような、新たなトラブルを生みます。
●私の中に、分割自我という概念がないころには、私は、
「人の中には、キャラクター、性格、人格、思考、技術を全部排除しても、
意識だけは残る、どんな人でも、それだけは尊い」
と思い込んでいました。
しかし現実には、その、虚飾を排除しても残る「意識」すら、
「自我の分割率に応じた作用しか」していません。
だから、希釈自我のことが判明して以後、
私は、この人生で、50年近くも、尊いと思っていた「人の意識」を
1/8自我の人は、1/8しか尊くない、
と結論しました。
1/8の意識では、こちらの期待に添えないどころか、
そもそも、ケンカ相手にもなりませんし、
争いの結実として、社会や組織に「有意義な結果」も作り出せません。
むしろその1/8しかない純粋な意識が、
不純きわまりない世界に対して、
もんもんと葛藤し、目的もなく、ただ反発してしまい、
しかも、「勝てないで、敗北し続けたこと」で、
よけいに、個人や社会に、苦痛や、劣等感や、恐怖が蔓延しました。
自我を希釈した連中が、
自我と意識が弱くなったが故に生まれてくる、この余計なトラブルを作り出す事を、
最初から、わざと狙ったのかどうかは、まだ私は調査していません。
しかしどのみち、当たり前の「感情の起伏や喜怒哀楽」さえも失われ、
その喪失感から、逆に、無謀なことをして失敗する、
その様子を見て、「これも、また使えるルーシュだな」と思われるのだけは、
たまったものではありません。
*********
話がまたずれましたが、
好戦的であることの持つメリットには、
個人の中での満足感と、環境に及ぼす影響の二つがあります。
どちらも、良好に作用する面と、苦痛として作用する欠点もあります。
●それを天秤にかけて、私たちは、時には戦争をすることを選ぶのですが、
どうも、その戦争の「動機、プロセス、結末」から、
さらにまた「別の苦痛」が生産されてしまい、
それまでもが、
「感情ルーシュの搾取の対象」となっているふしがあります。
「それでも、自分が楽しければいい」、
という開きなおりの道は、むろん私は否定しません。
私自身、そういう主義で生きてきたこともありますから。
●実際、誰もが、地球の地上で全自我だった時代には、
「自分だけが楽しい」のではなくて、
「戦争をしてさえも、参加した全員が楽しめた」のでした。
つまり、私も好戦的で、そんな自分を好きで、
それで得るものや、快感もありましたが、
それはあくまでも、「全自我同士の闘争」の場合のみです。
●しかし希釈自我の世界では、その「健全な感覚を動機として」の、
かつての戦争理念を正当化する理由が、完全に失われたのです。
今では、どんな日常のささいなトラブルも、
対立感覚を伴う戦争も、改善に向うのではなく、
9割以上が、「改悪」に向います。
まるでそれは、賢い当事者同士ならば、1日で示談が成立するのに、
のうたりんの弁護士が、うじゃうじゃ出てきて、
決着がつくのに、5年も10年もかかる事例に似ています。
それで結局は「誰が儲けたのか」といえば、弁護士とその下請けだけです。
闘争というものは、解決ぜすに長引いて、複雑化するほど、
そこから蜜を吸う奴らには、美味しいのです。
霊能者も、相談者が、少し気が楽になったり、
体が治って霊能者や教祖のことを、信者らが信じこんだらば、
そこからは、信者たちが、いつまでも悩んでいる方が、
詐欺師たちには儲かるわけです。
●ですから、私は、
今の地球では、「戦い」そのものに、もう「誇り」を持てませんし、
良かれと思って、意図的に戦いを作り出しても、
解決や改善に向うどころか、収集のつかきない不幸が連鎖する、
というキチガイじみた世界になってしまっているので、
ゾンビに対しては、相手にせずに「処理」をするしかありません。
また、精神や身体の健全化に、「戦う」という事の生み出す「副産物のメリット」は、
もう今のこの地球では、当分使えず、
心身の機能回復と、家族や社会の健全化には、
「自我復元」しか、使えないだろうと思っています。
*********
どんどん話が、ズレてしまいましたが、
ルーシュの「多重搾取」の方法として、
「戦争の種の投入」をやっている連中のことは、ひとまず、おいておいて、
戦車さんが、自分個人の中で、
1/戦うと「美味しかった経験」と、
2/戦っても、「おいしくなかった経験」と、
3/そもそも「なぜ戦うのが好きなのか」、
何も好きでやっているのではない場合には、
4/「何を、最終的に、どうするための動機」で、戦争をやっているのか、
など、時間と機会をみて、掘ってみてください。
*********
____
次の、「その3」の話は、
その「かつて、全自我が主流だった地球の時代」で、
しかも、「男女の差異」が明確に区分されていた時にだけ出没した、
「女性の完全体」の特性についての話で、
これは、一番「したくない話」なので、いつか後日、別の投稿にします。
____
●その、したくない話の前に、私がしておきたい話は、
私は、自分が現実感覚としている感覚から、切り離される瞬間が、
とても好きです。
たとえば、昨夜は、夜のご飯も食べずに、寝込んでしまい、
起きたのは、夜中の2時過ぎでしたが、
夜中の2時から3時半ごろまでの時間帯が、私は好きです。
住居の場所にもよりますが、
その時間帯に、ふと目が覚めると、雑音もなく静かなので、
まるで、世界に自分一人しかいないのではないかという感覚がします。
(実際、誰にとっても、主観の中では、世界には自分一人しかいないのですが。)
もう少し時間が経って、4時ごろになると鳥が鳴き始めてしまうので、
時間帯は、2時から3時半までに限ります。
●その時間に、
自分が世界から、取り残された感覚、または、
自分が世界を、置き去りにした感覚、
この1人っきり感覚に浸るのは、私の健康法のひとつです。
絶対に、パソコンなど開きません。
そして、出来るだけ部屋は暗くしておきます。
知覚と情報を制限してしまえば、現実など、もろいものです。
多くの人たちは、時間的に、
これが毎日の自分の現実だと思いこんでいる知覚物に
自分から進んで身を浸していることで、退屈しのぎをして、
孤独という現実に向き合うことを避けているだけですが、
この2時から3時半の、漆黒の真夜中が、
何日も、何日も、続いて、しかも日常生活という行動が奪われる、
そうなれば、ある程度の自我率のある人間であれば、
前述した、「キャラ=性格」さえも、剥がれ落ちたところ、
ある「らしき」自己意識や、自我壁に、気づくはずだからです。
そういうわけで、現実感覚として慣れ親しんでいる、
自分が「認識が慣れている世界」という狂気が消え去るときにのみ、
正気が立ち現れてきます。
ただし、その正気を、狂気の世界の住人の中に持ち込むことは、
特別な必要がないかぎり、やめておいた方が賢明です。
特別な必要とは、創作の時や、自問自答の時のみです。
●
____
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