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「分割自我復元」
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[283]
■
★分割自我復元★その283■ 「自我判定依頼の際の報告の一部」
by:
鈴木崩残
2013/11/14(Thu)03:29:27
おたより(自我判定依頼)
●自我判定のご依頼の際の報告文から、一部のみ掲載しました。
_____________________________
前回の判定以後に、前回より引き続き 458回の作業。
毎日実習。
出来たか怪しい日はカウントしていません。
・自我復元に関する報告は
以下の順序です。
1/「復元作業中」の変化
2/「夢の内容」の変化
3/「主観的な自分の変化」
4/「本人ではなく環境の変化」
5/「客観性のある身体の変化」
6/「その他のユニークな変化」
中略
1・大学に通うことを拒む夢
「大学へ行くくらいなら東京で働くよ」、
と言って出ていくというパターンもあります。
「近頃は大学に行くことは意味あることではない、
そこでやりたいことなどまったくない」、
と父に丁寧に説明している夢も出てきました。
あるいはきちんと説得している。
(その時の夢での父の反応はブツブツとなにやら釈然としません。
グチッぽくなります。)
前までは、夢の中でも、行くフリをしてなんとかサボろう、
あるいはブチギレるという方向が多かったと思います。
また付属的に、祖母の役回りが見えてきました。
父母意外、幼少期は祖母がいました。
人格者で、温厚、慕われ、みんなが大好き、かつ苦労人、
というイメージをいだいていましたが、
祖母が父を頼っているという構図があったことに気づきました。
私が言いつけを守らずにいた場合、決まり文句に
「父に叱ってもらうよ、言いつけるよ(そうなったらコワイよ、ひどいよ)」
というセリフに典型的に表れていると思います。
また二人がタッグを組み、母と私は、格下扱いだったと認識しています。
父方は良く、母方はダメということです。
父いわく、
ケンカをしないことが父方の家系の良いところ、らしいです。
それを「良い」としていることから、
場面場面で、そうとうな妥協をしていたと思われます。
中略
3・夢自体を演出する夢
夢の展開をさながら映画のようにスリリングに面白くしようとしています。
その中で自分はそこの登場人物だったり、演出家的立場で場面をみていたり、
細かな部分を気をつけて見ている。
このカットは尺が長いな・・とか思ったりしているのです。
中略
3/「主観的な自分の変化」
●孤独という感覚と回避行動
私の現在のこの状態は「孤独」であった、ということです。
ある時、震えがきて自分で自分を抱きしめ、しばしそのままでいました。
終ぞ感じたことのない不安感でいっぱいになりました。
頭がシーンとなり、あれ、誰もいない・・という感覚です。
強がりが邪魔をして見えていませんでした。
決してこの状況は独立した「一人」ではなかった。
さみしさを抱えていたのでした。
それに関連して
特に、幼少期の私は孤独で本当に心細い毎日を送っていました。
学校の休み時間は15分。
友人もいない。
学校周りをひとり一周すればちょうど15分たつぞ、とある日発見する。
そんな時間つぶしをやっていた時期もあるくらいです。
その姿をある教師に見つかり、
カッコワルさをいいわけし、取りつくろい、
それが自己嫌悪になり・・
具体的にその子の言い分を言葉にするとこうです。
「あ、先生。
ち、違うんですよ。
今は友達がいなくてひとりぼっちだけど
いつもはこうじゃないんですよ。
みんなと同じようにぼくも遊べるんだよ。
たまたまなんだよ。
今だけなんだよ。」
見栄と去勢で乗り切ろうとしています。
幻想を生きるのに必死になっています。
その他、当時考えていた状況の回避パターンは
「最悪の自体をまず想定して事に当たると
その状況がやってくることはまずないので無事でいられる」
というものでした。
危機管理ではなく、思考的防御でした。
たいていそれで回避していましたが
1年に一度は必ずその最悪の状況そのものが生まれるのでした。
具体的に言うと、
級友に「お前一言もしゃべらないで暗いな」と言われる、
というだけのことですが、
1週間くらいはもう立ち直れずガラスの胸は砕け、
完全にダウンするくらいの強烈な衝撃です。
暗い、というのは当時私にとって死刑宣告と同等の言葉で
「今後一切皆から相手にされない」ことを意味しました。
その子の心理は
「ああ、とうとうバレてしまった。
にせものだということが分ってしまった。
明るく笑ってみんなと一緒に
遊べる子を必死になって演じていたのに・・」
ということです。
また、これは私の父のことになりますが
よく父には、私の経験を取ってしまうという言動があったのです。
例えば、テスト赤点を取った。また、いい点を取った時、
その結果を、私をさておき、まるで自分のことのように、
喜び、苦しむというパターンが、日常的にみられたことです。
子供ながらこれには、
(私の行動であなたを苦しませてすみません)という
罪悪感をいだかせる結果になりました。
心理的にひどく苦痛でしたので、
子供の私は、ひそかに答案を隠してごまかすという手段を取るのが
恒常的になりました。
幼い子供にあの過酷な環境は、あまりにひどいものだったと思いました。
帰る家ですら、もう学校の出店と化していましたので
(つまり家もまた「勉強するところ」なのでした)
心底安らぐことはできません。
部屋にカギをかけても、やぶられました。
そこで「黙る」という手段をとりました。
なぜカギをかけるのか!と威圧的にこられた瞬間、
解ろうとしていないことが解るのです。
致命的でした。
中略
●ブログと自己主張に関して
ブログという形で文章を書くということを経験し、
まともな自己主張をまったくしてこなかった己を再認識し、
恥じました。
胸にこれでもかというほどの負担が重くのしかかってきました。
当時つけていたノートには知ったような屁理屈が多い、
舞い上がっているのです。
自己顕示も手伝って、興奮気味に書きはじめましたが、結果は散々です。
何を知った気でいたのか、私生活でも煙たがられていたと思います。
結局「おれがおれが」というものが飛び出してしまった。
ランプの中に閉じ込められていた魔人のごとくです。
もう金輪際おさらばできると言っている私が、
なおも、それそのものだったとは。
中略
その過程で認識したことがあります。
人に同意するだけの私の過去には「自己主張」はありませんでした。
まずそこに自分とは異なる価値観があってこその自己主張だということに、
はたと思い当りました。
対立をなんとか避けたい、
という望みがいかに愚かだったかが理解できます。
対立は自己主張についてくるという認識に変わりました。
さらに愕然としたことがあります。
帰省の折、食卓にきのこ(エリンギ)が出ました。
瞬時に、放射能は凝縮されやすいので、たべるのは危険だと、
内部被曝のことがよぎります。
私が「危険だ」と言うと、父の「大丈夫だ」との返答です。
その瞬間、
自分の中に不明瞭で、おぼろげな価値観しかない事実を
ドンと突き付けられるのでした。
持っている情報の不明確さ。
危険性の有無も、どこで生産されたものかも不明で確認もできてない。
過去ネットや本で調べた危険性の具体的数値なども忘れている。
ただ、きのこは危険というイメージが、ぼんやりあったのみ。
そこに流れる穏やかで、騒ぐのが場違いの雰囲気。
おまけに私はそこでは「お客様」であって
そこで実際生活していない人間で、とやかく言う立場ではないので
食うなと言うのもはばかられます。
幼い甥っ子がパクパクとおいしそうに食べる姿を見ているだけ・・
私も食べました。
家の畑で取れた野菜の危険度は?
私は本当にこの子を案じているのか、いたのか?
おいっ・・と。
私にはそこに渦巻く即存の価値観を変えるということが、
今の段階ではまず不可能だと痛感しました。
「自分」の価値基準がまるで明示的でないことが
根本の原因だと思うようになりました。
まず私自身に対して明示的でないのです。
具体的根拠を相手に示すのにも、
どれほど私自身の主張の明瞭さが必要か、解っていなくてはならないか。
(内容ではなく論議という観点から桜の間などの文章をみると
その明瞭さに、もう途方にくれるのです。明瞭すぎるほどです。)
その主張は何に基づいたものなのか?
その根拠の妥当性はいかほどか?
根拠は自分の実際の経験に基づいているのか?
相手の言い分に対しどんな位置関係に自分はいるのか?
反論の予測や例外があるなら、
そのことにも意識的であることが必要なんだと理解しました。
またどこまで明示的に言えばよいかも
それも時と場合によるとも思いますので、
それを察するには場数を踏む必要があります。
私自身の望みや主張の曖昧さ、そこに明示的ではないことで
私はそれを相手に推測することを強要してしまうのです。
相手に負担をかける物言い、これは言葉や文章を
論理的に物事を組み立てることが苦手で
かつ取り組んでこなかったツケでもあって、
これからなんとかマシな方向へもっていくしかないのですが
パンパンにはれ上がるくらい頭を使うのでけっこうな負担です。
言葉がひどく遅いのです。
また意識的に自らの意思や考えを使って行動できる範囲が
ものすごく狭いのだと認識しました。
ある範囲を超えるともう細部まで考慮することが不可能となるのです。
泣けてくるような状況にほとほと参ります。
中略
●対象を調べること
思いでなんとかなる、とか考えていたフシがあります。
向き合う対象を可能な限り、徹底的に調べるようになりました。
頭の中にボンヤリ浮かんでいた
なんとなくの不安や違和感、定義されていない未知のものに対して、
意識的であろうとし、いろいろ向き合うようになりました。
近代史を知ろうとしたのもその一つでした。
日本はかつて悪いことをした・・
どこからどのようにしてこのような思考がわき出てくるのか
その根っこをつきとめたいという理由です。
東京裁判
反日
日教組
自虐史観
戦後日本を振り返る
戦争を振り返る
そこで振り返っていたのでよく見えませんでした。
自国を良くいっているだけだろうと。
ただ14〜15世紀あたり、大航海時代あたりから振り返った時
もう一瞬で理解する、といいますか
白人の侵略の有り様が地球儀的にパッと開けて見えるわけです。
これは最近驚いたことの一つでした。
この頃、何かにつけて調べていくと、過去のある時点で、
人間によって散々に荒らしまくった事実にぶち当たります。
ああここもなのか・・という感じで辟易します。
毒親やACの問題はじめ、植民地支配、東京裁判、勝手な土地の分割
難民の問題、また森や田畑、農の在り方まで
本来の姿でないものばかり目にしているようです。
中略
●父の物言いに関して
1「ガソリンスタンドの店員のようになるぞ」
これは「いい大学に入らないと」「勉強ができないと」こうなるという話の中で、
よく使われました。
不出来な者の象徴だと思われます。
私のやっていたバイトなどもこれに相当すると思われます。
父の価値基準からいいますと、私はすでにその不適合者です。
2「おじいちゃんのようになるぞ」
祖父は体が弱く、大学出ではないため
「後輩にぬかされ出世できず、とてもくやしい思いをした」らしいのです。
3「****みたいになるぞ」
これは近所に住む少し年上の兄ちゃんの名前です。
ナマケモノ、不良、あまり素行がよろしくありません。
あげく事故に遭い、家からほとんど出ない生活となっているようです。
ろくでもないやつの象徴としての意味だと解釈しました。
その他私に対しての例え
「地蔵」
これは父に対して、もうほとんど無言でいたためです。
「分ってもらえにくさ」が半端でないことは、
子供の私にも理解できていました。
また私自身も学校でのイジけた姿を分ってほしくはなく
ひた隠しの状態を貫いていましたので。
悪循環です。
「ニワトリ」
3歩歩けばもうさっき覚えたことを忘れてしまう。
物覚えの悪さを揶揄されたと解釈しました。
今現在は物覚えの悪さではなく
覚えたことを忘れてしまうことにひどく難儀するのです。
例えば地名、国名、歴史、人名、道順などです。
私は顔認識と方向感覚にそうとうの難があります。
中略
●友をもつこと
友人らしきものを一人も持つことなく今日まできましたが
友としての関わりをもってみたいという心境の変化がありました。
きちんと自分の世界を持った人がよく、商売っ気がなく、
創作活動をしており、私から見てすばらしいものを生み出している人
ということで一人見つけました。
中略
大げさに言うと、私がもし別な人生を歩んだなら
私もこんな作品を作るのじゃなかろうかと思わせるのです。
短い関わりで終わるかもしれませんが、今後どうなるかは不明です。
その方の発表会に私も参加させていただくことになりました。
●逆境
逆境から這い上がろうとか
尊大にも人より優れようとかいう想いの果てにあるのは
ご立派な人物ではないと認識を新たにしました。
駅にダンボールしいて寝ている人々の姿、
あれがおそらく、その望みの成れの果てのように、今の私には思えます。
●麹
素材を生かすとは、おいしく感じるとは・・・?
そんなことをつらつら考えており
今「麹」というものに関心がいっています。
意識的に使うことは今までありませんでした。
塩麹だけで、素材がまろやかでおいしくなる。
2日程いろいろな食材で試していたので、
外から帰ってきましたら、
ドアを開けた瞬間、なんとも懐かしい香りがするのです。
それだけではなく、モワっとした温度をも感じるのです。
日本の原風景がうかびます。
中略
●一度帰郷します。
私の関心は
**と大きな***と*、**です。
望みがはっきり見えてくるとともに
では一番適した環境や場所はどこだろうと考えると、
生まれ育った私の実家なのでした。
ここでなんとかもっといい職を見つけ、静かな生活をしていても
また同じところをグルグル回ってしまうという認識でいます。
すべて自分一人でやろうとしてきました。
また今の環境は、自我復元作業以前の
「人と関わるのはゴメンだ」という意識が中心であり、
それを起点とする環境そのままなので、
静かに静養はできますが、進展や変化することは皆無だと理解しました。
望みが明確になった今、
「好き」を中央に添えた環境に、ガラリ変えようと思います。
夢の中では帰る場所は決まってこの東京ではなく
生まれ育ったあの家になっていました。
良い悪いは別として濃厚な時間を過ごしたことは明白で、
私は帰りたかったのです。
まずは一度。
そこに「住む」ことで何か私の中からボロリ落ちるとみています。
そうとう過去の認識に歪みもあるはずですし
過去、頭のなかで組み立てた両親を含め、関わった人々の像も
どうもあてになりません。
一人離れたところで、勝手な妄想をふくらませ
空回りするよりもいいと判断しました。
やり残してきたものや、忘れた記憶は、すべてあの場所にあり
匂いや味もまだリアルに残っているはずです。
やり残してきたものというのは
「私が意識的にそこに参加し生活すること」そのことだとの認識です。
たまに帰省する「お客様」という態度では、
なにもそこに働きかけることができません。
家から離れたのは、その場所にいるのが心底嫌だったことと
私自身異常であり、迷惑がかかるため
「自分」をそこからまるごと隔離する意味合いもありました。
思えばベリッ!!!っと乱暴に剥がすかのように
私は出てきてしまっているのです。
一度実家に戻ろうと考えます。
そこで、きちんとやることはやるはずですが
ただ、関心なきものに大いに時間を取られた、
デメリットしかなかった、依存を生んだ、など
ダメだとなったら、ここはどのような環境だったのかを、
今度は冷静にきちんと判断した上で、
私の意志で出て行きます。
復元作業は、今後はその場所で続けることになりそうです。
中略
やっと・・この頃真っ白なスケッチブックに
具体的な望みを少しずつ描けるようになってきました。
一方で(あ、これは違うな)という望みも分かってきました。
ACの抱く望みはたいてい依存的、保身的で商売っ気があり
かつ、どうもビンボー臭いニオイがするのです。
以前「私にだってなにかやれることがあるんじゃないか・・」
という考えにとらわれたまま、職探しをやったことがあります。
いろいろ検討し、その過程で最後に職安から聞いたのは
「福島での原発作業員はどうですか?」
というセリフです。
ああ、これはこんな風に、
自らをどん底まで引きづり込んでいく考え方だったんだな、
とそこで理解し、やめました。
中略
昇段試験を受けるに値する状態だろうか、
中途半端ではないか、
いろいろ考えてしまいます。
どうぞ自我判定よろしくお願いします。
●この方は、最初が1/8自我を下回っていました。
それが現在では、75%を越えています。
私から見ますと、本当に着実に少しずつ変化してきましたが、
最初と比較すると、見違えるように「ひとりの人間として」の
意識の視点が芽吹いたと思います。
_____________________________
『不快年表』について記述のあるブログ
自我復元ブログのうち、「不快年表」を作成した人の話が、
大変に参考になると思います。
1
『マディア』さん
http://jigafukugen1987.blog.fc2.com/
2
『お姫ちゃん』さん
http://haripoteko.exblog.jp/i0/
3
『天音(あまね)』さん
http://love3nyansfukugen.blog.fc2.com/
4
『新子(あたらし)』さん
http://fukugen16.jugem.jp/
5
『Aby』さん
http://mmjhb11.exblog.jp/
6
『S020』さん
http://blog.goo.ne.jp/hakodate2012
7
『どんがめ』さん
http://ameblo.jp/tekutekukamesan/
_______________________________
★
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