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「分割自我復元」
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[286]
■
★分割自我復元★その286■ レアな自我復元者
by:
鈴木崩残
2013/11/28(Thu)06:27:56
自我判定の報告
●今回の報告は、少しレアなケースですので、
桜の間のコンテンツの役立て方も、他の自我復元者とは違います。
ですから、他の方の参考になることはないと思いますが、
報告と私からの判定時のコメントの「一部のみ」ですが、掲載しておきます。
●ところで、「重要な事象・核心部分」になるほどに、
そこを通過できる資質のない人は、逃げ去るか、または無関心になる、
この現象を私は人生の中で無数に見てきました。
少しオカルトな話にからめて、大昔、この話を掲示板に書いた覚えがあります。
たとえば、神社、あるいは、何かの重要な地理的地点、または次元的地点、
こうしたものの外周は、必ず「番人」に似たシステムに守られています。
そもそも、護る必要のない場所には、番人や番犬は存在しません。
ただし、それとすぐに分かるように番人や番犬が門前にいたらば、
それこそ、特定秘密法案じゃありませんが、
「何が護られているのか」を外来者に知らせてしまうので、
たいていは、番人や番犬は、その必要が生ずるまでは出てきません。
この話と似ていて、重要なものが保管されている場所では、
その奥に進もうとすると、まず、外来者に脅しをかける恐怖体験
というものが準備されています。
この脅しや恐怖体験が、機能や作用をしなかった場合には、
次には、親密な顔をして近寄ってきて、
「それならば、あっちに行くといいです」と、偽の進路をつかまされます。
いずれにしても、番人や番犬は、ただ外来者と戦うだけの芸のないものではなく、
ようは、重要なものを保護するのがその役目ですから、
脅すか、騙すか出来れば、どちらでもいいのです。
これゆえに、何かが封印されたところに行って、
その外周を護っている壁を突破して、その核心に行き着こうとすると、
拒絶や脅しによる恐怖か、そうでなければ偽装された歓迎や親切による安心、
そのどちらかのトラップが待っています。
●20代の半ばから30代の前半まで、私はそんなことばかりやっていました。
関東周辺の地方へ行っては、地図であらかた目星をつけた、
人里離れた神社へ出向き、普通は開かない領域を開いていたものです。
といっても、単なる好奇心からではなく、目的がありました。
1980年代当時、可能性がどん詰まりになっていた東京に、
新しい風を引き込むには、周辺の結界から行うのがよかったからです。
つまり、昔から「何かの中へ入るための鍵」を開けるのが、
古くからの私の趣味だったわけですが、
今では、地球の外へ脱獄するための鍵を開けているのですから、
私がやっていることは相変わらず、「鍵破り」です。
●この「鍵破り」という私の性質は、結局のところ、
セックスの問題でも、アートの問題でも、はては、手裏剣の技術、悟りの問題、
そのすべてにおいて、行われました。
ようは、何事に対しても、まず核心部分に侵入することを心がけ、
まずその中心にある最も重要なものを把握し、
そこから具体的な問題を整備するという順番です。
セックスの最も本質的な部分は何か?から探求の実験を開始し、
具体的なことは、あとから構成する。
手裏剣術の最も核心部分は何か?から同様に具体的な解決法に至る。
悟りや芸術の核心部分は何か?からそれに必要な要素や訓練を厳選する。
あれこれの周辺情報から本質を目指すのでは時間がない、
という場合に、緊急措置として、まず中心部に至り、そこから周辺の構成をする、
これは、今回の私の生のひとつの特徴でした。
ただし、普通の人がそれをする必要はありません。
普通は、じっくりと周辺事項から、楽しめばいいのです。
私には、この今回の一生の間に、
自分で自分に課した職務とノルマというものがあり、
それをこなすには、のりんびりはしていられませんでしたので、
必要な創作物を創り出す(特に執筆)をするためには、
ことごとく「鍵破り」をして行かないと、人生の残り時間が足りなかったのです。
そのようなわけですから、
対象がなんであれ、物事の「本質」に近づくほどに、皆さんの中には、
そこから逃げたい衝動がやってくるのが当然なのです。
●これと同じことが、個人においても起きます。
精神世界のほとんどの領域など、どうでもいい非本質的なことばかりです。
そのどうでもいい非本質的なことの中には、悟りの問題も含まれます。
既にひとつ前の投稿でも釘をさしたように、
それが、姑息な現実逃避の口実と、
依存の対象にされている事例が圧倒的に多いからです。
アセンションがどうのこうの、そのうち人類は進歩するなどと
デマにうつつを抜かしている馬鹿者たちも同様です。
これゆえに、2010年に自我復元が開発されるまでは、
どうでもいい読者の人たちばかりだったのです。
●しかし、事の問題が、
本質的な核心部分、つまり封印されていたもの、
隠されていたもの、
最も重要な領域に突入するときには、
前述したような「壁」が立ち現れます。
最初の壁は、「分割自我」という、
普通の人たちには受け入れがたい概念そのものであり、
そこからまず、逃げたり、無関心になるという自動的な反応によって
去ってくれる人たちがいてくれます。
その次の壁は、「自我復元法」の実習過程で生じた、
「偽人格問題」でした。
どちらも、個人が突破するには、非常に分厚い壁です。
自我復元という概念までであれば、それまでのご利益主義や、
「やれば、なんかい良い事あるかもぉ〜」という、馬鹿丸出しのおつむでも、
受け入れられる人たちは多いでしょうが、
その次の、「偽人格」との対峙という段階になると、
それは、それぞれの個人にとって、
自分の外にある情報としての気楽さや、
笑い事では済まされない局面に取り囲まれます。
そして重大なその核心部分から、目をそらしたいという自動反応が起きます。
冒頭に記したように、重要な施設、重要な情報、重要な場所、
これらは、常に二重の防護壁に護られています。
簡単に言ってしまうと、そこには「象徴として」言えばの話ですが、
悪魔と天使がいます。
魑魅魍魎がまず脅し、次に、天人が、なだめすかします。
どちらの場合にも、そこからあなたを去らせるのが、
番人や番犬の職務です。
このことは、今後、ミッションでも必ず突き当たることになります。
たとえ別の次元、別の宇宙に移動したとしても、
いつでもそこにあるのは、大小の「壁」です。
それぞれの宇宙観というシステムが、それまでの活動を維持するために、
目的のはっきりしない者の干渉や、許諾できない外来者の侵入や、
悪意のある情報収集を防ぐための、防護壁を作ったからです。
これ自体は当たり前の自衛策であり、宇宙の中で悪いことではありません。
しかし、今回のように、死後に地球から移動する、という場合には、
いくつかの「鍵開け」を経験しないとならないのです。
●「分割自我復元法」というものは、
別に、私は、そこに壁を置いたつもりは全くなく、
そこには悪魔も天使も存在していませんし、
逆に、可能な範囲で、すべての人に着手してほしいとは思ったものの、
そこでも、やはり人間の中にある弱さが、
そこを去るような方向へと自動的に「自然淘汰」をしてくれます。
その結果、現在までに、今回の地球での個々人の生に関する、
核心部分となる、その最も重要な中心施設にまで、たどり着きつつある人は、
過去の読者数の1/10以下にまで、振り落とされ、
自我復元者全体の1/4以下となったわけです。
このように、「自我復元」や「トラウマ掘り」といった、
最も重要なものほど、
いつまでも、保身的であろうとする偽人格にとっては近づきたくない対象であるので、
本人自身が、そこに関心を向けないように自分を仕向けたり、
嫌な気分になって去る、ということが、自然淘汰としておきてくれる点で、
「自我復元法」は、
他のシステムのように、わざわざ防護壁を必要としない便利なシステムです。
その自我復元というシステムの周囲に張り巡らされている、
唯一の防護壁は、実は、
『鏡』のみです。
それはあなたの偽人格を映し出す「鏡」です。
そこから目を避けたら、
その向こう側の原主体という「御神体」へは進めません。
*********
前振りの雑談が長くなりすぎましたので、
報告文と判定文の一部を以下に記します。
冒頭に注意書きをしたように、
自我復元というのは、他の人の方法は基本的に参考になりません。
ひとりひとりが、個性的な自分のやり方をするからです。
今回の方の場合には、トラウマ掘りと身体反応が一致していますが、
それはこの方に固有の資質であり、他の人に適応できるものではありません。
またサポート用の動画がどう作用するか、それも、個人個人で違います。
自我復元をしている人たちは、決して、他の人の「真似」をすることなく、
自分に適したもの、自分に効果のあるものだけに集中してください。
*********
崩残様
いつも、大変お世話になっております。
またまた、3か月以上も、ご無沙汰してしまいました。
申し訳ありません。
本日は、4回目の自我判定をお願いしたくメールいたしました。
・中略・
そして、
崩残さんにメールを書いてから後も、
あの「涼」の動画が、なぜかとても気になり、
なにか、もっと深く堀り起こせそうな予感がして、何度もみていました。
見た直後に、頭痛と寒気がしてきたり、げっぷが出始めたり・・・・・と
「青いブクブク」に身体が反応していることが、はっきりと認識できました。
感情面からの掘り起しだけではなく、同時に、
身体に記憶されているトラウマを探りだす必要があると感じていました。
そして、
ある時、ふと・・・・・
自分の「身体全体」をまるごと「ドライアイス」にしてみようとおもいつきました。
トラウマの記憶があったら、きっと、
その箇所はきれいに、すんなりとは気化できないだろう、とおもったからです。
肉体の無意識下に、深く潜んでこびり付いている「ごみ」のすべてを掘り起し、
ひとつも残すことなく、きれいさっぱりと取り去らなければ、
地球脱出時に、
小さな「ごみ」の、ほんの少しの「かけら」でさえも・・・
足をひっぱられてしまう怖れがあるのではないかと危惧していました。
そこで、
私の「身体全体」が、「あの音と色」、
「青いブクブク」と共に消えていくイメージを何度も繰り返してみました。
身体が、どんどん、どんどん気化していって、そして消えていくイメージです。
しかし、
何度やってみても、どうしても、
のど、首と両肩の辺りが集中して重苦しくて、重苦しくて
首をしめられている感覚、身体がちじこまっていく感覚が残りました。
これまでの人生で、首をしめられたという記憶はないし・・・・・
ま さ か!!!
私の記憶にない幼少のころに、
だれかに首をしめられたことがあるのか?????
(それとも・・・・・今生ではない記憶?)
そして、
やっと、思い出しました。
私が、よちよち歩きが出来始めたころのことでした。
まだ1歳ちょっとの私の肩に
布にくるまれた、
とんでもなく重い物をたすき掛けにして、背をわされた記憶でした。
そして、
その重い荷物を背負った私にむかって、
母親か父親が、少し離れたところから、
こっちにおいで、こっちにおいでと、手をたたいて
私を呼んでいる情景でした。
そして、
私は歩こうとするのですが、
その荷物ごと、後ろにおもいっきり、ひっくり返って転んでしまいました。
突然、何事がおこったのか!!!???
小さな私には何がなんだか、わけが分からなくって、
ぎゃぁーーー、ぎゃぁーーー泣き叫んでいる記憶でした。
そして、
私のまわりには何人かの人がいて、
その様子をみていて、
なぜか、にこやかに笑っているような情景をおもいだしました。
実は、この不可解な出来事は、
「歩きぞめ」という古くからある行事だったのですが。
満1歳になって、歩き始めるころに、
一升のお餅かお米を背負わせて、歩かせるもので、
その子が一生、食べるものに不自由しないようにと願ってする
お祝いの行事らしいのです。
が、まったく馬鹿げた古い慣習で、今でも田舎には残っているようです。
あの時、
小さな私の身に
突然起きた、まったく理解不能なできごと。
私を守ってくれるはずの両親から、何かひどいことをされた、という記憶。
戸惑い。 恐怖そして不信感。
あのころから、もうすでに・・・・・
私を取り巻く世界、 自分のいる世界が、
なんだかわけの分からない、得体の知れない、
「不安」だらけの世界だと感じ始めていたのだとおもいます。
そして、よちよち歩きの私は
その「不安」のなかを、
どうにかこうにか、歩き始めたのです。
・中略・
***
それと、不思議な感覚の目覚めの日がありました。
目が覚めて、私は、
布団から、ちょこんと自分の手を出して、動く10本の指をみているのですが、
その指を「自分」が動かしている、という感覚がなく。
この動いているものが、「自分の指」だという思考も働かない。
ただ うごいているもの を みている
うまく表現できないのですが、
「自分」という意識がまだ生まれる前の状態とでもいうような・・・
今まで感じたことのない、ほんの数秒の経験でした。
そして、その一瞬の感覚が消えた瞬間でした。
あかちゃんの時、私は、動く自分の指を、これと同じ感覚でみていたことがある。
あの時と同じ感覚。そう思いました。
***
9月初旬だったとおもいます。
回収後、座っていると、
歯が(顎が)ガタガタと震えだし、
・中略・
そして数日後でした、
私の「がまんする」という悪癖と笑うことに関係する
ある事件をおもいだしました。
それは私が小学校3〜4年のころだったとおもうのですが。
その晩も、いつもの兄弟げんか、
というか私の場合は「姉妹げんか」がはじまりました。
殆どの場合、
私が二人の姉のどちらか一人に狙いをきめて、ちょっかいをだして始まる、
1対1のけんかが常でした。
あの頃、私は毎晩のように、
姉達と「けんか」をすることが日課のようになっていました。
私にとっては、このけんかが、小学校でのストレスを発散させるための、
なくてはならないとても重要な日課だったのでした。
毎晩のように、取っ組み合いのけんかをして、泣き叫ぶことでもしなければ、
あの頃の私は精神的に、もたなかったのだろうとおもいます。
あの時期、私のなかの「怒り」を静かに封じ込めることなど、
とても無理なことだったのだと、今になってあらためて感じています。
・中略・
あの時の「けんか」は、他愛もない子供のころのけんかの記憶だと、
今まで軽く考えていました。
しかし、
あの時のトラウマは、私がおもっていた以上に、
身体に深く影響してきたことを今ごろになって、やっと認識しました。
小学校から高校までの学校生活 が憂鬱で、憂鬱でしかたなく
・・・・・家では、両親とほとんど会話もしなくなり・・・・・
いつのまにか「笑うこと」がすくなくなっていった10代の頃の私。
そして私が笑った顔の写真は、なぜか歪んで、どれも引きつった顔をしています。
つい最近まで、
朝に目が覚めると、口元が「ぎゅぅーーーっ」と緊張していて、
唇をかんでいることも珍しいことではありませんでした。
そして今まで、そのことに、それほどの違和感さえも感じてきませんでした。
・中略・
昨晩、ここまでメールを書いて、そろそろ寝ようかと準備していると、
お腹が張ってきて、左わき腹が急に痛くなりはじめてきました。
今晩は、少し食べ過ぎたかなぁ・・・とおもって横になりました。
が、左わき腹がひきつる感じで、痛みが強くなってきました。
その箇所をゆっくりとさすりながら、
ふと、「青いブクブク」をやってみようとおもいました。
しばらくして・・・・・はぁっ!! としました。
わき腹は姉に、執拗にいじめを受けた箇所だったことをおもいだしました。
そして、このことをおもいだすと・・・
引きつるような痛みは、徐々に、徐々に消えていってくれました。
崩残さんに、こうしてメールを書くことで、
あの時の記憶をしっかりと表に出して、解放しはじめてくれたことを、
身体が喜んで、サインをくれたような・・・・・そんな感じがしました。
・中略・
こんなこともトラウマになるんだなぁ・・・・・とおもうと、
掘り起こさなければならない事案が、
私のなかには、まだまだ山のようにあるようです。
つぎに10月の始めの頃のことでした。
仕事中のことでした。
今まで、まったく考えたことも、感じたこともない、
自分の 「声」 に、 どきっ!! としました。
自分がお客さんに対して発した 「ありがとうございます」 の声のなかに、
「攻撃的」な音の響きを感じたからです。
お客さんに応対している自分のなかに、
微妙にある「攻撃性」をその時、始めて感じました。
なにか特別、そのお客さんとの間でトラブルが起こったわけでもないのに。
無意識に、「戦闘」モードになって仕事をしている私がいました。
自分の発する「声」を客観的に聞いた瞬間、はじめて、そのことを認識しました。
小学生のころからの私の生き方。
自分のまわり中が「敵」でした。
学校、先生と戦い。
両親、おとなと戦い。
社会と戦い。
私がこの生を生きるため、必死で自分を守るため、
無意識下で、思考が常に「戦闘」モードになってしまっていました。
身構えて生きることが、あまりにも、当たり前になってしまっていた私。
常にこの「戦闘状態」に自分の身をおいてきた私。
「私ひとり」 対 「その他大勢」
終わりのない戦いの場を常に演出していたのも、この私でした。
戦い続けるストレスの塊、それがこの私でした。
そして、
この「戦い」の状態が、私には当たり前すぎて、
常に戦い続けていることが自覚できないくらい、鈍感になってしまっていました。
まわり中が敵だから、
自分のまわりに高い壁をつくって、必死に自分を守って生きてきた私。
しかし、
自分を守るはずの、その高い壁が、
いつのまにか、自分自身を閉じ込める「牢獄」になってしまっていました。
そして、自ら入り込んだ「牢獄」でありながら、
「私はだれかに閉じ込められたんだ」 ともがき苦しみ、
いつのまにか、
そこから、抜け出すに抜け出すこともできなくなってしまっていました。
自分の足で蹴飛ばして、その「かべ」をぶち壊すこともできたはずなのに、
その思考すら、今までの私にはありませんでした。
しかし、
今、私はこの「牢獄」の壁を粉々に粉砕します!!
私が今まで相手にしてきた戦いの相手は、
戦いを挑む価値もない相手ばかりだったということを認識したからです。
ビクビク怖がる必要などまったくない相手でした。
崩残さんがいつか、投稿されていました・・・・・
>自分が敵対する対象と同じ穴のムジナになってしまう宿命。
このトラップから私は脱出します!!
命がけの「戦い」を挑むべき相手。
それは「偽人格」である、この「偽りの私」だけです。
これからの本当の戦いは 「偽りの私」 を抹殺する戦いです。
「梅の間」にあった、高木仁三郎さん、平井憲夫さん、あのお二人の姿を見ていて、
真の「戦い」というのは、こういう姿なのかとおもいました。
間違っていると感じることに対しては真っ向から立ち向かい。
自分自身に絶対に嘘はつかない。
あの清々しい美しさは、この人たちの生きざまそのもので、
決して、なにものからも侵害されることはない真の強さを感じました。
***
9月下旬でした、
夜、仕事が終わり、くたくたに疲れて駐車場に向かって歩いている時でした、
かなり派手に、コンクリートの道で転んでしまいました。
それも、なぜか手も着かずに、顔面を打つように転んでしまったので、
左目の下に大きな傷をつくってしまいました。
11月3日の朝
腰から下、下半身が切断されている感覚が強烈にやってきました。
そして11月13日、
子供の頃に、よく捻挫をしていたところと同じ左足首を、
我が家の玄関先で、捻挫してしまいました。
「足」に関連することが続いたので、 これは!? とおもい
その後、「青いブクブク」を両足だけに集中してイメージしてみました。
すると驚いたことに、私の足は今もなお、叫んでいたのでした。
学校なんて いきたくないっ!!!
いやだぁー!! いやだぁー!! いやだぁー!! いきたくないっ!!
いきたくないっ!! いきたくないっ!!
自分の意思に反する行動を、
毎日毎日「がまん」しなければならなかった、私の足。
何度も、何度も、くりかえして叫び続けながら、
両足の「ばたばた」がなかなか止まりませんでした。
***
私の不快年表はまだ、まだ完成されてはいませんが、
「がまんする」
この言葉が、私の人生の初期のころから、ぴたりと寄り添って
「偽人格」を育ててきたようです。
「青いブクブク」をしていると・・・・・
よく出てくる言葉が、
「がまんした」 この言葉ばかりです。
そして、この数か月、
ふぅ〜っとした瞬間にこんなことを感じることが、何度かありました。
あれぇ???
もしかして わたしって ほんとーは ****** だったんじゃないの?
・中略・
いつか崩残さんが仰っていました・・・
この制限のある世界そのものに生まれることを最初に決定したのは、原主体であると。
このことが、今もずーっと気になっています。
なぜ「原主体」はこんなに制限のある、この世界を選んだの・・・・・
「原主体」に聞いても、答えてはくれないけど。
私はその答えをいつか絶対に知りたいとおもっています。
私は「原主体」を表にだして生きることが怖かった。
原主体はどこか破天荒で突拍子もないことをしてしまいそうだから。
ここは「原主体」が生きられる世界じゃないとおもっていた。
このような思考のもと、
偽人格の私は、自分の生存時間を延長させるために、
「原主体」の出番を先延ばしにしてしまう作戦を企てていたのでした。
・中略・
***
あれから、崩残レシピの「じゃがいも」もつくってみましたが、
シンプルでおいしいですね。
白ワインとオールスパイスの味付けという発想が新鮮で、
おいしく何度か作っています。
ごぼう漬け、なめたけにしろ、
ひと種類の単品で作るからこそ分かるおいしさがありますね。
私が料理する時の発想をあらためて観てみると、
数種類の素材を組み合わせて調理することが多いです。
子供のころから小食だということもあってか、
色々な食材を食べようとすると、
数種類の食材を混ぜて調理することが自然と多くなっていました。
今まで、私は私なりに、
素材のおいしさをいかした料理を心がけていたつもりでいましたが、
最近、それは私の思い込みだったことを認識しました。
「食べること」のトラウマから、
私の深部には、「食べること」からいつかは解放されたいという願望がありました。
「素材そのものを味わう」どころか、
その根底には「食べなければ いけない」という脅迫観念が、
未だにぬぐいきれていないことも、また新たに認識しました。
今まで粗雑にしてきてしまった 「味わうこと」 を
もっと繊細に、ゆっくりと、大切にしたいと今あらためておもっています。
******
博士君の「猫まわし」懐かしかったで〜す。
猫って、あれが好きみたいですね。
私もよく、あーやって遊んでいました。
そして、
ラインちゃん、ブリちゃん、共々かわいさ、いっぱいでいてくれて
いつもありがとにゃんです。
*********
いつものことながら、今回もまた、
まとまりのない報告メールになってしまいましたことをおゆるしください。
本日は貴重な時間を最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。
それでは判定をよろしくお願いいたします。
***************************
>以下、判定の一部です。
自我率は「**%」でした。
数字をみるかぎり、呼びかけや回収は順調のようです。
あとで写し描きをしておきますが、
意識の文字と「器」の文字にゆがみがありますので、
もういくつか、大きなトラウマが控えていると思います。
ただ今回は、非常に根深く身体に刻まれていたトラウマが出てきたのは
よかったと思います。
気になった点がいくつかあります。
14歳のときに、特筆すべき、記憶はありませんか?
ささいなものというよりも、
それ以前とそれ以後が違ってしまうような出来事の内面への影響です。
それと、現在もしも、
もう少し意識を行き渡らせると良い部位があるとすると
それは貴女の背中です。
背中の側に今、いろいろなものが、
これから生きるために補充されているような、後姿が見えましたので、
具体的には、少し背中に意識を向け、胸を張るという動作、姿勢をしてみて
ください。
無理をしない程度にです。
中略
もしかすると、日本とヨーロッパが文化的交流で親しかった江戸後期か明治の時代に、
フランスやヨーロッパにいて、日本のことを知って、
今回日本に生まれたのかもしれません。
中略
なお、アンケートを書かれるときに、
普通はざっと書くだけですが、途中である時期の出来事として思い出して、
印象のあること、問題だったと見えたところがあったらば、
細かく書いて戴いてかまいません。
アンケートというよりは、御自分を整理する道具として使ってみてください。
中略
余談ですが、そちらの文字って、かわいいですね。
昔、流行った「まる文字」のフォントを思い出します。
単に、かわいい文字なのではなくて、バランスもいいです。
手書きの文字や、そういうところに、
どこか、芸術的な素養の印象を受けます。
そして、今回判定をしていて、何度もひっかかるのが、
14歳という年齢です。13でもなく15でもなく、なぜか14です。
ある意味で、その年齢にまで(良い意味で、心の年齢が)、
戻る必要があるようにも感じますし、
また、その節目に、大きな変化が何かあったのだろうかと、少し感じています。
ずいぶん、昔、そちらのメールを読んだときには、
「なんか、意識があちこちに、とんでいて、軽い人だなー。大丈夫かな」
と思ったのを思い出しましたが、
当時から、「いやみ」とか「他意」は感じませんでした。
ある意味で、ずっと少女のまま止まっている部分があるような雰囲気です。
今回、判定をしていて、その当時の記憶が思い出されたのですが、
それは、悪い意味での子供っぽさではなく、
ずっと、他人から守り、温存し続けた、あなたの大切な部分なのだろうと
思うに至っています。
確かに、ちょっと、きゃっきゃと、しているのですが、
いやらしさは、ぜんぜんそこにないのです。良い意味で子供のままのようです。
中略
お顔を打撲されたということで、心配しておりますが、
私もそれを、昨年に、やったことがあるのですが、
手にファイルを抱えていたために、手が出ずに、
顔からコンクリートに突っ込みそうになりました。
あと1cmで、顔面を強打する寸前で、ぎりぎりで顔が止まっていて、
大怪我にならず、かすり傷にもなりませんでしたが、
非常に、「違和感のある倒れ方」でした。
なぜ倒れたのかは、すぐに分かりました。
出さなくてもよい書簡をあるところに出そうとして、それをしないほうがいい
というサインでした。
たぶん、そちらの場合には、トラウマの再現もあるのでしょうが、
9月の初旬から下旬にかけて、どういったことをしようとしていたかを
思い出すと「何かを止めろというサイン」である可能性もあります。
お仕事の疲れのあとのようですから、体が悲鳴をあげていたのかもしれません。
「やりすぎです」「時間や体力の調整をしてください」と。
>(怪我、病気の類は、そのごく一部には、
> 「好転反応」や「環境に適応中」に起因するものもありますが、
> 9割がたは、「何かをやめろ」「そこにいるな」という示唆だと
> 思っておくといいです)
それにしましても、ドライアイスの動画を、
こんなに、活用してくれた方は、後にも先にもないと思います。
また、レシピや、猫たちへの感想もありがとうございます。
では、判定時の文字の形を書いておきます。
今後とも、何か分からないこと、報告したいことなどがありましたら、
いつでも、メールしてください。
崩残
以下、お返事のごく一部です。
***************************
崩残 様
判定結果、滲み書、そして御守り、本日無事受け取りました。
ありがとうございました。
そして、
私の怪我の心配までしてくださり、感謝と感激でいっぱいです。
7月〜9月、特に8月はかなりの忙しさでした。
その上、突然のけがのため休養する人がいたため、
その分の勤務時間がかなり増えてしまい、
疲労がたまっていたことも原因のひとつだったとおもいます。
自分で自分のための御守りを購入したことなど、ほとんど記憶にないことですので、
とてもうれしいです!!
ほんとうに、ありがとうございます。
桜の御守りと一緒に大切にします。
**%。
やっとのおもいで、なんとか、かんとか、
「自我復元」のスタートラインに立つことができた。
いよいよ、これからが本番・・・・・いま、このように実感しています。
そして、滲み書もたくさん、ありがとうございます。
早速、寝室に飾りました。
7枚の書を前にして、立ってみると・・・・・
これから私が開けなければならない大きな扉がもうすでに私を待ち構えている。
そんなイメージがやってきました。
きりっとした気迫と空気が私を大きくつつんで、
抱きしめてくれている感じがします。
***
今朝、目覚めとともに、いつもと違う「背中」の中を感じていました。
(判定が来る前)
特に肩甲骨です。
肩甲骨の中、いままで感じていた「しこり」の部位より、
さらに深層部に違和感があるのを感じました。
そして肩甲骨が以前よりも、すこし緩んできているように感じていました。
崩残さんからの背中のアドバイス、すごい!!ですね。
14歳のときの記憶ですが、
学校でのことではないかとばかりおもって探っていましたが、
夜になって、やっと、ある出来事をおもいだしました。
歯が、がたがた震えだして、声をだして泣いてしまいました。
14歳ということは、あれは中2のときだったんですね・・・
私は普段、中学校へは自転車で通っていましたが、
たまに徒歩で行く時もありました。
その日は、私の好きな犬の**ちゃんがいる家の前の道を通って、
歩いて行くこと決めました。
運よく、その**ちゃん(真っ白なちいさな女の子でした)に会えると、
なでなでしたり、少しの時間、遊んだりしていました。
あの時代はまだ、飼い犬はほとんど放し飼いが普通でしたが、
**ちゃんはめずらしく室内飼いの犬でしたので、
ときたま庭に出てきているときに、
会えるのを楽しみに、その家の前を通っていました。
その日は、庭にひとりでいる**ちゃんの姿がみえたので、
私は道を挟んで「**ちゃ〜ん」と手を振って、呼びかけました。
すると**ちゃんは私にきづいて、こちらへ走ってきてくれました。
しかし、そこへ自動車が走ってきたのです。
・・・・・ **ちゃんの叫び声 ・・・・・。
私の頭のなかでは、
家のひとをすぐに呼びに行かなければ、とおもっているのに
私は恐怖のあまり、
卑怯にも、その現場から走って逃げてしまったのです。
がたがた震えて走っていたことを今でもはっきり覚えています。
あの日、あのとき、私が**ちゃんを呼びさえしなければ・・・・・・
私が**ちゃんを殺してしまった。
私は卑怯にも逃げることを選んで、
**ちゃんを助けることもしなかった。
卑怯者!!
あのときの私は、ひき逃げ犯と同じ。
恐怖のあまり、目の前の現実から逃げてしまった私。
**ちゃんの飼い主は、子供のいない老夫婦でした。
子供のように、とってもかわいがっていたので、
お葬式もあげ、葬式饅頭を用意するほどでした。
そして、私の母親もお香典をとどけていました。
「**ちゃん、車にひかれたんだって・・・」という母親に、
「えっ、そうだったの・・・」 とまったく知らない素振りをする私。
うそつき!! 卑怯者!! なんてひどい、きたない奴!!
これが私の本当の顔。
私なんて 大っ嫌い!! だい っ きらい!!
このことに極力ふれないように、
記憶の奥へ、奥へと隠し続けてきました。
とりあえず、やっとここまで、
あの、忘れたいけど、絶対に思い出さなければいけなかった出来事を
今日、掘り起こすことができました。
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