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[342]
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★分割自我復元★その342■ 『トラウマ・AC人格報告』
by:
鈴木崩残
2014/04/03(Thu)15:03:06
皆様からの「報告」や「判定依頼」の一部
■言うまでもなく、以下に掲載したものは、原文からは相当に削っています。
ところで、「AC人格列伝」は、私が指定した人以外は、
「判定依頼のときに、補足的に、ご報告ください」と以前に言いましたが、
方針を、少し変更します。
私から「AC人格列伝を書いてみてください」と、メールや掲示板で
言われた場合にだけ、AC人格を並べて分析結果を書いてください。
それ以外のケースでは、報告や自我判定のときに、
AC人格列伝を書いたものは、基本的には受け付けません。
■なぜ、そうする事にしたかといいますと、
本日、自我判定依頼を撥ねられて「延期」となった方がいます。
その人は、まだ今現在では、不完全なAC人格列伝を書いてきたのですが、
やはり、最も肝心なところが、自覚できていませんでした。
●こうしたことは、これからも起きると思いますので、
「AC人格列伝」を、まるで宿題か、
学校のくだらないレポートのように、
ただとにかく、書いてくる、といったようなことはせず、
普通のトラウマ掘りの報告を中心にしてください。
■私が、なぜ、自我復元ブログを書いている人のうち、数名に、
「AC人格列伝」をお願いしたのか、
そのことを、あまりにも理解していない人がいるようです。
だてに、私はその人たちに、お願いしたのではありません。
その人たちは、1年以上も、トラウマやAC人格を掘り続けきており、
その結果、ようやくAC人格というものを、
自分の中で「分類整理」ができるようになったのです。
そうした努力とプロセスを経てきてから出てくるAC人格列伝であり、
まだトラウマや、子供のころの正しい記憶や、感情も掘れていないのに、
AC人格列伝など、書けるわけがないのです。
私が指定した人たちは、長い間、さんざんに、
トラウマや、AC人格と向き合ってきた人たちですが、その人たちですら、
AC人格列伝をまとめるに当たっては、苦しむのです。
それを、さも分かったように、
「とにかく書けば、それで、トラウマ掘りをした事が認められるんだろう」思い込んで、
そういう姿勢で、AC人格列伝を書くのはやめてください。
今後から、私がその人それぞれの時期や、トラウマの掘れ具合を見て、
AC人格列伝については、私から、ベストなタイミングを見て、お願いをします。
*********
●さて、以下に、最近の皆様から報告の一部のみを掲載しますが、
私とのやりとりなどの部分は、かなり略しています。
今回の報告は、ある意味で典型的な事例も多いために、
自分のトラウマ掘りと、AC人格の自覚が、まるで出来ていない人にとっては、
疑問を持つ、きっかけになる方も多いはずです。
いつもは、お一人ごとに、文字の色を変えるのですが、
今回は、3名の方、すべて同じ文字色で掲載します。
私の質問部分やアンケート部分だけは黄色文字になっています。
______________________________
**********
>■ おひとりめ ■
**********
・自我復元開始日:2014/1/25
・延日数:60日
・呼掛作業数:298回(5分を1回としてカウント)。
・回収作業数:104回
・復元を始めて10日程辺りから、トラウマ掘り、関心マップ、
スケッチブック、不快年表などの作業もスタートさせました。
>■3-ご自分の問題についての原因は、ご自分で分析は出来ていますか?
原因はまだ分析出来ているとはいえません。
トラウマAC人格、感染人格、被調教人格が自分の中に沢山いて、
頭、人生が散らかってまとまっておらず、どう着手していけばいいのか
どれが自分の本当の気持ちなのか、本当にやりたいことはなんなのか、
まだはっきりと見えてきていません。
自分の問題の一つと思われることで、まず何とかしたいことは、
行動の意思決定がされていない状態で、
日常の行動を習慣的に行っていることを止めたいと思っています。
(例えば、調べ物も無いのにPCをつけて検索を行うような行為や
あまり考えず食べる等を習慣的に行っていること。)
>■4-ご自分と御家族の間に何か問題はありませんでしたか?
>(同居されている、いないに関わらず、兄弟姉妹の構成もお書き下さい)
・父は内弁慶の卦があり、急に癇癪を起こし、大声で喚いて物を投げたりしていたため、
いつもビクビクしていた。
・母親からは、父親を刺激しないように、おとなしくしているように言われていた。
・子供から見ても父は他人とのコミュニケーションが苦手に見えた。
・幼稚園の時、マスターベーションを家族に発見される。
とても罪深い悪い癖と言われ、見つかったら叱責されていた。
自分は汚らわしく罪深い人間で、本来は生まれてはいけない存在だと思い続ける。
・(小1)学校の催しか何か(新入生歓迎?)で、とても楽しく踊っていたら、
先生が壇上に上げてくれた。
家に帰ったあと、兄と母から恥ずかしいと言われる。
(その他にも恥ずかしいと言われたことは何度もあり)
・(小1)道草をして帰ったのを、先生に怒られる。
→後で母が先生に告げ口し、遠回しに指導しようとしたと気付く
>■9 b-ご自分の最も評価できる点。
正直何も思い浮かばです。
結果としてですが、以下のことはそうならなくてまだよかったと思います。
・(体験が伴わなかったため)精神世界で金銭を取得する方向に向かわなかったこと
・(結果的に)妻・子供がいないため、毒親とならずに済んだこと。
>■14-自我復元をしようと思った、最大の理由は何ですか??
急に今年になって、「早く全自我にならないと手遅れになる!」
そういう気持ちになりました。
おそらく自分の思考・行動パターンは、まさしく希釈自我のそれであると、
本当に腑に落ちたからかもしれません。
人生の挽回はもう出来ないとしても、
せめて全自我になってから死にたい、と思いました。
*********
>以下は、その後の私からの質問への回答です。
>「母と兄がコンビを組んでいた」、「兄弟で差別されていた」
というのは、見た時は否定したくらい、新しい考え(視点)でした。
というのは、私は兄と6歳違いのため、当時比較しようもなく、
年下で病弱だったため、逆に構われていたと思っていたからです。
また兄にはいじめられて泣かされていましたが、ずっと私は慕っており、
自分の味方だと思っていました。
でもよく考えると、病弱で世話がかかる私と、
健康で快活な性格の兄を比べたら、
しかも子供の時から自慰をしている私と比べたら、兄を選ぶでしょうし、
兄にとっては自分は小さすぎて遊び相手にも話相手にもならないので、
母と兄はコンビを組んでいたと考えるほうが妥当と思えてきました。
中略
現在自分の部屋には遺品はありません。
写真、手紙の類も去年辺りに全て捨てています。
また実家の家の中は、去年のお盆に帰った際、ほとんど処分しました。
家の中の残りは、冷蔵庫と掃除機と仏壇が残っています。
残りは家と土地ですが、どうするかは兄に一任しています。
家の荷物の処分の時に、
自分に関するアルバム、通知表類も処分してしまいました。
(今思うと、トラウマ掘りに有効だったかもしれません。)
中略
>付き合っていたその女性から受けた屈辱的なことは何ですか?
*車の運転中に怒りだし殴られ続けたこと。
*致死量のたばこを胃の中に入れて死ね、と教唆されたこと。
*お前は乞食になると言われたこと
(彼女は父親に同じことを言われていたらしい)
*自分の仕事は重大な仕事なのに対し、
私がやっていた仕事は、程度の低い取るに足らない仕事だとけなしたこと。
*自分が世の中で出世できないことや、だらしないのは、
親のしつけのせいだと言われたこと。
*クリスマスか誕生日のプレゼントをあげたところ、
期待よりも低かったという理由で泣かれ、
もっと高いものに替えてこいといわれたこと。
今、思い出して、後悔することは、
*彼女が仕事で一人前になって、彼女にとっては自分が必要で無くなり、
彼女の心が離れ始めていて、別れるべきだと感じていたのに、
「寂しい」、「今後彼女を作るのは無理だろう」、
「SEXの相手を無くしたくない」などの気持ちから、別れる決心がつかず、
ズルズルと付き合っていたこと。
*彼女と対決せず、相手の嫌な面も指摘せず、
その場が何とか収まれば良いと思って、耐えて、受け流していたこと。
中略
父親は自分が小さいころも激しいキレ方をして喚き散らし、
茶碗を投げたりしていました。
母は泣いていたとのことですが、
自分や兄は、隅の方に逃げていたと思います。
声の記憶では、泣きわめきに近い感じです。
ただ包丁を持ちだしたりして私を恫喝したのは高校の時が初めてです。
父の家系に関してはうろ覚えもあるのですが、以下のようです。
中略
精神世界に傾倒していった理由は、
うまくいっていない人生から抜け出して、それを全てチャラにして
一発逆転したいという淡い期待があったのだと思います。
また人から認められたい、愛されたい、安心したい、ということが、
根底にあったのだとおもいます。
もしも人に金銭を取得できる立場に立っていたら、
人に物事を教えたり、指導したりすることで
尊敬や羨望の的になりたかったのだと思います。
できれば組織から離れるか、ゆるやかな関係のみで
人に邪魔されない自分だけのスペースで自由にしたかったと思います。
例えば:霊能者、瞑想指導者、ヒプノセラピー、ヒーラー、
または精神世界と関係が薄いところでいうと、
カウンセラーやヨガのインストラクターとかなどです。
中略
> お兄さんに対しては、劣等感はお持ちですか?
> そうでないと、普通は精神世界で気晴らしを求めたりはしないからです。
はい、兄には劣等感を持っています。
(今まで劣等感とは思っていませんでしたが、確実にそうでした。)
小さい頃はもちろん、学校や就職などで社会的にも躓きましたので
それも劣等感を増やす結果となりました。
実は母に対してのトラウマ掘りはあまり進んでおらず
兄に対しては、全くノーマークでした。
色々とトラウマ掘りのヒントを頂きありがとうございます。
AC人格が邪魔をして、かなり見えていませんでした。
今は仕事のことでも色々バタバタしていますが、
きちんと日々の作業、トラウマ掘りを続けていき、
早く、大きな変化の報告をしたいと思っています。
宜しくお願いいたします。
**********
>■ おふたりめ ■
**********
その事件およびその後の私の状況についての内容は、以下になります。
2月23日のことですが、父親に電話をしました。
その何日か前に父親から電話がありました。
その時は、私はまだ仕事中で家に帰っていませんでした。
それで、妻が受け答えをしました。その時の内容は次のようでした。
父親:●●は、おるか。
妻 :残業でまだ帰っておらず、今日は、帰ってくるのが遅いです。
父親:●●に電話があったと言っといて。
というような会話がなされたようで、
いきなり怒った口調だったようで、妻もびっくりしたそうでした。
結局、父親に電話をしました。
次のような会話がなされました。
私 :手術後の体調はどう。ちゃんと食べてる?
父親:問題ないよ。順調だ。
それよりも、見舞いにも来てくれなかったな。
◆◆◆(弟の方)は来てくれたのに。
私 :手術に反対なのだから、当然、行かないよ。
父親:手術の同意書にもサインしてくれないし、そんな奴とは思わなかった。
今回は寂しかったよ。
私 :手術に反対しているのだから、サインなんかできるわけないじゃないか。
父親:オレが、手術するんだから、反対も何もないだろ。なんで、サインしないんだ。
私 :今更どうしようもないけど、やっぱり、手術は良くなかったと思う。
最終的にはお父さんが決めることだから仕方ないけれど。
この後も、会話が続きましたが、父親としては、手術を受けるのは当然で、
それに子供が同意するのも当然だという立場であった為、
私が、手術に賛成しなかったこと自体が大問題であったようです。
だから、私が、どうして反対したのか、私がどういう思いで、
どれだけお父さんの事を心配して手術に反対したかという事については、
何ら関心がなかったようです。
そんなわけですから、ほとんど会話になっていませんでした。
いや、今回だけではなく、過去を振り返っても、
父親とまともな会話になったという記憶がないですが。
父親は、終始、怒り口調で、私も感情的になって怒っていました。
しばらくの間、会話にならない会話が続きました。
そして、とうとう、私にとっては、
本当に強烈な恐怖の言葉が父親の口から発せられました。
父親いわく、
「確か、借金が残っていたよな。
いくらか覚えていないが、*百万近くあったような気がする。
まだ返してもらっていないよな。
いくら残っているか調べて、また連絡くれ。
こっちも色々とお金がいるからな」
これを言われて、私は、もう本当にびっくりしました。
こういうのを冷水を浴びせられたというのでしょうか。
それまで、父親に対して、勢い盛んで怒っていた私の声のトーンは
一気に下がってしまいました。
何も言えませんでした。借金があったのは、事実でしたから。
原発事故をきっかけに、●●から●●に引っ越してきましたが、
その際、今の賃貸マンションを借りるのに、父親からお金を借りていました。
その時の私は失業状態で、お金が余りなかったのです。今もないですが。
調べると、いくらか返していて、残金としては、●●●万円ありました。
何とか返さないといけないと思っていたのですが、
●●にいた時よりも収入が一気に下がり、
今は、生活がぎりぎりの状態が続いていることをいいことに、
返していませんでした。
いや、何とか返さないといけないと書きましたが、
本音の部分では、踏み倒したい気持ちでいっぱいでした。
実際、今回のようなことがなければ、父親自身も、
借金を返せとは言わなかったと思います。
しかし、今の私は、もう昔の私ではありません。
以前は、親の事をいつも心配し、親の言う事をよく聞き、
親の言う事に逆らう事のなかった私でした。
親を温泉に連れて行ってあげたり、旅行に連れて行ってあげたりしていました。
今は、あほらしくて、する気にもなりませんが。
そんな、親から見れば従順な親孝行の息子であったからこそ、
ちょっとの借金くらい返さなくても何も言わなかったと思います。
そのような優しい息子が、今はすっかり変わってしまったのですから。
親にとっては、何があったのだろうと不思議でしょうがないと思います。
しかも、そんな息子が気に食わないのは、当然のことだと思います。
父親自身も無意識に感じ取ったのでしょう。
「この息子は、もはや、親のコントロールがきかない。支配ができない」と。
だからこそ、父親にとっての最終兵器を思わず出して来たのだと思います。
父親にとっては、恐らく、借金を返してもらうこと自体が目的ではなかったと思います。
収入も下がって、今の私の生活には、まったく余裕がないことは、
十分に分かっているはずです。
今の父親の経済状況から言って、働かなくとも年金収入だけで、
十分にやっていけるほど余裕があり、何も困っていないはずです。
だから、「借金を返せ」といった父親の本当の目的は、
息子に恐怖を植えつけ、支配しようという魂胆は見え見えでした。
実際、父親の目的通り、それを言われてからの私は、
「恐怖と不安」に苛まれることになったわけですから。
「借金を返せ」と言われてから、
最初の頃は、それほど、「恐怖と不安」は感じませんでした。
こういうのは、時間が経過するほど、
ジワジワと効果を発揮してくるのでしょう。
まさに実際の私は、その通りで、
日に日に「恐怖と不安」が増してきました。
それが、日に日に、
全身の細胞にちょっとずつ浸透していくという感じでした。
日常生活をしていても、仕事をしていても、この感情が襲ってきました。
色々な感情や思いが錯綜し続けました。
「お金は返さなければならない。借りたのだから。
でも、返すと今後の生活が不安。どうなっていくのだろう」
「返すお金なんてないよ。今後の仕事もどうなるか分からないし。
でも、返さないと、父親はもっと怒るだろうな」
「やっぱり、返さないと。
このままでは、勘当され、見捨てられるかもしれない。
早く連絡しないと」
「いやいや、こんな大金が無くなってしまうと、
ただでさえ生活がぎりぎりなのに無理だよ」
「借金を返さないと、
親父の金で今の賃貸マンションの生活が成り立っているということだよな。
ここで一気に返さないと、トラウマ掘り、AC人格の消去どころではないぞ」
このように色々な思いが出てきて、「不安と恐怖」でいっぱいでした。
改めて、親に依存していた事実を突き付けられました。
全然まったく、親から自立しておらず、
親からの影響も脱しておりませんでした。
今までやってきた自我復元・トラウマ掘り・分析は
何だったのだろうかとも思いました。
ちょっとぐらいは、親の支配から自立できていると思っていましたが、
まったくそうではなかった。
それどころか、
ここまで、親に対して恐怖を抱いているとも思いませんでした。
中略
結局、色々と悩み苦しんだ挙句、
次のように、自分の心の中を整理することができました。
残額の●●●万円を一気に返した方が、すっきりし、
親からの悪影響を脱するという点でも効果が大きいだろう。
中略
「自分でこうする」と決心し、
その決めたこと対して自分自身が責任を持つことが重要だ。
だから、借金返済計画表を作成し、
自分自身に、自分の未来に、そして、親に宣言すればいいんだ。
計画表の草案はできています。
毎月の何日にいくら返済し、いつまでに完済するかを決めました。
年は持ち越したくないので、年内には全て返す計画です。
後は、正式な計画表を作成し、親父に連絡するだけです。
こうやって、ようやく整理ができたわけです。
親の言う事を聞いて、安心を獲得してきたAC人格の私にとっては、
本当に苦しく大変なことでしたが、何の事はない。
当たり前のことができていなかったのです。
今回は借金という形で現れましたが、
この歪んだAC人格を消去しなければ、
まともな人間として、スタートを切ることができないとつくづく感じました。
その他でも、今回の件で、いくつか分かったことがあります。
・親(親父)は、結局、親の言う事をよく聞く子供しか望んでいないと言う事。
つまりは、言う事を聞く代わりに、助けてやる、愛情を注いでやるということ。
また、言う事を聞かなければ、知らないぞということ。
・私自身が、親(親父)の悪影響から脱していないし、
また、自立もできていないこと。
・「親父から見捨てられるのではないか」という恐怖があるということ。
ここまで、書いてきましたが、
自分自身の中にある「不安と恐怖」を少しですが、
受け入れることができるようになったのを感じます。
最初のうちは、何とかこの感情を打ち消そう、
または、負けてはいけない、
勝たなければいけないと苦しんでいましたが、
今は、こう思います。
不安や恐怖、迷いは、あるのは当たり前、
私の心の中にあるのだから、それを否定する必要もない。
かと言って、その感情をのさばらし、
放任しておくのも良くないとも感じます。
事実として、私の心の中に、このような負の感情があるのだから。
それを直視すればいいのかなと思っています。
私の中に、ここまで大きな不安と恐怖心があるのだとは、
思いもよりませんでした。
このような事は、経験したくないですが、
身をもって経験して良かったと感じています。
今、こうやって一応は大人?になっている自分さえ、
親から怒られ見放されそうになると恐怖心が出てくるのだから、
子供の頃の私自身は、もっと怖かったのだなということが感じられます。
その頃の自分を弁護したいわけではないですが、
自分の身を守るために親の言うとおりにするのは仕方がなかった事だと感じます。
しかし、それは、当時の自分が、
何とかごまかして生きていくために作り出した、
嘘の人格であるのです。
本当の自分自身ではないのです。
早く本当の自分を取り戻したいです。
**********
>■ さんにめ ■
**********
初めて幼稚園へ連れて行かれた日のことを鮮明に覚えています。
自分は悲痛な思いで拒絶し泣きまくって抵抗していた。
祖母と母親に両脇を取られ、
正に連行されるように幼稚園に連れて行かれた。
集団の中へ放り出されること、環境の変化がイヤで
自分の記憶では三日間泣いて抵抗した記憶がある。
これは「集団」への恐怖だと思っていた。
しかし、それよりも「母親」「家庭環境」から
引きはがされることへの恐れだったのかもしれない。
今でもそうだが、精神面が弱いため「変化」というものに強い抵抗があった。
中略
私は、本当にボーっとしていた子供だったと思います。
それゆえ、
頭に知識が貯まらずテストに回答できず成績表は「オール1」だった。
これが始まりだった。
私の大嫌いな声色と共に、
母親のイライラが小学1年の私に向けられ始めた。
確かに肉体的暴力はなかったはずだ。
しかしそれ以上にヒステリックな母親の声が私を畏縮させた。
この声を聞くのが本当にイヤだった。
だからと言ってその声から逃れるために勉強などしなかった。
しばらくして母親は私を塾へ投げ入れた。
普通ではなかった。
なぜなら、その年齢で塾に行かされたのは私だけだった。
そもそも、塾に低学年クラスなどなかったのだが、
母の依頼でクラスができてしまった。
抵抗できずに言われる通りにした。
成績などよくなるはずはなかった。
なぜ、勉強するのか理解していなかったし、
母に尋ねても答えは
「勉強するのが当たり前。常識だからやれ。みんなやっている。」
が常だった。
あげくに、小学生時代は私の意志のない多くの習い事に振り回されてしまった。
ピアノ、そろばん、剣道、ボーイスカウト。
止まらないヒステリックな母親の声。
世間体ばかりを気にする母親の目。
ある日の塾での出来事、
その日私は宿題を忘れ、塾教師の怒りを買った。
二者択一を迫られた。
母親に電話で報告し、家で親に説教されるか、
この場で教師に殴られるか。
当然、私は殴られることを選んだ。
他の生徒はみな「母親への報告」を選んだ。
当時は今のように体罰など問題になることはなく、
教師も遠慮はしなかったので、殴るのも、かなりキツいものだった。
それでも家で母親の声を聞くよりも殴られるほうがマシだった。
基本的に今でも電話ですら母の声を聞くのがイヤである。
身近な人からですらヒステリックな応対にはウンザリしてしまう。
この頃にいろいろな習い事に通わされた。
自分でやりたいものはひとつもなかった。
当然全て中途半端に終わった。
「習う」という事「基礎を身につける」という事に、
今でもヘタクソなのは、これが原因なのだろうか。
どんな物事に対しても、
基礎やプロセスを回避して、結果を最優先してしまう癖は、今もずっと続いてる。
どんな時でもあせっている自分しか見出せない。
中略
「小学後期からの変化」
イジメを受けることはなかったがケンカは弱く、泣き虫だった。
ある日、突然この状況から抜け出したいと思った。
学校でも家でも自己主張ができない弱い性格から抜け出したかった。
TVドラマの影響もあったが試しにクラスメートを3、4人殴ってみた。
理由などなんでもよかった。相手の反応が見たかった。
みんな泣いた。私を泣かせていた奴もボロボロ泣き始めた。
気持ちが強くなり、
言いくるめられていた母親に対する態度を変えたのもこの時期だった。
「おかあさん」と呼ぶのをやめた。
この時から母親を「お前」と呼び始めた。
よくある「反抗期」の始まりだが、もう母親の言いなりはゴメンだった。
成績、進学など要求されるものに説明を求めるようになったが、
やはり答えはヒステリックに「当たり前だろ!」なのだ。
残念なのはこの頃の自分の態度はまだただの「反抗期」に過ぎず、
信念体系など出来てはおらず、犬の遠吠えに過ぎなかった。
中略
中学、高校時代も同じように過ぎ去った。
経済的に不自由を感じなかったため自立して稼ぐという力が弱かった。
アルバイトは早い頃に始めたが、自立への道ではなかった。
今でさえ自立しているとは言えない。
心の片隅では親の財産をあてにしている自分がまだいるのだ。
中略
それは突然始まった。
中学時代のある日、
学内の異性から冷ややかな目を向けられ容姿を笑われた、
というよりかなりの拒絶感を伴った言葉を浴びせられた。
同じ状況をあと数回味わったことで、
やっとそれが自分に向けられたものだと気づいた。
それまでは自分の顔、体型など気にした事などまったくなかったので
ショックは大きかった。
それまでは肥満体型でもなく、
どちらかと言えばクラスの中心で楽しんでいた。
しかしこの頃食事の取り過ぎでかなり肉体がふくれていたのだが
全く気づいてなかった。
それがその日以来、状況が一変し、
毎日のように白い目で見られる日々が始まった。
当然、登校するのが嫌になり外出も嫌なはずだが、
なぜか家に閉じこもるようなことはなかった。
通りすがりの女子生徒から投げかけられるのは
「気持ち悪い」という言葉がほとんどで学校だけではなく、
街に出てもどこでもという状況になってしまった。
キツい10代の日々、
心の中では「どうにかしてくれ、なんで俺だけ?、」
完全に容姿で差別されてしまった。
親などに自分が心の悩みを持っているなど悟られるのは、絶対にイヤだった。
心が潰れるような思いで、
屈辱に耐えながら悶々と学生時代を過ごしてしまった。
プライドもへったくれもなかった。
第三世界の人々がどんなに飢餓で苦しんでいようが関係なかった。
私だけが苦しかった。なんとかしたかった。
ただ普通の恋愛をしてみたかった。
あらゆる行動を封印されているようだった。
結局、中学、高校、大学のうち、おおよそ9年間くらいそのような状態だった。
この頃から、異性に対する恐怖感が染み付き精神が畏縮してしまった。
全く自分の欲望を生きることができなかった。
心の傷は深くなっていくが食に対する執着は止まらない。
何を食べてもおいしく感じる。
家に帰れば母親がたっぷり夕飯を作っている。
いらないから作らないでほしいと言っても
「少しだけだから食べろ」と言う。
全く「少し」ではなくたっぷり用意されている。
何から何まで邪魔な母親。
子供が無駄に肥満になっていくことに嫌悪感はないのだろうか?
この9年間、気づかぬうちに体が肥えていた。
しかし、自分では気づかぬもの。
他人に言われ「そーかなぁ?」程度の認識。
高校へ通う通学電車の中で異性から笑われる姿。
性欲がみなぎる年代での、
異性からの拒絶感が後々まで心の深みで眠る。
毎日見続けた鏡からは自分の姿など普通にしか見えない。
しかし、街中では私の姿はあざけりの対象だった。
くやしさをバネに…などというよくあるパターンにはならなかった。
一番の逃げ道は読書だった。
確かに推理小説から海外文学、作られた物語を読みあさった。
小説の中の世界は居心地がよかった。
現実を忘れるとはこのことだ。
今で言う「ひきこもり」のようだ。
にも拘らず、街に出ては楽器屋に行ったりで「ひきこもり」も中途半端だ。
憎しみの対象は個人ではなく、不特定多数の異性…
自分の不運を呪うしかなかった。
心が張り裂けるほど叫びたかった。
今では特に異性との対話で身構えることはないが、
この頃に受けた傷が癒えているとは思えない。
これが若い頃からの解決できていない問題のひとつだと感じる。
今では親密に接することができるがそれは反動、
またはカモフラージュなのがよくわかる。
見えない防御壁を張り巡らせている。
・この頃に作り上げてしまった人格…
女性には優しく振る舞う、
自分の傷を隠すために自分を作り上げてしまった。
「いい人、素敵な人、優しい人、などなど」
この恐怖感はいろいろな場面でも顔を出し、
ある時期は部屋の窓を開けただけで視線を感じる、
全ての他人の会話を自分に向けられたものと取ってしまう。
そしてそこから生まれるストレス、
暴力性を押さえ込んでしまうという状態が続いた時期もあった。
恋愛感情が盛んなこの時期にこの状況はかなりきつく、
何か行動、表現をしたくとも受け入れられないという精神状態で
この時期を過ごしてしまった。
こんな心の葛藤を抱えていることを、
他人に知られるのは堪え難いことだった。
これは今でも、対人行動に影響していることがわかる。
(私にとっては、)
「やさしさ」=「復讐」なのだ。
仕事や、やりたい事をいろいろ挑戦したが、
神経がか細くなり、能力をわずかしか発揮できずほとんど失敗に終わった。
なにをやっても「遠慮している自分」を見出すばかり。
こんな精神状態では、
自分が本当にやりたい事など見出せる訳がなかった。
今でさえ.....。 全く意思ある人間ではないのかもしれない。
「コミニュケーション」
他人から嫌われない性格を育てあげてきてしまったことに気づき始める。
普通なら回りから総スカンされる言動、態度をしても、
そうはならない性格?、人間性??
そんなものを長年にわたり育ててしまった。
本当は内気で異性と話をすれば赤面してしまう性格だったのに、
今では正反対な態度で他人に接している。
異性から拒絶され続けた性格が生きていくために身につけた人格。
これがあらゆる面で効果をあげてしまった。
表面的にはコミニュケーション能力が高いと他人に思われ、
自分でもそう思ってしまった時期もある。
しかし、偽人格のため肝心な時にはその能力は発揮されない。
それが自我復元である。
自分で感じている限りでは「呼びかけ」に対して
「確実な反応」「間違いない反応」があまりにも少ないのです。
「創造性」
自分の創造力を考えてみた。
テレビではくだらない番組が毎日流れている。
そんな番組でも喜んでいる人たちがいる。
そんな番組を作って人を楽しませる人たちがいる。
では自分は?
何も作れない。
くだらない雑誌の記事が蔓延している。
読んで楽しく思う人たちがいる。
でも私にはそれすらも書けない。
そんなくだらないと思う番組も
私には作るノウハウもわからないし、能力もないと思う。
生活費を稼ぐために他人の土俵で
時間と引き換えに金をもらうことしかできないと実感する。
中略
「一番引っかかる問題」
今の自分が、何に足を取られているのかを考えた。
なぜか今これをメールに打っている手が震えてしまう。
私が人生で、一番引っかかってしまった問題…
「異性からの冷遇」
「未成熟な恋愛経験」
「自分の容姿」
15〜25歳の時期に受けた他人から受けた差別感、
容姿をあざ笑われたことで育ってしまった恐怖心と
それによって惨めさを感じないように生きようとする人格。
どこかで自分だけしかない魅力を身につけなければという気持ち…
手の震えが止まらない。
惨めで誰にも言えなかった心の傷が
いろんな人格を育ててしまったのだと、
「桜の間」を読み感じる。
もう、認めなくては…
◆「何も知らないと言える人格」
誰もが自らを経験豊かだとか色々知っていることを自慢している。
そういう人間がイヤだった。
だから私は、
「知らない事は知らないと言える、どーだ、知らない言えるぞ!」
「知らない」ことではなく、
「知らないと言える」ことを自慢する。
どーだ、魅力的だろ?
この馬鹿さ加減に気づいたのは、数日前だろうか?
これも異性の気を引くための道具に過ぎない。
「だからあなたは魅力的なのね」
嬉しい…これは武器になる。恋愛には欠かせない武器だ。
◆「おちゃらけた人格、インディジョーンズ人格」
映画のキャラでインディジョーンズというのがいる。
あーいうのが好きだ。
「あなたはしょうがない人」と言われながら愛されるキャラ。
それに憧れてしまい、人の前ではそんな風に演じる。
他の人がやれば問題になるが
私がやればしょうがないで許されてしまう。
そんな人格を作り上げてしまった。
愛される?のは気持ちがよい。
この人格でいる時は、惨めだった過去の時期を忘れられる。
正に鈍感になれるのだ。
この陽気さは麻薬だった。
自分には一番の麻薬。
完全に中毒だ!
◆「弱いを良しとする人格」
「精神面が弱いって言われるのイヤでしょ?」と問われるが
私は「別に」と嘯く。
誰もがメンタルの弱さを隠す。
だから、この人格はメンタルの弱さを隠さない。
「隠さないからホントは強いんだぞ! どーだ、凄いだろ!」
こんな人格たちしか出てこない…
情けない。
中略
もう、認めなければ。
悟り…精神世界…
そのようなものを私は求めていなかったと。
認めたくないけれど…、全く求めていなかった。
求めていたのは昔出来なかった恋愛であり、
美と知性を持った女性たちから好意を持たれる優越感だった。
若い頃満たされなかった経験。
基本的な心理学、相手の気持ちさえ分からない精神状態、
相手の心の内も見抜けない洞察力のなさ、
自分の恋愛問題さえ解決できなくなっていた。
「上手くいっていると思う時は上手くいっていず、
悪化している時に突破口があると認識するように」
と言われたことを改めて思う。
中略
「なぜ、恋愛したいのか?」自問する。
15歳から25歳くらいまで受けたあらゆる女性からの拒絶、そして反動。
女性に自分を追いかけさせい衝動。
誰でもいい訳ではなく、ターゲットは人が羨む女性ばかり。
人とはちょっと違うから、変わり者だから魅力的?
と言われ、気分をよくする。
ある意味、異性からは好かれる、好かれるための人格形成。
私…?、いや、私とは異性からの目そのものだ。
一人でいることはいいことだ。
友達はいらない。
でもなぜか恋人はいつも欲しがっていた。
中略
そこで、精神世界時代から知り合いに**についての情報を求めてみた。
返ってきた答えは情報ではなく、
その人がどれだけ好き勝手に生きてきたか、
いつどうなっても悔いのない人生論、グル気取りの言いぐさ、だった。
私もそういうことを言っていた時期があったが、
自分が上手くやりこなせた物事は、ただの偶然だったと、今では思えてしまう。
精神世界の知り合い、グル気取り、悩むことを卑下する連中……ウンザリだ。
でも、私はそれ以下の精神しか持ち合わせていないのも事実だ。
中略
前回からの復元回数:
正確さにかけますが 約214回です。
前回から時間が開きましたが、●回目の自我判定をお願いします。
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・所 見・
●原主体→トラウマ経験→インナーチャイルド→AC人格の発育
この原主体に、予想外のショックにより「凹み」が出来るのが、トラウマであり、
インナーチャイルドは、それに反発しようとして「失敗」した痕跡の圧力であり、
AC人格は、凹んだままの自我の器を、
その後、それが当たり前と思ってしまい、そのまま死ぬまで過ごします。
生まれた時の自我率によって、自我の「大きさ」は違えども、
誰もが、最初の自我の形そのものは「正球体」だったはずなのです。
それがもしも、幼児期に親からの打撃によって凹んでしまったらば、
その後、その凹みがあるがゆえに、
その凹みを、自分ひとりでは埋められず、その結果、
「自己承認」のために、
常に「親」、または親が投影された「他人からの反応」を必要とする、
というAC人格の症状が一生、死ぬまで治りません。
AC人格の最大の特徴は、
他人からの評価、他人からの目に、過敏なことであり、
その過敏さの結果として、
1/他人からの評価や見られ方を気にしすぎて墓穴を掘る、
2/他人からの評価を「なんとも思っていません」と、うそぶき、鈍感を装う、
3/他人に対して批判ばかりしか出来ない、
4/そのくせ、都合の良いところは他人に迎合する、
5/その結果、真に自主的と言える目的がなく、いつまでも自己が定まらず、
ダラダラとした時間の過ごし方をし、
人生での成果を何も達成できない状態に陥る。
などです。
■これらは幼児期と子供時代に、
親から干渉によって、「本人による自己承認能力」が疎外されたために、
親の顔色を(無自覚のうちにであ)常に気にする癖がついてしまったことが原因です。
全く同じことが(他人の評価と視線への恐れが)、
その後の、思春期や成人後の人生でも、ずっと他者に対して継続し続けます。
それに対して、「嘘つきと誤魔化しがその本性のAC人格」の、
無駄な抵抗(麻痺や、虚勢や、逃避行動)が、
さまざまな問題(特に対人問題)をより悪化させてゆきます。
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●余談となりますが、今回の報告の中に、
親のお金を頼っている、そしてその弱みを攻められた話があります。
たまにですが、
「自分の子供には、何でも好きなことを、やりたいという事をさせてあげた、
だから、自分は毒親ではない」と言いたがる人がいるのですが、
よく聞くと、
誰がそのお金、その資金を出していたのかというと、
その人の親だったりするのです。
呆れて、何も言えません。
その者は、毒親になるどころか、
そもそも、親にもなっておらず、
自力では、子供を育てなかった、育てられなかったわけです。
その者の子供を育てたのは、
その子供の「祖父母だった」という事になります。
いまだに、その者は、親のペットに過ぎないわけであり、
その者の子供もまた、その祖父母のペットに過ぎません。
■だから私は、大昔から、
何度もこのサイトの掲示板の中で繰り返し言ったのです。
貰ういわれのない、毒親の金には、一切手をつけるな。
最初の自立資金としても、
その後の生活費や、
引越し代や、移動費用や、
物品購入にも使うな、
むろん、物も、一切貰うな、と。
これだけ、長年、言ってきたのに、
まだこれを守ることすらも出来ない人が、たまにいるのです。
二番目の方は、それらをほぼ全部捨てたのが、
今回のトラウマ掘りにも役立ったようです。
多くの人は、親と、まずお金の縁を断ち切ることで、
トラウマ掘り、AC人格にメスを入れられます。
どうしても、成人未満で、自活がまだという状況で、
自我復元をされている方というのは、お一人しかいません。
唯一、その方からだけは、判定料は戴きません。
その人の毒親のアカのついたお金では、せっかくの判定や助言も無駄になり、
それ以前に、その人の自由で自習的な思考など、その段階では、
まだ、どこにもないからです。
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