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[347]
■
★分割自我復元★その347■ 『報告からの、いくつか抜粋』
by:
鈴木崩残
2014/04/28(Mon)08:21:42
・自我復元の判定依頼
その他、報告からの抜粋・
●桜の間、もう一週間も、更新しなかったんですね。
ここのところ、いつもメールをやりとりする事の多い人にさえ、
返信していない日が続いています。
理由は、梅の間でやっている食品測定が、
次から次へと、どんどんやるべき課題が出てきて、
それに少し追われているためです。
ここ数週間は、いろいろなテストにかかりっきりです。
自分の、脳内の「関心地図」のメーターでいくと、
放射線測定関係=50%
自分の今後の未来の運命の設計のこと=30%
皆さんのトラウマ分析のお手伝い=20%
死後のシミュレーションのプランへの作業=10%以下
*********
ということで、明らかにバランスは崩れているのですが、
やれるときに、やる、というのが私の主義です。
やらんでもいいときに、ダラダラ、チンタラやらないのです。
あと少し、何日かすれば、梅の間は、落ち着きます。
何日か、ではなくて、とにかく、すべきことを決めて、着々とすれば、
6月ぐらいには、使い物になりそうです。
ちなみに、街中に店を出していて、何千円も払っても、
検出下限とか、定量下限が10ベクレルまでしか検査してくれない測定所よりは、
多少とも、マシな測定が自力で出来そうです。
その正確性には、自分でも自分に対して、まだ保障はできませんが、
それでも、自分で責任を持って、日々、自分の食べるものを決める、
というところと、
その判断を下すのは、他人ではなく自分である、
という点が充実感を、私の中に想起しています。
測定というものの「過程」と「創意工夫」を、この4ヶ月に、
測定員でもないのに、しかも、
元来、こんな、しなくてもいい余計な事なのですから、
知識も関心も、あまりない素人なわけですが、
それでも、かなり多いであろう「数」をこなして、毎日経験してきたので、
実りある経験になっています。
ただ、こういうもの(測定のようなもの)は、テスト結果を出すまでは、
一日24時間、関心を固定したままでないとなりません。
ただし、一時間といえども、無駄な時間を使う気は一切ありません。
*********
●皆さんからの報告やメールは、むろん全て目を通しています。
ただ、判定依頼以外のものでは、
本腰を入れて返信を出来ていないものもあります。
これを、つらつらと書いていたら、
何をするのか、忘れてしまいそうになりました。
寄せられた報告を転載するのが今回の目的でした。
●報告の中に、沢山の重要な記述があったので、
今回は、3名の方の中から、あちこちから抜粋という形ですが、
以下に羅列しておきます。
***************************
いくつかの報告より
鈴木崩残 様
今までは何故毎年の様にこんなことになるのか分かりませんでしたが、
これほど頻発しているということは、
私からも自分の欠点を見ないで済む為に、
恨みを持って批判できる相手を引き寄せている様に思えます。
中略
このことから私は、俺は何も悪くないのに、あいつは俺に対して失礼な態度を取った、
だから許せない。というどちらが悪いのかと言う考えでしか判断できないもの同士が、
引き合ったようにも思えます。
中略
これまでは、社会生活の中で、直接相手に対して不快に思ったことを伝える、
ということがろくに出来ていませんでしたから、
今回で初めてそういったことが出来るようになることを目的としています。
これが以前の自分であったなら、もっと不満を溜め込んでから、
ようやく相談しようと思い始めたでしょうし、
いつまでも相手に対して心の中で罵倒し続け、
実際には相手の一挙一動を気にして不安になっていただろうと思いますが、
今回はそれが全く無いわけではないが少なくなった、といえます。
中略
数年前から私は、テレビに出ている政治家、芸能人、先生、クラスメイト、家族、
いろいろな人に対して不満を持ちながら頭の中で延々と批判を繰り返し、
時には口に出してさえいましたが、
そうすることで一時的に自分の他人に比べ劣っていると思っているところや、
自分に対する不安から目を逸らし、
自分のほうが他人より優れているように錯覚する事が出来ました。
加えて、その批判も他人の意見の流用であり、自分から出た意見ですらなく、
他人の意見を知っていることを自分の知識とみなして、
虎の威を借る狐のように自分を大きく見せ、
自分が博識であり、立派な存在であると言いたかったのです。
この癖は一人の先生から私が読書をしていることに関心を寄せられたことで、
他人の承認を貰ったと思い、
ますます自分は物知りで価値のある存在であると増長しました。
カウンセリングや相談室での先生との話し、クラブ活動でも、
ほぼ全てがこういった他人の意見の流用でした。
中略
そもそも、きちんと喧嘩するということも、
父親と少し言い争った程度しかない今の自分には、早すぎた可能性もあります。
結果、この意見は聞き入れられることはなく終わりました。
中略
父親は、自分の仕事についてよく言っていたことがありました。
「風邪をひいてもインフルエンザに罹っても、仕事は休めんとぞ。」
仕事というのはそういうものだ、というようなことを何度も耳にしました。
私はその言葉に対して、仕事はそんなに辛く嫌な物なんだ、
自分にはとても出来ない、そう思っていましたが、
今思い返すと、それはあくまで父親の仕事での話しで、
どの仕事もそうとは限らず、
加えて、父親は、仕事に対するそんな思い込みと、
そんな仕事をしている自分の苦労をお前も理解しろ、
という毒を植え付け、
さらに自分が不登校になっていた時にもそんな話を父親がしないとは思えず、
自分が休んでいるのはしてはいけないことだと萎縮していたのだと思います。
中略
また、父のそうした言動は、私の仕事に対する考え方にも影響を及ぼし
自分で本当にしたい仕事を考えなかった、選べなかった一因になったといえます。
その他に父親がよくやっていたのは、武道を習っていたことを自慢するかのように、
何度も言っていたことです。
これも私に水泳を習わせるために、自分もやったのだからお前もやれ。
と言いたげで、自分の力の強さを誇示して、力ではお前には敵わないん、
だから俺の言うとおりにしろという脅迫にも受け取れます。
加えて、私は、自分が間違っていることを指摘されると、
それが本当にそうなのか分からないままひどくうろたえる反応をよくします。
これは父親に説教される間に、自分の意見を聞き入れられた覚えが一度もなく、
延々と怒られていたことに原因があると思います。
考える間も無く父の叱りつける声が延々と続くのです。
そうして自分が泣いて何もいえなくなっても長々と話を続けて、
最後に必ずと言って良いほど、
「今後そんなことはしない」と何度も返事をうながして約束させられます。
自分が間違っていると言うことに対して大きな罪悪感と焦りを抱いています。
間違っていやしないかと言う不安が先走り、結局は何もしないか、
焦って大体は最初に選んだものとは違うことをして失敗します。
特に集団で何か作業をするときには、
私が手伝うととほとんどがかえって足を引っ張る結果になったので、
私が役に立たないことを知られたくないがために、
したくも無いことをしようとした結果、失敗することになるのだと思います。
中略
加えて、父親はいうことを聞かない私を家の外に引きずり出したのですが、
父親もまた、子供の頃にいうことを聞かなかったときには蔵に閉じ込められていた、
と聞いていたことを思い出しました。
父親は自分がうけたトラウマを、
そっくりそのまま自分の子供である私に対して植え付けていたようです。
母親については幼いころの環境について聞くと、
祖母の**の仕事で実家に預けられ、一人目の離婚に始まり、
何度も転居し父親が変わり、一人目は祖母に暴力を振るい、
母親に対しても髪の毛一本に至るまで指図する親であると聞きました。
家計も苦しく三人目の父親が居なくなってからは家を差し押さえられ、
実家に戻って生活し祖母が病気で倒れたときには母が家計を支えるという、
相当な我慢を強いられる劣悪な環境でしたが、
これを聞いてやはりと思いました。
母が父親の命令に対して子供を守ろうとする選択肢を選ばなかったのは、
暴力に耐える祖母を見てきた影響であるのは間違いありません。
祖母も同様に父親の居ないときに愚痴を私に言っていましたが、
本人の居る前では決して文句も言わなければ口を利くことも少なかったのは、
前から既にそうであったと思われます。
最近の母親は、私に車で送ってもらうのがささやかな楽しみだったのにと言っていましたが、
そんなことも自分の我慢の対価を子供が支払うのが当然だと思っている節があり、
弟に対しては学費が少なく済んだ私と比べて、
本当に手がかかると愚痴を言っていました。
私が母親に対して否定的なことを言うと、
「じゃあやってあげない」、と言い、母親は、機嫌が悪くなると、
それまでしてくれようとしていたことを引っ込めるようになりました。
これまで散々に世話を焼いてきたのは母親自身の都合であることを、
証明しているようなものです。
私の外見を褒めるかと思えば、何の脈絡もなく愛情だと言っては私のしりを軽く叩いたり、
笑いものにしたりと、
スキンシップのつもりにしても理解しがたい行動を取ることもあります。
幼い自分はこんな母親でも頼りにし信頼していたのだと思うと、
自分の居た場所と言うのがどんなに頼りない場所であったのかと、
やるせない気分になります。
***************************
鈴木崩残 様
ご無沙汰しております。前回判定をして頂きありがとうございました。
その後、新たに不快年表を書き出しトラウマ掘りを続けています。
そうだ、私は長女が怖かったのです。
言い負かされて、泣かされて、怖かった。
母に言っても形式的に止めなさいと言うだけで全く効果なし、
そこで父や次女に助けを求めた事もあった。
姉に泣かされ居間のこたつの上に涙をいっぱい溜めて父の帰宅を待った。
父が帰ると、どうしたまた泣かされたのかと言い、
たまには仕返ししろと姉を押さえて私に殴らせてくれたが、
今度は 姉が半泣きで痛いだろと怒り、父がばつ悪そうにしていた。
長女が嫌で怖いので、次女に仲良くして欲しいと近づいたが、
あまり意味はなかった。
次女も文句を言われて家出のようなことをする位なので駄目だった。
転機があったのは、小学で何年か経った後で、
自分の机にあった物を壊されたか何かで私が怒り、
道具箱からハンマーを持ち出して姉の机にある物を叩き壊しました。
姉が帰宅してくる時間になると内心恐怖と不安でいっぱいでした。
姉が机を見て大泣きしながら降りてきて、
「どうするんだよこれ!」と本を持っていました。
学校から借りた参考書があったらしく買い換えられないため、
大泣きしていました。
私の物は最悪しょうがないけど、これはどうするんだよーと、
お前が悪い んだろと言い返し、しぶしぶ納得したのか、
その場はなんとか治まりました。
この一件から、姉からの虐めはなくなったのでした。
中略
そのような状態で高校生活を続ける事になりましたが、
上記の目立ちたい、関心を引きたいと言う勝手な言動がたたり、
次第に友人関係にもヒビが入り居場所がなくなっていきました。
高校生活は楽しい場ではなくなり、苦痛と化していました。
ある日、父に学校を辞めたいと打ち明けました。
学校は苦痛でしかないので辞めたいと、
父は「辞めてどうするんだ」と、
「働こうと思っている」と答えると、
「仕事は大変だ何処にだって、嫌な奴はいる、
学校に居たほうがまだいいのではないか」と言われました。
でも、辞めた い意向をその日か、数日後に伝えました。
すると父はそこまで言っても分からないのかと怒り、
トランクス一枚にされ、寒空の中外に放り出され、
ホースで水を掛けられました。
寒さでびっくりして心臓が止まるかと思いました。
「いいか仕事はこの位辛いんだ俺だって嫌な思いをいっぱいしている。
お前に勤まるのか」、と言われました。
ただ震えながら話をじっと聞くしかありませんでした。
何分続いたか分かりませんが、
気が済んだのか、分かったのなら明日から学校に行けと言われ開放されました。
部屋に戻り、タオルに包まりながらヒーターにあたり考えていました。
もう自分は駄目だという、完全に父に屈してしまったような敗北感、
殺して何もかも終わりにしてやろうかと言う自暴自棄な思い。
でも殺してしまったら家には当然いられなくなる先々もなくなるという不安。
結果としておとなしく学校に通う羽目になりました。
より学校に行かされている、やらされている感が強くなり、
行かないとまた何かされるかもしれない、という恐怖心と無気力で
通っていました。
中略
ただ思い出すだけでは不十分で理解が足りていませんでした。
暴力という手段で無理やり従わせられねじ伏せられた影響が、
今現在でもあり、影を落としていたのです。
中略
■父、母の言動と自己否定
長女に関する事が手がかりになり、父に関する事で思い出しました。
中学二年の初めの頃だと思います。
居間でテレビを見ていると長女が二階から降りてきて、父に話があると喋りだし、
「妊娠したから、どうしたらいいか」との事でした。
父はびっくり した様子でしたが、段々批判的になり、
「二十歳そこそこじゃ、まだ遊びたい盛りだし、子育てなんて無理だ。
相手は同僚だし、若いから給料だってそんなに貰えていないだろ」と話していました。
後に、「俺らだって生みたくて生んだ訳じゃないしな。
生まれちゃったんだもんな。子供は一人くらいがいい」、
と母に話を振っていました。
それを聞いたときショックでびっくりするような思いでした。
母のほうを見ると誤魔化すような顔つきで何も言いませんでした。
その内に長女も責められて泣き出し、私は二階に追いやられました。
漫画を読み出しましたが、さっきの言葉が頭から離れず、
「三番目の私はどうやったって要らない子という事だ」という事実を
受け入れられないでいました。
父とは趣味を通し て遊びに行くことも多く、それなりに慕っていた部分があったので、
裏切られたような気分がありました。
またそれから目を逸らすように学校の友人たちの事を考えました。
自分の居場所を求めるようにです。
これにより、私は私で良いのか分からない感覚を強める原因になったと思っています。
中略
母について思い出した。
小学低学年の頃、包丁が少し使えるようになり、食事の支度が出来るようになった。
それを見た母が、「やだ、私の居場所が無くなっちゃうわ」と言っていた。
それを聞いたとき変な違和感と、悲しいような落ち込む気分があった。
お菓子も何度か用意されていた。
要らないから用意しなくていいと言っても、
手作りのものや買ったものが、何度か用意された。
私の仕事の都合で食事がいらなくなり、
母に「ご飯は作らなくていい」と言った時はしつこかった。
「二人も三人も同じだから食べていけ」と、
いらないと押し切り渋々納得させた。
二階に上がる時に母の顔が横目に入ったが、顔を赤くしてな んとも不満そうだった。
母は相手が出来るようになった事を喜ぶでもなく、
自分で勝手に相手の為になっていると思い込んだ事をしたいだけだった。
中略
また、記憶を遡るにつれ三〜四歳位に重大な問題があることに気が付きました。
リビングの机に母が座って何かをしていました。
機嫌が悪そうな様子でしたが、かまって貰おうと近づくと、
途端に今までの作業を止めて無言で外に行き掃除を 始めました。
疲れていそうだったり、絵を見せても反応があまりない事はありましたが、
あからさまに無視されたのは初めてです。
あっ、、、と過ぎていく母を見ていました。
なんというか当時の感情は言葉にならないようなショックでした。
今振り返ると驚愕だったと思えます。
思い起こしても一番辛い出来事です。酷すぎます。
この一件により酷い影響を受けてしまったと感じます。
中略
またこれにより、父に迎合してしまうきっかけになっています。
当時は、ただかまって欲しい、遊んで欲しいので父について行ってしまいました。
そこで父からの悪影響をくらう羽目になります。
この頃から、依存的な自分の芽が出始め、
振り返れば自分の居場所を求めるように、母がだめならば、父親と。
中学でからが要らない子、と言われれば、友人たちと遊びだす。
友人たちがだめなら、遊びにはしり、遊びがだめなら趣味にはしり、
それがダメなら別のものへと、
常に不快感を見ないよう依存の対象を求め ていると思います。
中略
そうだった。
常に物事に一歩身を引いて乗り気になれない自分がいた事を思い出した。
友達と遊んでいても、彼女と居ても、趣味に没頭しようとしていても、
なんかしっくりこないと思っているなんて、毎回の事だった。
常に、この考えが頭の中にあったのだ、これでいいのか。
母に取られた言動で、自分は自分でよいのか分からなくなってしまった。
最近ではいつも言っていた。
なんだろ実感がない。仕事していても 、一人暮らしを始めても、
家でPCをいじっていても、悪い時にはフワフワしていてボケている自分がいた。
中略
仕事場での作業中に気が付いたのですが、
何か別の事を考えている自分がいる。
その特徴は、嘘つきや責任転嫁です。
思い出すと酷い過去がありました。
中略
これでした。
母に怒られたくないを動機として、
本当は、自分が悪いのに、いつも、それを他人に隠し通したのでした。
中略
判定文での**に関して、
「それすらコンプレックスだらけの父親の趣味を受け継いだだけ」、
これを読んですぐさま**の道具を売りに行き止めることにしました。
ですが、形だけ止めても依然として**の事を考えいる自分はそのままでした。
判定文で、かかわるのは良くないと、指摘を受けた、
「職場で出会った**をしている人物」を考察してみました。
仕事ぶりを見ていても問題ありな人物でした。
そこに自分の理解が足りませんでした。
中略
まったくおぞましい。自分の父親と一緒です。
他人に対しての傲慢な態度、自分がバカにされたと思うと激昂して、
相手をやり込める姿、虚栄と自慢の道具の話し。
ですが、一番の問題 は私も同じ要素があるという事実です。
なぜそのような人物と関係を結んでしまったのか、
それが私の慣れの姿だったからではないでしょうか。
そのまま進むと、自慢できそうな人間関係を結んだか、
ブログなどを書いて、あれこれの自慢していたと思います。
私が**始めた動機というのが、本来の自分の物ではなく、
母からの自己否定が大きく関係していると思います。
かまって欲しい、遊んでくれる人が欲しいとついて行きました。
父と**をしていれば安定したポジションが確保できると思ったのかも知れません。
だんだんと対象化して見れてきた時思ったのが、
後輩を身近に置きたがる先輩の心理というか、
自分を保つ道具にしたいのが本音だと思う。
一見よくして貰ったり 利益に見えますが、毒まじりです。
それを利益と勘違いして貰っていたら、相手に依存してしまい、
上から目線の虚栄心を相手から投げつけられる道具にされてしまう。
何か良い事をして貰ったり、褒めてもらえると、懐いてしまう様な自分がいるように思えた。
父親との関係で、物を買ってもらって、ほいほい付いていく事が多かった。
奢ってくれる友人にも、おべっか使って付いていく事もあった。
相手への依存心があるのではないか。
他人に下駄を預けるような真似は自滅を招きかねない。
分かった。
父親の趣味に引き込まれ、
そのための**を買って貰ったりそれなりにいい思いをしてしまった。
もうこの頃から依存心が植えつけられてしまっている。
**に付き合っていっても、
話を聞く側に回る事や親父の意見に従う事が殆どだった。
中略
以前に注文した禅書の生活の文字、活が書けないと言われたことを思い出した。
自分でやらなければ意味がない。
中略
私はそのような事はどうでもいいから、好きにやりたかった。
しかし、父のせいで、次第にやる気がなくなり、ふて腐れだすと、
「何だ、お前は、やるやる言って、最後までやらないじゃないか」
と、怒られました。
全般に言えますが、
「俺の方が上手いんだから、やってやる」と言う傲慢な態度が見え隠れします。
それを断ると怒る始末です。
文句を言おうものならお前が悪いのだろと言われます。
中略
また、小学低学年の頃、私が父から買ってもらった**で、
一番気に入っていた**を、父親が使おうと用意していました。
「それは使わないで欲しい」と怒りましたが、
「何だ俺が買ってやったやつだろ」と怒られ、言い返せませんでした。
私も嫌な気分になり、父親も多少考慮したのか、
「どれなら使っていいのか」と聞いてきました。
「あまり使わないでほしい」と言うと、
「何だ、お前は殴られたいのか」と言われました。
(頭あたりを 叩かれたかもしれません)
父の機嫌が悪くなったり、父の意向に背いたりすると恫喝されていました。もう最低です。
父親としては、
自分の得意分野に引き入れ優位なポジションを確保して、
相手を自己証明の道具にしたい、
趣味の**自体が、そのツールとなっていたようです。
マイナーな趣味なので分かってくれる人がほしい、
父に機材を買って貰わなければ出来ないので、反抗しづらい、
挙句に、自慢したり得意になる。他人を引き入れて先生気取り、、、最悪です。
振り返り、私も自己存在を投影していました。
父親や母親から受けた自己否定の不快感を見ないようにするために、
得意になり、他人を引き込んでは、何かを教えていた事もあったのです。
このようなAC人格が、
職場での人物を引き付ける事になったと分析しています。
中略
今回のこの事件は、違和感がありました。
私は明確にそのような人物を望んでいないと思えたからです。
過去を振り返っても、
親父の意見に従った事をやるとろくな目に合っていないのは明白です。
親父の意向は「駄目な子でいてほしい、自分のゴミを投影したい」。
そこで、徐々に対象化して見えてきたのが、頼りたがり人格でありました。
私のAC人格が水面下で活動しており、そのような人物を引き付けてくる。
母から受けた不快感を見ないように父について行ってしまった。
しかし、そこで、私は、父の自己証明の道具にされ、
「お前は俺がいないと駄目なんだ」、と思い込まされてしまった。
だから自立して一人でやろうとすると、
親父に似た要素を持った人間が現れて、邪魔してくる。
自分の不甲斐なさや、自己否定の不快感を見ないように、
趣味の世界に逃げては、自己補填したいという自分がいた。
「自分が駄目になってしまったから鍛えなおしてくれ。
父の職場で一緒に仕事させて鍛えて欲しい」
と思うほど頭がおかしかった。そんな状態まで落ちていた。
中略
原因を探れば先にいた両親に問題があったことは明白だ。
そうさせられ、思わされてしまったのだ。
中略
また考察していて、相手のような要素が私の中にもあるのではないかと思えた。
駄目にされてしまった自分を責めるような自分がいるように思えた。
父親と私の関係、この二人の要素が、私の中にあり、目も当てられない状態であった。
頼りたがり人格を虐待する、親父譲りの人格。
考え事をすると親父譲りの口調で言葉が聞こえるような感じがして気分が悪かった。
絡みたがり、言いたがり、
教えたがり、俺の方が出来ると、馬鹿にする。虐めたい。
これは親父譲りの要素が私の中に残っている事の表れで、
共依存の関係になっていたと思います。
出来なさそうな人を探して、
「しょうがないなやってやるか、おしえてやるか」と上から目線。
こうすればいいんだと先生気取り、
自分が優位に立てる状況を探す、姑息な目線、
これが私の中にもある。
「教えたい自分」
判定文のご指摘で、
「不注意で余計な事をポロリと言い、そうした事の積み重ねの原因をまだ理解できていません」
とありました。
最初に考えたのが、高校時代に目立ちたい、格好いい人だと思われたいと、
自分勝手な言動を繰り返し、トラブルになっ たことです。
人ずてに噂が広まり変な話になって自分に帰ってきて嫌な思いをしました。
このように、身勝手な言動がたたり、
今現在で変な影響を受けている事なのかと危惧しましたが、
原因は私の言動にあるので思い返してみました。
三〜四歳くらいに、はっきりとは思い出せないのですが、
姉に馬鹿にされた事があったと思います。
中略
幼稚園の時、女の子に嘘をついたことがあります。
知っている事を並べて、「**を持っている、**出来る」と
、、、一応「すごーい」とか反応はありました。
小学生の時、通学前に近所の子供に***をみせて、
「どお、凄いでしょ」と言っていた。
高校生の時も、
先生相手に本で仕入れた知識を披露したい気持ちがあった。
自称霊能者に会った時も、「**けは**だと思っている」、
と余計な事を言ってしまった。
中略
自分の押し売り、先生気取りで、何処かから仕入れた持論を展開する。
いろいろ考えていましたが、
教えたかった 、という思いがある事に気が付きました。
教えて、相手がうんうん言ってくれれば、
それで自分の価値が保たれるんだ。
その気持ちは父親から感染したものだ。
父親の趣味の**だったり、知っている事だったり。
中略
「感謝しろ」
いろいろ考えていたとき、
父親譲りの思考が自分の中に出てきて、頭が鈍る感じになった。
親父由来の何かで、
感謝しろ、感謝されたいと思っている何かがあるように思う。
父親に言われた事があった。
「お前は感謝がないな」と。二十歳前後だったと思う。
言われても何故か、ありがとうと言う気持ちが全く浮かばなかった。
当時は肩身の狭い思いをしていた。
駄目な自分を家に置いてもらっていると感じていた。
ただ飯食わせてやっているんだから感謝して食えよという感情を感じていた。
中略
「お父様ありがとうございます」とでも言えば、
「しょうがねーなー置いてやってもいいぞー」とか言われそうだ。
反論すると「お前が悪い」と口を尖らせて言われそうだが、
私に起こる問題の原因が、
先に居た両親にあるのは明白だ。
他の家庭で育ったのなら起こりえない。
私が病人のようになったのは家庭に問題がある。
私が馬鹿をやって、みんなに迷惑を掛けたと思っていた節があるが、
はたしてそれだけだろうか。
親の毒をくらって親の都合どおりになっている。
「これをやるから、俺に感謝しろ」と、父親から馬鹿にされている。
中略
「恩着せがましい人格」
感謝しろよと。
仕事で忙しいくなった人が、「助けて」みたいな感じになると、
「しょうがないな」と、上から目線でやってやっている感がある、
これがもう、恩着せがましい。
会社で仕事を手伝ったときに気が付いた。
頭の中で「これは貸しだ、とか、高くつくぞ」とか馬鹿な事を言っている思考があった。
投影しているではないか、クソ人格を。
あまり気に止めなかった出来事だったけど、
もうこのレ ベルで影響を受けている。
「やってやっているんだから感謝しろよ」と恩着せがましいAC人格。
これは、父親にやられた言動に対する、反発が出来なかった為に、
歪みを持つ結果になってしまったと分析しています。
中略
その箇所を読んで思う所があり、
私には、相手という視点そのものが、ごっそり無くなっていたのではないかと思えました。
どうすれば目立てるか、自分に利益はあるかばかりで、
相手の事を考えているつもりでも、
それは「自己の補填」が主な動機となっている。
中略
思い返せば、何を言ったり考えていても、自己補填が動機として動いていたと思います。
親父に感じていた違和感も思い出した。
何を言っても受け入れないような跳ね返されるような、
見えない壁のような物を感じていた。
中学生の時、父親に何かで、「ああしなさい、こうしなさい」と言われた時、
「いっつも、そうだ。押し付けてばかりで」と泣いて言い返した事があった。
私を無視して、常識やルールを押し付けるような父の言動が嫌だった。
その後 何時からだったか、
言っても聞かないなと思い自分の意見を言わなくなってしまった。
そのせいで、私もとっつき難いような嫌な印象を、他人に与えていたと思います。
中略
そうだ、素直に自分の意見を言えない状況にあったんだ。
子供で、年上の兄弟には敵わない。
父には生活を握られている。
なので歪んでしまう。
それを相手に投影したこともあった。
小学で女子に。
中学で同級生に。
高校で女の先生に。
母に対しても歪みをぶつけていた。
父親は恐怖を使わないと、
言う事一つ聞かせられない、ろくでなしだった。
掲示板に記事があったと思う。
この人は怒ったら怖いんだと思わせたら調教は簡単だと。
事実そのような人には、自分の素直な意見を言いにくくなる。
飯の種を握られるのも一緒だ。
親父は自分の思い通りにならないと、
「叩かれたいか、追い出すぞ」などと言ったり、実際に私を殴ったりした。
中略
まだ自分の中に他人を軽蔑するような考えが残っていて、変な違和感を感じていました。
いろいろ考えていると小学生の時のような気がしました。
中略
その時の嫌な気分が取り残され、軽蔑する思考となって表れていたと思います。
中略
「羨ましい」
いろいろ考えていたときに、羨ましい気持ちがあるのではないかと思い考察していた。
二十歳前後かな病気で一人で家で悶々としていた。
みんな格好いい服装して、夜な夜な遊んでいるんだろと思うと空しく思えてきた。
人伝いに花火大会に行ったと聞くと、羨ましかった。
2000年パーティーも行きたかった。
何で俺はこんな訳の分からん病気で苦しまなきゃいけないんだ。
俺もみんなと騒ぎたかった。
同時期に友人は外車乗り回して遊んでいるのに、
俺は病気で悶々としている。なんでだよ悲しい。
高校時代では分かれた彼女が、新しい彼氏と仲よさそうにしている。
まだ気持ちがあっただけに嫉妬した。
学校でいちゃいちゃする事もないだろ。そんなの見たくない。
嫉妬は彼氏に怒りとして向き内心ムカついていた。
小学では、いろいろ好きな物を買ってもらえる友人が羨ましかった。
また、上記まで考えた後で数日後に、このような夢をみました。
最後の*****の部分が理解に繋がったと思います。
学校のような場所の校庭で夜でした。
崩残先生と、近くに何人か居たように思います。
中略
これで目が覚めます。
何か超絶凄い夢を見てしまったなと、起きてからもしばらく興奮がさめませんでした。
日常に戻り仕事をしていると、羨ましい関係で新たな側面が見えてきました。
他人にポーズを取らないで、普通に話せてない自分が居るように感じました。
これは親父譲りで、相手が上か下か、勝てる点は何処かなど、
自分の弱さがばれない様に、あれこれしている様に感じる。
意味のない批判をしたり、斜めに構えている。
このような感情、言動が私にも感染しているのではないか。
これは、自分より上だと思っている人に対して投影されているのではないか、
新人や年下ではならない、自分がコンプレックスを感じるような相手だ。
中略
親父は内心、相手が、羨ましいのだ。
これか、
それが、転じて、斜めに構えたり、批判しようとしている。
「俺は、大学にさえ行っていれば、どうのこうの」と父親は言っていた。
羨ましい人に対して、勝手に壁を作り斜めに構える人格 。
でも親父と私の共通点はなんだろう、、、
ポイントがあった。
親父は、祖父に大学資金を出してもらえなかった事が原因で、
コンプレックス。
これだ。
私も高校生活を、親父に潰されておじゃんになっている。
みんな自由にやっているのが羨ましかったじゃないか。
そうだ、俺も羨ましかったのだ。
親父に潰されて、自由にやれなかったから。
だから歪んでしまい、
そのようにやれている人に対して、勝手に壁を作っていたんだ。
中略
原因が分からず悩みましたが、日記を読み返しているときに気が付きました。
恐怖心だ。
分析が不十分だった。
そうだ。怖かったではないか。
勝手に妄想して怖がっていると思っていたが、違っていた。
その時、私が感じていたのは、恐怖ではないか。
中略
トラウマ掘りを進めるにあたり、
当時の感情をそのままを掘り出すのは中々難しいと感じました。
自分では思い出しているつもりでも出来ていない。
それを見ない為の人格までいるのですから、当たり前なのですが、
ここまですぐに出ないとは思いませんでした。
AC人格の反発も凄くて、親父からの恐怖心を考えていたときは、
などと頭に聞こえる始末です。
感情を見ようとすると、震えながら、
「いいからそんなの違うだろ」とAC人格が激昂して、拒否します。
まだ、違和感、問題を、正確に見定めようとしていない自分がいるように感じます。
当時の本人になり、感情をそのまま思い出す重要性を感じます。
また、判定文のご指摘ありがとうございます。
私が囚われていた体の違和感は、
トラウマ由来の歪みが大きく関係していたと思います。
また新たな物が出てくると違和感は感じますが、対処していこうと思います。
■実習の日記■
まず判定結果を受けて、再度復元法の見直しをしました。
以下略
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- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -