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[361]
■
★分割自我復元★その361■ 『新刊の「まえがき」』
by:
鈴木崩残
2014/06/14(Sat)22:01:30
新刊の執筆中です
●ただし「まだ作業中」ですので、書店に問い合わせないでください。
予約なんか入れる必要あれません。
ちゃんと足りるように在庫を作ります。
●ところで、タイトルは、もう決まっているのですが、
まだ少しいじるかもしれません。
「前書き」は、こんなふうに、出来ています。
↓
*********
ま え が き
本書のタイトルを目にしたあなたが、
もしも子供を持つ一人の親であれば、
あたかも子供を持った「自分の存在価値」を否定されたかのように感じ、
いささか心地悪いかもしれません。
逆に、本書を目にしたあなたが、今も親を持つ立場の場合には、
ある一面では「親は必要だった」と思い、
ある一面では「親は余計な干渉を自分にした」だから「いらない」
という意味も分かる気がする、と考えるかもしれません。
しかし本書は、それぞれの人が現在置かれている親という自分の立場に
ついて考える事よりも「自分の親」について想起して戴くのが目的です。
結論から言いますと、著者の私見によれば、「むしろ親がいない方が、子供は
健全に育つのではないか」という可能性がかなり高いと思えました。
ただし、親がいないその代わりに、そこに独裁的な政治による洗脳教育や、
カルト宗教団体のような指導者がいては、全く意味がありません。
子供がその社会が成人したと見なす時期まで子供の衣食住その他を世話し、
決して過度にならない最低限度の教育を施す公共施設があればよいのですが、
残念ながらそのようなものは、現在の地球にはほとんど存在していません。
どこかの外国の、未開の地の、とても小さなコミューンや村単位では、
そのような共同体は存在する「かもしれない」とは思いますが。
さて、本書は2部からなります。
第一部は親と子供との関係について、子供であった立場から書かれた
32の「報告」です。それでも、これらは、私のところに寄せられた
報告のほんの一部です。
これらを書き記した人たちの年齢は、
最小年齢で20才、最高年齢で58歳という広い範囲に及んでいます。
「報告−001」と番号が振ってありますが、
内容を表すような小見出し(タイトル)などは、特につけていません。
第二部は、「機能不全家族」の中で育った人が、自らの混乱と不安を克服して
ゆく過程で、その方たちを見ての「私的な所感」を編集しておきました。
前半部の「報告」は、子供が家庭で、どのようなトラウマを受け、
その人格がどのような歪んだ人生を作ってゆくかを認識できると思います。
本書の報告の中で「AC人格」という言葉が数多く出てきますが、
それが意味するところは、
「大人や、親の都合に巻き込まれて育った子供に特有の人格」の事です。
そして「トラウマ掘り」という言葉が多く出てきますが、これはそれぞれの
方たちが、そのAC人格の挙動を自分で発見し、見張るために行った、
「自己分析」の作業の事です。
ところで、家庭内の親子間で生ずる「トラウマ」と聞くと多くの人々は、
ひどい虐待などの暴力を想像しがちです。
しかし、指一本子供に触れないような無暴力の家庭であっても、
大声で子供を怒鳴る恫喝という形や、「家の外へ追い出すぞ」といった言葉に
よる直接的な脅迫、または直接的ではなくとも、
「そんな事をしたら大変な事になるぞ、世間から笑われるぞ」といった、
ほとんど実際にはその根拠の説明すらないような、曖昧な間接的な脅迫を
親が子供に言うことも含まれるのです。
一般的には虐待でもなく、トラウマにもならないと思って、全く何も問題を
感じずに、どこの家庭でも当たり前の事だと信じて、親がやってきた事の中
には、子供を一生、不安定な精神状態に陥れてしまった言動がある、という
事を、本書からぜひ、認識して戴きたいのも、著者としての一つの願いです。
本書を読み進むうちに、多くの人は、「よく、きちんと子供の頃を思い出して
みたら、自分もそうだった」という箇所が、沢山出てくると思います。
この場合に「自分もそうだった」と思い出すのは、
あなたの立場が親の立場であろうが、子供の立場であろうが同じです。
ですから、本書を読むときには、自分の親もこれと同じではなかったか?
という疑惑を生んだ箇所には、「印」をつける事をお勧めします。
もしもこれが紙に印刷された媒体であれば、付箋をつけて、本書の文書中に
沢山の線を引き、もしも電子媒体であれば文中にアンダーラインをつけたり、
「網がけ」をしたり、本書から「他の文書ソフト」へコピーペーストをして
ご自分の親の様子と一致する箇所を、どんどん編集していってみてください。
それぞれの人が自分の幼少期に、多かれ少なかれ「親の影響」を受けている
という事は確かですが、本書が問題にするのは、親から子供への影響のほぼ
「99%が悪影響である」という点です。
教育、躾(しつけ)、子供の為である、と親は思い込んで、さまざまな態度を
毎日子供に向けて、それを繰り返して、子供は成人します。
しかし、その過程で「親の不満や親自身のトラウマ起因する言動」を子供に
対して無自覚的にし続けてきたならば、その子どもは成人し、高齢になり、
たとえ老後、そして死を迎える年齢になってさえも、幼少期の傷からは全く
立ち直れていない、という事例が本当に多く存在しています。
本書を通じて多くの人たちに知って欲しい事は、これを読むあなたが現在親
であれ、子どもの立場であれ、また、全ての年齢、性別に関係なく、
本書に書かれているような経験を、多くの人たちがしてきており、
恐ろしいことに、それは「当たり前の事だった」「自分の家庭の親子関係には、
大きな問題はなかった」と本気で思っている人たちが多い事です。
本書の報告に記載された事例の中にも、
最初は、それが子どもだった頃の自分にとって、心の傷になるとは思っても
いなかったような些細な出来事が、記憶を掘るうちに明晰に思い出され、
それが、まぎれもなく親からの「虐待」や、又はまるでペットの「調教」の
ような「躾」であったという事例が多くあります。
本書の目的は、これを読む人が、人生を生きていく中でこれまでに感じた、
虚無感、無気力感、苛立ち、憎悪、敵意、復讐心、自己主張、美化、妄想癖
などが、必ずしも、あなたの生来の個性や、あなたの自己責任に帰するもの
ばかりではなく、今では、すっかり市民権を得た「毒親」と呼ばれる親から
受けた言動によるものかどうかを、各自が自分で精査してくださる事です。
また本書は、通常は、なかなか引き出されない深さまで患者さん(相談者)
本人が、自らの自己分析していますので、カウンセリングの現場に携わる人
たちや、精神医療の専門家の人にとっても貴重な「資料」となると思います。
なお「報告」には多くの個人情報が含まれたため「中略」とされる箇所が
数多くあります。また、ご本人の感情表現を尊重するために、改行なども
出来るかぎり、原文に近い形としました。
本書の前半部の報告は、その全てが、直接に私のところに来たメールであり
ごく一部に編集はありますが、ほぼそのままの実録の形となっております。
●
■ 目 次 ■
本書文中に登場する「用語解説」・・・・・・・・・・・・8
前編/「32種類の報告事例」・・・・・・・・・・・・・17
「アンケート結果」・・・・・・・・・・・・・・・・・・426
「AC人格列伝」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・443
後編【自分を取り戻すためのヒント】・・・・・・・・・・472
子供に代理復讐をする親 ・・・・・・・・・・・・・・・473
そもそもトラウマの中身は何か ・・・・・・・・・・・・475
母親から受ける傷の方が父親からの傷よりも深い ・・・・480
『毒祖母』の恐ろしさ ・・・・・・・・・・・・・・・・487
なぜトラウマを掘るのか ・・・・・・・・・・・・・・・490
掘り出しの「鍵」になるのは「不快感」・・・・・・・・・492
本能的な不安や恐怖が屈折して生み出す『自己矛盾』・・・493
毒人間はなぜ製造されるか ・・・・・・・・・・・・・・496
トラウマが掘れないケースの原因 ・・・・・・・・・・・500
劣等感は力にならない ・・・・・・・・・・・・・・・・502
洗脳された「調教人格」・・・・・・・・・・・・・・・・503
誰の人生だったのか? ・・・・・・・・・・・・・・・・508
「兄弟間差別」の記憶を見逃すな ・・・・・・・・・・・510
親から盛られた自己否定だけではなく
「自己肯定」の根拠にも気をつける ・・・・・・・・・・512
自分の「不快年表」を作ってみる ・・・・・・・・・・・516
脳に作用する治療薬を絶つこと ・・・・・・・・・・・・519
誰の為のAC人格消去なのか? ・・・・・・・・・・・・523
親が手渡すお金を受け取らない ・・・・・・・・・・・・529
トラウマの本質の「根幹」・・・・・・・・・・・・・・・532
______________________________
■報告が、一件ありましたので、少しだけ編集し、そのまま掲載します。
鈴木 崩残 様
今回も前回の続きの報告となります。
私に嫌がらせをしてきた二人は、
今は自分に何の嫌がらせもせず、口を利くことも無くなりました。
問い詰めた後にも、嫌がらせらしきものは受けたので、
私の言葉が直接この状況を作ったとはいえませんが、嫌がらせは止みました。
ただ、この状況が、今の父親との関係に似ていることが気になります。
その上、嫌がらせが止んだ事に不安を感じていました。
また、嫌がらせを受けるんじゃないか?ということもありますが、
不可解なことに嫌がらせが止んだという状況にも不安を感じている。
どう考えてもおかしいのです。
嫌がらせがとまったのなら安心しても良いようなものの、
かえってこの状況に不安を感じる。
まるで今までの状況、目の前に不安があれば、
もっと大きい不安を感じずに済む・・・
不安であることに安心を見出そうとしている。
これ以上は、嫌な思いをせずに済むだろう・・・
今、不安であることを無視して、
まだ起こってもいない不安に対し身構えて、
被害妄想を膨らませているのです。
***
家庭では、私は自分から口をきくことは無くなり、
母親や祖母の呼びかけにもあまり反応しなくなってきました。
また、これまで以上に、
母や祖母に何か取り留めの無いことを聞かれることに
不快感を感じるようになりました。
祖母や母が以前からよく口にしていたのは、
「あなたの為に・・・したのよ」
子供のためなら云々と、
何が子供の為になるのか深く考えているはずでもないのに、
何かにつけてはあなたの為に何々をしたのよと言って来るか、
もしくはそういわんばかりに世話を焼いてきます。
最近では食べ物を毎日2,3度は勧めてくるので、鬱陶しく思い、
もうしょっちゅう食べ物を勧めるのは止めて、といったところ、
一向にやめようとしない。
繰り返し、もう迷惑だから止めてくれ、やめろと言うと、
自分たちのやっていることを普通だ、
私の言っていることは異常だと言う。
これで、この世話焼きが
私の為にやっているのではないとはっきりしました。
今でも、それらしきことは続いていますが、
そのときには何も答えないことが多くなりました。
思えばそれはむしろ、
自分をどんどん何も出来ない人間にする為に世話を焼き、
子供ではなく、子供に依存させて自分の慰めにする為に、
本来自分一人で出来る、する必要のある経験まで、
親は、私から、どんどん奪っていったように思えます。
今でさえ、自分の部屋にいつの間にかごみ箱が空になっていたり、
布団やシーツが換えられていたりと、
今まで何で気付かなかったのだろう?と思うほど、
自分の場所である自分の部屋に易々と他人を、
それも毒母と毒祖母を入れていました。
今はまだ一人で暮らせる状況ではありませんが、
同居していてもこうした祖母や母の世話焼きに頼っている部分が
多々あります。
まず一人で暮らす前に、こうした祖母・母親がいないと
生きていけないと思われることをひとつずつ潰していくことは
出来るのではないかと考えています。
***
また、頭の中で延々と批判を繰り返す癖についてですが、
周囲を見て批判の矛先が向かうのは、
どれも自分の嫌な所に目がいかないように反応しているのだと思います。
自分の中にある嫌なものを自分に対してではなく、
他人の行動に投影して批判している。
本当にどれもこれも、自分の嫌なところや欠点と重なる。
すると今度は自分の中で勝手に、
まだ何も起こっていないのに、少し先の場面を予想して、
自分が被害者になって相手に不満をぶつける妄想をし始めました。
この偽人格は手を変え品を変え、
どうしても自分に落ち度が無く、他人を責める場面に持ちこみたいようです。
それを行う度胸も無いので頭の中で、
空想でしか、不満を発散するポーズしかできない。
***
駅のホームに立って電車を待っていると、
後ろから誰かに突き落とされるかも知れない・・・
物を置き忘れるともう盗まれているのかもしれない・・・
そんな起こってもいないのに不安を感じるか、もしくは、
被害に遭う自分を想像して架空の加害者を責め立てる。
自分は虐げられていると主張して、
だから、自分は大切にされなければ、
自分がこんな目に遭っているのに不公平じゃないか!
自分が弱い存在であると平謝りして言動に示すことで、
遠まわしに助けを求めているのです。
助けられるべき自分はここに居ると言いたい。
それを助けない人が悪い!
こんなに自分は傷ついているのに!
不快な目に遭っても自分から問題の解決を図ろうとしない、
それを他人に押し付けたうえで解決してもらえないと、
いつまでもグズグズと頭の中で愚痴を巡らせているのが、
特に休学する前の自分の中で目立っていた偽人格でした。
***
改めて考えてみると、
自分と弟が仲が良いままだったら、両親は困っただろうな・・・
と思います。
家族の中で表立って両親や祖母、自分に反抗したのが弟でした。
だからといって弟が全て正しかったとはいえませんが、
それでも一見うまくいっている家族の中で、
本当の家族の歪みを表しているのが弟だったと、
今になってそう思います。
自分は父親の脅しを取り込んで、
弟を脅して言うことを聞かせようとしましたが、
事の発端は父親の脅しによるものでした。
仲違いの原因を作っていたのは、両親だったのではないか?
幼い頃は弟とは仲が良かったと母から聞いたことがありました。
それ以後は、たまに面白おかしく遊ぶことはあっても、
結局はけんかになることが多くなりました。
少なくとも5歳あたりまでは。
両親からの歪みが表出し始めたのは
どうも5歳、幼稚園に行った後の気がします。
***
そして、実は自我復元以前から覚えている幼少期の記憶がありましたが、
恥ずかしいと思って今まで言わなかった記憶があります。
・中略・
母親から与えられなかった安心感を、
代わりのものや妄想で埋め合わせているのではないだろうか?と考えました。
母親か祖母にはよく、私はいろんな人から甘やかされて育った、
と聞かされていましたが、それは私が長男で祖父母に目をかけてもらい、
物をたくさん買い与えられたに過ぎず、
愛情に関しては、特に両親からはろくに愛情などかけてもらった記憶はない。
愛玩動物のように、初めの数年間は
しつこく構われていただけではなかったのだろうか?
***
私が幼いころ撮られた映像では、父親が自分の相手をしていましたが、
記憶の中の恐ろしい父親とはまるで別人のような、
大人しい父親の姿が映っていました。
これが、最初に母親と出会ったときに被っていた上っ面、
世間体なのかもしれません。
私は幼い頃から、父親は仕事仲間との電話で、
家庭ではあまり見せないような、
にこやかな雰囲気で話す父親の姿を見ていました。
今の母親も介護の仕事で存分に他人の世話を焼き、
自分を必要としてくれることに、
生きがいというものすら感じているのかもしれません。
父親にとっても、母親にとっても、
職場が自分の居場所だと思っている節があります。
また、母親についてですが、
あんな荒れた家庭で育った母親が
愛情をもって私に接していたなどとは、考えにくい。
自我復元以前の、
母親から優しげに話しかけられていたというぼんやりとした記憶も
どこまで本当のことか怪しくなってきました。
***
幼稚園のバスに乗るよう急き立てていた母、
幼稚園で自分から離れていくことに不安を感じている・・・
傍にいて束の間に安心する一方で、
少しでも母の姿が見えなくなると不安を感じていた幼い自分。
表向きは父親に比べれば穏やかというだけで、
実際にはその穏やかな口調のはずなのに、
言うことを聞かせることに躍起になって
苛立っていた魂胆を感じていたのではないか?
記憶の中や今の母親からは、
優しい言葉や態度を何度も塗り重ねた中に、
目に見えない本心を微かに感じて、
どこか落ち着かない不安を感じていた印象を受けます。
これまで怒った様子を見たことが無い人に対して、
いつか本心を見せて怒るのではないかと、
その人のにこやかな、とても怒りそうにない様子を見るほどに
不安を感じていたこともあり、
これが母親の幼い私に対する態度の影響ではないかと思います。
***
非常にわかりにくい形で、
自分の言うことを聞かなければ回りくどく苛立ちを自分の子供にぶつけ、
肝心なときには子供を守ろうとしない、
そのくせ今では恩着せがましく
「あなたの為」といって要らない世話を押し付ける。
一応形だけは親の振りをしている。
子供のためを思っていると見せかけて、
心の底では自分の子供に何の関心も無い他人のような母親であるといえます。
自我復元を始める頃には、
母親に対してはまだまともなのではないかと淡い期待を寄せていましたが、
実際には、これまで深く母親を信頼したことは無かったのです。
むしろ、これまで自分を守ろうとしない母を信頼することなど、
心の底では出来なかったのだと思います。
***
自分の将来の夢でも
多分に親の望みをかなえるような真似をしようとしていました。
今の学校では**を学んでいますが、
**の仕事に就くことは父の夢でありました。
それを**をしていた祖父とその父の母である祖母に反対され、
結局は****になりました。
またこれは自我復元ブログの方が言っていたことですが、
私が以前将来の夢について誰も見たことの無いものを作りたいという望みは、
新しい分野という競争相手の少ない、
狭い世界の中でなら自分は活躍でき認めてもらえるだろう・・・
という魂胆を持っていたことも否めません。
自分の価値というものをテストの点数に求め、
本の知識に求め、謙虚だと勘違いした偽の人格の取引に見出し・・・、
これからも偽の人格でいる限りは、
自分の価値の基準を自分以外のものや考え方に頼ろうとすることを
止められないのだといえます。
***
時間は限られており、
正直、100%自分の望みどおりの仕事に就くのは難しいと思いますが、
自分が就く仕事には、自分のものでもない価値の基準で決めたくはありません。
今回の報告は以上です。
毒親が言う「子供の為に」という嘘
前述の報告から思ったことです。
親が言う言葉で 子供にとって最も毒になる言葉は
「あなたの為だから・・あなたの事を思って・・」 である。
言われた子供には二の句もない。
しかしこの大人の言う 「あなたの為だから」は
3つの含みを持つ
1/子供への恩着せ
2/子供への命令
3/親は間違っていないと親が自分を主張したがる
親が子供に「あなたの為だから」と言ったら
次の事が「ほぼ」確定している
1/実は子供の為ではない事でもそう言えば
子供はその言葉で黙ってします納得すると思っている
2/子供に何かやらせる時の口実
3/親自身の不安的な自意識を保つ為に
子供の前で善意を偽装して偉ぶる。
ようは、その親自身が病気である。
【男女共に、結婚や同居の相手の選び方を間違えている】
「出来ちゃった婚」ではなく
もしも子供を持つという前提をきちんと考えての結婚である、
という場合に限れば
男性が女性を選ぶ際に最も重要なのは、
可愛いと思える女性を選ぶ事である。
むろんそう相手を思っていられる「有効期限」は限られるが
少なくともその間は子供は毒親からの被害が少なくて済む。
一方女性が男性を選ぶ場合において、
女性が結婚する男性を選ぶ基準が以下のものは失敗する。
優しい人
頼れる人
かっこいい人
資産もっている人
仕事できる人
浮気しない人
書き出したらきりがないが。
そして実は、子供がまだ小さい時だけは
女性がなんとか毒母親にならないで済むには
自分が心底可愛いと思う男性を選ぶことである。
つまり、男女どちらも、子供を不幸にしない夫婦である為のキーワードは
相手を「可愛い」と思うかだ。
美人もイケメンも、お金のあるなしもダメ。
優しい、頼れる、甘えられるもダメ。
ごく単純な相手を「可愛い」と思い「愛でる」感情、
これがせめて10年でも長続きしそうな相手を選べば
子供にAC人格は起き難い。
ただし「可愛い」と愛でる感情が純粋かは、
自分で自己分析をして精査せねばならない。
女性ではAC人格が屈折した、
おしつけがましい母性からの可愛いという思いであったり、
男性の場合は、弱い者しか相手に出来ないとか、
ただの上から目線の可愛いである事もある。
とにかく、性格も表情も、
可愛さが出来るだけ「長続きしそうな相手」が良いだろう。
女性が男性に優しさを求める最大の理由の「ひとつ」は、
子育て環境が安全に済むかどうかを見極めようとしている点であろう。
つまり 「この男性は自分と自分の子供に危害を加えないかどうか」
を本能的に見ようとしている。
しかし現実には余計な価値観にまみれていて、
その「安全確認」に失敗する女性ばかりが多い。
要は女性も男性もどちらも、
相手に「優しさ」を求める時点でアウトである。
それは消極的で受動的で「相手になんとかして欲しい」という依存であり、
また自分の出番が欲しいだけという共依存関係と不満生活のもととなるからである。
しかし「相手を可愛い」と心底思う状態は、待ちの姿勢ではなく、
自ら能動的に相手を愛でるという点で、救いがある
男性も女性も自分が相手をどう思っているのかは
相手が浮気をした時、しそうな時に
自らの怒りの矛先がどこへ向かうかによって自己判断できるだろう。
相手を可愛いと思っている場合には
その伴侶の「浮気相手」に怒りが向かう。
逆に、可愛いとも思っていない伴侶の場合には
あなたの怒りは「伴侶それ自体」に向かうだろう。
つまり、自分の付き合っている相手が浮気をしたときに、
男性であれ、女性であれ、
浮気相手のところに堂々と殴りこみをかけたり、戦うという場合は、
伴侶を手放すまいという「所有欲」が少なくともそこにある。
しかし浮気をした伴侶だけを責め続けるならば、
あなたの中には、伴侶に対する嫉妬と恨みしかないのである。
「可愛い」という感情を相手に持っているならば
「可愛い」=だから自分だけのものであって欲しい、
その為に外敵から守ったり外敵を排除したいと (心が屈折していたとしても)
そこには、何かしらの動物的な本能がまだ生きている。
だが「可愛い」という思いがないと
人は自分の伴侶を「裏切り者」としか見ない精神状態になる
_______________________________
以下も余談ですが、
テレビは人間の頭を馬鹿にすると言われた時代があった。
これに反論する人たちは
「ニュースやドキュメントはそうでない」と言った。
ネットも同じく情報が得られるという主張と
情報中毒になるという二面がせめぎあう。
だがどちらも問題なのは、
実体験を経ずして 何か分かったような気になってしまう点である。
テレビの前の時代には本や新聞を読む者は利口になると誤解されていた。
ところが読書家は実際にはかなり変な現実逃避をしている者が多い。
「必要だから特定の事を勉強する」のと
ウインドウショッピングのような読書あさりは違う。
そういう中で、大昔から語り継がれる事の多い鉄則がある。
それは、
生まれつき無学な環境にいたとしても
情報がほとんどない環境にいたとしても
また何もない砂漠や無人島にいたとしても
たとえ生まれつきそういう環境であったとしても
どこであっても共通し
どこであっても自己はそれとは不可分で
どこであっても通用するものは何かを問え、と。
これは古くからの「私たち」の合言葉だ。
______________________________
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