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[377]
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★分割自我復元★その377■ 『 トラウマやAC人格が、掘れる/掘れない 』
by:
鈴木崩残
2014/07/22(Tue)05:49:49
トラウマの記憶やAC人格が
掘れる/掘れない、の理由
●トラウマの記憶や、感情の掘り出し、AC人格の分析、
これが正しく出来ているか出来ていないかを見ていると、
そのどちらに傾くかは、パターンはすべて、常に共通しています。
何度も何度も繰り返し言いますように、
「トラウマ掘りました」、
「はい、こんな記憶を思い出しました、」
「でも感情がまだ出てきません」、
「AC人格列伝、なんとか書き上げました」、
と、これ全部、何の為にやっているのか?
ここが大問題です。
「自分の為にやる」のが当たり前のはずが、
その自分の為のはずが、せっかくの自我復元に出会ってさえも、
「自分のAC人格のため
=今もまだ、毒親にもて遊ばれていて弱者として調教されているのと同じ」
という状況の人を、その報告やメールからかなり沢山見ました。
●これが起きる最大の原因は、これも常に同じですが、
親から引き継いだ、その人のAC人格が、
絶対に、「掘られまい」とするからです。
それは言い換えれば、家族の中の誰が元凶というよりは、
その家系代々のAC人格の集合体のようなものですから、
それを突破するのは、相当の意志が必要であり、
自我の「量的な修復」というのは、その為に役立つものです。
●ところが、量的にかなり修復されてきているのに、
一向に、トラウマに気づかない、感情が出てこない、思い出せない、
そして自我復元での「落第生感覚」に陥り、
それで、自虐的になるならともかく、落第生感に蓋をして、見ないようにして、
「こんなものは、アタチには必要ないもんねー、上手くやり過ごせているから」
これが、当サイトから去ってくれた人たちで、私も関心ありません。
また、他の復元者との無益な対抗意識、これも無意味です。
これは競争ではないのですから。
劣っている感覚や、その悔しさなどモチベーションになりませんし、
それをモチベーションにしたら、AC人格そのものです。
●しかし、一体、自分は、何をしているんだと思いながらも、
必死に掘ろうとしていて、それも、
ただ、義務的に、宿題のように、掘ろうとしているのではなくて、
本気で掘ろうとしている、しかし何かが、空振りをしている、
そういう人だけに、私はこれを書いています。
●掘れない最大の原因は、あなたのAC人格が、
「だって、なんとか、生きていけているし、
別に不満にも感じないし、このまま鈍感でも、いいじゃないか」
ということを言い続け、本質的な問題を見なくていいように、
自分の趣味だと思い込んでいる事(実は親からの引継ぎ)に時間を使い続け、
膨大な無駄な時間を、「ネット中毒」などで紛らわしているだけ。
●しかし、必死に掘っている人たちの中の、少数の人に、
非常に重要な変化が起きる局面を、私は幾度となく見てきました。
それは、「そのAC人格が、通用しないことを、突きつけられる」
という瞬間です。瞬間というより、継続的な「毎日の現実」です。
それは、隣人の死であったり、
職を失うことであったり、
職場での、いじめであったり、
家庭内のトラブルであったり、
原因は、常に、「現実的な場面」で起きます。
それまで、ネットで、知ったかぶり、偉ぶりをしていたような者が、
現実生活では、何ひとつも出来ない、
何ひとつもロクに対処できない、
何ひとつも親から独立も出来ていない、
しかし「美化」と「いい訳」をすることには、時間と努力を惜しまない。
そして、少し前の「AC人格列伝の方」が、自己指摘したように、
麻酔の中、自己正当化の妄想の中に逃避する、
こういう人が、自分の無力感を突きつけられるような
現実的な問題に取り囲まれたとき、
そのときに、その人は、
「もう、こんな自分は、うんざりだ」となるか?ならないか?
これが、亡霊のまま死んだように生きるか、
霧が晴れるかのように、目を覚ますかの道を決めます。
●これまでに、何度も昏睡したようなAC人格に負けそうになり、
何度も負けながら、それでも掘ってきた人が、
一年も二年もかかって、ついに、ある瞬間に、
ある段階の壁を、突破することがあります。
その時の条件は、常に同じです。
「こんな自分は、絶対に嫌だ」
つまり、AC人格の無能さを、
「嫌というほどの実感をもって、理解した人」だけです。
●それを理解したその時から、決意したその時から、覚悟したその時から、
はじめて、トラウマも掘れ始めますし、感情も掘れはじめますし、
自らのAC人格も、くっきりと見えてきます。
ただし、そうすることが、自我復元という授業では、
「優等生に認められるから」、などといって、意気込んで、
「私は、AC人格を首にする決意しました!」
などといくらやっても、全く意味がありません。
その言葉こそが(実感なく言っている場合には)AC人格の仕業ですから。
●そういうことに本当に心底、気づいた人の言葉というものが、
この桜の間のログにも、自我復元ブログの中にも、断片的に見つかるはずです。
「わかったフリ」は、通用しないのです。
わかったかどうか、真の結果しか、意味を持ちません。
「はい、トラウマ掘りました、AC人格分析しました、
これで、どうでしょうか?合格ですか?、
私も生前の記憶掘りをやっていいですか?」
私は、そういう人に言いたいです。
「どうでしょうか?」 だって?、、、それは、私の方が聞きたいですよ。
それで、あなたの日々の社会生活、家族との関係はどうなったのか?と。
●しかし、AC人格という食えない奴は、
こうした報告にまで「捏造」を持ち出し、
「はい、職場で、これこれを、言ってやりました。
今まで、怖くて、言えなかったことを言えました。
最近、本当に自分がやりたいことを、はじめました」
これを延々と何年もやってしまう人もいました。
つまり、ただの「宿題の提出」という行為です。
●一方で、本当にAC人格の解除、それを首にして、抹殺してやると決意して、
それを、決意しただけではなく、「日常生活」で実行している人、
この人たちが得た、手ごたえは、私にもすぐに分かりますし、
それが、拡大解釈や、過剰評価か、そうでない等身大のものかは、
すべて、報告分やメールの行間で分かります。
●トラウマや、その記憶や、AC人格というものは、
その尻尾ぐらいを、つかむのは、誰でも出来ることなのですが、
トカゲの尻尾切りという言葉があるように、
本当の犯人、主犯は、のうのうと生き延びるのです。
しかし、あなたが、
「絶対に」この自分に感染している人格、調教された人格、
こんなものを、この先も死ぬまで持っているのは「絶対に」ごめんだ、
絶対に捨ててやる、抹消してやる、
そうなるのは、
その人が、そうしなけば、「絶対に、自分自身を許せなくなった時」です。
私に認めてもらい、その結果、
何かがやっと一つぐらい出来たような錯覚の酔いに酔えて、
それで満足、まーいいや、というAC人格まるだしの状態ではなく、
「自分で自分の言動の情けなさ、鈍感さが、絶対に許せない。」
そうなったとき、自我復元の中のトラウマAC問題との
本当の格闘が始まります。
●既に書いたように、それは、たとえば、
母親だけを掘ればいいのではありません。
母親の影響の物凄さは、「いらない親」にも書きました。
その影響の大きさは、確かに事実です。
しかし、その母親はどうやって育ったのか、
どういう家族環境の中で、あなたを躾けたのか、
そうしたものを見てゆくと、
少し前に紹介したAC人格列伝のように、
「原因となる影響を与えた家族」は、複数にまたがってくるものなのです。
●直接の加害者は、多くの場合に、あなたの父母のどちらかです。
子供にとっては、特に、その時に「母親」が守ってくれなかったら
それが直接の加害者、被害者となりますが、
その「母親の生育環境」がさらに原因として関係してくるために、
これは、その「一家そのものがかかえた病理」を解体するほどの
大掛かりな作業となります。
むろん解体されるのは、皆さん個人の中に埋め込まれていた、
AC人格という名の「マイクロチップ」だけですから、
他の家族そのものまでは、決して変えられません。
●すでに、トラウマやAC人格を本当に、掘って、直視した人は、
何人も、自我復元者の中にいますが、
その人たちの誰に聞いても、
トラウマによって育成されてしまったAC人格が、
全く使い物にならないものだった、という認識は必ず同じはずです。
一方で、掘れないままの人、掘れなくなる人、というのは、結局、
使い物にならないものを、そこそこ、なんとか、使い物になるんだと、
誤認しつづけているだけ、ということになりますし、
それが使いものにならないことを、思い知らされるのは、
私との関係においてではなく、「その人の実生活において」です。
皆さんは、私や、あるいは、自我復元というものを相手に、
AC人格強化のゲームをしているのではないのです。
相手にするならば、皆さんの、足元のこと、現実のこと、目の前にいる、
親や、家族や、職場の人たちや、他人を、相手にして、
そこで、AC人格のみっともなさ、惨めさを自覚して知るか、
それとも、無気力な言葉で誤魔化し続けるか、それが道の分かれ目です。
*********
それで、これは、実は、ただの「前書き」です。
ようやく、そのトラウマ掘りが、
本当に、これから出来るようになったであろう方が一人います。
この人です。
↓
http://blog.goo.ne.jp/hakodate2012
ずっとこの人のAC人格の挙動を、見守り続け、
しかしブログの削除のお願いは、しませんでした。
私としても、微妙に判断の難しい人でした。
しかし、絶対に抜けようする部分が本気である事は確かでした。
だから、ずっと、様子を見ていました。
●ちなみに、このブログの中に出てくる、
「左利きを叱咤する親」は、舐めてかかってはいけません。
そこに、「左利きは直せ」という、
旧時代の社会的な正義まで親は信じきっていますから、
親は、自分がやっていることに疑問すらありません。
この「社会的なバックアップ」「お墨付き」を得られているから
それは正しいと思い込んでいるものを、ことごとく悪用する、
腐った毒親が、もっとも連発するのは「格言」です。
他人の格言、社会のことわざ、くだらない偉人伝などです。
これを連発する親は、全員、毒親であり、
それに育てられたあなたは、毒人間と断定してかまいません。
●この毒親が言った「格言」については、桜の間でも以前に取り上げましたが、
左利きを矯正するというものも、毒親がよく言う武器になります。
そもそも、
「何何をしたらいけない」、「何何をしなさい」というその背景が、
親が、自分の人生の経験則、
それも、ただの経験ではなくて、
親自身の熟考と自問の末に導き出したものであることは皆無であり、
安全圏からものを言うための、卑怯な借り物の武器にすぎません。
この毒が感染した人は、それが一般社会の格言ではなくても、
今度は、土俵をか変えて、
精神世界の格言めいた、借り物の言葉を連呼し始めます。
「誰々が言っていた」
「本や経典にかいてあったから」
「無明庵の本に書いてあったから」
いつもいつも、こういう人を見たり、実際に会うと、
私は思った。
「そんなアンタの脳内コレクションはどうでもいいから、
あんた自身は、どうなんだよ?」
●そして、社会や親に、自分の屈折した言い分が通用しなかった者
劣等感の解消に、失敗した者は、
今度は、なんでもかんでも、手当たりしだい、
「馬鹿に出来る自分は偉い」
「批判精神があることが重要だ」
「いい子になろうとするのは馬鹿だ」と、他人を見下し、
結果、その毒親そのものと同じ性格になっており、
悪い子にもなれない半端者として終わり、
「脳内 ひとり いい子」になった「つもり」になることに麻痺してゆきます。
●本人が、出来ていると思い込んでいるのは、
知ったかぶりと、全く深みのない言葉や屁理屈で、
他人を小ばかにすることだけ。
しかしその実態は、他人の誰が見ても、全く何も出来ていない。
全く実力がない。
何も創造的なことはできない。
誰からも愛されない。
意識も混濁したまま。
トラウマも掘れない。
むろん無心でもなく、
精神状態は子供の頃のままで、全く何も起きていない。
●この状況に、陥りそうになりながらも、それを必死に直視して
そこから抜け出した人たちが、
自我復元をしている人が本当に沢山いました。
今回のリンク先の無干さんも、
ずっと長い間、ただのトラウマによる「ひきつけ」のようなものを
神秘体験だと何十年間も思い込んで、
あれがあれば、自分は他人とは違うと思える事に、
ずっと、しがみついてきたことに、きちんと自分でメスを入れました。
●親に皆さんがされたことと、
(自覚があろうがなかろうが、記憶してようがしてまいが)
それに対する、皆さんの恐怖や恨みによって出来ている人格は、
仮に、親に反抗した事があったり、今、親に逆らおうとしても、
あるいはまた、その親への恨みや、恐れを「投影した」形で、
社会や、世間の常識や、誰かに逆らっている気になっていても、
そう言う人は、ただ、なんくせをつける事だけしか出来ず、
その実、本人は、何も出来ない、という現実から逃げ続けるものです。
あるいは、ほんとのちょっと出来ただけで、
悪い意味での子供のように自画自賛してしまうほど、
本当に、惨めな人生になるだけなのです。
●この対極にいたのが、マディアさんで、
ほんのちょっと出来たぐらいでは、絶対に自分を許さない。
それも、当時は、ちょっとやり過ぎではありましたが。
*********
●さて、精神世界というところの、本当に腐りきっている点は、
今まで、皆さんが、人生の中で、何かが変だ、自分が変だ、
あるいは、自分だけは変じゃない、というそういうAC人格が
最も飛びつきやすい分野であり、
飛びついた先で、あなたは、
「自分のAC人格が悪いのではなく」て、
「霊のせい」「前世のせい」「身体のせい(背骨のせいとか)」
「社会のせい」「イルミナティーのせい」「修行が足りないせい」
「学習だから」「人間はまだ低い位置にいるからそのせい」
「自分や他人を許しなさい」
あげくには、
「信仰しなさい」
こういうものに、すぐに飛びついたりします。
また、こういうものに同意できなかったり、
同意すると「ちっぽけな自尊心を傷つけられる」と恐れている
「もっとダメな人たち」は、
「努力がいけないのだ」
「何もしなくてもいい」
「人はもとから悟っている」
「あるがままでいい」
という「もっとダメな言葉」にしがみつき、
最後の最後に、当庵の本にしがみついて、
「ほら、見てよ、これはボクのことだ。あたしの状態のことだ」
とかやってしまう愚かな者たち。
●しかし現在では、そのどれも、間違いであると私は断言します。
諸悪の根源は、
人間の、自我が分割・希釈されたことと、
それが、最も主たる原因となり、
その結果、親子という関係が、
全く稚拙な「恐怖と不安と復讐の連鎖」になってしまったことです。
ですから、
自我復元と、親子関係から生じたAC人格の抹殺が必要である、
という全く合理的で理論的なことをここではやっているだけです。
それが、全く論理的で、合理的で、原因として明確だからこそ、
実習してきた人、
とりわけ、何が間違っていたかに気づくことが出来て、
絶対に、そこから抜け出す決意をした人には、
「結果が出ている」、ということなのです。
●油断せず、さらに掘り進めている方
↓
http://jibunnikaerutameni.blog.fc2.com/
●
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