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[407]
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★分割自我復元★その407■ 「トラウマ・AC人格の報告事例」
by:
鈴木崩残
2014/11/23(Sun)09:10:55
Kさんからの報告と自己分析
前回の投稿で、お名前を出しました、Kさんですが、
やはり、報告内容をある程度、詳細に掲載したほうが良いと判断しました。
この報告の中の出来事、現象と全く同じ状況にいて、自覚できていない人が、
かなりいると、私は思ったからです。
長文になりますが、この報告の随所に、それを読み、考え、思い出し、
わが身を振り返るべき人がいると私は思います。
*********
鈴木崩残様
的確なご指摘、本当にありがとうございました。
今までお送りした妄想全開のメールを読み直して、冷や汗をかきました。
今までのご無礼をどうかお許しください。
引き続きトラウマAC掘りを続けます。
・崩残様が指摘して下さった「冷徹なほどの他者への軽蔑」から掘ります。
軽蔑ですぐ思いつくのは、父がよく言っていた事で、
隣の公務員住宅の知人がうちのことを商人だと軽蔑しているということだ。
一番辛かったのは、母の実家の事だ。
父は絶対に、母や私と一緒に母の実家に行かなかった。
なぜ行かないのかというと、母の家は、全員程度が低くて、お話にならないから、
今後一切親戚付き合いをしたくないからだとはっきり私に言った。
母の家は全然ダメだと切って捨てた。
私にとってはもう一つの親戚だ。母の実家を侮辱されることは、母だけでなく、
その血を引く私を侮辱しているのと同じだった。
私には、父が事ある毎に母の実家の悪口を言うのが、聞いていて本当に辛かった。
私は母の血を引いているだけで、こんなに侮辱されるのだ。しかも徹底的に。
母の実家は個人商店で、うちと全く同じ個人商店なのに、
母の実家の程度が低いと言う。
「***の家は、安普請で、初めて行った時驚いたよ。
うちは立派だ。あの柱は太くて立派だろう?
お前の家の商売は上手くいってるか?お姉さんや弟はどうしてる?」
悪口、批判、最後はうちの自慢だ。
また、結婚式の時の話も良くしていた。
「**の親戚友人は貧相な服で来ていて、どうかと思ったよ。
うちの方はキチンとした身なりのちゃんとした人ばかりだ。
教授の挨拶も、**の方は聞いたことのない大学の先生だったが、
立派な肩書の教授の○○さんと釣り合っていなかった。」
付き合っている時に、
母に「何を食べたい?と聞いたら、ハンバーグか餃子と言われて、参ったよ。」
母を無知無教養な、色々な物を食べたことのない貧乏人だと侮辱していた。
それならなぜ母と結婚したのか不思議だった。
父は同じ話題を何度もしつこく繰り返して、その度に馬鹿にし、批判し、侮辱した。
父に、母の実家の悪口は止めてくれとは言えなかった。
私は保身の為、ひたすら我慢してこの嵐が通り過ぎるのを待った。
母もまた無言だった。
母だって、自分ばかりか親兄弟が侮辱されているのに、腹が立たない訳がない。
母もひたすら我慢していた。
祖母は宗教にも傾倒していて、それもよく悪口のネタになった。
「**教を信じてるなんて変わってるよなぁ」悪口のネタなんて幾らでもあった。
自分の家と違う所をあげつらって、一個一個非常識だと血祭りに上げればいい。
母の実家には、たまたまダウン症の故人の叔母と統合失調症の叔父がいたため、
父の悪口から、私は母の血統がすごく悪くて、全くダメなんじゃないかと思い始めた。
私は、父の酷い侮辱の波状攻撃に耐えられなくなり、嫌々ながら父に屈した。
父は私に、父に同調して相手の悪口を言い、俺を礼賛しろと要求していた。
俺の仲間になれ、そうすれば俺が庇ってやると取引を持ちかけた。
これが父の基本的な脅しのやり方だ。
母と3人でいると、最後には母が攻撃対象になってしまう。
私が、いつもの父の攻撃のパターンに耐えられなくて、父の思い通りに動いてしまう。
最初2人を同時に攻撃し、耐えられなくなった方が父の味方に回る。
すぐに耐えられなくなるのは私の方だ。母の方が私よりずっと根性がある。
たまに母は爆発して言い返していたが、母は父に勝てたことがなかった。
父は年中本を読んだりTVを見たりして、武装していた。
父にとっては知識の量が戦いを制する。
母と私に色々な話題を差し向けて反応を見ていた。
常に自分が上位でいられるように話題をコントロールしていた。
私は父から攻撃されたくないから、父と一緒になって母を軽蔑した。
あのしつこい侮辱を受けたくないばっかりに、
父の意見にはちっとも賛同できないが、
自分まで馬鹿だ下等だ非常識だと、馬鹿にされ批判され侮辱され続けるよりマシだから、
保身で楽な方へ逃げた。
父の口癖は「馬鹿じゃないか」だ。
小さい頃、私は新聞のチラシで、
宝石の付いた指輪がたくさん載った物を見るのが好きだった。
父に「どれがいいかなぁ?どれがいいと思う?」と聞くと決まって、
「そんなの、どれでもいいよ。そんな趣味の悪い物が欲しいのか。馬鹿じゃないか」
と言われた。
父はTVを見ては「馬鹿じゃないか」と言い、一刀両断にしていた。
父は、誰から見ても自分は上等な人間で、
自分は周りから丁寧に扱われるべき人間だと思い込んでおり、
手酷い扱いをして自分のプライドを傷つけた人間がいれば、
その人間を逆に軽蔑していた。
権威には弱く、権威のあるものを崇拝していた。
こんなに差別主義なのに、なぜ自分はリベラルだと言うのか分からなかった。
父には疎開のトラウマもあった。
小4で次男の弟と***に疎開し、祖父の実家に置いてもらっていたが、
家の手伝いをしているのに粗末なものしか食べさせてもらえず、
伯母のことを死ぬまで恨んでいた。
学校でも自分が作った望遠鏡を盗まれ、
先生は犯人を知っているのに知らんふりを決め込んだし、
自転車も盗まれ、散々な目に会ったと晩年ずっと愚痴っていた。
そういえば、父が子供の頃、
自分が隣のお金持ちの息子の遊び友達に選ばれたということを自慢していた。
父はすごい自慢屋だった。
私が赤ん坊の頃、高熱でひきつけを起こした時の話は、
いかに母がダメで、いかに自分が機転をきかせて私の命を助けたか
ということを自慢していた。
いつも恩着せがましい自慢をする。
本やオーディオ、出身校、友達の自慢、自分はリベラルだという自慢。
自慢しかしないので、うんざりした。
私は父を恨んでいた。
私のことを、子供だから、女だから劣っている、
馬鹿だと、はなから決めつけ、いつも私の話は一切聞かず、
自分の一方的な持論と批判と自慢だけを押し付けてくる癖に、
祖母だけは崇拝していた。
女は劣っているはずなのに、自分の母親は別らしい。
父にとっては、祖母は利口者で、
「おばあさんのやり方が一番だ」と祖母のやり方を礼賛していた。
子供の頃、私は祖母と父から認めて欲しくて頑張った。
祖母も教育熱心だったが、**へ行けると聞くや目の色が変わったのは父の方だ。
私に向かって勉強しろとは言わずに、
勝手に塾を申し込んできて、強制的に通わせた。
父は「資格さえ取ってしまえば、大学なんてどこでも関係ないんだよ」
と慰めともつかない言葉を言った。
ところが大学生になると、また私を馬鹿にし始めた。
事ある毎に、母と同じ大学であることを馬鹿にされ続けて、辛かった。
「あの大学はまるで幼稚園みたいな建物だな」
「あの大学は戦争中ヒロポンを作って儲けたんだよ。
軍事産業だから、ぼろ儲けだったろうな。
あの建物はその儲けで出来ているんだ」と軽蔑した言い方をするのだ。
まるで母の実家を侮蔑している時と同じ状態だった。
なぜ従兄弟のTちゃんが大嫌いだったかというと、
自分は周り中の人間から良い待遇を受けるべき存在だと
根拠なく思っていることが感じられるからだ。
私に「コーヒ−入れてよ」しか言わず、自分のことしか考えない、
私のことを顎で使う嫌な奴だ、こいつは鼻持ちならない奴だと軽蔑していた。
ところが、私の方にも特別意識があった。
私は大人の方から話しかけてくるのが普通だと思い込んでいた。
また、周り中の誰もが私を丁寧に扱ってくれると思い込んでいた。
だから幼稚園に行った時、先生が私に近寄ってこなかったことに驚いてしまった。
幼稚園に行くと、私は友達を作れず孤独を味わい、他人と競争させられ、
自分は問題が起きた時、自分で何一つ解決できず、
他人の助力を仰ぐしかない無能者だと感じたり、
お弁当を残して良いですか?と、他人と比べて自分が劣っていることを
先生に毎日報告しなければならない屈辱を味わう。
だから私は幼稚園に行きたくなかった。
この特別意識は今でもある。
私は自分を丁寧に扱わない奴は私の価値を分からない馬鹿で、
そんな奴は相手にする価値もないと思っているんだ。
そうだ、だから、私は問題のある人から馬鹿にされると烈火の如く怒るんだ。
この価値のある私を馬鹿にするな!お前より上等な人間なんだぞ!
父と同じ差別主義だ。
私は根拠なく自分に価値があると思い込んでいたのだ。
ここが掘れた後、ボディブローのように効いた。
自分には価値があると思っているから立っていられた。
価値が無いのなら、私は他人を馬鹿だのなんだのと言える人間ではなかったのだ。
私は今まで容赦なく、切り捨てるように人を切ってきた。
母のことを、母の実家を、Tちゃんのことを、
今まで出会った人達のことを手酷く切り捨てて来たんだ。
皆、本当にごめんなさい。私は醜い人間だ。
初めて私は、どれ程自分に特別意識があるかを思い知った。
こんな上等な人間の私が、こういう事をお前達にしてやってるんだ、
有り難く思え、恩に着ろと思っていたし、
気を利かせて母が鍵を閉めてくれるので、
閉めてくれないと瞬時になんで?と不快になる自分がいた。
だから父は、皿洗いをしながら恩着せがましく
「俺がやってやっているのに、何で誰も感謝しないんだ」と言っていたのだ。
仕事でも特別意識がひどく、
この仕事内容は自分にふさわしいのか?と常に考えていた。
私がうたたねをして、寝込んでしまうと、
母が抱っこして2階まで連れて行ってくれた。
途中で起きる時もあり、寝たふりをしながら、とても嬉しかった。
ある時、私の体重が重くなりすぎて、私では持てないから、
自分で寝室に行くようにと母から言われてしまった。
また、私が布団に入ると、たまに一緒についてきた母が
布団をポンポンと叩いてくれて、とても嬉しかった。
私は幼少期から抱っこされることに飢えていた。
私は親や祖父母から抱きしめられた記憶が全くない。
私は甘えたかった。特に母に。
でも、なぜ私の所にちっとも来てくれないんだろう。
きっとお店が忙しいからだ。
だから一人でも我慢しなきゃ。
夜はたった一人で、寝室の闇の中に取り残されて、震え上がるほど寂しかった。
幼稚園までは柔らかい布を指で触っていないと眠れなかったし、
次はタオル地で出来た、うさぎの小さいぬいぐるみがいないと眠れなかった。
他に嬉しかったのは、休業日にごくたまに母とお風呂に入ることだった。
母との接点はとても少なく、幼稚園の頃、朝、登園前に私の髪を結ってくれることと、
寝る前にたまに寝室にちょっとついてきてくれること、
私が病気になると、近所の小児科に一緒に行くことだった。
祖母と両親は夜遅く、店を閉めてから夕飯にしていた。
私は祖父と一緒にお風呂に入り、その後食事をしていたので、完全にすれ違っていた。
小学生になると、朝すら会わなくなった。
私は母と一緒にいることに飢えに飢えていた。
お正月に実家に帰る時は本当にちょっとの間だけ、
二人きりでいられるのだった。
二人でどぶ川を渡って、冬の寒い細い道を歩いて行く。
嬉しかったが、実家に帰ることは叔父がいるので恐怖でもあった。
あまりに寂しくて、小学生になると、母が死んでしまったらどうしよう
という妄想をするようになった。
母のことが家族中で一番大事だった。
実家に帰る電車の中で、母に不快な事が起きないように、
母に席を譲って私は立って周りを注意して見ていた。
小1の時、おねしょをわざとして、寝ていた母を起こした。
こんなことをしてでも、私は甘えたかった。
何か反応があるはずだと期待したが、
母は起きて、無言で布団を片付けた。
私に着替えなさいとも、下に行きなさいとも一言も声をかけなかった。
これなら怒られた方がまだマシだった。
具合の悪い父には背中をさすったりするのに、私にはまるで無反応な母。
ショックだった。やっぱり私に関心が無いのだ。
小学生になるとクリスマスプレゼントが枕元に置かれたが、
子供讃美歌、子供向けキリスト教の本など、見た瞬間がっかりした。
母が置いたのは明らかで、祖母に相談し、
祖母が送ってきたものをただ安直に渡すという、
その行為自体が、私のことなんか何も考えていないことを証明していた。
私が本当に嬉しかったプレゼントは一つだけ、
低学年の頃、母が編みぐるみを作ってくれた。
手足の長い可愛い女の子だったが、とてもとても嬉しかった。
もしかしたら、私に愛情があるのかもしれないと一縷の望みをかけていた。
私はこういうことがある度に、まだ大丈夫だ、
きっと母には関心も愛情があるのだと自分に言い聞かせていた。
小4の頃、授業中蜂が服の中に入って、刺された。
保健室に行き、母が学校へ呼び出された。
私は痛さを我慢していたが、母の顔を見たとたんに泣きじゃくってしまった。
そしたら母は冷たい声で「こんなこと位で何泣いているのよ」と言った。
私は母に甘えたかったので、拒否されて本当に悲しかった。
これですっかり諦めてしまい、
もう母から愛情を得ようなどという考えは今後一切起さないように決めた。
それからは母とは疎遠な関係に入った。
ここまで書いてきて、私が見たくなかったことは、
私はずっとずっと母が来てくれるのを待っていたんだということ、
私は母から捨てられた子供だということだ。
私は、これを、絶対に認めたくなかった。
だから、あれ程寂しいのを必死で我慢して耐えたし、
私には母は死んでもういないのだ、
それなら諦められるという妄想をしていたんだ。
ようやく掘れた。
あの時の私の本当の思いを受け止められるのは、私しかいないんだ。
本当の思いを受け止めてあげようと思った。
その途端、声をあげて泣いた。
「おかあさん」とただ叫んで泣きじゃくっているだけ。
泣きたくても泣けなかったあの時の思い。
泣いてしまったら認めることになるから、絶対泣いちゃダメだと思っていた。
いつも泣きたかった。
幼稚園にいる時も、独りでお布団に入っている時も、
家にいて寂しい時にはいつでも泣きたかった。
おかあさん、抱っこしてほしい。
おかあさん、そばにいて。おかあさん、抱きしめてほしい。
おかあさん、ここに来て私といっしょにいて。
この後の母への気持ちは複雑だった。
愛されていないのを知って諦めた。
でも、私はそれでも諦められなかった。
事ある毎に、もしかしたら私は愛されているかもしれないと思いたかったし、
それでも母を喜ばせたかった。
特に、父と3人でいる時に向かう母への気持ちは、複雑だった。
3人でいる時、父と一緒に母を攻撃していたのも、私を見て欲しかったからだ。
父と私が仲良くしているのを見て、母に嫉妬してもらいたかった。
当てつけだ。
どんな手を使ってでも、私を見て欲しかった。そして攻撃することで、
私をちっとも愛さない母への恨みをぶつけることもできる。
(これは父もやっていた。祖母と父と私が3人でいると、
父が祖母にちょっと嫌な事を言うので不思議だった。これは祖母への当てつけなんだ。)
結婚問題では、母が主導で私を攻撃してきた。
私は何度も、本当に私のことを心配して、
本当は母は私のことを愛してくれているんじゃないかと、心が揺れ動いた。
しかし、私は結婚する事が怖かった。
両親を見ただけで絶望する。
こんな風に夫から虐待され続けなければいけない結婚生活など、
私は死んでもしたくなかった。
母に何度も、母は私を愛しているからじゃなく、
世間体のために私を結婚させたいのだと言っても、頑として受け入れなかった。
しか結局、私は折れて、結婚相談所へ2度いった。
私には母がいるのに、なぜ祖母が私の面倒を見るのか、分からなかった。
私は缶ミルクで育てられた。母が母乳が出なかったから、
缶ミルクにしたのだと祖母から聞いていた。
母はずっとお店にいて、私のことを見に来ることもほとんどなかったらしい。
缶ミルクで育ったと聞く事自体、
私は出生直後から母から捨てられているという思いがしていた。
私は母と全く似ていなかった。
だから私は誰に似ているのかと聞いたら、祖母が
「生まれたての時は、看護婦さんが「まぁ、おばあさんにそっくりね」と
言っていたのよ」と話してくれた。
でも、それじゃ満足できなかった。
母と似ていたら、母はもっと私のことを可愛がってくれたかもしれない、
そう考えると悲しかった。私が父と似ているせいだ。
幼稚園へ行けば、他人全員が怖かった。
先生は一番怖くて近づけなかった。
先生から受け入れられなければ、もうダメだ。
怖いけど一度だけ行き、失敗して、ショックが大きかった。
それからは二度と先生には近づかなかった。
小学生になって、初めて1年生でお友達が出来た。嬉しかった。
2年生の時に校長先生に近づいたが拒否されたと思った私は、
二度と先生には近づかないと決めた。
3年で、男子から「***は○○の事が好きなんだ」とからかわれた時、
なぜ私がからかわれたのか全く理解できなかった。
それで、その理由を、私が何か劣っているからに違いない、
一番考えられるのはきっと馬鹿でブスだからだと劣等感を持った一方で、
なんでこんな理不尽で嫌な思いしなければならないんだと腹が立った。
勉強が出来るようになってからは、勉強で男子を見返してやるんだと思っていた。
しかし、ブスなのはどうしようもない。
自分で書いてきて、変だと思った。
母が私を捨てたのは、私が母に似ていないせいだ、
母に似ていて女らしければ、
きっと母は私のそばに来てくれていたはずだと思いたかったということだ。
私は、自分が母に似ていないからダメなんだと思い込むことで、
捨てられた現実から逃げたんだ。
ここで一回屈曲した。
次に父からの暴言で、お前は馬鹿だ、
女だから子供だから劣っているのだと言われ続けて、
私は馬鹿だから女だから子供だからダメなんだと思い込むことで、
父が私を愛してくれない、
私をこれっぽっちも受け入れてくれない現実からまた逃げた。
ここでまた屈曲した。
そして次には幼稚園で、自分は友達も作れない、
自分は何一つまともにできないし、他人よりご飯を食べられないのは、
自分が他人より劣っているからだと思い込むことで、
目の前の見たくない現実から逃げた。
なぜ先生は自分を受け入れてくれないんだろう?
それは私が何かで劣っているからだ。きっとそうに違いない。
現実を見ない推測の劣等感だ。
先生が私を受け入れないように見えたのは、
私が他人を怖がって自分から積極的に行きもしなかったから、
そして、たまたま行った時が場違いなタイミングだったからだ。
そして、次はこうなる。
なぜ先生の方から来てくれないんだろう?
私は周りからこんなに大切に扱われる人間なのに。
それはきっと先生が私の価値を分かっていないせいだ、
それを分からない先生の方が悪いんだという逆恨みになる。
これは特別意識だ。
目の前の受け入れられない現実から、
自分自身が劣っているという理由に逃げ、
そう感じさせる他人を自分に無理解だと決めつけて逆恨みする。
私がやっていることは全てこれだ。
母から捨てられた現実を受け入れられなかった時から、
私は正確な現実認識を受け入れることを捨てたんだ。
何かあれば、自分の劣等感のせいにした。私が悪いのだと。
次に他人のせいにした。
お前が私に無理解だからお前が悪いと。
私が母から捨てられたのは、私が悪かったんじゃないんだ。
母が私を愛していなかったのと、
仕事があって私の世話を時間的にも能力的にも出来なかったからだ。
私が母に似ていないせいじゃない。
父から愛されないのは、私が馬鹿だから、女だから、子供だからでもない。
私が男性から愛されないのは、私がブスだからじゃないんだ。
私はずっとそう思い込んでいた。
私は劣等感があるせいで、こう思っていた。
父は私を馬鹿だ馬鹿だと言うが、そんなの間違っている。
私は馬鹿じゃない。そう思っているお前の方が悪いんだ。
私に不快を与えるお前の方が悪い。こんなの不当だ。
私を馬鹿だというお前の方が馬鹿だ。
私の方がお前よりよっぽど上等な人間だ。
この反発心が特別意識の根源だ。
劣等感がなければ、特別意識はなかったんだ。
特別意識そのものが、劣等感から逃れるための幻想だ。
大人は不当だと、ずっと思い続けていた理由も分かった。
他人から攻撃される → 劣等感を感じる →自分が悪いと感じる
→特別意識の発動 →他人への怒り、
この自動的な思考回路のせいで、
だから私は、他人の攻撃的な愚痴を聞くと、
最初は自分が責められていると感じ、
次に私が悪いせいだと思い、
そこから反転して、こんな気分にさせるお前が悪い、
お前が私に無理解だからだとなって、怒り始めるんだ。
男性恐怖症について考えた。
私のトラウマは、夜中に目を覚ましたら、
母が具合の悪い父の背中をさすっているのを見たことなのだ。
これは私には耐え難い衝撃的な現実だった。
私は瞬時に、私は捨てられたのに、母は父には関心があるのだと思った。
私が捨てられたのは、母が男をとったからだ、
私から母を奪ったのは男なのだという妄想へ逃げたんだ。
私がセックスを嫌悪する気持ちの原点はここにある。
だから私はセックスを受け入れられないんだ。
セックスすることは、
私が捨てられた子供だということを認めることになるから。
だから、私は男のセックスを連想させる目付きが死ぬほど嫌いなんだ。
また、父を男性としては嫌悪していた。
だから私は小学生の時、
父のことを午後3時に起きてくる得体の知れない人間だと思っていたんだ。
それと、スキンシップの欠落がある。
このせいで、私には、私は家族から嫌われているに違いない、
だから私は誰からも触られないのだという思い込みがある。
大人になってからは、私がブスだから他人から触られないのだが追加された。
だから、他人から触られることに拒否感があるんだ。
思春期に入り、私は父を男性として嫌悪していたので、
父から女として見られるのがすごく嫌だった。
それで、ブスだという劣等感もあったので、女らしくするのをやめた。
父は私が男っぽくするのを喜んでいた。
なぜ父が喜ぶのか、ずっと分からなかった。
父は異常に性に潔癖で、晩年、理髪店に行った時、
店主からエロ本は見ないのかと聞かれ、
エロ本やエロビデオには全く興味がないと答えて驚かれたと自慢していた。
父には女の友人はいなかった。
ある時、父は女が怖かったのだと気付き、納得した。
小学校で、担任の先生が自分から近寄ってくれて、私を勉強で認めてくれた。
この成功体験を忘れられなかった。
だから私は、いつか私の価値を分かってくれる人が現われて、
私を幸せにしてくれるという妄想を狂信的に信仰しているんだ。
この後、会社で、大事に扱ってくれた。いつもこのパターンだ。
私から見て権威があると思える人が、彼等の方から近寄ってきてくれて、
私の価値を発見し、私を幸せにしてくれる。
だからこそ私は、父同様に権威を大事にしているんだ。
権威のある人が私を認めてくれれば、
私の価値を認めない人も考えを改めるだろうと思い込んでいる。
自分の劣等感に耐えきれず、会社を辞めて転職した。
このままいると、劣等感にさいなまれ続け、あまりに惨めだったから。
もてないという現実を受け入れたくなかった。
別の職種に逃げ、精神世界にも逃げ場を求めた。
精神世界で、私は特別意識を強化してくれるものを探していた。
もはやすがれれば何でも良かった。
しかし、ここでも私の居場所はなかった。
私には特殊な能力などなかったから。
また、転職して**さんと会ったので、私は彼にすがった。
初めて両想いになったから、この成功体験に必死にしがみついた。
私はブスだからダメなんじゃない、男性が私を見る目がないのだ
という「証拠にするため」に、私は**さんの存在を自己証明に使い、
都合の良い恋愛妄想に使ったんだ。
権威ある人だと思っている人も自己証明に使った。
私はこんなにダメ人間なんだ。
他人のことをダメという以前に、私だって全然ダメダメじゃないか。
私は、その時の現実の自分を1つずつ受け入れられなかった。
受け入れれば惨めになるだけだから。
だから、都合の良い言い訳や妄想へ逃げた。
こんな私じゃ、他人からも絶対に受け入れてもらえないと勝手に思い込んでいた。
私は馬鹿でもブスでも良かったんだ。
自分が悪いとさえ思わなければ。
私は自分が妄想だらけなのを全く自覚していなかった。
だから最初、崩残様からの指摘がピンと来なくて、ぼんやりしながら困っていた。
自分が何を分かっていないのかも分かっていないから、質問すら出来なかった。
今の私の思考回路は全てAC人格のもので、これじゃどうしようもない。
時間がかかっても、AC人格の思考回路を駆逐していくしかないんだ。
私には対人恐怖がある。
幼稚園の時、初めて他人と接した。
一人ぼっちになってみたら、他人が怖かった。
どうやって他人に声をかけたらいいのか全く分からなかった。
声をかけて嫌われたらどうしよう。怖い。
人から嫌われたら生きていけない。
他人が向こうから来てくれることをひたすら祈っていた。
でもそんな虫の良いことは起こらない。困ってしまった。
私は寂しかったが、自分が孤独だと認めることは絶対に出来なかった。
それで、現実から逃げるために、
私は寂しくても友達がいなくても全然平気だと思うことにした。
考えてみれば、
幼稚園に行く前に、家で既に対人恐怖になっていたんだ。
私は家でこう思っていた。
母に捨てられ、大人が誰も私の相手をしてくれなくなったらどうしよう。
孤立して家族全員から見捨てられることが恐怖だった。
だから私は、大人の言うことをよく聞いて、
大人の望む子供になろうと必死に努力した。
大人に反抗したら、私は見捨てられる、
そしたら私はもう生きていけないと思っていた。
反抗したらダメだ、大人しくして、
必死に大人の顔色を読まなきゃダメだと思っていた。
そうだ、だから私は、
他人に嫌われたら生きていけないと思い込んでいるんだ。
嫌われないようにしなきゃ。でももし嫌われたら?
その時には、私が馬鹿だからブスだからという劣等感に逃げればいい。
そして孤独を我慢すればいいんだ。
特別意識で自分を慰めればいい、
私を嫌う他人の方が悪い。そう思っているんだ。
このパターンは今でも変わらない。
テストを受ける前には、まだやってもいないテストの心配をし始める。
この不安感・被害妄想・劣等感・強迫観念はセットになっているので、
思考はこの4つをぐるぐるとループする。
そしてより一層不安になり、妄想が酷くなり、劣等感を感じるのが恐怖になり、
失敗してはならないという強迫観念が強くなっていく。
このせいで極度に体が緊張する。
自我復元の報告にも、この緊張感がある。
報告を出すことがテストで、パスしなければならないと思い込んでいる。
自信満々で出した報告が、崩残様から、こりゃ全然ダメだ、妄想だと言われると、
もうパニックで頭は真っ白、思考停止に陥る。
自分は出来ています妄想だから、自分で自分が分かっていない。
最奥のトラウマが掘れる前は自分が全く見えていなかった。
今の方がまだ見えているが、それだってどれ位見えているか、
今の私には分からない。
また、私は自分が分からないことを認めたくなかった。
報告を出す前には、私はちゃんと出来ているんだろうかという不安、
この報告は崩残様からどう思われるだろうかという不安、
周りの実習者は私をどう思うだろう?
周りの人から馬鹿にされたくない、
あわよくば他人より上位に立ちたいと思っている。
そして、もし上手くいけば、先生から褒められて得意満面になる。
逆にダメだったら、
自分は馬鹿だからダメなんだと劣等感に逃げ、
特別意識を発動し、
私を理解してくれない崩残先生が悪い、
そして私はこの誰からも理解されない孤独をひたすら我慢すればいいんだ、
となる。
なんだ、これは。
全ての物事を、全く同じパターンで解決しようと繰り返し、
自分ではこれで解決したと思い込んでいるだけで、
実際には何にも解決せず、失敗した現実を見ないように、
ただ妄想へと逃げ込んでいるだけだ。
そして最後には、ああ、なんてかわいそうな私、
こんなに健気に孤独に耐えているのに、誰も分かってくれない、
私は一人で耐えて偉いわぁ、という自己愛妄想へ発展するんだ。
**** 私 の 中 の A C 人 格 ****
・自分が分からないことを認めたくない。
職場にいると、周囲の人がが使っている専門用語が分からない。
でも、それって何ですか?とは聞けない。
知らないと分かると他人から馬鹿にされるんじゃないかと思うからだ。
この思い込みの元は、ものを知らないということが馬鹿だということと
イコールだからだ。
馬鹿だと言われたくない理由は、劣等感を刺激されたくないからだ。
・他人と競争する理由
劣等感があるから、優越感を得るために競争する。
他人に意地悪をしたり、競争しようと思う時は、
自分が勝てるかもしれないと思うから行くのであって、
負ける競争には行かない。
なぜ優越感を得たいのかというと、
相手を馬鹿にするしか劣等感の憂さ晴らしが出来ないからだ。
でも優越感なんてほんの一瞬だ。
それでも目の前の劣等感の苦しさから逃れられるなら、
その一瞬でもいいと思ってしまう。麻薬のようだ。
その時、親や他人から褒められると嬉しくなり、
優越感と安心感を味わえるので、さらに褒められたくて努力する。
競争なんて、劣等感から逃れるための自慰行為だ。
・特別意識には順位が命
特別意識は、他人と比較しなければ存在しえないから、
常に他人と自分を比較して、集団での自分の位置を確認している。
もう無意識で、あらゆることで他人との比較を行っている。
性別、容姿、服のセンス、持ち物等きりがない。
そして自分に順位をつけている。
・他人からどう見られているかをなぜ気にするか。
保身第一だから。
まず何よりも自分が悪いと言われたくない。
全力をかけて、他人に迷惑をかけないように行動する。
他人からの攻撃を避けるため、常識的な善人ぶるのが一番効果的だ。
また、他人から攻撃されないためには、目立たないことが一番良い。
服装や持ち物を標準のものに合わせ、目立つ行動は避ける。
標準より持っていると思うもののアピールは絶対しない。
他人の、特別意識から派生した嫉妬は受けないに越したことはないからだ。
嫉妬は攻撃を生む。
標準より下げすぎると他人から馬鹿にされるので、これも避ける。
・他人のことが羨ましい・憧れる
他人の持ち物や性質に劣等感を感じると、いいなぁと他人が羨ましくなる。
次に、憧れるか嫉妬するかだ。
私は****という本を読んで、
愛情のある家庭に育ち、空想癖があるが、頭の良い、大人になると
美しくなる女性だったから、***を羨ましく思っていた。
こうなれたらいいのにと考えていた。
私の少女趣味の妄想癖が強いのは、その真似だ。
真似をすればちょっとでも近づけるかもしれないと妄想するから。
だが、実際には本当の自分の有り様を受け入れられず、
現実を拒否していて、他人のようになりたいと逃げているだけだ。
・他人の真似をする癖
皆の真似をしていれば、
仲間外れにされなくて済むし、自分で考えなくても済む。
効率的だ。
他人よりもさらに上手く見せたければ、
そこにちょっと「改良」を加えればいい。
自分が理想的とする人間になれるかもという妄想から真似をする場合もある。
・自分のことは棚上げして、他人を非難する
これこそが大問題の思考回路だ。
この自虐装置のせいで、全く関係ない他人を攻撃してしまう。
意図的に自分のことを全く見ないで棚上げし、
私は他人と違うんだと根拠なく思い込む一方で、
他人のやっていることはよく見える。
他人の言動に矛盾があるのがよく分かるので、そこを非難するのだが、
実際には自分も矛盾だらけだ。
AC人格は全員同じで、
誰も他人のことなど非難できる人間ではない。
・常に根拠のない物事を信じる
劣等感や自分が悪いという思考からの逃避に使えれば、何でも使う。
他人の言葉でも物でも、すがれるものには何にでもすがりつく。
そして、〜〜しているのだから、私は大丈夫だと思い込む。
そこに根拠はないが、得たいものは安心感だ。
安心感が得られさえすれば何でもいい。
狂信的な妄想も成功体験もここに入る。
AC人格は妄想を信仰する人格だ。
私は****に依存していることは分かっていても、
劣等感からの逃避に使っていることに全く気付いていなかった。
最奥のトラウマが掘れたら、関心がガクッと落ちた。
本当に好きで関心があったのかどうか怪しい。
私には、依存と好きが全く区別できていなかった。
依存=好きだと思っていたのではないだろうか。
そういえば****のことも考えなくなった。
安心感を得るために、
自分を受け入れてくれると思える人にべったり依存していたが、
私は本当にその人達を好きだったのか、非常に怪しい。
捨てられたくないという必死の思いから、
好きだと思い込むことで自分から相手に喰らいついて行った、
ということじゃないだろうか。
・安心感を得る方法
自分が悪いと言われないように、周りに気を配って生きているから、
常に自分は大丈夫だろうか、他人から攻撃されないだろうかという不安感がある。
そのため、安心感を得たいと思っている。安心感を得るには、
1/信仰する妄想に集中し、現実から逃げる
2/他者の肯定・賞賛を得る
3/自分を受け入れてくれると自分が思い込んでいる人と一緒にいる
4/怖いものには近づかない
高圧的な人や怒っている人を見るのが怖いのは、
自分に飛び火しそうな気がするからだ。
変な所を突いて、怒られでもしたら、自分が悪いと思ってしまうから。
そんな怖いことしたくない。
しかし、考えてみれば、怒っている人には、どうして怒っているのか、
理由を聞けばいい。
それが自分のせいなら謝って改善すればいいし、
自分のせいでなければ怖がる必要もない。
また、他人から逆恨みされるのが怖いというのもある。
他人に本当の事を言って逆ギレされ、
相手から悪く思われるのが嫌だったり、暴力を振るわれるのが怖かったりする。
・他人の不幸を願っている
他人が羨ましいという気持ちは、憧れへ向かうか、嫉妬へ向かう。
自分が全く敵わなければ憧れへ、欠点が見つかれば嫉妬へ向かう。
自分が劣等感まみれで不幸に感じるから、
他人には絶対に自分よりも幸せになってもらいたくない。
不幸の足の引っ張り合い。
自分より幸せそうに見える他人が憎らしい。
逆に、相手から自慢と受け取られて勘違いされようものなら、
こっちが逆恨みされて攻撃される。
だからこそ、他人から嫉妬を受けないように、
自慢ととられるような言動をしたり、目立つことはしない。
一番良いのは、相手を褒めて、自分は謙遜したり卑下することで、
相手に優越感を与え、この状況を乗り切ることだ。
あまりに自分に不幸感が強いと、破滅願望になる。
自暴自棄になり、やる気が一切なくなる。
・仮想恐怖が強い
私は未来への不安感が強く、対人恐怖症、男性恐怖症、高所恐怖症がある。
また、極度に神経質で、他人から攻撃されていると思い込む被害者妄想が強い。
これは
〜・・・だったらどうしよう、という思考の表れで、
具体的には、他人から攻撃されたらどうしよう、
ここから落ちたらどうしよう、うちが憎らしくて恨まれていたらどうしよう
等と考えているからだ。
こうなるとあまりの恐怖で、一歩も外に出られない。夜もよく眠れない。
また、神経質なのは完璧主義だからだ。
父も完璧主義で、100じゃないとダメだという。
習い事をするにも、才能がなければやってもムダだと言っていた。
水を飲む時には水道を30秒は流してから水を汲んでいたし、
一日に何度も手を洗い、時間をかけて丁寧に洗った。
食器を洗う時も、まるで実験道具を洗うみたいに、
水をジャージャー流しっぱなしにして、ひたすら食器をこすっていた。
父は家に籠りきりで、夜は睡眠薬を飲んでいた。
父を異常だと思っていたが、私も同じだ。
自分が悪いノイローゼになっているため、
自分が悪いから誰かから攻撃されるんだという被害者妄想が生じる。
そして、常に周りに注意しながら、自分が悪く思われないように、
ひたすら怯えながら生きている。
また、未来への不安が強いので、将来に保険をかけておこうと考える。
父は物を捨てらず、議員に献金していた。
私は保険に沢山入っている。
いざという時のためにという理由で、お金を必要以上に貯めておこうと思ったり、
服や装飾品を買っても、着けないでしまっておいたりしてしまう。
・完璧主義
全てのことを、ミスなくそつなく、こなさなければならないと思い込んでいる。
全方向に気をまわして、非難されないようにしなければならないので、
ものすごく神経質になる。
完璧主義=仕事ができる人間だと思い込んでいる。
・強迫観念が強い
〜〜しなければならないという思いが常にある。
きちんとしなければならない、他人に迷惑をかけてはならない、
常識的な善人として振舞わなければならない等。
これらは自分が悪いと言われないための思い込みで、
全力で全方向に神経を使い、決して他人からお前が悪いと攻撃されないために、
年中頭の中で自分を律し続けている。
今まで問題だと思っていたのは、仕事が立て込んだ時で、
段取りと共に、ものすごい数の強迫観念が頭を駆け巡る。
考えているだけでくたくたになってしまい、途中で嫌気がさす時もある。
しかし、仕事はいったん始めたら
やり遂げなければならないという思い込みもあるので、途中放棄はできない。
だから、やる前に段取りをよく考えなければと思っている。
だが、何もしていない時でも、私は常に自分が悪いと考え続けていて、
常に無自覚の強迫観念があるのではないかと思う。
・諦めが早い
保身が行動の中心なので、
誰かに悪く思われる可能性があれば、すぐに諦めてしまい、
最初からそういう行動はしない。
また、劣等感が強く、何をやってもダメだろうと思い込んでいるので、
努力を放棄している。
ちょっとやってダメならすぐ諦めてしまう。
他人からの評価が悪ければ、すぐに才能なしと諦めてしまう。
0か100かの極端な思考。
・他人に愚痴を言う理由
自分の意見の正当化のために他人の同意を得たいというのが一つ、
もう一つはあわよくば他人に問題を解決してもらいたいという下心だ。
他人への依存度が強い人はこれを頻繁にやる。
自分で解決せずに他人に解決を委ね、何かあれば自分が責任をとりたくないから
他人を責めるのだが、
よく考えてみたら、私もやっている。
自分が困ったことは自分で解決しなければならないのだが、
他人に愚痴って、解決の糸口をもらうどころか、他人に行動してもらって、
解決したらいいなと思っている。
だから、皆、自己解決の努力を精一杯しないで、
行動力のある人の所へ相談に行くんだ。
・他人のせいにする
自分が責められたくない一心で、明らかに責任をとるべき人が逆ギレして、
他人へ責任転嫁しているのを見ると、みっともないとか浅ましいと思っていた。
でも、自分だって散々やっている。
また、誰も責任をとりたくないと思っている。
仕事上では責任の在処は明確で、これは逃れようもないが、
家庭では責任の押し付け合いだ。
親は、なんでこんな事をやらなければならないんだと文句を言いながら家事をし、
子供に勝手に決めたレールを歩ませ、子供の不満は認めず、
もし子供が不満を言うと、誰が食わせてやってるんだ、
誰が学費を払ってやってるんだ、親が金を出すんだから親に従えと言う。
子供の責任は親がとるべき所を、
子供を恐喝して子供のせいにして責任逃れをしている。
考えてみれば誰も自分の人生すら責任をとりたくないのだ。
親から押し付けられた、自分が決めた人生じゃないから。
誰一人責任をとらないから、
自分だけが責任を取らされるように感じて不満なのだ。
でも、劣等感がなかったら、
こんなに自分が悪いとさえ思わなかったら、
自分で責任をとるなんて当たり前のことだったのだ。
AC人格は、3人以上の集団の中でトカゲのしっぽ切りを常にやりたがる。
一番能力的に劣ると思われたり、問題があると思われる人が
次々に虐めのターゲットになる。
皆が攻撃して集団から離れると、誰かが次のターゲットになる。
これを繰り返して、自分じゃない誰かのせいにし続けている。
・AC人格の行動の基本は、
「劣等感を刺激されないように動きたい」で、常に逃げ腰だ。
劣等感を刺激される時はどういう時か考えてみると、
1/他人から馬鹿にされた時
2/他人からお前は間違っている、お前が悪いと非難された時
3/競争で、自分が勝手に相手に負けたと思う時
他人から無視された時で、劣等感を刺激された後はどうするかというと、
1/その場を立ち去って逃げる
2/そこにいて我慢する
その後は特別意識の発動をする。
そんなこと受け入れない、私はそんな人間じゃない、
もっと上等な人間だと劣等感で傷ついた心を慰め、
相手が悪いに反転し、他人を非難する→ 逆ギレして逆恨みする
さらに劣等感を感じたら、
そんな事はない、私だってできると自己愛妄想に走り、自分をほめる
劣等感を刺激されたくないので、この逆に動く。
まず防御だが、相手の攻撃を受けないように先回りして行動する。
★私のAC人格の基本中の基本
他人の顔色やその場の空気を先読みし、他人からの攻撃を避ける
1/他人から馬鹿にされないようにする
2/他人からお前が悪いと非難されないようにする
3/競争するなら、勝てる競争しかしない
4/他人から無視されないようにする
他人に先制攻撃をしかけるというパターンもある。
5/自分が優位にいるということを他人にアピールするために自慢する・虚勢を張る
6/先手を打って相手を馬鹿にしに行く
7/先手を打って相手を非難しに行く
・他人の顔色や空気を読む。
劣等感を感じる出来事に巻き込まれたくないので、
神経を使って周りの他人の様子を窺っている。
1/他人から馬鹿にされないようにする→ 頭が良いフリをする。権威を振りかざす。
知らない・分からないと言わない。
分かったフリをする。知ったかぶる。
仕事が出来るふりをする。偉そうにする。常識人と思われるように動く。
2/他人からお前が悪いと非難されないようにする
→ 私は正しい・私は悪くないというアピールをする。
私の考えは正しいを押し通す。
自分は被害者ぶり、他人を加害者にする。善人ぶる。
3/競争するなら、勝てる競争しかしない
→優越感を必ず得られる相手を選ぶ。順位を気にする。
勝てる競争しか努力をしない。
自分が偉いと思っている人にはペコペコする。
高圧的な人には強く出られない。
4/他人から無視されないようにする
→ 仲間外れにされないようにする。
異論があっても、相手の意見に賛同するか、黙ってやりすごす。
人をおだてて、おべんちゃらを言う。
他人から嫌われないようにする。嫌な事は言わない。
・他人を利用する。
1/相手を馬鹿にして、優越感を感じる道具にする。
2/保身の道具にする。自分の正当性を同意してもらおうとしたり、
他人から見て自分は悪くないと思わせるために、他人を非難したりする。
3/自分を都合良く評価してくれる道具にする。
仕事が出来る、勉強が出来る、良い人などと言われたいため。
4/自己愛妄想に使う。脳内妄想の出演者に使う。
私は、私がブスだから結婚できないと思っているであろう人間を
見返してやりたかった。
その人間とは今まで赤の他人だと思っていたのだが、
よく考えると、それは父だったのではないだろうか。
私を馬鹿にし、私を一切認めず、私のことごとくに干渉してきた父。
いつか見返してやると思っていた。
しかし現実には親は有り難いものだというチープな思い込みがあったし、
共依存状態で私は親を恨むことが出来なかった。
親を恨むことは自分の不甲斐なさを認めることだから。
だから私は父を恨まないで、その代りに他人を恨んだんだ。
私はここでも屈曲してしまった。
私は***さんに見捨てられたら生きていけないとずっと思い込んできた。
しかし、私が見捨てられたら本当に困るのは、***さんじゃなくて祖母だ。
母に捨てられた私には、もう祖母しか母代りはいなかったから。
捨てられたくないという必死の思いから、
好きだと思い込むことで自分から相手に喰らいついて行ったんだ。
私は小学校にあがるまで、祖母より母の方が大事だったが、
私の世話をしてくれるのは祖母しかいなかった。
祖母に遊んでもらった記憶はない。
孤立していた私は3才位から一日中TVを見ることで寂しさを紛らわしていた。
寂しさを認めることは私には出来ないことだったので、寂しいとすら言えなかった。
もちろん誰にも甘えたことはない。
こういう状況では、祖母に見捨てられるのが怖かった。
だから祖母の言う事には従っていた。
祖母はホットケーキを焼いてくれたり、
買い物に連れ出してはお菓子を買ってくれるので、嬉しかった。
私を誰よりも受け入れてくれるように思えたから。
その祖母が不快に思えたのは、
まず、従兄弟とおもちゃの取り合いをして負けて泣いた時だ。
私は祖母から怒られたことの方がショックだった。
私の味方をしてくれると思い込んでいたから。
私は受け入れられていないんだと思った。
あとは、祖父が旅行から帰ってきて、お土産を買ってきてくれたが、
全く気に入らず、「こんなもの要らない」と祖父にはっきり言った時だ。
そうしたら祖母が「そんなこと言うもんじゃない」と怒った。
祖父の気持ちを第一に考えろというのは私にも分かっている。
それじゃ、私の気持ちはどうなんだ?
今言ったことは私の正直な気持ちなんだよ!
一度だって私の気持ちを聞いてくれたことがあるのか?
私に大人の気持ちばっかり押し付けやがって。
ああ、悔しい。いつも悔しい思いをする。
皆、物は買ってくれる。
でも私の気持ちを聞いてくれたことなど一度もないじゃないか。
祖父母も両親もだ。
私は、祖母から捨てられたら後がないため、祖母に嫌われないように、
祖母に好かれるように、祖母の望むいい子でいなければならなかった。
私は自分を捨てた。
自尊心や反抗心、何もかもだ。
そして私は、祖母が私のことを唯一好きでいてくれるんだ
という妄想にしがみつくことで、何とか精神状態を維持していたんだ。
祖母のことを好きだと思い込むしか、
誰かから愛し愛されているという妄想を維持できないから。
だから、私は祖母のことを大好きだと思い込んでいたんだ。
なんて惨めなんだろう。
何一つ受け入れてもらえないのに、
私は愛されているという妄想に頼るしか、
精神状態を保っていけなかったんだ。
道を歩いていると、
自分の周りの全ての他人から自分は受け入れられていないと感じる。
これが対人恐怖の原因だ。
そして、これは、自分は誰からも受け入れられない存在なんだと
思い込んでいることの現実への投影だ。
だが、私という存在がここにあることと、
自分が誰かから受け入れられるかどうかは別問題なんじゃないだろうか。
私の存在が誰にも受け入れられなかったとしても、私がいて悪い訳ではない。
気になるのは、祖母が外で無力ぶることだった。
小学生になると、好きな祖母と一緒にいられるので、
頻繁に祖母の買い物について行った。
スーパーに入ると、カゴは私が持った。
「持つよ」と言うと、「そう?」と言うので、カゴをひったくるようにして持った。
なぜそうしたかというと、祖母のどこかに哀れっぽいものを感じて、
この無力な人にカゴを持たせるのは悪いと思ってしまうからだ。
祖母が外で無力ぶるのは構わない。
祖母が要求するようにカゴを持っていると、
祖母は毎回お菓子を買ってくれるのだ。
私はお菓子を買って欲しいからカゴを持っているんじゃない。
それなのに、お礼はお菓子で返してくる。
二人で外出すれば、帰りにちょっとしたものを買ってくれる。
でも、私は物じゃなくて、祖母の気持ちで返して欲しかった。
自分の気持ちは一切聞いてもらえないのに、
祖母は常にこうやって他人の気持ちを物で取引して、コントロールしようとする。
クリスマスプレゼントの時と同じだ。
私の気持ちは常に置き去りで、大人の都合で決めたものを置き、
私が喜ぶかどうかなんて考えもしない。
辛かっただろうとか、祖母から気遣いしてもらったことも、
学校での様子を聞いてもらったことも一度もない。
だから、私は、祖母がちっとも私の気持ちを考えない傲慢な人間なのに、
家では良妻賢母面して、赤の他人には無力ぶっているのが嫌なんだ。
ああ、悔しい。私の気持ちはどこへ行くんだろう。
私を愛して欲しいという思いは汲み取られることがないんだ。
祖母と私は、お互いがお互いのことを好きだという妄想にしがみついていただけだ。
私は祖母から愛されていると必死に思い込んでいただけで、
実際には祖母に利用されただけで終わってしまった。
祖母は私から好かれているという妄想を維持するため、
私にせっせとホットケーキを焼いたり、お菓子や物を買い与えた。
でも、気持ちは与えられないのだ。
それは自分が誰からも愛されていないのを知っているから。
愛されていない人間が、人を愛することなんかできないから。
母から愛されていないことを小学生の私が少し受け入れられたのは、
祖母に愛されているという妄想を信じていたからで、
今度は、母の代わりに祖母にずぶずぶに依存しなければ生きていけなくなった。
私は自分の気持ちを一つも理解してくれない祖母を恨みながらも、
祖母から愛されたかった。
だから、祖母が望むように嫌な勉強を頑張ってやったのだ。
祖母の要求を聞いていれば、
もしかしたらどこかで自分を愛してくれるかもしれないと思っていたから。
なんて虚しいんだろう。
ああそうか、祖母は、誰からも賞賛されるような人間になりたかったんだ。
だから、誰から見ても善人で良妻賢母でなければならないんだ。
母の悪口も言わず母に対して優しかったのは、
母からも賞賛されたかったからなんだ。
母に祖母の事を聞いたら、
話なんかしなくても祖母と自分は通じ合っているからと答えたので、
その妄想にびっくりしたのだが、
見事に母も祖母に依存していた。
祖母のこの必要とされたい思いが、子供達を祖母にずぶずぶに依存させたんだ。
祖母は長女で、下に双子の妹がいた。
妹の一人は20才前に亡くなった。
両親がどういう人かは、祖母からも父からも聞いていない。
あくまで推測だが、祖母は、女だからダメなんだ、
自分が役に立たない女だから親から愛されないのだと
思い込んでいたのではないだろうか。
自分は立派に皆の役に立つ女性なのだと、
必死に証明し続けなければならない人生だった事を考えると、
これで納得がいく。
祖母の必要とされたい病は私にもある。
必要とされたい病は、一度も愛されたことがない人達が
他人は自分を愛して受け入れているのだという妄想を満たしたい一心で
行う代償行為だ。
祖母が存命中は祖母さえいてくれれば良かったが、
祖母が他界すると、必要とされたい病は外へ向かった。
一番酷かったのは会社にいた時で、
女性は男性営業マンを補佐する立場だったから、
結婚できれば夫へ向かう必要とされたい病が、男性社員へ向かった。
新人社員に世話を焼き、一人前にするのが仕事だと思っていた。
だから数年経って一人前になると、
必要とされなくなったと感じて寂しくなる。
自分のやっていることが虚しかった。
派遣社員の時にも男性社員と組むと、必要とされたい病がおこり、
ミスのない仕事を目指した。
この男社会の中で、
男から仕事ぶりを認められてこそ、立派な女性だと思い込んでいた。
祖母と全く同じだ。
自分は他人から男から必要とされてナンボ、
夫や子供達から必要とされてナンボの世界だ。
何もしないと、自分はブスで馬鹿で、
誰からも愛されないという劣等感に苛まれるから、
男性からの賞賛を得ようと必死に仕事をしていた。
これだけ仕事ができるんだから、私はここにいてもいいですよね?という思いだ。
その次は女の職場だったので、ミスのない仕事を目指すのは同じだが、
今度は保身の方が先に立つ。
自分が悪いと言われないように先回りして段取りを考えたり、
同僚と上手くやる方に力点が移った。
しかし、これだけ仕事ができるんだから、
私はここにいてもいいですよね?という思いは、今でもある。
どこに行っても、やはり私は他人から必要とされたいのだ。
どれ程自分に言い訳しても、今の職場を辞めない理由の一つは、
あなたにいて欲しいと言われたいからなんだ。
引き続き掘り続けます。
どうぞ宜しくお願い致します。
はい、宜しくお願いされて頂きます
(ん?これ、日本語として合っているか?)。
______________________________
★
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