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[441]
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★分割自我復元★その441■トラウマ掘りの報告■
by:
鈴木崩残
2015/03/02(Mon)09:01:05
トラウマ掘りのご報告
●文書量が多くなりますが、これでも半分程度です。
公開する必要がないプライベートな説明の部分は
私のほうで判断して割愛させていただきました。
ほかの、現在トラウマとAC人格と格闘されている方にも参考になり、
響く箇所が、何箇所もあると思います。
***************************
崩残様
長文となりましたが報告となります。
____________________________
今思えば、祖父母は母のことを馬鹿にしていなかったんだ。
母の言う通り、母は祖父母から大事に扱われていたんだ。
そうなると父は悔しかったに違いない。
こいつはちっとも仕事ができないのに、俺より大事にされている。
しかし、そういう母を選んだのは父だ。
母が世間知らずなのは、付き合っていた時から分かっていた。
父は利口な女性より馬鹿な方が
まだ優越感を感じられるからと打算で母を選んだのに、
劣った母の方が両親から大事にされているという現実を
父は受け入れられなかった。
だから、あんなにしつこく母を罵倒したんだ。
そして、私にも「父より母の方が劣っている」と思い込ませようとしたんだ。
何としても自分の方が上で、母が劣っていることにしたかった。
だからあんなに母の実家の事までぼろくそに言ったんだ。
なんてせせこましい根性なんだろう。父は馬鹿だ。
父が私を大学までやったのは、私が明らかに父より馬鹿だから
大学までやっても全然問題ない、いやむしろ行かせた方が
常に比較して優越感を感じていられるという打算と、
俺が大金を出して大学まで行かせてやったんだ、恩に着ろ、
この物分かりのいい俺に感謝しろという尊大な思い込みからだと思う。
社会人になってからも、両親については一切口を挟まなかった。
私は誰からも自分の気持ちを聞いてもらえなかったから、
意地でも、両親の気持ちなど一切聞くものかと思っていた。
あなた方の好きにやればいい、私は関係ない。
父が祖父の介護をしていた時も、私はタッチしなかった。
父の愚痴は聞いたが、父がやればいいのだとしか思わなかった。
祖父が亡くなる直前、私に何か文句を言ってきたので、
私が怒って言い返したことがあった。
そうしたら祖父が「そんなこと言うなよ」と哀れっぽい声を出して、
下から取り入るような目で私を見た。
祖父は自分が弱者になったことを分かっていて、
祖父が子供だった時にも、こうやって周りにいる自分より強い人間に
取り入って来たんだと思うと、すごく嫌な気持ちがした。
昔は偉そうにしていたのに、
最後はこんなしみったれたことをする人間になるんだ。
祖父は今まで私にしていたことを無意識では分かっていたのだろう。
祖父は肺炎になり、近所の病院に入院して他界した。
父が倒れて、脳死状態で生きていた3ヶ月間にやったことは、
必死で自我率を上げることと、父の介護をすることだった。
父の病院には毎日行った。父のことが心配だった。
父のことを恨みながらも、やはり愛されたかった。
脳死状態でも耳だけは最後まで生きているという話を読み、
父に話し掛けた。私の声が聞こえていると思いたかった。
最初の頃には反応があった。
父が生きている間に私は自分の出来うる限りのことをやろうと思った。
やるだけやったと自己満足できればいいんだ。
そうすれば父が死んでも悔いがないからと思っていた。
だが、毎日病院に行っていると、思いが変化してくる。
疲れが溜まってきて、父も無反応になってくる。
最後の頃にはヘトヘトに疲れてしまって、病室の椅子に座りこんだまま、
もうそろそろ死んでくれないかなと思うようになった。
私は初めて死相というものを見た。
数日後に父は他界した。
あんなに酷いことをされたのだから、こんなに良くしてやる必要なんかなかった。
でも、私は、最後まで諦めきれなかった。
この期に及んでも、もしかしたら愛されるかもしれないという妄想があったせいで、
私は馬鹿みたいに一生懸命やってしまったのだ。
脳死状態で喋れない方が、かえって都合が良かった。
父から言葉で否定されないから。父から受け入れられていると思えるから。
父の希望通り、父には教養があり、子供から慕われている良い人間だ
ということを周りに証明する為に、必死になって私はその子供役を演じた。
反応のない相手にひたすら話し掛け、音楽やラジオをかけ、髪をとかして、爪を切り、
ゴミを拾い、髭剃りを掃除する。
最後の頃には、自分のやっていることが本当に虚しかった。
今思えば、私は自分の妄想に引きずりまわされていただけで、
結局最後まで父に利用されて終わってしまった。
不思議な事に、父は私を愛していると思い込んでいた。
私は父にずっと不信感を持っていた。
成人してまもなく、一度だけ
父に「お父さんは私のことなんか大事じゃないんでしょ?」と聞いたことがある。
そうしたら父が真剣な顔で
「お前が誰かに何かされたら、俺がそいつを殴りに行ってやるからな」と言った。
この時、私はこの言葉を信じて納得したが、
このやり取りの後、さらに葛藤が酷くなった。
私は無意識では父のことが大嫌いだった。
しかし、表層意識では父から愛されている妄想があり、
父からも言葉で証明してもらったという妄想が上塗りされたがために
葛藤が酷くなった。
精神不安定な自分を支えるために、相思相愛妄想の共依存状態だったものの代わりに、
以前から不信感を持っている父で支えようとしても無理な話なのだが、
それを無理矢理やったので、常に私には葛藤があった。
また、父は、私に、よくしてやった、
だから自分は子供から愛されて当然の人間だと信じ込んでいた。
すごい妄想だ。
さらに父と母には、こんなに酷い夫婦関係なのに、
愛し愛されているという妄想があるようなのだ。信じがたいが。
私同様に、依存=好きと勘違いしているのかもしれない。
母方の祖母にはダウン症の娘がいたから、
この子には絶対に私が必要なんだという妄想があったと思う。
その下の弟は統合失調症で、いつからおかしくなったのか母に聞いた所、
大学生の頃だそうだ。
ダウン症の叔母が亡くなったのは24、5才で、叔父とは年子なので、
数年間は、統合失調症とダウン症の子供を同時に見ていたことになる。
ダウン症の子が他界してからは統合失調症の叔父が祖母の共依存の対象になった。
祖母がキリスト教を信仰していたのは、贖罪という考え方があったからだと思う。
ダウン症の子供は恥ずかしい存在で、こんな子供が生まれたのは自分が悪いせいだ、
誰か私を悪くないと言って下さい、という思いに対して
贖罪という考え方には救いがあるし、教会の人達は祖母を責めず、
祖母を優しく受け入れてくれたのだろう。
祖母は教会にどっぷり依存していた。
私が子供の頃、キリスト教で救われたと祖母が話しているのを聞いたことがある。
当時の私には人が救われるとはどういう事なのか、全く理解できなかった。
でも、私も祖母に教会に連れて行かれて分かったことがある。
それは、より心の傷の深い人がキリスト教を信じているように見えることだ。
私の行った教会の雰囲気は暗かった。
祖母は、祖父が他界した後も、統合失調症の叔父が亡くなるまで、必死に生き続けた。
子供に手のかかる時には、この子には私が必要なんだと勝手に思い込み、
手がかからなくなっても、お前には私が必要なんだよ、という妄想を子供に押し付け、
それが高じて、私を何が何でも必要としろ、
私がいなければお前なんか何もできない癖にという妄想になる。
祖母は、ダウン症の叔母の代わりに都合良く叔父を犠牲者として利用した。
そうすれば絶対に自分は必要とされるから。
祖母は、祖父から商談に口を出すなと言われて、夫から必要とされていないことを知る。
そうなると、必要とされたい病は夫から子供へ向かう。
「私は親として、最後までこのダメな子供の面倒を立派に見なければならない。
そうして初めて、私は自分がダメ人間じゃない、
立派な母親だということを証明できるのだ。」
こうなると、父方の祖母も母方の祖母もどちらも同じように見える。
妻は、夫から受け入れられず評価もされない、
だから子供を利用して自分は必要とされているのだと思い込みたい、
そうしなければ、私は男よりも劣ったダメな女で、ダメな妻で、
ダメな母親になってしまうから。
私は立派な母親なんだ、それを何としてでも証明してやる。
どちらの祖母も、死ぬまでこの狂信的な妄想を信仰して行動していた。
そしてこんな状態でも、母は、
祖父母や夫や私から愛されているという妄想を持っているのが分かる。
以前に私は母に、トラウマ掘りの結果分かったこと、
つまり祖母や父が母に何をしたかを話してみたが、母はそれを信じなかった。
愛され妄想がある限り真実を受け入れることは絶対にないのだと分かって、
他人に話すのを止めてしまった。
母は、以前、中学だか高校だかのクラス会に行き、
「あなた誰?クラスにいたかしら?」と複数の人から言われて帰ってきた。
母にはそれがショックだったらしく、その後、二度とクラス会には行かなくなった。
昔から姉の後をくっついて歩き、兄弟の陰に隠れながら生きていたのだろう。
母の家も男の方が大事にされたから、
母も、女だからダメなのだと思い込んでいることは間違いない。
母はいつも言葉が足りない。
母の説明には主語がなく大まかにしか話さないので、話がよく分からない。
だから詳しく話を聞きたい時には、不明な点を何度も聞き返さなければならない。
ある時、母の姉から電話があって、
妹が何も言わないので妹の考えが分からないと言われて、私が説明したことがあった。
実の姉妹でさえ、話し合ったりしていない。
母には、姉の方が優れている、私はダメだという劣等感があるように思える。
だから、たまに姉の家の批判をして溜飲を下げている。
母は若い時から姿勢が悪く、前屈みで歩いていた。
私はダメだ、私は劣っているんだという思いが下を向かせるのだろう。
ずっと下を向いて歩いているから、年を取ってから背中が曲がってしまった。
母は、私は皆より劣っているから、
皆の言う事を聞かなければならないと思っているようなのだ。
その一方で、特別意識が勝った時には相手に尊大に出る。
以前父が、母が雇っている人さんに対してすごい口のきき方をするので、
困って何度も注意して直させたと言っていた。
そうか、母にとっては、自分が仕事を発注している上の人間で、
下流にいる業者さんのことを自分より一段劣った人間だと馬鹿にしていたんだ。
母方の祖母と全く同じだ。
父は、利害関係のある他人を丁重に扱った。
それが、たとえ自分が馬鹿にしている人間だったとしてもだ。
だから自分はリベラルだと自慢していたんだ。
俺は自分より劣った人間にも親切にできる優秀な人間なんだ。
私も父と同じだった。
特別意識がある限り、リベラルなんてあり得ない。
母は、私や父よりも不安神経症は少ない。母は完璧主義ではないし、
昔から責任のある仕事を他人に丸投げしているせいだ。
母は、自分が劣っているから、私には重要な仕事は出来ない、
私がそういう仕事をすると、ヘマをして皆から怒られる、
それなら周りの自分より有能な人間にやってもらい、
自分は指示待ちをしていた方がいい、
その方が責められなくて済むし、責任もとらなくて済む、
と思い込んでいるように見える一方で、
私だって他人に命令位できるのよと思っていて、
他人に対して威張る機会を狙っている。
母は自分が無能だと思えば、家族に責任を丸投げし、
ちょっとでも他人より有利に立てると思えば、
職人さん達に威張ったり、近所の友達にいい顔をしたりする。
寝る時、気持ちが悪いと思いながら寝ていることに気付いた。
真っ暗な中、布団に寝ていると、
昔、たった一人で和室に寝かされていた不快感を思い起こさせる。
昔の家の2階の北側の和室は私にとってはトラウマで、
ここは拷問・監禁部屋なのだ。
以前は、この和室の窓の手すりから下を覗くと、
下は広い森になっている夢をよく見た。
つまり私の中では、
この部屋は森の中にある、小高い崖の上に建つ家の監禁部屋で、
私はどこにも行けないという意識なのだ。
昔の家の1階の居間も監禁部屋だと感じる。
今の家では自分の部屋は逃げ場になっているが、
この家自体が監禁部屋とも感じる。
この家が監禁部屋だという意識がある限り、私はこの家に不快感を持ち続ける。
昔の家はセンスのない貧乏ったらしい家だった。
センスなんて二の次で、もらい物は何でも使おうという根性だったから、
私にもこのしみったれた根性が染みついている。
だから、今あるものでもう少し我慢してしまおうとか、
これはちょっと高い、もうちょっと安いものでいいや等と考えてしまう。
ちょっと我慢すればいいやという考えは、
我慢慣れしているAC人格には容易いのだが、
これをやり続けると根性がどんどんしみったれていく。
現在の状況を我慢し続けるということは、今のAC人格を肯定し続けることと同じだ。
家具を買い替えたり、家の改装をして、
監禁部屋という意識を取り除いてみようと思う。
私が問題なのは、父から質問されたら、
すぐに正確に答えなければならないと思い込んでいることだ。
それが優秀な者の姿だから。分からないなんてみっともない。
やはりどこを掘っても、立派でなければ、優秀でなければならない、
間違ってはならない、他人から優秀だと認められなければ意味がない、
そうでなければ私はいる意味がないという、
いつものパターンになる。
間違ったら、分からなくてすぐに答えられなかったら
→優秀じゃないという烙印を押されるに違いない→それが怖い。
私は正確に恐怖心を感じていない。いつもそうだ。
他人が→私を受け入れてくれないに違いない→だから怖い。
真っ暗な部屋が→あの時の孤独への恐怖感を思い出す→だから怖い。
私はストレートに感じたいのに、いつもAC人格の妄想が真ん中に入って、
私の意識を撹乱する。
この妄想が不快でたまらない。
私は悔しい。
なぜこんなに父から罵倒され続けなければならないのか。
私が子供で、女で、馬鹿だというだけで。
子供なら何も出来なくて当たり前、女はなぜ男より下だというのか、
大人より子供の方が物を知らないのは当たり前だ。
なぜ当たり前のことで罵倒され続けるのか、理解できない。納得できない。
私は親に復讐したい。だが親を殺した所で問題解決にはならない。
なぜならこれは思考回路の問題だから。
ここまで書いて、AC人格のモチベーションは不快感なのだとようやく気付いた。
劣等感や私が悪いと思っているのが基本的な思考回路なのだから、
不快感があってこそのAC人格だ。
この不快感から何としても逃れたいから、AC人格にすがっている。
つまり、AC人格は、私に不快感を感じさせるように仕向けているということだ。
だから常に私は、○○が怖いの真ん中にAC人格の不快感を挿入するんだ。
AC人格は、私に不快感を連想させるように常にスタンバイしている。
私は不快でなければならないんだ。
だから、ダメ人間であることを自分に対して証明させるために、
私に他人の顔色を見たり、他人と比較させたりして、
やっきになって劣等感を感じさせようとしている。
AC人格とは私の中の親だ。
私の中のAC人格の手口は、
他人と比較させる 他人と競争させる
他人の顔色を見る、そして、妄想させる だ。
結婚したいとは思わなくなった。
AC人格の男性と結婚するなんて、自殺行為としか思えない。
私は夫に依存したくない。
今もし結婚すれば、夫の勝手な妄想で虐待されるのが目に見えている。
AC人格の兵糧攻めをやりたい。
他人からの褒め言葉も罵倒も、どちらもAC人格の格好のエサになる。
他人の評価を一切真に受けないことだ。
自分はこんなに頑張っている、とか、
自分は可哀想というのもダメだ。
自分自身に他人の自己評価も自分の自己評価も与えず、
AC人格の首を締め上げたい。
母を見ていると、美味しい所取りだなと感じる。
自分が馬鹿だということをアピールすれば、
周りにいる他人がフォローしてくれて、
目の前にある困った事態を何とかしてくれる。
馬鹿を逆手にとって、馬鹿にされる事なんか何でもないと割り切れば、
自分は最初から一切関与せず、責任を取らずに済む、ずるいやり方だ。
私も面倒な時は母同様に逃げを打つ。
馬鹿なフリ・出来ないフリをして相手に優越感を与え、
相手を褒め上げて相手にやらせてしまえば、楽で責任もとらなくて済む。
父が母方の親戚付き合いをしなかったのは、母方の親戚が怖かったとしか思えない。
父は臆病な人間で、外聞を気にするあまり誰にでもいい顔をするので、
虐待できるのは家族だけだ。
母方の親戚を低能で非常識だと貶めていたが、
実際には彼等と会って話した時に、彼等とまともに交流ができないから、
逃げていたのではないだろうか。
建前では、親戚付き合いしたくない理由を低能で非常識だと言っていたが、
全く行かなかった所から察すると、
本音は、父は年始に母の両親に挨拶に行くことさえ苦痛で嫌だった。
つまり、自分のホームじゃない所にいて、誰も味方がいず、
誰とも話が通じない孤独が怖いのだ。
そして、知らない人達の間で気をつかい、良い顔をしてヘトヘトに疲れてしまう、
その結果、孤独じゃなければまだマシだが、
もしつまはじきに遭い孤独だったら、いかに自分がダメ人間か、
劣等感を感じてしまうから、それがものすごく嫌だっただけなのだ。
ものすごい対人恐怖症なのだ。
だから父は友人が少なく、その友人も話が通じる人を選んでいたし、
自分から積極的に外出することもなく晩年は引きこもっていた。
それでこの自分の恐怖の元は何かを考えてみると、
最悪の事態に直面するのが怖いという心理だ。
さらにこの裏には、最悪の現実を突きつけられるのが怖いというのがある。
つまり、私の最悪の現実は、私が誰からも愛されていないということ、
私が私自身を捨ててしまったということの2点で、
これは私が絶対に受け入れたくないと必死に拒んでいた現実だ。
私はこれを認めたくないという恐怖心から、
最悪の事態に直面するのが怖いという心理になってしまったのだ。
私は常に好転を望んでいる。
だが、今の現実が一番最低なんじゃないのか?
私は誰からも愛されていないし、自分の意志もない、
この現実を受け入れると絶望的に惨めな気持ちがする。
でも実際には、昔からずっと変わらず惨めな状態だったんだ。
それなのに好転を望むとは。
ただの気休めが欲しいだけで、
現実なんかこれっぽっちも見たくないと思っているんだ。
外に出かけるのが怖い。出かけて他人から何か言われるのが怖い。
私にとって、他人は安心できる存在ではなく、
全ての他人が私に最悪の現実をもたらす可能性のある
脅威的な存在なのだという認識がある。
これは親から最悪の現実を選ぶよう強いられたことが原因だ。
この思い込みのせいで、私は他人が怖くて、他人を全員敵だと感じてしまう。
だから他人から親切にされると、逆にものすごく有り難がってしまう。
本来敵なのに、この人はなぜか私に親切にしてくれると。
だが、心のどこかで
いつ裏切られてもショックを受けないようにしようと身構えている。
幼少期から幼稚園に行くまでのことを考えてみると、
本当に誰からも相手にされなくて、孤独で寂しかった。
私は寂しいと口に出して言うことすら出来なかった。
寂しいと言ってしまえば、
母から捨てられたことを認めなければならないからだ。
だから絶対に寂しいとは言えなかった。
寂しいのをぐっとこらえて我慢した。
家にいる時は一人遊びをするしかないが、一人遊びなんてつまらない。
体を動かすことはほとんどなくなり、TVを見るしかやりようがなかった。
また、一番麻痺できるのもTVを見ることだったから、可能な限りずっとTVを見ていた。
この頃を思い出すと涙が出てしょうがない。
でも、ようやく寂しかった思いを正直に受け止められるようになった。
どれ程我慢したかしれない程、我慢した。
その日やることといえば、ひたすら寂しさを我慢することだけだった。
寂しいのをひたすら我慢していると、次に夜一人で寝るのが怖くなった。
寝室で私は端に寝ていたが、隣の両親の布団はいつも空っぽだった。
これがより一層、私は捨てられたのだという孤独と絶望感を感じる。
寂しいなんてもんじゃない。恐怖だ。
この恐怖を麻痺させるために、
私は意図的に部屋が真っ暗なのが怖いにすり替えた。
真っ暗なのが怖いんじゃない。
私は捨てられ、たった一人で孤独と絶望感を感じながら、寝室にいる
という現実が怖いんだ。
日中はまだ人やTVのある居間にいられるからいいが、
特に寝室は一人になる場所だから、嫌でも孤独と絶望感に直面しなければならない。
だからここが拷問部屋だと感じるんだ。
そうか、私はこの孤独と絶望感に恐怖しながら、今までずっと生きて来たんだ。
この恐怖に直面しないように、手を変え品を変え妄想することで、
この恐怖を回避しながら生きてきた。
だから沢山の不安恐怖症を発症したんだ。
私が幼稚園に行くのを拷問だと感じるのは、
みじめな自分を思い知らされるからだ。
幼稚園に行く時は、母が私の髪を梳かしてゴムで留めるのだが、
母は一言もしゃべらない。
私は母のことが好きだったし、一緒にいられる時間も限られていたから、
嬉しいはずなのだが、毎回悲しかった。
私には全く関心のない母。
これは義務だと思ってやっているに違いない。
そうでなければ、なぜ一言も私に話し掛けないの?
母には絶望していたので、自分から話しかけることもしなかった。
母に愛されていないと知った時の絶望感、これに私は完全に打ちのめされた。
私は最初の一撃でやられてしまい、その後全く立ち直れなかった。
もう母に積極的に働きかけるのはやめよう。余計惨めになるだけだから。
幼稚園に行っても、他人が怖くて誰にも話し掛けられないまま過ごした。
皆が遊んでいるのを見ると楽しそうで、本当は誰かと仲良く遊びたかった。
集団の中での孤独はひどく堪えた。
たった一人なのが寂しくて泣きたかった。
でもどうやって他人に接したらいいのか、近付き方が全く分からなかった。
それで、家で孤独を我慢し慣れていたから、ここでも我慢し続ければいいやと思った。
そしてこう自分に言い訳した。
他人と接して嫌な思いをする位なら、最初から接しなければいいのだ。
そうすれば最悪な事態に直面することもない。
このまま1年は過ごしていたと思う。
もうこの頃には本当に自閉した人間になっていた。
初めて劣等感を感じたのは幼稚園の時だ。
初めて他人と比較して自分の立ち位置を見た。
私は他人と友達にすらなれないダメ人間だ。
皆勤する他人が羨ましい。私は体が弱くて劣等感を感じる。
毎回お昼のお弁当を食べられなくて、私はご飯を完食できないダメ人間だ。
先生から言いつかっ***の時も、私は大人から言われたことに素直に従うだけの、
実際には自分一人では何も問題解決できない、情けないダメ人間だ。
これでもかという程のダメっぷり。
行けば自分をダメ人間だと感じてしまう上に、家よりも孤独を感じる。
家にいた方がまだ他人と比較しない分だけマシだ。
そういう訳で、登園は拷問だった。
ここでも寂しいことを我慢し、ただ我慢することで、
その日一日を乗り切ることだけを考えていた。
楽しさなんかちっともなく、
最悪の事態が起こらなくて良かったと思いながら帰ってくる。
(これは今でもそうだ。
仕事に行く時は、今日は最悪の事態が起こらないことを祈り、
帰る時には最悪の事態が起こらなくて良かったと思っている。)
寝る時も毎回拷問だ。
この頃、孤独じゃなかった事など一度もなく、
ただ孤独を我慢することだけをしながら生きてきた。
また、父からどれだけ馬鹿にされても罵倒されても、
生活するためには反抗せず我慢するしかない。
生きることとは、孤独や劣等感や怒りや喜びを我慢し続けることだ。
私は母から捨てられたんだと分かった当初、
私は母に似ていないから愛されないのだと思い込んだ。
この妄想を起点に、
私は女らしくない、不細工だ
私は母から愛されないが、祖母からは愛されているのだ、に分岐し、
次には
祖母のことが好きだ、
祖母さえいれば、他の誰からも愛されなくても私は大丈夫だ
という妄想になった。
この妄想を心の支えにして、祖母が他界するまで何とかやってきた。
中学生になると、父から酷いことを言われても大丈夫だ、
父の崇拝する祖母から愛されているからと思っていた。
祖母が他界すると、祖母の位置に母が入った。
父は祖母同様、母を攻撃した。
今度は妻なので、容赦なく罵倒した。
今度も私は弾除けに母を使ったが、
母では弾除けにはならず、年中攻撃に巻き込まれた。
この頃には父の長年の洗脳のせいで、
私は完全に母はダメ人間で父は優秀だと思い込んでいた。
私は父にもみくちゃに利用され続けた。
子供の頃は子供だから女だから馬鹿だから、
学歴では、都合がいい時は味方に引き入れ、都合の悪い時は馬鹿にする。
母をダメ人間だとこき下ろすことで、自分を上等で優秀な人間にしたかった。
掘れば掘るほど、父は、家の中で女子供相手にしか威張れない、
気の弱い引きこもりのお粗末な人間だ。
父は自分以外の人間をことごとく馬鹿にしていた。
自分と意見の合う人間だけ自分のそばに置いていた。
父が褒めるのは自分の基準にのっとった人間だけで、
権威のある学校、職業の人だけだ。
権威のある人は全員常識的で人間性が立派だと思い込んでいるらしく、
その期待を裏切って自分が馬鹿にされると狂ったように怒っていた。
祖父同様、他人の人間性を全く見なかった。
小さい頃から私を根拠のない理由で馬鹿にし、
恩着せがましい自慢話を年中し、勉強ができない人間はダメだと言い、
自分を喜ばせてくれる人間しか受け入れない、
自分が一番上等で他の人間は全員ダメだという父が、
自分は善人だと自己主張し続けるのを聞いていて、
父のことを見栄っ張りの偽善者だとしか私には思えなかった。
当時は、父から認められたい、
何としても父を喜ばせて私を認めさせるんだとしか考えていなかったが、
一方で父のような偽善者には死んでもなりたくなかった。
私は自分が善人だとは思っていなかったし、善人にもなりたくなかった。
だが、偽善者の父から悪人の如く言われたことは本当に屈辱的だった。
父の指摘は正確だったが、私は父の方が悪人だと思っていたから、
悪人から悪人と言われる現実など受け入れられなかった。
父の正確な指摘は、
私が悪い→罪悪感を感じる→私が悪いんじゃない、父が悪いんだ、に変換された。
さらに苛立ったのは、自分のことを棚上げにする神経だ。
自分のことは一切見ずに他人のことをぼろくそに言う神経。
一体これはどういうことだ?
自分のことをフェアだと言う父が、自分のことは全て棚上げにし、
他人を馬鹿にし責めるばかりでフェアだったことなど一度もない、この矛盾。
そうだ、私が幼少期から父に苛立っていたのは、
この自分を棚上げにして他人をぼろくそに言う、
自分への客観性を全く欠いた神経だ。
自分が悪いと思わなくて済むから他人のことは正確に見られるが、
自分のことは劣等感があって自動的に棚上げする。
私が他人から真実を指摘されたり、他人から命令されるのが嫌なのは、
父の卑怯さに苛立っていたのが発端だ。
父は絶対に自分のことを見ようとはしなかった。
自分の現実を絶対に見ようとせず、
他人だけを低能だ悪人だと責める父のイカれた神経に、
私はどうやっても対抗できなかった。
だから悔しいんだ。私は父を軽蔑していた。
こんなイカれた神経の人間からの命令なんか私は聞きたくない。
私は父に反論して怒りたかったが、ぐっと我慢してしまった。
それは再攻撃されるのが怖かったし、自分が悪いと何度も思ってしまうから。
よく考えてみると、父の軽蔑を不当だと思う理由は多岐に渡っていたのだ。
まず根拠が全くないこと、自分を棚上げすること、
自分以外の価値観は認めないこと、自分を特別上等な人間だと思っていること、
私を一方的に攻撃して私に劣等感を感じさせること。
私は、父のように自分の間違いを棚上げして見て見ぬフリをしたくない、
自分の間違っている所をきちんと認めて正したいと思っていた。
しかし、実際には全くできなかった。
自分が悪いという劣等感のせいで反論することも怒ることもできず、
特別意識のせいで自分の間違いを正直に認めることもできなかった。
私は何かにすがって安心したいといつも思っている。
だからいつも外側にある安心できる慰めを求めているし、
根拠のない幸運を信じたいと思っている。
今日は昨日より良いことがあると思いたい。
その基には捨てられる恐怖から逃げたいという思考があるのだが、
よく考えると、失いたくないものがあるから怖く、
以前は家族を失いたくないという思いが強かった。
もし自分に失うものが何もなければ、恐怖心は起きない。
今まだ、母への依存心は完全に断ち切れていないし、
収入を絶たれると困るという恐怖心がある。
未だに夜になると外の音が気になる時がある。
他人から何かされているんじゃないかと不安になる。
私は安心したいと思っている一方で、心配したいんだ。
何かを心配している方が安心だから。
というのは、あらかじめ心配しておくことで、
何か起こった時に心の衝撃が少なくて済む。
また、安心しきっていると心にぽっかりと空白ができて、
何かあった時に心の衝撃が大きくなることを知っているから。
安心感を求めて自分の外側の何かに依存するだけでなく、
自分の内側では常に心配し続けることで
何かあった時のショックを和らげようとしている。
安心感を求めて心配するという矛盾。
今年に入ってから、起きる時間が遅くなり元に戻ってしまった。
私は父と似た体質だったから、自分が朝に弱いのを肯定していて、
父同様に9〜10時に起きることを何とも思っていなかった。
しかし、これはおかしいのではないだろうかと思い始めた。
桜の間の行動しろの指摘で、よく考えてみると、
私を行動させないために自分を寝かせているのだとようやく気付いた。
私も眠る事に逃げていた。
それで朝、きちんと起きることにした。
父は自分が引きこもりだったから、母が妬ましかったのだろう。
母を仕事以外の遊びで外出させないために
「きちんと家事もできないのに、お前は遊びに行くのか。
遊びに行くなら、きちんと仕事をしてから行け。」と文句を言っていた。
だから母はいつも父の顔色を見ながら、
自分が遊びで出かける時にはこっそりと速攻で出て行っていた。
そのせいで私もちゃんと家の中の事をしてから外出しないとと思い込んでいる。
仕事場で相手の話を聞くと、
相手はどうでもいい所に固執して怒っているので、
怖くてカウンター下で手が震えたが、勇気を振り絞ってこちらの言い分を押し通した。
仕事上逃げられない体験だったが、
恐怖心の克服とはどういうことか、少し分かったような気がした。
やれるかどうか分からないが、とりあえずぶち当たってみることだと思った。
でも、今私がやらなければならないことは、
他人のAC人格に勝つんじゃなくて、自分のAC人格に勝つことだ。
私を今まで虐げてきた思考回路、お前を殺してやる。
この体の主人はこの私なんだよ!
AC人格、お前だけは絶対に許さない。
停滞についての回答を読んだのだが、
他の方々の説明がすごく長いのに驚いてしまった。
私の文章は極端に短い。
考えてみると、私は他人に自分の気持ちや考えを説明する気がほとんどないのだった。
他の方々は自分の気持ちや考えを
他人に分かってもらう為に丁寧に説明している。
私は他人に説明する気力すらなく、どうせ分かってもらえないんだから
説明するだけ損だと思い込んでおり、
他人に分かってもらおうとする努力を最初から放棄している。
人と接することを極端に拒んできた結果、
自分からは決して何もせず、自分の労力は出し惜しむくせに、
他人には労力を使わせ、他人には
「こちらが何も言わなくても自分を分かってくれ、お前が察しろ」
というとんでもない要求をする意地汚い根性の表れだ。
私は重度のコミュニケーション障害で、
家族全員も重度のコミュニケーション障害なんだ。
うちの家族は誰も自分の本当の気持ちを言ったことがない。
私もどうせ誰も受け入れてくれないから、説明することを早々に諦めてしまった。
毎日が楽しくて面白かったら、
果たして朝の9時まで寝ているだろうか?
私は毎日が面白くなく、現実を見るのが辛いから、
朝起きるのが辛いし、出勤するのも辛いんだ。
私は毎日起きた後、ああ嫌だ、今日も辛い現実を見なければならない、
いつも辛い現実の真っただ中だと無意識に思っている。
出勤する時も、ああ今日も嫌な事があるに違いないと思い込んでいて、
嫌な事が実際に起こるのが怖いんだ。
だから私は、出勤時に今日も最悪の事態が起きませんようにと祈っている。
私は、自分がこんなにも現実を見続けることが
ものすごく不快だと常に感じているとは思わなかった。
だからいつもお肌が荒れていて、胃薬が手放せないんだ。
このものすごい不快感をAC人格は無意識へと押し込み、
表面意識に感じさせないようにしている。
こんな不快感を毎秒毎秒感じていたら神経がもたないから、
AC人格が手放せないんだ。
AC人格がある限り、どれほど現実を直視しているのか疑わしい。
職場の行き帰り、電車の中で寝ているのも、眠いから寝ているんじゃない。
このものすごい不快感から少しでも逃避したいからだ。
ようやく***をする人の心理が分かった。
この不快感から逃れるためだ。
その時にこの不快感から逃れられると思えば何でもいいんだ。
AC人格は、現実が不快だという認識から逃れるためだけに、
妄想と思い込みの思考回路の中で生きている。
AC人格がモチベーションにしている不快感の正体はこれだ。
私が地球から出たいと思っているのは、
今の現実が辛く、現実逃避したいからだ。
自分は何も行動せず、
今の現状からただ逃げたいと思っていただけなんだ。
言い訳や逃げ口上を言っている限り、
私は現実に立ち向かっていない。
今ここにいて、この辛い現実を何とかしてやろうという気概がなかった。
私は今まで、現実が辛いという不快感から発生する逃避行動を
まるで認識していなかった。
AC人格の行動原理は単純で、
辛い現実を見たくない・辛い現実から逃げたい、この2つだけだ。
達成感で恐怖心を誤魔化しているんだ。
しばらくは達成感のお蔭で恐怖心を感じない。
だから達成感を得るために、
何かしら行動して成功しなければならないと思うんだ。
今の状況は、幼少期にたった一人で居間にいた時と全く同じだ。
しかし、今はあの居間にいるのとは違う。
TVをつけたい、TVをつけたいんだ。無視した。ネットもしない。
ただ座っているだけ。
昼食後には眠くなる。寝かさない。
眠くなったら少し歩いてまた座る。
居間でこうやって何もせず、ただ座っていた。
母が帰ってきて中断した。
怖くないのに怖い怖いと言い続けているAC人格が
覚悟を決めるまでには時間がかかる。
AC人格に観念させたり、覚悟させる機会が必要だ。
父や祖父母は常に私の競争心をあおることしかしなかった。
宿題はしたのか、お前は出来が悪い、人より上位に立て。
学校でも塾でも会社でも競争心をあおることしかしない。
どんな事でも全て他人との競争だ。
他人に勝つために生きるなんて馬鹿げている。
勝っても内面は何も満たされない。虚しいだけだ。
そう思っていたから優等生なんかクソ喰らえだった。
全ての物事を競争だと受け止める思考回路なんて異常だ。
だが、生きることとは他人と競争することなんだとずっと思い込んでいた。
ACのHPを読んでいると、
人生脚本というものがあると書いてあった。
親がしていること・親からされたことを見て、自分の人生脚本を設定し、
それに沿って子供は自動的に忠実に生きるのだという。
祖母の人生脚本は、良い学校に行き、
結婚後は男尊女卑の男性に支配されるのを我慢しつつ、
良妻賢母をやり続け、家族全員から必要とされる母を演じながら、一生懸命働く、だ。
父の人生脚本は、良い学校に行き、
自立しないで祖父の願い通り祖父の店を継いで一生懸命働く。
男尊女卑に徹し、男は立てるが、妻と子供は支配しなければならない。
私の人生脚本はこの2つの混合だ。
私は女だから祖母の人生脚本を表面意識ではモデルにしていたが、
跡継ぎだという意識があったため、無意識では父の人生脚本をモデルにしていた。
だから私は自立しないで、親の遺産を継いでいるんだ。
私は決して結婚して家を出てはならず、仕事を継がなければならなかった。
私は女でありながら跡継ぎだったから、矛盾した人生脚本になっているんだ。
そうか、父は私を2重に利用したんだ。
女だからと馬鹿にできる時は女扱いし、
跡継ぎだからと利用できる時には私を男扱いした。
また、私に跡継ぎだからという意識があったから、私は母を侮辱していたんだ。
私は、自分勝手な思い込みでこれ位なら出来るしやってくれるだろうと
他人に期待して要求している。
そして、その他人が私の期待に沿わないと腹を立てる。
この他者への要求の根底には序列意識がある。
他人に自分と同じ仕事をやらせてみて、
自分より出来れば序列が上、出来なければ下という風に、
他人と自分の序列関係をはっきりさせるために仕事の出来具合を観察している。
そしてある程度その他人が出来れば、この人はここまで出来るのだからと期待をして、
その他人に自分勝手に脳内でその仕事をきちんとやることを要求している。
私は自分が標準だとなぜか勝手に思い込んでいる。
そして、自分より出来る人は尊敬し、自分より出来ない人は馬鹿にする。
つまり、私は自分自身を他者へ投影して、
他人と比較し、自分が他人の中のどのランクにいるのかを探っているのだ。
自分と同じような行動を他人に求めるとは、どういう事なんだろう?
と考えていて、はたと思いついたのが、
私は自分と他人の区別がついていない、ということだ。
だから私は他人だけじゃなく物にさえ自己投影をしているのだ。
私は他人も自分同様の人間だと固く信じ込んでいて、同じじゃないと不満なんだ。
私は他人に自分との違いを認めるよりも
他人に自分と同質であって欲しいと望んでいる。
だから、自分と、ものすごく違っている人を敬遠しているのだ。
私は自分と他人は全く違う、
全く別の人間なのだということを理解していなかった。
一ヶ月弱、朝決まった時間にきちんと起きるをやっていると、
なぜ今まで私が父同様に、夜中の3時頃まで起きていて
朝9〜10時頃起きる生活をしていたか訳が分かった。
他人が寝静まった夜中になら、
誰にも邪魔されることなく一人静かな時間を過ごせるからだ。
不安が本質的に解消される訳ではないが、
比較的安易に手に入る避難場所として夜中の時間を使っていたのだ。
まさにAC人格の逃避行動だ。
寝坊したいのもAC人格だ。
私は動きたいので、朝きちんと起きるのを続ける。
私は行動して、親の言いなりじゃないことを私自身に証明する。
私は小さい頃から何度も「助けて!」と心の中で叫んでいた。
その対象は母だったり、神様だったり、私の上だったりしたが、
本当は私は私自身に向けて助けて!と叫んでいたんだ。
私は自分の気持ちを一度も自分へ向けられたものとしてとらえていなかった。
他の誰かに助けて!と言っているのだと思い込んでいた。
私は、自分の気持ちが、自分に向けられていると、
一度たりとも考えたことがなかった。
だから私は感情が動くと他人のせいにする。
他人という存在が自分の写し鏡であるとは思っていた。
しかし、他人に対して湧く感情が本当は自分に向けられた感情で、
自分がその感情を受けとめていないから、そこから逃げているから、
だからその他人のせいにするのだとようやく分かった。
ずっと辛かったが、
辛いと感じることを認めたくなかった。
認めてしまうと自分の人生が失敗だったと認めなければならないから。
理性では、自分の人生が一度も上手くいったことがないのは分かっている。
でも、私はそれを認めたくなかったし、
上手くいっていると妄想してさえいた。
私が常に認めたくないのは、私自身の感情だ。
助けて、助けて!と叫んでいても、
どんどん真っ暗な部屋へ閉じ込められていく。
蟻地獄に落ちて行く感覚。
最初はまだ良かったが、もう完全に閉じられて、絶望した。
叫んでも誰も聞いてくれない。
家族全員が外に感情を全く出していなかったから、
この人達は冷たい人達だと感じていた。
子供の頃、病気で居間で寝ていると、家族が私のそばを通り過ぎるのだが、
誰にも相手にしてもらえず寂しくて辛かった。
あまりに孤独で、ぽっかり空いた心の空洞に耐えかねた。
ずっと誰か来てくれないかと望んでいた。
今分かったのは、この頃から私がずっとずっと待っていたのは、
私自身だったのだ。
親からこう言われてきた。
努力して成功しろ。成功して親を喜ばせろ。
才能がなければすぐに見切りをつけろ。
でも、続けてやってみなければ、成功するかしないか分からない。
一番最悪なのは、途中の過程が大事だと思えないことだ。
今になって、ようやく過程が大事なのだと分かってきた。
父はインスタントな成功しか認めなかった。
やる前からすぐダメだと言った。
しつこくやらせたのは学校の勉強だけ。後はすべてダメだと言った。
親の面子を潰すものは全部ダメ。
大学の時のバイトもダメだと言い、
社会人になってから皿洗いのバイトに行ったのだが、
「皿洗いをさせるために大学を出させたんじゃない」と怒った。
父は本当に酷かった。
****の設計という目的のためになら勉強が必要だと分かるが、
父は私に何の目的もなくただ勉強して良い成績を取れと言った。
自分にとって意味のないことをさせられ続ける苦痛ときたら、延々と続く拷問だ。
苦しくて仕方がなかったが、父や祖母に認められたくて必死だった。
翌日、私が感じていた違和感が何なのか、やっと分かった。
それは、いまだに私自身が母を嫌いだという事実を認めていなかったことなのだ。
なんで母のために一生懸命怒ってしまうのか、違和感があった。
私が真剣に怒っていると、
ごめんなさいと言っている裏で母が喜んでいるような気がしていた。
私は母から利用されていると無意識では感じていたんだ。
母は私の反応が欲しいのだ。
私が真剣に反応することで、
母は私から愛されているという妄想を維持できるから。
また、私は母と出かけると、食事先で無意識で良い席に母を座らせてしまう。
変だと思いながら、無自覚でやっていた。
自分でもおかしいと思っていた。
母のことはなぜそれほど嫌いじゃないんだろうかと。
私は母が嫌いなのに嫌いという事実を認めず、
母から愛されているという幻想を捨てていなかったんだ。
それで分かった。
私がずっと結婚したいと思っていたのは、母から認められたいからなんだ。
私は愛し愛されたい妄想があるために、
もしかしたらいつか愛してくれるかもしれないと、
常に親に対して期待を持ってしまう。
全ての現実を受け止めたら、
いつかは母が愛してくれるかもしれないという希望がなくなってしまう。
いまだにこの希望を失いたくないから、
あえて現実を見ないようにしているんだ。
この妄想が私の足元にある土台だったので、
それが何もなくなってしまって宙に浮いているような感じがするのが怖いんだ。
要は独りになるのが怖い。
私はこの妄想を現実にある物に投影し、
その物を持つことで意識の安定を保っている。
物がアンカーの役割をしている。
だからその物を捨ててしまうと足掛りがなくなって、
宙に浮いているような感じがして不安を感じるんだ。
母が責任を取らずに私に押し付けることに腹を立てていたが、
私が責任をとらなかったことを考えてみると、
小学校の時、何もせずに賞をもらったこと、
中学生の時、利用した友人に謝れなかったこと、
友人に自分の素直な気持ちを言えなかったことの3つがある。
私は自分の気持ちを一度として素直に出したことがない。
特に素直に喜んだことがない。
それは、本当の気持ちを出せば親から傷つけられるに違いない、
そうしたら心が折れて生きていけないと思い込んでいたからだ。
私は利用した友人全員に謝りたかった。
本当は謝りたかったのに、どうしても出来なかった。
私は自分がやりたかったことの真反対をやってきた。
やりたくないことばかりやってきたんだ。
だから私の人生には葛藤と後悔しかない。
本当はどうしたかったのか分かった。
幼稚園では、友達をいっぱい作って、皆で遊びたかった。
お弁当を食べられなくて残すとか、そんなことはどうでも良かったんだ。
ただ楽しく遊びたかった。
ただそれだけだ。
小学校でもそうだ。
勉強なんてどうでも良かった。
友達と楽しく遊びたかった。
男の子とも仲良くしたかった。
男女関係なく一緒に遊びたかった。
ただそれだけ。
私はずっと遊びたかったんだ。
私が幼少期からやりたかったことは単純な事で、
皆で遊んで、
ケンカをしたらやるだけやって、
謝りたければ謝ればいい、ただそれだけだ。
勉強なんかしなくても良かったんだ。
どうでもいい所にばかり目が行っていた。
AC人格って何なんだ?
どうでもいいことをさせるためにだけAC人格は存在するんだ。
どうでもいいことに目を向けさせるのが狙いなんだ。
私自身が2つに分裂して、閉じ込められた小さい私も、表面のAC人格の私も、
どちらの自分も苦闘していた。
本当はしなくていいことをやって、あえて苦しんでいたとしか思えない。
私の中で何かが繋がった。
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