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[443]
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★分割自我復元★その443■トラウマ掘りの報告−2■
by:
鈴木崩残
2015/03/05(Thu)18:49:30
トラウマACに関する報告
●今回も報告からの引用となりますが、
今回は、ほぼ全文を掲載となります。
前回に続き、女性の方からの報告ですが、
この方は、かなり長くトラウマ掘りがトラウマ掘りになっていなかったのですが、
前回の報告あたりから、私も、
「ようやく、記憶の入り口になる小さな亀裂ができたようだ」と感じてはいました。
が、あまり私が心配してもしょうがないので、
最近は、報告がないかぎりは、
どの方にも、あまり注意を向けないようにしています。
以前には報告がなくとも私から注意を向けている方というのが
何名かいましたが、最近はないです。
そのほうが、結果として、何ヶ月かすると、
驚くような変化を報告してくれることがあるからです。
***************************
崩残様
いつも大変、お世話になっております。
>「AC人格」の挙動を把握するということは、
>必ず、親との間のトラウマがどうしてそれを作り出したのか
>ということと「セットで」掘らねばなりません。
>今のままでは、まだ別々になっています。
***
崩残さんからの、このご指摘の後、すぐさま、
また、あのAC癖がのさばってしまいました。
私の頭の中はいつものごとく、また「???」でいっぱいになり、
どういうことだろう、どうしたらいいんだろう・・・・
というところで私の思考をストップさせ、
思考停止状態に逃げ込もうとするACにまた占領されてしまっていました。
はっ! と我に返ったのは数日してからでした。
この状態は「自分の頭で考える」という作業を開始させないように、
私から「考える」ことを奪い取ろうとする、
ACの策略であることがはっきりと見えてきました。
「停滞」についての回答の際に、やられたパターンとまったく同じです。
本題に向き合おうとする前に、焦点をはぐらかし、
ただゴチャゴチャと悩んで、
無意味に時間を経過させているだけの状態。
本題について考える、それ以前のこの混迷状態を、
自分は「考えている」のだと、今までの私は完全に錯覚していました。
ACは「考える」という作業を私から奪い取り、
自分で考えようとする力、そのものを制圧していたのです。
私は生まれながらに頭の回転が悪いんだからしょうがないんだ。
という、投げやりで惨めで、胡散臭い自己否定思考に占領され、
自らを卑下し、そして、それと同時に自己信頼をも奪い去る、
このACの策略にどっぷりと嵌り続けて、今まできてしまいました。
こうして、私はこの歳まで自分の脳みそも使わずに、
ぼーーっとした「抜け殻」状態のまま、
自分の意志もなく、どうしたいのか、本当は何をやりたいのかも分からず、
ただ落ち着きなく、ウロウロと動きまわり続けていただけでした。
自分の頭で考える、という人間なら当然やるべきこの作業を、
私自らが放棄してしまっていたということでした。
そして、この重大な状態に陥っている現実の自分を、
今まで私は、これっぽっちも、
まったく感じられないほどまでの、鈍感な馬鹿になってしまっていました。
自分の頭で考えられないということは、
他人の考えを上手く拝借し、それを自分の都合のいいように解釈し、
あたかも自分が考えたかのように錯覚し利用する。
これは結局、
無自覚に他人の言いなりになることを自らが暗黙のうちに承諾し、
誰かの奴隷になることを、自ら選択していたということでした。
自分を捨てているということです。
自分がどこにもいないということです。
私をこれほどまでの馬鹿に仕立て上げたのが、あの母親だったのです。
そして、それに協力したのが姉二人でした。
今ようやく、このことに気がつきました。
子供の頃からずーっと、
頭の上から、そして前後左右から何かに押さえつけられているような感覚。
押しつぶされ続け、思考、感情、身体、この私のすべてが小さく委縮して、
息苦しくて、息苦しくてしかたがなかった。
何か変だ、何かがおかしい、何かが違う、
この違和感と不快感が私にへばり付いて消えることはありませんでした。
しかし、
その何かを払いのけたいのに、どうやっても払いのけることが出来なくて、
そして、今まできてしまいました。
崩残さんが、以前メールで
「・・・・の部分に、何かしら、ずっと制圧されたものがあると思えた。」
とご指摘くださった言葉が、
今回やっと、自分のなかで腑に落ちました。
自分にはこの歳になるまで、そんな「制圧」とまで感じるほど酷い、
辛く苦しい経験をしてきたような記憶は思いあたらないけどぁ・・・?
そう呑気に、他人事のように思っていました。
結局、AC人格の根幹の起因となる部分が、
今までまったく掘られていなかった、
ということがやっと分かってきました。
*****
両親、特に母親は「私」を見る時、
幼少の頃から、常に姉二人と比較して私のことを見ていたように思います。
無自覚に、常に母親の思考の中心には「比較」があったのだと思います。
二人の姉に比べて私は、
出産の時から一番大変な思いをしたし、赤ちゃんの時は夜泣きが多いし、
ぐずってよく泣いてばかりいる、いわゆる世話のかかる赤ちゃんだったようです。
そして、2〜3歳になると母親に引っ付いて離れない子でした。
言葉を覚えるのも遅いし、ひとりでご飯を食べられるようになるのも、
おしめが取れるようになるのも、乳離れをするのも、
洋服の脱ぎ着も、靴がはけるようになるのも、おねしょがなくなるのも、
なにもかもが、きっと、私は鈍くさくて、
姉達と比べると覚えが悪い、手間のかかる子供だったのだと思います。
そういう目で母親は、
私のことを幼少の頃からずっと見続けていたのだと思います。
「お前はお姉ちゃん達とは違って、
何かを覚えて、普通に出来るようになるのが、何もかもがのろくて、
いつまでも手がかかって、本当に困ったデキの悪い子だねぇ・・・・」
実際、言葉には出さなくても、母親の頭の中では、
常にこんなような言葉が行きかっていたのだと思います。
母親の私に対する軽蔑的、軽視の思考が、
我が家の「空気」となって充満し、
それが家族全員の共有思考になっていたのだろうと思います。
私は、きっと、幼少の頃から、ずっと、
自分の周りを取り巻いている、家族全員の発する、
その言葉にはならない重い「空気」を感じていたように思います。
そして、
母親は、私が小学校になって、宿題に苦戦している姿を見ると、
「この子は出来ない、しょうがないから手伝ってやらなければ、
終わりそうにない」 と心配し、私を助けるつもりで、
よけいな手出しをするようになっていったのだと思います。
母親自身の過度の心配性からくる、私に対する焦り、
その自分の不安な気持ちをまず第一に落ち着かせたいがために、
そのために、母は常に、私に助け舟を出す用意をしていたように思います。
「自分ひとりで時間がかかってもいいから、やってごらん」
なんていう、やさしい言葉を、
両親は一度も、私に言ってくれたことはありませんでした。
物事にじっくり取り組めるような、そんな大切な時間を、
両親は私に与えてはくれませんでした。
いつもいつも、「さっさとしなさい」この言葉ばかりでした。
低学年の頃には母親自身が手助けをかってでたり、
高学年になるに従って、今度は自分の代わりに姉達をつかって、
私が自分でやるべき宿題を、安易に姉達に肩代わりさせようとしました。
母は自分の目の前にいる「出来ない娘」を見ているのが耐えられなくて、
姉達に手助けをさせて、
「さっさと」、自分の目の前の心配事を終わらせたかったのだと思います。
それは、母親自身が自分の気持ちを落ち着かせることが最も重要であり、
子供のことを気づかって、大切に見守ってくれる、
という、子供のことを「見守る」部分が欠落した母親だったのです。
***
そして結局、
「自分の頭で考えない」 「すぐに人を頼って、なんとかしようとする」
これが、私の子供の頃からの習慣になってしまったのです。
私は自分がやるべきことを、出来ないなりにでも、
必死になんとか自分の力で一生懸命やってみようと努力する、
そんな気力も次第になくなっていったよう思います。
だって、自分が苦労しなくても、
誰か他の人がやってくれるから・・・・
ちょっと出来ないことがあっても、
誰かが助けてくれるから・・・・
自分が出来なくても、
誰かがなんとかしてくれるから・・・・
この他人まかせの、投げやりな甘い考え。
そして、いつのまにか、
私自身の「自分の力でなんとかしよう」とする意志さえも、
知らず知らずのうちに奪われて消えていったように思います。
結果がそれなりに形になっていれば、そこまでの過程はどうでもいい、
自分の力でやろうが、誰かに助けてもらおうが、とりあえず仕上げ、
そこそこの合格点をもらえさえすれば、まぁそれでイイや、
という中途半端で投げやり、いい加減な、どうしようもない思考癖が
小学生からすでに私の生き方を方向づけてしまっていました。
知りたいことや、疑問に思うことが自分にはあるのか、ないのか、
そんなことをじっくり感じたり、考える余裕すら、
私にはまったくなかったように思います。
こんな毎日の習慣が、子供の頃から当たり前になってしまい、
「自分で考える」この部分が私からすっぽりと抜け落ちてしまい、
その後の私の人生では、この当たり前で重要な機能が、
作動しなくなってしまっていったのだと思います。
持続力がなく、行き当たりばったりの、
その場限りの思いつきの行動しかできない自分を、
私は自由奔放にやりたいことをやっているんだ、
と自分に都合の良いように妄想し続け、10代後半〜今までやってきました。
精神世界に出逢った自分は「特別」で、すごいんだと虚勢を張り、
それを唯一の自分の宝物のように固執し続け、
真面目に普通に生活している姉達を「馬鹿」にして、
私から見たら、「つまらない人達」というレッテルを貼ることで、
「心情的な仕返し」をしていたのです。
それは姉達にだけではなく、
赤の他人の、世間の人達までをそんな目で見て「馬鹿」にして、
この私は「お前らとは違うんだー」という妄想に酔い、
酔っ払いが臭い息を吐いて、一人寂しく、管を巻いているようなものでした。
それは、子供の時の悔しさ、惨めさ、寂しい感情を押し殺し続けてきてしまった、
自分の鬱積された感情の反発でしかなかったのです。
***
家族全員、私に対し、
あからさまな態度や言葉で、私をなじったりすることはありませんでしたが、
「我が家で一番出来の悪い子」
という共通認識で私を見ていたことは確かでした。
それは
軽視、軽蔑的な思考と感情をもって、私に接していたということだったんだ
と、今回、やっと気がつきました。
私は、我が家に充満している、その「空気」に徐々に押しつぶされていき、
幼少の頃からすでに、身体、感情、思考が委縮してしまっていたのです。
その委縮した自分を長年引きずって、今まできてしまったのです。
そのことに今までまったく気がつきませんでした。
そして、私は、何か言いようのない寂しさ。
一人ぽつんと取り残されてしまった、自分の寂しさを感じるのが苦しくて、
その寂しい感情を子供のころから、ずーっと奥深くにしまいこんで、
そこから目をそらし続けるようにして、今まできてしまったように思います。
自分が家族から疎外されている空気感、
本当はすごく寂しかった、寂しくて、寂しくてしょうがなかった。
でも、幼少の頃から、
自分が寂しいと感じた時に、素直に母親に甘えることができなかったので、
「寂しい」という感情を私は表に出すことができませんでした。
うれしい、怒り、悲しい、この感情は結構、出していたようには思いますが、
特に「寂しい」という感情を
私は表現してこなかったことには、今まで気がつきませんでした。
「悲しい」と「寂しい」とでは、
まったく違う質の感情であることを今回始めて感じました。
そして、
「自分の頭で考えない」というこの恐ろしい習慣が、
子供の頃から私にべったりと張り付いて、
いつのまにか「自分」が消えてなくなっていったように思います。
自分が本当にやりたいことは何なのか・・・・
これだ! 見つかった! と思えても、
またすぐに違うものへと関心が移っていってしまい、集中できない、
結局、本当に自分が何をやりたいのかが分からないまま、きてしまったのです。
そんな「抜け殻」になってしまった自分を、
今までの私は、それが「自分」だと思いこみ続けてきたのですから、
違和感と不快感、自己嫌悪がつきまとって離れなかったのだと思います。
そして今、
その消えてしまった「自分」をなんとか必死で探しているところなのです。
これまで、私自身が一度も使ったことのない、自分の意志と思考と気力を、
生まれて始めて、やっと起動させ始めているような、そんな感じがします。
***
両親、特に母親から見て、
私は、三人姉妹のなかで一番出来の悪い子。
いつも、いつまでたっても心配な子。
そう母親が私のことを思うことで、
母は「この子には自分が必要なんだ」と、
母親自身が自分の存在価値を認める道具として、私を見ていたのだと思います。
三姉妹の内の誰か一人を「ダメな世話のやける子」に仕立て上げ、
母親にいつまでも依存させるように仕向け、
母親自身の手中に、一人だけは繋ぎ止めておきたかったのだと思います。
そして私は、
姉達とちがって、自分は「ダメな子」で居続けることでしか、
母親の関心を自分に向けさせられないのだと感じていたように思います。
我が家のなかで、一番の出来損ない、余計者、
私は自らをそういう者として位置づけたように思います。
「自分は何も出来ないダメな、世話のかかる子」
という位置にいることで、母親から気にかけてもらえる、
それが母親と私とのコミュニュケーションのかたちだったのです。
そして、今ふと感じたことですが、
私が父親に甘え、お父さんっ子として母親に見られることで、
「お母さんが私のことをかまってくれなくても、私はこんなに幸せでいられるよ」
と母親にアピールすることで、
母を嫉妬させ、母親の関心をもっと自分に向けさせたいという、
歪んだ欲求が心の奥に潜んでいたようにも思います。
結局、私は、母親から充分に感じることが出来ない、
満たされない安心感や優しさを父親に求めていったのですが、
その奥深くに隠されていた感情は、
やはり「母親」という特別な存在をずっと求め続けていたのだと思います。
*****
そして、私が人とコミュニケーションをとる時、
自分の思考、感情、行動の根幹にあるものは、
母親との間で経験したことが大きく起因していたのだということを、
今回始めて気がつきました。
まずACは謙遜という、見え透いた嘘、傲慢で歪んだ姿勢で
「自分は能力のないダメ人間です」と、自分をアピールしようとします。
それは、
相手より私の方が能力がない、という立ち位置に自分を置くことで、
まず相手からの攻撃的な感情、思考を受けないようにしようと、
自分自身を防御するための防衛策でもあるのです。
また、自分を小さく見せ、ダメな自分をアピールすることで、
相手に自分のことを
「必要以上の期待をもたせない」ようにする魂胆もあるのです。
相手が自分にさほど期待をしていなければ、
自分もそれほど頑張らなくてもイイし、たとえ失敗しても大目に見てもらえ、
そこそこ程度で相手にも納得してもらえ、受け入れてもらえる、
もし、予想外に自分が上手くできたら、相手は期待していなかった分、
驚きや喜びも大きいので、それはまた自分にとっても有利に働く、
というセコイ計算までしているのです。
そして、ACは自分の言葉や行動で、
相手がイイ気分になるようなことを積極的に行おうとするのです。
そうすることで、
相手にとって自分は確実に「イイ人」になることを最初から計算しているのです。
また、そうすることで、拒否されることや、攻撃されることを回避したい、
という思惑も同時に働かせているのです。
そしてさらに、
私には「あなたが必要です」という雰囲気をACは常に匂わせておき、
いざとなったら、いつでも、相手は自分のことを助けてくれるだろう、
という依存思考の妄想をもつことで、
自分の不安な感情に蓋をしてごまかし、自分自身を安心させようとするのです。
また、その反対に、今度は自分の立場を真逆にし、
自分が親から軽視、軽蔑的扱いをされてきた過去の記憶の反発から、
自分が強い立場になれるような相手に対しては、
攻撃的で傲慢な態度で、相手を制圧しようとするのです。
自分の身近に、軽蔑的思考を吐きだしやすそうな相手をおいておく、
という、吐き気のする薄汚い腐った、腹黒いACも同時に存在しているのです。
***
私にとって、その相手というのが、実は夫だったのです。
夫と生活を始めて、今年で**年になります。
生活をスタートさせた当初は、お互いに相手のことが良く見える、
良く見えてしまう、という二人だけの妄想の世界にどっぷりと浸りきり、
「二人の世界」に酔っぱらっていた時期もありました。
が、年月の経過と共に、その酔いも徐々に醒めはじめてくると、
同じ人間が、以前と同じ言動をしているのにも関わらず、
私にとって、その夫の言動が、
うっとおしく感じたり、イラッとして腹立たしくなったり、
と、しだいに不快に感じる頻度が増えていくようになりました。
そして、ACは自分のこの不快感の原因は「夫」にあるんだ、
だから、自分を不快にさせる、お前が悪いんだ、
私は自分が感じている、この不快感を消したいんだ、
だから、お前は私が「快」と感じるような夫になるべきなんだ、
という思考が私の頭の中を占領しはじめ、
徐々に夫を言葉で攻撃し始めていくようになりました。
私より、のんびりしている夫、常にマイペースに見える夫の行動に
イラッとすることが多くなっていき、気がつくと私は、
「さっさとしてよ・・・・」
と、母親がよく私に言っていた言葉をそのまま、
今度は私が夫に向かって投げつけていました。
そして、私よりコミュニケーション能力のない(と私が思っているだけですが)
その夫を馬鹿にして、
夫に対して、軽蔑的感情を向けていたのも事実でした。
ACの頭の中は夫に向けて、
無言で 「バーカ・・・」 「バッカじゃないの・・・」
という言葉を投げつけていました。
そして、自分の感情が高ぶって抑えられなくなると、
実際、口に出して夫に向けて、この言葉を吐き捨てることもありました。
私は10代の頃、この言葉を父親に向けて吐き捨てていたのです。
それを、今度は夫を相手にやっていたのです。
私が母親から受けたトラウマをそのまま再現するように、
私が「母親」の立場で、夫が子供の頃の「私」になり、
母親から軽視、軽蔑的扱いで制圧されていた子供の頃の私のように、
私は夫を制圧しようとしていたのです。
自分の感情を表に出すことが、私よりもずっと下手で苦手な夫の弱点を突いて、
私は思い存分、夫に代理復讐をしていたのです。
夫を代理復讐の相手にぴったりの相手だと感じたACは、
自分の溜め込んできたゴミを、長年、夫に投げつけていたのです。
そして、この頭のイカレタACは
普通の主婦なら当たり前にやっているようなことを、
自分は家事全般が得意で、良く出来た「主婦」なのだと偉ぶり、
必要以上に夫の身の回りの世話をやきたがりました。
「あなたには、私がいなければダメなのよ、私が必要なのよ、
だから、私のことをもっと、もっと大切にしなさい」
と、夫にとって私は、とても重要な存在なのだとアピールしていたのです。
また、夫がめずらしく料理でもしようとると、
ACは夫のすることが気になり、
傍に立って夫のやることを一々チェックし始めるのです。
そしてACは、あーだこーだとうるさく口をはさみ、
口だけではなく、よけいな手まで出して邪魔をし、
結局は夫から、その仕事を奪い取ってしまうのでした。
それは同時に、夫から、
料理に対する興味や、やる気さえも奪っていたのです。
それまで家事など、ほとんどやってこなかった夫に対し、
自分は夫より効率よく、そして上手く出来るということを武器にして、
夫を「何も出来ないダメ人間」という妄想で仕立て上げ、
自分の存在価値をアピールしていたのです。
お前にはこの「私」という存在が絶対に必要なんだ、
お前のそばに、こんなに良くできた「妻」がいて良かっただろう、ありがたく思え、
だからお前は、もっと私の気に入るように、
私を不快な気持ちにさせないようにするべきなんだ、
お前の身の回りの世話は私がしてあげるから、
その代り、お前は私の要求に答えるべきなんだ、
と傲慢で陰湿、
まったくどうしようもない腐った醜いAC妻になっていたのです。
しかし、
自分が出来なくて、何か困ったことがある時は、すかさず、
このACは自分の態度を都合よく、機敏にコロッと180度変え、
夫を上手くおだて、夫に頼り甘え、
自分の都合のよいように、夫を動かそうとしていたのです。
実際、電気、水道関係 、車、パソコン等・・・・
実生活に必要な知識をある程度もっていて、
何か不具合があった時に対処できる能力があるのは夫の方で、
私は結局「現実的な生活能力」など何も持っていないのです。
まったく身勝手で、腐ったどうしようもない最低なAC、
自分が「快」と感じ、安心することが最重要であり、
そのために、自分の都合のいい妄想で、
夫を自分の奴隷のようにこき使い、制圧しようとしていたのです。
まったく呆れてしまいます。
あの母親が私にやっていたことと同じことをそのまま、
今度はこの私が夫にやっていたのです。
しかし、
自分自身の感情や思考の醜さが肥大していく現実の中にいて、
私は内心どこかで、
その自分自身のあまりの酷さに、強い嫌悪感を感じ、
こんな自分に「うんざり」していたのも事実でした。
冷静な自分でいられる時は
醜い自分の思考、言動を何とかやめたい、直したいと思っていても、
目の前にいる夫の言動如何によって、
その自分の思いは一瞬で吹っ飛んでしまうのが現実でした。
そして、
そんな不快感に取り囲まれた、息苦しい関係が続いた結果として、
夫は、浮気をすることで、私の制圧から逃れようとしたのだと思います。
そして、この浮気事件をきっかけとして、私は、
それまで長く続いていた「夫と自分」という、境界線が曖昧な妄想の世界から、
「自分」・「夫」という、
境界線を明確にさせなければいけない現実へと突き落とされたのです。
それはまるで、母親が子離れをしなくてはいけないのに、
母親自身がその「現実」をどうしても認められずに、
感情、思考、理性が強固に抵抗し、
そのすべてが正常に機能しなくなり、
半狂乱の精神状態のようになってしまった、毒母親そのものでした。
しかし、今だからこそ言えることなのですが、
私が「一人の自分」に戻るために、
なんとしてでも、自分から夫を絶対に引き離さなくてはならない、
その限界に、私はきていたように思います。
そして、夫と私の関係に明確な「境界線」を引くことではじめて、
「私」という輪郭線がやっと、ぼんやりと見えはじめたのです。
それは、自我復元を進めていくなかで、はじめて可能になったことでした。
***
私は夫に失望し、浮気事件から引きづったままの
夫に対する軽蔑的感情をさらに強く感じるようになっていきました。
そしてまた同時に、
私のなかでは、自分達の関係がこの先どうなっていくのだろう・・・・
という不安も大きくなっていきました。
そのような状況下で、私は自分自身だけになかなか集中できず、
崩残さんもご承知のように、
私の自我復元、トラウマ掘りのペースは思うように前には進みませんでした。
トラウマの記憶を探り出すことだけに焦点を合わせられずに、
目の前にいる、浮気した夫、に関心が向けられていたのです。
このことは昨年10月に、崩残さんより
(夫との実生活での利害関係について)指摘されたことで、
やっと、気づいたことでした。
***
復元開始からこれまで、
私と夫との間では、必要最低限の会話をするくらいで、
ほとんどコミュニケーションをとらないような時期も長くありました。
自我復元という、
これほど重要なすごい機会が目の前に与えられているのに、
それを選択しないなんて、本当にもったいない、
こいつはなんて馬鹿な奴なんだ、という思考が私の頭を占領し、
常に、どこかで、目の前にいる夫のことが気になり、
不快になっていく自分がいました。
しかし、そんな状況下、なんとか少しづつ復元を進めていくうちに、
徐々にですが、「私」と「夫」との間にほんのわずかな隙間、
風がほんのわづか流れるような距離感を感じられるようになっていきました。
そして、その「距離感」を実感するに従って、始めて、
私は「夫」を自分から切り離し、
「他人」として見ることができるようになっていきました。
それまで私は夫を自分の「所有物」として見ていたのです。
それまでの私は、自分と夫との「境界線」ということ事体、
何のことなのか、どういうことなのか、まったく理解していませんでした。
そして、その境界線があって始めて、私は、
夫に対する失望、軽蔑、という自分の思考から少しづづ距離をおいて、
夫を見ることが出来るようになっていきました。
夫は私の「所有物」ではないのだから。
と気づいてから、
やっと、私は「自分」に集中できるようになっていったように思います。
そして、今こうして書いていて、やっと、分かりました、
母親はこの「私」を自分の「所有物」として見ていたのです。
私を一人の人間として認め、関わってくれることが全くなかったのです。
母親の所有物としてだけの自分だったのです。
そして、また同時に、
この歳になっても、私は心情的に「母親」離れできていなかったのです。
私に憑依し続けていた母親が、私の思考、言動すべてを支配し、
この私には自分の意志もなく、ただの「抜け殻」状態で、
夢遊病者のように、力なく、動いていただけだったのです。
「私」がどこかに消えて、いなくなっていたのです。
***
そして今年になって、はっとすることがありました。
私の目の前にいる夫が、
今まで私が思っていた夫とは違う夫に見えるのです。
これまで私は夫のことを、
自分がイライラするほど、のんびりしている人だと思っていました。
しかし、
実際は、夫よりこの私の方が、
ずっとのんびりとして、のろまな人間だったということに気がついたのです。
以前から、夫は夫なりの自分のペースで、
必要な事を坦々と、ただ普通にこなしていたのです。
特別、夫がのろまな人ではなかったのです。
料理だって、夫の味覚で、
私とはまた違った味で、おいしい料理を一人で作れるのです。
そして、
傍で私がうるさく言わなくても、後片付けもきちんと、やっているのです。
仕事だって、
夫は自分が好きではじめた仕事を、楽しそうにやっているのです。
以前の私は、その時々の自分の感情しだいで、
夫のやること何もかもが気に入らなくなり、
無性に腹が立ってきて、イライラすることがよくありました。
そして、挙句の果てに、
やらなくてもイイ、お節介な手を勝ってに出し、
グチグチとうるさく口を出しては、
夫のやることにケチをつけ、夫の邪魔をしようとしていたのです。
醜く意地の悪い、混乱しまくって、頭のイカレタ、
最低最悪のどうしようもないAC妻になっていたのです。
以前の私は、
母親から埋め込まれた 「さっさとモード」に思考が占領された状態で、
「焦りモード」のスイッチが常にONになったまま、
四六時中、何かに追い立てられているような精神状態で生活をしていたのです。
このやり場のない不快感を吐きだし、なんとか解消させたくて、
ACはその口実を常に探していたのです。
このACの不快感のはけ口が夫だったのです。
このACは、夫を悪者、馬鹿者に仕立て上げ、
夫の行動が原因で自分が不快になるのだ、という妄想で、
AC妻の立場を正当化させようとしていたのです。
自分が、どうしてそういうイライラの精神状態になってしまうのか、
その原因がどうしても分からず、
自分はそういう性格なのだと半ば諦めていました。
私にピッタリと張り付いて、
離れることのないイライラする不快な感情に、私自身が振り回され続け、
その私が、今度は、傍に居る夫を振り回していたのです。
しかし、現在、
長年続いた、
この不自然な「焦り」と「イライラ」感はかなり減ってきています。
以前は他人の言動や様々な状況下で、
突然焦り出し、浮き足立ってしまう自分がいましたが、
現在は焦ること事体が目に見えて減ってきて、
焦り出しそうになっても、そのまま焦りモード突入と言う、
以前の状況は避けられるようになってきています。
また、以前の私は、夫と会話をしていても、
何かちょっとしたことでイライラし感情的になり、
声を荒げ、乱暴で威圧的な口調になったり、
時には、半泣き状態になってしまう様なことがあったのですが、
いつのまにか、そのような状態はなくなっています。
また、なにか夫の言動や他人の事などで気になることがあると、
以前は、そのことが頭から離れなくなる、ということが頻繁にありましたが、
感情、思考を「引きずる」ということが徐々に減ってきて、
切り替えスピードがUPしてきているように感じています。
そして今、夫との間で、最も注意して自分を観察していることは、
会話のなかで、自分が「安易にうなずいてしまっていないか」と言う点です。
安易にうなずいて、夫の考えに同意したフリをして、夫に媚び、
自分を夫に合わせていないか=合わせたフリをしていないか。
以前の私は、この行動を無自覚に安易にやってきていたことに気づき、
夫がではなく、
自分はどう感じ、どう思って、どう考えて、どうしたいのか、
このことを常に、はっきりとさせて生活することが当たり前なんだ。
と、やっと気づいたからです。
***
そして、こうして掘り進めていくなかで、
私が幼少の頃から長年
漠然と感じ続けてきた大きな違和感と不快感、イライラ感の根幹が
「母親の動き方」に、
自分自身を無理やりに合わせてしまったこと
このことが、大きく起因していたことに、今、やっと、気がつきました。
私は幼少の頃から、
本来の自分とは違う動きを母親から強要されていたのです。
私は自分自身にとって自然な、私独自のペースを崩され、
母親の望むスピード感に合わせて生活するように、強要させられたのです。
本来の自分の動きとは本質的に異なる動きをすることで、
本能に近い部分で、大きなストレスを感じ、
それが常に、私をイライラさせる不快感になっていったのだと感じます。
私本来の「自分の動き」を制圧され、
壊されながらも、私は、母親の動きに自分を適応させようとしたため、
自分とは相容れない、異質の動きを自らに課していたように思います。
そして、そのちぐはぐな感覚で生じる違和感に自分自身が混乱し、
大きな不快感を感じ続けていたのではないかと思うのです。
そして私は、
その不安定な状態を引きずったまま、現在まできてしまったのです。
私は子供の頃、本当はもっと、ゆったりとした時間がほしかった。
色々な不思議なこと、小さなおもしろいことを、
じっくりと好きなだけ、自分の時間として使ってみたかった。
おもちゃやお人形がほしかったのではなく、
自分のための、自分が好きに使える時間がほしかった。
結局、私は子供の頃から両親、姉達の行動に引きずり回され、
私個人としての自由な行動が制圧されたことで、
自分の正常な感覚が押さえつけられてしまい、
私の本来ある感覚が機能不全に陥ってしまったように思います。
そして、今やっと、分かった。
このイライラ感は、
私が子供の頃、自分がやってみたいことをやれなかった。
その時に感じていたイライラだったんだ。
母親が、「ダメ」と言えば、
私は、自分がやりたくても、グッと我慢して、やめてしまった・・・・・
そういう状態が幼少の頃から、しょっちゅう、あったから、
私のなかのイライラがどんどん大きくなっていって、
その感情をどう表現したらいいのか、わけがわからなくなっていたんだ。
それが、ずっと今まで続いていたんだ。
***
そして、
復元を進めていくなか、夫とSEXの関係がなくなったことで、
私が長年囚われてきた「女性」だから、「男性」だからという観念の呪縛が、
最近、徐々に消えはじめているように感じています。
私は女性だから、
男性を影で支える、男性に尽くす、男性にサービスする、男性に媚びる、
という観念が私の思考のなかに、長年埋め込まれていて、
自分が中心にいるのではなく、
自分が「男性」の付属品のような観念が、常に私の頭の片隅にありました。
また、復元開始以前は、私は外に出て働いていませんでしたので、
私から生活費は出していませんでした。
そのような金銭的な面での夫への依存度が大きかったのも要因となって、
自らを「付属品」扱いするような思考がはびこっていました。
以前の私は自分に埋め込まれた観念に従い、
自分のことは二の次にして、
夫が私にSEXを求めてきたら、私はそれに応じた方がよい、応じるべきだ、
それは夫とのコミュニケーション上、重要なことなのだと思い込んでいました。
しかし、今現在、夫とのSEXはありません。
私が夫とのSEXを拒否しはじめたことで、
最初、夫と私はギクシャクした険悪ムードの日々が続きました。
その後、
「今はSEXをしたくない」という自分の正直な気持ちを冷静に夫に話し、
現実にそういう状況になってみると、
今度は、自分の思考の中に、
夫がまた他の女性に関心を向け、浮気をしないだろうかという不安が大きくなり、
私の頭から、そのことが離れなくなっていた時期がありました。
それまでの私にとって、
夫とのSEXは、純粋に楽しむということ以上に、
SEXをすることで、夫の関心を自分に向けさせ、
夫を自分に依存させる手段として、SEXを利用していたのです。
以前の私は、
SEXなしでの夫婦関係など、自分には絶対にありえないことだと、
それを当然のことのように思い込んでいました。
それは私の頭のなかに、常に「夫と自分」、「二人いっしょ」
という妄想がはびこっていて、
まず、「自分」はどうしたいのか、どう考えているのか、
という最も重要な「自分」を簡単に切り捨てて生活していたのです。
私は夫と一緒に生活しているのだから、
夫に自分を合わせ、夫もまた私に合わせることは当たり前なんだ、
それが夫婦のコミュニケーションなんだ、
という思考状態にどっぷり陥っていたのです。
この状態は、母親の行動に「自分」を合わせ、
そうすることがコミュニケーションなのだと思い込んで育ってきたACが、
「夫と私」の間で、それを再現し生き延びていたのです。
そして、この依存関係のなかで、自分が夫より強い立場にいて、
上手く虚勢を張ることに成功した時、
このAC妻は夫に対し、自分の望む夫であるよう強要していたのです。
今、こうして書いていて思うのですが、
これまでの生活の色々な場面で、
夫が私に強要することより、私が夫に強要してきたことの方が、
ずっと多かったように思います。
このAC妻は、所謂「かかあ殿下」になって、
夫を上手く操ろうとしていたのです。
これもまた、母親と父親の関係そのまま、そっくり同じだったのです。
そして、このACは、
「この先、将来、私達の関係がどうなっていくのだろう・・・・」
と怖れ、未来に焦点をずらすことで私の不安を煽り続け、
今現在の生活から私の目を背けさせようとしていたのです。
しかし、
昨晩、夫と夕食を共にしていて、不安で怖い、なんていう感情は何処にもないのに、
将来のことを考えた途端に、不安で怖い、と叫び出すACがいるのです。
「過去」の浮気された辛い記憶にしがみ付く時、
思考が「未来」へ飛び、不安だ、怖いと言い始める時、
このACは、がぜん力をつけ元気になることも、徐々に分かってきました。
この気の狂ったACは、
いつも隅っこで小さくなって、そこで思いっきり虚勢を張って、
気の弱いAC夫をいじめているだけの、
姑息で陰湿、横暴でガメツイ、
本当に惨めで、みすぼらしい奴でした。
このACも還暦を迎え、そろそろ、ガタがきているようには見えますが、
卑怯な手口で、不意をついて襲いかかってくる危険性大の姑息な奴なので、
よりいっそう気を引き締め、一気に棺桶にぶち込んでやろうと思います。
お忙しいなか、貴重な時間を
最後まで読んで下さいまして、本当にありがとうございました。
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●崩残さん推薦のお店にお願いして、
私も野菜を色々と取り寄せてみました。
久しぶりに食べたレンコン、さつまいも、とってもおいしかったです。
自分の出身地は、私にとっては、それほど好きな、魅力的な所ではなかったし、
特別な思い入れがあったわけではありませんでした。
しかし、311を境に、
私の記憶に残っている山、河、海、街すべてが汚染されてしまった。
この事実が、私の心の奥深くに、悲しみの感情として今も残り、
311後のこの現実を認識しながらも、
できるものなら、「すべて、なかったことにしてしまいたい」という妄想で、
この、どうしようもない悲しみを覆い隠し、
放射能に対する私の自覚をぼんやりと曇らせていたように思います。
しかし、私のこの悲しみなど吹っ飛ばされるほど酷い状況が、
日々進行し続けている、この地獄の現実から
私は絶対に目をそらしてはいけないのです。
●最近の、猫の様子です・・・・
お腹がすくと、ガラス越しにですが、
「ごはん、ほしいよー」と鳴いて、すこしづつ甘えるようになってきました。
軒下と、ビニールハウスの中に寝床をつくってあげたので、
夜はそのどちらかで、寝ているようです。
しっぽをほんのちょっと、触らせてくれたり、
お腹をみせて、例のゴロゴロ・ダンスをしてくれたり、
私たちへの警戒心も、徐々に無くなってきているようです。
この子のペースにまかせて、私達は焦らず、
家猫になってくれることを気長に待つことにしています。
今まで、我が家では、家猫も外猫も「黒猫」ばかりに縁があったのですが、
黒猫は微妙な顔の表情が分かりづらく、
猫といっても、他種の動物という感じのする独特の雰囲気がありました。
この子は、我が家初の「キジトラ系猫」で、
猫顔の色々な表情の変化がよく見えるので、
とても不思議で、おもしろいです。
また、メールさせていただきます。
ぽぽ。
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ようやく、自我の視点のしっかりした、
それでいて、無駄な力の入っていない、とてもよい報告でした。
ありがとうございます。
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