▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[449]
■
★分割自我復元★その449■【逆に外側を探索した場合】■
by:
鈴木崩残
2015/03/21(Sat)07:43:32
意識ではなく外界を探求した場合
●前回の投稿は、
何も宇宙を、思惟の相手にしなくとも、
世界というものに対する「観察者」としての認識が、
なぜ存在し、観察者とは何であり得るのか、
という点についてであったので、
多くの読者は、「それなら自分にも出来るかも」と安心したに違いない。
が、それと「真逆」のベクトルの話で、
少し頭を冷やして欲しいと思った。
******************
何かの役に立ちたいという
実に曖昧な考え
人間は「役に立つ事をしたい(仕事以外でも)」とか言ったり、考えたりするのだが、
これ自体が非常におかしな前提である。
そもそも、役立つとは「何に対して」なのかが問われていないからだ。
一例として、
極論すれば 人間の衣食住の生存に直接関係する職業以外は、役に立たない、
と仮定すれば「農・工・商」以外はこの世に必要ないということになるだろう。
何かの為や、誰かに役立とうと、 目論んだり、自負したり、
理由をつけようとしているが、
果たして「それ」に対して役立つ事そのものに意味があるのか?を問うことがない。
士農工商のうち士である兵など全く必要ないとして、そうすると、
食い物、物づくり、物流が残る。
しかし作らないでもよい物づくりが大半であり、
また必要のない物流もなければ、最後に残る「役立つこと」とは
「食」の生産または、捕獲だけである。
では、万人が食を作り出す
農業と漁業に従事するのみの社会を安定させたとして、
ここで問いが出る。
人間は、地球または環境にとって役立つことは何かしているのか?
自分たちの生存の安定や拡大のためではなく、
自然界に対して役立つことはしているのか?
答えは限りなくNOである。
ただし、同じ論法で言えば、
すべての「動植物」もまた、惑星にとっては特段、何の役にも立ってはいない。
つまり、役立つという場合には、
そもそもその役立とうとする「対象」の生存や、それが存続することに、
正当だと思い込める「理由」をこじつけた上でのみ成り立つものである。
一例としては、
「とにかく死ぬのは悪い」などの根拠のない妄想がそれである。
だが、もし人間が、
食うて 稼いで、寝て起きて +退屈すると道楽を始めて、
そして、あとは死ぬ、
という「この事自体」が、もしも全く無意味なのであれば、
人間に出来るのは、
せいぜい「他生物になるべく迷惑をかけないことのみ」である。
もっといえば惑星上に人間自体がいなくても良い。
ついでに動植物もいなくて良い。
こういうと「発生したのだから生物や人には生きている理由があるはずだ」と
猿たちは言い出すのである。
本当にそうだろうか?
本当にそう断言できる、いったいどれだけの証拠や仮説があるだろうか?
自分の力以外で、自然に発生したように見えるものには、
何でも意味があるはずだと、根拠も確かめずに思いたがるのが、
ある種の生物の「悪癖」である。
こういう問題がある為に、
自分が役立とうと思っている当のもの自体が、
そもそも存在価値があるのかが問われねばならない。
あなたの家族内や、あるいは職場の誰かに対して、
「こんな奴は生きていないほうがいい」と思える、そういう相手がいたら、
あなたはその者の為に役立とうとするだろうか?
そこにあなたの生活を支えているという利害関係があれば、
せいぜい、あなたに出来ることは、
我慢して相手のご機嫌を損ねないようにして、
裏でコソコソと悪口を言うという程度の惨めなことである。
だが、相手の為になろうとするような、
そんな一切の価値が見出せない、しかも利害関係すらないとなったら、
何かの為という根底が、成立し得ない。
そこで、生き抜くのは正しいとか、
死んでも、そのあとに進化するのが正しいとか、
そういう事を疑う事もなく信じたがる事によって、
宗教や信仰が出来上がるのだが、
そもそもそんな理由を捏造してまで、
人類が生存している事の正当性など、
どこの誰も、証明した試しもなく、
(チャネラーごときの、イタコの寝言は信じるに値せず)、
また、誰も人類の生存を、推奨も賞賛も、期待もしておらず、
かといって、人類は、勝手にすればいい、とも思っていない。
社会のためとか、家族のためとか、
さらには自分のため、
とそういう事を前に、その「当のものである社会や家族」は、
存在している意味が本当にあるのか?
それを徹底して問わねば、役立つも糞もありはしない。
核兵器が何かに役立つと思っている者はそれに従事し、
全く役立たないと思っている者は従事しないのと同じである。
そもそも核兵器が必要なのかどうかから、その視点は二つに分かれるのである。
すると、すぐに出てくるのが、
「こうして、生きているのだから、
生きて、出来るだけ他の生物に迷惑をかけないのが正義だ」
という、一見すると、もっともらしく聞こえるだけの稚拙な理論だ。
これではカルトと変わりはしない。
なぜならば、何かが存在することを、
疑うことなく、間違ってはいない筈だ、
と思っている点でカルトである。
社会の為に役立つ事であるとかないとか、これを言いはじめると
その社会を構成するのが先進国であれば、
まったく必要もないギャンブルやら、兵器やら、スポーツ産業やら
芸術まで、その存在意義を、大声で、わめきはじめる。
一方で、南国の小さな島の社会で役立つのは、魚を取る知恵のみである。
つまり普遍的に役立つ事は存在し得るか?という問いがここにあるのだ。
つまり、成り行きで「社会性」「社会構造」を持ってしまった集団の中で、
役立つ事、なるものを捏造する事と、
根本的な「生存に役立つのか」という問題は全く別問題である。
それ以前に、人間そのものが別の何かに役立っているのかいないのか、
「現に生存してるから」という理由だけで、
何者かから、何らかの容認をされているに違いない、
などと決めつけていいのか?
こうした事が、明確に結論されていないままに、
「生まれてしまったから、しかたなく生き延びる」とか
「生きているのだから殺してはならない」、とか
「きっと、たぶん、自分たちの存在には何かの意味があるはず」と
宗教や思想や「魂の進化というカルト教義」をでっちあげてきたのが
今日までの地球の人類だった。
そういうわけで、
何かをしようとか、何かを作ろうとか、何かを考えよう、
とする、それ以前に
そういう事をする自分自体、
強いては人類、
もっといえば全生物に、
存在している意味や目的があるのかを、
「いちいち考えていたら生きてゆけない」
という「無思慮な人たちが生きた、その結果」が、今の有様なのである。
******************
個人的な事を書くと、昔、短大を中退して社会に出る時に、
この問題で私は、かなり悩んだ。
そもそも役立つ職業などあるのかという事である。
美術大に行っていたからといっても、
美術など、衣食住の維持には何の貢献もしないと思っていた。
また仮に何かに、たまたま役立っているよう見えたとしても、
その当のものは、本当に世の中で必要不可欠な職業なのか?と。
こういう時、
思慮のない者は、決まってこういう。
「自分の好きな事をすればいいじゃないか」と。
だが、自分が好きなものが正しいものかは、全くの別問題だ。
武術が好きな者、泥棒がスリリングで好きな者、
自分が戦地に行かなくていいとなると、戦争が大好きな者もいる。
なんだかんだ理由をつけては、それが好きだと言い張る者。
しかし、必要など全くなく、誰の役にも立たないものがたくさんある。
ギャンブルや、くだらないゲームや、
または違法労働のように有害なものの方が多い。
だから、私はまず美大を中退した直後、
一体、本当に必要不可欠で、役立っていると言える職業は何なのかで
相当に悩んでいた。
もっとも、この時点で、
「絶対的に正しいと確信できる思考法と行為は何か」、
それを確信しなければ、指一本も動かしたくもない、
という変な思い込みが私の中にあったわけであるが、
その後、30歳のころに一度離職した時にも、
そもそも「この世」に、本当に必要な職業などあるのかで、
かなり考え込んだ。
だから、それを突き詰めてゆくと、
当然に、次は、
その私が言うところの「この世界」とは、
どの世界の、どこまでを意味するのか?
ということと、
仮に、他の国の事や、他の県や、すぐ隣の家族の事はさておいて、
自分が「知覚している範囲を世界である」と定義するならば、
その世界が存在している理由が明確でなければ、
そこに自分が生存している事自体が間違いかもしれない、
という仮説もあるわけであった。
すると、どうしても紐解かねばならない問題が出てくる。
つまり目に見える範囲も、知覚できない範囲も含めて、
宇宙・万象の存在している理由がわからないかぎりは、
仕事一つも決められず、
それどころか、そもそも生きていていいのかも決めらない、
という状態である。
だが、私はこれを、異常な状態ではなく、
「正常」な思考状態であると認識した。
この生存理由への根幹的な問いを、
「そんな事を考えていたら生きてゆけないさ」と言う人たちが多いが、
私に言わせれば
「そんな基本的な事も考えずに人間は生きてきたのか」
ということが驚愕に値した。
そこで「待ってました」と登場するのが、
有象無象の神学やら、思想やら、倫理だが、
私は、どれ一つにも納得など出来なかった。
あらゆる神学は、
そもそも創造神がなぜ存在しているかに答えられない。
あらゆる哲学は、
そもそもなぜ思考するのかに答えられない。
あらゆる精神世界は、
進化とは何かの定義に答えられない。
そして、その進化、経験、学習は、
そもそもが、何のためかを答えられない。
どんな答えが出ても問えばいい 。
「では、それは何故なのか?何のためにあるのか?」と
地球上の有象無象の妄想宗教と、オカルトなど相手にしていても、
全くラチがあかないと判断した私は、
答えを探す手段として、
その最もあてにならないそのオカルト的な手段を自分に対して断行した。
それは意識を肉体からひっぺがすという事。
準備期間を入れてもまる2〜3年ほどかかり、
そして答えを探しに行った。
******************
いくつかの別の文明、文化、次元の社会が主張する言い分を聞き
精査していったところ、
出てきた結論は、私の期待を完全に裏切るものであったが、
あまりにも整合性が成立しているが故に、
否定しようのない「万物の存在理由」の答えだった。
知って私は満足した。
だがそれは絶望的な真実だった
まず「存在それ自体」には、理由は「ゼロ」である。
全く完全に何の理由もない。
つまり、言い方を変えると、
存在しなくても良い、ということ。
あるいは何かを殺そうが、生かそうが「善悪はゼロ」。
だが物理的とも言える慣性法則によって、
存在維持の「衝動」に「うなされたような状態」にあったり、
そこで試作的に創作されたものでも、
失敗したり、故障した存在世界があった。
では、どういう宇宙が正常で、どういう宇宙が異常または大失敗であったか、
これを定義するのは、非常に難しい。
それは相対的な問題であり、
かつ正常か異常かを判断するのは、
どの視点、どの意識、どの基準からであるかにより、異なるからである。
だがその中で、私個人が唯一採用した、ひとつの判断基準がある。
無機物ではなく、
有機体の生物に「苦痛」であると、主観的に感じさせる為のシステムが複数ある。
「空腹」は、その中でも、最も代表的なものであり、
次に身体の構造が「壊される事」による苦痛の信号発生がある。
これをなぜ人為的(神為的)に作り上げたのかという、
そのプロセスを見ていった結果、その目的がひどく馬鹿げていたのだ。
「可動性生物」に苦痛を感じさせると、
それを回避せんとして「よく動く」=エネルギーを発生する。
よって、次々に、
今よりも苦しみ、より心理的に焦り、よく動き回って、
エネルギーを発生する有機体を作れば、
この宇宙は、もう少し延命できるに違いない、
と思い込んだ大馬鹿者がいたという事である。
その間抜け野郎のせいで、
どれだけ多くの、微生物、昆虫、液体生存生物、陸上生物が作られて、
苦しんだ事だろうか。
二足歩行生物=類人猿または人類型の生物の場合には、
さらに多重の苦痛発生のシステムが組まれており、
自然災害や飢えを与えなくも、または怪我をしなくても、
常に、心理的な苦痛が発生するようにと改造された。
もし私が、逆にエネルギーを調達し、発生させ、搾取する側の立場にいたら
その状態を良しとする視点であったかもしれない。
だが、たまたま惑星上の人間として生まれた事がひとつの理由となって
私は極めて、「人間的過ぎる」ような、可塑的な価値観に自分を固定してみた。
それは、
「不要な苦痛までをも含むような、苦痛は駄目だ(個人的に嫌いだ)」
というベクトルである。
この「意図して創造される苦痛は悪である」という考えそれ自体が、
二足歩行生物の側の「勝手な心情」に立脚したものに過ぎず、
決して正しいと保証されているわけではないのは重々承知の上である。
つまり生物の苦痛を「憂う」という事自体も間違っているかもしれない。
しかしそれでも、根幹的な苦痛を排除する側に私は立つと決めた。
この「苦」の感覚発生の問題については、
「前提」として
飢えによる苦痛
寒暖や病による苦痛
性欲による苦痛
孤独・孤立による苦痛
心的不安による苦痛
こうしたものが、まずそこになければ
それらから放たれた時の快感と安心感もない、のだから、、、、
よって苦痛こそが必要だ。
とする連中が宇宙に多数いた。
私はこれにはNoだった
私が、そうした「苦痛の製造」の方針を否定し、拒否した理由は、
それは彼らの「事後の言い訳」に過ぎず
そもそもは、搾取が目的だったものを、
あとから、形而上学的な理由に摩り替えていたからだ。
一方では苦痛というものを全く知らない知性体が
それを最初に経験する時のその驚きは、
私にも理解できないわけではない。
それまで目立った変化もなく、
地球時間にすれば、何億年も過ごしていたようなその状態から、
空腹や各種の苦痛、知覚を経験する事は
驚くべき新鮮な体験であった事は否めない。
だがそれが、同意の上での、
期限付きの「契約」に基づく「娯楽」であったうちは許せるが、
何でもやり過ぎれば、行過ぎれば、必ず被害者の生物が出てしまうのである。
******************
もしも不幸にも、これを読んでいる人がいたとしたら、
一体、何の事を書いているのか
どういうイカれた頭又は何かのSFの読みすぎかと、思うに違いない。
そういう人たちは幸福な人である。
今日も昨日と変わらぬ、退屈な、あるいは温和な生活に
迷うこともなく、戻れるのであるから。
しかし、もしも、何かしらの重大な示唆があると感じた者は、
次の情景を想像して欲しい。
有機物や微生物が一切発生しないようにプログラムされた、
無機的な元素だけで出来た宇宙というものがかつてあった。
現在のような銀河系や小宇宙のような砕けた形ではなく、
無機物の結晶として存在しており、
仮にそこに、何かしらの観察意識があっても、
その意識は、その対象物の情景に飽きる事はなかった。
これとは、まったく逆に、
「ある種の」精神作用しかなく、それが物質にならなかった世界、
でもいいだろう。
物質宇宙であれ、心理的宇宙であれ、
いずれにしても、分裂が始まる前の宇宙である。
だが、「孵化」に失敗した宇宙の場合には、
その反応として、単純な有機物から始まり、
さまざまな可動性生物が、発生または修復用に作り出される。
つまり、生物それ自体が正常な宇宙では必要ないのである。
すなわち生命とは、
素晴らしき神秘的な現象なのではなく
「大失敗の残留複製物」である。
というのが私の基本的な認識である。
これを踏まえて、身の振り方を考えることになった。
******************
しかし、こうした苦痛を発生する構造の中にいることを、
ほとんど誰一人も理解などしてはいない。
間抜け面さげた、カルトや仏教徒が「この世界は苦だ」
などといくら言っても、彼らの鼻の下は、伸びたままだ。
どだい、苦の構造など、知ることも、実感することも
想像することすら不可能であり、
せいぜい、知ったかぶりをして、同じことを毎日しているだけであろう。
すでに述べたように、
全く何の意味もないこの宇宙ではあっても、
不要な苦痛というものを軽減することは、
今後の宇宙を模索する上でも、必要であろうと、
個人的に私が、判断したこと。
誰かの役に立つとか、立たないとかではなく、
「応急処置」のようなものである。
そのことが、今、私が自我復元に関与している理由である。
もともとは、自我復元ではないものの復元または修復が専門ですが、
その関連の並びで、自我復元か必要不可欠なものとなった。
「極にある、快楽も知らない者に、苦の本質など理解は出来ない。」
このことを知っていた私のいたグループの者たちであったので、
「バナナを作った・・・・」の本に書いたように、
単なる初歩調査ののち、
まず私は、徹底して「快楽」といったものを経験し
とことん、それを叩き込まれるような学習環境に送り込まれた。
その後、意識の純度を損失しないままで、
肉体を持った生活というものに調整するための環境に生まれ、
のちに感情を経験し、苦痛を経験し、共同体を経験し、
その上で、もう一度、苦とは何かを学習するというプロセスを経た。
対極にある、強烈な快楽を経験もしていない者に、
強烈な苦痛も認識は出来ない。
この変えがたい原則にのっとれば、
「初期の地球」では、そのことが可能であったし、
私は、地球では誰もがそうした経験を、
ある程度は、経ているものと思っていた。
しかし、指定された時代の肉体に、着いてみたらば、
完全に、人々の意識と感覚が鈍化していて、唖然とした。
そこで、理由、原因を探したところ、
それが、まずは自我の欠損にあると結論し、今日に至っている。
それが回復されれば、
まずは、快楽と苦痛の双方が、
割に合わないのではなく、「割りに合うバランス」を持って
経験されるからである。
そして、ようやくそれが成功し、
自我復元をした「何人か」は、
正常な形で、苦痛と快楽を満喫できる、
そうした神経を取り戻してきた。
が、依然として、ただただ、
理由も明確でないままに、仕事をして、生きて、たまに考えた気になっている、
という鈍感な神経のままの人たちもいる。
だから、とりあえず、まず自我の復元である。
それ以前では、話にならない。
******************
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(449 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -