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[453]
■
★分割自我復元★その453■トラウマに関する報告■
by:
鈴木崩残
2015/04/02(Thu)18:02:08
自我復元報告(トラウマ編)
■現在、トラウマを紐解いているところであり、
感情の中心には、まだ行き着いていない事例ですが、
ひとつの報告として、編集の上、掲載しました。
ブログを書いていない人の方が実質的には自我復元をやっている人の
人数としては多く、その中の一人です。
かつてあったブログをいくつか消して頂いた理由は、
単一ではなく、複数の異なる理由があったのですが、
たとえば、ブログを書くために自我復元をやっているかのような
形のものは、すべて消して頂きました。
モチベーションはあくまでもその人自身の問題に向き合うことですから、
ブログを書こうが書くまいが、動機は一定のはずです。
しかしブログがなくなった途端に、自我復元のモチベーションが落ちたり
やめた人というのは、そもそも、自分の問題に本当に取り組もうとしたのか自問してください。
ブログを書いていない人からも、いくつも個人的にはメールの
での相談や、やりとりをしていますし、復元報告が来ます。
自我復元をするにつれて、ますます、
絶対に、AC人格まみれの、これまでの自分を変えてやる
そう思うに至った事のできた人、
それが、現在、自我復元ブログとして残っている5名です。
*********
以下、報告のメールからです。
____________________________
出来る限り早い時期に自活できる状況に持ち込みたいと思っています。
まずは、親から離れたところで暮らして、
自分の稼いだお金で身の回りのものを揃えたいです。
なかなか思うようにはいきませんが、
こうして失敗しながら模索していく経験を積んでいくのが、
普通のことだったのだ、と感じています。
上手くいかなくていらだつ時もありましたが、
自分の成功というイメージが、どれほど現実にはありえない空想だったか、
ということが分かり始めてきました。
今までの自分は、成功とは思い描いたことが大した苦労も無く
叶えられることだと無自覚に思っていました。
自分の夢や希望というものは、
棚からぼたもちが落ち続けてくるような、甘い空想でしかありませんでした。
日頃は、些細なことでも上手くいかなかったり、困ったことがあれば、
母親や祖母が代わりにやり、ものを買い与えていました。
私は失敗しても、もう一度挑戦するという経験は
ほとんどしてこなかったのです。
困ったことが起きても、どうすればいいか、
その方法も分からないまま、ここまで来てしまいました。
これまで自分が表立った役回りをしてこなかったのは、
その分からない不安を避けたいがために、
何かをはじめることすら、やろうとはしなくなったからです。
一日の生活が何も無い退屈な日々になるのも、当然の成り行きでした。
予定調和だけを期待して、ただ何もせず待っていたからです。
自分がやってきたのは、約束どおりの展開、
条件付きの報酬を見越しての行動でしかありませんでした。
父親 との一方的な約束が発端です。
条件が達成できればやってもいい、
という父親と同じやり口を今までに何度も繰り返して、
行動の動機にしていたのです。
なぜ、母親がまともな親ではないのかも、
ここに来てようやく理解できた気がします。
祖母もそうですが、自分が悩んでいることをことごとく無視してきたからです。
自分が苦しい思いをしていても、返ってくる答えは、
悩んでいても仕方が無い、気にするな、前向きになれ、
というものしかありませんでした。
分からなくなりました。悩むことがあれば、一体どうすればいいのか。
母親から送られてきた命令は、何も考えるな、何も行動するな、でした。
父親の命令を伝える役割が母や祖母であり、
ろくにアドバイスも出来ないのに、
私に本当に辛い、困ったことが起きた時に限って、
困ったら相談して、と言うのでした。全くもって目茶苦茶です。
なぜ自分が中学生の時にいじめられていることを
家族に相談しなかったのか、単なる我慢ではなく、
当時の自分でも自覚していなかった、親の言動の矛盾が、
そもそもの理由だったと、そういえます。
日常の小さな出来事に対しても、
自分がしてきた対応が自分にどう影響するのか、軽視していた節があります。
偽人格の格闘というのは、
もっと切実で重要な対決の場面にある、と思い込んで、
この程度の小さな出来 事なら、それほど重要ではあるまい、
と見逃していました。
それでどう考えていたのかといえば、
きっと自分には、他の人よりも真剣さが足りないのだろう、
無駄なことに時間を使っている有様なのだから、
と反省しているように見えて、単に諦めているのでした。
それ以上考えることは無く、
自分にはあれが足りない、これが無いのだから出来ない、
という先へ進ませないための言い訳をしていました。
これを思考停止、というのです。
形だけの反省だから、一応は反省している気にはなれます。
そして、自分を責め始めます。
しかし、そう思ったからといって
自分に変化が起きたかといえば、大して変わらず、
いつまでも、そんなことを考えて、自分で落ち込んで暗くなっているのです。
見せ掛けは反省していますから、
この偽人格は本当に紛らわしい、やっかいな隠れ蓑を遣っていました。
そのために、これまで見抜くことが出来ませんでした。
話を戻しますが、**を作るにも準備することはたくさんありました。
そんなたくさんの項目を目にして、こんなにたくさんのこと出来ないよ、
と思っている自分が居ました。
おかしいのは、そのたくさんのことを一気に出来るわけも無いのに、
それを悩んでいたことです。
一つかいくつかのことが少しずつ出来るようになる、
ということは何もおかしなことではないのに、
そんなのそもそも無理があるだろ、ということま で悩んでいました。
手順というものがあることを分かっていないのです。
そんなの当たり前だろ、
と自分につっこみをいれたくなるほど、変に悩んでいました。
これまで、この無理のある出来ない、に自分は散々苦しめられてきました。
何か新しい、自分がやったことの無いことをする時には、特にそうでした。
言い換えれば、今まで親は、
そんなことも教えてはこなかったということでもあります。
やたらめったら色々な要求を一方的にしてきては、
形だけの反省を正座までさせて求めてきて、
本当の反省はさせないがために起こったことでした。
深く考えてはいないのです。
形だけの服従さえ見られれば 、それで一時は満足してしまえるのですから。
それも表面だけの安心に過ぎず、心の底ではいつも不安が渦巻いていて、
それを関係の無い子供に付き合わせた結果、
私の今までの暗い暗い、人生が出来ました。
家の中では、自由な時間と窮屈な時間の二つの時間がありました。
テレビを見る、ゲームをするにしても、始まりは緊張が解けた気になり、
始めた時にはストレスから開放されて休んでいると感じさせられました。
まるで麻薬の常習犯の言っていることと同じですが、
事実、中毒する構造は全く同じでした。
短い時間の中での開放された気分を味わいたいが為に、
何度も同じことを繰り返しました。
常にストレスにまみれる家庭に引き戻され、
逃げるために、また手軽に楽を得るためにテレビを見て、ゲームをして、
その他の様々な娯楽を麻薬のように一時の得、
一時の安らぎを得るためにのめりこんでいきました。
その状況はいつから始まったのか。
父親が弟や自分を怒鳴り始めるときに始まったのか、
親が子供の面倒をあまり見なくなった時から始まったのか。
後で話を聞くと、父親母親、その子供である自分たち兄妹は皆、
幼い頃は両親が忙しく働いていたために、祖父母が面倒を見ていました。
ゲームが始まりだったのならば、既に逃げたい家庭があったのだといえます。
ゲームにのめりこむまで、親は子供のことを
ろくに構いはしなかったともいえました。
父親は特にそうでした。
思えば、子供を怒鳴り散らすときが唯一子供と接している時間でした。
忙しく働いたというのが確かなら、
その忙しい間に、仕事でストレスがたまった時期に、
自分の子供を怒鳴り散らす時間だけはきちんととった、という皮肉。
母親も夕方まで働いていました。
その忙しい合間に、子供の世話もそこそこに
父親の言うことを聞かせることには時間を割いたという皮肉。
自分や弟が不登校の時には、母親は明らかにイライラしていました。
祖母もそうでした。
それまであまり見たことのない怖い顔をしていました。
不登校になった時には毎日のように、
朝目が覚め ればすぐに、母と祖母と自分もしくは弟の、
どちらかが折れるまで争いは続きました。
母が出勤するまで母と自分、その後は祖母と自分、どちらが折れるか。
父親の命令通り、母親や祖母の言うとおりに、無理をして学校に行くか、
粘って祖母が諦めるまで行かないようにするか。
学校に行かずに済むには、
朝は辛い思いをして最後まで抵抗しなければなりませんでした。
休めてもまた明日がある、明日の朝には行くように言われる。
当時の自分しかはっきりとは覚えていませんが、
今思い出しても、地獄のような日々でした。
あなたのために言っているのよ、
あなたのために言っているのよ、
あなたのために言っているのよ・・
自分 を学校に行かせる時には、何度かその言葉を聞きました。
自分は苦しい思いをしているのに、自分の状態とは全然違うことを言う。
病院や学校の先生に言われてから、ようやく受け入れる態度は取り始めました。
今まで散々に引きずってでも行かせようとしたのですから、
家族はもう誰も信用の置けない存在になったのだと思います。
不登校の時にも二人が敵だとは思いもしませんでしたが、
実際には敵でした。
全く子供の自分のことなどお構いなしに、
愚かにも、その場をしのぐために、
家庭が上手くいっていないことを隠すため、
親の見栄のために、
学校に行かなければならない状況を作りました。
今でもあのことを聞けば、
母親と祖母は、他の家でもあったことだ、仕方がなかった、
と言い逃れをするでしょう。
本当は行かせたいとは思っていなかった、
と父親の言いなりで無理やり学校に行かせた、
と母親自身がそう話していました。
私に対して、自分だけがおかしいのではない、
と母親は言っていました。
これは子供をかばっているように見えて、
本当にかばっているのは母親自身の行動でした。
自我復元を初めてしばらくするまで
母親と祖母、二人を味方だと思ったのは、
自己保身の言い訳を、自分を気にかけていると誤認したためでした。
原子力ムラのような、見てくれを整えたいがために、
ごまかしと思い込みがあふれる家が、自分の家でしたし、
それは今もそうです。
今では夫婦の間にはほとんど会話が無いのに、
何の問題にもせず、こうした家庭の問題についての話は一切出しません。
以前であれば父親が一方的に、自分や弟、母親について
気に入らないことがあれば口出しをしていましたが、
自分が父親と対峙した後は、一切口出しすることはなくなりました。
というより、口数そのものが極端に減りました。
仕事から帰ると、祖父母の家で話をして仕事の愚痴を言っては、
家に帰り、ただいま、と言った後は、黙って食事と風呂を済ませて寝る、
というのが流れになっています。
見ているこちらも窮屈な気分になりますし、
自分の家での過ごし方に良く似ていて、ちっとも楽しそうではありません。
母や祖 母がいる時に、わざとその話を振ってみても、
聞こえない振りをするか聞き流すかで、
家の中ではタブーのような扱いになっています。
母親に、これからはどうしたいのか希望はあるかと聞くと、
三人の子供が独り立ちするまでは、今のままでいたいとのことでしたが、
もちろん子供のためという考えは無く、
単に先延ばしにしたいだけに思います。
当たり前といえばそうですが、
うちの家庭は何から何まで、波風がたつのを好まない、
嫌な日本の社会に似ています。
今回の報告は、これで以上となります。
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