▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[454]
■
★分割自我復元★その454■Abyさんとのやりとり■
by:
鈴木崩残
2015/04/04(Sat)16:58:33
メールのやりとり
>>●私からのメールです。
Aby様
報告をありがとうございました。
思うように、存分にやっていってください。
おそらくは、かつては、「今、ここ」に在る、
いまここに意識を向ける、ということを、
Abyさんは、過去に残したままの残像を、見ないように振り切る、
その言い訳にしたことがあると思います。
しかし決着をつけて、今ここに戻るのとは天と地の差です。
そうなってこそ、関心地図は、本領を発揮します。
父親の毒っぷり、母親のずるさ、Pの非常識な、「あんたどこの何様のつもり?」
ということ、これは、いままでそこにいたという事が現実でしたが、
その家庭内カルトから、ようやく脱出できると思います。
具体的なことでまた相談したければ、いつでもメールください。
抽象的なことでもかまいません。
自我復元をやって頂いて、ほんとうに、ありがとうございます。
*********
崩残様
Abyです。
>思うように、存分にやっていってください。
このように崩残さんから言ってくださいましたが、
4月に入り、次第に明確になっていったことが、
「し尽くしたい」、ということでした。
今日、トイレに入って紙を手にとった時、
歩道橋の階段に足をおろした時、
桜の向こうの逆光がまぶしかった時、
仕事場での、いつもと同じ作業の時、
炊きたてのお米を口にした時、
このどれもを、味わいたい、味わい尽くしたい、と思いました。
日記にも、こう書きました。
「僕は、自分が感じていることが、大好きだ」
し尽くすこと。
どの経験も、どの感情も、そのどれもを
一粒も手からこぼすことなく、経験し尽くすこと。味わい尽くすこと。
そんなことは、当たり前のことなんだって。
だって、それは、私自身が経験している私自身の、
たったひとつ、一度しかない、かけがいのない私のものだから。
でも、この当然の権利とも言える生き方を、させなかったのが毒親だった。
そういうことなんだ、と。
私がずっと抱き続けてきた自身の生に対する違和感は、
し尽くせなかった、し尽くせていない、という違和感だったと思います。
でもこれは、AC人格の出番を残しておいては、到底、
「し尽くす」などということは無理なはずです。
これも当たり前のことであることを理解しました。
「し尽くすこと」をさせてなるものか、やりたいようにはさせない、
そうやって調教や洗脳をしてきたのが、毒親だったからです。
おしつけです。おしつけられ、そのおしつけに従ったら、
自分の生を経験し尽くせるはずがないのです。
というより、その、人間が手放してはならない当然たる権利、
自身の経験を味わいし尽くすという当然の権利を手放したから、
こうなったわけですから。
>かつては、「今、ここ」に在る、いまここに意識を向ける、ということを、
>過去に残したままの残像を、見ないように振り切る、
>その言い訳にしたことがあると思います。
まったくそうでした。
まったく気づかず、そうしてきました。
そして決して、「振り切る」ことは、できなかったのです。
なぜか。
家族の問題に、私はずっと気づかなかったからです。
こういうところに、違和感や不快、
ありとあらゆるACの動機があることを、気づかぬまま、
それに影響されていることに無自覚なままだったからです。
し尽くすなど、できようはずもなかった状態だったわけです。
むしろ、その真逆、「何一つ、なしていない」。
それは、生きていない、ということ。
し尽くすというのは、その反対、生きているということ。
私は、生きてさえいなかった。
もがいても、違和感のままに、ACの言動にどっぷりはまり生き延びて、
死にながら生きていた。
こういう、し尽くす、という当然なことをさせなかった、
毒にまみれた私の育った家庭。
引き続きの共犯関係の現在の家族。
さらに共犯のパートナーの毒親。
許せるはずがない。
>しかし決着をつけて、今ここに戻るのとは天と地の差です。
天と地どころじゃないな、って思いました。
家族の問題に、今の自分のACの言動の根拠を、自身で自覚できなければ、
違和感だらけの、気持ち悪い、何一つし尽くすことのない、
何一つなすことすらない、生きてすらいない、
そういうことになるのですから。
今回、実際に、Pと、毒父と、Pの親と、現実にぶつかってみて、
そこでひとつ、やり遂げたことで、わかったことは、
これらが、「し尽くすことを、妨げていた」ということでした。
これは、私は、意外でした。
やり遂げてはじめてわかったことでした。
この「家族問題」のせいで、
何一つ、私は、味わいし尽くせなかった。
目の前の桜も、日常の仕事も、何もかも、
かつては、どれも、楽しめなかった。
「感じれなかった」ということです。
私にとって楽しめなかったというのは、
私のものとして、私のこととして、
感じとってこれなかったということです。
妄想をしている、イコール、その間は何も感じていないのと同じ。
だから気持ち悪く、
その自分の不在感の穴埋めをするようにして、
滅私奉公に活路を見出しては、共同作業だ、と美化をしてきたのです。
私は、自我復元と出会えた。
AC人格にとっては、それは地獄だった。
正直、私は、こんな苦しい人生になるとは想像もしたことがなかった。
しかし、今、
AC人格との格闘は、私は、楽しい。
だって、これは、まぎれもなく、「私の」苦しさであって、
「私が」苦しんでいるから。
だから、私は、むろんACなど皆殺しにしてやりますが、だけれど、
ACから逃げまどうようなへっぴり腰になるのは嫌であり、
ならば、ACと存分に向き合い、恐怖にひたり、戦いたい。
内なるこういう敵とも、現実に外にいる毒家族とも戦いたい。
だいたいが、同じ元凶、同じ敵です。
同時に、私は、日常の、ありとあらゆることを
経験し尽くしたい。
この思いが、昨日、今日、すごく強まりました。
それは、おそらく、家族との衝突を、
「自分はやり尽くす」一歩を踏み出したからだと思っています。
先ほど思ったことなのですが、
桜の間も、梅の間も、松の間も、
私には同じに見えてきました。
テーマは違えど、そのスタンス、姿勢は、
どれも、徹底して、妥協することなく、
しかもそれは、「当然のこと」として実行されている崩残さんの姿勢です。
崩残さんが、こういうことは当然すべきことであり、正常だ、と
おっしゃっていたことが、わかるようになってきました。
自分のこと、自分の問題として取り組めば、
まったく当然なことをしている、ということだと思います。
今までは、放射能測定も手裏剣術も、
なんでこんなに細かいところまで言及されているんだろう?と思っていました。
細かくもなんでもないんだ。
これは当然な問題意識なんだ、と。
そのことに、今になって気づけたのです。
ぜんぶ、やろう。
ぜんぶ、全部、そう思えるとき、
そこには、しかたがないといって目を向けない部分はありません。
そういう時は、本当に、清々します。
私は、ぜんぶ、やりたいんです。
ぜんぶ、全部とは、私が経験しうるもの一適残らず一粒こぼさずです。
それは当然なことだと思います。
その全部が私の生だからです。
思うことですが、
AC人格との格闘に屈するようでは、ダメだと思います。
自分から自分を手放しておいて、
いくら惨めさを嘆いても、それは嘘ぶいているだけです。
私は、そうやってしかたなく生きることを、
今回の生で、絶対におしまいにしようと思っています。
日記を、これからも大事にしていきたいと思います。
またご相談させていただきたくなったときは、
相談させてください。報告もさせてください。
Aby
*********
崩残様
アドバイスをありがとうございます。
どんどん事実をつきつけて、
そこから、考え、動き、変えて、新たな展開に進む、
という姿勢で臨みたいと思います。
この頃、少し嬉しく思うのは、
自我復元、そして無明庵という場所が、
私にとって「道場」のようなものだ、
ということを、私自身が捉えられるようになりつつあることです。
おそらく、これは、合気道(それもいくつもある中で今の道場)を始めて、
本当の意味で「自己研鑽」していく体験を得られるようになったことも
要因の一つだと思います。
妄想世界から、軸足を抜いていく、
まだまだ重い足ですが、そこからかなと思っています。
自分の「実力」は、卑下することなく、事実、そこですから。
でも、だからこそ、頑張ることや向上心を持つことが
生き生きとしていくんだなって、感じられてきます。
家族に原因がある、ということが
なにより重要だったのは、まず私自身であり、
AC人格との闘いにおいてでした。
もちろん、現在の私たちの破綻の原因が
毒父、私の育った家庭にあることを、Pにつきつけた、これからもつきつけることは、
「離別」が不可避であることの決定打になる、と思っています。
崩残さんがご指摘くださったように、Pに口出しなどさせません。
Pは、「擁護されてワタシは当然、アナタはワタシを守って当然」という、
壊れたテープレコーダーのままですし、
それに私が翻弄される必要はなく、
やるべきことは、「終わるにして終わらせる関係」へ突き進むのみです。
合気道でもそうですが、まだまだ、よい意味での「攻撃性」が
去勢されたままの部分がありますが、
それは、とり戻せる、とり戻すぞ、って思っています。
妄想に足をひっぱられる癖は悪い癖なので、
徹底して、やめていきます。
Abyさんの4月が始まった
↓
http://mmjhb11.exblog.jp/21682077/
_____________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(454 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -