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[455]
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★分割自我復元★その455■トラウマ掘りの報告■
by:
鈴木崩残
2015/04/07(Tue)17:06:46
報告メールより
■ちょっとした、やりとりを経てのメールでしたが、
私からのメールの内容の詳細は省きます。
注意点としては、「関心地図」を、上手く扱って、
自分のものに出来ている人と、そうでない人とが、
自我復元をしている人の中には、いるという点です。
関心地図とは、問題解決の「手段」ではありません。
ここが重要なのですが、わかる人と、分からない人がいます。
******************
崩残 様
いつもお世話になっております。基幹房です。
今回は、前回の報告(3月28日分)、
その報告に対する崩残さんからの返信について、報告させて頂きたいと思います。
まずは、私のひとつひとつの言葉に対して、
細かく丁寧なご指摘を頂き、本当にありがとうございました。
私は、暴走しかけておりました。
いや、実際に、暴走していました。
本来の自分を見失っておりました。
私自身をどこか遠くへ追いやっておりました。
前回の報告を読み返すと、
言葉の端々に、はっきりとその片鱗が見られます。
また、今、読み返している自分から見ても、
完全に浮き足立っていました。地に足が着いていませんでした。
崩残さんからの返信メールを頂き、それを読み、
自分の書いた報告を振り返り、直ぐに自分の犯した過ちに気づきました。
余りにの苦しさの為に、そこから逃れようとして、
本来の自分を追いやり、AC人格をのさばらせてしまいました。
中略
しかし、これらは、全て言い訳に過ぎません。
一番大事な、「本来の自分」、
つまり、原主体を何があっても、護り通すということをせず、
その場の苦しみから逃れることばかりをしていました。
一言で言えば、「私は、逃げていました」
そのことがはっきりと分かりました。
そして、最も大事なものが何であるか、
何を最大限に優先する必要があるかということも分かりました。
今だから言えるのですが、これでは、苦しみから逃れるどころか、
どんどんと苦しくなるのは、当然のことでした。
一番大事な、「本来の自分を護り通す」ということをやらなかったわけですから、
子供の頃、毒親にやられ、それに対処する為にやったことと
同じ過ちを犯してしまっていました。
このようなことが分かっただけでも、本当に「すっきり」としました。
今までの苦しみがまるで嘘のように。
その後も、自問自答を繰り返し、いくつかの変化や気付きがあり、
今また、「本来の自分」というものが戻ってきて、充実した感覚が、
かなり戻りつつあります。それと同時に「幸せ感」も戻ってきました。
このように至った経緯について、以下に書かせて頂きます。
崩残さんからの返信メールを読みながら、
ちょっとしたショックを受けると同時に、直ぐに、「やってしまった」と
自分が間違った方向に行こうとしていることに気づきました。
崩残さんからの的確なご指摘がなかったら、このまま暴走し続け、
気づいた時には、取り返しのつかないことになっていたかもしれません。
このような意味でも、このように定期的に報告させて頂くことは、
本当に有難いことだと感じております。
その後、どうしてこのようになってしまったのか、色々と考えました。
そして、「日々のノート」にも、次のように書きました。
「想念の川から出ると言う事について書いたが、
何と言う醜い心があるのだ。そういう自分に驚き、嫌でしょうがなかった。
何と汚れているのだろう。全自我になること(結果)を急いでいた。
大事なのは、自分を汚さないこと。
何をいちばん護るべきか」
このように書きました。崩残さんからもお叱りを受けたように、
前回の報告で、次のような汚れた言葉を吐きましたが、
「なんで、あの人は、わざわざ、こんな川の中にいるのだろう。
さっさと出て、もっと安心できる場所に戻ってくればいいのに」
何という上から目線、
今、改めて読み返しても、これが自分自身の語った言葉なのかと、
目を背けたくなります。
だが、この言葉は、紛れもなく、自分自身から発せられた言葉です。
例え僅かでも、このように思っていたことが気持ち悪いです。
量の問題ではなく、このように汚れた思いが自分自身の中にあったということは、
許されないし、絶対に消し去りたいです。
これは、まさにAC人格そのものですから。
以前、何度か報告させて頂きましたが、私は、過去において、
****という宗教団体にかなり傾倒していました。
約20年くらいは関わっていて、無明庵以外で、最も影響を受けたものです。
その頃に、「想念はいけない。無心になれ。ゼロになれ」と<
かなり植えつけられていました。
自分が放った想念は、必ず自分に返ってくるから、
悪い想念を放ってはいけないし、思ってもいけないというように<
言われ続けてきました。
そして、自分でも、そうだなと思い込んでいました。
その当時の自分は、その宗教の言う事なら、何でも信じ、また、
その宗教言ったこと全てについて、まるで自分が考えたかのように、
自分自身の言葉であるかのように思い込んでいました。
さらに、自分のやっていることは、一番正しく、
この宗教に関わらない人達をバカにし、下に見ていました。
今の私から見れば、いや、他の普通の人が見ても、ぞっとするほど、
おかしな気持ちの悪い、鼻持ちならない、
どうしようもない人間でした。
自分の中では、この時の影響をほとんど解消したと思ってましたが、
全然まったく解消などされておらず、残っておりました。
それが、「関心地図の作業」をやることによって、
炙り出されたのだと思っています。
「想念の川」という考え、その中にいることは、悪いことだという考えは、
この****の影響からきていることは、間違いありません。
話は少し飛びますが、「関心地図の作業」をしていると、
当然ながら、もう本当に色々な思いが出てきます。
今、一番気になっていることであったり、目の前で起こっている現象
(周りの音や身体の状態等)に対するものであったり、
眠たくて眠たくて、そのような感情しか出てこなかったり、
本当に何も考えていないかのように感じられたり、
何の脈絡もない思考(子供の頃や、若い頃のこと等)が急に出てきたり、
ある思考をきっかけに関連して、どんどんと思考が
拡がっていったり、色々な思いが錯綜していて、
「まあこれだけ、色々なことを思っていられるものだな」と本当に関心します。
中でも、ある時、突然、急に、それまでとは何の脈絡もない思考が
出てくることがあるのは、本当に不思議です。
私の頭は、どういった回路で、
このような思考を放っているのだろうと思います。
こうして、毎日、「関心地図の作業」を通して、
思考を観察していくことを続けていますが、
自分自身が意識していない所では、
どれだけ色々なことを考えているのやらのかと思います。
つまり、自分自身が、管理できていない、無法状態の所で、
いったい私自身は、どんな思考を放っているのかと思うと、
ある意味、恐ろしい事だと思います。
もしかしたら、とんでもないことを考えていて、
それが、自分の知らない所で、
自分の考えや行動に影響を及ぼしているかもしれないからです。
そのことの一部が、トラウマ掘り・分析で分かったことですが、
少しでも、自分が意識できていない部分をなくしていくためにも、
この「関心地図の作業」は、本当に重要であると、ますます感じます。
自分自身に思考さえ、自分で管理できないようでは、
とてもとても自由で、本当に幸せな人生は送れないと感じています。
話が戻りまして、前回の報告の中で、
「この想念の川から、絶対に這い出し、
安心安定できる岸辺に行きたい」というような意味の事を書きました。
それに対して、崩残さんから、次のようなご指摘を頂きました。
>「そう思ったらば、その場所が仮にあっても、
>それを許されないほどに「汚す」ことになります。
>なぜならば、これらの「思念」が原因で、絶対にそこに行けないからです。」
>「自分の中の不動で普遍で安全地帯があるはず、そういう嘘には、まどわされないことです。
>それは目指してはならないものです。目指すことは絶対にだめです。」
自分自身でも、崩残さんが言われる言葉の意味、
また、どうして、「安心安定できる岸辺に行きたい」
などというような事を考えたのか、自問自答しました。
先程も書きましたように、今の苦しみから逃れたいと言う、
「逃げたい」という思いが、まず、私の中にありました。
そして、「安心安定できる岸辺に行きたい」というように思ってしまった。この意味です。
これをもっと分かり易い言葉で言いかえると、
次のように、私は、思っていました。
「私は、今、安心安定できていない。
苦しくて、そのような状態ではない。
今のままでは、とても安心できない。
だから、ここから逃げ出し、安心できる場所に早く行きたい。
そうすれば、安心できるようになる」
このようになります。
つまり、私は、自分自身のことを、
安心安定できていないと決めつけ、それを自分以外の外に求め、
まるで、外から、「幸せの青い鳥」がやってくるようなことを思っていたわけです。
今だから言えることですが、
そんなことは絶対にあり得ない事で、
そのような場所を求めれば求めるほど、
今の自分自身がね、安心安定できる状態ではないと言っていることになります。
求めれば求めるほど、皮肉なことに、求めているものが、
どんどんと遠く離れて行ってしまうのです。
何というバカな事を考えていたのだろうと思います。
そうではなくて、
今、この瞬間の自分自身というものを、幸せに感じられなければ、
何も始まらないし、
そのような状態で、何をやったとしても、何を成功したように見えても、
何の意味もないし、
出発点が不幸であれば、どこまでいってもそれは不幸である。
出発点が安心安定できなければ、
どこまでいっても安心安定できるわけがないのです。
以前の報告で、
「私は、今、幸せの中にいて、その中で、楽しみや苦しみを味わっている」
というような意味の事を書いた事があると思います。
実際、ある時期、そのように本当に幸せの中で、
充実した日々を送っているように感じたことがあります。
その時、私は、どうであったか、
どうしてそのような状態であれたのか、考えてみました。
一言で言えば、
「俺は、ここにいるぞ。今、生きているぞ」というように、
本来の自分と言うものを感じておりました。
まさに自分自身が、そこにいました。
自分自身でいると言う事が、とても感じられました。
自分が、今、ここにいて、楽しんだり、苦しんだりしている。
自分自身のやりたい事、やりたくない事を重要視していました。
つまり、自分というものを一番大事していました。
それが、全自我の直前まできて、なかなか思うように、
AC人格が解除できず、全自我に到達できない、
100パーセントになれない。
だんだんと焦ってきていました。
いつしか、自分を大事にするという事を忘れ、
一日でも早く、全自我になるということだけを目標にしてしまっていました。
そのように思っているわけですから、浮き足立って当然だし、
焦って苦しくなるのは当たり前です。
自分の事をそっちのけで、全自我に早くなろうと思っていたわけですから。
結果ばかりを求めていました。
崩残さんが、「楽しみは、結果である」と言われたのと同じように、
全自我になるということも結果であることを忘れておりました。
結果であると同時に、単なる通過点で、
必要最低限必要なことであるにすぎない事です。
もっと言えば、AC人格解除についても、結果です。
これらは、日々、色々と目の前で起こる事に対して、目を背けず、
真正面で臨んでいく中で、言い換えれば、
楽しみも、苦しみも、悲しみ等を十分に経験していく中で、
自分と言うものを一番大事にしていく事を絶対に忘れない事。
何があっても自分を護り通していくことが、一番大事だということ、
これを最も最優先にしていきたいです。
その結果として、AC人格解除なり、全自我なりが、あるということです。
全自我になった後も、自分が最も大事であるということは、
永遠に変わらないし、それなくして、何も始まらないからです。
これに関連して、昨日(4月4日(土))、ちょっとした事件がありました。
中略
このように思考が、どんどんと拡がっていきました。
本来の自分(原主体)と***で、がっちりとつながっていきたいと思います。
この***に当たるものは、これから見つけていく必要があると思いますが、
AC人格だけでなく、例え誰であろうと、
私と本来の自分(原主体)との関係を脅かすものは、
今後、一切許さないと強く思いました。
その為にも、目の前のことに目を背けず、
これらの経験の中で、自分を護り通していきたいと思います。
以上で、今回の報告を終わりたいと思いますが、
改めて、的確なアドバイスをありがとうございました。
今後も、優先すべき事、大事な事を忘れず、
日々の生活を楽しみながら、苦しみながら、
笑いながら、悲しみながら
やっていきたいと思います。
では、またメールさせて頂きたいと思います。
敬具
基幹房(きかんぼう)
________________________________
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