▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[458]
■
★分割自我復元★その458■トラウマによるAC人格の報告■
by:
鈴木崩残
2015/04/28(Tue)16:53:16
自我判定時の報告より
原文からは、かなり割愛をいたしました。
*********
崩残様
いつも大変お世話になっております。
前回(3/4)の報告の後、あらたに気づいたことがありましたので、
本日はその報告をさせて戴きたいと思います。
また、5回目の自我判定をお願いしたいと思います。
私の中にある全ての感情と「今」、向き合うことを避けようとしていました。
私の中にある感情を直視せず、逃げることで、
今進行し続けているこの現実からも、私は逃げようとしていました。
結局、私は、
自分の感情の全て、ありのまま全部の感情を感じることも中途半端。
今、自分の目の前にある現実を直視することも中途半端。
今まで私のやってきた全てのことが、「中途半端」の連続進行形でした。
私の生き方、私の在り方、なにもかも全て「中途半端」に済ませてきたのです。
適当に誤魔化して、考えたつもり、感じたつもり、見たつもり・・・・
生きているつもり・・・・全てがこのあり様でした。
中略
***
崩残さんが桜の間で仰ってくださっている言葉のなかに、
本当にたくさんの重要で貴重な言葉があり、
私の自我復元を後押ししてくださっています。
私が今一番に留意しいる言葉です。
>意識をとぎすませて、
>今、そこにあるものだけを、漏らさず感じ取ること
>以外の方法では、自我は正常化しません。
中略
自分にとって慣れ親しんだ、扱いやすい感情だけを拾い上げ、
自分は感情を表現している方だ、
などと、都合のいい妄想で自分を騙し、
自分が本当は感じているはずの感情を、自らの手で切り捨てていたのです。
まるごと全部の自分、この自分の「全ての感情」と、
正直に、真正面から向き合うことを私は避けていました。
逃げ続けていました。
そして、それは幼少の頃から、ずっとそうだったのです。
自分がそうやってきてしまったことに、今、やっと、気がつきました。
そうやって私は、自分の感情を切り刻み、
自分に起こっている感情に嘘をついて蓋をして、
自分自身を押さえつけて生きてきたのです。
ただ平静さを装って、それなりに楽しげに、明るそうに、
幸せそうなフリをしてきただけでした。
顔を引きつらせ、身体と頭をがちがちにしてまで、
そんな嘘ばかりついてきたのです。
私は自分がいつのまにか、そんな「嘘つき」になってしまっていたことが、
本当はとっても悲しかったのです。
自分に嘘をついてまで生きる、この自分のことが大嫌いで、
悲しくてしかたがなかったのです。
中略
自分の首を絞めあげている、その手が私自身の手だということにも気づけずに、
私は苦しみ続けていたのです。
そして、この苦しみを、誰かの、何かのせいにばかりしてきたのです。
「なぜ、私はこんなに苦しいのか?」 私の思考はここで止まったままだったのです。
自分が正直に感じてる感情に対し、
この感情は生かそう、この感情は殺してしまえ
といって判断し続けている思考、これこそがAC思考でした。
自分の感情を善、悪、快、不快の判断で選別し、
自分にとって都合のイイ、扱いやすい感情ばかりを拾い上げていたのです。
そうしていつのまにか、
自分の本当の感情がいったいどれなのか、
どうなっているのかさえも、私自身、訳が分からなくなってしまい、
自分自身が「混乱」そのものになってしまったのです。
中略
この感情、あの感情、こっちの感情、あっちの感情と、
こうして四六時中、
「私」は自分から生まれてくる感情に揺り動かされ続けているのです。
これはまるで、
「関心地図」で見えてくる、思考の連続、連鎖の嵐と同じです。
こうしてみると、私はどうみても、
思考だけではなく、感情にも、
思考と感情の両方に、ただただ翻弄され続けているだけの「?」です。
牢獄の中をあっちへ、こっちへと、
ただぐるぐると動き続けているだけの、夢遊病者です。
中略
●小学低学年のころでした、
踊ることが好きだった私は、
母親に「バレーを習ってみたい」と言ったことがありました。
しかし、母親は口には出しませんでしたが、
えっ!! お前が? というリアクションをして、
「そんなことより、そろばん習った方がいいよ、
今度、お姉ちゃん達と一緒に習いに行きなさい・・・」
と母は言っただけで、
バレエの話はほんの数分もしないで終わってしまいました。
そういえば、母親はその時私に、
「どうしてバレエがやりたくなったの? 」 とか、
「いつから、そう思うようになったの?」 とか、聞くこともしなかった。
私が興味をもっていることを大切に気遣ってくれて、
そのことを親として考えてくれるような、そんな母親ではなかったのです。
母親自身の関心、興味のあることを第一に優先させ、
きっと将来、この子の役に立つだろうという打算で、
「自分の子供」にそろばんを習わせようとしたのです。
「私」の「関心」にではなく、「母親」自身の「関心」の方が重要だったのです。
この時、私は
「そろばんなんかより、バレエがいい」 なんて言えなかったし、
「そろばんは習ってもいいけど、バレエもやりたい」 とも言えなかった。
このわずか数分の記憶ですが、
あの時の私は、とっても悲しい気持ちになったのは確かでした。
そして結局、
私は姉達に連れられて「そろばん塾」にだけ行くことになったのです。
そう、それから私は、
「バレエ」は、家みたいな貧乏な家の子供が習えるものじゃないんだ、
そう思って私は諦めたのです。
この時も私は母親の顔色を気にしながら自分の気持ちを捨てたのです。
中略
●「食」のことから、またひとつ、
「悔しくてしかたのない記憶」を、今思い出しました。
あれは、中3の時だったと思います。 やはり、担任は男の教師でした。
(そういえば、この教師は中1の時も担任で、その時から嫌な奴でした)
あれは確か、来週から試験が始まるという前日の日曜日のことだったと思います。
その日は、母親が旅行か何かで用があり留守になるので、
二人で食事に行っておいで、
ということで、母親からお金をもらっていたように思います。
そして、私と姉(次女)二人は、
我が家の近くに新しくOPENしたお店へ、ランチに行くことに決めていました。
そして当日、
その店内の道路に面した席、大きなガラス張りの席で私達は食事をしました。
生まれて始めて食べた「エビのマカロニグラタン」のおいしさに、
私達は満面の笑みを浮かべ、夢中で食べていたことを鮮明に覚えています。
しかし、この「快」の記憶はここまでで、その数日後のことでした。
担任の教師が、クラス全員を前にして、こう話し始めました。
「この間の日曜日、試験の前日だというのに、
昼間、子供達だけで、繁華街のお店で食事をしていた生徒を見たんだが・・・
みんなは、こんなことをしてもイイと思うか・・・
○○はどう思う・・・」 と、数人のクラスメイトを指名し始めました。
指名された数人はもちろん、「悪いことだと思います」 と答えるしかなく、
その後でした、
奴は薄気味悪い声で、姑息にも、私を指名してきたのです。
私は悔しくて、悔しくて、奴にこう言ってやろうとしました。
「それは私です。 あのお店は私の家から歩いてすぐ近くで、
あの日は母が留守にするので、食事に行く許可をもらっていました。
そして、姉と二人で食事をしに行っただけです。
あの後直ぐ家に帰って、また勉強しました。」
しかし、
この言葉が私の喉までは来ているのに、
もうすぐ私の口から出かかっていたのに、
でもなぜか、どーーしても、
この言葉を声に出して言うことが出来なかったのです。
私の口からこの言葉が出てきてはくれなかったのです。
私が何も言えず、無言のまま立っていると・・・・
奴は、「まぁー、みんなもこういう事は注意するように」
と言いながら、ニヤリと不気味な薄汚い笑いをして、この話を終わらせたのです。
私は、あの時、ものすごく、悔しかった!!
悔しくて、悔しくてしかたがなかった。
着席した後も、私は 「先生!」といって立ち上がろうとした。
立ち上がって、「先生、それは違います!」と言いたかった。
でも結局、私はそれも出来なかった。
なぜ、あの時、私は奴に向かって、はっきりと本当のことが言えなかったのか。
何も悪いことはしていない、ただ楽しく食事をしていただけなのに!!
その本当のことを、ただそれだけのことを、私は言えなかったのです。
口に出して一言も、何も言えなかったのです。
本当のことを、言うべきことが言えなかった、
そのことが、悔しくて、悔しくてしかたがなかった。
自分に嘘をついてしまった、そのことが嫌で嫌でしかたがなかった。
自分に嘘をついてしまったことが、悔しくて、悔しくてしかたがなかった。
教師だからといって縮こまり、無力な自分に成り下がってしまった私。
この自分のことが情けなくて、悲しくてしかたがなかった。
***
この事件で私が感じた怒り、悔しさ、憤り、悲しさ、苦しさ・・・・
これらの感情の記憶が、これほど強固に残り続け、
脳みその奥底ではこの記憶が残り火となって、長年くすぶり続けていたのかと思うと、
本当にゾーっとしてしまいます。
***
そして、さらに恐ろしいことを、今、気づきました。
この「反論できなかったトラウマ」のことをほんの数時間前まで、
私は今回、スルーさせてしまおうと考えていたのです。
「あのことを掘るのも、なんだか面倒だなぁー・・・まぁ、今回はいいかぁー」
と、私は考えていたのです。
この思考こそまさにAC思考、ACの手口でした。
私はこの重要なトラウマから、危なく目をそむけてしまうところでした。
「ちっぽけな記憶」として、この事件を隅に追いやってしまうところでした。
***
中略
これを分析してみると、結局
私が「我慢できなかった」、だから、母親に叱られたのです。
私が「我慢しなかった」、だから私は叱られ嫌な気持ちになったのです。
それなら、私が「我慢すればイイんだ」、
そしたら、私は叱られないんだ。
「我慢する=叱られない」
私はこのことに気がついたのです。
そしてその後、「我慢する」 このことが私にとっては、
とても重要なことになっていってしまったのです。
お母さんに叱られるのが怖いし嫌だから、
そうならないようにするためには、私は「我慢すればイイんだ」
そうすれば、私はお母さんに叱られない。
そうだ、こうして私の「我慢する」AC思考が生まれたんだ。
毒親に叱られることを回避できる最も有効な手段として、
こうして私は 「我慢する」 ことを学習してしまったのです。
そして私は幼少の頃から、
この行動思考をしっかりと身に付け、実践するようになってしまったのです。
そしてその後、私の「我慢」は、多くの場面で、長年多用されたため、
いつのまにか私は、
自分が我慢しているのか、我慢していないのか
自分の言動の中に「我慢」の誘導が関わっているのかどうか、
本心からやりたくてやっているのか、
やりたくないのに、「我慢して」やりたいと思い込んでやっているのか、
自分で自分のことが、
まったく、訳が分からなくなっていってしまったのです。
中略
毒親がイライラしてきて、私は叱られ、そして、
怖い思いや辛い気持ちになるのが嫌だから、
それが嫌で、私は「我慢」したのです。
でも、私のしてきた、たくさんの「我慢」は、
毒親が私に手こずることをなくしてあげ、毒親を喜ばせてあげただけ。
毒親を楽にさせ、毒親をイイ気分にさせてあげただけでした。
一生懸命、我慢ばかりしてきたこの私は、
自分自身を痛いほど切り刻んで「私」をこなごなに分断させ、
一番大切な「私」を切り捨ててしまったのです。
私にとって、その「我慢」は、
本当はこんなに苦しくて、苦しくてしかたがなかったのに。
私自身が、そのことに気づいてあげることも、
感じてあげることも、まったくできなくなってしまうほど、
私は「私」を殺してしまっていたのです。
***
そうだ、今気がつきました。
そう、あの時、私があの男、あの教師に何も言えなかったのは、
この「我慢」思考が、私を牛耳っていたからなのです。
私の口から、どーしても言葉が出てこなかった一番の要因が
「我慢」だったのです。
私が本当に言いたかったことを言わせないように、この私を制圧し、
私が自分の意思を貫くことを、
ACは私に「我慢」させたのです。
私の中で主導権を握り、 私を牛耳って我慢させ
あの男に屈することを私に強いたのが、このACだったのです。
もし、私が奴に向かって、正直に自分のことをはっきりと言ってしまったら、
私は奴に叱られるかもしれない。
みんなから、あきれ果てた目でみられるかもしれない。
私はそれが怖くて「我慢」することを選んだのです。
本当の私は、「本当のこと」を言いたかった。
でも、それがどうしても出来なかったのです。
あの時、私の中で進行していた「せめぎ合い」、
言いたい!! でも 言えない。
あの時私は自分に嘘をついてしまったのです。
あの時私はACとの戦いに負けたのです。
中略
この思考の起因となるトラウマに、やっと一つ、今、辿り着いたように思います。
しかし、私はあの教師に負け、敗北感を味わったただけではなく、
あの時それと同時に、自己信頼までを切り捨ててしまったのです。
私は自分に嘘をついてしまい、正々堂々と戦えなかった。
私は自分のとった行動がどうしても許せなくて、
悔しくて、悔しくて、自分を攻め続けていたのです。
「私はあの時、どうしても言うことが出来なかった」
この記憶がトラウマとなって脳みそにこびり付き、
「私はダメだ、出来ない」 という強力なAC思考が成立してしまったのです。
そして長年、このAC思考が「私」を制圧し続けてきたのです。
私の望む、私がやりたいと思う行動を制圧するために、
私が実際の行動をする以前に、すでに私は、
このAC思考に殺されていたのです。
「私は出来ない」このAC思考の牢獄に、自らを監禁し続け、
私を生殺し状態にしてきた主犯がこのAC思考だったのです。
やっと今、ACのこの手口が少しづつ見え始めてきました。
が、ここで気を緩めてはならないのです。
このACを殺すには、「今、殺す」 しかないのです。
今まで、私は、
「AC人格解除は想像以上に大変で、時間がかかりそうだなぁ・・・・」
と、頭の中で、ぼそっと何気なく、こう呟いていることがありました。
ほんの少し前、はっ! としました。
この思考こそまさに、AC思考なのではないか?
ACに向かう焦点をぼやけさせ、解除の時間を未来に先延ばしさせ、
上手く生き延びようとするACの言葉ではないのか?
今現在、私の取り戻した力はまだまだ微力でも、
今持てる全ての力を総動員させて、
私が必死で探し出したACの挙動を察知出来るのは「今」しかないのです。
油断なく、「今、殺す」 「今、殺す」 「今、殺す」 ・・・・・
油断なく「殺し続ける」ことで「ACを殺しきる」。
ACを殺すということは、
ACがどこに潜んでいるのかを、探し出さなければどうにもならないのです。
ACを探し出すためには、
私は油断なく「今」を見張っていなければならないのです。
そして攻撃しかけてくる、その瞬間、ACを捕まえ息の根を止めてやるのです。
*********
桜の間に投稿された、報告文の中で、
崩残さんがご指摘してくださったことを掘り進めてみました。
中略
あらためて、私が夫に対し、何を根拠として「夫にはコミュ能がない」
と思っているのかを掘り進めてみました。
私が夫のことをなぜ、そう思っていたかというと、
私と夫と会話をしているなかで、私が夫に何か簡単なことを質問しても、
夫は黙ったまま、なかなか返答してくれないことが
以前にはよくありました。(現在はだいぶ少なくなってきました)
夫は私の話を聞いているのか、考えているのか、
それとも聞こえていないのか、私にはそれが理解出来ず、
「えっ?、どうなってんのこの人」 とこちらが戸惑ってイライラし、
不快になることがよくありました。
また、夫が誰か他の人と話をしていても、
相手との会話の流れの中で、夫は(私の様に)
「そうですね」とか「うーん」とか「へー」とかの言葉をあまり言わないのです。
また、同意や疑問、反対など、自分の考えや意思を言葉にして、
相手に伝えるのに時間がかかりすぎるように、私は感じていました。
夫は一言も何も言わずに、ただ無言のままいたりするので、
その相手もまた私と同様に、
夫のその行動に戸惑っているように、私には見えていたのです。
その様な場面を何度も目の当たりにしてきていたので
私はこれらの状況から、
夫を「コミュニケーション能力のない人」というレッテルを貼っていました。
しかし、掘り進めて始めて気がつきました。
これは 「安易にうなずいてしまう」ACが、
自分の問題ではなく、夫に問題があることにして、
「私から夫」へと焦点をずらそうとするACの策略でした。
これは私が夫に、「うなずくテンポ」、「相槌を打つテンポ」
こんなことまでも強要しようとしていたのです。
私が毒母に強要されたように、
人それぞれが持つ、独自のペースを認めずに、
自分のペースに合わせることを、夫に強要していたのです。
そして、このACは
夫に対し、「お前も私のように、もっと、うなずけ、相槌を打て」
と、強要していたということだったのです。
そうすることで、相手との会話がもっとスムーズになるのに、
私はそれがお前より上手く出来るんだ、と自慢し妄想することで、
夫より私の方が「上」なのだと思い込み、夫をバカにしていたのです。
しかし現実に私のやっていたことは、
相手の話を聞いているような「フリ」をただしていただけでした。
相手が話している内容など、どうでもよく、
「自分のことを気に入ってもらうために」
相手のご機嫌をとるために、私は相槌を打ったり、うなずいていたのです。
その相手が快と感じるように、私は一生懸命にうなずいてあげていたのです。
相手に気に入られたい。
他者承認の欲求が一番の目的になっていたのです。
その目的を成功させる手段として、
私はうなずいたり、大げさな相槌を打ったりしていたのです。
これが、私にとっての「コミュニケーション」だったのです。
私はただ首を縦にふっているだけの、首振りロボットだったということです。
そして私は、夫との生活で、依然「夫の粗探し」をし続けていたのです。
このAC妻は、いつまでも、夫をダメ人間にしておきたいのです。
「私はお前より出来た人間だ」 そう思い込みたいがために、夫を利用し、
夫を自分より「下」に見ようとしていたのです。
これは毒親が子供にやっていることと、まったく同じ手口でした。
「お前はまだまだ、ダメな奴だ、私の言っていることは正しい。
だから、お前は私の言うことを聞くべきなんだ」
そして、このACは、
「私自身」に焦点を絞り込ませないようにするために、
常に、「夫」に焦点を向けさせようという魂胆があるのです。
私に殺されないために、焦点を「夫」にずらそうとしているのです。
今ここでの生活は、「夫との戦い」ではなく
ずる賢こく私を攻め続けてくる、「ACとの戦い」なのです。
中略
以前私はよく、「へー」 「ふーん」 「まぁーそうだね」 等という
何だか訳の分からない曖昧な言葉を安易に頻繁に使っていたことにも、
今回、あらためて気がつきました。
相手が話す、その話の内容をしっかりと聞こうとしているではなく、
「自分は話を聞いている」という妄想の世界にいただけでした。
相手は今何を話しているのか、真正面からそれを聞こうとする、自分の意思。
「コミュニケーション」として、当然あるはずのこの意思すら、
私には全くなかったことに気がつきました。
夫にではなく、
この私自身に「コミュニケーション能力」がなかったのです。
そして、私にはその根底にあるべき「聞く能力」すら全くなかったのです。
そしてこれは、最近感じたことなのですが、
他人といて、特に会話が始まってしまうと、
自分から相手の方へ、あっと言う間に、焦点がずれてしまっていることに気がつきました。
そして、
「会話」をするという動作によって、私の軸がふにゃっと曲がってボヤケ、
消えていくようなイメージ(妄想?)がしました。
そして、気づいた時にはすでに
相手との境界線が消え、「私」が会話の中に吸い込まれてしまっているのです。
***
中略
***
この約ひと月間、自分の身近で起きたこのような状況に対し、
私は自分の頭で何とか考え、
自分のやれることを実際行動に移してみました。
以前なら、
****に関する様な公なこと等、役所等への対応が必要な時は、
私は何もせず、ほとんどを夫にまかせてきました。
今回は、自分で確認したいことがあらたに出てきたので、動き始めました。
まず最初に、自分が疑問に思ったことを役所に確認し、
それでも何か納得のできないことは、また違う部署の職員に確認をとり、
その時々、その相手の考えを聞き、
そして、私は自分の考えや疑問を硬くなり緊張しながらも、
相手に伝えようと対応してきました。
今の自分は微力でも、納得のいくところまで、なんとかやってみました
(というより、現実にこの現状を目の当たりにして、
いつのまにか自分が動き始めていた・・・そんな感じもします。)
この様な公共的な問題に関するようなことになると、以前の私は
「夫がやってくれるから、私はまぁいいやー、夫にまかせておこー」
こんな調子で、自分では実際には動かずに、
夫にしっかり対応してもらうことを、要求ばかりしてきました。
私のやることといったら、
後ろで夫をせっついているだけで、
実際はどこか他人事のような、逃げ腰の自分がいるだけでした。
自分は何もしないで、
すぐ誰かに頼って、やってもらおうとする、AC人格がこれでした。
こうして、このひと月間の自分の行動を振り返ってみると、
「今の自分」が「今までの自分」とは
少しづつ違った自分になってきていると感じています。
情けないですが、やっと少し、地に足が着きはじめたような感じがします。
今回の報告は以上になります。
本日は崩残さんの貴重なお時間を、
最後まで読んでくださいまして、本当にありがとうございました。
それでは、今回の自我判定をよろしくお願いいたします。
ぽぽ。
以下略
__________________________________
●こういう報告をいただきますと、
この数年間、あきらめずに自我復元とトラウマ掘りをしたきた人たちを、
心から応援したくなるとともに、本当によかったと思います。
まだまだ油断はできませんが、重要な一歩を踏み出したのですから。
自我復元が「あるところ」までいった人たちに共通することは、
自我復元前とは、まるで別人であるという自覚です。
これは、そう思い込もうとしたり、そう申告したからといって
別人になれるわけがなく、
自我復元や、桜の間で書かれていること、
そして、個別への私からメールに書かれていたように行い、
そして気がついたら「結果としてそうなっていた」ということであり、
別人になりたいと思って、なれるものではありません。
またその変化は、必ず私にもわかります。
段階があるので、一気に変化するというのではありません。
●今回の報告の中にある言葉と共通することを、
現在も健在の公式の自我復元ブログの中に、はっきりと見ることができるはずです。
それは「現在の瞬間」という中に存在する機会が増えていることです。
●しかし、これは精神世界や瞑想に頭のイカれた、
毎度お馴染みの人たちが言っている、
「今」というものではまったくありません。
トラウマを掘っただけではなく、
生活の中でAC人格を解除する壮絶な努力をしてこなかった人が、
いくら、目など閉じたり、あるいは目をギラギラ下品にあけて、
今の瞬間に踏ん張ろうとしたところで、
夫や、妻や、職場で他人から、馬鹿にされたり、
あるいは、自分が馬鹿に出来ると思った相手を見つけたとたん、
今どころではなくなるのを、私は、無数に、
瞑想かぶれや、他人を馬鹿にする事しか脳のない知ったかぶりや、
時には、僧侶などにも見てきました。
●つまり、徹底して、幼少期のトラウマを掘りつくし、
自分のAC人格がしゃしゃり出ることを、
明確に不快として感じることの出来るようになった自我復元者だけが、
今の瞬間にいようとすることが出来るのです。
ガラクタと、自分に都合のいい妄想ばかりを頭につめたままでは、
息を止めている程度の時間しか、自分の感情や思考を、
ただ、押し殺していることしか出来ず、
また、疲れを取るためだと言い訳をして、
実は、不快な事から逃げるために、酒やドラッグにおぼれ、
自分の問題の題の本質から逃げる時間しかそこにはありません。
●この毎日、毎日は、
現在の瞬間によって構成されているのですが、
そこに口出しをしてくるのは、
すべて過去のトラウマによるAC人格以外にありません。
だから、今回の報告のように、
もう掘りつくしたと思っているトラウマを本当に何度も掘ると
その核心にいきつくことが、よくあります。
これは公式の自我復元ブログの人たち
(マディアさん、お姫ちゃん、Abyさん、朱いはがねさん、無干さん)や、
私が、たまに報告メールから掲載する「報告」の中にも無数に見られたはずです。
もう掘り忘れたトラウマとAC人格はない、
と思っていたけど、こんな大きなトラウマがあった、・・・
という報告が膨大にあるのです。
_______________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(458 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -