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「分割自我復元」
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[48]
■
★分割自我復元★その47★近況と雑記
by:
鈴木崩残
2011/09/14(Wed)05:42:42
雑記
●一時的な心境の変化で、私は今は、少し原発問題から関心を切り離しています。
梅の間に書いた「無・価値観」については、私個人のバランスを
とるためということもありますので、皆さんは気にする必要はありません。
あの内容は、普遍的には正しいことですが、まず各自の足元の問題を片付ける
という意味では、関心を持つ必要のない人が多いですから。
あの投稿は、近日内にこの桜の間に移動しておきます。
●ところで、禅書を好んで下さっている方から、
ほのぼのとするメールを戴きましたので、一部ですが掲載します。
黄色の文字部分は、私のコメントです。
メールを出すのは半年ぶりでしょうか。
砂手さんも博士君もブリジットちゃんもお元気そうで何よりです。
新しいお友達のラインちゃんは魅力的ですね。
ブリジットちゃんがキュートなツンデレ美少女なら、
ラインちゃんは目力のあるしっとり系美女ですね。
それにしても崩残さんのお友達は美形ばかりでうらやましいです。
早くラインちゃんの動いている姿が見たいです。
できれば博士君とブリジットちゃんと集会中の様子を。
>実はいくつか撮影したものがあるのですが、
>編集してYou−Tubeで公開するほどには、おかしなシーンはないので
>保留にしてあるシーンがあります。
>それを、今回の書のご注文のときに、特別に、そちらにだけ、
>無編集のままDVDに入れておきます。
>ブリジットにしても、ラインにしても、(以前に桜の間に書きましたが)、
>餌をあげると、猫が自分のご主人様の家から離れたり、迷うので、
>私の家では、一切、ご飯はあげません。
>にもかかわらず、ライン毎日のように昼夜を問わず、うちの裏にいますし、
>ブリジットも、外へ出してもらえる日は、うちに、すっとんで来ます。
>どうやら、この二人の猫は、私と遊ぶのが目的のようです。
>ちゃんと二人ともご飯も貰っていて、良い寝床もあるのに、
>遊ぶとなると、うちへすっ飛んでくるのですからおかしなものです。
>そこまで猫に、遊び相手として好かれると猫好き冥利に尽きるものがありますが、
>飽きるまで遊ばせたり、また甘えたいときに満足するまで、
>だっこしてあげるのは、けっこう時間もかかり大変です。
>そういえば、8月からラインちゃんが来るようになったのですが
>一昨日、とうとう、子ネズミのプレゼントを置いてゆきました。
>この猫の習性は、私も、まだイマイチよく分からないのですが、
>とにかく、「お互いに気心が知れて仲良くなった人間」のところには、
>必ず親愛の印として、小さなネズミかスズメをおいてゆくようです。
>一説には「相手から褒められたいから、捕獲したものを見せる」というのもあるのですが、
>ブリジットの様子を見ていると、そうではなくて「お礼」の気持ちのようです。
>それで思い出しましたが、これも数日前のこと、
>ラインが、めずらしく私が操作するオモチャに、そっぽ向いているので
>何かと思ったら、数十センチのヘビを相手に遊んでいました。
>そのヘビは、ラインにフルボッコにされて、死にそうになっていたのですが、
>まだ息があって、動けるようでしたので、つまんで、草むらに逃がしてあげました。
>いやー、見ていると、なかなか残酷ですね。
>散々に、パンチで殴ったり、蹴ったり、
>爪でひっかけて、ほうり投げたり、歯で噛んだりしたあげくに、
>ヘビが弱ってくると、飽きて、つまらなくなってしまうのか、
>猫は、そのまま放置して無関心になるのですから。
>「苦しんでいて、かわいそうだから、ちゃんとトドメを刺して殺しなさい」
>と私も猫に諭すのですが、どうも、これだけは言うことを聞きません。
>遊べるまで遊んだあとは、相手が瀕死でも、そのまま放置するんですよね。
3月11日以降の貴重な情報をありがとうございます。
目を覆いたくなる汚い現実ですが、知ってよかったと思います。
と同時に欲深いゾンビに対する嫌悪感は日に日に増していきます。
こんなことを知って、怒ったり、悲しんで、拒否できる自分でなければ意味がないと思いました。
中略
そして今、原発推進派のゾンビたちにあの「無無心の書」を送り付けたい気分です。
あの人たちこそ今すぐ自業自得でどうにかなってほしいです。
後始末は私たちでするから早く自滅してどっか行けっっ!!
という気持ちです。
そうしないと安心して絶滅できません。
>前にも何度も書きましたが、「無無心の書」は、
>それが無意識内の歪みの増幅効果を持つと、知っている、注意している
>そういう人には、害悪はなく、芸術として楽しめますが、
>全くその事を知らない人の場合には、多少とも変動が生ずることがあり得ます。
>現在自我復元をやっている人の中にも「無無心の書」を以前に注文されて
>それを上手く活用できて、復元力のバックアップとして変換できている人も何人もいます。
>一方では、あまりにも「鈍感」であるか、または部屋にちゃんと飾って見ていないせいで、
>有効活用を全く出来ていない人も、ごくごく希にですが、います。
>残念ながら、原発推進派・容認派とは全く縁がないので、
>「密かに、何も言わずに、プレゼントする」という機会はありません。
>というよりも、私自身が、そのことを皆さんに「固く禁じています」。
>「無無心の書」を注文される時には、DVD「無心の禅書・14巻」を
>必ず見て、それに同意した上で、注文する事を必ず確約してもらっていますように、
>「無無心の書」は、「転売や、他人への贈与は、固く禁止」しております。
>不要になった場合には、必ず本人が処分してゴミとして捨てるべきです。
中略
実は紙を縫っています。
有料購読の時から、竹の間と梅の間などの投稿を印刷してました。
確かに印刷すると頭に入りやすいです。
A4のコピー用紙に印刷して、パンチで穴を開けてファイルに綴じていましたが、
なんだか読みにくいと感じていました。
何とか読みやすくなる方法はないものかと考えて、
ホッチキスでとめたり、印刷する紙の大きさを変えてみましたが、納得いきませんでした。
豆本みたいにちょっとした冊子を自分で作れればいいのにと思っていましたが、
豆本を作る教室はなんだかんだでお金がかかると知り、
出来るだけ安く材料を調達できて、簡単に製本できる方法が知りたいなぁと思っていました。
そうしたら有料購読が終わってすぐにNHKで手作りの本を作る番組が始まりました。
これぞまさに私の求めていたものだ!ということで番組を見て、テキストも買いました。
そのテキストには私が知りたいことが載っていて、
試しにつくってみたらとても読みやすくて、内容が頭にすんなり入っていきました。
自分が読みやすいように
A4サイズの紙を半分に折って、A5サイズの本になるように
ワードで編集して、印刷して、その束を本として
綴じていくのはとても楽しい作業です。
まさかコピー用紙を縫う日が来るとは思ってもみませんでした。
崩残さんとの御縁が無ければ絶対しなかった事ですね。
普段裁縫なんてしないのですが、全く苦にならないのが不思議です。
一番の大作は宗教に汚染された地球人でした。
ワードで編集するのが大変でしたが、
一度編集できてしまえば何回でも綴じられるので楽です。
出来上がった本をとってもかわいいと感じますし、
大事にしなくちゃ元のデータに申し訳ないと思います。
どんな文章も本として読むのとPCの画面で読むのとは違います。
迫力がありますし、皮膚からも何かが吸収されていくようです。
竹の間で情報を料理に例えていましたけれど、
自分に合うように加工することで吸収されやすくなったのだと思います。
以下省略
_______________________________
>ご自分で綴じて、自作で「手製の製本」までしておられるという話、
>これは、なかなか、感動ものでした。
>そこまでして下さっている人は、
>今までに、一度も、聞いたことがありませんでしたので。
>●本をCDの形で出すことには、当初、かなり悩みました。
>印刷された文字の方が、圧倒的に「力」を持つことを知っているからです
>ただ、いろいろな事を考えて、CDという媒体にしました。
>1−今後、紙はどこかで燃えてしまうかもしれないこと。
>また、多く読み込むと、本の「綴じ」が壊れてくる点。
>これを回避するには、ハードカバーにして、糸で綴じる「上製本」が必要なのですが、
>それを個人ですると、価格がとんでもなく高価になります。
>(とはいえ、保存がひどく悪いと、紙にカビが生えるのと同様に、
>記録媒体のディスクも、湿気や光に弱くて、それほど長くは持ちませんので、
>数年おきに、新しいディスクにコピーし直すのがいいです。)
>2−ハードディスクなども、もしも戦争になれば、強い磁気では壊れてしまう。
>3−PDFファイルの場合は、個人で好きに印刷したり、
>さらに、ワードの形式の場合は、読者が自分で編集できる利点。
>4−コストが製本するよりも安い点。
>(出版社ならばともかく、無明庵の本は、個人で経費を出して印刷するには、
>あまりにも本の種類が多すぎて、膨大な赤字を出してしまうこと)
>5−印刷できる元のデータとしてあれば、これから何十年も時代を経過するごとに、
>違う媒体に変換して、ハードディスクに保存し、同時に印刷して保存ができる点。
>ということで、読者の皆さんにとっての利便性と、コストの点からCDにしました。
>ただし、読むときには、できるだけ、紙に印刷することをお勧めしています。
>ただし、無明庵のCD本には、ひとつだけ、難点があります。
>かつて、本として製本されていたときには、ページ数を節約するために、
>改行を節約していました。「EOシリーズ」や「悟りなき悟り」などがそれです。
>しかし、現在販売しているCD本のほとんどは、ディスプレイで読む
>ということも想定をしましたので、内容を理解しやすくするために、
>文脈が変わるところでは、全く遠慮なく、かまわずに、がんがん改行を入れていることです。
>そのために、ページ数がオリジナルの本よりもかなり多くなっているものもあります。
_________________________________
【自我復元について】
↑
■皆さんから、自我復元の報告は、もうファイルが千数百枚に達しています。
50音で、名前別に分けてありますが、管理するのも結構大変になってきました。
■今のところ、「自我復元」という方法の効果に、確たる確信を持った人の報告が多いです。
一方で全体の1/4ぐらいの人は、ご本人は効果があったと
報告してくるか、または、「まだはっきりしないが、こういう変化がおきた」
という形の報告ですが、私の判断は、ケーバイケースでいろいろです。
■本人が感じる効果・変化と、私の判定と見解が一致する、
ということが大半を占めていますが、
中には、本人の評価よりも、私の評価が低いこと、あるいは、
希にですが、本人の評価よりも私の評価の方が高い場合もあります。
■では、これらの、膨大な量の自我復元の報告に目を通すと、
そこから何が分かってくるかといいますと、
1−まず、「分割自我復元」のDVDで解説した方法には、間違いはなかったということ。
これは、私の予測を遥かに超えていました。
もしも、ある程度、特殊な能力のある人の方が出来るのだとしたら、
それを本当に必要としている大半の人たち(希釈自我の人)は、
出来ない、という懸念が当初はあったのですが、
その懸念を裏切ってくれて、特殊な能力や才能は、ほとんど必要なく、
ただ、この「希釈自我」の問題と、「復元すること」への関心の強さにのみが、
明暗を分けているようです。
2−自我が復元されてゆくに従って、皆さんが経験していることには、
かなりの「共通性」が見られること。
それまでの低い希釈率の自我では、
何を考えても、あるいは何を行動しても、なかなか思うように実現せず、
また、考えそのものにも集中力と一貫性を欠き、トラブルから抜け出せないといった状況でした。
多くの人達の「復元前」の最初の状態は、
「自分の思ったことを出来ない自分が嫌だ」「集中できない」
「飽きっぽい」「無気力」「無関心」といったものが目立ちました。
■しかし、復元作業にかかり、数ヵ月後にその人達から報告される内容は、
「どうして、こんなことが前は出来なかったのだ?」という驚きです。
これは、私になりに、喩えていいますと、
自我復元をする以前は、貧しく、貧相な土地のようなものです。
自我率は、その人それぞれで違いますが、
とにかく、自分の「意志」という種をその土地に植えても、植えても、
なかなか芽が出なかったり、双葉が出ても、そのあとで枯れてしまう、
そんな状況によく似ています。
■しかし、自我復元というのは、あたかも土壌改良のようなもので、
皆さんの最も基盤となる、自我の状態を土壌に喩えますと、
その土壌が大幅に改良されるに従って、
植えている種(意志や目的)は、同じでも、それがちゃんと「育つ」
ということです。
実習している皆さんは、ある意味ではその「静かな奇跡」を
目の当たりにするものですから、
大変なことが起きているという感覚よりも、むしろ、
「今まで、どうして、こんなにも当たり前のことを、
自分はできなかったのか?
こんな当たり前のことを、どうして自覚したり、
普通に、きちんと考えて行動することができなかったのか?」
と自覚することが多いようです。
■植えた種が、芽を出して、作物や花に育つ、それは当たり前のことだったのですが、
希釈された自我という土壌の劣化が、せっかく正常な種をも駄目にしていたのです。
これはたとえにすぎませんが、自我復元を既に経験した多くの読者の方は、
このたとえが、しっくり感じられると思います。
■植えたものが、当たり前に育つこと。
それは、決して、奇跡的なものでもなく、大変容でもありませんが、
「そんな当たり前のことを出来なくて、
無駄な妄想ばかりして、無駄な行動ばかりしていた自分」
という過去の自己が、逆に不思議に思えるようです。
極めて、電波な話としか言いようのない、
「自我を復元する」という作業しかしておらず、
他に特別に、自己分析をしたわけでもなく、成功のイメージをしたのでもなく、
カウンセラーに頼ったわけでもなく、瞑想をしたのでもなく、
何かを願ったわけでもないのに、
それにも関わらず、それまで解決できなかったことが解決の方向へと向かい、
それまで理解できなかったものが、当たり前のこととして理解できる。
ですから、今まで皆さんから聞かされてきた諸問題の根源は、
皆さんが、それまでにやってきたことは、ある意味では、
根本的な部分では、無駄に終わったことが多く、
本当の困難は、自我の「希釈率」によって生じていたことを、
私は、毎回確信し、つくづく、実感します。
*****************************
以下は、余談であり、言う必要のない話ですが、
「悟り」というものは、それまでの畑が、一瞬で焼き払われてしまい、
その後は、本人が望んでもいなかった草花までもが、
勝手に咲き始めるようなものですが、
「自我復元」の場合には、
本人がそれまで望んでいたのに咲かなかった草花が、
どんどんと茂ってくるようなものです。
「悟り」は、見る世界そのものが、
ひっくりかえって反転してしまうような変化ですが、
自我復元は、それまで、世界というものを、
「ちゃんと見てすらいなかった」、
ということに気づき、それを「修復」する力を持ちます。
現在、この地球で必要なのは、自我復元であって、
断じて、悟りではありません。
そのことは、CD本の「分割自我復元理論」にも、書いたとおりです。
自我も、まだ復元されていない人、あるいはひどく希釈された人が、
怪しい宗教に何十万円も払って、他人に祈祷してもらったり、
あるいは自分で何かのセミナーや教室に参加したり、瞑想ツアーに行ったり、
あるいは、気による治療と称するヒーリングを受けたり、
あるいは、また、本やネットばかり読んで、誇大妄想を膨らませて、
何をどうやろうが、
どうにかなる筈は、絶対にありません。
精神世界で起きてきたことの多くの現場(本物も偽者も両方)を見てきた、私の目から、
これは、100%断言できます。
もしも、あなたが1/5自我だったらば、
どこかに、10万円分の「何かの講習や学習会」があったとしたら、
どんなに最良の状態でも、あなたは2万円分のことしか、学べないし、
頭では学んだ気になっても、自分をフルに全開・全力に奮い立たせても、
たったの「1/5」しか、その信念体系の技法を使えないということです。
それでも良い、1/8でも学べるならば満足できる、という人は、
効率の悪いコンディションのまま、瞑想会や学習会や、ヒーリングやら
占いやら、開運祈願に、無駄金を、つぎ込むことを疑問視しないで、
そのまま突き進んでください。
ただし、何をするにも、絶対に、自分が働いた大切なお金を使ってください。
この世界で最悪のお金の使い方は、
宗教的な詐欺に、家族や他人からの贈与や借金を使うことです。
自分で苦労をしたお金であれば、
自分で、自分を悔やみ、反省すれば、カルト商法から脱却することも
そのモチベーションを発揮できます。
しかし自分の財布や腹も痛まない、他人のお金を、
カルトや、カルトでなくても、一般的な宗教や、宗教的団体につぎ込めば、
あなたは、他人のお金を勝手に、無駄にしているという罪悪感すら持てなくなり、
他人にも迷惑をかけ、その後始末を一生することになります。
■自慢ではありませんが、
私は、各種の伝統宗教も含む、精神世界という分野で、
7万円以上のお金を払ったことはありません。
その7万円というのも、20代のころに、たった一度だけです。
それは、決して、ケチっているわけではなく、
私が、これは多額のお金を支払っても価値あるものだと確信できたり、
あるいは、それを検証する価値のあると見た、他人や分野が、
ほとんど、どこにも、存在しなかったからです。
西洋医学と漢方以外「治療と称するもの」に対しては、
1万円以上支払った覚えは一度もありません。
1万円の治療費、あるいは薬代を考えたとき、
それに見合う治療効果を、西洋医学であればどこまで出来るか、
そして、それよりも効果のある治療を本当に出来るのであれば、
私は、西洋医学に支払うよりも多くのお金を、それらの治療に払ってもいいです。
長い目で見れば、西洋医学よりも東洋医学的治療の方が良い場合もありますが、
ただし、法外な価格や、そこまでの価格差の見合う価値のないものに、
一切お金は払いませんでした。
(たとえば、どう考えても、無駄な狂信的な食事療法や、インチキヒーリング)
精神世界という分野では、相手を非常に厳しく精査してきたので、
結果として、「これは、自分が稼いだお金を払う価値がある」
あるいは、
「あとで偽者と判明してもいいし、効果がなかったとしても、
一つの経験として、やってみるか、買ってみるか」、
と思ったもの以外には、決して出費しませんでした。
世の中には、ただ、他人の心情や、信仰心や、依存心や恐怖心に付け込むだけで、
その商品や体系の「価値がはっきりしていない」、
そんなものに払うよりも、別のところに払った方が、
支払った自分自身気持ちの良い分野が沢山あります。
たとえば、職人さんが熟練の技と大変な労苦をして作った工芸品や家電製品
芸術家が(本人が好き好んで)普通の人生や体を破壊して、
命を削ってまで作った作品
シェフが技術と工夫を駆使して作った料理
すばらしいと思える物凄い発明品や、日用品の小さなアイディア商品
自分では、どうしても出来ない作業や手続きをしてくれる代行業者
(たとえば、運送業や、製造業や、その他無数の一次産業、加工業)
●ですから、私も、常に、
この日本最低の、不景気の時代でも、それにその金額のお金を、
「私自身だったらば、払うか、否か?」
ということを、自分の提供するものに価格をつける時の、
絶対的な基準としています。
●ちなみに「禅書」は、あれ以上、低くしたら「とても無理」という
最低価格にしてあります。
上手く、注文者の方の気に入る作品になるかどうかは毎回、私も未知ですが、
最低限の「作業料」として、いただいています。
(実質的には、ほとんど「一枚500円の路上書家」と同じ価格です)
それは、「グラフィックデザインの世界の業界の設定」と同じです。
デザイナーは、もしもその案や、作品が採用されなかった場合でも
約半額は、作業費として請求しますので。
もっとも、半額もらえても、その後、二度と仕事が来なくなりますので、
デザイナーたちは、必死にボツにならない作品にしようとします。
●さらには、「自我判定料」は、実は「ゼロ円」です。
あの金額は、「滲み書4点」の作品に対してつけられた価格です。
なぜならば、自我判定というものを信頼するかしないか、
それはその判定結果を受け取った人の判断次第ですから、
自我判定そのものに、私は商品として価格をつけていません。
つまり内訳としては、自我判定はタダなのです。
これが、私のサービスが、何も「商品」や「技術伝授」を提供しない、
占い鑑定のビジネスや、本当に直るかどうかも分からない心霊治療ビジネスとの相違です。
あるいは、カウンセラーのように口先と薬の処方だけで商売をしている
のでもありません。
本質部分となる、自我判定が、もしも万一にもどこかにミスがあった場合であっても、
依頼者の方に、決して損害感生まないために、滲み書の作品4点を、
価格を割り出した基準としているわけです。
●なお、特殊な書である、「無無心の書」の場合には、
作品を購入するかどうかは、注文者の方に、
その仕上がりを画像で見てからにしてもらっています。
何点かの中に、気にいった作品がない場合には、キャンセル料はかかりますが、
決して法外な価格ではありません。
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