▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[481]
■
★分割自我復元★その481■ 自我判定時の報告より ■
by:
鈴木崩残
2015/08/07(Fri)10:10:48
報告より
●今回のご報告は、かなり多くの人が、男性であるか女性であるかを問わず、
部分的に覚えがあると思いますので、掲載させていただきました。
典型的ともいえる、毒父親と毒母親です。
本当に最低の父親です。
その稚拙さと、変態じみた点で、
以前のログにも、かなり似た「毒父親」に関する報告がありました。
**********
父親に関してのトラウマの記憶です
・梅の花の件
発生時期が定められません
同じ場所で撮られた写真を見ると2〜3歳頃ですが、
この件の時に撮影したのかはわかりません
私は梅園を歩いている間に拾った梅の花を橋の手すりにのせて、眺めて喜んでいました。
花びらが全て揃っていて、大きく咲いた花そのものが木から、
ぽとっと地面に落ちていたものです
淡いピンク色でとてもきれいで、それを見つけたことがとても嬉しくて
自慢げに手すりにのせてにこにこしながら眺めていました。
母親も「わぁ、きれいねぇ」などと褒めていたように思います。
すると、父親がフッと息を吹きかけて花を橋の下に落としてしまいました。
私はあまりに突然のことで、びっくりして、火が付いたように泣き出しました。
楽しく遊んでいたおもちゃを突然取り上げられて、
しかも瞬時に自分の手の届かないところに落ちて行ってしまった・・・!
と、そういう心境だったと思います。
父親は私が大声をあげて泣き出したので、あわてて橋の下へ花を拾いに行きました。
しかし、花が戻ってきても、楽しかった気持ちはもうどこにもなく、
ショックだけが残りました
そして私は父親が花を拾いに行ったとき、
「立ち入り禁止の花壇の中に入ったら、お父さん怒られないだろうか?」
と父親の心配をしていました。
父親はこのようなことをよく冗談のつもりでやります。
人が喜んだり素直に感情を表に出していると、茶々を入れ、
水を差す言動をとります。
父親本人が、嬉しい・楽しい体験を素直に受け入れられない体質なのだと思います。
・猫のぬいぐるみの件
これは小学校低学年の頃だと思います。
夜、親が布団をひいて寝ながらテレビを見ていたので、
私はその周りで遊んでいました。
当時子供は夜9時には寝るのが習慣でした。
父親が「もう そろそろ寝ろ」と言ってきましたが、
わたしは構わず遊んでいました
すると父親は
「はーい、10秒たったらもう寝なさーい、じゅーう、きゅーう・・・」と
カウントダウンを始めました。
そして0秒になりましたが、私は笑ってまだ遊んでいました。
すると突然キレた父親が、私が遊んでいた白い猫のぬいぐるみをつかみ、
その首を引きちぎりました。
ぬいぐるみは頭と胴体と、二つに分かれました。
私は火が付いたように、悲鳴を上げるようにして泣きました。
その猫のぬいぐるみは、私が描いた絵を母親が型紙にして縫い
目・鼻・口も私がフェルトを切り貼りしてできた、
自分で作ったぬいぐるみでした。
母親は、その時なんと言ったか覚えていません。
その後日、ちぎれたぬいぐるみの頭と胴体を縫い合わせてくれた時に
「お父さんの言うことを聞かないからだ」とかなんとか言っていたと思います。
この件は、梅の花の件と共に
大事にしていたものを突如として奪われる驚きと、
その喪失と暴力に対する恐怖、
楽しんで、喜んでいたらいきなり精神的平手打ちをくらうハメになるぞ。
人前で楽しい嬉しいという感情表現をしてはならない。
それは危険だ、攻撃される、という感情抑制を自分に強いていくことに
なった大きな原因であると思います。
私はよく「天邪鬼な子だ、頑固だ」と母親に言われました。
家族で旅行や行楽に行っても「楽しい」という気持ちが出そうになると
わざとつまらなそうにする、不機嫌になる、しらけた態度をとる。
おみやげを買ってやるといわれても断る、等の行動をしていました。
でもこれは天邪鬼というより、
楽しんだ態度をとればどうせまた叩き潰されかねないので
それをしないようにしていただけでした。
感情の抑制から一歩踏み込んで、
その感情が沸き起こりそうな事柄・体験も避けるようになりました。
遊園地につれていってやる →別に行きたくないと断る、といった風に。
また、ぬいぐるみの件を何度も反芻して考えていた時、
「殺されたことに気付け!」という強い思いが出たことがあります。
自分が楽しかったり嬉しかったりの気分になっていた時、
突然に暴力的な目に合うと、
その時の感情は凍結や麻痺ではなく死んでしまうのではないかと思いました。
そして、欲しいものを欲しいと言ってはいけない、
手に入りそうになっても受け取ってはいけない、楽しんではいけない、
嬉しがってはいけない、喜んではいけない、だってまた殺されるから。
と、自分は幸せになってはいけない、
なるはずがないという考えに繋がってがっていくのかもと思いました
・暴力行為
小学校高学年の頃です
私が宿題をしなかったか何かが理由でした。
父親は食卓のテーブルに座り、
私はその横に立たされ頬を何度も平手打ちにされました。
私は痛さに泣いていましたが、自分が悪いという事もあり、
「我慢してりゃ終わる」と思い耐えていました。
次も私が塾をさぼったか行きたくないとごねた時です。
私の髪の毛をつかんで、
台所〜廊下〜玄関のたたきまでひきずり回しました。
かなりの痛みがあったので嗚咽がでるくらい泣いていましたが、
これも「早く終わらんかなー」と妙に冷静に俯瞰して耐えていました。
自分も悪いし、ああもうしょうがないなという開き直りの気持ちもありました。
その後、何年か、つかまれた髪のあたりの頭皮を触ると、
鋭い痛みが走りました。
もう少し引きずり回されていたら、髪の毛がごっそり抜けていたと思います。
それに気付いた当時、ゾッとしました。
父親は10人兄弟の下から2番目で、柄の悪い土地の、昔の大家族の中で育ったので、
家庭内で殴るという行為は日常茶飯事だったのではと思います。
それでカッとするとすぐ手がでるのではないかと思います。
でもこれは叱っている、躾、ではないと思います。
ただ沸いた怒りの昇華に目の前の子供を巻き込んでいるだけです。
激高している分、怒った本人のトラウマ・ACが発露し易くなっているのだと思います。
暴力を受ける子供の方は、感情の爆発によってコントロール不能になった行為である事、
ただの感情処理に利用されているのだというのがわかります。
暴力は躾になりえないというのは、こういう事だと思います。
殴る方も殴られる方も、
お互い「躾としてやっている」と理解できるほど冷静ならば、
そもそも殴る必要性がないのではと思います。
私自身としては「自分が悪い」という自覚があると、
暴力をふるわれても黙って我慢することが多いです。
職場でも、ミスがでると、発狂したのか?というくらい怒り狂って
物にあたり、こちらにゴミを投げつけたり、
空き箱を足元に叩きつけたりする社員がいましたが、
こちらのミスということもあり派遣という身分でもあり、
黙ってやりすごす事しかできませんでした。
・突然キレる
小学校中〜高学年の頃です
居間で父親と寝転んでふざけ合っていました。
私がテレビ番組を録画したいと言い出し、父親はダメだと言いました。
私は聞き入れずビデオの電源を入れると、すぐに電源はoffになりました
なぜだろう?と電源on→すぐにoffを何度かくり返した後、
父親が私の後ろでリモコンを使ってoff操作をしているのがわかりました。
それならとビデオ本体のリモコン電波受信部分を手で覆って電源をonにしたら、
父親が突然キれ、「このォォ・・・」と拳を振り上げ殴るフリをしました。
私はびっくりして怖くなり、半泣きになりました。
直前まで機嫌よく遊んでいたのに、自分の思い通りにいかないと突然キレます。
子供にとっては訳が分かりません。
桜の間の記事にあったように、
人の顔色を窺うようになった一因かもしれません。
そして上に書いた発狂した様にキレる派遣先の社員と対峙していた時、
その暴力的な行為に対する恐怖で胸が圧迫される感覚がありましたが
その時この父親に突然キレられた時のことを思い出しました。
恐怖と共に、なにか焦りのようなものがあったように思いました。
数日考えた末、「しまった!お父さんに嫌われてしまう」
「お父さん 嫌わないで!」の焦りではないかと思いました
人に嫌われたくない・人の顔色が気になるAC人格の原因は、
やはり親にあったんだと思いました。
親に対してやっていたことが、
親を離れると他人に対してやってしまう。
出来すぎなくらい見事にそこに当てはまっていくのだなと思いました。
・レイプまがいの行為
始まりはいつだったか覚えていません
小学校中学年くらいまではあったと思います。
1回だけでなく複数回です。
父親とじゃれ合っていてプロレスごっこのようになると、
最後には私に馬乗りになって、顔・首・鎖骨周辺にブチュブチュと、
キスや唇を這わせる行為をしました。
乳首にまではいきませんでした。
じゃれ合いの末の事でもあり、両手も押さえつけられて体の自由が封じられていたので、
「キャハア、やめてよー もーやめてよー」と、
遊び半分叫び半分に言う事しかできませんでした。
首を左右に振って、父親の唇から逃れようとしましたが、
父親が馬乗りをやめるまで、結局されるがままでした。
終わった後、洗面所で父親の唾液を洗い流していました。
大変気持ちが悪く、非常に嫌でした。
嫌だけれども父親の機嫌を損ねるとやっかいなので、
強い抗議や非難はできませんでした。
父親の顔色を気にし、自分の嫌悪感から目を逸らしていたように思います。
母親は見て見ぬふりをしていました。
父親の容姿に似た男性に、一瞬嫌悪感がわくことがあります。
閉鎖的な場所に2人りきり、というのも若干嫌です。
容姿がかけ離れた人だと平気です。
容姿に関係なく、エロオヤジ的要素が見えると
「生理的に無理!!!!」になります。
この性的いたずらの影響かどうかハッキリとはわかりませんが、
コミュ障の壁がまず立ち塞がります。
・排泄のまねをさせられる
小学校低・中学年までの頃です
父親がソファに座り、私がその足元で遊んでいると、
背後から腕を回し私の両膝の裏をつかみ抱え上げ、股を開かせて揺さぶり、
「はい おしっこしなさい しぃー しぃー しぃー」
と、小さい子が野外で親に抱えられて排尿をする真似をさせられました。
その時は嫌だという感じをちゃんと表に出して「やめてよ」と何度か言ったので、
父親は「ちぇっ、遊んでやってるのにさ」という感じで止めていました。
それでも1回で終わらず、これも複数回されたと思います。
・裸をじっと見られる
中学生の頃です
お風呂から上がると脱衣所の扉が開いており、
その向こうに2階に上がろうとしていた父親がいました。
ノレンでお互いの顔は見えず、私が慌てて扉を閉めるまで立ち去ろうともせず、
じぃっと無言でこちらの裸を見ていました。
次の日の朝も、この事に対するコメントもなく、
じめっとした気持ち悪さだけが残りました。
・川の上での脅し
小学校3〜4年の頃です
家族で川に遊びに行きました。
私が何をしたのか忘れましたが、父親が怒り、私を抱きかかえて、
私の足のつかない、流れの速い川の中央付近に連れていきました。
そして「そんな事したら、この川に放り出すぞ、わかったか、反省したか?」
と言いました。
投げ出されたら確実に溺れてしまうような川の流れで、私は怖くなりました。
泣いたかどうかは覚えていません。
また、父親の肌と直接擦れ合っていることが気持ち悪かったです。
それと対岸で魚釣りをしている人が距離的に近かったので、
怒られている事を、というより、
父親に抱えられて気持ち悪い居心地でいるのを見られていることに、
恥ずかしさを覚えました。
これは、父親は怒りにまかせてというよりは、
小さな子が自分の力の下に組み敷かれて泣いているという姿を、
ただ見たかっただけなのではないでしょうか。
「反省しろ」という言葉の中に含まれる怒気が、
中途半端なように当時も今も思いました。
父親は、自分の力の誇示+物理的な腕力でもって、いたぶり、
泣いて悲鳴を上げている姿を見て満足を覚える、
というレイプ犯の心理のようなものを持っていると思います。
ただし性的な事と関連付けて攻撃する対象は、小さい子に限ります。
小学校高学年頃からは性的いたずら、というものはなくなっていったと思います。
殴るなどの暴力は中3までです。それ以後パタっと止みました
・力の誇示
腕相撲やプロレスごっこでは絶対に子供を負かせ切ります。
そして「もうやめて」と子供が叫び苦しんでバタバタするまで圧力をかけ続けます。
そして「やめてと言え」「ごめんなさいと言え、言わないとやめんぞ」
と強制することも度々でした。
悔しかったし、むかつきました。
大きくなって力が付いたらこいつ(父親)を絶対負かしてやる、と思いました。
私は上から頭ごなしとか、頭を押さえつけられるのが大嫌いです。
仕事上のことであっても、命令や指示に抵抗がありました。
ムカッと頭に血が上る時もあります。
今では、指示は指示として聞き入れられるようになりました。
ただ、そこに軽蔑や見下しが入ってるなと自分が感じた時はまだむかつきます。
精神的な否定+物理的な力で組み敷かれた怒り、
という2つのトラウマが重なっているのだと思います。
・子供をバカにする
宿題で計算間違いした時など、
「バカだな〜」「ちっがいまーす」等、
笑いを交えて楽しそうに何度も言います。
冗談で言っているようですが、
その中に本当に馬鹿にしている・蔑んでいる・せせら笑っている、
という響きが明らかに感じ取れます。
やめろといっても、本人は冗談のつもりで言っているらしく取り合いません。
顔を歪めたくなるような、モヤっとした不快感だけが残ります。
・言い負かし
子「○○って言ったのにー」 親「言ってません」
子「○○って言ったじゃなーい」 親「言ってませーん」
言ってませーん、ダメですぅぅ、ちがいまーす等
断定的な否定の返答を、子供が黙ってしまうまで繰り返します。
言っている時の親の表情は、目をむき口はニヤっと笑い、
気持ち悪い顔をしています。
上の二つは父親がやっていましたが、
最近は、母親も姉の子供に対してするようになりました。
夫婦で伝染しているようです。
父親に関しては今のところ以上です
*********
<母親>
・返答のまず一言目は否定調です。
母親に、ランチに行きたいのでいい店はないかと尋ねられ、
後日ネットで探して教えに行くと、
「そこはだめ。油ものが多いから。お母さんは食べるものがない」と言います。
会話をしていて、こちらが何かの意見を言うと、一言めは、
「そうかぁ?」「それはだめだわ」「それは違う」などの、
否定で始まることが圧倒的に多いです。
また、小学生の時、姉の誕生日会を家族で開きました。
私は出し物として賞金1円や10円のクジを作りました。
お祭りの屋台のクジをイメージして楽しくしようと思ったのに
親に「なーんだそれは」と鼻で笑われ、軽くあしらわれました。
私は笑って適当にごまかし、クジの進行をしながら、
「あぁ、私は面白くできないんだなぁ」と、少し悲しくなりました。
親達は私を傷つけるつもりで言ったのではないと思います。
けれど、こういった軽い否定、
軽いけれど、否定、否定、否定、が日常的に繰り返された事により、
「そうか、私の言うことはいつも、ダメなんだ」と
無意識下に刻み付けられていったのだと思います。
桜の間の記事にあった、
「否定が繰り返されると何がダメで何が良いのか分別がつかなくなり、
私そのものがダメという全面的な自己否定になる」、という内容そのものです。
強い自己否定の大本はこれだ、と記事を読んで気が付きました。
・否定がスタンダード
母親は独身時代は幼稚園の先生をしていました。
子供好きで世話好き、他人に対しては、明るくてやさしく振舞う性格です。
口調もそんな明るい感じなので、つい聞き逃していましたが、
(上の否定の返事もそうです)
会話の内容のほとんどが、
テレビのニュースや人に聞いた話、自分の生活一般に関する事、
それらへの批判や否定で出来ていました。
父親は家では無口というほどではありませんが、おしゃべりは苦手でした。
母親が家庭内でのムードメーカーでした。
その母親の批判・否定癖が、私の思考方針になりました。
私は人と話している時、
「そうなんだぁ」「私もそう思う」「うんうん」といった
わかりやすい肯定の相づちを打つ人が苦手でした。
本心はそう思っていないくせに、
ヘラヘラ相手に合わせているだけの嘘つきめ、信用ならないぞ、
と思い、かまえの姿勢をとっていました。
それは私の家庭内での、否定が普通、否定がスタンダード、
があったからだと思います。
母は昔の職業上か、家でも褒める育児をしていました。
私がお手伝いをしたら「あら、ありがとう」とすぐにお礼を言いました。
何の根拠もなく「あなたはできる子やから大丈夫」と言いました。
私の存在を尊重するようなことも、してくれた・言ってくれたと思います。
だから私は母親が大好きだったし、ワガママも言いたい放題で、
甘えていました。
ですが、「普段の否定の量」が、あまりにも多すぎました。
「否定という大地の上に肯定の花が咲いている」といった感じでした。
・価値観の刷り込み
母親自身の価値観や否定的物事を、何度も何度も言ってきます。
「昼間からお父さんの働いたお金で主婦仲間でランチなんてできないわ」
「昔は出かけたときに喫茶店で休憩なんてさせてもらえなかったわよ」 等です。
これらはそのままそういうものだとして、私の価値観になりました。
私も数年前までは、主婦は外出しないもの、
茶髪やきれいに着飾っている主婦は不良主婦、外食はいけないもの、
出来合いのお惣菜を食卓に出すのは失格主婦のやること、など、
ヘンテコな思い込みがありました。
人の為になることをしなければならない、という悪しき定石もありました。
私も絵を描く仕事に就きたいけれど、
それは自分のやりたい事だけするワガママであり、
すべきじゃないというブレーキの1つになりました。
<父親と母親>
母親は社交的でしたが、父親はフレンドリーとは、ほど遠い人でした。
町内会の集まりなども「いかない」と敬遠していました。
仕事でのストレスが多く、家庭内で仕事の話は一切しませんでした。
会社から憤怒の表情で帰宅し、母親と姉妹で息を殺している時もありました。
両親とも、それぞれの知り合いと外出したりという事はありませんでした。
そういえばこの夫婦が他人と交流しているのをあまり見たことがありません。
父親は夫婦内、家庭内に引きこもっているという見方もできると思います。
そして、私も他人というのは避けるもので、
非社交性が普通の状態であると思ってしまったのだと思います。
私のコミュニケーション能力のなさは、これが基礎になったのかもしれません。
書きながらそう思いました。
父親に対して母親は絶対服従でした。
お父さんが働いているから私たちは生活できるんだよ、といつも言っていました。
私が殴られたり、何かされていても母は、見て見ぬふりでした。
父親を恐れて何も言えないというより、
従順な態度でいることが妻の役割と思っている風でした。
私も、父親に逆らうという事は(力で屈服されているのもあり)
思ってもみないことでした。
私の目上の人間(先生や年齢の上の人)に対してのへり下り癖も、
これが関係していると思います。
父親も、母親がそんな姿勢なので子供の前で母親を殴る、
ということはありませんでしたが、
私にたいしての暴力はあったので、母親が反抗的な態度をとることがあれば、
暴力をふるうことは十分ありえたと思います。
暴力で家庭崩壊や離婚の可能性のある家庭だったと思います。
母親もそれがわかっていたと思いますし、
私もこの家は母親で保たれているなと中学生頃から感じていました。
そして、母親側の家庭も似たような感じだったようです。
祖父祖母は数年前になくなりましたが、
祖父はこうと言ったら聞く耳を持たず、
やる事なす事絶対で、家族はそれに従っていたそうです。
人は暴力に触れると、抵抗できるかできないかで、怒りか諦めが発生するように思います。
祖母の目の中にも諦めがあったように思えます。
祖父母とも存命の頃は、祖母は祖父に絶対的に従い、依存も見られました。
一番下の次男は祖父に反抗して何年か家を出ていたそうです。
そんな家庭で育ち、
母親は、妻は夫に付き従うのが当然と刷り込まれたのだと思います。
そしてそれが家庭を保つ鍵だと目に映ったのかもしれません。
本当は嫌だったと思いますが、
娘として妻として家庭という体面を保ち、生き残るには、
妥協案に自分を明け渡すしかなかったんだと思います。
だから自分というものがなく、
いまの自分の家庭でも夫に依存し服従しています。
その依存の態度は、祖母の祖父に対するものとそっくりです。
母親の否定のもの言いや価値観の押しつけも、
代理復讐もあると思いますが、
単純に子供時代に受け入れてもらえなかった自分の意見を、
「ねぇねぇ聞いて聞いて!私こう思うの!こんな風に考えたよ!」
という、聞いてほしい、自由に発言したい、という欲求からではないのかと思います。
今現在は、母の否定的物言いを、私が相手にしなかったり拒否したりすると、
それ以上は強く言ってきません。
父親側の家庭は、前の報告にも書いた通り、昔ながらの大家族でした。
詳しい話を聞いたことはありませんが、
その兄弟を見ていたら、もうどんな家庭だったかは「お察し」です。
兄弟同士でのいがみ合い、人を見下す、バカにする、嘘をつく、
二面性がありすぎる等、父方の親戚とはあまり関わりたくありません。
躾という名の暴力はあったと聞いたような気がします。かなり激しかったようです。
父親は、自分を持ち上げ、敬い、服従する女を選び、
母親は、自分の処世術を発揮できるような、
短気で陰湿な暴力癖のある男を選んだのだと思います。
<姉>
姉については、特にトラウマ関連の記憶はありません。
もちろん、おもちゃの取り合いのケンカやなどはありましたが、
そこに親の不平等な取扱いがあったとか、そんな感じはなかったように思います。
姉の手の込んだいやがらせや親にたいするチクリなどもなかったように思います。
逆に、私と親との関連から、姉にトラウマが発生していると思います。
姉の自分の子供に対する叱り方が、だれが見てもきついのです。
甥が何年か前、姉に向かって
「ママは妹が好きで、パパは僕が好きやねんな」と言ったそうです。
男の子だから特に親の言う事を聞かないのでしょうが、それにしてもなぁと。
私も、両親も、旦那さん側の親も、
姉の叱り方のキツさにみんな首を傾げています。
立派な毒親になってしまってます。
姉は社交的で人当りもよく、友達もそこそこいて、
私は学生時代、私もあんな社交性があったらなーと羨ましかったです。
それが親になってからこんなきつい面がでてくるとは意外でした。
「ちゃんとしろ!努力しろ!」という強迫観念みたいなものを持っているようです。
子供の頃、私が無条件で親に甘えてかまってもらっているのを見て、
姉は「努力して何かを成しえて、親に認めてもらおうとしたのか」
と推測しています。
自分の事でないので、はっきりとはわかりませんが。
続く
__________________________
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(481 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -