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[484]
■
★分割自我復元★その484■ 優越感と劣等感の同時形成 ■
by:
鈴木崩残
2015/08/18(Tue)07:40:00
報告から
■自我復元の報告から一部編集したものです。
*********
崩残様
お世話になっております。
暑さは少しゆるんでは来ておりますが、まだまだ残暑は続きます。
暑さの影響でお疲れではと思い恐縮ではありますが、
報告文を送らせていただきます。
よろしくお願いいたします。
前回報告では浮ついた部分が気になり、
夏休みを利用してその部分を排除して、
トラウマ堀を徹底してやりたいと思いました。
朱いはがねさんの合宿を参考にして、
関心地図も合わせて行おうと決意しました。
前半4日で1日仕事をして、後半4日の8日間の行程でトラウマ堀を行い。
関心地図は1日3回以上、基本1時間行うことにしました。
以下報告です。
前回の報告文で詰め切れていない自己犠牲について掘り下げたい。
他者の不安や屈折を取り除き楽にしてあげて、
それによって自分も楽になりたいと云う衝動と思考がある、
これに突き動かされてきたのが、私の思考のパターンです。
それが、友人にも恋愛にも仕事にも反映される。
好きとか嫌いとかは置いておいて、まず、気になる対象からの求めが先行する。
「あたしを見て、問題があるでしょう、何とかして」
この求めに反応してしまう。
前回報告文の女性への反応がまさにこれですし、
妻と恋愛状態になる切掛けも同じです。
それは相手の寂しさや不安、苦の解消です。
そして解決方法を考えて実行する。または、その努力をする。
すると相手は喜び、自分も嬉しくなる。
すると、相手は次々に求めてくる、するとさらに嬉しくなってきて、
相手に対応している自分が好きになってくる。
「僕って、いいヤツだ」、「僕って偉いんだ」が本音。
この本音を大人になって「人の喜びを我が喜びに感じる」
という価値観に刷り変えた。
この価値観の原点は、他にあるような気もするが、
形成れたのは、弟との関係性からだ。
物心ついて「仲良くしなさい!」この言葉は、母に常に言われた言葉、
父からは「お前が弟の面倒を見ろ」とよく言われた。
でも、そんなこと言われても弟とは絶えず喧嘩していた。
友達と遊ぼうとすれば弟はついて来て足でまといになる。
おもちゃで遊ぼうとすれば一番新しい興味があるものが取り合いになる。
小学校低学年の時の記憶を思い出した。
私は電池でエンジンが光り点滅するブリキの旅客機で遊んでいた。
弟は横で人気があったプラレールで遊んでいる。
鉄道模型の簡単なもの、デフォルメされた新幹線が電池で走るおもちゃです。
弟はレールを組み替え新幹線に向かって話しかけて、走らせている。
楽しそうに没頭しているのを見てプラレールの方に興味が沸いてきた。
ブリキの旅客機はカッコいいが、なんか物足りないと思えてきた。
それより、レールを組み替えて遊ぶ方が楽しそうだ。
でもおもちゃを買ってもらう時に心の中でプラレールを馬鹿にしていた。
「小さな子のおもちゃだ」そう思った。
プラレールで遊びたい気持ちがあるのは、
幼い子に逆戻りする感じがして、少し不安になるし、それにカッコ悪い。
あの時、僕は「本物っぽい旅客機がいい」そう思い気に入って買ってもらった。
だけど、今は、あきた。
弟のプラレールで遊びたくなってウズウズしてきた。
気がつけばレールの組み替えを手伝だっていて楽しいし、
レールの組み替えを手伝いえて嬉しかった。
だがその中に「僕の方がもっと上手に組める」という優越感がある。
もしかしたら、
最初から手伝うフリをして本当はプラレールを弟から奪おうとしたのか。
だとしたら自己犠牲というフリをして、
目的を達成しようとするACはすでに居たことになる。
しばらくすると、弟のレールの組み替え方が気に入らなくなって、
思うようにやりたくなってきた。
僕は「ちがうよ、ここは、ここにつなげよう」あーしろこーしろ言い始めた。
弟は、せっかく一人で楽しく遊んでいたのに、
僕からあーしろこーしろ言われて楽しくなくなり不満顔だ。
自分もなんか楽しくなくなって遊びが投げやりになる。
弟が怒りだしたが何を言っていたかは思い出せない。
僕も怒りだして、プラレールを奪っていた。
弟は泣きだして騒いでいる。
もう何にも楽しくないが感じた楽しさを追い求めて、
意地になってプラレールで遊んでいる。
母が来て「仲良くしなさい!」と怒鳴っている。
私は、母に言い訳をしながら「悪いのは僕だ」と自覚していた。
でも母に対して自分の非を素直に認める気にはならなかった。
何故なら母の言い分は正しいと感じたが、母の人格に正義を感じていないからだ。
でも、弟に「ごめん」と謝った。感じるのは屈折と屈辱だ。
もし、信頼し好きな叔父に怒られていたら、素直に認め弟に謝っていた。
だって、その方がよっぽどスッキリした気持ちになれると分かっているからだ。
叔父は怒る時は怒った、その怒りには父や母から感じる陰湿さはなかった。
乾いている怒りだ。
だから叔父の怒りの理由を受け入れ謝ると、
その後はあっけらかんとした気持ちになれた。何も後に残らないのだ。
そして褒める時は褒めてくれた。
何かを買ってくれる時や楽しいことをするときは、
両親の様に「しみったれた」恩着せがましいことなど言わないで、
ただ、買ってくれたし、ただ、楽しませてくれた。
叔父に対して公平さを感じた。
細かいことを気にしないサッパリとした力強さがあって、
叔父は繊細で僕の気持ちを分かってくれているから言いたいことが言えた。
だから、接していると自分らしさを感じて気持ちがすっきりする。好きだった。
母や父に怒られると捻くれ言い訳ばかりするのかと言うと、
両親の言っていることには納得いかないことがたくさんあるからだし、
両親の自分勝手さに気が付いているからだ。
僕は自分勝手でいい加減な母の言うことを聞きたくないと思った。
でも弟に対する罪悪感は残った。
この母に対する拒否反応が屈折と感じたのだし、
弟に対する罪悪感が屈辱だったのだ。
夜、父が酒を飲みながら母と話をしている。
僕と弟はテレビを見ているが、
父に「もう寝ろ」といわれて、しぶしぶ寝る。
布団に入っても父と母の話声は良く聞こえた。
父は酔っぱらって会社の上司の悪口を言っているのが分かる。
いつもの名前だし何度もあったことがある人だからだ。
その人と会うと父や母の悪口を思い出し、
その人からは悪い感じはしないが嫌な気分になり、その人の事は避けた。
だが父も母も、その人の前では「へいこら」している。
父は酔っぱらって、
その人の事を「バカ」だとか「偉そう」とか「どうしようもねぇ」と言う。
父の悪口は、それはそれで嫌だったが、もっと嫌だったのは母の合いの手だ。
「○○って、ホントに、どう〜しょうもないねぇ〜」腹の底から絞り出すように言う。
物凄く意地が悪くいう、母のその言い方。思い出しただけでゾッとする。
父は母に合いの手を入れられ、けしかけられて嬉しいのか声が大きくなる。
母の言い方は、心から相手の不幸を願っているのを感じさせた。
それも、母は父を通して人の不幸を願っている。
自分では直接言わない、常に大げさにけしかけるだけだ。
「もう聞きたくない」と思った。
母は大げさに話をする。悪口でも何でも。
中学入学前に引っ越して学区が変わってしまい。
小学校の友達とは別れ、知り合いのいない中学に入学した。
元いた学区の中学校は市内で有名な荒れた学校だったのだが、
そんなことは僕には関係ないと思っていた。
小学校では仲間外れにされたり、嫌なことを言われたりしたことはあったが、
心から嫌いな友達はいなかったし、怖くなるようないじめはなかった。
不良っぽい同級生もいたけど話ができないとかではなかった。
話してみると、優しい。
彼の家はとても貧乏で身なりもあまりきれいとはいえなかった。
だからみんなに差別されていた。
その反発で強がって少し乱暴にふるまっていた。
それは彼にとっても僕にとっても寂しいことだった。
でも、入った中学の先生達は違った。
その先生たちの中に母に繋がる知り合いがいて、
その人づてに忠告されたそうだ「要注意の生徒」となっている。僕が。
それを、母は深刻な表情と口調で言った、気をつけなさい!
人の悪口を言う時と全く同じ口調だ。
母に言われた時、心からゾッとした胸からお腹が硬くなり縮み冷えて行く。
自分の全く知らないところで、
知らない人達の監視の目があるなんて、
しかも僕に対して悪意があるなんて、
そんなことが自分に起きるなんて想像もしていなかった。
だから、登校するのが嫌になった。ただでさえ友達がいないから、
元の学区の中学校に転校したいと思った。
その学校は校則が厳しくて「白のソックス」しか認められていなかった。
でも、母が買ってくれたソックスは色がついていた、淡いブルーだ。
僕は気に入っていたし校則の意味が分からなかったから、
ブルーのソックスを履いて登校していた。
それを担任にみつかり怒こられた。そのソックスは履いて来ては駄目です。
その担任の指摘は母からの注意喚起のすぐ後だったから、ドキッとした。
家に帰り、母にソックスの事を言って、
すぐに白いソックスを買ってくれと頼んだが、
面倒くさそうに、白は何枚かあるでしょうといって、
真剣には人の話を聞いてはくれない。
だから、その後もブルーのソックスを履いて登校した。
担任にみつかる時もあったが、見つからない時もあった。
でも、どちらにしても落着きはしないし、
お気に入りだったブルーのソックスは嫌なものに変化した。
ソックスのことで担任に怒られるたびに、
「要注意生徒」という事実無根なレッテルが自分に貼られる気がした。
それは嫌なことだし持たなくてもいい劣等感を持つようになった。
母は私からの頼みはだいぶ経ってからかなえてくれた。
ホッとしたと同時に母に対する憎しみが沸いた。
なぜもっと早く白いソックスを買ってくれなかったのか!
さんざん担任から嫌な思いをさせられたじゃないか!
その時は、それで忘れようとした。
でも「要注意生徒」というレッテルは自分で自分に貼ってしまった。
そして小学校の友達に対して偏見が出来た。
小学校の時はみんなふつうだったけど今頃は不良になっているのか?
不良になっちゃうのか?みんなの顔を思い浮かべながら、
みんなが「悪い」なんて、そんなのは信じられないと思った。
でも僕はそうはならないと自分にいっていた。
僕は小学校の友達とは違うんだと、自分に言い聞かせていたのだ。
みんなと自分の間に線引きをした自分が嫌いになる気分がした。
母が私に対して注意喚起したことの意識の中には悪意がある。
もし、本当に私の事を思っていたならば、
注意喚起した後に元気づけてくれたと思う。
私だったらこう言う。
「そんなことは気にしないでいいのよ。
あなたは好きなことを好きなようにやればいい。
ただし誰かに迷惑かけることはしないように。
でも人間は間違えるし失敗もする。
その時は素直に謝り勇気を持って修正しなさい。
あなたの気持があればあなたは直せるのよ。
だから明日も元気で学校に行ってらっしゃい」
だが母はそんなことは言わなかったし白いソックスもなかなか買わなかった。
だいぶ経って元の学区の中学校で学級崩壊があってワイドショウのネタになった。
母は「あなたは、あの中学校に行ってなくて良かったね」
いつもの深刻な口調で言っていた。
小学校の友達の名前を出して「大丈夫かね」とさも心配ぶっていってはいたが、
その口調はいつもの悪口や噂話をする時の大げさな口調だった。
私はその事件に巻き込まれないでホッとはしたが、
いつもの口調で母の話を聞くこと自体が、
友達を裏切っているような感覚をもった。
自分は安全圏にいて人の悪口を言う感覚だ。
見下しているような嫌な感覚・・・差別している。その優越感だ。
人の悪口を大げさに言い傷口を作り広げ、
起きた問題に対応しようとせず、わざと放置して悪化させ劣等感を植え込み、
さらに良き思い出に影を落とさせる。
この記憶は母のことが嫌いになっただけだと思ったが違う。
要らない劣等感を持たせるように誘導し、
小学校の友達に対する偏見を持たせ友達を裏切り罪悪感や優越感に誘導した。
これは母の責任だけではないが、私が屈折を生むのを意図したのは確実だ。
つまり、要注意生徒という認識によって劣等感を持たせる。これが発端。
次に、白いソックスを与えない様にして劣等感を何度も認識させる。
しかも自分では直接動かないで担任を使う。
父の悪口に合いの手を入れて煽っていた母の姿がだぶる。
これは七人兄妹の一番上の長女として兄弟を仕切って得た戦略だ。
口は出すが自分では絶対に動かない。叔父や叔母達が言っていたのを思い出す。
「お姉さんは口だけで、何もしない」同感する。
そして事件が起き友達を心配するフリをして見下すような言い方をする。
私は母の物言いが気に入らないが、ホッとしたことは事実だ。
自分は大丈夫だという変な安堵感がある。これが優越感につながる。
良い学校にいる自分、悪い学校にいる友達、
だから自分は問題ない大丈夫だ。上位だという納得の仕方だ。
そこに所属している人達をろくな検証(一部の事実が分かっていたにしても)をしないで、
善悪という価値観でひとくくりにして判断していた。
これは明らかに人種差別と同じ思考パターンだ。
私はこのワイドショウのネタと母の見下しのこもった友達への心配を、
要注意生徒という劣等感に怯え疎外感を味わっていた、
それを払しょくするチャンスだと飛びついたのだ。
自分と友達との間に線引きして裏切ったような感覚も払しょくできたと思った。
母は私の心が屈折するどんなチャンスも絶対に逃さない。
全てを有効に利用するのだ。それが分かった。
こうして劣等感と優越感が交互に積み重なってゆく、罪悪感もだ。
両親は、おもちゃを買い与える時は差をつけた。
もちろん自分も弟も欲しいもの興味のあるものはそれぞれ違う。
だから同じものを買ってもらった事は無く別々のものを買う。
でも値段の差をつけた。
兄である私には、少しだけ高いもの、弟には少しだけ安いもの。
これが後々喧嘩のタネになったりした。
「お兄ちゃんは、いつも高いものを買ってもらえる!」
大した差ではないが、その頃の感覚では大きく違うのだ。
だって、おもちゃはめったに買ってもらえないものだったからだ。
おもちゃを買ってもらうのは、親とかなり前から約束する。
気前よく、突然買ってくれることなどなかった。
だから毎日その事を考えるだけで嬉しくなった。
同時に、親から受けた裏切りの体験から、
もしかしたら親の気が変わって買わないと言い出すかもしれない。
この、不安を微かに感じ続けているから、さらに思い入れが強くなってゆくのだ。
だから少しだけだが安いものを買い与えられた弟は、
強く損をした気持ちになり嬉しさの中に悔しさや怒りがあったと思う。
後日何かの切掛けでその怒りを解消しようと食ってかかって来た。
私は兄としての特権だという優越感があって、
弟の怒りをまともには取り合わない。弟の怒りをもてあそんでいたのだ。
だから小さな罪悪感があったし、
いい気分ではなかったが変な安堵感があった。
ここに優越感と劣等感を増幅する装置がある。
何故なら「兄の方が得をする」と思ったし、
「僕が弟じゃなくて良かった」と思ったから、
そして弟は「何でお兄ちゃんばっかり」と怒ったからだ。
思い出した。おもちゃだけではなかった。
消しゴムや、鉛筆や、筆箱や、ノートや、色んなものに差をつけていた。
僕は大人っぽいもの弟は子供っぽいもの、当然、値段の差がある。
鉛筆でさえ私はひとランク上のものを要求した。
当時は珍しかった頭が丸まったユニという鉛筆だった。
学校で持っている友達がいて欲しくなって、
塾に通うのを条件に買ってもらった。
ここで感じたのは持っていない友達や弟に対する優越感。
その優越感の反作用である弱い罪悪感があったと感じる。
弟は持っていない劣等感を感じてそれを解消したいから、
「僕にもちょうだいよ」といったはずだ、
でも意地悪して最初はあげなかったと思う。
日々、優越感と劣等感と罪悪感の積み重ねがあったのだ。
五歳の頃に見た弟の離乳の記憶。
弟は乳離れが遅くて母の乳房を三歳位になるまで求めた。
母はその弟の求めを嫌がった。
いつまでもお乳を求めるのは発育に良くないと言う意味の言葉。
憶えているのは、「だから、お前はおねしょが治らない」
と言う母や父の怒りとおねしょ布団を干す光景だ。
そうやって怒られても弟は母の乳をまさぐり求めて泣いたりしていた。
思い出すのは、
母は乳首に七味唐辛子をふりかけて弟に吸わせた光景だ。
母が何か言いながら乳首に七味を振り掛けている。言い訳だと思う。
乳首には七味が付いているのが見え、
乳首を弟が安堵し嬉しそうに舐めようとする表情が見えた。
弟が舐めてどんな反応をしたのかはハッキリと憶えていないが、
泣いていた。
私はその光景を見て嫌だったし「僕じゃなくて良かった」と思った。
酷いのは、母が弟に酷い事をするのを見て怖いと感じたが、
普段から両親が弟に対して怒っているので、
怖い事されても仕方がないと思うことにしたことだ。
母の行為を正当化し迎合するために、母の言っていることを受け入れたことだ。
嫌なことをされている「弟と僕は違う」という言い訳があった。
だって「もう大きいのに赤ちゃんのようで乳離れがおそいのが悪い」からだ。
そう思い。弟に対して母親に植え付けられた優越感で自分は助かろうとした。
でも心には嫌なものが残った。
母に「弟に酷いことしないで」と言えなかった罪悪感。
子供の頃、大人のすることで酷いこことは酷いと分かっていた。
子供は、決して親の人間性に対して判断がつかないなんてない。
鈍感なんかじゃない。
分かっている自分の親がどんな親だか。
中略
恥ずかしいことに彼氏のいる彼女との性行為を妄想している、自己嫌悪する。
だが彼女に対する性的妄想は、
今まで散々してしまっているから現実感を生み、
彼女をパートナーとしたいとさらに妄想する。
だが彼女は彼のパートナーである。
だから彼に対する「嫉妬」に繋がる。
その「嫉妬」は公私混同している自分がいるのを分からせる。
その自分が恥ずかしくて罪悪感が生まれる。
その罪悪感があって贖罪の気持が出るから、
彼との間に不快があっても深く考えないで我慢して忘れ誤魔化そうする。
だが気持ち悪さを消化できない。
この気持ち悪さを消化できないで蓋をするために、
彼に好意的なことは彼女に間接的に役立つということを思いつく。
そして彼よりも優れた行動をとれば、
彼女が意識を向けている彼に対する意識を削ぎ、
その意識を私に向けることになるのではと姑息に考える。
彼女を彼から奪いたいのだ。
でも安全だと思っている妄想の中でだけだ。
現実に感情を出すのが怖いのだ。
もちろん現実に無理があるは事実だ。
ならばキッパリ断念すればいい。
それでも諦めきれないでウジウジ考え妄想する。
だから彼の考えや行動に対して不納得だが、
彼女との関係を損なわない様に彼との関係を維持しようとする。
自己犠牲という偽善で納得して蓋をするのだ。
その偽善で自分の情けなさ醜さを見ない様にしている。
思考や感情の出し方が間接的で回りくどくて最悪だ。
恩着せがましく陰湿で結果なにもしない毒親と同じだ。
自己犠牲などを持ち出す、この人格はクズだ。
この人格は必要ない。
無駄な思考を生み出す脳内おしゃべりの原因だ。
いつも脳内で言い訳しまくっているヤツはこいつだ。
中略
子供の頃は本当のことを分かっていたと思うし表現が直線的だった。
だれが本気で心配してくれているのか。
だれが心配するフリをしているのか。
だれが不幸を願い嫌なことをするのか。
子供の頃は嫌なことされたらとても傷つく。
生体反応も強いし余計な遮りもまだ殆どない。
なので、はっきり強く感情を出す。
嫌なものは嫌だし、好きなものは好きだし、
欲しいものは欲しいし、やられたらやり返すし、
優しくされたら優しくする。
感情はそう反応する。
感情は子供の頃は遥かに敏感で力強かった。
大きくなるにつれて、
怠慢な生存を目的とするAC人格が巣食い鈍感になろうとした。
なぜなら嫌いな親を無視できなかったから。
だって親の保護なしには生きて行けない。
だから親は自分を裏切らないと思いたいし信じたい。
信じなければ、どうやって安心したらいいのか分からないし、
生きればいいのか分からない。
自分の命を人質にとられていた。
親に酷いことをされれば何を信じていいか解らなくなり、
自分を捻じ曲げて親のやっていることを正当化しようする。
考えれば、母は離乳時に弟にやった酷いことを私にやった可能性は大いにあるが、
記憶がはない。でも同質の行為は行っている。
安心を与えないで痛みを与え恐怖させることはさんざんやられた。
母は、私にも弟にも十分な安心という愛情を与えないで不安定にさせた。
結果、私は心が弱く常に不安で人見知りが激しく落着きがない。
弟は乳離れが遅く夜尿症で吃音がある。
今まで私達兄弟それぞれ違う症状の様に見えていたが同じだ。
二人とも落着きがなく多動症でコミュ二ケーション障害だ。
母から否定され思いっきり感情を出して反抗し疲れ果てたところで、
母は父に告げ口し、父は自分の人生のイライラも込めて私に人殺しの恫喝を放つ。
私は生存できない恐怖を感じた。「殺される」という感覚だった。
私はその生存の恐怖を体験することで、
「親に逆らったら生きて行けない」と実感した。
しかも繰り返し実感させられた。
また母から「あんたは橋の下から拾って来た」とよく言われたが、
そんなはずないと思って聞き流してはいた。
でも繰り返し言われると耳に着き影響があるのだと思う。
母や父に裏切られ信じられなくなった時にこの言葉がよぎったからだ。
また何かをねだり、やりたいことの許可をもらう時に言われる言葉。
「金がない」「うちは貧乏だ」を必ず理由として言う。
それと悔しかったのは、
お年玉をだまし取られて欲しいものが買えなかった体験だった。
こうやってお金がなくては何もできないことを繰り返し認識させられた。
親に対する怒りから反逆して家出する事を妄想したこともある。
でもすぐにお金がなければ生きて行けないことに気づかされた。
自分ではお金が稼げないから親戚の家に逃げる。でもすぐに連れ戻される。
それに親戚の家も何日かは楽しいかもしれないが、ずっとはやっぱり嫌だな。
そんなことを考えていた。
とにかく両親以外に拠りどころなんてないことは思い知らされた。
「人見知り」周りを絶えず気にするこの視点は、
人や自然を含めて自分の周りの環境を尊重し大事にする視点ではなく、
とにかく恐れる視点だ。
恐れるという視点ばかりになると、
周り全てが敵に見えてくるから落ち着かなくて焦って不機嫌になり、
常に怒りっぽくなる。
だから勝ち負けに異常にこだわるようになるし、
周りの環境や人や自然を敬う心など無くなり、とにかく自分勝手になる。
その反動で悲しくなり寂しく無気力になり死にたくなる。
さらに怖い視点ばかりになると恐れおののきすぎて、
自己にも周囲の人や自然にも直面する事が何も出来なくなり完全に狂う。
直線的な感情を母と父は否定で反射させた。
それはとても気持ちが悪い。スッキリしないからだ。
もっと嫌なのは母や父の八つ当たりによって、
僕のものでは無い否定の感情まで受け止めさせられたことだ。
でも母や父が怖いから我慢してしまう。
それに父の恫喝によって恐れおののいていた。
僕はこの時に一時的とはいえ完全に狂っていたのだと思う。
何故って生きている気が全く失せたからだ。
我慢するとは、本当は外に向けたい感情を出さないで自分に溜めること。
それはとても嫌な感覚だ。不安や怒りがどんどん蓄積されるからだ。
そして、心はどんどん弱くなるし体にも影響が出る。
心も体も健やかになんてありえない。
結果、人目を気にする親の目を気にする自信の無い弱い心が形成される。
自分では何も決められない判断できない心だ。
だが、それでは何もできない大人になってしまう。
それは両親ともに困る。将来の利益が期待できないからだ。
それを誤魔化す為に「あんたは特別」という意識を持つように母は誘導する。
恐怖に震える孤独感を特別という意識で中和した。
病的に人を意識するAC人格の視点が生産の妨げならぬように、
「特別という意識」を植え込むことで「見下すAC人格」が生まれた。
すると優越感が生まれ、偽の自信が生まれる。
僕は特別だ!人より上に行ける!上に行きたい!
そうすれば僕は独りで生きて行ける。
思春期を迎えて自立しようともがき親に反発し始めるが、
この「見下すAC人格」は両親への反発というエネルギーで成長する。
反発は親の否定であって突き放す事ではない。
親との同化があるからだ。
そして特別という意識には基軸はない。
当然だ、親の誘導によって与えられたAC人格には基軸なんてない。
自ら発した感情からの思考ではないから基軸はない。
だから非常に不安定。
価値の判断基準は母であり父であり他者であるから、
親の価値基準という他者承認がないと何もできないからだ。
他者承認してしまうとは、
他者や自己に巣食うAC人格に判断を委ねるという意味であり、
自分で決めてないから責任を負わないし感じないということだ。
今まで自分の事や周囲で起こることの、
その問題の分析もその解消方法も本気で考えることを行ってこなかった。
他者の価値観によって分析してきただけだし、
その分析から導き出した解消方法を嫌々やっていただけだ。
自分で何も考えないし何もやらないのと同義だ。
AC人格は姑息だ。
他者承認に依存すれば、
どんなことがあっても自ら責任をとらなくて済むと思っている。
問題が発生することを警告し解決方法を提案してくれたてくれた人に、
AC人格はその解決方法をやった方がいいですか?と必ず聞く。
なぜなら、自分で判断しないようにして責任を逃れるためだ。
質問を受けた提案した人は当然やった方がいいと答える。
で、AC人格は解決方法を行ってみる。
だが物事はそう上手くはいかないから解決できない時もある。
するとAC人格は提案してくれた人に「あんたのせいだ」と平気で言う。
これを私はやってきた。
依存と逃避によって主体性を持てないで嫌な思いをさせられ続けるのは、
両親によって両親と他者の価値観を刷り込まれ、
それによって判断し選択して生きてきたことの証明であり自分が嫌になる原因だ。
同時にそれは他者に与えられた意志によって何事も行っていることになる。
自分のことなのに人の価値観を利用しないと何も達成できないからだ。
だから何をするにも自信がなくすぐに意志を失う。
トラウマ堀に失敗し続けて苦しみ、
思考の奥の奥を感じようとしたときに、
思考の奥にあると感じたのは意志だった。
苦しみを探ろうと内省すると意志は固い岩盤の様なものに突き当たった。
そこまでも届かないで意志が無いと感じる時もあった。
苦しく悔しく悲しく怖かったし、本物の意志は私には存在しないと思った。
でも子供の頃の僕には本物の意志は存在していた。
やりたいことも欲しいものも明確に明晰に感じたし、やろうとした。
人の意志を借りるから自分のやりたいことが解らないし出来ない。
同時に人の分まで責任を背負うことになる。
借り物の意志は本やテレビや映画や格言から仕入れることが出来る。
原因は、母と父から否定によって感情を押し込められ自信を失い、
そこに母と父の価値観をねじ込まれ、それを指針として受け入れてきたことにある。
両親のAC人格の価値観を受け入れるとは、自分の意志を失うということだ。
だから、どうやっても自分で人生をコントロールしている実感がない。
常に親や他者の為に生きている感じがする原因は、これだ。
自分の意志を見つけるとは感情を出すことから始まると思う。
お腹が空いた何か食べたい、これは感覚と感情。
カレーが食べたい、これが意志だと思う。
思考は、自分で作るか食べにゆくか考える。
兄弟間の話に戻します。
弟と私のトラウマ構造も症状も同じ。
放置すれば理解し合い共同で解消方法を見つけだすかもしれない。
それに、それではあまり対立が起きないから不安や苦が起きにくい。
そこで母は兄弟を対立させるために格差を生じさせる。
方法は、一番立場の弱い弟に負の部分を背負わせ格差を生じさせること。
社会でもさんざん目にする残酷な光景だ。
母はそれを無意識にやったと思っているだろうが、
母の意識の底には確実にそうしようとする意図があったはずだ。
とにかく母は優越感と劣等感を利用して、優劣、損得、善悪、苦楽、
いろんな二元的な価値観を兄弟の中に散りばめた。
結果、出来のいい兄と出来の悪い弟を演じることになる。
母は私達兄弟の思考の中に入り込んで価値観を植え込む為に、出入り口を作った。
それが劣等感と優越感。
その出入り口を維持するための罪悪感。
私は私の存在を確かなものにしてくれると誤認させる、
母や父から与えられるご褒美としての優越感を求めて弟の面倒をみる。
弟は親に馬鹿にされ劣等感に悩まされ寂しいから優しくされると嬉しい。
だから私を頼りにするが、親が私を褒めるため、
嫌いな親に褒められている私を憎む。
だって、その褒めるネタが弟を親が馬鹿にして、
劣等感を生み出したことを少しだけ解消したことのご褒美だからだ。
親が不当に弟に投げつけた汚いゴミを、
邪な理由から兄が少しだけ掃除して、
投げつけた犯人から褒められた兄は喜んでいる。
犯罪に加担していた。
弟はその不条理さに気が付いていたのだと思う。
互いに成人して酒を飲んでいたとき、
弟は寂しそうに「兄貴は優秀なのに俺は駄目だ」と言いながら、
酔って私の持ち物を乱暴に扱ったので文句をいうと、
「なにぃ〜」と父の様な人殺しの目で睨んだ。
この劣等感と憎しみは子供の頃にすでにあったはずだ。
私は自分が助かる為に弟を利用していることを認識していた。
だから弟に対し罪悪感がある。
弟も私が弟に対して罪悪感をあるのを知っていたと思う。
小学二年の時に悪夢を観た。
家の居間で、父がいて母がいて私がいる。
なぜか弟は真ん中の卓袱台に座らせられている。
母は包丁を持ってきて弟の胴を真横から切断した。
マグロの様な断面で肉は赤く骨は白く太い。
その赤身を母は刺身にして父に差出し父はその身を旨そうに食べた。
この夢を見た日、弟のことが心配で気が気でなく授業など聞いていられなかった。
学校が終わると急いで家に帰り、遊んでいる弟がいて心からホッとした。
だが変な感覚がずっと消えなかった。
自分が自分でないような宙に浮くようなとても嫌な感覚だった。
この夢を思い出すたびに同じ感覚になった。
夢で見たとおりの殺人行為が形を変えて現実に実際に行われていたからだ。
父と母と私が弟を食い物にしていた現実を夢で見せられ、
動揺したが認めなくなかったからだ。
実は夢が現実で現実と認識していることは嘘の世界だ。
この逆転が宙に浮くようなとても嫌な感覚をもたらした。
同時に感じた罪悪感だ。
私は弟に対する罪悪感があって弟の面倒を過剰にみた。
しかし自覚している動機は弟のことが可哀そうだと思ったからだ。
同時に見返りを求めない気持ちもあった。
それは良い部分しかみようとしないのもAC人格で、
その動機しか感じないように見ないようにしていたからだ。
だから自分の動機にあまり疑いを持つことも無く、
同級生と遊ぶときに弟を連れて行く。
弟が作れないプラモデルを一緒に作る。
弟に自信をつけさせる目的もあって、
一緒にボーイスカウトに入隊し弟を支え援助していた。
しかし、私はその行為を自己犠牲として捉えていた部分がある。
理由は「えらいお兄ちゃんね」と言われることに高揚していたからだ。
つまり、常に否定してくる親から肯定してもらい同時に弟から優越感を得ていた。
この二重のご褒美が欲しくて、
時にはイライラする弟の面倒を我慢しながら熱心に見るようになった。
私の捻じれ方は複雑で性質が悪いということだ。
これが私の優越感の発生装置。
弟は自分の事を夜尿症で勉強が出来なくて吃音のある駄目なヤツだと思っている。
その事で親に馬鹿にされていたし友達にも馬鹿にされていた。
弟は親に馬鹿にされながら親に依存しているのを自覚している。
だから馬鹿にされないように頑張る。
だが親が与えた劣等感が邪魔して思うように出来ないで、
さらに傷いてイライラした。これは悪循環だし自虐に繋がる。
この理由から、
弟は自分の友達といるよりも私といる方が安心だし楽しさを感じて、
私のところに戻って来る。
だが私も弟の鈍さにあーせいこうーせい言う。
つまり弟は私にも見下され馬鹿にされてしまう。
だから私に不満をぶつける。だから喧嘩もさんざんした。
でも私を頼って後を付いて回っていた。
その弟の姿を父や母は「金魚の糞」とバカにして笑っていた。
弟は私の付随物のような言い方をされ親から否定されていた。
私はこの事でも弟に対して優越感を得ていた。
このように弟は親に怒られ馬鹿にされ、
心に大きな傷をつくり劣等感を発生させていた。
これが弟の劣等感の発生装置。
こうして私と弟には優越感と劣等感の発生装置が内蔵された。
引き合い補完しながら反発し合い続ける循環システムだ。
そして時折ある互いの共感は互いの生存にとって善きものと感じた。
これも小学校2年の記憶です。
皆で集まって遊んでいると何かがきっかけで、
山に行こうと云う事になり、
速足で山道に続く坂道を上り始めた。
後ろを振り返ると弟が必死についてきているのが見え、
「おいてかないで」と叫んでいる気がする。
内側から何かが沸き上がり体が熱くなる感情があります。
弟をそのままにしてはいけない。かわいそうだと思った。
走る気力が失せ振り向くと弟は寂しそうな泣き顔。
弟の方へ歩き近づくと、兄ちゃん兄ちゃんと連呼された。
弟のホッとして嬉しそうな安堵の表情を感じ体が熱くなる。
弟の手を握り家に向かって歩きはじめた。
弟の手は暖かく柔らかくて心地よくて、しゃんとした気分です。
これが兄弟の共感を強く感じる最初の記憶です。
私は不幸があっても、
この記憶に戻れば救われる気がして大切にした。
この高揚感を自己犠牲と定義する事で偽善を誤魔化すようになる。
さらにこの記憶は兄弟愛がある兄弟という構図の根拠となり、
互いが強く同化する強力な接着剤となった。
両親は私達を虐待し、
なおかつ兄弟が互いに虐待し合うが表面上は取り繕える、
生きている限り兄弟の不幸のループが崩れない構造を作った。
そして母や父や弟が私に対して家族や社会への不満や不安を放てば、
私は基軸がなく不安定に生きているから、
弟の為や親孝行すれば何か良いことがあるだろうと根拠なく考え、
見返りを意識し過剰に生産したものを渡した。
母は家族が私から搾取する搬出口も作った。
弟が両親に対して私の様に偽善的な親孝行をしなかったのは、
両親や私からの虐待の被害者であると自覚があったからです。
また母は幼少時代を通じて大人になるまで弟を虐待した代償として、
私の弟に対する罪悪感によって開く搾取の搬出口のカギを渡していた。
最初に戻り冒頭の文を引用します。
>他者の不安や屈折を取り除き楽にしてあげて、
>それによって自分も楽になりたいと云う衝動と思考がある、
>これに突き動かされてきたのが、私の思考のパターンです。
私は、母のAC人格に屈し生き残る為に弟を生贄にしていた。
その酷さに気が付きながら生きてきた。
当然、弟に対する罪悪感がある。それは解消したい。
その解消できる機会があると弟に優しくした。
これを自己犠牲だと誤認した。
自分のやりたいことは苦の解消。それを弟に対して行った。
その苦の解消の見返りを高揚感として求める様になった。
これも自己犠牲だと誤認した。
いや気が付いていたが誤魔化していた。
そして冒頭の文。
>他者の不安や屈折を取り除き楽にしてあげて、
>それによって自分も楽になりたいと云う衝動と思考がある、
>これに突き動かされてきたのが、私の思考のパターンです。
となって以下の文。
>「僕って、いいヤツだ」、「僕って偉いんだ」が本音。
>この本音を大人になって「人の喜びを我が喜びに感じる」
>という価値観に刷り変えた。
こうやって誤魔化し偽善を正当化してきた。
これが私に巣食う「見下すAC人格」の自己犠牲の正体です。
母は愛情を求める私の心と弟の心を利用して、
私と弟が不幸に向かうように巧妙に恫喝と誘導を繰り返し、
母の利益の為に私の心に醜いAC人格を巣食わせ偽善を行わせた。
許せない酷い母親ですが憎しみはあまり感じません。
昨年の10月に母には電話で断交を告げてから交流がなく、
実生活で現実に意識することがあまり無くなったからだと思います。
ただ嫌な存在です。
弟とは距離をとりながら交流があって、
申し訳なかったという気持ちがあります。
このトラウマ堀をしているときに弟から電話をもらいました。
その時に思ったのは、
残っている罪悪感の影響なく話せたことと、
弟から以前より生気を感じたことを嬉しいと感じました。
最後に、今回のトラウマ堀で感じたことは、
やりきった気持ちで読みなおすと更にその先を感じてくることです。
同時に切り込みが足りていないという不満があって、
以前の様な開放感や達成感が減少していることです。
今後はさらに危機感をもって実生活で感情をだし自己表現して、
困難に直面しモチベーションを上げて、
自我復元にも実生活にも取り組まないと、
中途半端で息切れする懸念が生まれました。
自我復元は苦しく厳しいと改めて思いました。
ですからというのは変であり失礼ではありますが、
引き続き、よろしくお願いいたします。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。
澄
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