▲
控えの間
-
全館目次
- 松の間
■
BBS
- 竹の間
■
BBS
- 梅の間
■
BBS
- 桜の間
■
BBS
■
松竹梅の間:ログ表示
松の間
竹の間
梅の間
桜の間
★ 番号指定:
1ページの表示件数:
件
☆ 検索語 :
検索表示 新着から
古い方から
タイトルだけ表示
タイトルと5行
全部
「性と死のホームページ」 http://www.mumyouan.com/
.
より詳しい使い方の説明(9月11日変更)
■桜の間へようこそ■
掲示板
Title
「分割自我復元」
のサポート情報や最新報告を記載しています。
★「自我判定」や「禅書」の申し込み方法はこちらです★
【
ご依頼・ご注文の方法
】
ブラウザーの設定などの理由で最新情報が表示されない場合があります。更新ボタンやF5キーを利用してみて下さい。
[487]
■
★分割自我復元★その487■ 精神世界の40年間−その2 ■
by:
鈴木崩残
2015/08/23(Sun)08:45:48
精神世界の40年間−その2
前回からの続きです。
●1960年代あたりの精神世界というものは、まだ古典的なものでした。
チベットの死者の書や、カスタネダの本やら、各種の聖者の本、
そんなもの程度が、一般の宗教書に混じっていただけであり、
その他としては、古代神道に関するものや、ごくわずかに現代の陰謀論につながるもの。
少数の人たちは、個人的な人生の疑問への解決法としてそれらにかかわったりしました。
そして精神世界といえば、
ある意味ではチベットやヒマラヤの聖者にあこがれたりしていたのが
私よりも上の世代、つまりはヒッピーのその後の世代であり、
それらの多くが、インドの導師のおっかけとなりました。
神智学も混在していましたが、何か他人とは違う特別なことをやっている、
という思考に埋没している人たちが、ただ徘徊していただけという、
所詮、その程度の時代だったのです。
Oshoの翻訳文が最初に掲載されたのは、
本ではなくマガジンのようなもので、私が最初に見たのはそれでした。
これも約40年前のことです。
のちにそれが、めるくまーる社から「存在の詩」という書籍となりました。
●「それ以後」の時代の精神世界というのものは、次から次へと、
前回書いたような各分野で、
インパクトを与えるような書籍やテレビ番組が繰り返されました。
それらの番組のネタを支えていたのが「ムー」などの雑誌です。
当時まだ子供、あるいはそうした分野を知らなかった人たちにとっては、
聞くだけで楽しくなるような、いわば、
「子供が御伽噺を聞くような」心持ちで、相対した人たちも多いと思います。
●しかし、そうした世界を、斜にかまえて小馬鹿にして笑っていた人たちではなく、
ある程度、本気で遍歴してきた人たちは、その遍歴を一周も二周もした結果、
今、この現在の状況の中に立たされて、こう感じているはずです。
●「結局、自分のことは何も変えられなかった」
「結局、実際に役立つものは、非常に限られていたか皆無に近い」
つまり、精神世界を方々、自分で遍歴した結果、
「どれも、自分に対しては使い物にならない気がする」
のですが、同時に、
「しかし、どれもが無視できないような気がする」
というジレンマとストレスの中に追い込まれています。
●精神世界のいろいろな分野というのは、それを小馬鹿にして、
いかにも本人が、科学的(ないしは論理的)な思考力を持っているんだという、
「みみっちい自慢」をするための対象物とすることは出来ても、
それを完全には無視することは出来ない要素を持っています。
なぜならば、次のような分野は、それを認識できようが、出来まいが、
日々の生活の中で、現実感を持てようがもてまいが、
「カテゴリー」としては、たったひとつの事に収束してゆくからです。
>■超感覚的現象には何の意味があるのか?
>■転生とは何か?あるのかないのか?
>■人間とはそもそも何か?
>■異星人がもしもいるとしたら、彼らの生存理由は何なのか?
>■地球で古代にどんなことが起きて今私達はここに生きているのか?
>■未来を見てきたり未来からやってきたと称する人たちの言った未来は事実か?
>■私達の世界を牛耳るような組織が本当に地球上または外宇宙にあるのかないのか?
そして、前回の投稿で述べたように、とりわけ現在、「旬」なのが、
人類の起源について、他の次元ないしは宇宙が関係しているという話題の分野です。
ところが、古代について、あるいは地球の全歴史について、
(仮の話として)正確な歴史書が完成したとしても、
「それで、個人の生活が、どうにかなるものではなく」
また、未来の様相が分かったとしても、
「それで個人がどうにか出来るものではない」
つまり現在ブームになっている「人類の起源探し」は、
一個人としては、知ったところでそれについて何も出来ない、
ということばかりです。
●厄介な問題は、「知ってもどうにもならない、どうにも出来ない」
という問題であるにも関わらず、
「それと無関係な状態ではないばかりか、
その影響下に、さらされ続け、日々生活をしている」
ということなのです。
知識として知ってもどうにも出来ないことであるのに、
影響だけは、十分すぎるほど受けている状態のままにあります。
それをやり過ごすために、座禅をしたり瞑想をして
疑問がないフリをしたり、このままで一生大丈夫だと思い込みたい人たちが
寺や教団を経営しています。
●そして、昔であれば、導師とか指導者というのは、
(本物か偽者かは別問題としても)相当に敷居が高かったものですが、
今では、街中に、なんちゃってグル、軽薄な指導員、
スピリチュアルカウンセラーが、溢れ返っている有様です。
*********
●さて、かつて、精神世界というのは、それぞれに個別の分野として、
個々人が、それに興味を持っていたとき、
それは、より自分の世界を「広げる」かのように思えたものです。
それは、まさに「広がってゆく」ように見えたものです。
ところが、40年あるいは半世紀の時を経て、広がったものが、
今では逆に、レンズの光が集光するように、一点に絞り込まれつつあります。
●前述したような精神世界の分野というのは、
子供のとき、あるいは成人になってからであれ、
なんとなくテレビで見たり、本で読んだまま、心を躍らせ、
しかしその後、何のアフターケアもないままに、
ただただ、「よくわからない」「しかし、知るべきものである気がする」
という中途半端な不安を多くの人たちの心に残したままの結果となりました。
●しかし、それが今、ひとつの事に向かっています。
その「ひとつ」の事とは、
精神世界の分野が、心理的な娯楽や、気晴らしの対象ではなくて、
今後を、生きる上で、
自分を自分自身で支えられるかどうかという死活問題になりつつある、
ということです。
*********
●たとえば、あなたの会社が倒産したり、リストラされたり、
あるいは、生活できなくなり、自己破産したり、最悪の場合、借金に追われたとします。
実際、そうした経験をしたり、今も経験している人はいると思います。
そうした人たちにとっては、当然のこととして、
「自殺してしまったほうが楽だ」と思うほどに切羽詰ることも多いと思います。
●しかし、そこで自殺を躊躇する理由は、おおまかには次のようなものです。
>自殺は間違った選択ではないか、という漠然として宗教的倫理観
>自殺は悪いことだという社会的な思い込み
>自殺すると周囲に負け組のように思われるのが悔しい、恥ずかしい
>人生に負けたという自分の中の敗北感が嫌だから自殺しない
>家族や他人に迷惑だから自殺はやめておく
だいたいこのような「あまり根拠や理由」として説得力のない理由が、
生きるのが苦しくなったときにでも、人が自殺をしない原因です。
●しかし、それでも家族がいても、いなくても、
働きたくなくても、働かないとならない。
しかし、どうしてそんなことまでして、働くのか、仕事を探すのか?
そもそも、生きているというのは、どういう意味があるのかないのか?
その自分の存在している意味も分からずに、
生きていることに本当に意味があるのかも分からないままに、
そして、あちこちを徘徊して疑問を向けても、
確実な説明も得られないないままにされた沢山の人たちがいます。
●一方で、ただ習慣として、仕事をしていて、お金を得て、
たまに趣味で気を紛らわせたり、酒やドラッグで自分を麻痺させ、
なんとかして、「死にたい気持ちにならないように」、
物事を考えることをやめ、目の前にある雑用や仕事にすがって、
それが人生というものだと思い続けて、
社会的な正気(=別の角度から見れば完全な狂気)を保っている状態。
これが、「楽しいふり」を続けいる人たちです。
●また、一方で、そうした生活の自活にまったく切羽詰まっていない、
「親からの資金や資産」でダラダラと生きている人もまた、
人生への疑問は、決して本物になりません。本気に至りません。
そうした者が、いくら自分は悩んだんだ、と言い張っても、
それは、ただのニートのダラダラ思考と、無気力、無感動状態に留まり、
ウダウダと考えて、結局のところ、AC人格に埋没したままになるだけです。
*********
●こうした、何のために生きているのかも、自分でもよく考えたことがなく、
単に書籍の受け売りを信じているだけで、
本当には実感もしておらず、自分自身に対して明確にもしていない。
他人の言った格言を真に受けていれば、世間体も保たれるし、
間違っていないように自己暗示もかけられる、
これが毒親がやってきたことですが、
そっくり、毒親そのままをやっている人たちを私はたくさん見てきました。
●結局は、本当は自分は何も理解していない、
理解しているようなふりと、その気になっているだけ、
であるのに、今日、そして明日、そして来年を生きるためには、
「根本的な疑問」を忘れられるような「生きている意味」を、
なんとかして「捏造」または「他人の経験から借用」してゆかねばならないのが、
人間の現状です。
●少しでも考えれば、どんな人間が死んでも、
家族がいれば家族は困るかもしれませんが、長期的に見れば、
ほとんど誰も困らないことこそが真実であるのですが、
「***のために、死ねない」と呟くわけです。
つまり、「死ねない理由」を、常に言い続け、
「死ぬのは、まだだ」という理由を、探し続け、
そしてそれも見つからずに、最後には死にます。
●そうした「まだ自殺しないでおこう」という「死なない理由探し」の中に、
精神世界が位置している現状、それがこの約半世紀で起きた変化です。
かつては、精神世界とは、
「人生を他人の作った体系によって楽しませてもらうため」だったものが、
今では「自殺するかしないか」「自殺すべきか、やめるべきか」
「何が、自分の中で、それを食い止めているのか?」
ということの重要な要素になってきたということです。
>「生きているとはどういうことなのか?」
>「そもそも本当に生きているといえるのか?」
>「なぜ生きているのか?」
>「転生があるとしたら、何のために、これからも生き続けるのか?」
>「記憶や、意識や、思考や、感覚、そしてこの自分とは何なのか?」
>「人間や自分は、あるいは地球人に限らず、
> 生き物は、どのように発生して、どこへ向かうべきなのか?」
●精神世界とは、結局のところ、これに答えを出そうとすることに関する、
すべての分野のことです。
いわゆる、かつては「単なる精神世界のお話が好き」という人々の心理状態は、
今では「何が答えなのか?」「自分や人間は何なのか?」、
という「切羽詰まった疑問」に追い込まれたということです。
事実、世の中の一部には、
「スピリチュアル疲れ」になった人たち、という領域があるそうです。
■私が、この時代に生まれた理由、
そして、私が待っていたのは、まさに、今のこの状況だったのです。
つまり、人間が全身全霊で、自分の生死の意味について考える素材が、
(大雑把であっても)、その全てが出揃うこと。
その準備が整う前に生じるどんな精神世界も、
薄汚れた精神が、ACを人格満開にして、
冷笑したり、自慢したり、知ったかぶりをしたり、
他人を馬鹿にして劣等感と優越感に陥る材料でしかありません。
しかし今、ようやくそろった検討材料とは、
本当に本気になって、
「***だから自分は死なない」
あるいは
「***だから、自分は死ぬ」、
この決心に踏み切るための題材なのです。
■実は、異星人問題というものは、それに直接に関係してくるのです。
また転生の問題も、それに直接に関係してきます。
私は、「悟りなき悟り」「宗教に汚染された地球人」「分割自我復元理論」
これらの書籍の中で、何度か次のことを明記してあります。
●いわゆる宗教、つまりは信念体系、
または人が拠り所とするものが生じる理由とその種類は3つだけ。
1/古代の「神話」に由来するものがのちに宗教となった
2/「霊的現象の体験者による主張」が宗教となった
3/「なぜ」をマスターキーとして突き進む「哲学的な探求」が宗教となった
1には、古代文明と、それが変形してきた宗教への解明、研究が含まれ、
2には、臨死体験や、転生の記憶の体験談が含まれ、
3には、「無明庵」の書籍のようなものが関係します。
(実際には、3は瞑想ではなく、徹底した思考の修行です)
*********
●ちなみに、はっきり書いておきますが、
ロバートモンローは、著作の中で、暗に(読み方によっては露骨に)
「耐え難くなったら自殺して、次の生に移行するのはまったく悪くない」
という趣旨のことを、きちんと書いています。
多くの人たちは先入観から、読み落としているだけです。
彼は「ひとつの選択肢」としての自殺を、否定はしていません。
本人が納得できる理由によって決意されたものである限りは
問題は発生しないはずです。
*********
●いずれにしても、精神世界は、もはや、かつてのような、退屈しのぎの娯楽や、
酒場でのヨタ話や、カルト宗教の集会での話ではなく、
一人一人が、これからの時代に、
「生きるか死ぬか」を決める際の、非常に大きな対象となったということです。
ただし、1990年代には、その「検討材料」が、
まだ全部は、出揃ってはいなかったのです。
*********
★
.
<<-- これ以前の投稿 10件
(487 番)
これ以後の投稿 10件 -->>
桜の間 の最新投稿
全館目次
C mumyouan 当サイトのコンテンツの無断転載は著作権法により禁じられております。
- BlackVoid BBS CGI 2006.08.30 -