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[489]
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★分割自我復元★その489■ 自我復元の報告 ■
by:
鈴木崩残
2015/08/27(Thu)05:26:03
報告より
●頂いた報告の中からの抜粋となります。
崩残様
中略
私は今まで他人に沢山の要求をしてきた。
他人に要求するのが当たり前だと思ってきたから。
他人に要求するから、他人に期待してしまうんだ。
私が今までやってきたことは全て真逆だったんだ。
自分に要求すべきことを他人に要求してきた。
私を愛して欲しい、受け入れて欲しい、
理解して欲しい、幸せにして欲しい・・・、
際限の無い要求だ。
自分が自分を受け入れて理解すれば、他人の存在は必要ないんだと気付いていなかった。
会社が自分の逃げ場であることは分かっていた。
問題は、何から逃げているのかが分からなかったことだ。
ようやく、会社という所が「お前はここにいていいよ、お前が必要だ」
と言われたいがための、存在証明のための居場所だったことに気付いた。
私は他人から全く必要とされなくなるのが怖い。
父は何かというと「馬鹿じゃなかろうか」と言った。
自分と価値観が違うだけで人間や物事を切って捨てていたが、
外面が良かったので、他人からは良識人として通っているのが憎らしかった。
父の価値観は、今思えばお粗末なものだった。
男尊女卑、権威主義、学歴重視、善人であること、男は家族を養ってしかるべきだ、
一生懸命働き第三者に自分の実力を認めさせること、だ。
競争の中で勝ち組に入りたいという価値観でしかない。
勝ち組に入っていれば不安がなくて安心だと思い込んでいたのだろう。
中略
祖母の価値観もお粗末だった。
男尊女卑、良妻賢母、男を立てる、女は卑下して生きる、
無力ぶって他人に守ってもらう、女は嫁に行くべきだ、女に大学教育は必要ない、
神にすがれば何かいいことがあるに違いない、
神は私が一生懸命努力して生きているのを見てくれている、
だから私は神に幸せにしてもらうし、神に幸せしてもらう権利があるのだ
という何から何まで他力本願な思考だ。
私は一体女なのか男なのか?跡継ぎなのかそうじゃないのか?
どっちなんだろう?と思いながらやってきた。
父の価値観は私を混乱させるだけだった。
中略
**を見終わって、こう思った。
敵なんかいないんだよ、いるのは私だけ。私の敵は私だった。
私を罰する何かもいない。私の人生には誰もいなかった。
最初から最後まで誰もいなかった。いたのは私だけ。
そう思ったら、号泣した。私には誰もいなかった。
両親も親友も誰もいなかったのだ。孤独がこたえた。
でもこれが真実なんだ。私には家族も友人も誰もいなかった。
それを受け入れるしかないんだ。
中略
子供の頃、家族がやっていることを観察していた。
祖母は、家事を一生懸命にやり、家族に仕える、神棚を熱心に拝む。
両親や叔父達は仕事に行く。
この人達を見る限り、何かに仕えるのが当たり前なのだと思った。
家族に仕える、夫に仕える、親に仕える、神に仕える、
会社に仕える、仕事に仕える・・・。自分以外の何ものかに仕えている。
自分を犠牲にして仕えているから、やっている私に感謝しろ、賞賛しろ、
必要としろ、ここにいていいと認めろと相手に要求するのだ。
だから、私は神社に行って、神に私を幸せにしてくれと願うんだ。
自分を犠牲にして、あなたに仕えているじゃないですか。
だから褒美を下さいよ。そうだ、私は常にこう考えていた。
中略
誰かに・何かに仕えていると思いこんでいるから、腹が立つんだ。
自分を犠牲にしているから。
もうやめにしよう。誰にも仕えない。
この自己犠牲を求める思考がうちでは強かった。特に祖母が。
自分を犠牲にして身を粉にして働く良妻賢母の思考だ。
家族に対して、どれ程自分を犠牲に出来るかで、献身の度合いが決まる。
祖母は徹底的にやっていた。
私は他人からストイックだと言われることがあった。
自分でも自己抑制が酷いと思っていたが、原因はこれだ。
徹底的に自己犠牲を求める思考回路。
中略
この所、母がどうでもいいことを言うのにイラついてしまい、
母に当たりちらしている。
そして次に母が可哀想になり、罪悪感を感じる。
可哀想の連想で最悪なのは、
祖母の「可哀想な人間には親切にしろ」という洗脳だ。
祖母が「私は立派に自己犠牲に邁進している人間で、善人です。
私は無力で哀れで可哀想な人間なのだから、私を大事にしてください」
と哀れっぽい演技全開で周りの他人に要求しているのを、そばで見ていた。
狙い通り、祖母は電車やバスに乗れば、
親切な人からすぐに席を譲ってもらっていたし、
近所の人達からも親切にしてもらっていた。
祖母は、可哀想な演技をする自分に対して、親切にしない人間は認めなかった。
私もまんまと洗脳され、祖母と買い物に行けばせっせとカゴを持っていた。
今思えば、祖母は被害者ぶるずうずうしい人間だった。
祖母はこういう風にすれば他人から親切にしてもらえると、
どこかで学習したのだろう。それは祖母の母からかもしれない。
私は虐待の被害者だと気付いていなかったから、
自分が可哀想だとは一切感じず、他人に対して可哀想だという思いを投影していた。
私にとって、可哀想な人間は自分以外存在しない。
他人はただ可哀想な人間の演技をして、
狙い通り周りの他人の反応を得ているに過ぎないのだ。
中略
父は祖母を崇拝する一方で、虐待もしていた。
だから祖母は父のことを決して認めなかった。
私は祖母から仲間として認められていたから、
祖母は私には嫌な事は言わなかったし、父の攻撃の盾になってくれていた。
一度父の運転で、叔父と祖母と私の4人で車に乗った時、
祖母が車を降りる段になって叔父が手を貸した。
その時祖母が「**は優しいねぇ」と嫌みを言った。
即座に父がおもしろくない顔をしたのを見て、私は内心ざまあみやがれと思った。
その時は、祖母がこうやって兄弟間競争を巧みに煽っているのだと思い込んでいたが、
今思えば、これは祖母の本音で、本音であてこすっただけなのだ。
家で祖母に親切だったのは母と私だけだ。
私達女は共依存で支え合いながら、男の虐待攻撃と闘ってきた。
私が母を可哀想だと思うのは、
父に一方的に虐待されてきたのをずっと見てきたからだ。
でも、母は本当に可哀想なのか?母は父とは立派な共依存関係だった。
母は自分を「自分では何もできない、無力で無能な人間だ」と定義して生きている。
だから無力・無能ぶることで、他人に何もかも丸投げし、
他人に責任を負わせて、自分が責任をとることから逃げてきた。
この演技で十分上手いことやってきたじゃないか。
狙ってやって大成功しているのだ。
これじゃ父から虐待されても文句など言えるはずもない。
私は母から虐待されて育った。大人になってから母を虐待した。
母は責任ある仕事は全て私に丸投げしている。
母は被害者、私は加害者として共依存関係にあるのだ。
自分が被害者ぶりたければ加害者を必要とし、
加害者ぶりたければ被害者を必要とする。
自分の存在不安からの逃避と自己存在証明のために、
他人を利用し続けるAC人格に可哀想な人間などいない。
中略
AC人格を掘っていても、鬱々としていて心が晴れない。何かずっと違和感がある。
その違和感とは自己否定の感情だ。
父は理不尽な言いがかりで私を徹底的に叩いた。
父の価値観内では、既に優劣はついていて、
父が一人勝ちできる価値観しか妄信していない。
父は、この価値観のお蔭で存在不安から逃避でき、
自分は他人から求められる価値ある存在だと妄想できるのだ。
私の究極の疑問は、私はここにいてもいい存在なのか?ということだ。
家族が誰も私を受け入れなかったから。
しかし、この疑問は、他人に解答を求めることなのか?
私は、自分自身に対して、
私はここにいてもいい存在なのかと聞いたことがあったろうか?
私は母に愛されていないと気付くまで、そんな疑問を持ったことはなかった。
自分の存在が必要か不必要かなどと考えたことなどなかった。
私は、無意識・無自覚で、自分の存在が必要か不必要かを、
ずっと頭の中で考え続けているのではないだろうか。
そして、不必要だと他人から言われることを極度に恐れている。
だから、他人から否定されると烈火の如く怒る。
いつも自分が否定されないように常に言動をチェックしている。
こういう言動をしたら他人から否定されるだろう、
それは何としても避けなければ、という思考があり、
先を考えて、あらかじめ言動をチェックしている。
この必要か不必要かを迫る思考こそが、自己否定をし続ける原因だ。
私は、常に自分が他人に対して必要か不必要かを考え、自分の価値を考えている。
私はよく働く人間で、真面目だし、色々な人から信頼されている、
と繰り返し自分に言い聞かせている。
親の「〜〜なら、お前を認めてやる」には、存在不安のある人間なら誰でも飛びつく。
認めてもらえれば、不必要と言われなくても済むから。
自己否定の思考のせいで、
生きていることは楽しいことだという感覚はなくなってしまった。
心底ほっとしたことは一度もない。安心感を感じたことも一度もない。
中略
母が「そろそろまた考えてみたら・・・」と性懲りもなく言ったので、
「いい加減、もういいでしょう。私に結婚しろと命令しないで下さい」
と毅然と言い返すと、母が「はい」と言った。
その後、なぜ結婚の事を蒸し返したのか理由を聞くと、
「結婚するのが普通だから」と言った。
呆れて物が言えなかったが、
「未来にもし結婚してもいいと思う人が現われて結婚する事があるとしたら、
結婚するかどうかはあなたが決めるんじゃない。
私が自分で決める。結婚するかしないかは、私が自分で決めるんだ」とはっきり言った。
不思議だったのは、私が自分で決める、結婚するかしないかは自分で決める、
と言った時に、声が震えたことだ。
私が自分で決めると親に向かって言うことが、これ程怖いことだとは思わなかった。
母に言っても無駄なのは分かっているが、言うべきことははっきりと言っておきたい。
それがたとえ自己満足でも。
母にイラッとする。普通の会話はどうでもいいことばかりで、返事をする気にもなれない。
お互い気が合わないなら合わないで仕方がない。
毎日大喧嘩したっていいはずだ。
そもそも母と仲良く暮らす必要なんかないのだ。
漠然と家族だから仲良くしなければと思い込んでいるだけだ。
そういえば私が小さい頃も、表面上は穏やかに暮らしていたが、
実際には仲の良い人達なんかいなかった。
だからこそ本やドラマにあるような幸せな家族に憧れていたのだ。
母の、私や父や両方の祖父母に愛されているという妄想にはうんざりする。
そのせいで、私が真剣に何を言っても本当の母には一言も届かないし、
私に価値観を押し付けるのを止めない。一緒にいて虚しい。
いまだに私は母に希望を持っているのだ。
母が変わってくれないだろうかと。
私はまだ母を変えたいと思っているからダメなんだ。
私は、幼稚園に入って初めて自分がダメ人間だと分かってから、常に自信がなかった。
でも、他人から「弟がいたらよかったのに」と言われないためには、
私は優秀な人間でいなければならないと固く思い込んでいた。
私の存在証明は、他人から常に優秀だと褒められる存在でなければならない、
ということだ。
そのために祖母と父の価値観を踏襲し、祖母と父から評価されなければならなかった。
その価値観には矛盾もあったが、物差しがなければ点数化できないから、
嫌々受け入れて努力してきた。
優秀だという結果を早く出せと常に言われた。
もううんざりだった。
泣きたかったし、この価値観競争から早く降りたかった。
なぜこんなつまらない競争をし続けなければならないのだろう?
なぜ世の中は、男性の方が得なのか、美人の方が得なのか、
お金持ちの方が、学歴が良い方が、大企業に勤めている方が、出世している方が、
善人の方が、面白い方が、謙虚な方が、社会に役に立つ人間で、有能で、
すぐに結果を出せる人間の方が得なのだろう?
私はダメ人間だったから、競争をしたくなかった。
競争して勝てる所なんか一個もなかったからだ。
泣きたいのをひたすらこらえて我慢した。
私は、親からお前なんか要らないと言われるかもしれない事態に、
ものすごい恐怖心があった。
だから自己否定される位なら、こうやって苦しんでいる方がまだ良いと思って、
ずっと我慢してきた。
本当は常に泣きたかった。
こうやって競争することに耐えられなかったし、すぐにでも降りたかった。
でもここから降りられなくしたのは、私自身だったんだ。
私は自分が優秀だと自己洗脳できないと、存在証明が出来ないから。
私という人間は一体何だ?
私を優秀だと認めろと他人に言い続けている人間、
私は優秀なのよ、と自惚れて勘違いしている人間でしかないのだ。
私は一度も私という存在をありのままに認めていない。
それが証拠に、常に私は自分が必要か不必要かを考えているではないか。
自分が認められれば、誰に認められる必要もないじゃないか。
幼稚園に通っていた時も、常に私はここにいてもいい存在なのか?と考えていた。
友人も作れず、先生にも相手にされない私。
誰にも存在証明ができなかったから、孤独で不安感で押しつぶされそうだった。
だから私は幼稚園に行くのが死ぬほど嫌だった。
幼稚園がトラウマになっているのは、誰も私を必要だと言ってくれなかったからだ。
中略
会社で同僚が「私は正しい・私を認めろ」を押し付けてくることが嫌でたまらなかった。
なぜ優秀な私に向かって「いや、あなたより私の方が正しい」とか
「いや、あなたより私の方がもっと優秀な事を認めろ」と言ってくるの?
感じが悪い。
私はあなた達より元から優秀なのよ、と思い込んでいただけなのだ。
家に帰ってくると、今度は母にイライラした。
何度注意しても同じことを繰り返す母。
いつも「ごめんなさい」とか「注意します」と言いはするが、
壊れたレコードのように同じ行為を繰り返すことにイライラした。
私は優秀なのに、なんで母はこんな簡単な事も出来ないの、
私の優秀さを見習いなさいよ、
私と同レベルかそれ以上でないと満足できない、なぜ出来ないの?の押し付けだ。
私がこんなに努力して、優秀さを保っているのに、
お前も同様に努力しろ、努力して私同様にやるんだよ!と言いたいのだ。
自分らしく生きられれば、優秀さなんて必要ないではないか。
結局は、優秀とは、自分らしく生きられない人が、現実逃避のために使う、
万人が認める体の良い物差しイメージでしかないということだ。
会社で嫌だった思いも浮かぶ。
嫌だったのは、文句ばっかり言って、
自分からは何も行動しないくせに、自分を変える努力もしないで、
他人や環境の方が自動的に変わることを望む人間、
ただ現状に文句しか言わない人間だ。
こんな人間に成り下がりたくないとずっと思っていた。
でも本当は、自分自身が歯がゆかったのだ。
必死にもがいても何一つ変わらず、
理不尽な現状から一歩も抜け出せない現実に絶望している私自身を
他人に投影して嫌っていただけだ。
中略
父は、私や祖母や母に父の方が優れているという価値観を押し付けなければ、
立っていられなかった。それほど弱い人間なのだ。
価値観を持たなければ、存在不安に押しつぶされ、自己存在証明ができない人間。
ああ、そうか。
逆に言えば、AC人格は、価値観を持たなければ生きていけないんだ。
今まで、価値観を持っているのが当たり前だと思い込んでいた。
中略
自我復元を始めたら最後、逃げ場はないと考えている。
だから、私には逃げ場がないと思うといつも涙が出た。
でも、なぜ泣くんだろう?と思っていた。
Abyさんのブログを読んで納得した。
AC人格は逃げているのが常態だから、
逃げない姿勢でいなければならないのが辛いんだ。
考えてみれば、今まで怖いから逃げるを繰り返していた。
AC人格にとって、逃げ場がないのは恐怖そのものだ。
一番怖いのは未知の事態に直面する時だ。
先を読むことができず、自分が考える希望的予定調和に持ち込めないから、
自分からは動けなくて他人の助力を得られなければ何もできないからだ。
今までに、逃げなかった時もあったが、
それは逃げ道が全て塞がり逃げられなかったから、仕方なくやっただけの話なのだ。
正直に言うと、
私は「今から全ての出来事に対して逃げない」という覚悟を決めるのが怖い。
電車で隣に座る他人が怖い。
この恐怖心の根源を考えてみると、他人が怖いんじゃない、親が怖いんだ。
こんなにも私は親が怖かったんだ。
隣に来られると内心悲鳴を上げるほど、親が怖かった。触られるのも怖かったんだ。
中略
急に暑くなって体調が悪くなり、胃腸炎の症状になった。頭痛と吐き気だ。
また掘らなければならなくなった。
子供の頃、弟がいなくても私はいてもいいんだという自己証明を必死に探していた。
病気になれば、大人に手間をかけさせて、関心も引ける。
何としても弟のことなど忘れさせてみせると思っていた。
病弱なら大事にしてもらえるではないか。
病弱なことが自己証明なのだと必死にやってきた。
吐いたり苦しいのは嫌だと言いながら、
苦しくないと自己証明できないのだ。
実際に本当の病気で苦しがっていなければダメなのだ、
そうでなければ真実味が薄いからと堅く思い込んでいた。
苦しくても我慢だ。
苦しがっている所を親に見せなければ、自己証明にならない。
その一方で、苦しくても苦しいと親に言えなかった。
他人に苦しいと言った所で、病気は治らないから。
つまり、一人で苦しがっている所を親に見せていた訳だ。
考えてみれば、親が見たかったのは、これなのだろう。
自分もそうやってきたから。
人生、自己証明で苦しいのが当たり前だ。
自己証明しながら苦しいのを一人で乗り越えるのが人生だ。
病弱でいなければならない、嫌いな勉強をやらなければならない、
跡取りとして男のようにふるまわなければならない、
跡取りとして親の言う通りに生きなければならない、
この自己証明をし続けることが嫌だった。
だから吐く。こんな現実受け入れ難いから。
こんなはずじゃなかったと思って吐くのだ。
中略
私は完璧主義なのだ。完璧主義で会社でエサをもらえていたため、
自分のミスも他人のミスも許容できない。
沢山のミスは命取りだと思い込んでいる。
これは祖母と父が完璧主義だったからだ。
優秀な出来る人と思われたいがために、そつなく何でもこなすために、
事前に下調べをして完璧に物事に望むべきだと思い込んでいる。
仕事の場合はそれでいい。
だが、生活にまでそれを持ち込むと、相手の生活を侵害してしまう。
私は仕事と生活をいっしょくたにしていて、切り離していないのだ。
父や祖母が完璧主義を私に押し付けたのと同様に、私は母に押し付けている。
私は母から優秀な出来る人間だと思われたい訳ではない。
ところが母にとっては、私ができる人間でなければならないのだ。
そうしないと、自分が全部やらなければならなくなるから。
自分が逃げるために、相手に優秀であってもらわなければならないのだ。
私は、母の「ごめんなさい」「私が悪い」「忘れちゃった」といった、
「自分はダメな人間です」アピールをされる度にイライラする。
それは、母から「私はやらないよ。お前がやるんだよ」
と言われているのと同じだからであり、
さらに「私には出来ない」と言うことが私には禁じられているからだ。
また、私が「思ったことを言いなさい」と言っているにもかかわらず、
だんまりを決め込む母にもイライラする。
母は自分の心の内を正直に話さない。
相手が誤解した方が自分に都合がいいと思っているからだ。
母のACに振り回されている自分、
自分のACに振り回されている自分。
私はずっと息苦しいままだ。
「私には出来ない」と言うことが私には禁じられていた。
祖母と父から泣き言は言うな、という無言の圧力もあった。
泣き言を言う奴はダメな奴という思考だったし、
そもそも泣き言など誰も聞いてもくれなかった。
だから勉強が嫌いだ・止めたいと言うこともできず、
同級生から虐められたということも言えず、
母から冷たい言葉をかけられても泣くこともできず、
お前は悪人だと父から指摘されても反論できず、
私には逃げ場が一切なかった。
だから逃げる奴を見ると腹が立つ。
考えてみれば、退路を断ったのは親なのだ。
私には逃げ場が一個もないと思っていたが、
それは親が全ての退路を断ったからだ。
「逃げることを禁じる」と洗脳されてきたんだ。
そうすれば、親の言いなりに動くから。
だから自殺したかった。あまりに苦しくて。
考えてみれば、こんな年になってまで、
なぜ親の言うことを聞かなければいけないと思い込んでいるんだろう?
いつまで私は子供をやっているつもりだ?
親や他人が何を言おうが、自分が思った通りに動けばいい。
親や他人が私に命令できる権利なんかないじゃないか。
中略
母に対しては、働かざる者食うべからずという考えが何度もよぎる。
母には働いてもらわなければならない。
その理由は私だけが働かされるのは面白くないからだ。
母は事ある毎に仕事を私に全て丸投げしようとする。そんなことはさせない。
母だけに良い目を見させてなるものか。
つまり、母が私を自分に都合の良い道具としか見ていないように、
私も母を自分に役に立つ道具としか見ていない。
だから私の役に立たないと、母に対して怒りやイライラを感じるのだ。
そういえば、私が母の事を嫌いなのは、母は私を育児放棄したくせに、
産みの母というだけで私をコントロールするのが親として当然の権利だと思い込んでおり、
私のことを自分に都合の良い道具としか思っていないのを感じるからだ。
母は私に対して誠意ある行動をしたことがない。
いつも黙っているか、何もしないか、お門違いな言動をするかだ。
だから私は母を信用していないし、
こんな母親にコントロールされるのは真っ平御免なのだ。
そして、極端なことを言えば、私は母のことを、
私の役に立つなら目の前にいてもいいが、
役に立たない時は、私の気分を害する煩わしい存在で、
腹が立つと、いない方がマシな存在だとしか捉えていない。
私がイライラし続けているのは母に対してだけじゃない。
本来の私で生きていないのが自分でも分かるから、
自分に対してもイラついている。
母のことを道具としか見ていないということは、
逆に言えば、私が私自身を道具としか見ていないということだ。
母が話し掛けてきて、私に相槌を求める時、
あまりにくだらない話題だと感じる時には返事をしないで無視している。
そうやって黙っている時には、
「お前なんかいなくていいんだよ」という返事を母にしているのと同じだと、
薄々感じてはいた。
それはつまり、私達の会話は、どんな内容であっても、
究極的には、お互いへの「私はここにいてもいいんですよね?」
の確認でしかないということだ。
母は頻繁にくだらない話で私に自己確認をする。
私も母にちょっと聞いて欲しい時は話し掛けるが、確かに自己確認をやっている。
そういえば、父の自慢は、
いかに自分が他人の役に立ったかという自慢じゃなかったか?
自分は善人で、同性の友人も多く、
親戚からも本家の出来る長男として一目置かれ、
清廉潔白で、近所の人達から信頼されているのを重要視していた。
父がよく善人でなければならないと言っていたのは、
他人の役に立つ道具になるためだったんだ。
気付かなかった。
父は自分が祖父母の役に立つ道具で、
妻や友人や親戚や近所の人達にも役に立つ道具だと、
あれ程私に自慢していたじゃないか。
私が忙しい時に、他人がのんびり楽しそうにしているのを見ると、イライラする。
私がこんなに努力をして一生懸命やっているのに、なんだよ、のんびりしやがってと思う。
考えてみると、私は幼少期から
「あたしのことを奴隷扱いしやがって。
お前なんかカスのくせに、あたしに命令するんじゃないよ」
という親に対する怒りが心の底に渦巻いていた。
私が父や祖母を恨んでいて大嫌いなのも、私を奴隷扱いしたからだ。
母も、母親というだけで、私を奴隷扱いして、ずうずうしく私に命令する。
だからこそ母が大嫌いなのだ。
ようやく、「こんな奴、死んじまえ!」という積年の憎悪が
心の底辺を流れていることをはっきりと感じられるようになった。
母を見ると、「死んじまえばいいのに。あたしをよくも奴隷扱いしやがったな、
この積年の恨みは忘れない」という思いが噴出する。
中略
私は母のことを、こんな母親は嫌だ、なぜ理想的な母親じゃないんだろうと考えている。
私にとっての理想的な母親とは、私を愛し、受け入れてくれる人間だ。
しかし、これは完全に無理な希望で、今のままの、ありのままの母親を受け入れられない。
私にとっては人でさえ完璧でないとダメなのだ。
不完全という事実を見ない。完璧という幻想。
完璧に仕事をこなす。完璧に家事をやる。完璧な人間。完璧に近づきたい。
完璧という幻想を追い求めている。
元はといえば、親が私に完璧を求めなかったか?
奴隷として、より親の役に立ってもらうために、子供に完璧を求めているだけなのだ。
親は自分は不完全なのに、ずうずうしい要求ばかりする。
奴隷としての価値は、優秀な方が高い。何でもできる奴隷。
自分は鼻が高い。自分の命令一つで自分の言う通りに完璧に遂行する奴隷。
奴隷の出来が悪い時には、親の方が偉い、お前なんかダメだと馬鹿にし、
優秀な時には、こんな優秀に育てた親が偉いと言う。
「奴隷扱いしやがって。いつか殺してやる」という思いを持っていたということは、
私は自分の事をずっと奴隷だと思い込んできたのだ。
私は初めて、奴隷だと思ってきた自分を不憫に思った。
自分が可哀想だ。
私は私に優しくしてあげたい。
私は私を大事にしてあげたい。
こんなに頑張ってきたのに、全く報われない失敗人生だった。
私は自分のことを親の奴隷だと思ってきたから、自分に優しくしなかったんだ。
奴隷意識に気付いて初めて私は、
全ての人間が平等で対等で自由で、特別な人間は一人もいない、
上も下もなく、命令する人間も命令される人間もいないのだと分かった。
全ての人間が対等で自由だからこそ、他人の領域を侵害してはいけないんだ。
他人の領域に勝手にずかずか入り込んで、
力を嵩に他人に命令して無理に従わせるなどという侵害をすべきではない。
他人も自分も尊重すべき存在だ。
中略
母の世界には、究極的には自分の親しかいない。
自分以外の他人に自分の親を投影しているだけだ。
母の中に、私という子供はいない。
私の存在など元から無かったのだ。
だから親から愛されるなどという希望はこれっぽっちも最初からなかった訳だ。
AC人格のカラクリを他人の中にはっきり見てしまうと、
ああ、これだ、これが私の中にもあるし、
母親の中には子供という存在はいないんだということがはっきり分かる。
母は「お母さんお母さん」と言っている4〜5才位の子供だ。
ふと気付いた。
両親も祖父母も、本当の親じゃなくて自分が作り上げた脳内にいる幻想の親に、
自分がいかに善人で、努力して、苦労して、苦しみながら、
親や他人のお役に立っているかを見せているのだと。
そうすれば、もしかしたらいつか自分を愛してくれるかもしれないし、
認めてくれるかもしれない。
「現実の親じゃない方が、可能性がある」と思えるから。
脳内の自分が作り上げた「幻想の親が神」だ。
あの人達が忠誠を誓っていたのは幻想の親で、
私を道具にして従わせていた理由は、
「彼等の脳内にいる幻想の親」へ忠誠の証を見せていたからなんだ。
幼少期、彼等が見ているものが何なのか、
何を崇めているのか、何に忠誠を誓っているのか、
何の役に立とうとしているのか、私にはさっぱり分からなかった。
謎が解けた。
彼等には子供は存在しない。
子供は、彼等の幻想の中の親に、
自分がいかに忠誠を誓っているかを見せる道具のひとつなんだ。
彼等の世界には究極的には幻想の親しか存在せず、
その幻想親との主従関係を自分で作って、奴隷となっているだけなのだ。
私もずっと、脳内の幻想の親に、自分がいかに努力して、苦労して、
苦しみながら親や他人のお役に立っているかを見せ続けていた。
自分の思い込みで作った人生脚本を生きることが自己存在証明になると信じて。
そうしなければ私は存在する価値が無く、
また、親や他人のお役に立てないと幻想親=神から罰されると思っていた。
また、脳内にいる幻想の親は、自分がこうあって欲しいと望んでいる理想の親だ。
それを現実の親に投影するから、親に希望や期待を持ってしまう。
いつかは、もしかしたら、良い方向へ変わってくれるかもしれないと。
実際にはそんなことは起こらないのだが。
自分に都合の良い理想的な親を脳内親にし、
子供は死ぬまでその幻想親に忠誠を誓い続ける。まるで宗教だ。
1/誰からも愛されていないというショックがあり、
2/私は信じない、私の親はそんな親じゃない、
私の親は私を愛してくれているんだという妄想から、
脳内に理想的な幻想の親を作り、
3/現実の親からの虐待攻撃で嫌々ながら奴隷となり、
4/自分が信じているのは脳内の幻想親だから、脳内の親に奉仕するのだが、
現実の親に脳内親を投影するため、理想と現実とのギャップに何度も裏切られる。
そして、
自分は無価値だから自己存在証明しなければならないと思い込み、
刷り込まれた価値観に従って、自分で人生脚本を作り上げ、それに従って生きる。
それは「脳内親」に見せるためでもあり、自分に見せるためでもある。
こう考えると、私も両親も祖父母も、
理想の脳内親がいなかったら、私達は生きていけなかった。
理想の脳内親を神と崇めて、ひたすら自分を殺して仕えることで、
いつかは愛されるという希望が持てるから。
自分を「最初から虐待し続ける現実の親」など認めては、生きていけなかったから。
それを認めてしまったら、自分は絶望して死ぬしかないから。
ということは、
「奴隷扱いしやがって。いつか殺してやる」という怒りのさらに下にあるのは、親への絶望だ。
これは自分への絶望であり、この世界への絶望だ。
中略
「お前のために」という名目で、他人から何かを押し付けられるのは御免だ。
本当の私が誰かに親切にしたいと思った時、
その誰かから見返りが欲しくてやっているんじゃない。
その人のことを大事にしていて、尊敬していて、
私が親切にしたいから一方的にやっているだけだ。
AC人格の「お前のために」は自分のためであり、脳内親に見せるためのアピールだ。
中略
私は母に、「私が望んでいるのは自立で、お母さんにも自立してもらいたいんだよ。
だから自分で考えろと口癖のように言っているでしょ」と言った。
しかし私が何を言っても、母は自分が悪いと思うだけで、何も理解しようとしない。
少しして母が「おかずが少なくてごめんなさい」と小さい声で謝った。
ほら、もう私が言った「子供扱いするな」という所はすっかり忘れてしまい、
母親失格の方へシフトしてしまった。
こうなると母は脳内親に自虐を見せるのに一生懸命だ。
私の言いたいことは聞いてもいない。母は常にこれだ。
私の言葉の中から、自虐に使えそうな物だけをチョイスして都合良く使う。
そして自虐して満足している。
自虐するのが人生脚本なんだろうか?自虐癖なんて気の毒に思える。
だから母は背中が曲がって、小さく縮こまっていってしまうのだ。
もしかしたらダウン症の妹を見て、
手のかかる人間の方が親から愛情を受けられると思い込んでいるのかもしれない。
中略
私の中には親の奴隷になっている自分に対する怒りがあって、
反抗することも文句を言うことも感情を出すこともできない自分自身への不甲斐なさや、
何者にも屈したくないのに、現実には色々な人に屈して仕えているという事実を認めたくない。
だから、親からやられたように、他人からマウンティングされたり、
感情的に怒られたり、高飛車に出られて有無を言わさず命令されたり、
屈辱的なことを言われたりすると、瞬時にこの感情と繋がって、怒り始める。
ということは、私は他人のやっていることが理不尽だと思えば、
感情を出して、相手に文句を言い、反抗していいんだ。
相手に屈したくないと思うなら、屈しなくていいんだ。
驚いた。
私が理想の脳内親に見せているものはというと、
1/私は無価値だから、あなたの評価をもらわないと自分の価値を決められません。
あなたの価値観(評価体系)に従って、
より沢山のことを優秀にできる方が、私の評価価値は高くなる。
だから何でも完璧を目指しています。
2/私はいつかあなたから愛され認められたい。
だからいつでもあなたの言う通りにします。
あなたが苦労しろ、人生とは苦しいものだというなら、苦労する人生を生きます。
あなたを喜ばせることができるように奉仕し、頑張ります。
3/私自身が決めた自己存在証明のための人生脚本がありますが、
それはあなたの希望も考慮して決めました。
あなたに喜んでもらいたいからです。
私は自分のため、あなたのために、必死にこの人生脚本を生きます。
ということだ。
親は子供に、自分の都合の良い理想の子供像を押し付ける。
元凶は理想の幻想親だが、それが派生して、他人にも理想の○○像を投影して押し付ける。
そして現実と理想のギャップに驚いたり怒ったりする。
これじゃ、他人を一個人として見ていないばかりか、
そのありのままの個人像の完全否定だ。
AC人格で生きている限りは、本人も周りの人間も完全否定され、
死んだも同然ということだ。
中略
私は他人と会話をしていると思い込んでいるのだが、
実は脳内親を見ていて、他人との接点は一個もないのだと確認できてしまった。
今まで掘ってきたのに全く気付かなかった。
何度も自分では孤独だと、私の世界には私一人しかいないと思ってきたのに、
本当のことが今になってようやく分かった。
AC人格とはこんなに恐ろしいものだったんだ。
私はAC人格の事がよく分かっていなかった。
他人と会話しているように思い込んでいるだけで、
実は脳内親に意識が向いており、目の前の他人には意識が向いていないんだ。
相変わらず、もやもやする。
今の私と本当の私は別人だという乖離を感じる。
絶望を感じると、次に自分がみじめだと感じる。
中略
高校生で勉強ができなくなり、ドロップアウトしたのが本格的な「逃げ」への参入だった。
中学生の頃には、父と祖母の「逃げることは許さない。塾へ行け」
という命令と自分の人生脚本に完全に追い詰められていた。
高校生の頃には、私が認めたくない感情は、意識下でもう一杯一杯だった。
大学生になると、逃げなければやっていけない状態になっていた。
中略
母に怒って言ったら、いつもの如く母は黙り込み、ふっとどこかへ行ってしまった。
ふと、母は「私のために探し」に行ったのだと気付いた。
「私のため」は「母のため」であり、
脳内親にいい子ちゃんアピールをするためだ。
初めて私は、母の「私のため」をその場で拒否したのだと分かって、驚いてしまった。
不条理だと感じた瞬間、感じた通りに怒ればいいんだ。
その直感は当たっている。
そして、その場で言い返したので、すっきりした。
中略
「〜〜を欲しがる程、落ちぶれちゃいない」という思考は何なんだろう?
と考えていて、ふと分かった。
理想の自分像があるんだ。親に対して持っていたなら、自分に対して持っていてもおかしくない。
AC人格の理想の自分像とは?
親から愛され、認められ、受け入れられる自分。
暖かい家庭があって、何でもできて、頭も良くて、性格も良い完璧な自分。
沢山友達がいて、友情にあふれている自分だ。
理想と現実のギャップが甚だしい。なぜこうなった?
1/最初は母から愛されていないと知って絶望し、
2/次にその愛されない自分を自分自身が受け入れられなくて絶望した。
3/それでは生きられないので、私は「本当の自分は、こんな愛されない自分じゃない」と逃避し、
理想の自分像を妄想で作って、理想の自分像を信じることにしたんだ。
意識の底流には絶望があるにもかかわらず、それを認めると生きられないから、
理想の自分像を作って自分に押し付けた。
理想の自分像が本当の私なのだと。
こっちを見ていれば、まだ生きられる、私はまだ大丈夫だと思い込んでいるんだ。
自分を誤魔化しながら生きている。
だから、私は、本当の現実の絶望を感じながら生き続けている
自分を受け入れられないんだ。
確かに、幼稚園の時、ダメ人間を自覚する一方で、
「こんなの本当の自分じゃない」と考えていたし、
親から奴隷扱いされた時も、
「こんなの認めない。屈しているのは本当の私じゃない」と考えていたじゃないか。
親から奴隷扱いをされているのに、
自分は特別な人間だという特別意識がどこから生じたのか、ずっと謎だった。
これが原因なんだ。
私が最後まで認めたくない感情は何なのかを、ずっと考えていた。
ようやく分かった。
それは、自分は「もう全然ダメだ!!!」という絶望した感情だ。
こんな自分に対する絶望、私は絶対に認めたくなかった。
親に愛されないよりも、最後まで認めたくなかった。
無意識では、私自身がはっきりと「自分が全然ダメ」なのを分かっているから、
他人に対して私を認めて下さいと要求するし、
他人からお前なんかダメだと言われると、烈火の如く怒るんだ。
傷に塩を塗られるから。
そして、常に「こうだったらいいのに」と妄想し続けている。
だから自分に都合の良いことしか考えない。
AC人格の私は、あまりの怖さに現実の自分の気持ちを見られないんだ。
だから逃げ場の、妄想の理想の親と理想の自分像をずっと参照し続けている。
だから理想と現実との間にギャップがあり、
なぜ私はあれもこれもできなんだろう?
なぜ私はこうなんだろう?なぜうちはこうなんだろう?と考え続けているんだ。
謎が解けた。
今ここにいる現実の私は、親に絶望し、自分に絶望し、
生まれてからずっと**年も惨めな思いをしながら生きてきた私だということを
強く自覚しなければならない。
それが私自身を救う道なのだ。
**年間の惨めな思いを受け止めなければ、
私は本当の自分を誤魔化すことになってしまう。
本当の自分は、誰からも相手にされず、
誰とも繋がれなかった、真に孤独で惨めな人間だと、
私の人生はひどく惨めな人生だったと認めることだ。
私はずっと泣きたかったんだよ。今こうして泣いているみたいに。
自分が体験した絶望感、惨めさ、
苦しいという気持ちを粗末にしてきた私を許して欲しい。
「自分はとても寂しがっているのだ」と自覚できるようになってきた。
寂しがっている自分を癒すことに時間をかけることにしよう。
「お友達が欲しい」という欲求がある。
抱き枕を買った。可愛らしい大きい平べったいぬいぐるみだ。
このぬいぐるみと遊んでいると、子供の頃を思い出す。
また具合が悪くなった。こういう時は掘る時だ。
私が具合を悪くする時は、逃避したい感情がある時だと痛感している。
私には絶望感と同時に、ものすごい恐怖心がある。
それは、弟がいたら私は必要ない(無価値だ)、
つまり、弟がいたら私は親から殺される、親から殺される前に私が弟を殺さなければ、
という生死をかけた必死の選択をしなければならなかった恐怖心だ。
そうだ、だから私は弟の存在を意識から抹消しなければならなかった。
そうしなければ、私が殺されてしまうから。
「弟を殺さなければ、私が殺される」この恐怖心を見たくないために、
脳内親に忠誠を誓い、理想の私像や人生脚本に忠誠を誓っている。
ということは、私にとって親とは、
自分の生死をかけなければならない程の恐怖の存在なんだ。
私にとって親とは恐怖の神であり、
ずっと親から殺されることに「怯えながら」この**年間生きて来たんだ。
だから奴隷になるしかなかった。
幼少期、私はここで生きるために、
「今日は殺されなくて良かった」と毎日親に怯えながら、親に従って生きてきたんだ。
恐怖による支配と従属。これが私の人生の真実なんだ。
この生死をかけた恐怖心をよく見て、よくよく感じておかなければならない。
私があの寝室で感じていた恐怖は、
親がセックスをすることは私が殺される前段階だという恐怖と、
もしも弟が生まれれば、弟を殺さなければ私が殺されるという恐怖と、
私を殺す権限を持つ親と毎晩一緒の寝室で眠るということが、
私にとって最大の恐怖で苦痛で拷問だったということなんだ。
大きいぬいぐるみと遊んでいると、寂しかったという感情が噴出する。
私は心を殺して生きてきたということを実感する。
「**ちゃん(ぬいぐるみの名前)は私を殺さない」と思っている。
私にとって、他人は私を殺すか殺さないかの二択の存在でしかない。
だから、私は他人を常に敵だと思っていて、簡単には信用しない。
私は完全に病んでいる。
なぜなら私は、親から一度、心理的に殺されているからだ。
次に肉体的にも殺されないよう踏ん張ってきた。
愛されているという妄想がなければ、
自分の存在は無価値であるという事実に耐えかねて自殺していただろう。
幼少期、必死で自分を妄想で誤魔化さなければ、
自殺か気が狂うかの二択を自分に迫るしかなかった。
どちらも選択できない。
なぜなら大人になってやらなければならないことがあるから。
親が提示した子供像を、よし、やってやると思った。
生きるためには、これしか選択の余地がなかった。
幼少期のおぞましいほどの恐怖を感じる。
両親が怖くてしょうがなかった。
両親の前に行くと、怖くて立てない程だ。
私とたいした接点のない両親が、私の運命を左右している。
毎日毎日怯えていた。
今日は生きられた。明日は生きられるのか?ぎりぎりでいつも生きていた。
あいつらの気に入らなければ、私は死ぬかもしれない。両親の顔を見たくなかった。
中略
桜の間を読んだ。崩残さんの仰るように、私は誤解していた。
最近ずっとAbyさんのブログを読みながら、違和感があった。
Abyさんの視点が分からなかった。
自分を作り直す視点から見たら、内容は明快だった。
そしてここ3ヶ月間のイライラ。
これは、私がちっとも行動しないことへのイライラだ。
私はこの3ヶ月、恐怖心を掘ることを言い訳に、行動することから逃げていた。
ところが死への恐怖まで掘れてしまい、もう逃げるための言い訳がなくなってしまった。
いつも退路を絶たれるまで逃げ続けている自分を痛感した。
これからは行動するしかない。そう覚悟すると、ワクワクする。
本当の私が、今の私が勇気を持って行動して変わってくれることを期待しているのが分かる。
もはや、やるしかないじゃないか。
AC人格を殺し、最初から作り直すしか私に生きる道はない。
ここに逃げ場があるのか?一切ない。
ここで逃げたら、AC人格のまま誰とも繋がれず、
脳内親だけを見て「こんなの自分じゃない」と妄想しながら、
本来の自分とも繋がれず、不甲斐ない自分にイライラしながら生きるだけだ。
こんな生き方は嫌なんだろう?嫌だ。じゃあ前に進むしかない。
自分を観察していると、常に意識が後ろへ引っ込みたがっている。
まるで海老みたいに引っ込もう引っ込もうとする。
そして、ほぼ毎秒恐怖を感じていると言っても過言でない。
頭の中で何かしようと思うと、自動的に「怖い」と感じるようになっている。
しかもこの恐怖は殺される恐怖と直結しているので、始末が悪い。
この恐怖心をぬいぐるみにまで投影した時もあって、我ながら苦笑した。
24時間頭の中を監視し、恐怖心を感じたら、すぐリラックスする。
恐怖心のボタンをOFFにし続けるよう努力してみよう。
ふと分かった。
母がなぜ私を育児放棄したのか。
それは子育てという新規な状況に対応できずに怖かったからだ。
母は相当恐怖心にやられており、自分が何もできないと堅く信じていて、
子育てで失敗したら怒られるから、
怒られる位なら他人に最初からやってもらおうと祖母に丸投げしたんだ。
母にはお店を手伝うという大義名分の逃げ道があった。
自分の人生の責任についてだが、
死への恐怖が原因で、親に屈したのは私の責任だ。
私が実際、それを選んだのだから。
その後の人生の失敗も全て私の責任だ。
自分が自分じゃなく感じられて自暴自棄になり、
全くのノーコントロール人生だったのも、全て私の責任だ。
今までの自分の選択の失敗を全て私は受け入れる。
失敗したと間違いを認めて、最初からやり直せばいい。
出勤時、電車で隣に人が座って怖いと感じたら、
深呼吸をしてリラックスするようにしていた。
ふと気付いた。他人は敵じゃない。
他人とは完全な第三者で、敵じゃなかった!
そう分かった瞬間、周りへの認識が180度反転したのを感じた。
気持ちがぱっと明るくなり、
周りの世界の見え方が白くて明るいものに変わった。
もうもう泣きそうになった。
私は今まで他人は敵で、
周りの世界には敵しかいないと堅く思い込んでいた。
第三者は敵じゃないと分かって、
突然、他人をそのままの形で肯定的に受け入れることができた。
そして、他人を肯定的に受け入れたら、
周りの世界から自分が肯定的に受け入れられているのを感じた。
涙が出た。
こういう心境になって初めて、
私が親から理解してもらえることなどないのだと納得できた。
今のままの親を初めて受け入れられたし、
親に全く期待しないことも受け入れられた。
他人と話していても心に余裕があって、
「私を見て。私の言うことを聞いて」とごり押ししないで済む。
この世界から受け入れられているという安心感。
こんな気持ちになったのは、いつ以来だろう。
今までずっと「こういうのが自分だ」という漠然とした自分像を持っていた。
内向的で大人しく、病弱で出不精で、外界の変化に弱く、
真面目で人当たりが良く、趣味の無い自分。
でも一から作るなら、どんな自分像でもいいんじゃない?
だって、私はまだ何もやっていないもの。
健康で元気はつらつとしていて、何でも楽しめるような人間、
好奇心旺盛な人間がいいなと思う。
崩残さんのご指摘の通り、
今まで持っているAC人格のやり方をちょこっと変えるだけで、
どうにかならないものかと私は考えていた。
「新規に何かを作る」と考えると、全くやり方が分からなかったから。
今一つ考えているのは、自他の感情(気持ち)を大事にするということで、
嬉しいなら素直に嬉しい、
悲しいなら素直に悲しいと言えるようになることだ。
中略
私はどばーっと感情を出したいの。
赤ん坊のように喜ぶ時は思いっきり喜んで、楽しい時には楽しーーーい!と叫びながら
思いっきり楽しんで、悲しい時は思いっきり泣いて、
嫌な時には嫌だと言って思いっきり怒りたい。
中略
今までは人の気持ちを一切聞かず、
自分の言いたいことを言い放って有無を言わさず相手に押し付けていた。
今度からは、まず他人の気持ちを聞いてみる。
他人の言動が受け入れられればそれでいいし、
受け入れられなければ相手にはっきりNoと言うこと、
そして、こちらも相手に言う時には自分の気持ちを正直に言ってから、
自分の要求を伝えること。今までは自分の気持ちを言わず、
要求だけを相手に押し付けていたから誤解が多かった。
今の私の会話のやり方は全て間違っており、全く使えないことが分かった。
桜の間にあった幼い崩残さんとお母様の会話、あれがまさにまともな会話だ。
うちの親族には他人の気持ちを汲める人が誰もいなかったので、
私を含め誰一人まともな会話を見たことも体験したこともないのだった。
また、読んでいて思ったのは、全ての人間の共通の言語は感情だということだ。
価値観は人それぞれでお互い理解しあえない時もあるが、
感情は子供から大人まで全員が共通して持っている。
だから気持ちだけは誰にでも通じて、心を動かしたり動かされたりする。
また、私は親から干渉されて育ったので、すすんで他人に干渉しに行ってしまう。
自他の問題の区別をつけてこなかったため、他人の問題に首を突っ込んでしまう。
他人の問題には首を突っ込んで干渉しない。
他人の問題はその人が解決すべきことで、
そのための自主選択権はその人が持っているということを肝に銘じなければならない。
つまり、他人に対して「自分が何かやってあげたい」と考えるならば、
他人の問題に関しては、自分はその人の気持ちを聞くことしかできないのだ、
ということになる。
中略
母がああなったのは、祖母が子供の頃に母の気持ちを一切聞かなかったからだ。
祖母が時間を作って母と交流する時間を持ったら、
母はのべつ幕なしに「私の話を聞いて!」とはならなかっただろう。
こんな風に空気を読めなくしたのは祖母だ。
私は相手の気持ちを聞く大事さが初めて分かった。
家庭ほど本当は一個人を尊重すべき場ということになると、やはり真逆だ。
勝つか負けるかの思考は全く必要ない。
新しいことをすることへの恐怖から逃避に走る思考癖が酷い。
逃避したくてたまらない。
ネットやTVを見る、読書をする、掃除をする、
ぼーっとする、「家の中で何かをする」だ。
思い切り声を出したいので、ボイストレーニングの1回体験を申し込んだ。
申し込むのに勇気が要った。でも声を出したいという要求の方が強かった。
9月の頭に教室に行く。
ふと感じたのだが、自分がこれをやりたいの!という内部からの要求があった時、
それを即座に捕まえて実行に移すか、
移す予定を立てなければならないのではないだろうか。
ちょっとでも弱気になって先延ばししたらダメだ。
時間が経てば経つほどACが怖い、
暑いから遠いからめんどくさいの大合唱をするので、
何かをやる機会をずるずると先延ばしにしてきた。
行動してみたら本当は面白かったのに、何も行動しないんじゃ、
面白かったかもしれない機会を逃している。
だから私はちっとも楽しめないんだ。
だって何もやっていないもの。
********* *********
以上です。宜しくお願い致します。
これからは色々とやってみたいです。
今一番感じたいのは「楽しい」という気持ちです。
秋祭
******************
報告の中にも出てきたAbyさんのブログです。
これは最近の記事です。
↓
「未来」
http://mmjhb11.exblog.jp/22083660/
■ちなみに、朱いはがねさんの「服を買う話」に、
砂手が、大ウケしてしました。
服に関することは、女性であると特に理解できる部分があると思いますが、
男性であるのに、あそこまでトラウマとの関係を紐解いたという意味で
砂手が感嘆していました。
またその文体や用語も、随所にひと工夫されている点にも着目しました。
朱いはがねさん
「よし、服を買いにゆこう!」
http://jibunnikaerutameni.blog.fc2.com/blog-entry-77.html
________________________________
★
.
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